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二人の王子
恋慕 ②
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俺達は朝食を終えると、揃って家を出た。ルイ姉さんだけは母さんと家に残っているのだが、俺達と入れ替わるよう何人かの騎士団員がデルクマン家を訪れて賑やかなものだった。
デルクマン家には最近騎士団員も詰めていると黒の騎士団は言っていたが、彼等は仕事と言うよりも遊びに来ているような感じで、聞けばやはり業務としてデルクマン家を訪れている訳ではないと養父は言った。
「彼等は休みの日に都合をつけてグノーの様子を見に来てくれているのですよ。とても有難いと思いもしますし、申し訳ないとも思っています。彼等は『うまい飯屋に通っているだけだ』と言いますが、そんな訳ないですからね」
デルクマン家は昔から人の出入りの多い家ではあったが、こんなに途切れる事なく毎日誰かしらが居座っているという事はなかった。皆が彼等家族を、とりわけ母さんの様子を案じているのだとすぐに分かった。
伯父さん達の泊まっている宿屋の前まで送り届けて貰い、俺は1人伯父さん達と合流だ。
カイトとユリウス兄さん、そして父さんは今日も普通に仕事があるので出勤なのだが、俺1人だけこんな事でいいのだろうか?
宿屋のフロントまで俺を迎えに出てきてくれたアジェおじさんは、俺の顔を見るとぱっと笑みを見せて「こっちこっち」と俺の手を引いた。
連れて行かれたのは恐らくその宿屋で一番グレードの高い部屋なのだろう、ずいぶん広く調度品も立派なものがあしらわれた豪勢な部屋で俺は困惑した。
「今日からツキノ君とカイト君も来てくれる事になったから、奮発してグレード上げちゃった。部屋も広いし、専用の庭まであるんだよ、凄いよね」
俺は言葉も出せずに、その部屋を眺めやる。最初からずいぶん豪遊していると思っていたが、さすがにこれは無駄遣いが過ぎるのではないだろうか? これ一泊幾らくらいの部屋なんだろう? 考えるだに恐ろしい。
「こんな立派な部屋じゃなくても……」
「大丈夫だよ、この宿屋は友人のお兄さんが経営している宿だから、お友達割引があるんだ」
「それにしたって……」
その部屋は宿屋の中でもまるっと一棟別棟なのだろう、入ってすぐのリビングはカイトの家より余程広かったし、部屋も幾つもありそうだ。アジェさんの言うように、窓の外にはそこそこの広さの庭が広がっていて散歩だってできてしまう。
何というか、別世界だ、住む世界が違う……
エドワード伯父さんはどうやら外出中のようで姿が見えないし、広い部屋に2人きり、どうにも空間を持て余してしまう。
「どうしたの?」
「身の置き場に困る……」
「あはは、ツキノ君はお城で暮らしてた事もあるんだろ? あそこに比べたら全然だろ?」
確かにそれはその通りなのだ、ここイリヤに暮すために出された条件は祖父と一緒に暮らすことで、俺は半年程をファルス城で暮らしていたのだが、やはりその時も俺は今と同じ居たたまれなさを感じていた。
俺が城を飛び出したのは勿論カイトと一緒に居たかったというのもあるのだけれど、城に住むという場違い感に居たたまれなくなったというのもあるのだ。
基本的に自分の事は自分でやるように躾けられて育った身で、数多くの使用人に世話を焼かれる生活にはどうしても馴染めなかったのだ。
庶民くさいと言われようとも、もうそこは庶民育ちなのだから仕方がない。
「もしかして、おじさんはこういう生活に慣れてるの?」
「こういう……?」
「人にお世話されて暮す、贅沢な暮らし」
「んん? 別にそこまででもないけど、家にも昔からお手伝いさんは何人かいるよ?」
お手伝いさん、いるんだ……そういえば、この人達貴族だった……
「エディも最初は慣れないって言ってたけど、今はもう普通だし、こんなの慣れだよ」
「もしかしておじさんの家も大きいの?」
「え~? どうだろう? カイルさんの家よりは大きいけど、割と普通だよ」
アジェおじさんの普通が何処基準なのか分からない俺は頭を抱える。軽率にルーンに行くと言ってしまったが、俺はそんなお屋敷で暮らしていけるのだろうか? きっと今までのように引き籠もりという訳にもいかないのだろうし、俺はそれに一抹の不安を覚える。
「どうしたの? また体調悪い? そういえば貧血はもう平気?」
生理も3日目ともなればさすがの俺でも慣れてくる。腹具合も日を重ねてだんだん普通に戻って来ているので、俺は「大丈夫です」と頷いた。
「そういえば、ちゃんとツキノ君の服も持ってきておいたからね」と、笑みを見せたおじさんは俺をウォークイン・クロゼットへと引っ張って行く。っていうか、この部屋そんな物まであるのか? 宿屋じゃないじゃん、もう家だろ、これ。
「ねぇ、おじさん、俺の服、おじさんが買ってくれたのしかないんだけど……」
「何か問題あるかな?」
あるだろ! 全部女物だろ、これ!
「おじさんは俺を女扱いしたいんですか?」
「うちの1人息子は可愛げがないんだよねぇ……可愛い服着せようと思っても着てくれないし、似合わないし。その点ツキノ君は似合ってるから問題ないよ」
質問の答えになってない!
「それにこれ女物じゃないよ? その辺はちゃんと選んで買ってきたもの」
いやいや、そこに掛かってるの絶対ワンピースだから! 絶対、女物だから! しかも、いつの間にやら靴まで揃ってんじゃん、誰が履くんだよそんなヒール靴! ってか、サイズ俺の足にジャストサイズだよ、教えてないよ、なんで知ってるの!?
険しい顔でクローゼットを眺める俺にアジェさんは苦笑して「まぁ、半分冗談だけど……」とクローゼットの端の方に寄せられた服を俺に手渡してくれた。
それは、目の前に並べられた服を思えば普通に男物のシャツとズボンで、色は今まで自分があまり着用しないような原色寄りのシャツだったのだが、俺はほっと安堵の吐息を漏らす。
「似合うのに、勿体ないな」
「似合う似合わないの問題じゃなく、俺の男としての矜持の問題です」
女物の服を脱ぐ事ができた俺はようやく本来の自分に戻れたような気分だ。ただ、普通のシャツを着ただけなのに妙に落ち着く。
「ツキノ君はあくまでツキノ君なんだね」
「そこを変える気はありません」
「そっか」とおじさんは笑みを見せた。それでも俺には少しだけ不安がある、もし俺の身体の成長がこのまま男として育たずに止まってしまったら……
今は完全な少年体形、その姿はユリウス兄さんの友人のミヅキさんを彷彿とさせる。彼女は少年のように髪を短くしていて、まるで小柄な少年の姿だ。俺の今の姿はまさにそれで、もしこのまま成長しなかったら俺とミヅキさんの間になんの違いがあるというのだろう?
俺はふるふると首を振る、今はそんな事を考えている場合ではない。
「そういえば、昨日の犯人達どうなりました?」
「まだ、取調べ中だけど、概ねエディの予想通りだったみたい。何人かはメリアの貴族の名前を上げて、自分達は雇われただけだって言ってるって。ただね、1人だけ少しだけ毛色の違う人がいるみたい」
毛色の違う人? 意味が分からなくて俺は小首を傾げる。
「あのね、あの時1人、僕の顔を見て『王子』って言ってた人いただろう? あの人なんだけど、どうもあの人だけはランティスの人みたいなんだよねぇ」
「ランティスの? なんで? あいつ等メリアの体制派だったんでしょ?」
「そう、そうなんだけど、その人自分はランティスからメリアに送られた密偵だって言ってるらしいんだよね。メリア情勢を探っているうちに体制派の動きに気付いて潜り込んだんだって。自分の仲間は王国派や革命派にも潜んでいるってそう言ってるらしいよ」
「それって一体何の為に?」
「それが分からないから、まだ取調べが続いているんだよ。それもあって今、エディいないんだけどね」
エドワード伯父さんの不在にそんな理由があるとは思わず、俺は考え込んでしまう。
メリアの体制派、その中に紛れ込むランティス人。なにかもう不穏な物しか感じない。
「俺も何かできないかな……」
「ん?」
「なんだか俺ばっかりぬくぬく守られていて、俺はこんなんでいいのか? って思って……」
「守ってくれる人がいる内は守られておけばいいよ、頑張るのは誰も守ってくれる人がいなくなった時。そんな時が来る可能性もゼロじゃないからツキノ君はそれまで自分の頑張りは温存しておけばいいと思うよ」
「それって、やっぱり甘やかされてる」と俺が呟くと、アジェおじさんは「いいの、いいの」と笑みを零した。
「今の自分に無力さを感じてるなら、もし誰かが躓いた時に力になってあげればいいよ。今は自分が甘やかされる時、できる時に他人を甘やかせられるように温存は大事だよ」
「そんなの、結局返せなかったらどうするんです?」
「長い人生、必ず一度はそういう時がくるよ。その時に気付いて寄り添ってあげられればそれでいいと僕は思ってる。僕は言っては何だけどあまり人の役に立てるような人間じゃないからね、そういう時こそ本領発揮で張り切っちゃうよ。今は、僕はツキノ君の傍にいてツキノ君を笑わせるのが仕事かな」
そう言っておじさんは僕の頬を撫でた。いつでも能天気に笑っている、やる事成す事どこか子供じみた言動のおじさんの表情が、急にとても大人に見えた。
「もしかしておじさんのこの豪遊も、わざとなの……?」
「ふふ、それはどうだろうねぇ」
おじさんは笑って俺に背を向けた。おじさん達との観光は本当にとても楽しかったのだ、それももしかして全て俺の為だったとしたら……?
「この宿屋ね、お茶も凄く美味しいんだ。お茶菓子もあるし一服しようか?」
そう言っておじさんは簡易キッチンへと楽しげに歩いて行く。不思議な人、けれど一緒にいると何故か落ち着く。
俺は無言でおじさんの後を追った。
※ ※ ※
「あれ何だろう? 何か人だかりができてる……」
仕事に向かい詰所で今日の仕事の確認を済ませてユリウス兄さんと連れ立って歩いて居ると、大きな伝言板に何故か人だかりが出来ているのに気が付いて、僕達はその人だかりへと目を向けた。
「ん~よく見えないですが、何かの募集ポスターかな?」
ユリウス兄さんは目を細めるようにして遠目にそのポスターの内容を確認して「あぁ!」と一言頷いた。こういう時、背の高いユリウス兄さんはとても便利だ、僕には人だかりで内容までは全く見えない。
「これ、あれですよ。私達と一緒に行く人を募集しているみたいです」
「一緒にって、メルクードに?」
「そうだね。父さんが人を募るような事は言っていたけど、どうやら試験もやるようですね」
「試験……僕も?」
「いや、カイトは確定でしょう? お前が行かなきゃ話にならない」
「他の人は試験があるのに、僕だけパスなの? いいのかな……?」
「それで言ったらたぶん私も試験はないでしょうから、いいんじゃないですか?」
費用は全て国持ちで他国を訪問、学ぶ事もできるとあってその募集に興味を示す若者はどうやらとても多い様子だ。
「俺も受けてみようかな……」
「若干名って何人だよ?」
「試験って何やるんだろうな? 実技試験ならともかく紙の試験だと俺は無理かも……」
あちこちから様々な声が聞こえてくる。その声を横耳にしながら僕達は今日の勤務先に向かう。
ユリウス兄さんは分団長なので行き先が同じでも兵卒である僕とはやる仕事が違う、兄さんは指示する側で僕達は指示される側。それぞれ持ち場が違うので兄さんと別れて現場に向かうとまた昨日のあのα、トーマス・トールマンが居て、僕はつい顔を顰めてしまった。
向こうもこちらに気付いたようで、何故かこちらに寄って来る。今日は取り巻きはいないようだが嫌いな人間に寄って来るその神経が分からない。
「おい、お前」
「なんですか?」
「昨日のアレは何なんだ? アレは何かの合図なのか?」
あぁ、そういえば昨日は話途中で例の信号弾を見て、僕はツキノの元に行ったのだったと思い出す。
「……貴方には関係のない話です」
ふいっとそっぽを向くと、彼は気を悪くしたのだろう苛立った様子で「おい!」と僕の肩を掴んだ。僕はその腕を振り払いきっと彼を睨み付ける。
「何なんですか? それを知ってどうするんですか? 知った所で貴方には関係のない話ですよ!」
「だったらお前には関係があるって言うのか! アレは騎士団で使ってる信号弾の一種だろ! 平の兵卒であるお前に何の関係がある!」
「僕の大事な人に何かがあったって合図ですよ、もういいでしょう! 聞いたってどうせ貴方には分からないでしょう!」
男の顔が微かに歪む、もう本当に一体何なんだ!?
「どういう事だ? 何でそんな信号が上がるんだよ、そいつ一体何者だ?」
「だから貴方には関係ないって言ってるのに……」
「こそこそ隠すから気になるんだろう! そいつは何だ? お前の番相手だとでも言うのか?」
「だったら何だって言うんですか? それこそ関係ないじゃないですか」
もう段々相手をするのも面倒くさくなってきた。いい加減絡むの止めてくれないかな……
「お前はまだ番持ちじゃないはずだろう!」
「近日中になる予定なんで放っておいてください」
僕のその言葉に彼は何故か激高したようにかっと顔を朱に染め、再び僕の肩を掴み「そいつは誰だ?」と問うてくる。
「本当に何なんですか!? 関係ないでしょう!」
ふいにまた昨日と同じ彼のフェロモンの薫りが降り注ぐ。けれど、やはりそれは僕には風で飛ぶ程度にしか感じられず、僕は彼の腕を振り解いた。
「フェロモンで屈服させようとする、そういうやり口、僕は嫌いです!」
「なんで効かない……?」
「は?! そんなの、貴方のフェロモンが大した事ないからに決まってるでしょう!」
「ふざけんなっ! 大体お前は俺の事をβ呼ばわりしたりして生意気なんだよ!」
「だったらわざわざ突っかかってこないでくださいよ! こっちだっていい迷惑だ!」
こんな何の得にもならない言い合いをしていても何の益もないというのに、彼は僕に喧嘩を売り続ける。
「そんなに僕が目障りなんだったら僕は間もなく消えるんで、どうぞ好きにしてくださいよ」
「あぁ?! どういう意味だ!」
「そのままの意味ですよ! 僕はもうじきランティスに渡る、その後の事は分からないけど、たぶんメリアに嫁ぐ事になるでしょうから、僕がここにいるのはあと少し。望み通りに消えてなくなりますから、後はどうぞ好きにやってください! そもそも何でわざわざ僕に絡んでくるんですか! 目障りなんだったら寄って来ないでください!」
「な……ランティス!? メリアに嫁ぐってどういう事だ!」
もう本当に彼が何にこんなに興奮しているのか意味が分からない。
「言葉そのままの意味ですよ。僕の番相手がメリアの出なので、僕はメリアに嫁ぎます。それ以外の何でもないですよ」
「お前は、俺のΩだろう!」
「は? ……はぁ!?」
突然何を言われたのか分からず硬直する。今、この人何言った?
「ちょっと、こっちに来い」と引き摺られるようにして、僕は人気のない方へと連れて行かれる。いやいやいや、これやばい奴じゃね? 何がどうしてそうなった?!
「ちょっと離してください! 嫌ですよ! どこに連れ込むつもりですか!? 僕がΩだからって、そういうのれっきとした犯罪ですからね!」
「喧しい、少し黙れ!」
「黙って、何かされるのなんかごめんですよ! 僕にはちゃんと番相手がいるって言ってるでしょう!」
「そいつは、まがい物だ」
「馬鹿言わないでくださいよっ! 僕とツキノはちゃんと『運命』です!」
段々に育ってきたとはいえ、僕の体はΩらしくないというだけで、やはり同年代の少年と変わらない。年上だと思われる彼の力は強く、僕は壁に押し付けられた。
「ツキノ……ツキノ……どっかで聞いた事があるな……まぁ、そんな事はどうでもいい。俺はお前を見て、俺の運命だとそう思ったんだ、だからお前は俺の『運命』なんだよ」
「冗談は大概にしてくださいよっ! それに僕はΩを格下扱いするようなそんな人間、普通に考えたとしても願い下げです!」
「俺の妻になったら、もっと丁重に扱ってやる」
「だから、願い下げだって言ってるでしょう!」
僕の平手が彼の頬で小気味のいい音を立てた。まさか殴られるとは思っていなかったのだろう、彼は僕の腕を掴む手に更に力を加えた。
「面白い、お前には俺のフェロモンが効かない、今までどんなΩだってこうすればイチコロだったんだがな」
また、微かにフェロモンの匂いが増した。その匂いはどうにも不快で僕は顔を顰めてしまう。
「最っ低!」
「最高の褒め言葉だな」
にいっと口角を上げるように笑った男の顔は醜悪で、僕はどうにかこの場から逃げ出す算段を頭の中で巡らせる。僕にはこいつが理解できない、関わるだけ時間の無駄だ。
「おい、トーマスもうその辺にしておけ。その子は俺の親友の弟みたいなものでな、そういう事をされると俺が困る」
そこに現れたのイグサルさんで、僕は『助かった……』と思ったのだが、彼の僕を掴む手は弛まない。
「イグサル、お前には関係ない。βのお前には俺達の関係なんて分かりはしない」
「確かにバース性の人間の事なんぞ、俺に分かりはしないが、そいつが困ってる事だけは見れば分かる」
「これは駆け引きだ、口で何を言った所でこいつは喜んでる。Ωは強いαを求める生き物だからな」
なんという勝手な言い草、僕の周りにはαの人間が多いが、ここまで身勝手なαは初めて見た。
イグサルさんも呆れたように「俺にはそうは見えないのだがな……」と呟いて僕を見やるので「そんな訳ないでしょう!」と僕は思わず叫んでしまう。
イグサルさんはその言葉を聞いて「だよな」と呆れたように肩を竦ませた。
「本人もこう言っている、いい加減に離せ。さもないと俺も手を出さん訳にはいかなくなる」
「βの人間が偉そうに。トールマン家の恥さらしが、俺に勝てるとでも思っているのか?」
「俺と同じ平の兵卒をやってるくらいだからな、お前がたいした事ないことくらいは分かってる」
「なっ……!」
「武闘会、一回戦でさっくり負けたんだろう?」
「あれは運が悪かっただけだ! 俺の相手にはαが何人もいた、β相手だったら絶対負けなかった!」
「まぁ、世の中βの次に多いのがαだし? こういう特殊な職種にαが多いのは仕方のない話だよな。そんなαの中でお前は下の方だったって事だろう?」
彼の顔は怒りで紅潮し、ようやく彼は僕を掴む手を放してくれた。トーマスはイグサルさんを睨み付ける。
「言っておくが、今は勤務中、騎士団員同士の私闘も禁じられている。やるなら今日の仕事が終わってからだぞ」
「ふん! 分かっている、逃げるんじゃないぞ!」
「それはこっちの台詞だな」
腹立たしげに行ってしまったトーマスの後姿を見送って、僕はイグサルさんに頭を下げる。
「ありがとうございます、助かりました」
「まぁ、あんなのでも一応身内だしな。不祥事を起されるとそれもそれで俺が困るんだ。気にするな」
「なんだかトールマン家って大変そうですね」
「まぁなぁ、なんせ身内のほとんどがバース性で自己愛が強い。自分達が特別だという事も分かっているから余計にな。俺に言わせりゃ何が特別なんだか分からんのだけどな。それにしてもトーマスの奴がお前に目を付けるとはなぁ。あいつは好きな子ほど虐める傾向が強い子供なんだよ。えらいのに好かれたな、カイト」
「いい迷惑です」
どちらにしても僕とツキノはきっと近日中に結ばれる、本当に昨日のうちに噛んでもらえたら良かったのにと思わずにはいられない。
今日はちゃんと家に寄って、チョーカーの鍵を持ってツキノの元に帰ろうと僕は思った。
デルクマン家には最近騎士団員も詰めていると黒の騎士団は言っていたが、彼等は仕事と言うよりも遊びに来ているような感じで、聞けばやはり業務としてデルクマン家を訪れている訳ではないと養父は言った。
「彼等は休みの日に都合をつけてグノーの様子を見に来てくれているのですよ。とても有難いと思いもしますし、申し訳ないとも思っています。彼等は『うまい飯屋に通っているだけだ』と言いますが、そんな訳ないですからね」
デルクマン家は昔から人の出入りの多い家ではあったが、こんなに途切れる事なく毎日誰かしらが居座っているという事はなかった。皆が彼等家族を、とりわけ母さんの様子を案じているのだとすぐに分かった。
伯父さん達の泊まっている宿屋の前まで送り届けて貰い、俺は1人伯父さん達と合流だ。
カイトとユリウス兄さん、そして父さんは今日も普通に仕事があるので出勤なのだが、俺1人だけこんな事でいいのだろうか?
宿屋のフロントまで俺を迎えに出てきてくれたアジェおじさんは、俺の顔を見るとぱっと笑みを見せて「こっちこっち」と俺の手を引いた。
連れて行かれたのは恐らくその宿屋で一番グレードの高い部屋なのだろう、ずいぶん広く調度品も立派なものがあしらわれた豪勢な部屋で俺は困惑した。
「今日からツキノ君とカイト君も来てくれる事になったから、奮発してグレード上げちゃった。部屋も広いし、専用の庭まであるんだよ、凄いよね」
俺は言葉も出せずに、その部屋を眺めやる。最初からずいぶん豪遊していると思っていたが、さすがにこれは無駄遣いが過ぎるのではないだろうか? これ一泊幾らくらいの部屋なんだろう? 考えるだに恐ろしい。
「こんな立派な部屋じゃなくても……」
「大丈夫だよ、この宿屋は友人のお兄さんが経営している宿だから、お友達割引があるんだ」
「それにしたって……」
その部屋は宿屋の中でもまるっと一棟別棟なのだろう、入ってすぐのリビングはカイトの家より余程広かったし、部屋も幾つもありそうだ。アジェさんの言うように、窓の外にはそこそこの広さの庭が広がっていて散歩だってできてしまう。
何というか、別世界だ、住む世界が違う……
エドワード伯父さんはどうやら外出中のようで姿が見えないし、広い部屋に2人きり、どうにも空間を持て余してしまう。
「どうしたの?」
「身の置き場に困る……」
「あはは、ツキノ君はお城で暮らしてた事もあるんだろ? あそこに比べたら全然だろ?」
確かにそれはその通りなのだ、ここイリヤに暮すために出された条件は祖父と一緒に暮らすことで、俺は半年程をファルス城で暮らしていたのだが、やはりその時も俺は今と同じ居たたまれなさを感じていた。
俺が城を飛び出したのは勿論カイトと一緒に居たかったというのもあるのだけれど、城に住むという場違い感に居たたまれなくなったというのもあるのだ。
基本的に自分の事は自分でやるように躾けられて育った身で、数多くの使用人に世話を焼かれる生活にはどうしても馴染めなかったのだ。
庶民くさいと言われようとも、もうそこは庶民育ちなのだから仕方がない。
「もしかして、おじさんはこういう生活に慣れてるの?」
「こういう……?」
「人にお世話されて暮す、贅沢な暮らし」
「んん? 別にそこまででもないけど、家にも昔からお手伝いさんは何人かいるよ?」
お手伝いさん、いるんだ……そういえば、この人達貴族だった……
「エディも最初は慣れないって言ってたけど、今はもう普通だし、こんなの慣れだよ」
「もしかしておじさんの家も大きいの?」
「え~? どうだろう? カイルさんの家よりは大きいけど、割と普通だよ」
アジェおじさんの普通が何処基準なのか分からない俺は頭を抱える。軽率にルーンに行くと言ってしまったが、俺はそんなお屋敷で暮らしていけるのだろうか? きっと今までのように引き籠もりという訳にもいかないのだろうし、俺はそれに一抹の不安を覚える。
「どうしたの? また体調悪い? そういえば貧血はもう平気?」
生理も3日目ともなればさすがの俺でも慣れてくる。腹具合も日を重ねてだんだん普通に戻って来ているので、俺は「大丈夫です」と頷いた。
「そういえば、ちゃんとツキノ君の服も持ってきておいたからね」と、笑みを見せたおじさんは俺をウォークイン・クロゼットへと引っ張って行く。っていうか、この部屋そんな物まであるのか? 宿屋じゃないじゃん、もう家だろ、これ。
「ねぇ、おじさん、俺の服、おじさんが買ってくれたのしかないんだけど……」
「何か問題あるかな?」
あるだろ! 全部女物だろ、これ!
「おじさんは俺を女扱いしたいんですか?」
「うちの1人息子は可愛げがないんだよねぇ……可愛い服着せようと思っても着てくれないし、似合わないし。その点ツキノ君は似合ってるから問題ないよ」
質問の答えになってない!
「それにこれ女物じゃないよ? その辺はちゃんと選んで買ってきたもの」
いやいや、そこに掛かってるの絶対ワンピースだから! 絶対、女物だから! しかも、いつの間にやら靴まで揃ってんじゃん、誰が履くんだよそんなヒール靴! ってか、サイズ俺の足にジャストサイズだよ、教えてないよ、なんで知ってるの!?
険しい顔でクローゼットを眺める俺にアジェさんは苦笑して「まぁ、半分冗談だけど……」とクローゼットの端の方に寄せられた服を俺に手渡してくれた。
それは、目の前に並べられた服を思えば普通に男物のシャツとズボンで、色は今まで自分があまり着用しないような原色寄りのシャツだったのだが、俺はほっと安堵の吐息を漏らす。
「似合うのに、勿体ないな」
「似合う似合わないの問題じゃなく、俺の男としての矜持の問題です」
女物の服を脱ぐ事ができた俺はようやく本来の自分に戻れたような気分だ。ただ、普通のシャツを着ただけなのに妙に落ち着く。
「ツキノ君はあくまでツキノ君なんだね」
「そこを変える気はありません」
「そっか」とおじさんは笑みを見せた。それでも俺には少しだけ不安がある、もし俺の身体の成長がこのまま男として育たずに止まってしまったら……
今は完全な少年体形、その姿はユリウス兄さんの友人のミヅキさんを彷彿とさせる。彼女は少年のように髪を短くしていて、まるで小柄な少年の姿だ。俺の今の姿はまさにそれで、もしこのまま成長しなかったら俺とミヅキさんの間になんの違いがあるというのだろう?
俺はふるふると首を振る、今はそんな事を考えている場合ではない。
「そういえば、昨日の犯人達どうなりました?」
「まだ、取調べ中だけど、概ねエディの予想通りだったみたい。何人かはメリアの貴族の名前を上げて、自分達は雇われただけだって言ってるって。ただね、1人だけ少しだけ毛色の違う人がいるみたい」
毛色の違う人? 意味が分からなくて俺は小首を傾げる。
「あのね、あの時1人、僕の顔を見て『王子』って言ってた人いただろう? あの人なんだけど、どうもあの人だけはランティスの人みたいなんだよねぇ」
「ランティスの? なんで? あいつ等メリアの体制派だったんでしょ?」
「そう、そうなんだけど、その人自分はランティスからメリアに送られた密偵だって言ってるらしいんだよね。メリア情勢を探っているうちに体制派の動きに気付いて潜り込んだんだって。自分の仲間は王国派や革命派にも潜んでいるってそう言ってるらしいよ」
「それって一体何の為に?」
「それが分からないから、まだ取調べが続いているんだよ。それもあって今、エディいないんだけどね」
エドワード伯父さんの不在にそんな理由があるとは思わず、俺は考え込んでしまう。
メリアの体制派、その中に紛れ込むランティス人。なにかもう不穏な物しか感じない。
「俺も何かできないかな……」
「ん?」
「なんだか俺ばっかりぬくぬく守られていて、俺はこんなんでいいのか? って思って……」
「守ってくれる人がいる内は守られておけばいいよ、頑張るのは誰も守ってくれる人がいなくなった時。そんな時が来る可能性もゼロじゃないからツキノ君はそれまで自分の頑張りは温存しておけばいいと思うよ」
「それって、やっぱり甘やかされてる」と俺が呟くと、アジェおじさんは「いいの、いいの」と笑みを零した。
「今の自分に無力さを感じてるなら、もし誰かが躓いた時に力になってあげればいいよ。今は自分が甘やかされる時、できる時に他人を甘やかせられるように温存は大事だよ」
「そんなの、結局返せなかったらどうするんです?」
「長い人生、必ず一度はそういう時がくるよ。その時に気付いて寄り添ってあげられればそれでいいと僕は思ってる。僕は言っては何だけどあまり人の役に立てるような人間じゃないからね、そういう時こそ本領発揮で張り切っちゃうよ。今は、僕はツキノ君の傍にいてツキノ君を笑わせるのが仕事かな」
そう言っておじさんは僕の頬を撫でた。いつでも能天気に笑っている、やる事成す事どこか子供じみた言動のおじさんの表情が、急にとても大人に見えた。
「もしかしておじさんのこの豪遊も、わざとなの……?」
「ふふ、それはどうだろうねぇ」
おじさんは笑って俺に背を向けた。おじさん達との観光は本当にとても楽しかったのだ、それももしかして全て俺の為だったとしたら……?
「この宿屋ね、お茶も凄く美味しいんだ。お茶菓子もあるし一服しようか?」
そう言っておじさんは簡易キッチンへと楽しげに歩いて行く。不思議な人、けれど一緒にいると何故か落ち着く。
俺は無言でおじさんの後を追った。
※ ※ ※
「あれ何だろう? 何か人だかりができてる……」
仕事に向かい詰所で今日の仕事の確認を済ませてユリウス兄さんと連れ立って歩いて居ると、大きな伝言板に何故か人だかりが出来ているのに気が付いて、僕達はその人だかりへと目を向けた。
「ん~よく見えないですが、何かの募集ポスターかな?」
ユリウス兄さんは目を細めるようにして遠目にそのポスターの内容を確認して「あぁ!」と一言頷いた。こういう時、背の高いユリウス兄さんはとても便利だ、僕には人だかりで内容までは全く見えない。
「これ、あれですよ。私達と一緒に行く人を募集しているみたいです」
「一緒にって、メルクードに?」
「そうだね。父さんが人を募るような事は言っていたけど、どうやら試験もやるようですね」
「試験……僕も?」
「いや、カイトは確定でしょう? お前が行かなきゃ話にならない」
「他の人は試験があるのに、僕だけパスなの? いいのかな……?」
「それで言ったらたぶん私も試験はないでしょうから、いいんじゃないですか?」
費用は全て国持ちで他国を訪問、学ぶ事もできるとあってその募集に興味を示す若者はどうやらとても多い様子だ。
「俺も受けてみようかな……」
「若干名って何人だよ?」
「試験って何やるんだろうな? 実技試験ならともかく紙の試験だと俺は無理かも……」
あちこちから様々な声が聞こえてくる。その声を横耳にしながら僕達は今日の勤務先に向かう。
ユリウス兄さんは分団長なので行き先が同じでも兵卒である僕とはやる仕事が違う、兄さんは指示する側で僕達は指示される側。それぞれ持ち場が違うので兄さんと別れて現場に向かうとまた昨日のあのα、トーマス・トールマンが居て、僕はつい顔を顰めてしまった。
向こうもこちらに気付いたようで、何故かこちらに寄って来る。今日は取り巻きはいないようだが嫌いな人間に寄って来るその神経が分からない。
「おい、お前」
「なんですか?」
「昨日のアレは何なんだ? アレは何かの合図なのか?」
あぁ、そういえば昨日は話途中で例の信号弾を見て、僕はツキノの元に行ったのだったと思い出す。
「……貴方には関係のない話です」
ふいっとそっぽを向くと、彼は気を悪くしたのだろう苛立った様子で「おい!」と僕の肩を掴んだ。僕はその腕を振り払いきっと彼を睨み付ける。
「何なんですか? それを知ってどうするんですか? 知った所で貴方には関係のない話ですよ!」
「だったらお前には関係があるって言うのか! アレは騎士団で使ってる信号弾の一種だろ! 平の兵卒であるお前に何の関係がある!」
「僕の大事な人に何かがあったって合図ですよ、もういいでしょう! 聞いたってどうせ貴方には分からないでしょう!」
男の顔が微かに歪む、もう本当に一体何なんだ!?
「どういう事だ? 何でそんな信号が上がるんだよ、そいつ一体何者だ?」
「だから貴方には関係ないって言ってるのに……」
「こそこそ隠すから気になるんだろう! そいつは何だ? お前の番相手だとでも言うのか?」
「だったら何だって言うんですか? それこそ関係ないじゃないですか」
もう段々相手をするのも面倒くさくなってきた。いい加減絡むの止めてくれないかな……
「お前はまだ番持ちじゃないはずだろう!」
「近日中になる予定なんで放っておいてください」
僕のその言葉に彼は何故か激高したようにかっと顔を朱に染め、再び僕の肩を掴み「そいつは誰だ?」と問うてくる。
「本当に何なんですか!? 関係ないでしょう!」
ふいにまた昨日と同じ彼のフェロモンの薫りが降り注ぐ。けれど、やはりそれは僕には風で飛ぶ程度にしか感じられず、僕は彼の腕を振り解いた。
「フェロモンで屈服させようとする、そういうやり口、僕は嫌いです!」
「なんで効かない……?」
「は?! そんなの、貴方のフェロモンが大した事ないからに決まってるでしょう!」
「ふざけんなっ! 大体お前は俺の事をβ呼ばわりしたりして生意気なんだよ!」
「だったらわざわざ突っかかってこないでくださいよ! こっちだっていい迷惑だ!」
こんな何の得にもならない言い合いをしていても何の益もないというのに、彼は僕に喧嘩を売り続ける。
「そんなに僕が目障りなんだったら僕は間もなく消えるんで、どうぞ好きにしてくださいよ」
「あぁ?! どういう意味だ!」
「そのままの意味ですよ! 僕はもうじきランティスに渡る、その後の事は分からないけど、たぶんメリアに嫁ぐ事になるでしょうから、僕がここにいるのはあと少し。望み通りに消えてなくなりますから、後はどうぞ好きにやってください! そもそも何でわざわざ僕に絡んでくるんですか! 目障りなんだったら寄って来ないでください!」
「な……ランティス!? メリアに嫁ぐってどういう事だ!」
もう本当に彼が何にこんなに興奮しているのか意味が分からない。
「言葉そのままの意味ですよ。僕の番相手がメリアの出なので、僕はメリアに嫁ぎます。それ以外の何でもないですよ」
「お前は、俺のΩだろう!」
「は? ……はぁ!?」
突然何を言われたのか分からず硬直する。今、この人何言った?
「ちょっと、こっちに来い」と引き摺られるようにして、僕は人気のない方へと連れて行かれる。いやいやいや、これやばい奴じゃね? 何がどうしてそうなった?!
「ちょっと離してください! 嫌ですよ! どこに連れ込むつもりですか!? 僕がΩだからって、そういうのれっきとした犯罪ですからね!」
「喧しい、少し黙れ!」
「黙って、何かされるのなんかごめんですよ! 僕にはちゃんと番相手がいるって言ってるでしょう!」
「そいつは、まがい物だ」
「馬鹿言わないでくださいよっ! 僕とツキノはちゃんと『運命』です!」
段々に育ってきたとはいえ、僕の体はΩらしくないというだけで、やはり同年代の少年と変わらない。年上だと思われる彼の力は強く、僕は壁に押し付けられた。
「ツキノ……ツキノ……どっかで聞いた事があるな……まぁ、そんな事はどうでもいい。俺はお前を見て、俺の運命だとそう思ったんだ、だからお前は俺の『運命』なんだよ」
「冗談は大概にしてくださいよっ! それに僕はΩを格下扱いするようなそんな人間、普通に考えたとしても願い下げです!」
「俺の妻になったら、もっと丁重に扱ってやる」
「だから、願い下げだって言ってるでしょう!」
僕の平手が彼の頬で小気味のいい音を立てた。まさか殴られるとは思っていなかったのだろう、彼は僕の腕を掴む手に更に力を加えた。
「面白い、お前には俺のフェロモンが効かない、今までどんなΩだってこうすればイチコロだったんだがな」
また、微かにフェロモンの匂いが増した。その匂いはどうにも不快で僕は顔を顰めてしまう。
「最っ低!」
「最高の褒め言葉だな」
にいっと口角を上げるように笑った男の顔は醜悪で、僕はどうにかこの場から逃げ出す算段を頭の中で巡らせる。僕にはこいつが理解できない、関わるだけ時間の無駄だ。
「おい、トーマスもうその辺にしておけ。その子は俺の親友の弟みたいなものでな、そういう事をされると俺が困る」
そこに現れたのイグサルさんで、僕は『助かった……』と思ったのだが、彼の僕を掴む手は弛まない。
「イグサル、お前には関係ない。βのお前には俺達の関係なんて分かりはしない」
「確かにバース性の人間の事なんぞ、俺に分かりはしないが、そいつが困ってる事だけは見れば分かる」
「これは駆け引きだ、口で何を言った所でこいつは喜んでる。Ωは強いαを求める生き物だからな」
なんという勝手な言い草、僕の周りにはαの人間が多いが、ここまで身勝手なαは初めて見た。
イグサルさんも呆れたように「俺にはそうは見えないのだがな……」と呟いて僕を見やるので「そんな訳ないでしょう!」と僕は思わず叫んでしまう。
イグサルさんはその言葉を聞いて「だよな」と呆れたように肩を竦ませた。
「本人もこう言っている、いい加減に離せ。さもないと俺も手を出さん訳にはいかなくなる」
「βの人間が偉そうに。トールマン家の恥さらしが、俺に勝てるとでも思っているのか?」
「俺と同じ平の兵卒をやってるくらいだからな、お前がたいした事ないことくらいは分かってる」
「なっ……!」
「武闘会、一回戦でさっくり負けたんだろう?」
「あれは運が悪かっただけだ! 俺の相手にはαが何人もいた、β相手だったら絶対負けなかった!」
「まぁ、世の中βの次に多いのがαだし? こういう特殊な職種にαが多いのは仕方のない話だよな。そんなαの中でお前は下の方だったって事だろう?」
彼の顔は怒りで紅潮し、ようやく彼は僕を掴む手を放してくれた。トーマスはイグサルさんを睨み付ける。
「言っておくが、今は勤務中、騎士団員同士の私闘も禁じられている。やるなら今日の仕事が終わってからだぞ」
「ふん! 分かっている、逃げるんじゃないぞ!」
「それはこっちの台詞だな」
腹立たしげに行ってしまったトーマスの後姿を見送って、僕はイグサルさんに頭を下げる。
「ありがとうございます、助かりました」
「まぁ、あんなのでも一応身内だしな。不祥事を起されるとそれもそれで俺が困るんだ。気にするな」
「なんだかトールマン家って大変そうですね」
「まぁなぁ、なんせ身内のほとんどがバース性で自己愛が強い。自分達が特別だという事も分かっているから余計にな。俺に言わせりゃ何が特別なんだか分からんのだけどな。それにしてもトーマスの奴がお前に目を付けるとはなぁ。あいつは好きな子ほど虐める傾向が強い子供なんだよ。えらいのに好かれたな、カイト」
「いい迷惑です」
どちらにしても僕とツキノはきっと近日中に結ばれる、本当に昨日のうちに噛んでもらえたら良かったのにと思わずにはいられない。
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