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二人の王子
観光 ②
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こんな感じに俺が伯父さん達と観光と称した食い歩きを続けていた数日後、カイトの仕事休みの日に俺達はようやく2人で伯父さん達と出かける事ができた。アジェおじさんはいつも以上の満面の笑みだ。
「今日はね、カイト君もいるから2人がよく行く場所に連れてって」
アジェさんは今日も今日とて上機嫌だ。
「よく行く……? 何処だろう?」
「2人でよく遊んでた場所とかないの?」
「僕がイリヤに越して来たのって一年くらい前で、そこまで遊び場って感じの場所はイリヤにはないんですよね、しいて言うなら……」
「「騎士団の詰所?」」
俺とカイトは声を揃える。義父であるナダール・デルクマンは第一騎士団長だ。当然部下も大勢いて第一騎士団の詰所にはたくさんの知り合いがいる。幼い頃から仕事の合い間に彼等に遊んでもらっていた俺達はここイリヤでも彼等の元をたびたび訪ねていたので、あながち間違っていない。
「えぇ……そんな所で遊んでて大丈夫だったの?」
「ここではそこまで遊び倒してないけど、詰所には大体いつも父さんも母さんもいたし、団員の人達は手が空くと遊んでくれたり、剣の稽古付けてくれたりして怒られた事はなかったかな」
「ふむ、それは城から東へ行った場所か?」
伯父の言葉に俺は首を振る。
「東だったら第三騎士団の詰所じゃないですか? 俺達は父さんの第一騎士団の詰所にいる事が多かったです」
「あぁ、そういえば騎士団は幾つもあるんだったな、忘れてた」
「エディは第三騎士団の詰所なら行った事あるんだ?」
「昔、親父にしばらく騎士団に放り込まれたんだが、確かそれが第三騎士団だった。そういえばあの人、第三騎士団長だったな。もうずいぶん会っていないが、まだ騎士団長をやってるのかな?」
まさか伯父がここイリヤで騎士団員をやっていた事があったというのは驚きだ。しかも武闘派揃いの第三騎士団。そこに入れるという事は、相当腕に覚えがないと無理なはずなのだが、一体いつの話なのだろう?
「誰? 僕も知ってる人?」
「第三騎士団長ならアイン団長ですね、知り合いですか?」
「そうそう、アイン・シグ騎士団長。アジェも名前だけは聞いてるんじゃないか? クロードの嫁の兄」
「あぁ! マリアさんの大好きなお兄さま!」
アイン団長に心当たりがあったのだろうアジェさんは両手を合わせるようにしてそう言うのだが、アジェさんの言葉に何故か伯父さんが怪訝な顔で「……なんだ、それは?」と首を傾げた。
「あれ? 聞いた事ない? マリアさん昔は凄くお兄ちゃん子だったみたいで、大好きなお兄さまの話になると、いつもの三割り増しでお喋りしてくれるんだよ」
「そんな話しは聞いた事もない……そもそも俺はあの嫁が話している所を見た事がほとんどないんだが、一体何処でそんな話をしてるんだ?」
「え~メリッサさんの所だよ。僕『騎士の宿』の常連客だからね」
なんだか知らない名前と、知っている名前と、聞いた事があるようなないような単語がぽんぽんと出てきて俺とカイトは首を傾げた。
「なんか最近どっかで聞いたような気がするんだよね『騎士の宿』と『メリッサ』さん。誰だっけ? ツキノ覚えてる?」
「カルネ領ルーンの町……騎士の宿、あぁ! あれだ!スタール団長の!」
「ノエルか!」
何ヶ月か前にあった騎士団員のお祭り『武闘会』に合わせるように現われた年下の少年。
とても体格のいい少年で年下のくせに妙に大人びていて、武闘会に合わせるように起こった事件に巻き込まれ奔走していた。
父親探しをしにきた彼の見付けた父親は、第五騎士団長のスタール・ダントン騎士団長で、昔から顔馴染みのスタール団長にあんな大きな息子がいた事にも驚いたのだ。
料理上手なその腕はユリウス兄さんの胃袋を掴み、漢気のあるその性格は義妹のヒナノの心も掴んでいった。兄さんとヒナノは一時「ノエル君、ノエル君」と二人揃って彼の話をしていたので、その中の話題のどこかにその2つの単語は入っていたのだろう。
確かに彼の住まいは伯父達の住む町ルーンで間違いないはずだ。
「あれ? 2人はノエル君の事を知ってるの?」
「武闘会の時に知り合って、少し話した程度ですけど」
「あぁ、そういえばノエル君色々事件に巻き込まれて大変だったって言ってたっけ。でも無事にお父さんに会えて良かったよねぇ。メリッサさんとは毎日喧嘩してるけど」
そう言ってアジェさんは可笑しそうにころころ笑う。
「なんでそんなに喧嘩を? 反抗期か ?あの子はじーさんに似て物静かな大人しい子だっただろう?」
「あれ? エディは聞いてないんだね。ノエル君ね、お父さんのいる騎士団に入りたいんだって、だけどメリッサさんはそれに反対してるんだよ。コリーさんは好きにしろってスタンスだけど、ノエル君には英才教育で色んな事叩き込んでいて、メリッサさんはそれも気に入らないみたい。でもさ、コリーさんの孫でスタールさんの子だろ? しかも剣の指導してるのがエディとクロードさんだもん、ある意味最強布陣じゃない? 僕、ちょっと彼の将来には興味があるんだよね」
「ノエルは筋がいいからな。そうか、それは聞いていなかった。最近急にやる気が増したと思っていたのだがそういう事だったか。うちのロディにも見習わせたい所だな、将来の展望がきっちりしていていい事だ」
うんうんと納得したように頷く伯父、「次の武闘会には参加するって言ってたから、カイト君もうかうかしてられないかもね」とアジェさんも笑みを零し「僕、アインさんに会いたいです」と手を上げた。
観光コースとは言い難い選択だが、行きたいと言うのなら別に案内するのに否を唱える必要もない俺達は連れ立って第三騎士団の詰所へと歩き出す。
他愛もない事を喋りながら歩いて行く道すがら「あっ! ツキ兄とカイ兄だっ!」と、それだけ叫んで駆けてきた少年にど~ん! と体当たりの勢いでぶつかってこられて俺は思わずよろけてしまう。
「ツキ兄めっちゃ久しぶりっ!」と抱きついたまま言った彼は第三騎士団長の一人息子、ウィル・レイトナーだ。
「ウィル坊……お前は本当にいつも元気だな、離せ」
「当ったり前じゃん! あれ……? なんかツキ兄縮んだ?」
元々体格のいい少年ウィルは年下のくせに俺達と変わらない身長だったのだが、どうにも彼の目線が少し高い。
「俺は縮んでない、お前が伸びてんだよっ! くそっ、カイトだけかと思ってたら、お前もか」
「だってオレ成長期ってやつだし、カイ兄とはそこまで変わってないんだよ、ツキ兄成長止まったの?」
「止まってない! ちょっとのんびりなだけだ!」
悪気がない事は分かっているのだが、悪気がないから余計に言葉が刺さる。
けれど、怒る俺の横で、カイトは俺とウィル坊のやりとりを見て笑っているのだ、ホント腹立つ!
「友達?」
「アイン騎士団長の息子のウィルですよ。こっちは僕とツキノのおじさん達、ウィル坊、詰所にお父さんいる?」
カイトはウィルに簡単に伯父達を紹介してアイン騎士団長の所在を尋ねると、ウィルは「いるよ~」と能天気に笑った。
「今、稽古中かもだけど、呼んでくる?」
「いや、仕事中なら申し訳ない。もし聞けるようなら暇な時間を聞いてきてもらえれば、またその時間に出直す。エドワード・ラングが来たって言えば親父さんなら分かると思う……って、なんだ!?」
ウィルが伯父の言葉の何かに反応して、伯父へと向かって突進してきた。
伯父は突然の事に、張り付いてきたウィル坊を引き剥がしにかかるのだが、ウィル坊は離れない。
「今、エドワード・ラングって言った!? 言ったよね!? おじさん、エドワード・ラング!?」
「えっ……まぁ、そうだが……何なんだ?」
伯父は珍しく戸惑い顔で、助けを求めるように俺達を見やるのだが、俺達もウィルが何に反応して伯父に飛びついたのかが分からなくて、首を傾げるばかりだ。
とりあえずは「落ち着け」とウィルを伯父から引き剥がしたのだが、ウィルの興奮は治まらない。
「オレ、父ちゃん呼んでくる! ここに居てよ! どっか行っちゃ駄目だからね!」
ウィルは興奮を引き摺ったまま、ばたばたと踵を返して駆けて行ってしまい、ますますよく分からない。
「エディってもしかして、有名人なの?」
「いや、さすがにそれはないだろう? 俺がイリヤで働いていたのは20年も前の話だ、その後出た武闘会でさえ10年以上前の話だぞ、覚えてる奴なんかいないだろう。ましてやあんな子供が知っているはずがない」
常に仏頂面の伯父がどうにも困惑顔だ。俺もウィルのあの行動の意味は分からないのだが、その傍らでカイトがひとつ首を傾げた。
「今、おじさんエドワード・ラングって言いましたよね? おじさんの姓は確か『カルネ』じゃなかったですか?」
「あぁ、今はエドワード・R・カルネが正式だ。だがアイン騎士団長なら昔の『ラング』の方が分かりやすいかと思っただけだったんだがな。ラングは育ての親の姓でな、ツキノの祖父、つまりは現国王が昔名乗ってた姓なんだよ」
「え? あれ? 国王の姓って、普通に『ファルス』ですよね?」
「あぁ、そこからか……ブラック・ディーン・ファルスは国王としての名前で、王になる前はブラック・ラングという名だったんだよ。『ラング』は母方の姓らしい」
伯父の言葉に「ブラック・ラング……なんか聞き覚えがある気がする……待って、絶対どこかで聞いてる、誰だっけ?」と、カイトはその名前に反応して何かを思い出そうと頭を捻る。でも言われてみると、俺もその名には何故か聞き覚えがある気がする。確かにその名は最近読んだ本のどこかに記述があった……
「…………伝説の剣豪?」
俺の呟きに「あぁ! それだ!」とカイトは頷く。
「へぇ、ブラックおじさん『伝説の剣豪』って呼ばれてるんだ? おじさん昔から強かったもんねぇ」
アジェさんはのほほんとそんな事を言うが、そんな呑気な話しではない。その剣豪が伝説と呼ばれているのには理由があって、彼の目立った活動期間が非常に短かった為その生存すら危ぶまれてのこの伝説である。
その強さゆえ既に何者かに消されているのではないか、力を過信し過ぎて誰かにやられ、再起不能になったのではないか、という噂まであり現在は完全な行方不明と本には書かれていたのに、蓋を開けてみればその伝説の主は俺の祖父だったのか……?
「あれ? ビックリ? もしかしてツキノ君知らなかった?」
「全然! 聞いてないですよ!」
「そうなんだ。昔、おじさんはルーンで暮らしてた事があってね、その時はブラック・ラングって名前だったんだよ。職業は大工さん!」
「……なんで?」
伝説の剣豪が何で大工? しかもそれが実は国王とか意味が分からない。
「アジェ、子供達が混乱するから余計な事は言わなくていい」
「えぇ、でもあの頃は家族ぐるみの付き合いでさ、なんだか懐かしくない? あのブラックさんが実はこの国の国王様なんだよって言ってもうちの町の人誰も信じてくれないんだよ、可笑しいよねぇ」
「昔の親父と今の親父じゃあ外見は完全に別物だからな。中身は何にも変わっていないのが問題なんだが」
伯父さんは大仰に溜息を吐く。謎は増えるばかりだが、あの自由な王家の気風の元は祖父にあるのだとはっきり分かってしまった。
そうこうする内に、全速力で駆けて行ったウィルがやはり全速力で駆け戻ってくる姿が見えた。
「あ、戻ってきた」
駆け戻ってきたウィル坊はおもむろに伯父さんの腕を掴み「エドワード・ラングさん、こっち! 父ちゃん待ってる! 早く早く!」と伯父を急き立てる。
「えっ? 仕事は? って言うか、落ち着け坊主!」
「そんなのどうでもいいから連れて来いって、だから早く!」
「いや、だからと言ってそんな走る必要は……」
あれよあれよという間にウィルは伯父を連れ去ってしまい、姿が見えなくなってしまう。俺達は唖然としてそれを見守るしかない。
「えっと……エディはどこに連れて行かれちゃったのかな?」
「たぶん間違いなく詰所じゃないかと……俺達も行きますか」
「うん、それにしてもさっきの子、元気な子だねぇ。学校の友達?」
「年下なんで学校で会う事はあまりなかったですかね。あれでいてウィル坊は俺達より4つ下ですよ」
「え? そんなに? ツキノ君より大きくなかった? 最近の子は発育がいいねぇ」
「この間までは同じくらいだったんですよ……」
俺はつい不貞腐れてしまう。
「あぁ、ごめん。僕だってここまで伸びたんだから大丈夫だよ、ツキノ君はお父さんが大きいし、まだこれからだよ」
「叔父さんはツキノの本当のお父さんに会った事あるんですか?」
「ん? あるよ。まだツキノ君が生まれる前の話しだけどね。赤髪の美形で、ルネちゃん、えっと、ツキノ君のお母さんだけど、もう完全な一目惚れでね散々話も聞かされたよ。カイト君は会った事ないんだ?」
「僕がツキノの本当の両親が生きてるって話を聞いたの、まだ全然最近ですよ」
今度はカイトが不貞腐れたような表情を見せた。
「え? あれ? そんな感じ? でもツキノ君は会ってるよね?」
「何年か前に一度だけ……」
「え? 待って? 本当に?」
アジェさんは俄かに驚いた表情でうろたえた。俺が実の両親に会ったのは数年前、しかも本当に短い時間で『この人達がお前の本当の両親だよ』と告げられた相手は、先程アジェさんも言った通りに赤髪の大きな男性と黒髪の女性だった。
まだ幼かった俺は、そんな事を言われてもすぐに打ち解ける事もできず、ずっと養父の背中にへばりついていたので、記憶としては2人の記憶は曖昧だ。
しかも時間的にもほんの数時間で彼等は帰ってしまい、結局ほとんど話す事もできなかった。
「あれぇ? そんな感じなの? おかしいなぁ、ルネちゃん手紙ではツキノ君の事色々教えてくれるから、もっと頻繁に会ってるのかと思ってたよ」
「俺、母親の顔なんて朧気にしか覚えてないですよ」
俺の言葉にアジェさんは少し悲しげな表情で「会いたい?」とそう言った。
「実感が湧かないんですよ、本当の親とか言われても、実際本当によく分からなくて……」
それは俺の正直な気持ちだった。会いたい気もするが、会ってどうする? という思いがない訳ではない。それでも俺がメリアに帰ろうと思ったのは、その辺の俺のもやもやした感情を解消させる為でもあった。
実際俺はメリア王家に必要とされているのかも分からない、けれどやはり俺は王の子で、何の覚悟もなく暮らしていて呼び戻されるくらいなら、覚悟を決めて自分から戻るつもりでメリア行きを決めたのだ。行ったら最後戻って来られなく可能性もあると分かっていたから、カイトは置いて行くつもりだった。
少し微妙な空気になってしまった俺とアジェさんを気遣うように殊更にこやかにカイトが「着きましたよ」と第三騎士団詰所を指差すと、何事か考えている風だったアジェさんははっとした様子でまた笑みを見せた。
詰所の前まで来ると、何やら奥から大きな声が聞こえる。その声はどうやら裏庭の方から聞こえてきていると気が付いた俺達がそちらに向かって顔を覗かせると、何故か裏庭では騎士団員に囲まれた伯父が仏頂面で全員を相手に剣を振り回していた。
俺達は何がどうしてそうなっているのか分からなかったのだが、相手にしている騎士団員も周りで囃し立てている者達も一様に楽しそうな顔をしているので、伯父は問答無用で連れ込まれ、戦わされているのではないかと予想された。
武闘派揃いの第三騎士団らしい歓迎の仕方だが、そんな事はまるで分かっていないのだろうアジェさんは戸惑ったように「何? どうなってるの?」とうろたえる。
そんなうろたえた様子の彼に気付いたのだろう、伯父は騎士団員を一人薙ぎ倒しながら「お前は近付くな!」と声を上げた。
「何? 何なの? ツキノ君、カイト君、どうしよう。僕どうすればいい!?」
アジェさんは顔を青褪めさせているが、実際の所はそれほど動揺するような事ではないのではないかと思った俺は「えっと……とりあえず、こっちで見てましょうか」とアジェさんの手を引く。
伯父達が暴れている場所から少し離れた観客席のような場所にはわくわく顔のウィルがいて、伯父にやられた騎士団員達もそれは楽しそうに笑っていた。
「いいなぁ、僕も参加してこようかな」
傍らでぼそりと呟いたカイトに周りの男達は笑顔で「行ってこい」と囃し立てた。
「え、ズルイ。だったらオレも行く!」
「坊は駄目だ、お前はまだ騎士団員じゃないからな」
「そんなのズルイっ! オレだって闘いたい!」
そんな周りの声を聞いていて、ようやく事態を理解したのだろうアジェさんは「もしかしてこれ、エディ稽古に巻き込まれてるの?」と首を傾げた。
「どうやらそのようですね。あの一番大きい人がアインさん、第三騎士団の団長でウィルのお父さん」
アジェさんは俺の指差す先を見やって「あれ? 女の人もいる?」と首を傾げた。
「女の人も勿論いますよ。ファルスの騎士団はそういうの問わないんで、だからこそ僕みたいなΩでも騎士団に入れる。彼女みたいな先人のおかげでもあるんだけど」
カイトの言葉に「あの人Ωなの!?」と更にアジェさんは驚きを隠せない様子だ。
大きな男達に囲まれて人一倍小さい彼女はとても目立っていて、余計に驚きが隠せないのだろう。
「因みに彼女はウィル坊のお母さん。第三騎士団の副団長ですよ」
「え? 女の人でΩで副団長!? 凄いね! 格好いい! しかも若い!」
「Ω騎士団員にとっても女性騎士団員にとっても希望の星ですよ。本人はまだ今の地位に満足していなくて、騎士団長を狙い続けているみたいですけど」
「へぇ……凄いねぇ。僕も見習わなきゃ」
一般的にΩは一番人数が多いβより劣る人間と言われる事が多い。確かにΩは元来そう強くはない。男性Ωですら、大体は細身で女性的な外見をしていて筋骨隆々なΩなど見た事がない。
実際今目の前で戦っているウィルの母親も見た目は普通の少女にしか見えないし、大男達に囲まれてその姿はより一層小さく儚く見えるのだが、その戦いぶりは男顔負けだ。
彼女はある意味Ωの固定観念を覆す存在と言っても過言ではない。
「グノーも凄いと思ったけど、彼女も凄いね、負けてられないなぁ」
そんな事を話しながら観戦を続けていると、最後には伯父さんとアイン団長の2人だけがその場に取り残された。アイン団長はとても楽しそうだが、伯父さんはただでさえ地の顔が仏頂面なのに更に険しい顔になっていて、ちょっと怖い。
勝敗が完全に着くまで続けるつもりなのだろうアイン団長は、全く引く様子を見せないし、伯父は伯父で、なんとなく分かっていたけれど負けず嫌い全開でそれに立ち向かっていてそこには妙な殺気すら漂い始めた。
「アインさんって強いんだねぇ、エディがてこずるなんて珍しい」
「そりゃあ騎士団長ですよ、うちの騎士団は強さが正義の実力主義ですから弱い訳がない。むしろ伯父さんがここまでアイン団長と対等に戦ってる事の方が驚きですよ」
「エディは僕だけの騎士様だからね」
アジェさんは「うふふ」と笑みを零す。もうそれだけで2人の仲の良さが窺えて羨ましい限りだ。
「でも僕、そろそろ飽きてきちゃったな。これいつまで続くと思う?」
「どうでしょうね、どっちも負けず嫌いっぽいですからねぇ」
見守る騎士団員達は皆一様に楽しそうだが、確かに興味のない人間にしてみたら他人の戦いを観ていて何が楽しいのか分からないというのも分からなくはない。アジェさんはすうっと息を吸い込んで伯父さんへと声をかける。
「エディ! 負けたら今晩お預けだからぁぁ!」
瞬間、伯父がその言葉にぴくりと反応したのが見て取れた。
「おじさん、お預けって……?」
「え? 晩御飯だよ?」
にっこり笑ったアジェさんだが、絶対それ嘘だよね?
険しい表情を更に険しくさせる伯父もなんだかな……仲良いのはいいけど伯父の表情が必死過ぎて、ちょっと可哀相。もしかしていつもお預け喰らってるのかな? となんとなく想像が着いた。
そのうち伯父の剣がアイン団長の剣を弾き飛ばし、決着が着く。
「はぁ……くそっ、キッついわ。俺も歳だな……」
「何言ってんだか……」
2人は笑って拳を合わせる、こっちもこっちで仲良かったんだな。意外。
「父ちゃん、また負けたぁ! そんなんだから万年三位のアインとか言われるんだぞ」
「なっ! 言っておくがナダールとの試合では勝敗は五分五分だぞ、今回の武闘会は不戦勝だったが、やってたとしても父ちゃん絶対勝ってたからな!」
「本当かなぁ? 今だって負けてんじゃん、父ちゃん実はそんなに強くないんじゃない?」
実子だからこそ言えるウィルの辛辣な言葉に、アイン団長はショックを隠せない様子で「そんな事はない!」と言い募るのだがウィルは聞く耳を持たず伯父へと「格好良かった」と懐いていく。
「こら坊主、父ちゃんにそんな事を言うもんじゃない。お前の父ちゃんはちゃんと強いぞ、そうでなかったら俺がここまでてこずる事は有り得ないからな」
「あぁ、そういえば、おっちゃんエドワード・ラングだった!」
「こら、ウィル! 失礼だろう。『エドワードさん』だぞ」
叱る父親を軽く無視して「ねぇ、エドワードさんは本当に凄い人なんですか?」とウィルは満面の笑みで質問を投げるのだが、伯父は戸惑い顔だ。
「何をもって凄いと言うのかはよく分からないが、名前は売れているようだな」
「伝説の剣豪の息子なんですよね?」
「まぁ、それはそうらしい」
「じゃあさ、じゃあさ、伝説のひとつ、壁をロープも使わずに登れるって本当?」
「壁? あぁ、そこの壁とかか? 別にいけるだろうけど……」
「本当に?」
「これくらいならまぁ……見たいのか?」
満面の笑みで頷かれて伯父は仕方がないなという表情を見せたあと、するすると詰所の壁を何の道具も使わず登って行って、屋根の上からこちらを見下ろす。
「うわっ、凄い!」とウィルは歓声を上げ、周囲にいた騎士団員からもどよめきが起こる。
「ねぇ、ツキノあれってさ」
「あぁ、黒の騎士団と一緒だな」
黒の騎士団は王直属の隠密部隊だ。その組織は養父ナダールの下に付いていて、その活躍を目にする事もたびたびあった俺達は、彼等以外にもこんな事ができる人間がいる事に驚いた。黒の騎士団は全員が黒髪黒目で、それは彼等だけの特別な能力だと思っていたから尚更だ。
伯父は上を見上げて寄って来た、見物客にちょっと退けという身振りをして、そのまま屋根の上からすたん! と飛び降り「こんなのでよかったか?」とウィルを見やると、彼は興奮気味の笑顔で頷いた。
「凄い! 格好良い! 俺、おっちゃんに弟子入りする!」
「こら、ウィル!無茶を言うな。すまんなエディ、うちの坊主はまだまだ子供で」
「はは、うちの子もそう変わらない、気にしないでください」
アイン団長と談笑する伯父を、ウィルを筆頭に周りを取り囲む男達も羨望の瞳で見始めていて、俺の傍らに居たアジェさんはそれに少しだけ不満顔を覗かせ「エディは僕のなのに……」と呟いていて、なんだか笑ってしまった。
しばらくすると伯父がアイン団長を連れて人垣を掻き分けてこちらへとやって来た。
「すまんアジェ、待たせた」
「別に大丈夫だよぉ、エディは有名人だもん、僕の事なんか気にしなくていいよ」
少し拗ね気味のアジェさんの態度に伯父は困惑顔だ。
「これは申し訳ない、連れがいるとは聞いていなくて時間を取らせてしまいました。えっと……エディ、こちらは?」
「うちの伴侶でアジェと言います。アインさんに会いたいと言うので連れてきたのですけど……」
「あぁ! 貴方が噂の『アジェ様』ですか。お噂はかねがね」
アイン団長は笑みを浮かべて大きな掌を差し出し、アジェさんもその手を握り返しはしたのだが「噂って何ですか?」と、戸惑った表情だ。
「あぁ、妹からの手紙に貴方の名前はよく上がるので。それにエディからも話しは聞いていたので一度会ってみたいと思っていたのです。お会いできて光栄です」
アイン団長は握った手をぶんぶんと振り回すので、アジェさんは少し振り回されていて、それにも俺は笑ってしまう。
「僕もマリアさんの大好きなお兄様に会えて光栄です。まさかこんなに大きな方だとは思っていませんでした、身長おいくつですか? ナダールさんと同じくらいですか?」
「そうですね、大体同じです。大き過ぎて肩が凝ると妻にはいつも怒られていますよ」
確かに彼等と話す時には必ず上を向かなければならず、ずっとその姿勢でいるのは正直キツイ。アインの妻メグは小柄なので尚更だろう。
「それにしても、そうですか、アジェ様でしたか。正直少し意外です」
「意外? 何がですか?」
「悪く取らないで欲しいのですが、素朴でほっとしたという感じです。エディの周りにはクロードやグノーがいて、そんな彼の入れ込んでいるアジェ様はそれはもう美しい方なのだと勝手に想像していましたので、逆に安堵しました」
「それは……あの2人と並べられたら僕なんて完全に道端の雑草ですよ……比べる相手が悪すぎます」
どよんと表情を曇らせたアジェさんにアイン団長は「変な意味ではないですよ!」と弁明するのだが、そんな言い訳するくらいなら言わなきゃいいのにと思わなくもない。
だがそんな中、2人の会話を聞いていた伯父は「アジェは可愛いから問題ない」ときっぱりはっきり言い切ってむしろ清々しい。
「エディ、そういうのはあんまり大きな声で言う事じゃないよ。ただでさえ男性Ωの妻なんて体裁悪いのに……」
「体裁? そんな物は関係ない。俺にとってはお前が一番で、それを隠し立てする必要などどこにもない」
「だけどね、エディは有名人なんだから……」
「知った事じゃないな」
養父母もとても仲が良かったが、どうやらこちらも大概の熱々夫婦っぽい。養母グノーはやはりアジェさんと同じ男性Ωだったが、彼等もそれを隠し立てする必要はないというスタンスだったので、伯父さんの言い分もよく分かる。養母は女顔で普通に女性だと思われている事も多かったのだが、同じΩでもカイトの母やアジェさんのように完全に見た目は男性だと遠慮する部分もあるのだろう、アジェさんは「あんまり大きな声で言わないで!」と伯父さんの口を手で塞いだ。
彼等のやりとりを見ていた俺の傍らでカイトはぽつりと零す。
「僕も見た目『可愛いお嫁さん』にはなれなさそうなんだけど、ツキノもあんな風に思ってくれる?」
「俺はお前にそんな物を望んでないよ」
「ツキノ、男前、好き」
そうは言ってみたものの、さすがに嫁より小さい旦那のままではどうにも自分の体裁が悪すぎる。早く成長期こないかな……と、思わずにはいられない俺は溜息を吐いた。
「ツキノ君少し顔色悪い? 疲れちゃった?」
第三騎士団の詰所を後にして、俺達は食事でもしようかと繁華街へと向かっていた。俺の隣を歩くのはアジェさんで、彼は少し心配そうな顔で俺の顔を覗き込んでくる。
カイトと伯父さんは少し前を歩いていて、たぶん先程の伯父の立ち回りの動作を反芻しているのだろう、剣を振り回すような動作をしながらカイトは伯父に何かを聞いている風だった。
「あ……少しぼーっとしてただけなんで、大丈夫です。最近ちょっと体が重くて、体力落ちてるせいかも」
「もし体調が悪いなら無理しないで言ってね、毎日毎日連れ回してるの僕だし、無理な時は断ってくれてもいいんだからね?」
「はは、平気です。俺、おじさん達とこうやって出かけるの楽しいです。今まで気にも留めていなかったような物に気付けたりして、俺はこのイリヤの事もあんまり知らなかったんだなって再発見している所です」
「そっか、そう言ってもらえるなら嬉しいよ。僕、あんまりルーンから出ないし、こういうの本当に久しぶりで楽しいんだ」
アジェさんは満面の笑みでにっこり微笑んだ。
「そういえば旅行とか、あんまり出かけないって言ってましたね、何でですか? 伯父さんに遠慮して?」
「うん、まぁそれもそうなんだけど、僕が出かけようとするとエディを筆頭に心配する人多いから」
アジェさんは少し困ったように瞳を伏せる。
心配というのはどういう事なのだろう? もういい歳の大人なのだし、旅行に出かけるくらいどうという事もないと思うのだが……
そんな疑問が顔に出たのかアジェさんはまた微かに微笑んだ。
「僕ね、君達くらいの年の頃一度家出をした事があるんだよ。その時色々事件に巻き込まれてね、殺されかけたり、監禁されたり、人質に取られたり、色々あってね、それを知っている人達はやっぱり心配するよ。心配されちゃうと、僕も何となく出にくくてね、出かける時はいつでもエディの護衛付き。ふふ、過保護だよねぇ」
「それって……」
「僕ね、ツキノ君と同じような事、されそうになった事もあるよ」
「え……」
アジェさんは口の前に指を立てて「エディには内緒」と声を潜めた。
「過去はもう過去だから絶対秘密。この話しはツキノ君だから話すけど、絶対誰にも言わないで。特にエディが知ったら怒り狂って手が付けられなくなる。もうその人もいないし、無用の怒りは禍根しか残さないからね」
「その人はいないって、もう死んでるって事ですか?」
「うん、そうだね。あの人も可哀相な人だったよ、僕は彼を助けられなかった……」
常に笑顔のアジェさんの瞳が翳った。
「助けられなかった? 自分を襲った人を助けようと思ったんですか? 意味が分からない!」
「ツキノ君とはまた少し事情が違うからね。結局最後まではしてこなかったし、僕はそこまで憎んではいないんだ。これって、やっぱり変かな?」
自分と全く同じ状況でない事は分かる、彼はΩで自分はα、同じ襲われるでも状況は全く違ったものだっただろう、それでも俺はその感覚が理解できない。
俺はまだ忘れられずにいるのだ、虫が這うように伸ばされた指の感触、湿った舌が滑る感覚、どこまでも甘ったるいあのフェロモンの薫り。
何を思い出しても鳥肌が立つ、その後の惨劇も重なって思い出すだけで身が震える。
「なんで相手をそんな風に思えるのか、俺には理解できない!」
俺の言葉にアジェさんはやはり少し困ったような表情を見せた。
「同じようになれとは言わないし、言えないけど、怨んでも憎んでもどうにもならない事だからね。僕の場合はそんな気持ち全部、エディが持っていってくれたんだ、怒りも憎しみも恐れも全部、最後に僕に残ったのは憐れみだけだったよ。僕にはエディがいる、ただ一人誰よりも僕に寄り添ってくれる人がいる、そう思ったら、その他の事はもう全部どうでもよくなっちゃったんだよね、僕って単純だからさ」
アジェさんはそう言ってまた笑みを見せた。
ただ一人、誰よりも自分に寄り添ってくれる人……それは俺にとってカイト以外の何者でもない。ヒートを起こした時のカイトの苦しそうな顔が突然思い出された。
俺はカイトが苦しんでいる時に寄り添えてすらいない、自分が苦しい時にはどこまでも甘やかせて貰っていたのに、返す事すらできずにいる。
確かにアジェさんの言う通り、もう居ない人間を憎んでも仕方がないのだ、いつまでも覚えていても意味がない、それでも俺はまだそんなすぐにはあの事件を過去にはできずにいる。
「ねぇ、ツキノ君ちょっと2人だけでお話しない?」
「え……?」
「ツキノ君もカイト君やエディがいたら相談しにくい事もあるんじゃない? あっちはあっちで楽しそうだし、このままちょっとばっくれちゃおうか」
いたずらっ子の笑みでアジェさんは笑う。前方を歩くカイトと伯父さんはまるで気付く様子もない。
「僕もたまにはエディの監視抜きでお出かけしてみたかったんだ、だから行こう」
そう言って、アジェさんは俺の手を引いて楽しそうに脇道へと引っ張り込んだ。
俺はこんな事していいのかな……と思いつつも、確かに2人で話せるのならば聞きたい事もたくさんあって、楽しそうに前を歩くアジェさんのあとを俺は慌てて追いかけた。
「今日はね、カイト君もいるから2人がよく行く場所に連れてって」
アジェさんは今日も今日とて上機嫌だ。
「よく行く……? 何処だろう?」
「2人でよく遊んでた場所とかないの?」
「僕がイリヤに越して来たのって一年くらい前で、そこまで遊び場って感じの場所はイリヤにはないんですよね、しいて言うなら……」
「「騎士団の詰所?」」
俺とカイトは声を揃える。義父であるナダール・デルクマンは第一騎士団長だ。当然部下も大勢いて第一騎士団の詰所にはたくさんの知り合いがいる。幼い頃から仕事の合い間に彼等に遊んでもらっていた俺達はここイリヤでも彼等の元をたびたび訪ねていたので、あながち間違っていない。
「えぇ……そんな所で遊んでて大丈夫だったの?」
「ここではそこまで遊び倒してないけど、詰所には大体いつも父さんも母さんもいたし、団員の人達は手が空くと遊んでくれたり、剣の稽古付けてくれたりして怒られた事はなかったかな」
「ふむ、それは城から東へ行った場所か?」
伯父の言葉に俺は首を振る。
「東だったら第三騎士団の詰所じゃないですか? 俺達は父さんの第一騎士団の詰所にいる事が多かったです」
「あぁ、そういえば騎士団は幾つもあるんだったな、忘れてた」
「エディは第三騎士団の詰所なら行った事あるんだ?」
「昔、親父にしばらく騎士団に放り込まれたんだが、確かそれが第三騎士団だった。そういえばあの人、第三騎士団長だったな。もうずいぶん会っていないが、まだ騎士団長をやってるのかな?」
まさか伯父がここイリヤで騎士団員をやっていた事があったというのは驚きだ。しかも武闘派揃いの第三騎士団。そこに入れるという事は、相当腕に覚えがないと無理なはずなのだが、一体いつの話なのだろう?
「誰? 僕も知ってる人?」
「第三騎士団長ならアイン団長ですね、知り合いですか?」
「そうそう、アイン・シグ騎士団長。アジェも名前だけは聞いてるんじゃないか? クロードの嫁の兄」
「あぁ! マリアさんの大好きなお兄さま!」
アイン団長に心当たりがあったのだろうアジェさんは両手を合わせるようにしてそう言うのだが、アジェさんの言葉に何故か伯父さんが怪訝な顔で「……なんだ、それは?」と首を傾げた。
「あれ? 聞いた事ない? マリアさん昔は凄くお兄ちゃん子だったみたいで、大好きなお兄さまの話になると、いつもの三割り増しでお喋りしてくれるんだよ」
「そんな話しは聞いた事もない……そもそも俺はあの嫁が話している所を見た事がほとんどないんだが、一体何処でそんな話をしてるんだ?」
「え~メリッサさんの所だよ。僕『騎士の宿』の常連客だからね」
なんだか知らない名前と、知っている名前と、聞いた事があるようなないような単語がぽんぽんと出てきて俺とカイトは首を傾げた。
「なんか最近どっかで聞いたような気がするんだよね『騎士の宿』と『メリッサ』さん。誰だっけ? ツキノ覚えてる?」
「カルネ領ルーンの町……騎士の宿、あぁ! あれだ!スタール団長の!」
「ノエルか!」
何ヶ月か前にあった騎士団員のお祭り『武闘会』に合わせるように現われた年下の少年。
とても体格のいい少年で年下のくせに妙に大人びていて、武闘会に合わせるように起こった事件に巻き込まれ奔走していた。
父親探しをしにきた彼の見付けた父親は、第五騎士団長のスタール・ダントン騎士団長で、昔から顔馴染みのスタール団長にあんな大きな息子がいた事にも驚いたのだ。
料理上手なその腕はユリウス兄さんの胃袋を掴み、漢気のあるその性格は義妹のヒナノの心も掴んでいった。兄さんとヒナノは一時「ノエル君、ノエル君」と二人揃って彼の話をしていたので、その中の話題のどこかにその2つの単語は入っていたのだろう。
確かに彼の住まいは伯父達の住む町ルーンで間違いないはずだ。
「あれ? 2人はノエル君の事を知ってるの?」
「武闘会の時に知り合って、少し話した程度ですけど」
「あぁ、そういえばノエル君色々事件に巻き込まれて大変だったって言ってたっけ。でも無事にお父さんに会えて良かったよねぇ。メリッサさんとは毎日喧嘩してるけど」
そう言ってアジェさんは可笑しそうにころころ笑う。
「なんでそんなに喧嘩を? 反抗期か ?あの子はじーさんに似て物静かな大人しい子だっただろう?」
「あれ? エディは聞いてないんだね。ノエル君ね、お父さんのいる騎士団に入りたいんだって、だけどメリッサさんはそれに反対してるんだよ。コリーさんは好きにしろってスタンスだけど、ノエル君には英才教育で色んな事叩き込んでいて、メリッサさんはそれも気に入らないみたい。でもさ、コリーさんの孫でスタールさんの子だろ? しかも剣の指導してるのがエディとクロードさんだもん、ある意味最強布陣じゃない? 僕、ちょっと彼の将来には興味があるんだよね」
「ノエルは筋がいいからな。そうか、それは聞いていなかった。最近急にやる気が増したと思っていたのだがそういう事だったか。うちのロディにも見習わせたい所だな、将来の展望がきっちりしていていい事だ」
うんうんと納得したように頷く伯父、「次の武闘会には参加するって言ってたから、カイト君もうかうかしてられないかもね」とアジェさんも笑みを零し「僕、アインさんに会いたいです」と手を上げた。
観光コースとは言い難い選択だが、行きたいと言うのなら別に案内するのに否を唱える必要もない俺達は連れ立って第三騎士団の詰所へと歩き出す。
他愛もない事を喋りながら歩いて行く道すがら「あっ! ツキ兄とカイ兄だっ!」と、それだけ叫んで駆けてきた少年にど~ん! と体当たりの勢いでぶつかってこられて俺は思わずよろけてしまう。
「ツキ兄めっちゃ久しぶりっ!」と抱きついたまま言った彼は第三騎士団長の一人息子、ウィル・レイトナーだ。
「ウィル坊……お前は本当にいつも元気だな、離せ」
「当ったり前じゃん! あれ……? なんかツキ兄縮んだ?」
元々体格のいい少年ウィルは年下のくせに俺達と変わらない身長だったのだが、どうにも彼の目線が少し高い。
「俺は縮んでない、お前が伸びてんだよっ! くそっ、カイトだけかと思ってたら、お前もか」
「だってオレ成長期ってやつだし、カイ兄とはそこまで変わってないんだよ、ツキ兄成長止まったの?」
「止まってない! ちょっとのんびりなだけだ!」
悪気がない事は分かっているのだが、悪気がないから余計に言葉が刺さる。
けれど、怒る俺の横で、カイトは俺とウィル坊のやりとりを見て笑っているのだ、ホント腹立つ!
「友達?」
「アイン騎士団長の息子のウィルですよ。こっちは僕とツキノのおじさん達、ウィル坊、詰所にお父さんいる?」
カイトはウィルに簡単に伯父達を紹介してアイン騎士団長の所在を尋ねると、ウィルは「いるよ~」と能天気に笑った。
「今、稽古中かもだけど、呼んでくる?」
「いや、仕事中なら申し訳ない。もし聞けるようなら暇な時間を聞いてきてもらえれば、またその時間に出直す。エドワード・ラングが来たって言えば親父さんなら分かると思う……って、なんだ!?」
ウィルが伯父の言葉の何かに反応して、伯父へと向かって突進してきた。
伯父は突然の事に、張り付いてきたウィル坊を引き剥がしにかかるのだが、ウィル坊は離れない。
「今、エドワード・ラングって言った!? 言ったよね!? おじさん、エドワード・ラング!?」
「えっ……まぁ、そうだが……何なんだ?」
伯父は珍しく戸惑い顔で、助けを求めるように俺達を見やるのだが、俺達もウィルが何に反応して伯父に飛びついたのかが分からなくて、首を傾げるばかりだ。
とりあえずは「落ち着け」とウィルを伯父から引き剥がしたのだが、ウィルの興奮は治まらない。
「オレ、父ちゃん呼んでくる! ここに居てよ! どっか行っちゃ駄目だからね!」
ウィルは興奮を引き摺ったまま、ばたばたと踵を返して駆けて行ってしまい、ますますよく分からない。
「エディってもしかして、有名人なの?」
「いや、さすがにそれはないだろう? 俺がイリヤで働いていたのは20年も前の話だ、その後出た武闘会でさえ10年以上前の話だぞ、覚えてる奴なんかいないだろう。ましてやあんな子供が知っているはずがない」
常に仏頂面の伯父がどうにも困惑顔だ。俺もウィルのあの行動の意味は分からないのだが、その傍らでカイトがひとつ首を傾げた。
「今、おじさんエドワード・ラングって言いましたよね? おじさんの姓は確か『カルネ』じゃなかったですか?」
「あぁ、今はエドワード・R・カルネが正式だ。だがアイン騎士団長なら昔の『ラング』の方が分かりやすいかと思っただけだったんだがな。ラングは育ての親の姓でな、ツキノの祖父、つまりは現国王が昔名乗ってた姓なんだよ」
「え? あれ? 国王の姓って、普通に『ファルス』ですよね?」
「あぁ、そこからか……ブラック・ディーン・ファルスは国王としての名前で、王になる前はブラック・ラングという名だったんだよ。『ラング』は母方の姓らしい」
伯父の言葉に「ブラック・ラング……なんか聞き覚えがある気がする……待って、絶対どこかで聞いてる、誰だっけ?」と、カイトはその名前に反応して何かを思い出そうと頭を捻る。でも言われてみると、俺もその名には何故か聞き覚えがある気がする。確かにその名は最近読んだ本のどこかに記述があった……
「…………伝説の剣豪?」
俺の呟きに「あぁ! それだ!」とカイトは頷く。
「へぇ、ブラックおじさん『伝説の剣豪』って呼ばれてるんだ? おじさん昔から強かったもんねぇ」
アジェさんはのほほんとそんな事を言うが、そんな呑気な話しではない。その剣豪が伝説と呼ばれているのには理由があって、彼の目立った活動期間が非常に短かった為その生存すら危ぶまれてのこの伝説である。
その強さゆえ既に何者かに消されているのではないか、力を過信し過ぎて誰かにやられ、再起不能になったのではないか、という噂まであり現在は完全な行方不明と本には書かれていたのに、蓋を開けてみればその伝説の主は俺の祖父だったのか……?
「あれ? ビックリ? もしかしてツキノ君知らなかった?」
「全然! 聞いてないですよ!」
「そうなんだ。昔、おじさんはルーンで暮らしてた事があってね、その時はブラック・ラングって名前だったんだよ。職業は大工さん!」
「……なんで?」
伝説の剣豪が何で大工? しかもそれが実は国王とか意味が分からない。
「アジェ、子供達が混乱するから余計な事は言わなくていい」
「えぇ、でもあの頃は家族ぐるみの付き合いでさ、なんだか懐かしくない? あのブラックさんが実はこの国の国王様なんだよって言ってもうちの町の人誰も信じてくれないんだよ、可笑しいよねぇ」
「昔の親父と今の親父じゃあ外見は完全に別物だからな。中身は何にも変わっていないのが問題なんだが」
伯父さんは大仰に溜息を吐く。謎は増えるばかりだが、あの自由な王家の気風の元は祖父にあるのだとはっきり分かってしまった。
そうこうする内に、全速力で駆けて行ったウィルがやはり全速力で駆け戻ってくる姿が見えた。
「あ、戻ってきた」
駆け戻ってきたウィル坊はおもむろに伯父さんの腕を掴み「エドワード・ラングさん、こっち! 父ちゃん待ってる! 早く早く!」と伯父を急き立てる。
「えっ? 仕事は? って言うか、落ち着け坊主!」
「そんなのどうでもいいから連れて来いって、だから早く!」
「いや、だからと言ってそんな走る必要は……」
あれよあれよという間にウィルは伯父を連れ去ってしまい、姿が見えなくなってしまう。俺達は唖然としてそれを見守るしかない。
「えっと……エディはどこに連れて行かれちゃったのかな?」
「たぶん間違いなく詰所じゃないかと……俺達も行きますか」
「うん、それにしてもさっきの子、元気な子だねぇ。学校の友達?」
「年下なんで学校で会う事はあまりなかったですかね。あれでいてウィル坊は俺達より4つ下ですよ」
「え? そんなに? ツキノ君より大きくなかった? 最近の子は発育がいいねぇ」
「この間までは同じくらいだったんですよ……」
俺はつい不貞腐れてしまう。
「あぁ、ごめん。僕だってここまで伸びたんだから大丈夫だよ、ツキノ君はお父さんが大きいし、まだこれからだよ」
「叔父さんはツキノの本当のお父さんに会った事あるんですか?」
「ん? あるよ。まだツキノ君が生まれる前の話しだけどね。赤髪の美形で、ルネちゃん、えっと、ツキノ君のお母さんだけど、もう完全な一目惚れでね散々話も聞かされたよ。カイト君は会った事ないんだ?」
「僕がツキノの本当の両親が生きてるって話を聞いたの、まだ全然最近ですよ」
今度はカイトが不貞腐れたような表情を見せた。
「え? あれ? そんな感じ? でもツキノ君は会ってるよね?」
「何年か前に一度だけ……」
「え? 待って? 本当に?」
アジェさんは俄かに驚いた表情でうろたえた。俺が実の両親に会ったのは数年前、しかも本当に短い時間で『この人達がお前の本当の両親だよ』と告げられた相手は、先程アジェさんも言った通りに赤髪の大きな男性と黒髪の女性だった。
まだ幼かった俺は、そんな事を言われてもすぐに打ち解ける事もできず、ずっと養父の背中にへばりついていたので、記憶としては2人の記憶は曖昧だ。
しかも時間的にもほんの数時間で彼等は帰ってしまい、結局ほとんど話す事もできなかった。
「あれぇ? そんな感じなの? おかしいなぁ、ルネちゃん手紙ではツキノ君の事色々教えてくれるから、もっと頻繁に会ってるのかと思ってたよ」
「俺、母親の顔なんて朧気にしか覚えてないですよ」
俺の言葉にアジェさんは少し悲しげな表情で「会いたい?」とそう言った。
「実感が湧かないんですよ、本当の親とか言われても、実際本当によく分からなくて……」
それは俺の正直な気持ちだった。会いたい気もするが、会ってどうする? という思いがない訳ではない。それでも俺がメリアに帰ろうと思ったのは、その辺の俺のもやもやした感情を解消させる為でもあった。
実際俺はメリア王家に必要とされているのかも分からない、けれどやはり俺は王の子で、何の覚悟もなく暮らしていて呼び戻されるくらいなら、覚悟を決めて自分から戻るつもりでメリア行きを決めたのだ。行ったら最後戻って来られなく可能性もあると分かっていたから、カイトは置いて行くつもりだった。
少し微妙な空気になってしまった俺とアジェさんを気遣うように殊更にこやかにカイトが「着きましたよ」と第三騎士団詰所を指差すと、何事か考えている風だったアジェさんははっとした様子でまた笑みを見せた。
詰所の前まで来ると、何やら奥から大きな声が聞こえる。その声はどうやら裏庭の方から聞こえてきていると気が付いた俺達がそちらに向かって顔を覗かせると、何故か裏庭では騎士団員に囲まれた伯父が仏頂面で全員を相手に剣を振り回していた。
俺達は何がどうしてそうなっているのか分からなかったのだが、相手にしている騎士団員も周りで囃し立てている者達も一様に楽しそうな顔をしているので、伯父は問答無用で連れ込まれ、戦わされているのではないかと予想された。
武闘派揃いの第三騎士団らしい歓迎の仕方だが、そんな事はまるで分かっていないのだろうアジェさんは戸惑ったように「何? どうなってるの?」とうろたえる。
そんなうろたえた様子の彼に気付いたのだろう、伯父は騎士団員を一人薙ぎ倒しながら「お前は近付くな!」と声を上げた。
「何? 何なの? ツキノ君、カイト君、どうしよう。僕どうすればいい!?」
アジェさんは顔を青褪めさせているが、実際の所はそれほど動揺するような事ではないのではないかと思った俺は「えっと……とりあえず、こっちで見てましょうか」とアジェさんの手を引く。
伯父達が暴れている場所から少し離れた観客席のような場所にはわくわく顔のウィルがいて、伯父にやられた騎士団員達もそれは楽しそうに笑っていた。
「いいなぁ、僕も参加してこようかな」
傍らでぼそりと呟いたカイトに周りの男達は笑顔で「行ってこい」と囃し立てた。
「え、ズルイ。だったらオレも行く!」
「坊は駄目だ、お前はまだ騎士団員じゃないからな」
「そんなのズルイっ! オレだって闘いたい!」
そんな周りの声を聞いていて、ようやく事態を理解したのだろうアジェさんは「もしかしてこれ、エディ稽古に巻き込まれてるの?」と首を傾げた。
「どうやらそのようですね。あの一番大きい人がアインさん、第三騎士団の団長でウィルのお父さん」
アジェさんは俺の指差す先を見やって「あれ? 女の人もいる?」と首を傾げた。
「女の人も勿論いますよ。ファルスの騎士団はそういうの問わないんで、だからこそ僕みたいなΩでも騎士団に入れる。彼女みたいな先人のおかげでもあるんだけど」
カイトの言葉に「あの人Ωなの!?」と更にアジェさんは驚きを隠せない様子だ。
大きな男達に囲まれて人一倍小さい彼女はとても目立っていて、余計に驚きが隠せないのだろう。
「因みに彼女はウィル坊のお母さん。第三騎士団の副団長ですよ」
「え? 女の人でΩで副団長!? 凄いね! 格好いい! しかも若い!」
「Ω騎士団員にとっても女性騎士団員にとっても希望の星ですよ。本人はまだ今の地位に満足していなくて、騎士団長を狙い続けているみたいですけど」
「へぇ……凄いねぇ。僕も見習わなきゃ」
一般的にΩは一番人数が多いβより劣る人間と言われる事が多い。確かにΩは元来そう強くはない。男性Ωですら、大体は細身で女性的な外見をしていて筋骨隆々なΩなど見た事がない。
実際今目の前で戦っているウィルの母親も見た目は普通の少女にしか見えないし、大男達に囲まれてその姿はより一層小さく儚く見えるのだが、その戦いぶりは男顔負けだ。
彼女はある意味Ωの固定観念を覆す存在と言っても過言ではない。
「グノーも凄いと思ったけど、彼女も凄いね、負けてられないなぁ」
そんな事を話しながら観戦を続けていると、最後には伯父さんとアイン団長の2人だけがその場に取り残された。アイン団長はとても楽しそうだが、伯父さんはただでさえ地の顔が仏頂面なのに更に険しい顔になっていて、ちょっと怖い。
勝敗が完全に着くまで続けるつもりなのだろうアイン団長は、全く引く様子を見せないし、伯父は伯父で、なんとなく分かっていたけれど負けず嫌い全開でそれに立ち向かっていてそこには妙な殺気すら漂い始めた。
「アインさんって強いんだねぇ、エディがてこずるなんて珍しい」
「そりゃあ騎士団長ですよ、うちの騎士団は強さが正義の実力主義ですから弱い訳がない。むしろ伯父さんがここまでアイン団長と対等に戦ってる事の方が驚きですよ」
「エディは僕だけの騎士様だからね」
アジェさんは「うふふ」と笑みを零す。もうそれだけで2人の仲の良さが窺えて羨ましい限りだ。
「でも僕、そろそろ飽きてきちゃったな。これいつまで続くと思う?」
「どうでしょうね、どっちも負けず嫌いっぽいですからねぇ」
見守る騎士団員達は皆一様に楽しそうだが、確かに興味のない人間にしてみたら他人の戦いを観ていて何が楽しいのか分からないというのも分からなくはない。アジェさんはすうっと息を吸い込んで伯父さんへと声をかける。
「エディ! 負けたら今晩お預けだからぁぁ!」
瞬間、伯父がその言葉にぴくりと反応したのが見て取れた。
「おじさん、お預けって……?」
「え? 晩御飯だよ?」
にっこり笑ったアジェさんだが、絶対それ嘘だよね?
険しい表情を更に険しくさせる伯父もなんだかな……仲良いのはいいけど伯父の表情が必死過ぎて、ちょっと可哀相。もしかしていつもお預け喰らってるのかな? となんとなく想像が着いた。
そのうち伯父の剣がアイン団長の剣を弾き飛ばし、決着が着く。
「はぁ……くそっ、キッついわ。俺も歳だな……」
「何言ってんだか……」
2人は笑って拳を合わせる、こっちもこっちで仲良かったんだな。意外。
「父ちゃん、また負けたぁ! そんなんだから万年三位のアインとか言われるんだぞ」
「なっ! 言っておくがナダールとの試合では勝敗は五分五分だぞ、今回の武闘会は不戦勝だったが、やってたとしても父ちゃん絶対勝ってたからな!」
「本当かなぁ? 今だって負けてんじゃん、父ちゃん実はそんなに強くないんじゃない?」
実子だからこそ言えるウィルの辛辣な言葉に、アイン団長はショックを隠せない様子で「そんな事はない!」と言い募るのだがウィルは聞く耳を持たず伯父へと「格好良かった」と懐いていく。
「こら坊主、父ちゃんにそんな事を言うもんじゃない。お前の父ちゃんはちゃんと強いぞ、そうでなかったら俺がここまでてこずる事は有り得ないからな」
「あぁ、そういえば、おっちゃんエドワード・ラングだった!」
「こら、ウィル! 失礼だろう。『エドワードさん』だぞ」
叱る父親を軽く無視して「ねぇ、エドワードさんは本当に凄い人なんですか?」とウィルは満面の笑みで質問を投げるのだが、伯父は戸惑い顔だ。
「何をもって凄いと言うのかはよく分からないが、名前は売れているようだな」
「伝説の剣豪の息子なんですよね?」
「まぁ、それはそうらしい」
「じゃあさ、じゃあさ、伝説のひとつ、壁をロープも使わずに登れるって本当?」
「壁? あぁ、そこの壁とかか? 別にいけるだろうけど……」
「本当に?」
「これくらいならまぁ……見たいのか?」
満面の笑みで頷かれて伯父は仕方がないなという表情を見せたあと、するすると詰所の壁を何の道具も使わず登って行って、屋根の上からこちらを見下ろす。
「うわっ、凄い!」とウィルは歓声を上げ、周囲にいた騎士団員からもどよめきが起こる。
「ねぇ、ツキノあれってさ」
「あぁ、黒の騎士団と一緒だな」
黒の騎士団は王直属の隠密部隊だ。その組織は養父ナダールの下に付いていて、その活躍を目にする事もたびたびあった俺達は、彼等以外にもこんな事ができる人間がいる事に驚いた。黒の騎士団は全員が黒髪黒目で、それは彼等だけの特別な能力だと思っていたから尚更だ。
伯父は上を見上げて寄って来た、見物客にちょっと退けという身振りをして、そのまま屋根の上からすたん! と飛び降り「こんなのでよかったか?」とウィルを見やると、彼は興奮気味の笑顔で頷いた。
「凄い! 格好良い! 俺、おっちゃんに弟子入りする!」
「こら、ウィル!無茶を言うな。すまんなエディ、うちの坊主はまだまだ子供で」
「はは、うちの子もそう変わらない、気にしないでください」
アイン団長と談笑する伯父を、ウィルを筆頭に周りを取り囲む男達も羨望の瞳で見始めていて、俺の傍らに居たアジェさんはそれに少しだけ不満顔を覗かせ「エディは僕のなのに……」と呟いていて、なんだか笑ってしまった。
しばらくすると伯父がアイン団長を連れて人垣を掻き分けてこちらへとやって来た。
「すまんアジェ、待たせた」
「別に大丈夫だよぉ、エディは有名人だもん、僕の事なんか気にしなくていいよ」
少し拗ね気味のアジェさんの態度に伯父は困惑顔だ。
「これは申し訳ない、連れがいるとは聞いていなくて時間を取らせてしまいました。えっと……エディ、こちらは?」
「うちの伴侶でアジェと言います。アインさんに会いたいと言うので連れてきたのですけど……」
「あぁ! 貴方が噂の『アジェ様』ですか。お噂はかねがね」
アイン団長は笑みを浮かべて大きな掌を差し出し、アジェさんもその手を握り返しはしたのだが「噂って何ですか?」と、戸惑った表情だ。
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「僕もマリアさんの大好きなお兄様に会えて光栄です。まさかこんなに大きな方だとは思っていませんでした、身長おいくつですか? ナダールさんと同じくらいですか?」
「そうですね、大体同じです。大き過ぎて肩が凝ると妻にはいつも怒られていますよ」
確かに彼等と話す時には必ず上を向かなければならず、ずっとその姿勢でいるのは正直キツイ。アインの妻メグは小柄なので尚更だろう。
「それにしても、そうですか、アジェ様でしたか。正直少し意外です」
「意外? 何がですか?」
「悪く取らないで欲しいのですが、素朴でほっとしたという感じです。エディの周りにはクロードやグノーがいて、そんな彼の入れ込んでいるアジェ様はそれはもう美しい方なのだと勝手に想像していましたので、逆に安堵しました」
「それは……あの2人と並べられたら僕なんて完全に道端の雑草ですよ……比べる相手が悪すぎます」
どよんと表情を曇らせたアジェさんにアイン団長は「変な意味ではないですよ!」と弁明するのだが、そんな言い訳するくらいなら言わなきゃいいのにと思わなくもない。
だがそんな中、2人の会話を聞いていた伯父は「アジェは可愛いから問題ない」ときっぱりはっきり言い切ってむしろ清々しい。
「エディ、そういうのはあんまり大きな声で言う事じゃないよ。ただでさえ男性Ωの妻なんて体裁悪いのに……」
「体裁? そんな物は関係ない。俺にとってはお前が一番で、それを隠し立てする必要などどこにもない」
「だけどね、エディは有名人なんだから……」
「知った事じゃないな」
養父母もとても仲が良かったが、どうやらこちらも大概の熱々夫婦っぽい。養母グノーはやはりアジェさんと同じ男性Ωだったが、彼等もそれを隠し立てする必要はないというスタンスだったので、伯父さんの言い分もよく分かる。養母は女顔で普通に女性だと思われている事も多かったのだが、同じΩでもカイトの母やアジェさんのように完全に見た目は男性だと遠慮する部分もあるのだろう、アジェさんは「あんまり大きな声で言わないで!」と伯父さんの口を手で塞いだ。
彼等のやりとりを見ていた俺の傍らでカイトはぽつりと零す。
「僕も見た目『可愛いお嫁さん』にはなれなさそうなんだけど、ツキノもあんな風に思ってくれる?」
「俺はお前にそんな物を望んでないよ」
「ツキノ、男前、好き」
そうは言ってみたものの、さすがに嫁より小さい旦那のままではどうにも自分の体裁が悪すぎる。早く成長期こないかな……と、思わずにはいられない俺は溜息を吐いた。
「ツキノ君少し顔色悪い? 疲れちゃった?」
第三騎士団の詰所を後にして、俺達は食事でもしようかと繁華街へと向かっていた。俺の隣を歩くのはアジェさんで、彼は少し心配そうな顔で俺の顔を覗き込んでくる。
カイトと伯父さんは少し前を歩いていて、たぶん先程の伯父の立ち回りの動作を反芻しているのだろう、剣を振り回すような動作をしながらカイトは伯父に何かを聞いている風だった。
「あ……少しぼーっとしてただけなんで、大丈夫です。最近ちょっと体が重くて、体力落ちてるせいかも」
「もし体調が悪いなら無理しないで言ってね、毎日毎日連れ回してるの僕だし、無理な時は断ってくれてもいいんだからね?」
「はは、平気です。俺、おじさん達とこうやって出かけるの楽しいです。今まで気にも留めていなかったような物に気付けたりして、俺はこのイリヤの事もあんまり知らなかったんだなって再発見している所です」
「そっか、そう言ってもらえるなら嬉しいよ。僕、あんまりルーンから出ないし、こういうの本当に久しぶりで楽しいんだ」
アジェさんは満面の笑みでにっこり微笑んだ。
「そういえば旅行とか、あんまり出かけないって言ってましたね、何でですか? 伯父さんに遠慮して?」
「うん、まぁそれもそうなんだけど、僕が出かけようとするとエディを筆頭に心配する人多いから」
アジェさんは少し困ったように瞳を伏せる。
心配というのはどういう事なのだろう? もういい歳の大人なのだし、旅行に出かけるくらいどうという事もないと思うのだが……
そんな疑問が顔に出たのかアジェさんはまた微かに微笑んだ。
「僕ね、君達くらいの年の頃一度家出をした事があるんだよ。その時色々事件に巻き込まれてね、殺されかけたり、監禁されたり、人質に取られたり、色々あってね、それを知っている人達はやっぱり心配するよ。心配されちゃうと、僕も何となく出にくくてね、出かける時はいつでもエディの護衛付き。ふふ、過保護だよねぇ」
「それって……」
「僕ね、ツキノ君と同じような事、されそうになった事もあるよ」
「え……」
アジェさんは口の前に指を立てて「エディには内緒」と声を潜めた。
「過去はもう過去だから絶対秘密。この話しはツキノ君だから話すけど、絶対誰にも言わないで。特にエディが知ったら怒り狂って手が付けられなくなる。もうその人もいないし、無用の怒りは禍根しか残さないからね」
「その人はいないって、もう死んでるって事ですか?」
「うん、そうだね。あの人も可哀相な人だったよ、僕は彼を助けられなかった……」
常に笑顔のアジェさんの瞳が翳った。
「助けられなかった? 自分を襲った人を助けようと思ったんですか? 意味が分からない!」
「ツキノ君とはまた少し事情が違うからね。結局最後まではしてこなかったし、僕はそこまで憎んではいないんだ。これって、やっぱり変かな?」
自分と全く同じ状況でない事は分かる、彼はΩで自分はα、同じ襲われるでも状況は全く違ったものだっただろう、それでも俺はその感覚が理解できない。
俺はまだ忘れられずにいるのだ、虫が這うように伸ばされた指の感触、湿った舌が滑る感覚、どこまでも甘ったるいあのフェロモンの薫り。
何を思い出しても鳥肌が立つ、その後の惨劇も重なって思い出すだけで身が震える。
「なんで相手をそんな風に思えるのか、俺には理解できない!」
俺の言葉にアジェさんはやはり少し困ったような表情を見せた。
「同じようになれとは言わないし、言えないけど、怨んでも憎んでもどうにもならない事だからね。僕の場合はそんな気持ち全部、エディが持っていってくれたんだ、怒りも憎しみも恐れも全部、最後に僕に残ったのは憐れみだけだったよ。僕にはエディがいる、ただ一人誰よりも僕に寄り添ってくれる人がいる、そう思ったら、その他の事はもう全部どうでもよくなっちゃったんだよね、僕って単純だからさ」
アジェさんはそう言ってまた笑みを見せた。
ただ一人、誰よりも自分に寄り添ってくれる人……それは俺にとってカイト以外の何者でもない。ヒートを起こした時のカイトの苦しそうな顔が突然思い出された。
俺はカイトが苦しんでいる時に寄り添えてすらいない、自分が苦しい時にはどこまでも甘やかせて貰っていたのに、返す事すらできずにいる。
確かにアジェさんの言う通り、もう居ない人間を憎んでも仕方がないのだ、いつまでも覚えていても意味がない、それでも俺はまだそんなすぐにはあの事件を過去にはできずにいる。
「ねぇ、ツキノ君ちょっと2人だけでお話しない?」
「え……?」
「ツキノ君もカイト君やエディがいたら相談しにくい事もあるんじゃない? あっちはあっちで楽しそうだし、このままちょっとばっくれちゃおうか」
いたずらっ子の笑みでアジェさんは笑う。前方を歩くカイトと伯父さんはまるで気付く様子もない。
「僕もたまにはエディの監視抜きでお出かけしてみたかったんだ、だから行こう」
そう言って、アジェさんは俺の手を引いて楽しそうに脇道へと引っ張り込んだ。
俺はこんな事していいのかな……と思いつつも、確かに2人で話せるのならば聞きたい事もたくさんあって、楽しそうに前を歩くアジェさんのあとを俺は慌てて追いかけた。
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田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。


Promised Happiness
春夏
BL
【完結しました】
没入型ゲームの世界で知り合った理久(ティエラ)と海未(マール)。2人の想いの行方は…。
Rは13章から。※つけます。
このところ短期完結の話でしたが、この話はわりと長めになりました。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿

当たり前の幸せ
ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。
初投稿なので色々矛盾などご容赦を。
ゆっくり更新します。
すみません名前変えました。
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