343 / 455
運命に祝福を
事件 ②
しおりを挟む
「ツキノ、なぁ、ツ~キ~ノ~」
呑気な呼び声が俺の集中を妨げる。あぁ、またうるさい奴が来た……と俺は眉間に皺を刻んで顔を上げた。
「あぁ! もう、うるさいっ、ロディ! 邪魔するならここ来んなって何度も言ってんだろ! そもそもここは俺にって提供された部屋で、俺はお前にこの部屋の出入り許可を出した覚えねぇから!」
「えぇ、そんな事言っていいのかな? 一応この家自体の所有権はうちの親父にあって、ひいてはこの家の持ち主は俺になる予定なんだけど?」
「今は違うんだろ、お前に家の所有権が移ったら速攻でここの資料全部纏めて持って出てってやるよ」
「うわ、酷い言い草だな」とロディは悪びれた様子もなく苦笑する。俺達が今いるのは黒の騎士団員達の隠れ家、そしてその屋根裏部屋、俺のじいさまで、現ファルス国王が若い頃に使っていたと教えられた書斎である。
「はいはい、君達仲良いねぇ、お茶が入ったから下りといで」
階下からかかる声に「仕方がねぇな」と、俺は立ち上がり、俺より更に奥の方で資料を漁っていたノエルに「休憩しろってさ」と声をかけたのだが、ノエルからの返事がない。
「お~い、ノエル~生きてるか?」
俺はまたしても溜息を吐きながら奥へと向かう。そこにはノエルが胡坐をかいてその膝の上に広げた資料を一心不乱に読み耽っている、その集中力はちょっとしたものだ。
「ノエル、ノエルってば!」
肩を軽く揺さぶると、ようやく俺の存在に気が付いたのだろうノエルは驚いたように顔を上げた。
「え……? あれ? 何……?」
「休憩しろって、お茶が入ったから下に来いっておじさん達が呼んでる」
「あれ? そんなに時間経ってる……?」
ノエルは慌てたように周りを見回し、時計を見やってまた驚いたような表情を見せた。
「え? 嘘だろ? ツキノ、時計進めた?」
「俺がそんな事して何の得があるんだよ、ほら、休憩休憩」
びっくり眼のノエルを置き去りにして、先に階下へ下りていたロディの後を追うように俺も屋根裏部屋から綱梯子を降りていく。この部屋をルークと名乗る黒の騎士団のおじさんに提供されてからこっち、俺とノエルはこの部屋に籠りきりだ。なにせ、この部屋には興味深い物が多すぎる。ファルス王国のみならず、メリア・ランティスにまで及ぶ膨大な資料は一朝一夕には把握はできず、俺とノエルで分担して資料を整理しているのだが、まだまだ屋根裏部屋は片付けにはほど遠い状態だ。
「王子、精が出ますな」
「なんだ、来てたのか、王子は止めてくれ。俺はそんな風に呼ばれる身じゃない」
階下に下りるとそこには幾人かの人物が机を囲み、既にお茶会の様相だ。先程から俺の周りをうろついていた領主の息子ロディ、ここに住んでいる黒の騎士団員ルークとその妻サクヤ。
この人は男性だけどオメガ。ルークおじさんが嫁と暮らしていると言っていたのに現れたのがこの人だった時には驚いた。男性オメガって数が少ないはずなんだけど、意外といる所にはいるもんなんだな
そして、今俺に声を掛けてきたのは、初めてここに来た日に町の広場に現れた鎧の男のうちの一人、ダニエルさん。彼等はメリアからやって来た俺の護衛だった。
メリアの民主化まではもう秒読み段階に入っている、それを阻止しようとする人間の悪あがきも佳境に入って、一応念の為とメリアから派遣されてきたのが彼等だった。送って寄越したのは俺の本当の両親。
そして『そんなの必要なくない?』と首を傾げる俺に『護衛は多いに越した事はない』と伯父は彼等を受け入れたのだ。
俺の後ろからやって来たノエルは首をふりふり「時間の経つのが早すぎる」と困惑顔だ。ノエルはここにきて初めて分かった事だが、集中力が有り過ぎる。一度没頭してしまうといつまででも固まったように資料を読み耽っていて、飽きるという事がない。
彼自身は「そんな事はない」と謙遜するが、その没入具合は完全に周りをシャットアウトしてしまっていて、時間も俺達の存在すらも忘れて知識を取り込んでいくので、なんだかある意味少し怖いくらいだ。
「そういえばツキノ、広場に来てた行商人、明日には帰るって言うんだけど欲しい物があるなら今日までだよ。毎日毎日こんな黴臭い家に籠ってないで、ちょっと一緒に買い物に出掛けない? お金がないなら俺、買ってあげるよ」
ノエルとは逆にまったく集中力のないのがこの男、領主の息子ロディだ。呼んでもいないのに、毎日毎日俺の後を付いて来ては、俺の邪魔ばかりする。正直鬱陶しくて仕方がない。
「確かに、いい若者が家に籠りきりと言うのも、如何なモノかと思いますな。少しは外の新鮮な空気も吸わないと健康な大人になれませんぞ」
ダニエルさんはそこまで年寄りではないはずなのに、なんだか少し年寄り臭い。年齢はルークさん達と変わらないくらいだと思うのだが、どうにも俺の周りのおじさん連中は年齢に反して若々しい人達が多いので、そのいかにもおじさんくさい言動がとても違和感を覚えさせる。いや、これがむしろ普通なのかもしれないけれど。
「あ、そう言えば俺、新しい紙とペン買おうと思ってたんだった。今日までなんだ?」
ノエルの言葉にロディが頷き、ノエルは慌てたように「じゃあ行ってこなきゃ……」と腰を浮かせた。
「行くのか?」
「うん、だってここで勉強するにはノートもペンも必要だよ。手持ちじゃ足りない」
ペンはいい物を使うと手にかかる負担が全然違う、とノエルは言う。ペンひとつでそんなに変わるモノか? と首を傾げつつも、俺も「それなら」と腰を上げた。
「ツキノは俺の言葉は聞いてくれないのに、ノエルの言う事なら聞くんだな」
拗ねたように言うロディの声は軽く無視して、俺とノエルが立ち上がると、何故か全員が付いて来ようとするので、俺は「護衛なら誰か一人にしてくれ」と呆れたように言葉を吐いた。
何かがあったら困るという彼等の言い分は分かるのだが、大の大人をぞろぞろ引き連れて歩くのはどうにも不自由で仕方がない。
「それじゃ、今日は俺達ダニエルさんに譲るかな」
「ふむ、その任務、しかと承った」
黒の騎士団の2人とダニエルさんはいつの間にか仲良くなっていて、これもこれで変な感じだ。黒の騎士団の2人とメリアから来た俺の護衛達、この町で浮いているのはお互いさまで妙な連帯感もあるらしい。
俺とノエルとロディの若者3人にダニエルさんを加えて、一体俺達どういう関係に思われているんだろうな?
「お、坊ちゃん、また来てくれなすったか、今日は最終日、安くしとくよ」
商人に声をかけられるのは圧倒的な確立でロディだ。ロディの金髪もこの町では珍しくてよく目立つ、それが領主の息子とあれば商人達が媚を売るのも仕方がないのだけれど、俺達は完全にロディの付き人のような扱いをされる事もままあって、少し腹立たしい。
そんな事は我関せずノエルは「どっちにしようかな……」とペンを睨んで思案顔だ。
「ツキノはどうするの?」
「俺はそんなペンの良し悪しなんてよく分からないからな……」
ペンを一本持って指に挟んでくるりと回すと、店の店主に睨まれた。慌てて俺はペンを元の場所に戻すと、ノエルはようやく決めた一本を店主に差し出した。
「お前達、メリア人か?」
店主はペンを受け取り、値札を確認しながら片眉を上げるようにしてノエルとダニエルさんを見やる。
「この町はメリアからずいぶん離れているというのに、もうこんな所にまで入り込んで来ているんだな」
店主はそんな事をぶつぶつ呟いて、ノエルに値段を告げる。その商品は最終日の値引きセールの値段が付いていたにも関わらず正規の値段を告げられてノエルは戸惑い「値段違いますよね……?」とおずおずと店主に告げるのだが「いらないなら、帰ればいい」とすげなく返され絶句する。
「そもそもメリア人の子供に上物のペンなんか必要ないだろう? 書ければなんでもいいんだから、その辺の安いので充分だ」
店主のあまりの態度に俺は怒りで腹が煮える。
「店主、彼は私の友人だ。失礼な態度は止めてもらえるかな?」
傍らのロディも静かに怒っているのが伝わってくる。ロディは怒ると口調が丁寧になるんだな、変な奴。
「坊ちゃんも友人は選んだ方がいい、メリア人は恩を仇で返すような人間ばかり、甘やかしているとこの町ごと乗っ取られますよ」
「彼等はそんな事はしない」
「私ら行商人は各地を回る、この目でそんな町を見てきたから言っているのですよ?」
「まぁまぁ、坊ちゃん方、その辺にしておきましょう。店主、これでいいかい?」
間に入って来たのはダニエルさんで、店主の言い値をぽんと支払い、買ったペンを受け取って俺達3人を「さぁ、行きましょう」と促す。
「これ、値引き品なのに!」
「下手にごねれば、またメリア人は……と言われます。一度付いた悪印象はそう簡単には払拭できないものなのですよ。そういう印象操作をされているのですから、乗らない方が吉ですぞ」
「印象操作……?」
「さようです、メリア人は金に汚く嘘吐きだという印象操作。故意にやっているのかどうかは分かりませんが、そう仕向ける輩は多いのです。私も最初は驚きましたが、ここに来るまでにすっかり慣れてしまいましたな」
そう言ってダニエルさんは苦笑した。
「俺、メリア人じゃないのに、最近こんな事ばっかりだ……」
「ノエル坊ちゃんは綺麗な赤髪ですからなぁ。他国に出たメリア人はそう言った事から最近では髪を染めている者も多いようですぞ。ですが私はそれも間違っている気がするのです。それは問題を先延ばしにする解決方法で根本的な解決にはならない、本来の自分を誇れないというのは何とも嘆かわしい事ですな」
「メリアが民主化されたら、そういったメリア人もメリアに戻る事ができるのかな……?」
「治安が良くなって、争い事がなくなれば、民は土地を追われる事もなくなります、きっと近いうちに平和な世はやってくる事でしょう。そうなればメリア人も飢えや貧しさに苦しむ事がなくなるはずです。貧しさは人を犯罪に走らせる、そういった事もいずれは無くなるはずですぞ」
ダニエルさんはにこやかに言うのだが、そんなに簡単に行くものなのかと、俺は少し考えてしまう。
俺達は広場をぐるりと見て回る、行商人の商売も今日までとなると店は値引きを始めるし、ここで買い逃せば次はいつになるか分からないという物に人は殺到して意外と賑わっている。
「そういえば、ツキノ結局剣は買ってないけど、いいのか?」
「現状必要ないからな、今あるので充分だ。ここの行商人失礼な奴多いし」
先程の件もそうだが、武具屋で小馬鹿にされた件も俺は忘れていない。何も客を馬鹿にするような奴等から買ってやるいわれもない。
そういえば、この行商人達は一体どこから来た行商人なのだろうか? ファルスの人間なのだったら、養父母の暮らすメリアとの国境の町ザガの様子も聞いてみたいところだが、それを聞くのも腹立たしい。
「ねぇ、ダニエルさん。ダニエルさんはどういう道程でここまで来たんだ?」
「ん? 私共ですか? メリアの首都サッカスから旅立ち、港町から船に乗って大陸をぐるりと回って来ましたぞ」
メリアの首都サッカスとここルーンの町は大陸の中では一番端と端と言っていい程離れている、それはずいぶん時間もかかった事だろう。
「船旅は船酔いとの戦いでずいぶん消耗致し申した、帰りはゆっくり陸路を戻りたいものですな」
「陸路だとどのくらいかかるんだ?」
「まぁ、ひと月、といった所ですかなぁ」
「大変ですね」
「レオン王のされている事を思えば、このくらいたいした事ではありませんな」
ダニエルさんはにこにこと笑みを見せる。本当に人当たりが良くて、彼は育ちの良さが窺われる。
メリア人は貧しく生活もままならない人間が多いと聞く。移民として流れてくる者達は食うに困り犯罪に走る者も多いそうだが、彼にはそんな心の貧しさのようなモノは感じられない。
「ダニエルさんは、割と裕福な家庭の方だったんですか?」
「ん? そんな事はありませんぞ。私の幼い頃は国全体が貧しくて、我が家も食料の調達には四苦八苦していた程度に貧しい暮らしをしておりました。けれど、我が家にはまだ家があり、土地があったので、なんとかそんな貧しい暮らしも乗り越えられたのです。ランティスとの国境沿いに暮らす民は、争いが起こるたびに土地を追われるので、それを思えば私は生まれた場所が良かったという話なだけでしょうなぁ」
「土地を追われる……その土地は今どうなってるんです?」
「争いが減り、人はだんだんと戻っておりますぞ、このまま定住が進めば、国はより豊かになっていくことでしょう。喜ばしい事です」
「それもこれも全てレオン国王陛下のお陰です」とダニエルさんは笑みを零す。
「メリアは本当に変わっていっているんですね」
「さようでございますな、このまま無事民主化が成され、国民が自由に発言できる国が成立した暁には、王子も晴れてメリアに戻り、ご両親と共に暮らす事ができますぞ」
「はは、実感湧かないや」
「国王陛下夫妻はそれを何よりの励みに頑張っておられます、王子がそのように言われては……」
「うん、分かってる。俺も嬉しいよ」
メリアという国を知れば知るほど、何故メリア人がここまで差別されなければならなくなっているのか俺には分からない。確かに流入してきた移民が犯罪を犯す事は多いのだろう、それにしても、自分が知っているメリア出身者はそんな事を欠片も考えた事はなさそうな真っ直ぐな人間の方が多いのだ。貧しさは人を狂わせる……これはそういう話なのだろうか?
「王子、メリアのからくり人形が売っておりますぞ」
ダニエルさんが指差す先、小さな人形が箱の中でくるりくるりと回っている。そんな様子を子供達は無邪気な笑みで眺めていた。
「あぁ、小さい頃、母さんがよく作ってくれたな……」
「セカンド様がですか?」
「セカンド? 誰?」
そういえばノエルにその辺の話はしていない。その呼称の意味が分からなかったのだろうノエルが小首を傾げる。
それに対してダニエルさんは懇切丁寧に「王子の養母様のお名前ですよ」と教えているが、俺はそれに眉を顰める。
「母さんの名前はグノーだよ。その名前で呼ばれるの嫌いみたいだからやめてください」
「ですが国内で一般的に国民に周知されている名がそれですからな。正しくはセカンド・メリア。レオン国王陛下も国王に即位される前まではサード・メリアと呼ばれておりましたな。私はセカンド様の『グノー』? というその真名を今初めて知りましたぞ」
ダニエルさんは困ったように苦笑するし、ノエルも「名前が数字ってどういう事……」と困惑顔だ。
「これはメリア王家の古くからの慣習なのですが、真名は国民には伝えられない。王家の人間に名前はいらない、王の位から何番目か、それさえ分かればそれで良かった。王家の子供は王に即位するまで人ですらない、という事ですな」
俺は驚いて言葉も出ない。なんという悪しき慣習だ。
「ご存知ありませんでしたか?」
「じゃあ、俺の名前も世が世ならファースト・メリアだったのか?」
「対外的にはそうでございましょうな」
なんという事はないという顔で頷くダニエルさん、それを変だとも思っていなさそうなのが怖い。王家に生まれて名前すら与えられない、王にならなければ人にすらなれない、メリア王家は争いに塗れた血なまぐさい王家だ。それは王位を巡っての親族間の争い事が本当に多くて、それは資料を見ているだけでも分かる事だった。
確かに資料には何代目の王の何番目の子供が跡を継いで……という表記は多数見受けられたが、それは王の入れ変わりが激しすぎてそんな表記なのかと思っていたのに、根本的に子供には名前が与えられていなかったという事実に戦慄する。
自分がただの数字から人になる為に、彼等には王という位が必要だったのだ。
「俺、メリア王家に争いが絶えなかった理由が分かった気がする……」
そんな中で暮らしていたらきっと分からなかった事だ。王家から離されて初めて見えてくるものもある、という事だろう。王家を廃止する事でようやくメリア王家の人間は人に戻れるのだ。
からくり人形はメリアの産物、人に操られてくるくる回るそれは、まるでメリア人自身を現しているように思えて、俺は何とはなしにため息を零した。
※ ※ ※
行商人から購入したペンを俺はくるりと回して溜息を零す。気に入って購入した物だが、購入した際の出来事が頭を離れなくて、そのペンを見ているとどうにも気持ちが沈むのだ。
行商人に金を払ってくれたダニエルさんは値引きされたペンの分の金額しか俺から受け取ってはくれなかった。彼は俺に申し訳ないからだと言ったのだが、申し訳ないのはこちらの方だ、こんな風に人を差別するような風潮自体が間違っているのに、それを受け入れて笑ってみせたダニエルさんに、俺はなんだかもやっとした気持ちを抱えてしまう。
もっとメリア人は怒っていいのに彼等は諦めたように笑っている、それが俺にはどうしても解せないのだ。
「ノエル~あんたいつまで起きてるの、早く寝なさいよ」
店の仕事を終えて、住居に上がってきた母が部屋の明かりに気が付いたのだろう、部屋の扉を開けて俺に声をかけてきた。
「うん、もう寝る……」
「なに? 元気ないじゃないの、どうかしたの?」
母は小首を傾げて俺の部屋へと入ってくる。
「ねぇ、母さん、メリア人ってそんなに悪い人ばかりなのかな?」
俺は自身の髪をくしゃりと掴んで言葉をもらす。
「なに? またその髪で何か言われたの?」
「父さんも元々メリア人だよね、でも今はこの国の騎士団長だ。なのに、俺はこの赤髪だけでメリア人だって言われるし、悪者みたいに言われる……」
俺の言葉に母さんは「私もあの人が元メリア人だなんて知らなかったから、ごめんなさいね」と謝って、俺の髪を優しく撫でた。
「こんな赤髪の子供を産んだ事を母さんは後悔してる?」
「何言ってるの、する訳ないじゃない。あんたの父親が父親だっていう事にだって私は後悔していないわよ。あの人は元メリア人かもしれないけど、巷で言われるような犯罪者でも嘘吐きでもなかったもの。私の知り合いにメリア人は何人かいるけど、そんな巷で噂されるような悪人は一人もいなかったわ。赤毛の子供が産まれた時には確かに驚いたけど、後悔した事は一度もないわ」
「本当に?」
「本当よ」と母は俺の頭を抱き寄せる。俺は母にされるがまま、その胸に顔を埋めて泣いてしまいそうだった。
「今まで物珍しさでからかわれる事はいくらもあったけど、最近はいろんな人に敵意を向けられる。俺は俺で何もしてないし、メリア人でもないのに、皆して俺を悪者にしようとする……」
「私は貴方のこの赤毛が好きよ、だけど貴方が辛いのなら、この髪を染めてしまってもいいのよ?」
今日ダニエルさんが言っていた、そうやって隠すように髪を染めるメリア人は多いのだと。それは問題を先延ばしにするだけで、なんの解決にもならないと彼はそう言っていた。
俺は小さく首をふる。それはダニエルさんの言う通り、そんな事をしても意味がない、何の解決にもならない事は俺にも分かっている。
「俺、メリア人じゃないけど、このままじゃ駄目だと思う。声をあげなきゃ駄目なんだ、どうしてこんな事になっているのか根本的な問題を見つけ出さなきゃ、いつまでも解決できないんだ」
「ノエル、貴方がそこまで思い詰める必要はないのよ? 貴方は私の子供、貴方の事は私が守るもの」
「ふふ、一生母さんの背に隠れて生活なんてできやしない、俺は自分でこの問題を解決しなきゃ駄目なんだ」
「ノエル……」
「ごめん、母さん、ありがとう。ちょっと今日、色々あって落ち込んでただけだから、もう大丈夫」
「本当に? 何かあったらすぐに母さんに相談しなさいよ。間違ってももう家出なんてしないでちょうだい」
「あはは、それはごめんって、もうしないよ」
俺が笑うと母も安心したように笑みを零す。心配かけちゃったな、情けない。
もう夜も遅いし、いい加減寝なければ、と思った刹那、家の外で緊急を知らせる鐘の音が響いた。それは町に設置された鐘で主には火事などの緊急事態に鳴らされるものだ。
「え? 何? どこかで火事? 火の手なんか見えないけど……?」
俺の住まいは店舗の2階、田舎町のルーンではそんなに背の高い建物がたくさんある訳ではない、けれど窓から身を乗り出してみてもどこかで火の手が上がっている様子はない。近所の人間も不審に思ったのだろう、恐る恐る家の外を窺う様子が見て取れた。
「何かしら? 火事でないなら何かの事件……?」
鐘はまだ鳴り続けている、町に幾つか設置されたその鐘の鳴る方角は領主様の館の方角、それはツキノの暮らす屋敷だ。俺はどうにも胸騒ぎがして仕方がない。
「俺、様子見てきて……」
「何言ってるの! 駄目に決まってるでしょう!」
後ろを振り返り母に告げたら一刀両断で斬り捨てられた。
「でも、何か事件だったら人手がいるかもしれないし……」
「そこに子供のあんたが首を突っ込む事じゃないって言ってるの。火事だったらともかく、事件だったら何が起こっているのか分かるまで外に出るのは危険だわ。大人しく家の中に籠っている方が安全よ」
「でも……」
「あんたはまだ子供、うちの町の自警団は優秀よ、彼等に任せておきなさい」
母はそう言って俺の部屋を後にする、俺がもう一度窓の外を見やると、何人かの男達が領主の館へと駆けて行くのが見えた。やっぱり向こうで何かがあったんだ……
俺はもう居ても立ってもいられない、だって領主様の館には命を狙われているツキノが暮らしている、俺に何ができるのかと言われたら何もできないかもしれない、だけどそれでも俺はそれを見過ごす事はできなかったんだ。
「ごめん、母さん、やっぱり俺ちょっと行ってくる!」
「え?! こらっ! 待ちなさい、ノエル!!」
母の怒声を背中に聞きながら俺は駆け出していた。だって、俺はもう立ち止まれない、何かが起こっている時にただ見ているだけなんて、俺にはもうできないんだ。
俺は先程領主様の館へと走っていた男達のあとを追いかける。小さな町の自警団員は皆俺の顔見知りだ、何故ならその自警団の副参謀を務めているのがうちのじいちゃんコリー・カーティスだからだ。
「何があったんですか!」
「ん? こら! こんな時間に子供が出歩くんじゃない!」
声を掛けたら、振り向きざまに怒られた。
「でも、何かあったんですよね? どこですか?」
「それを確かめる為に行く所だろ、ったく、じいさんに怒られても知らないぞ」
「じいちゃん、そんな小さな事で怒らないですよ」
本当の所は分からないけど……と心の中で付け加えつつ俺は彼等と並走する。
「場所は?」
「間違いなく、領主様のお屋敷だな。火の手は見えないから、火事じゃない。不審者情報は入っていなかったんだが、こんな夜中に緊急の鐘を鳴らすのなら、何かよほどの事があったと推測される」
男は前を向いて淡々と説明をくれた。そうこうする内に俺達とは逆に領主様の屋敷の方から逃げてくる何人かの者が見えた。こちらも全員顔見知りだ。彼等は皆領主様の屋敷で仕えている使用人たち。
「おい、何があった!」
「助かった! 突然覆面の男達が数人で屋敷に押し入って、今領主様達が応戦している所なんだが、助けを呼びに行く所だった」
「押し入った奴等の人数は!」
「はっきりとは分からんが、たぶん10人くらいは……」
「ちっ」とひとつ舌打ちを打って、俺に受け答えしてくれていた男は再び駆け出す。その傍らに居た男も無言だったのだが、険しい顔で同じように駆け出したので、俺もそれに続こうとしたのだが、使用人の一人に腕を捕まれ止められた。
「行くのは危険だ、止めておけ!」
「でも、ツキノもロディ様もまだ残ってるんだろ! 助けなきゃ!」
「それは俺達大人の仕事で、子供の出る幕じゃない。それより、助っ人になりそうな大人を集めてくれ、大至急だ!」
「でも!」
「ノエル、こんな所で何をしている! それに、領主様の屋敷で何があった!?」
「じいちゃん……」
振り返れば祖父コリー・カーティスが険しい顔でこちらを見ていた。じいちゃんもあの鐘の音を聞いて駆けつけてきたのだろ。
「カーティスさん、領主様の屋敷に押し込み強盗です。数は10人程で、今、何人か自警団も屋敷に向かっています」
「押し込み強盗? そんな不審人物が町に侵入したというような話しは聞いていないのですが、おかしいですね……分かりました、私もすぐに向かいます」
「じいちゃん、俺も行く!」
「だから子供の出る幕ではないと、言っているだろう」
使用人は尚も俺を止めようとするのだが、俺が真っ直ぐに祖父を見やると、祖父は「いいでしょう」とひとつ頷いた。
「この子にはこういった場合の対処法を一通り叩き込んであります、何かがあった場合の責任は私が負います。その手を放してもらえますか?」
「カーティスさん、本気ですか?! 危険ですよ!」
「大丈夫です、私はこの子をそんな柔には育てていない。行きますよ、ノエル、急ぎなさい」
「ありがとう、じいちゃん!」
俺は使用人の手を振り払い、祖父の後を追う。心配してくれるのは本当に有難いけど、こんな時に役に立てるように俺はこの一年ずっと頑張ってきたんだ、父さんみたいな立派な騎士団員になる為には、このくらいの事で逃げ隠れなんてしていられない。
「助っ人集めて俺達も後から行きますんで、くれぐれも無理せんでくださいよっ!」
背中にかかるその言葉に「分かった!」と返事を返して俺は駆ける。領主様の屋敷はもう目の前、こんな夜中にも関わらず屋敷からは様々な音が響き渡っている。あちらこちらで既に戦闘は始まっているのだろう。
怒号と叫び、逃げ遅れている人もいるのだろうか? 門扉を潜り、屋敷の前庭には幾人かの男達が転がっていた。けれどその男達は皆覆面姿で、傷を負っているのか皆苦しそうに呻いていた。
「ノエル、そいつ等が押し込み強盗です、逃げないように縛っておきなさい」
「え……うん、分かった!」
俺は馬小屋に飛び込んで、綱を片手に持ち出すと呻く男達を縛り上げた。そしてその男の顔をよくよく見やれば、何だかどうにも見覚えがある。
「あんた……」
「お前、昼間の……」
そいつは、俺が昼に広場でペンを購入した時のあの失礼な店主だった。
「なんで……」
更に周りを見渡せば、他にも見たような顔が見える。
「お前等、行商人じゃなかったのか!」
傷が深いのだろう男は眉間に皺を刻んで、苦しそうに呻き声を上げる。屋敷の中からは、まだ怒声と剣が交わされているのだろ金属を打ち鳴らす甲高い音が響いてきた。
祖父はそっと屋敷の中を覗き込む。
今、ここに転がっている男は3人、先程使用人の男は、強盗は10人程度いると言っていたのだ、まだ屋敷の中には何人もこいつ等の仲間がいるはずだ。
先程俺達より先に駆けて行った自警団の人達はもう中に入っているのか姿が見えない。
祖父が手の動きで中に入るタイミングを計っている、俺はその指示に従って祖父の背後に寄り添った。
押し込み強盗の犯人はもう間違いなく昼間広場で店を開いていた行商人の連中で間違いないと思う。彼等が何故こんな犯罪を犯そうとしているの分からない、けれど今はそんな事を考えている場合ではない。
祖父のジェスチャー、飛び込むタイミングは間違ったらいけない。3・2・1……
合図と共に屋敷の中へと飛び込む、そこには惨劇が広がっていた。
血の匂いがする。ここにも倒れ込んでいる人が何人もいて、俺は目を逸らしたかったのだが敵は目前にいて、俺はそいつの背中を蹴りつけた。
目の前にいた男はまさか背後から敵が現れると思っていなかったのか、あっけなく前につんのめった。
そんな男の手を踏みつけ、その拍子に手から離れた男の武器を俺は遠くに蹴り飛ばし上から伸し掛かるようにして全体重をかけて抑えつけた。
「領主様はどこですか!」
「まだ、奥です。カーティスさん、ここは俺らで何とかしますので領主様をお願いします!」
自警団の2人はそう言って、俺達に……いや、正しくはじいちゃんに道を開けてくれた。強盗はぱっと見て4人くらいいたのだが、そのうち2人は既に彼等が撃退済みだったのだろう、傷を抑えて蹲っているので、じいちゃんは一言「任せました!」と屋敷の奥へと踏み込んで行く。
俺は抑えつけた男を力技で気絶させ、じいちゃんのあとを追う。屋敷の奥からはまだ人の争うような声と物音が聞こえてくる。
「領主様!」
「おぉ、じいさん、早かったな」
領主様の口調は呑気だったが、その場は騒然としている。複数の覆面の男に囲まれるようにして領主様はそこに立っていた。いつも威風堂々としている領主様の髪が乱れている。
深夜の急な襲撃だったのを物語るようにラフな格好の領主様は「助かったわ」と笑みを見せた。
「老いぼれ一人増えた所で、何が変わる事もない」
覆面の男の一人が自分達を鼓舞するかのようにそんな事を言うのだが、じいちゃんをただの老いぼれ呼ばわりした人間で、後で後悔しない奴なんていないんだからな!
「坊ちゃん達は?」
「アジェと奥に避難させた」
「さようですか、暴漢はこいつ等で全部ですか?」
「恐らくな」
淡々とした状況確認、こんな時でもじいちゃんは冷静だ。領主様も動揺を見せる事なく受け答えしているの見ると、領主様もこういった戦闘の場数を踏んでいるのだろうなと推測される。あまり歓迎した事ではないけれど。
「でしたら、こいつ等を成敗すれば問題ないですね」
「あぁ、思う存分やって構わん」
じいちゃんは「さようですか」と、踏み込むが早いか剣で目の前の男2人を薙ぎ倒した。
「こいつ等たぶん素人だ、加減しないとすぐに死ぬぞ」
「領主様はお優しい事ですな。けれど私、悪人には手加減という言葉、持ち合わせておりませんので……」
その言葉通り、その後の戦闘はもう完全にじいちゃんの独壇場だった。じいちゃん、年寄りの冷や水って言葉知ってる? あんまり無茶すると、また腰にくるんだからな。
しばらくすると、その場には屍のようになった男達が累々と呻き声をあげて転がっていた。俺、出番なかったな……
「ノエル、奥の様子を見て来てください」
じいちゃんと領主様はそんな男達を嬲るようにして、一纏めに端へと追い込んで行く、ホント容赦ないよね。
俺はじいちゃんの言葉に頷いて、領主様が守っていた奥の部屋へと続く扉を開けた。
奥からは物音ひとつしない。しんと静けさが広がっているのは奥方様達が息を潜めているからだろうか?
「奥方様~? ツキノ~?」
俺が声をかけながら奥へと進んでいくと、ある部屋の扉が微かに開いた。
「ツキノ~? そこにいるの?」
「ノエル、来るなっ!」
扉の向こう側からツキノの声が聞こえたのだが、今、来るなって言った?
一体それはどういう意味だ?
もう危険は去ったはずなのに……と首を傾げつつ俺はツキノのいるであろう部屋へと声をかける。
「ツキノ~、もう大丈夫だよ、出ておいで」
俺は安心させるようにそう言って歩いて行くのだが、部屋の扉は細く開いたままそれ以上に開きはしなくて、更に首を傾げる。
「ツキノ~?」
扉に手をかけ、その取っ手に触れると目の前を鋭利な刃物がひゅんと横切った。
「つっっ……」
条件反射で避けたけど、あっぶねぇ……俺は扉から距離を計るように飛び退いた。でも、これあれだ、あんまりよくないやつだ。
「そこに誰かいるんだなっ!」
「お前は逃げろ! ノエルっ、っく……」
またしてもツキノの声が聞こえるのだが、その声は誰かに抑え込まれてでもいるかのようにくぐもっている。これ、絶対誰かいる、しかもツキノ捕まってる。そこにいるのはツキノだけなのか、それとも他にも人がいるのか、助けを呼んだ方がいいのか、俺の頭の中はフル回転だ。だけど……
「そういう訳にはいかない事くらい、分かってるよね!」
絶対そこに誰か、しかもツキノが逃げろと言う程度には悪い奴がいるのを分かっていて逃げるなんて選択肢、俺には無い!
その部屋は屋敷の奥、俺は入った事がない部屋だ。中がどうなっているのか分からないので、中の様子は想像もできない。
「中の人、もうあんた達の仲間は捕まったよ、観念したら?」
部屋の中から返事はない。中にツキノがいるのは確実だろう、あとは誰だ? 奥方様? ロディ様? 先代の領主様達の姿も見ていないけど、そこにいるの?
続く沈黙、俺はじりじりと扉の死角へと移動する。細く開いたその隙間からでは、外の様子などほとんど分かりはしないだろう。けれどこんな人質を取られた状態では、どうにも対応のしようがない。
月明かりの下、そばだてた俺の耳に、その時何かが壊れる派手な音が聞こえた。
呑気な呼び声が俺の集中を妨げる。あぁ、またうるさい奴が来た……と俺は眉間に皺を刻んで顔を上げた。
「あぁ! もう、うるさいっ、ロディ! 邪魔するならここ来んなって何度も言ってんだろ! そもそもここは俺にって提供された部屋で、俺はお前にこの部屋の出入り許可を出した覚えねぇから!」
「えぇ、そんな事言っていいのかな? 一応この家自体の所有権はうちの親父にあって、ひいてはこの家の持ち主は俺になる予定なんだけど?」
「今は違うんだろ、お前に家の所有権が移ったら速攻でここの資料全部纏めて持って出てってやるよ」
「うわ、酷い言い草だな」とロディは悪びれた様子もなく苦笑する。俺達が今いるのは黒の騎士団員達の隠れ家、そしてその屋根裏部屋、俺のじいさまで、現ファルス国王が若い頃に使っていたと教えられた書斎である。
「はいはい、君達仲良いねぇ、お茶が入ったから下りといで」
階下からかかる声に「仕方がねぇな」と、俺は立ち上がり、俺より更に奥の方で資料を漁っていたノエルに「休憩しろってさ」と声をかけたのだが、ノエルからの返事がない。
「お~い、ノエル~生きてるか?」
俺はまたしても溜息を吐きながら奥へと向かう。そこにはノエルが胡坐をかいてその膝の上に広げた資料を一心不乱に読み耽っている、その集中力はちょっとしたものだ。
「ノエル、ノエルってば!」
肩を軽く揺さぶると、ようやく俺の存在に気が付いたのだろうノエルは驚いたように顔を上げた。
「え……? あれ? 何……?」
「休憩しろって、お茶が入ったから下に来いっておじさん達が呼んでる」
「あれ? そんなに時間経ってる……?」
ノエルは慌てたように周りを見回し、時計を見やってまた驚いたような表情を見せた。
「え? 嘘だろ? ツキノ、時計進めた?」
「俺がそんな事して何の得があるんだよ、ほら、休憩休憩」
びっくり眼のノエルを置き去りにして、先に階下へ下りていたロディの後を追うように俺も屋根裏部屋から綱梯子を降りていく。この部屋をルークと名乗る黒の騎士団のおじさんに提供されてからこっち、俺とノエルはこの部屋に籠りきりだ。なにせ、この部屋には興味深い物が多すぎる。ファルス王国のみならず、メリア・ランティスにまで及ぶ膨大な資料は一朝一夕には把握はできず、俺とノエルで分担して資料を整理しているのだが、まだまだ屋根裏部屋は片付けにはほど遠い状態だ。
「王子、精が出ますな」
「なんだ、来てたのか、王子は止めてくれ。俺はそんな風に呼ばれる身じゃない」
階下に下りるとそこには幾人かの人物が机を囲み、既にお茶会の様相だ。先程から俺の周りをうろついていた領主の息子ロディ、ここに住んでいる黒の騎士団員ルークとその妻サクヤ。
この人は男性だけどオメガ。ルークおじさんが嫁と暮らしていると言っていたのに現れたのがこの人だった時には驚いた。男性オメガって数が少ないはずなんだけど、意外といる所にはいるもんなんだな
そして、今俺に声を掛けてきたのは、初めてここに来た日に町の広場に現れた鎧の男のうちの一人、ダニエルさん。彼等はメリアからやって来た俺の護衛だった。
メリアの民主化まではもう秒読み段階に入っている、それを阻止しようとする人間の悪あがきも佳境に入って、一応念の為とメリアから派遣されてきたのが彼等だった。送って寄越したのは俺の本当の両親。
そして『そんなの必要なくない?』と首を傾げる俺に『護衛は多いに越した事はない』と伯父は彼等を受け入れたのだ。
俺の後ろからやって来たノエルは首をふりふり「時間の経つのが早すぎる」と困惑顔だ。ノエルはここにきて初めて分かった事だが、集中力が有り過ぎる。一度没頭してしまうといつまででも固まったように資料を読み耽っていて、飽きるという事がない。
彼自身は「そんな事はない」と謙遜するが、その没入具合は完全に周りをシャットアウトしてしまっていて、時間も俺達の存在すらも忘れて知識を取り込んでいくので、なんだかある意味少し怖いくらいだ。
「そういえばツキノ、広場に来てた行商人、明日には帰るって言うんだけど欲しい物があるなら今日までだよ。毎日毎日こんな黴臭い家に籠ってないで、ちょっと一緒に買い物に出掛けない? お金がないなら俺、買ってあげるよ」
ノエルとは逆にまったく集中力のないのがこの男、領主の息子ロディだ。呼んでもいないのに、毎日毎日俺の後を付いて来ては、俺の邪魔ばかりする。正直鬱陶しくて仕方がない。
「確かに、いい若者が家に籠りきりと言うのも、如何なモノかと思いますな。少しは外の新鮮な空気も吸わないと健康な大人になれませんぞ」
ダニエルさんはそこまで年寄りではないはずなのに、なんだか少し年寄り臭い。年齢はルークさん達と変わらないくらいだと思うのだが、どうにも俺の周りのおじさん連中は年齢に反して若々しい人達が多いので、そのいかにもおじさんくさい言動がとても違和感を覚えさせる。いや、これがむしろ普通なのかもしれないけれど。
「あ、そう言えば俺、新しい紙とペン買おうと思ってたんだった。今日までなんだ?」
ノエルの言葉にロディが頷き、ノエルは慌てたように「じゃあ行ってこなきゃ……」と腰を浮かせた。
「行くのか?」
「うん、だってここで勉強するにはノートもペンも必要だよ。手持ちじゃ足りない」
ペンはいい物を使うと手にかかる負担が全然違う、とノエルは言う。ペンひとつでそんなに変わるモノか? と首を傾げつつも、俺も「それなら」と腰を上げた。
「ツキノは俺の言葉は聞いてくれないのに、ノエルの言う事なら聞くんだな」
拗ねたように言うロディの声は軽く無視して、俺とノエルが立ち上がると、何故か全員が付いて来ようとするので、俺は「護衛なら誰か一人にしてくれ」と呆れたように言葉を吐いた。
何かがあったら困るという彼等の言い分は分かるのだが、大の大人をぞろぞろ引き連れて歩くのはどうにも不自由で仕方がない。
「それじゃ、今日は俺達ダニエルさんに譲るかな」
「ふむ、その任務、しかと承った」
黒の騎士団の2人とダニエルさんはいつの間にか仲良くなっていて、これもこれで変な感じだ。黒の騎士団の2人とメリアから来た俺の護衛達、この町で浮いているのはお互いさまで妙な連帯感もあるらしい。
俺とノエルとロディの若者3人にダニエルさんを加えて、一体俺達どういう関係に思われているんだろうな?
「お、坊ちゃん、また来てくれなすったか、今日は最終日、安くしとくよ」
商人に声をかけられるのは圧倒的な確立でロディだ。ロディの金髪もこの町では珍しくてよく目立つ、それが領主の息子とあれば商人達が媚を売るのも仕方がないのだけれど、俺達は完全にロディの付き人のような扱いをされる事もままあって、少し腹立たしい。
そんな事は我関せずノエルは「どっちにしようかな……」とペンを睨んで思案顔だ。
「ツキノはどうするの?」
「俺はそんなペンの良し悪しなんてよく分からないからな……」
ペンを一本持って指に挟んでくるりと回すと、店の店主に睨まれた。慌てて俺はペンを元の場所に戻すと、ノエルはようやく決めた一本を店主に差し出した。
「お前達、メリア人か?」
店主はペンを受け取り、値札を確認しながら片眉を上げるようにしてノエルとダニエルさんを見やる。
「この町はメリアからずいぶん離れているというのに、もうこんな所にまで入り込んで来ているんだな」
店主はそんな事をぶつぶつ呟いて、ノエルに値段を告げる。その商品は最終日の値引きセールの値段が付いていたにも関わらず正規の値段を告げられてノエルは戸惑い「値段違いますよね……?」とおずおずと店主に告げるのだが「いらないなら、帰ればいい」とすげなく返され絶句する。
「そもそもメリア人の子供に上物のペンなんか必要ないだろう? 書ければなんでもいいんだから、その辺の安いので充分だ」
店主のあまりの態度に俺は怒りで腹が煮える。
「店主、彼は私の友人だ。失礼な態度は止めてもらえるかな?」
傍らのロディも静かに怒っているのが伝わってくる。ロディは怒ると口調が丁寧になるんだな、変な奴。
「坊ちゃんも友人は選んだ方がいい、メリア人は恩を仇で返すような人間ばかり、甘やかしているとこの町ごと乗っ取られますよ」
「彼等はそんな事はしない」
「私ら行商人は各地を回る、この目でそんな町を見てきたから言っているのですよ?」
「まぁまぁ、坊ちゃん方、その辺にしておきましょう。店主、これでいいかい?」
間に入って来たのはダニエルさんで、店主の言い値をぽんと支払い、買ったペンを受け取って俺達3人を「さぁ、行きましょう」と促す。
「これ、値引き品なのに!」
「下手にごねれば、またメリア人は……と言われます。一度付いた悪印象はそう簡単には払拭できないものなのですよ。そういう印象操作をされているのですから、乗らない方が吉ですぞ」
「印象操作……?」
「さようです、メリア人は金に汚く嘘吐きだという印象操作。故意にやっているのかどうかは分かりませんが、そう仕向ける輩は多いのです。私も最初は驚きましたが、ここに来るまでにすっかり慣れてしまいましたな」
そう言ってダニエルさんは苦笑した。
「俺、メリア人じゃないのに、最近こんな事ばっかりだ……」
「ノエル坊ちゃんは綺麗な赤髪ですからなぁ。他国に出たメリア人はそう言った事から最近では髪を染めている者も多いようですぞ。ですが私はそれも間違っている気がするのです。それは問題を先延ばしにする解決方法で根本的な解決にはならない、本来の自分を誇れないというのは何とも嘆かわしい事ですな」
「メリアが民主化されたら、そういったメリア人もメリアに戻る事ができるのかな……?」
「治安が良くなって、争い事がなくなれば、民は土地を追われる事もなくなります、きっと近いうちに平和な世はやってくる事でしょう。そうなればメリア人も飢えや貧しさに苦しむ事がなくなるはずです。貧しさは人を犯罪に走らせる、そういった事もいずれは無くなるはずですぞ」
ダニエルさんはにこやかに言うのだが、そんなに簡単に行くものなのかと、俺は少し考えてしまう。
俺達は広場をぐるりと見て回る、行商人の商売も今日までとなると店は値引きを始めるし、ここで買い逃せば次はいつになるか分からないという物に人は殺到して意外と賑わっている。
「そういえば、ツキノ結局剣は買ってないけど、いいのか?」
「現状必要ないからな、今あるので充分だ。ここの行商人失礼な奴多いし」
先程の件もそうだが、武具屋で小馬鹿にされた件も俺は忘れていない。何も客を馬鹿にするような奴等から買ってやるいわれもない。
そういえば、この行商人達は一体どこから来た行商人なのだろうか? ファルスの人間なのだったら、養父母の暮らすメリアとの国境の町ザガの様子も聞いてみたいところだが、それを聞くのも腹立たしい。
「ねぇ、ダニエルさん。ダニエルさんはどういう道程でここまで来たんだ?」
「ん? 私共ですか? メリアの首都サッカスから旅立ち、港町から船に乗って大陸をぐるりと回って来ましたぞ」
メリアの首都サッカスとここルーンの町は大陸の中では一番端と端と言っていい程離れている、それはずいぶん時間もかかった事だろう。
「船旅は船酔いとの戦いでずいぶん消耗致し申した、帰りはゆっくり陸路を戻りたいものですな」
「陸路だとどのくらいかかるんだ?」
「まぁ、ひと月、といった所ですかなぁ」
「大変ですね」
「レオン王のされている事を思えば、このくらいたいした事ではありませんな」
ダニエルさんはにこにこと笑みを見せる。本当に人当たりが良くて、彼は育ちの良さが窺われる。
メリア人は貧しく生活もままならない人間が多いと聞く。移民として流れてくる者達は食うに困り犯罪に走る者も多いそうだが、彼にはそんな心の貧しさのようなモノは感じられない。
「ダニエルさんは、割と裕福な家庭の方だったんですか?」
「ん? そんな事はありませんぞ。私の幼い頃は国全体が貧しくて、我が家も食料の調達には四苦八苦していた程度に貧しい暮らしをしておりました。けれど、我が家にはまだ家があり、土地があったので、なんとかそんな貧しい暮らしも乗り越えられたのです。ランティスとの国境沿いに暮らす民は、争いが起こるたびに土地を追われるので、それを思えば私は生まれた場所が良かったという話なだけでしょうなぁ」
「土地を追われる……その土地は今どうなってるんです?」
「争いが減り、人はだんだんと戻っておりますぞ、このまま定住が進めば、国はより豊かになっていくことでしょう。喜ばしい事です」
「それもこれも全てレオン国王陛下のお陰です」とダニエルさんは笑みを零す。
「メリアは本当に変わっていっているんですね」
「さようでございますな、このまま無事民主化が成され、国民が自由に発言できる国が成立した暁には、王子も晴れてメリアに戻り、ご両親と共に暮らす事ができますぞ」
「はは、実感湧かないや」
「国王陛下夫妻はそれを何よりの励みに頑張っておられます、王子がそのように言われては……」
「うん、分かってる。俺も嬉しいよ」
メリアという国を知れば知るほど、何故メリア人がここまで差別されなければならなくなっているのか俺には分からない。確かに流入してきた移民が犯罪を犯す事は多いのだろう、それにしても、自分が知っているメリア出身者はそんな事を欠片も考えた事はなさそうな真っ直ぐな人間の方が多いのだ。貧しさは人を狂わせる……これはそういう話なのだろうか?
「王子、メリアのからくり人形が売っておりますぞ」
ダニエルさんが指差す先、小さな人形が箱の中でくるりくるりと回っている。そんな様子を子供達は無邪気な笑みで眺めていた。
「あぁ、小さい頃、母さんがよく作ってくれたな……」
「セカンド様がですか?」
「セカンド? 誰?」
そういえばノエルにその辺の話はしていない。その呼称の意味が分からなかったのだろうノエルが小首を傾げる。
それに対してダニエルさんは懇切丁寧に「王子の養母様のお名前ですよ」と教えているが、俺はそれに眉を顰める。
「母さんの名前はグノーだよ。その名前で呼ばれるの嫌いみたいだからやめてください」
「ですが国内で一般的に国民に周知されている名がそれですからな。正しくはセカンド・メリア。レオン国王陛下も国王に即位される前まではサード・メリアと呼ばれておりましたな。私はセカンド様の『グノー』? というその真名を今初めて知りましたぞ」
ダニエルさんは困ったように苦笑するし、ノエルも「名前が数字ってどういう事……」と困惑顔だ。
「これはメリア王家の古くからの慣習なのですが、真名は国民には伝えられない。王家の人間に名前はいらない、王の位から何番目か、それさえ分かればそれで良かった。王家の子供は王に即位するまで人ですらない、という事ですな」
俺は驚いて言葉も出ない。なんという悪しき慣習だ。
「ご存知ありませんでしたか?」
「じゃあ、俺の名前も世が世ならファースト・メリアだったのか?」
「対外的にはそうでございましょうな」
なんという事はないという顔で頷くダニエルさん、それを変だとも思っていなさそうなのが怖い。王家に生まれて名前すら与えられない、王にならなければ人にすらなれない、メリア王家は争いに塗れた血なまぐさい王家だ。それは王位を巡っての親族間の争い事が本当に多くて、それは資料を見ているだけでも分かる事だった。
確かに資料には何代目の王の何番目の子供が跡を継いで……という表記は多数見受けられたが、それは王の入れ変わりが激しすぎてそんな表記なのかと思っていたのに、根本的に子供には名前が与えられていなかったという事実に戦慄する。
自分がただの数字から人になる為に、彼等には王という位が必要だったのだ。
「俺、メリア王家に争いが絶えなかった理由が分かった気がする……」
そんな中で暮らしていたらきっと分からなかった事だ。王家から離されて初めて見えてくるものもある、という事だろう。王家を廃止する事でようやくメリア王家の人間は人に戻れるのだ。
からくり人形はメリアの産物、人に操られてくるくる回るそれは、まるでメリア人自身を現しているように思えて、俺は何とはなしにため息を零した。
※ ※ ※
行商人から購入したペンを俺はくるりと回して溜息を零す。気に入って購入した物だが、購入した際の出来事が頭を離れなくて、そのペンを見ているとどうにも気持ちが沈むのだ。
行商人に金を払ってくれたダニエルさんは値引きされたペンの分の金額しか俺から受け取ってはくれなかった。彼は俺に申し訳ないからだと言ったのだが、申し訳ないのはこちらの方だ、こんな風に人を差別するような風潮自体が間違っているのに、それを受け入れて笑ってみせたダニエルさんに、俺はなんだかもやっとした気持ちを抱えてしまう。
もっとメリア人は怒っていいのに彼等は諦めたように笑っている、それが俺にはどうしても解せないのだ。
「ノエル~あんたいつまで起きてるの、早く寝なさいよ」
店の仕事を終えて、住居に上がってきた母が部屋の明かりに気が付いたのだろう、部屋の扉を開けて俺に声をかけてきた。
「うん、もう寝る……」
「なに? 元気ないじゃないの、どうかしたの?」
母は小首を傾げて俺の部屋へと入ってくる。
「ねぇ、母さん、メリア人ってそんなに悪い人ばかりなのかな?」
俺は自身の髪をくしゃりと掴んで言葉をもらす。
「なに? またその髪で何か言われたの?」
「父さんも元々メリア人だよね、でも今はこの国の騎士団長だ。なのに、俺はこの赤髪だけでメリア人だって言われるし、悪者みたいに言われる……」
俺の言葉に母さんは「私もあの人が元メリア人だなんて知らなかったから、ごめんなさいね」と謝って、俺の髪を優しく撫でた。
「こんな赤髪の子供を産んだ事を母さんは後悔してる?」
「何言ってるの、する訳ないじゃない。あんたの父親が父親だっていう事にだって私は後悔していないわよ。あの人は元メリア人かもしれないけど、巷で言われるような犯罪者でも嘘吐きでもなかったもの。私の知り合いにメリア人は何人かいるけど、そんな巷で噂されるような悪人は一人もいなかったわ。赤毛の子供が産まれた時には確かに驚いたけど、後悔した事は一度もないわ」
「本当に?」
「本当よ」と母は俺の頭を抱き寄せる。俺は母にされるがまま、その胸に顔を埋めて泣いてしまいそうだった。
「今まで物珍しさでからかわれる事はいくらもあったけど、最近はいろんな人に敵意を向けられる。俺は俺で何もしてないし、メリア人でもないのに、皆して俺を悪者にしようとする……」
「私は貴方のこの赤毛が好きよ、だけど貴方が辛いのなら、この髪を染めてしまってもいいのよ?」
今日ダニエルさんが言っていた、そうやって隠すように髪を染めるメリア人は多いのだと。それは問題を先延ばしにするだけで、なんの解決にもならないと彼はそう言っていた。
俺は小さく首をふる。それはダニエルさんの言う通り、そんな事をしても意味がない、何の解決にもならない事は俺にも分かっている。
「俺、メリア人じゃないけど、このままじゃ駄目だと思う。声をあげなきゃ駄目なんだ、どうしてこんな事になっているのか根本的な問題を見つけ出さなきゃ、いつまでも解決できないんだ」
「ノエル、貴方がそこまで思い詰める必要はないのよ? 貴方は私の子供、貴方の事は私が守るもの」
「ふふ、一生母さんの背に隠れて生活なんてできやしない、俺は自分でこの問題を解決しなきゃ駄目なんだ」
「ノエル……」
「ごめん、母さん、ありがとう。ちょっと今日、色々あって落ち込んでただけだから、もう大丈夫」
「本当に? 何かあったらすぐに母さんに相談しなさいよ。間違ってももう家出なんてしないでちょうだい」
「あはは、それはごめんって、もうしないよ」
俺が笑うと母も安心したように笑みを零す。心配かけちゃったな、情けない。
もう夜も遅いし、いい加減寝なければ、と思った刹那、家の外で緊急を知らせる鐘の音が響いた。それは町に設置された鐘で主には火事などの緊急事態に鳴らされるものだ。
「え? 何? どこかで火事? 火の手なんか見えないけど……?」
俺の住まいは店舗の2階、田舎町のルーンではそんなに背の高い建物がたくさんある訳ではない、けれど窓から身を乗り出してみてもどこかで火の手が上がっている様子はない。近所の人間も不審に思ったのだろう、恐る恐る家の外を窺う様子が見て取れた。
「何かしら? 火事でないなら何かの事件……?」
鐘はまだ鳴り続けている、町に幾つか設置されたその鐘の鳴る方角は領主様の館の方角、それはツキノの暮らす屋敷だ。俺はどうにも胸騒ぎがして仕方がない。
「俺、様子見てきて……」
「何言ってるの! 駄目に決まってるでしょう!」
後ろを振り返り母に告げたら一刀両断で斬り捨てられた。
「でも、何か事件だったら人手がいるかもしれないし……」
「そこに子供のあんたが首を突っ込む事じゃないって言ってるの。火事だったらともかく、事件だったら何が起こっているのか分かるまで外に出るのは危険だわ。大人しく家の中に籠っている方が安全よ」
「でも……」
「あんたはまだ子供、うちの町の自警団は優秀よ、彼等に任せておきなさい」
母はそう言って俺の部屋を後にする、俺がもう一度窓の外を見やると、何人かの男達が領主の館へと駆けて行くのが見えた。やっぱり向こうで何かがあったんだ……
俺はもう居ても立ってもいられない、だって領主様の館には命を狙われているツキノが暮らしている、俺に何ができるのかと言われたら何もできないかもしれない、だけどそれでも俺はそれを見過ごす事はできなかったんだ。
「ごめん、母さん、やっぱり俺ちょっと行ってくる!」
「え?! こらっ! 待ちなさい、ノエル!!」
母の怒声を背中に聞きながら俺は駆け出していた。だって、俺はもう立ち止まれない、何かが起こっている時にただ見ているだけなんて、俺にはもうできないんだ。
俺は先程領主様の館へと走っていた男達のあとを追いかける。小さな町の自警団員は皆俺の顔見知りだ、何故ならその自警団の副参謀を務めているのがうちのじいちゃんコリー・カーティスだからだ。
「何があったんですか!」
「ん? こら! こんな時間に子供が出歩くんじゃない!」
声を掛けたら、振り向きざまに怒られた。
「でも、何かあったんですよね? どこですか?」
「それを確かめる為に行く所だろ、ったく、じいさんに怒られても知らないぞ」
「じいちゃん、そんな小さな事で怒らないですよ」
本当の所は分からないけど……と心の中で付け加えつつ俺は彼等と並走する。
「場所は?」
「間違いなく、領主様のお屋敷だな。火の手は見えないから、火事じゃない。不審者情報は入っていなかったんだが、こんな夜中に緊急の鐘を鳴らすのなら、何かよほどの事があったと推測される」
男は前を向いて淡々と説明をくれた。そうこうする内に俺達とは逆に領主様の屋敷の方から逃げてくる何人かの者が見えた。こちらも全員顔見知りだ。彼等は皆領主様の屋敷で仕えている使用人たち。
「おい、何があった!」
「助かった! 突然覆面の男達が数人で屋敷に押し入って、今領主様達が応戦している所なんだが、助けを呼びに行く所だった」
「押し入った奴等の人数は!」
「はっきりとは分からんが、たぶん10人くらいは……」
「ちっ」とひとつ舌打ちを打って、俺に受け答えしてくれていた男は再び駆け出す。その傍らに居た男も無言だったのだが、険しい顔で同じように駆け出したので、俺もそれに続こうとしたのだが、使用人の一人に腕を捕まれ止められた。
「行くのは危険だ、止めておけ!」
「でも、ツキノもロディ様もまだ残ってるんだろ! 助けなきゃ!」
「それは俺達大人の仕事で、子供の出る幕じゃない。それより、助っ人になりそうな大人を集めてくれ、大至急だ!」
「でも!」
「ノエル、こんな所で何をしている! それに、領主様の屋敷で何があった!?」
「じいちゃん……」
振り返れば祖父コリー・カーティスが険しい顔でこちらを見ていた。じいちゃんもあの鐘の音を聞いて駆けつけてきたのだろ。
「カーティスさん、領主様の屋敷に押し込み強盗です。数は10人程で、今、何人か自警団も屋敷に向かっています」
「押し込み強盗? そんな不審人物が町に侵入したというような話しは聞いていないのですが、おかしいですね……分かりました、私もすぐに向かいます」
「じいちゃん、俺も行く!」
「だから子供の出る幕ではないと、言っているだろう」
使用人は尚も俺を止めようとするのだが、俺が真っ直ぐに祖父を見やると、祖父は「いいでしょう」とひとつ頷いた。
「この子にはこういった場合の対処法を一通り叩き込んであります、何かがあった場合の責任は私が負います。その手を放してもらえますか?」
「カーティスさん、本気ですか?! 危険ですよ!」
「大丈夫です、私はこの子をそんな柔には育てていない。行きますよ、ノエル、急ぎなさい」
「ありがとう、じいちゃん!」
俺は使用人の手を振り払い、祖父の後を追う。心配してくれるのは本当に有難いけど、こんな時に役に立てるように俺はこの一年ずっと頑張ってきたんだ、父さんみたいな立派な騎士団員になる為には、このくらいの事で逃げ隠れなんてしていられない。
「助っ人集めて俺達も後から行きますんで、くれぐれも無理せんでくださいよっ!」
背中にかかるその言葉に「分かった!」と返事を返して俺は駆ける。領主様の屋敷はもう目の前、こんな夜中にも関わらず屋敷からは様々な音が響き渡っている。あちらこちらで既に戦闘は始まっているのだろう。
怒号と叫び、逃げ遅れている人もいるのだろうか? 門扉を潜り、屋敷の前庭には幾人かの男達が転がっていた。けれどその男達は皆覆面姿で、傷を負っているのか皆苦しそうに呻いていた。
「ノエル、そいつ等が押し込み強盗です、逃げないように縛っておきなさい」
「え……うん、分かった!」
俺は馬小屋に飛び込んで、綱を片手に持ち出すと呻く男達を縛り上げた。そしてその男の顔をよくよく見やれば、何だかどうにも見覚えがある。
「あんた……」
「お前、昼間の……」
そいつは、俺が昼に広場でペンを購入した時のあの失礼な店主だった。
「なんで……」
更に周りを見渡せば、他にも見たような顔が見える。
「お前等、行商人じゃなかったのか!」
傷が深いのだろう男は眉間に皺を刻んで、苦しそうに呻き声を上げる。屋敷の中からは、まだ怒声と剣が交わされているのだろ金属を打ち鳴らす甲高い音が響いてきた。
祖父はそっと屋敷の中を覗き込む。
今、ここに転がっている男は3人、先程使用人の男は、強盗は10人程度いると言っていたのだ、まだ屋敷の中には何人もこいつ等の仲間がいるはずだ。
先程俺達より先に駆けて行った自警団の人達はもう中に入っているのか姿が見えない。
祖父が手の動きで中に入るタイミングを計っている、俺はその指示に従って祖父の背後に寄り添った。
押し込み強盗の犯人はもう間違いなく昼間広場で店を開いていた行商人の連中で間違いないと思う。彼等が何故こんな犯罪を犯そうとしているの分からない、けれど今はそんな事を考えている場合ではない。
祖父のジェスチャー、飛び込むタイミングは間違ったらいけない。3・2・1……
合図と共に屋敷の中へと飛び込む、そこには惨劇が広がっていた。
血の匂いがする。ここにも倒れ込んでいる人が何人もいて、俺は目を逸らしたかったのだが敵は目前にいて、俺はそいつの背中を蹴りつけた。
目の前にいた男はまさか背後から敵が現れると思っていなかったのか、あっけなく前につんのめった。
そんな男の手を踏みつけ、その拍子に手から離れた男の武器を俺は遠くに蹴り飛ばし上から伸し掛かるようにして全体重をかけて抑えつけた。
「領主様はどこですか!」
「まだ、奥です。カーティスさん、ここは俺らで何とかしますので領主様をお願いします!」
自警団の2人はそう言って、俺達に……いや、正しくはじいちゃんに道を開けてくれた。強盗はぱっと見て4人くらいいたのだが、そのうち2人は既に彼等が撃退済みだったのだろう、傷を抑えて蹲っているので、じいちゃんは一言「任せました!」と屋敷の奥へと踏み込んで行く。
俺は抑えつけた男を力技で気絶させ、じいちゃんのあとを追う。屋敷の奥からはまだ人の争うような声と物音が聞こえてくる。
「領主様!」
「おぉ、じいさん、早かったな」
領主様の口調は呑気だったが、その場は騒然としている。複数の覆面の男に囲まれるようにして領主様はそこに立っていた。いつも威風堂々としている領主様の髪が乱れている。
深夜の急な襲撃だったのを物語るようにラフな格好の領主様は「助かったわ」と笑みを見せた。
「老いぼれ一人増えた所で、何が変わる事もない」
覆面の男の一人が自分達を鼓舞するかのようにそんな事を言うのだが、じいちゃんをただの老いぼれ呼ばわりした人間で、後で後悔しない奴なんていないんだからな!
「坊ちゃん達は?」
「アジェと奥に避難させた」
「さようですか、暴漢はこいつ等で全部ですか?」
「恐らくな」
淡々とした状況確認、こんな時でもじいちゃんは冷静だ。領主様も動揺を見せる事なく受け答えしているの見ると、領主様もこういった戦闘の場数を踏んでいるのだろうなと推測される。あまり歓迎した事ではないけれど。
「でしたら、こいつ等を成敗すれば問題ないですね」
「あぁ、思う存分やって構わん」
じいちゃんは「さようですか」と、踏み込むが早いか剣で目の前の男2人を薙ぎ倒した。
「こいつ等たぶん素人だ、加減しないとすぐに死ぬぞ」
「領主様はお優しい事ですな。けれど私、悪人には手加減という言葉、持ち合わせておりませんので……」
その言葉通り、その後の戦闘はもう完全にじいちゃんの独壇場だった。じいちゃん、年寄りの冷や水って言葉知ってる? あんまり無茶すると、また腰にくるんだからな。
しばらくすると、その場には屍のようになった男達が累々と呻き声をあげて転がっていた。俺、出番なかったな……
「ノエル、奥の様子を見て来てください」
じいちゃんと領主様はそんな男達を嬲るようにして、一纏めに端へと追い込んで行く、ホント容赦ないよね。
俺はじいちゃんの言葉に頷いて、領主様が守っていた奥の部屋へと続く扉を開けた。
奥からは物音ひとつしない。しんと静けさが広がっているのは奥方様達が息を潜めているからだろうか?
「奥方様~? ツキノ~?」
俺が声をかけながら奥へと進んでいくと、ある部屋の扉が微かに開いた。
「ツキノ~? そこにいるの?」
「ノエル、来るなっ!」
扉の向こう側からツキノの声が聞こえたのだが、今、来るなって言った?
一体それはどういう意味だ?
もう危険は去ったはずなのに……と首を傾げつつ俺はツキノのいるであろう部屋へと声をかける。
「ツキノ~、もう大丈夫だよ、出ておいで」
俺は安心させるようにそう言って歩いて行くのだが、部屋の扉は細く開いたままそれ以上に開きはしなくて、更に首を傾げる。
「ツキノ~?」
扉に手をかけ、その取っ手に触れると目の前を鋭利な刃物がひゅんと横切った。
「つっっ……」
条件反射で避けたけど、あっぶねぇ……俺は扉から距離を計るように飛び退いた。でも、これあれだ、あんまりよくないやつだ。
「そこに誰かいるんだなっ!」
「お前は逃げろ! ノエルっ、っく……」
またしてもツキノの声が聞こえるのだが、その声は誰かに抑え込まれてでもいるかのようにくぐもっている。これ、絶対誰かいる、しかもツキノ捕まってる。そこにいるのはツキノだけなのか、それとも他にも人がいるのか、助けを呼んだ方がいいのか、俺の頭の中はフル回転だ。だけど……
「そういう訳にはいかない事くらい、分かってるよね!」
絶対そこに誰か、しかもツキノが逃げろと言う程度には悪い奴がいるのを分かっていて逃げるなんて選択肢、俺には無い!
その部屋は屋敷の奥、俺は入った事がない部屋だ。中がどうなっているのか分からないので、中の様子は想像もできない。
「中の人、もうあんた達の仲間は捕まったよ、観念したら?」
部屋の中から返事はない。中にツキノがいるのは確実だろう、あとは誰だ? 奥方様? ロディ様? 先代の領主様達の姿も見ていないけど、そこにいるの?
続く沈黙、俺はじりじりと扉の死角へと移動する。細く開いたその隙間からでは、外の様子などほとんど分かりはしないだろう。けれどこんな人質を取られた状態では、どうにも対応のしようがない。
月明かりの下、そばだてた俺の耳に、その時何かが壊れる派手な音が聞こえた。
0
お気に入りに追加
302
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 独自設定、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
【完結】もふもふ獣人転生
*
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。
ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。
本編完結しました!
おまけをちょこちょこ更新しています。
第12回BL大賞、奨励賞をいただきました、読んでくださった方、応援してくださった方、投票してくださった方のおかげです、ほんとうにありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる