運命に花束を

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二人の王子

大人の事情その2

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「大人の事情、その2?」
「うん、そう。一つ目はツキノ君のこの性別の話、二つ目はメリア王国という国の話しだよ」

 アジェさんはそう言って頷いた。
 メリア王国、俺の生まれ故郷。物後心付いた時には既にファルス王国で暮らしていた俺にとっては故郷という概念すら曖昧な俺の本当の両親が暮らす国。
 俺が生まれた頃、メリア王国はとても荒れていたのだとアジェさんは言った。

「今国王を名乗っているレオンさんは先々代の王様の三番目の息子、三番目というからには上には2人兄がいた、1人はグノー、もう1人が先代の王様、その先代の王様の跡を継ぐ形でツキノ君のお父さんはメリアの王様になったんだ、やっぱりそこに反発があるのは当然だった。レオンさんは、本当は王になんてなりたくはなかったんだよ、だけど、王家の三男、その名前がどうしても付き纏って結局形だけでもという声が上がってレオンさんは王位を継いだんだ」

 アジェさんはメリアの現状を淡々と語っていく、それはまだ歴史書にすら語られていない話である。

「だけどね、レオンさんは実を言えば先々代の王様の実の子じゃないないんだよ。レオンさんは先々代の王様の奥さん、つまり王妃様が不倫をしてできた子供、父親は一介の兵士だった。先々代の王様は先代の王様に簒奪される形で王位を奪われたんだけど、命までは取られてはいなかった、そこはやっぱり親子だしね、先代の王様はそこまでの事はしなかったんだよ。だけど先代の王様が死んで、レオン王が立つと先々代の王様はそれに納得がいかなかった」
「その人、まだ生きてるんだ……」
「言ってしまえば血は繋がらなくてもツキノ君のおじいさんに当たる人だからね、まだそこまで歳を重ねてもいないし存命だよ。先々代の王様は実の子に追い落とされたのは不服でも納得していた、けれど不義の子に王位を継がせる事には納得がいかなかったんだ」
「じゃあ、そのじいさんは……」
「うん、もう一度自分が返り咲こうとレオンさんに戦いを挑んだ。でもそれは失敗に終わったんだよ、何故なら先々代の王様には決定的に人望がなかったから。権力を誇示するだけの暴君、それが彼の評価で民衆は誰も彼の話には耳を傾けなかった」
「なんだ、だったら別に……」
「うん、だけど話しはそこで終わらない、自分に味方がいないと悟った先々代の王様が目を付けたのが先代の王様の一人娘レイシア姫だ、彼女は先代の王、つまり父親が亡くなってからはひっそりと田舎で暮らしていたんだけど、彼はそれに目を付けたんだ」

 レイシア姫、聞いた事もない。けれどその人は俺の従姉妹に当たるはずだ。

「先代の王様はグノーに執着して道を誤りはしたけれど、王様としてはそこまで悪い王様ではなかった。と言うよりは先々代の王様の評判が悪すぎてね、何をやっても良いようにしか評価されなかったという感じかな。先々代の王様の地位を簒奪した事ですら、虐げられていた人達にとってはとても嬉しい事だったしね。だから先々代の王様はそんな彼の密かな人気を利用してやろうとそう思ったんだよ。先々代の王様は彼女に囁く『お前の父親を殺した人物とレオン王は繋がっている。お前の父親はレオンに殺されたんだ』ってね」

 「それ、姫は信じたんですか?」俺がそう尋ねるとアジェさんは困った顔で頷いた。

「これは本当の所はちょっと違うんだけど、そんな事を彼女は知らないし、実際父親は死に、その後釜で王座に座ったのはレオンさんだったんだから、彼女はその言葉をまるっとそのまま信じ込んだ。そして、そんな時に生まれたのがツキノ君、君だったんだよ」

 メリア王家というのは俺が思っているよりもずっと人間関係が入り組んでいるようで、俺はアジェさんの語る人物を一人一人反芻するように頭に刻んでいく。

「メリア王の子として生まれた君の性別はどちらとも判別しがたくて、レオンさんとルネちゃんは君が大きくなって自分で性別を決められるように、公には君を男女の双子として公表した。実際子供は一人しかいないんだけど、そこは内密に、身内だけに知らせる形でそうしたんだけど、そんな時に事件が起こった。幼い君と乳母が襲われ攫われそうになったんだ、その事件自体では結局何も起こらなかったし、犯人もすぐに捕まったんだけど、君の両親はこんな事がもしまた起こるようだと、君の秘密が公に晒されるんじゃないかってそう思ったんだよ」
「それで俺は……」
「そう、それでツキノ君はファルスに送られたんだよ。明文上は病気療養、だけどそれは違うってもう分かるよね?」

 何故俺はメリアの両親の元で暮らせなかったのか、それは両親が俺を想っての事だったのだとようやく分かった。それを今まで告げられなかったのは、まだ俺が自分の性別の話を聞いていなかったからで、きっと養父母はその話と同時にこの話もする予定だったのだろう。

「それでここからが大人の事情その2になるんだけど、本来ならツキノ君が自分で性別を決めたのならもういつメリアに帰ってもらってもいいんだよ、だけどね、今メリアはちょっとした過渡期に立っているんだ」
「過渡期?」
「そう、今、メリアは大きく変わろうとしている、これは本当に重要な案件だから絶対口外したら駄目な話なんだけど……メリアはもうじき王政を廃止します」
「……王政の廃止?」

 王政の廃止という事はメリアという国に王様がいなくなるという事だ、そんな事になったらメリア王国はどうなってしまうのだろう? あの纏まらない国を一体誰が纏めるのだ?

「これはね、もう先代の王様が亡くなった時点から始まっていた話なんだよ。もうその時にはこうなる事は決まっていた。だからレオンさんは本当に形だけの王様だったんだけど、そこの所を分かっていない人が多くてね……」
「でも……王様がいなくなったらどうやって国を纏めるんですか? ただでさえメリアは小さな諍いの絶えない国なのに……」
「その小さな諍いを無くすためだけの王様だよ、諍いさえなくなれば後は国の頂点に立つ人間は国民が決めればいい。国民主権の国、メリア王国は王国を廃してメリア民主国家になるんだ」
「民主国家……」
「そう、そうなったらツキノ君も王子様じゃなくてメリアという国の一国民になる。もう誰に狙われる事もなくなるはずだ」
「そう……なんだ……」

 王の子として国を継いでいかなければならないのだと思っていた俺の肩から一気に力が抜けた。
 確かに俺には誰も何も言わなかった、王の子として相応しい人間になれなどと言われた事は一度も無い。ただ恙なく成長を見守られ、好きなように生きろと育てられた、それはそういう事だったのか……

「でもやっぱりね、まだまだメリア国内には反発もあるんだよ。ある意味今が一番ツキノ君にとっても王家にとっても危ない時期なんだ、だから今はまだツキノ君にはメリアに戻って欲しくはないんだよ」
「危ないって?」
「色々な利権問題が絡んでくるんだよ。王家に追従して利を得ていた人達は王政の廃止にいい顔はしない。逆に国民主導の国になる事で利を得ようとする人も動いている。今前者の人達はレイシア姫のバックに付いて動いているし、後者の人達は自分達が国を動かし自分の利益にしようと動いている。レオンさんが求めている国民主権とは違うんだよ、自分の為に動く人じゃ駄目なんだ、あくまで国の為に国民の声を聞ける人じゃなきゃ駄目なのに、そんな人達も動いていて、そんな人達の中でレオンさんは慎重に時期を窺っている、今はそういう時期なんだよ」
「俺は逆に邪魔って事?」
「そんな身も蓋もない言い方はどうかと思うけど、今ツキノ君がメリアに帰ったら擦り寄ってくる人間は幾らもいるんじゃないかな。その中の狸や狐を全て綺麗に捌けるほど、君はまだ大人じゃないし、そこまで世間を知らないよね? だったら全て片付くまでここ、ファルスにいた方が安全だと考えるのは誰しもが考える事だ。だからこれが大人の事情その2、なんだよ」

 結局俺には何もできないと最後通告を突き付けられた。気負って、意地を張って、何でもできる気になっていても、結局俺は子供でただひたすらに守られるだけの存在だったという事だ。
 高飛車にメリアに帰ると言い張って、カイトを振り回し、帰れば何かができると思っていた俺だったけど、実際何もできないただの子供なんだ……

「ファルス国王のブラックさんはこのメリアの民主化を後押ししている。それが何故かと言えば、もしこのメリアの民主化が上手くいったらファルスも王政を廃して民主化を諮ろうとしているからなんだ」
「え……? なんで?」

 突然突拍子も無い事を言われて俺はまた混乱する。メリアの民主化は分からないでもない、メリアの混乱はその独裁政権でなされた過去があり、国民は王家をあまり好いてはいない。けれどファルス王国は別段王家と国民の間の垣根もそこまである訳ではなく、至って良好な関係を築いている、なのに何故王政を廃する必要がある?

「親父自身が王家という物を嫌がっているんだよ。それは俺の弟のジャンも一緒でな、継がなくていいなら継ぎたくないと考えている、実際国をひとつ背負うというのは重責なんだ、王自身がそれを望むのなら俺達は止める事はできない」

 エドワード伯父さんは難しい顔はそのままで腕を組んでそう言った。

「そういう事、メリアの民主化が上手くいったらたぶんファルスもそれに続くだろうね。だからね、今はメリアだけじゃなくファルスも巻き込んでの大きな国の転換期なんだよ。ツキノ君がメリアに帰って何かできる事をしたいって思う気持ちは分かるんだけど、あともう少し待ってもらえるととても助かるんだ」

 アジェさんはそう言ってやはり静かに微笑んだ。

「俺は……やっぱり何もできないんだ……」
「何もできない訳じゃない、君がここファルスで健やかに暮らしている事が君の両親にとっては何よりも心の支えなんだよ、だからレオンさんもルネちゃんも頑張ってるんだ。君は元気でいてくれさえすれば、それでもう彼等の役には立っている」
「…………」

 俺は知らない事ばかりだ。自分の事なのに何も知らない。そんな風に両親が想ってくれていた事も、養父母が両親のその想いに応えるように俺を伸び伸びと育ててくれた事も何も知らずに我が儘ばかり、なんて自分は愚かで思慮が足りないのかと改めて思わずにはいられない。
 また少し頭がぐらりと揺れた。まだ血が足りないのだろう、それに一度にたくさんの情報が詰め込まれて混乱もしている。

「ツキノ君、顔色悪いけど、大丈夫?」
「え? あぁ……たぶん……」

 そう続けた俺の横にいたカイトが慌てたように俺の額に手を当てた。

「ツキノ、また体温上がってる。無理しちゃ駄目だ、元々今日は調子が悪いんだから」

 言われてみればなんだかふわふわして何もかもが夢のようにも感じられる。そもそも今日起こった事はまるで悪夢にも似た夢のような出来事だし、今現在話し合いをしている内容もまるで夢の中の出来事のように感じられる。

「ツキノ、あんたはしばらく休みなさい。身体の急な変化にあんた自身が追い付いてないのよ」

 ルイ姉さんがそう言って、俺の身体を支えるように抱き起こしてくれた。
 「子ども扱いするな!」と怒りたい所だったが、なんだかそんな気力も湧かない。ルイ姉さんの身体は柔らかくて母さんの匂いにも似たいい匂いがした。

「ルイ姉さん、僕が連れてくよ」
「いいえカイト、あなたはここにいて。今のツキノにあなたは毒よ、この子を想うなら少しだけ手を離してあげて」
「毒……?」

 カイトが驚いたような顔をこちらに向けた。毒? 一体どういう意味なのだろう? でも俺にはもうよく分からない。俺はルイ姉さんに支えられ寝室に連れ込まれてベッドに寝かされた。

「今は何も考えずに眠りなさい」

 姉さんの手が優しく俺の頭を撫でる。その姿は母の姿に重なって、泣いてしまいそうだった。


  ※  ※  ※


 リビングに取り残された僕は憮然としていた。ツキノはルイ姉さんが連れて行ってしまった。僕だけがツキノの世話を焼けるこの僕の城で、ツキノを連れて行かれてしまった。

「カイト君?」
「僕が毒ってどういう意味!? 僕はただツキノと一緒に居たいだけなのに! なんでそんなささやかな願いまで僕から取り上げようとするの!?」

 僕とツキノは『運命の番』なのだ。『運命』の2人は離れられない、世間でもそうだと言われている。

「カイト君落ち着いて。別にカイト君からツキノ君を取り上げようとしている訳じゃないんだよ、ただツキノ君もカイト君もまだ知らない事がたくさんあって、この機会に少し考えてみようかって提案なんだ。カイト君がツキノ君を大事にしてる事はよく分かってる、だけど、それだけの閉じた世界で2人が暮らすには君達の抱えている物は大きすぎてどうする事もできないんだよ」
「僕達の……? それってなんなんですか?! 僕達は今までだってこうやって2人で生きてきた、僕達は2人で居ればなんでも出来る! 僕達はいつでも2人で……!」
「だからこそだよ、2人でならなんでもできた、じゃあ1人になった時どうするの? 君達はいつでも2人一緒で、2人なら何でもできたかもしれないけど、お互いに何らかのアクシデントがあった場合1人で対処ができるのかな?」
「そんなの……」
「できるって断言できる? ううん、今のカイト君なら大丈夫かもしれない、だけどツキノ君は? 今カイト君はツキノ君が1人で居る事にすら不安を感じてるんじゃない?」
「それは……」

 僕は言葉に詰まった。確かに今のツキノを1人にする事に僕はとても不安を感じている、この家で閉じ込もり、ツキノが「おかえり」と僕だけを待っていてくれる事に安心している。ツキノが1人でどこかへ行ってしまうのに、僕は計り知れない恐怖しか感じないんだ。

「それはとても危険な傾向だよ。常に2人でいれば良いのかもしれないけど、離れた途端に均衡を崩す。僕ね、グノーから聞いてたんだ、ツキノ君はカイト君がここイリヤに戻ってから急に言う事を聞かなくなったって。時期的には普通に反抗期だと思うよ? だけど、君と離れる事で心の均衡を崩している事は間違いないよね?」
「でも、だけど……」
「カイト君もカイト君で生活の全てが目の前のツキノ君の事で一杯過ぎて自分の事、何も考えてないでしょう?」
「自分の事……?」
「そう、君の置かれた立場の事だよ、カイト君」

 そう言って叔父さんは僕を見据えた。僕の立場って何?僕は薬剤師の母を持つただの一介のファルス王国騎士団員カイト・リングス、それ以外の何が僕にあると言うのか?

「カイル先生はカイト君には何も?」
「話してないよ、話す気もなかった。カイトは僕の息子、僕だけの息子、それでいいと思ってる。それは今でも変わらない」
「やっぱりランティスに戻る気もないんだね」
「戻らないよ、王家に関わりたくないし、僕は王家に仕える事はできても、王家の人間になんてなれないから」

 母がきっぱり言い切った。それはあの時僕の父親、エリオットにも言っていた言葉だ。

「でも父さんはあの人が好きなんだよね? あの人は本当に父さんの『運命』なの?」
「それはたぶん間違いない。あの人は僕の『運命』だった。だって後にも先にも僕がαに狂ったのはあの人にだけだったんだ。Ωとして欠陥品の僕に子供ができたのもその証拠だと思っている。僕は彼を愛しているけど、国を背負う立場の彼の横には立てなかった。僕には立つ資格もないんだよ」
「好きなら! その人を愛しているなら、どうして離れたりできるのか、僕には分からない!」

 僕の叫びに、母はこちらを見やり微かな笑みを見せたのだが、それはどうにも自嘲の笑みにしか見えず、僕は母に不審顔を向けてしまう。

「カイト、僕はね、彼を殺そうとした事があるんだよ……」
「え……?」
「自分の研究費を稼ぐ為に違法な薬を手に入れようとして、それを脅された僕は王子暗殺に加担した事があるんだ。そんな人間が何をのうのうとどの面下げて王妃の座に収まれる? しかも出来損ないの男性Ωが王妃? そんなのあり得ない。僕は彼を愛してた、だけど僕自身がそれを許容できなかったんだ」

 母から語られる、信じられないような話に僕はまたしても言葉を失った。

「父さんは自分の『運命』の相手を殺そうとしたの?」
「その通りだよ、だけど王子はそれを知ってなお、僕を愛してくれたんだ。あの人はね、本当に真っ直ぐなだけなんだよ」

 『運命の番』は、ただ愛し愛され幸せを享受するだけの間柄だと思っていたのに、両親や育ての親、叔父さん達を見ているとそんな事は一概には言えないのだとそう思った。

「カイト君にはね、それでも兄エリオットの血が流れているんだよ。僕もそう、王家の血は決して消えない。関係ないと突っぱねても変えることはできないんだ。僕もそのせいで色々な事件に巻き込まれた、それはたぶんカイト君も同じ。今ね、ランティス王家の跡継ぎは2人いるんだよ、兄のエリオット王子と弟のマリオ王子、だけど2人共結婚していないし、その後がいない」
「え……?」
「君はランティス王家にとって現在唯一の次世代の王子なんだよ」
「え、いやいや、だって2人も王子がいるんだったら僕なんて関係ないでしょう? もし僕の父親が王家を捨てたとしても、まだ下に弟がいるんじゃないですか!」
「マリオ王子は昔から身体が弱くてね、今もそこまで健康体って訳じゃないんだよ。本当はエリィが跡を継ぐのが一番いいんだ、エリィは国民からの信頼も厚いし王としての資質も充分だからね、だけどエリィはそれを全部投げ捨てようとした、それが何故だか分かるよね?」
「父さんがここにいるから……?」

 叔父は静かに頷いた。

「エリィはカイル先生が王妃に収まってくれれば素直に王位を継ぐつもりだったと思う、だけど先生がそれを嫌がった」
「アジェ君まで僕を責めるのですか! 僕は……!」
「先生を責めている訳じゃない、僕にはどっちの言い分も分かるから、だから僕は先生にもエリィにも肩入れはしなかった」
「僕だってせめて妾の立場ならまだ許容はできた、王子が正式に王妃を娶って、そちらに子を成して光の中に立っていてくれたら僕はそれを見守る事だってできた、だけど王子は僕をその光の中に引き上げようとする! 口さがない者達は皆言いましたよ『王子は身近にいたΩに誑かされた、あんな者を王子の傍に置くからだ』とね。僕自身もそれは思っていた事で、何度も王子には見合いを勧めた、だけど王子は決して首を縦には振らなかった。『俺はお前意外を妃にするつもりはない』と頑なで、だけど僕はそんな物にはなれない、そんな場所に立っている自分が想像できなかったし、何より自分が自分として生きられなくなるのがどうしても嫌だったんだ!」
「エリィは先生を本気で愛しているから……」
「そんなの、分かっているんですよ……」

 母さんは両手で顔を覆ってうな垂れる。両親の間にはちゃんと愛があったのに、それでも2人が2人共譲れない所があって、そして今の現状なのだと僕は理解する。
 母は好きで僕の父親から逃げ出した訳ではなかった。

「カイル先生の事はカイル先生が決める事で、僕には何の口出しもできない。だけど、エリィは知ってしまった、自分に子供がいる事をね。今、エリィはランティスに戻ってる、たぶんだけど間違いなく王家の人達に君の存在は知られてしまったと思う」
「え……?」
「エリィはそういうの黙ってる人じゃないから、城に戻って自分には子供がいた事を王様にも家臣の人達にも報告したと思うよ。だからカイト君はもう今、ランティス王家にとっては王子の子、王位継承権第二位の王子として数えられてしまってると思う」
「は!? ちょっと待って!? なんで!? 僕嫌だよ! 冗談じゃない!」
「気持ちは分かるけど、仕方がない事なんだよ。僕自身だってそうなんだ、嫌だと思っても、関係ないって主張しても周りがソレを許さない」

 僕が王子? ランティス王位継承権二位? そんな馬鹿な!

「さっきメリアとファルスが国の転換期だって言ったと思うけど、それはランティスも同じでね、これからランティス王家も大きく変わっていく可能性がある」

 叔父さんは淡々と言葉を重ねていく。

「……? 今度は何? 僕には関係ないよ!」
「関係はあるんだよ。これは君がランティスに関係なくてもツキノ君がメリア王家の関係者である限り君にも関係してくる事だ。メリアが国民主権の国に変わろうとしている事はさっきも話したけど、それに反対している人間は思いの外多いんだ。一体どういう人達か分かる?」
「そんなの……さっきも言ってた王家から利益を受けてた人達とか……そういう……?」
「うん、そうだね。その中にはメリア王国がランティス王国と諍いを起こす事でお金を稼いでいた人達もいるんだよ。例えば武器を売る武器商人、例えば争いに乗じて人攫いをして人を売りさばく奴隷商、そして争いによって武勲を立てて出世を掴みたい兵士とかね」
「な……自分の出世の為に争いを起そうとする奴がいるって事!?」
「そういう人も中にはいるんだ。そしてね、それはメリアだけの問題じゃない、同じような考え方をする人間がランティスにもいるんだよ。争いを起こす事で彼等は利益を得る、争いがなくなると稼ぎが減る人達は、自分の為にどう動くと思う?」
「まさか、自分達で争いの種を撒く……?」
「正解、表向き争っているようでいて裏で手を組み民衆を煽っている人達がいる、それはメリア、ランティス双方にいて、そんな人間が今、ファルスにも火の粉を振り撒こうとしている」
「そんな……」

 武闘会の時にあった幾つかの事件、『Ω狩り』『王都爆破未遂』それに付随する様々な事件、それらをツキノの祖父は綺麗に片付け隠蔽してしまったが、それがそういった人間が自分達の利益だけを求めて行った身勝手な事件だとしたら……

「許せない……」

 たくさんの人間を危険に巻き込んだ。下手をしたらここイリヤは火の海で、街自体も消えてなくなっていた可能性すらあったのだ。

「エリィはね、知らなかったんだ。ううん、エリィだけじゃない、ランティス王家は何も気付いていなかった。僕たちも気付いたのはまだ最近で、知りようもなかった。だけど、いち早くそれに気付いたファルス国王陛下がエリィを連れてその現実を突き付けた」
「何? どういう事?」
「ツキノ君が襲われた時、そのままエリィ姿を消しただろ? それはブラックおじさんがエリィを連れてメリアとランティスの国境に彼を連れて行ったからなんだ。エリィは本当に何も知らなかったんだよ、メリアの民がランティスの人達にどう扱われているのか、なんでメリアの人達がランティスに争いを仕掛け続けるのか」

 叔父の顔からは笑みが消えている、それだけこの話しは軽い話ではないという事だ。

「メリアは元々貧しい国なんだ、争いが絶えなくて民が定住できる土地が少ない。それでもここ数年でだいぶ良くなってきたんだ。だけど、それを脅かそうとしている人間がいる、それがランティスの商人だ。商人って言うのはお金になると思えば何でもやる、例えそれが犯罪だと分かっていても、やる人はやる。それが闇商人って奴等だよ」
「闇商人……」
「その時見てきた物をブラックさんは僕達にも教えてくれた。幼いメリアの子達を家畜のように扱うランティスの人達、その子達は国境近くで攫われてきたり、親に売られたりした子達だったそうだよ。違法な薬物も蔓延している、大人達は快楽の為にその薬を求め、中毒になって薬を買う金欲しさに犯罪を犯す。その薬も売っているのは闇商人だ」

 何故か母さんが気まずげに顔を背けた。

「ねぇ、カイル先生、あの薬には解毒剤のような物はないの?」
「元々あれはそこまで中毒性の強い物ではなかった、誰かが勝手に調合を変えているんだ、僕だって解毒薬を作ろうとしたんだよ、でも薬は調合ひとつで中身が変わる、あれはもう僕の手には負えない代物に変わってしまっている」

え? 何? どういう事?

「やっぱり、そうなんだ……」
「ちょっと父さん、どういう事!?」

 僕が母を見やると母はやはり気まずげに瞳を逸らした。

「その薬ってね、最初はちょっとした媚薬みたいな物だったんだよ。ノエル君の事は知ってるよね? カイト君はノエル君の父親が誰だったかも知ってる?」
「え……スタール騎士団長、ですよね?」
「うん、そう。じゃあノエル君のお母さんがどうやって子供を作ったか聞いた?」
「え……? え? そりゃ普通にやる事やればできますよね?」
「やっぱりそこまでは聞いてないか……あのね、スタールさんはもう何年も前からずっと男性機能が役に立たないんだよ。あんまり大っぴらに言う事じゃないけどアレが勃たないんだ。それでもノエル君ができた、それはどうしてか? その理由がカイル先生が作った『媚薬』だよ。ノエル君のお母さんはスタールさんに薬を盛って子供を作った、その媚薬が今メリアで中毒症状を引き起こしている薬物なんだよ」

 僕はまじまじと母を見やった。

「なんで……」
「言っておくが、アレは元々そういう物じゃなかった! ただ少し性的興奮を起させるだけの簡単な薬だったんだ。勿論中毒性もないし、後に後遺症や副作用が残るような物ではなかった! 僕が作ったその媚薬を誰かが悪用して、悪い薬物に変えてしまった! 僕がその事に気付いた時にはもう、それは僕の手には負えなくなってた!」

 母は悲しげな、それでいて少し苛立ったような表情でそう僕に告げた。

「薬って言うのは本来人の役に立つものでなきゃ駄目なんだ! 僕は常にそういう物を作ろうと努めてきたし、実際そうしてきたつもりだ! なのに、僕のその可愛い子供達を悪用しようとする輩はいくらもいて、僕はそれに辟易していたのにまたこれだ! 僕は失望しているんだよ、ランティスという国はもう腐りきっている!」
「どういう事?」
「その媚薬を先生が作ったのは、もう10年以上前の話で、君との生活を維持する為に先生はその薬の調合レシピを売ったんだよ。そのレシピを元にその媚薬を麻薬に変えてしまったのは、やっぱりランティスの商人だったんだ……」

 沈黙が落ちる。まさかそんな事が実際に起こっているだなんて知らなかったし、僕には理解できない事ばかりだ。

「エリィはそんな事実を知って、今大慌てで事の次第を調査しているはずだよ。何だかんだでエリィはランティスという国が大好きで、口で何を言った所で祖国を捨てられる人間じゃないからね」
「そう、なんだ……」

 まさか、この一連の事件に自分の親が関わっているとは思わなかった。そして今、僕の父親はその事件の真相を掴むべく奔走しているという訳だ。

「でも、それでも、それは僕には関係ない事だ」

 僕の言葉にアジェさんは少し表情を翳らせた。

「確かに君には関係のない事かもしれない、だけどその薬によって困っている人はたくさんいるし、ランティスという国が内部から崩壊しようとしている、それを僕は黙って見てはいられない。僕は僕にできる事をしなければいけないと思っている。そしてそれにカイト君も協力してくれたら……と思うんだよ」
「アジェ!」

 エドワードおじさんが、少し険しい顔でアジェ叔父さんを見やる。

「確かにカイト君には関係の無い話なんだよ、これは僕達大人が撒いた種で、それに君達子供を巻き込むのは間違っている。だけどツキノ君がメリアの王子で、カイト君がランティスの王子である事は間違いようのない事実なんだ。君達はもっと世界を見る必要があると僕は思っている。今の君達は2人だけの世界に引きこもっている、それはこれからの君達の未来を考えると、少しだけ僕は不安に感じるんだよ」
「一体、僕に何ができるって言うんですか! 僕はただのファルスの騎士団員で、しかも一番下っ端のペーペーですよ。そんな僕に一体何ができるって言うんですか?!」

 叔父さんは真っ直ぐ僕を見やり「カイト君はランティスという国を見てきたらいいと思う」と僕に告げる。

「本当はツキノ君と一緒にと思ってた、メリアに比べればまだランティスはツキノ君にとっては安全だし、ツキノ君はメリアを知りたいと思っているようだったからね。メリアを知るにはランティスを知るのが一番だ。何せメリアとランティスは兄弟国みたいなものだからね」

 それは僕だって知っている。それは歴史の授業で必ず習う事柄だから。メリアとランティスは、大昔はひとつの大国だった、それをある時兄弟で分けて統治し、そこから二つの国は仲違いして現在の有様なのだ。

「カイトはともかくツキノをランティスに送るのは、私はどうかと思うわね」

 ツキノを連れて行ったルイ姉さんが静かに部屋へと戻ってきた。

「何の話か分からないけど、ランティスは差別の酷い国よ。私みたいな赤髪ほどじゃなくても、黒髪のツキノはあまり歓迎されないと思う」
「うん、そうかもしれないね」
「だったら僕はそんな所にツキノを連れて行くのは嫌だ!」
「うん、だから僕はカイト君がランティスを見てきたらいいと思っているよ。君の両親が生まれ育った国をカイト君は見てきたらいい」
「アジェ君、君は一体何を……?」

 母が戸惑ったような様子で叔父を見やる。アジェ叔父さんは小さく息を吐いて、微かに笑みを見せた。

「ここからは僕の都合で、僕の我が儘。弟のマリオをファルスに連れて来たいんだ、だけどマリオはどう足掻いても王子様だから、何か理由を付けなきゃファルスに呼ぶ事ができない」
「? 意味が分からない、別に普通に呼べばよくない?」
「マリオは体が弱いんだ、ここ最近はますます体調を崩している、その理由が分からない。そんな状態の王子をランティス王家が無闇に外に出すと思う? 僕は一応王家には認められた王子だけど公には公表されていない王子だよ、弟が心配だからって簡単に弟を呼び寄せる事はできないんだよ」

 叔父が何故突然そんな話を始めたのか分からなくて皆一様に首を傾げる。

「だから僕はマリオに交換留学の話を持ちかけたんだ、ランティスに何人か人を送る代わりにマリオをファルスに呼び寄せたい」
「交換留学……」
「マリオをこちらに呼び寄せる為には、やっぱりそこそこの身分の人間を代わりに向こうに送らなければならなくなると思う、カイト君ならそれにうってつけだ」
「アジェ君! 君は!」
「先生が怒るの分かるよ、だからこれは僕の我が儘だって言ったんだ。だけど、僕はこのまま弟が衰弱していく様子をただ手をこまねいて見ていたくないんだ!」

 母とアジェ叔父さんの間で無言の睨み合いが続いているのだけど、僕にはそれが何故なのかさっぱり分からない。

「僕はカイトを人質になんて出せない! 僕の大事な一人息子だ、そんな事は絶対に許せない!」

 母の言葉に僕は首を傾げる。人質ってなんだ?

「カイト君は人質にはならないよ、だってカイト君はエリィの子だもの、ランティス王家にとっても大事な子だ」
「カイトは僕だけの子だと何度も言っている! 王家は関係ない!」
「それでもカイト君はエリオット王子の子なんだよ」

 母と叔父の睨み合いは続く。

「もし、カイル先生がランティスに行ってくれるって言うなら、僕はそれでもいいんだ」
「僕は、もう二度とランティスの地は踏まないと何度も言っています!」
「マリオは毒を盛られている可能性があるんですよ、それが何の毒物か分からない、先生ならそれが分かるはずだ」
「な……!」
「僕は先生にマリオを診て欲しいんだ、これは薬のエキスパートである先生にしかできない事で、それを考えた時僕に残された選択肢はそう多くは無かった。先生がランティスにもう足を踏み入れないと言う以上、僕はマリオをファルスに連れてくるしかない、だけどその為には誰かをランティスに差し出さなければ無理なんだ。そんな中で送り出して、一番安全だと思えるのがカイト君なんですよ」

 母は言葉を失ったのだろう、息をひとつ吐いて「貴方はずるい人だ……」と叔父に向かって呟いた。

「そうです、僕はずるい。自分の目的の為にカイト君を利用しようとしている、だけど、カイト君にランティスを見てきて欲しいって言うのも僕の本音。カイト君の世界はとても狭い、だから僕はもっとたくさんの世界をカイト君にもツキノ君にも知って欲しいと思っているんだ」

 なんだか僕を完全に置き去りにして叔父と母は何かを分かりあったように複雑な表情を見せているのだけど、僕にはいまいち何の話し合いがもたれているのかが分からない。
 そもそも僕、ランティスに行くなんてまだ一言も言ってないし。

「僕、そんな敵の本拠地に乗り込むようなマネ、したくないです」
「敵って……ランティスは君の敵にはならないよ。むしろ君にとってはランティスという国は大きな後ろ盾だ」
「アジェ、無理を通すのは止めろ。本人達にその気がないのに無理にやらせようとするのは傲慢な所業だ」
「分かってる……」

 エドワードおじさんの言葉に叔父さんは僅かに瞳を伏せた。

「だったら私、カイトの護衛に付いて行きましょうか?」
「え……?」
「あぁ、でも私のこの髪と瞳じゃ、逆に変に睨まれるかしら。だったらうちのユリウスでもいいわ。あの子もやればできる子だから、カイトの護衛くらい務まるはずよ」

 黙って聞いていたルイ姉さんが突然そんな事を言い出して、皆の視線が彼女に集まる。

「それぞれ皆事情があるっていうのはよく分かった。アジェおじさんは弟さんを助けたいけど、カイル先生はカイトを危険に晒したくはない。だったらどっちの願いも叶えましょうってこと。私達がこの国の中でも指折りの剣の使い手だって事、皆知ってるでしょ?」

 ルイ姉さんは騎士団には入っていない、けれど彼女の腕が立つことは誰もが知っている事実だった。武闘会の一般部門で毎度優勝を攫っていく彼女は既に「殿堂入り」といえば聞こえはいいが、実質の出禁である。
 『お前が出ると他の奴等がビビッて出てこない』と言っていたのは彼女の母親グノーである。彼女はそんな言葉に不服顔をしながら『私より強い人が出てくればいいだけじゃない!』とむくれていた。
 そんな彼女の理想の人は「私より強くて、私を守ってくれそうな人」な為、今の所彼女に恋人ができる気配はない。とてもモテる美女なだけに勿体ないと言わざるを得ない。

「お嬢、その気持ちは有り難いけど、僕はカイトをランティスに送る気は……」
「カイトは? カイトはどう思ってるの?」
「え? 僕? 僕は、なんかよく分からないんだけど……僕が行く事で助かる人がいるって事、なのかな?」
「うん、事態は一刻を争う。僕は弟を助けたい。無理を言っているのは重々理解しているけど、できればカイト君にはランティスに行って欲しいと思ってる」
「カイト、よく考えるんだ。これはお前を人質にマリオ王子をこの国に呼び寄せようって話なんだよ。もし万が一この国でマリオ王子に何かあったらお前は人質としてランティス側に処罰される可能性もあるんだ」
「え……? そうなの?」
「そういう側面も確かにあるのは否定できない。だからこその君なんだ。君はエリィの子、ランティス王家の血を引く子、だからいざという時に向こうが手を出せない相手、それが君なんだよ」

 母が先程から頑なに叔父さんの言う事に反対する意味がここにきて分かった。王子と引き換えにランティスに行く人間はいわば「人質」、王子にファルス側の過失で何かがあった場合、それ相応の処罰を受ける人間、それが僕という事だ。
 確かに僕は王子の子、それを前面に出してしまえば相手は僕に手出しはできないのかもしれない。

「僕、行くのはいいですけど、あの人の息子を公言するのは嫌です」
「それを公言するのはいざという時だけでいいよ。別に大手を振って言う必要はない。マリオに何もなければこれは本当にただの交換留学で終わる話だ、僕は勿論それを望んでいるし、君を危険な目に遭わせたい訳じゃない。ただ僕が君を押すのは僕にとっては『保険』なんだよ」
「保険……」
「そう、保険。何かあった場合、大きな諍いにならないように掛ける保険」

 そのくらいアジェ叔父さんの弟、マリオ王子の容態は悪いという事なのだろう。そんな状態で果たしてその彼はファルスに来る事ができるのだろうか?
 今、僕がツキノと居る事を、2人の世界で生きる事を良しとしないというのなら、今僕ができる事などたかが知れていて、だったら僕は外の世界を見てみるのも悪くはないとそう思った。
 僕が世界への視野を広げてツキノに何かしてあげる事が増えるのなら、僕はそれもアリかな? とそう思ったのだ。

「カイトはΩだ、まだツキノと番にもなっていない! 都会にはαがいくらもいる、そんな危険な事……」
「そこも私達が守るわよ。私もユリウスもα、αの護り付きのΩに手を出そうとする馬鹿の数はそう多くはないわ」
「君達にだって番はいない。番のいないαはΩのフェロモンに惑わされる、カイトが危険な事には変わりない」
「カイトのフェロモンなんて元々大して量も多くないじゃない。ちゃんと番になってるうちの両親の方がよっぽど匂うもの、私達が惑わされる事はないわよ。長年兄弟みたいに暮らしてきて、カイトの匂いに惑わされた事も一度も無いわ。ヒートの時は別かもしれないけど、最近は抑制剤も良い物が増えたしね。これは先生のおかげでしょ?」

 ぐっ、と母が言葉に詰まった。
 「私、先生の薬は信用しているのよ?」と続けられたルイ姉さんの言葉に、母は完全に黙り込んでしまう。

「今まで僕の事なんかずっと放りっぱなしだったんだから、今になってそんなに心配する事ないのに……」

 僕が放った言葉に母は更に情けない表情をこちらに向けたのだが、僕、間違った事言ってないよね?

「親が子供の心配をして何が悪い……」
「うん、それは分かるんだけど、それでも今まで僕ずっと放置されっぱなしだっただろ? 今更そこまで過保護にされるの、なんか変な気持ちだよ」
「この国にいればお前は安全だと思ってた。お前を守ってくれる人間はいくらもいたから。だけどランティスは別だ。あそこは魔窟だよ、誰も信用できない」
「父さんの故郷だろ?」
「だからこそだ。僕はあの国には何度も裏切られてきてる、だから余計に嫌なんだ」

 母は指を組んでその手の上に額を押し付けるようにしてうな垂れてしまった。
 なんだか凄く悪い事してる気分になるんだけど、こんな母の姿を初めて見た僕はちょっと驚いてもいる。一体ランティスという国はどういう国なのか、俄然興味が湧いてきた。
 それは不謹慎であるのかもしれないけど仕方がない、好奇心には勝てないのだから。

「僕、ランティス行ってくるよ。どれだけの魔窟かこの目で見てくる」
「カイト!」
「僕は大丈夫だよ、だから父さんは叔父さんの弟さん治してあげて。父さんは人の役に立つ薬を作るのが仕事なんだろう? だったら悪い薬で弱ってる人を助けるのも父さんの仕事だよ、ね?」
「カイト……」
「その人が回復したらすぐに戻ってくる。父さんの頑張り次第なんだよ? マッドサイエンティストの本領発揮じゃない?」

 母は困ったような複雑な表情でこちらを見やるのだが、うん、僕もう決めた。ランティスに行ってくる。行ってこの目でそこがどんな国なのか見極めてこようと思う。
 差別の多い国だと聞いてる。好きになれる可能性は限りなく低いけど、僕は何も見ずにそれを決めるのは間違っていると思うから。

「ありがとう、カイト君」

 叔父さんは叔父さんで少し泣きそうな笑みで僕を見やった。優しい叔父さん、そうやって自分の周りの人を少しでも助けようって頑張っているんだね。

「でも、ひとつだけ約束して。僕がいない間、絶対ツキノを守ってね。ツキノは偉そうな時も多いけど中身は意外と繊細で傷付きやすいんだ、人に誤解されることも多い。ツキノは1人でなんでも抱え込む、だから潰れないようにちゃんと見てて」
「分かった、約束する。ツキノ君の事は僕達がちゃんと守る」

 叔父のその言葉に頷いて、僕はランティス行きを決めたんだ。
 「そうと決まったら……」と叔父さんは席を立ち、「僕、あちこち根回ししてくる。根回し終わったらまた来るから」と、我が家を後にしていった。勿論その後ろにはエドワードおじさんも続いて付いて行く。本当に仲が良い。
 「私も父に報告してくるわ」とルイ姉さんも席を立ち、残された僕と母は言葉もなく、沈黙だけが支配するリビングに二人、無言で座り込んでいた。

「カイト、本当に行くのかい……?」

 沈黙を破ったのは母だった。

「うん、行く。僕がツキノにとって毒になるって言うなら、僕はここに居るべきじゃないし、ツキノの傍に居られないなら、僕は少しでもツキノの役に立てる自分になりたい。その為にもっと世界を知る必要があるって言うなら、僕は世界を見てみようと思う」

 母は諦めたようにひとつ溜息を吐いた。

「メルクードには僕の実家がある、何かあったらそこを頼ればいい。妹はナダールの弟と結婚している、ナダールの親族もお前を無碍には扱わないはずだよ」

 母の口から初めて母の親族の話が出てきて僕は驚きが隠せない。

「父さん、ちゃんと家族いたんだ……」
「僕をなんだと思っているんだ、いるに決まってるだろ。もう随分長い事音信不通の親不孝者だけど、お前の祖父母だってちゃんと生きてる」
「今まで一度だってそんな話し、した事なかっただろ」
「会わせるつもりがなかったからね。誰に会わせても迷惑をかけるばかりだから」
「潔いんだか、身勝手なんだか分からないよ」
「そんな生き方しかできなかったんだ。だからこそお前には地に足の付いた生活をして欲しかった。そんな僕の想いを汲んで、グノーとナダールはお前をそうやって育ててくれた。感謝してもしきれないよ」

 母はそう言って微かに笑みを見せた。その笑みは今まで見た事のない母の笑みで、少しだけ胸が痛かった。

「父さんはどうして、僕を生んだの?」
「言わなかったかい? 子供が欲しかったんだよ」
「僕を生んだ事で自分の自由が制限されるのに?」
「それは……僕がお前を放ったらかしにした事を遠まわしに責められているのかな? はは、そう言われても仕方がない事を僕はしてるんだけど、それでも僕はお前を生んだ事を後悔はしていない。お前は誰にも譲れない僕の宝物なんだ」
「母親らしい事、何ひとつしてくれなかったのに……」

 拗ねたように僕が言うと、母は困ったようにまた笑って「カイト、僕の手料理食べてみる?」とそう言った。母の手料理なんて一度として食べた事の無い僕は驚いて「作れるの!?」と思わず叫んでしまった。

「失敬だね、作れない訳じゃない、ただ致命的にセンスがないだけだよ」
「それって作れるって言う?」
「生き永らえる事はできるだろうけど、お前の味覚は確実に壊れてたと思うよ。グノーの作る料理は美味しいよね。その腕と舌をそのまま引き継いだ、お前の作る料理は本当に美味しい。僕が育てていたらこうはいかなかった。それは家事も生活能力も同じ。しなかったんじゃない、できなかったんだよ」

 そう言って母は笑いながら台所に立って何やら料理を始めた。手際は決して悪くない。そもそも薬の調合は料理にも似て繊細な物だ、よく考えたらできない訳がない。
 そのうち漂ってきた料理の匂いも悪くはないのに、いざ出された料理を一口食べて、僕は複雑な表情を浮かべてしまう。

「なんであの手際で、これだけいい匂いしてるのに、こうなっちゃうの?」

 その野菜たくさんの煮込み料理は、とても良い匂いを漂わせているのに、何故か味がほとんどしない。味付けちゃんとしてるのかな? いや、確かにしてたよね?

「こういうのをセンスがないって言うんだよ。もう少し味付け濃くすると今度は辛すぎて食べられた物じゃなくなる。やってみようか?」
「いい、食材が勿体ない!」

 僕は鍋にその煮込み料理を戻して、自分の味覚で味を整える。だけど、何でかな? いつもと同じようにいかないのはベースが既に駄目なのか?

「これって本当にセンスの問題? 何が悪いのか全く分からない……」
「それが分かれば僕も苦労はしないんだけど、僕の場合万事が万事この有様でね。本当に普通に暮らすだけっていうのが僕にとっては何よりも難しい事だったんだよ」

 そう言って母は苦笑う。その後、台所を片付けようとした母は洗い物で手は切るし、片付ける場所が分からず適当な場所に放り込もうとするし、僕がちゃんときちんと仕分けている食器の法則性も分からず滅茶苦茶に片付けようとするので、僕は手を出さずにはいられず、壊滅的に家事ができないってこういう事なんだな、と僕は思った。

「父さん、僕がいない間1人で一体どうやって暮らしてたの?」

 母は曖昧な笑みで誤魔化す。そういえば、僕が越して来た時に、母はこの家を買ったのだ。
 僕は母が1人で暮らしていた家の事を知らない。そう思った時、幼い時分時折帰っていた家にはあまり物がなかったなと思い出した。
 もしかして、僕を迎える時には全部捨ててた?この母ならばやりかねない……と僕は少し思ってしまった。

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