312 / 455
二人の王子
来訪 ②
しおりを挟む
家に帰り着き、玄関を開けたら腕を取られてカイトに抱き締められた。
「なに? 当然どうした?」
「僕はツキノを好きでいてもいいのかな……?」
少し心細そうな、不安が前面に出た声でカイトは言う。
「ん? それをお前が言うのか? ずっと傍に居てくれるって言ったのはお前の方なのに……それとも俺が嫌になった?」
「そんな訳ないだろ! 僕がツキノを嫌う事なんて絶対無いよ!」
「だったらなんで?」
「ツキノがメリアの王子で、僕がランティスの王子の子、だから」
「カイトはそんな理由で俺を嫌うのか……?」
「だから、僕は絶対ツキノを嫌いになったりしないって言ってるだろ! そういうんじゃないんだ、僕はずっとツキノを好きでツキノと一緒に居たいと思ってる、だけど、もし僕がツキノと一緒にメリアに行ったとして、メリアの人達は僕を受け入れてくれるのかなって、そう思ったら急に怖くなった……」
ランティスの人間であるカイトの父親はメリアを憎んでいた、だったら逆にメリアの人間はランティスの事をどう思っているのか? そんな事は全く考えていなかった俺は言葉に窮する。
「やっぱり僕の父親みたいに、メリアの人は僕の事を憎むのかな? ツキノの両親は? それこそツキノの両親はメリア王家の人間でランティスには人一倍の憎しみを持ってるかもしれない、そう思ったら怖くなったんだ……」
縋るようにカイトは俺を抱き締めるので、俺もその背に腕を回した。
「誰が何を言おうと関係ないよ、俺達は俺達だ、誰にも俺達の仲を邪魔する権利なんてない」
「本当に? ツキノは本当にそう思ってくれる?」
「もう決めたから。お前は俺のただ1人の運命の番だよ」
カイトは俺の言葉に華が綻ぶようにぱあっと笑みを零し、俺に口付けてくる。優しいキスだ、何度も何度も啄ばむように繰り返されるキスに応えていると、カイトがひとつ吐息を零して俺の顔を両手で挟むようにして深く口付けられた。
「んっ……んふっ……」
口内に舌が忍び込んでくる、逃げれば何度も追いかけられて、顔の角度を変えるようにして深く深くと貪るように追いかけてくる。
そしてそれと同時に辺りに広がる甘い匂い。カイトの顔を覗き込んだら頬が紅潮して瞳が潤んでいる。
そして噎せ返るような甘い甘い匂い。
唇が離れると唾液が糸を引いて、どうにも恥ずかしく、俺は自分の唇を腕で隠した。
「ごめんツキノ、僕、さっきからちょっとおかしくて……もしかして、これ、ヒートかもしれない……」
カイトの息遣いが荒くなり、戸惑うように潤んだ瞳がこちらを見返す。
フラッシュバックするようにあの時の光景が目の端をちらついた。甘い匂いと興奮したような息遣い、目の前にいるのは自分の運命の番のはずなのに、その甘い匂いに興奮するより先に鳥肌が立った。俺が青褪めたのが分かったのだろう、カイトは少し悲しそうな表情を見せながらも俺の拘束を解いて、壁を背にずるりと座り込んだ。
「カイト……」
「分かってる、ごめんね。薬、ちゃんと持ってるから、ツキノは部屋に戻って。ご飯、作れなくてごめん……」
「そんなのいいから、水持ってくるから待ってて」
「いらない、ごめん、これキツイ……っはぁ……ねぇ、ツキノのその上着貸してくれる……?」
「え? 上着?」
「なるべく汚さないようにするから……」
カイトの呼吸が荒い。俺の上着をどうするのかなんて聞けなかった、聞かなくても分かったし、こんな状態のカイトを慰められない自分に腹が立つ。
カイトは持ち歩いていたのだろう薬を口の中に放り込み、ぼりぼりと歯で噛み砕いた。
「カイト、ごめん……」
「分かってるから、大丈夫……それより、今は部屋に行ってて。ちゃんと鍵もかけてね、万が一があるといけないから」
着ていた上着を脱いでカイトに手渡し、俺はカイトの言う通りに部屋へと籠り、鍵をかけた。本来なら部屋に籠るのはΩの方で、αはΩを気遣う役目が普通だというのに、俺は逆に気遣われ逃げ出して部屋に籠っている、もう本当に自分が情けない。
Ωのヒートは大体3ヵ月に一度1週間ほど続く。俺の知る限りカイトがヒートを起している姿を見たのは初めてで、もしかしたらこれがカイトの初めてのヒートだったのかもしれない。なのに、俺はカイトを怖がり逃げ出した……
カイトは俺の運命だ、本当だったらこんな状況、αの側から押し倒しているのが定石だろうに、俺はカイトに我慢を強いている。
心は彼を求めている、なのに身体がそれを拒絶する。好きな人と抱き合えない、こんな馬鹿らしい事はない。
「……っ、くそっ」
どこかで扉の閉まる音がした、カイトは寝室に籠ったのだろう。まだ俺の身体にはカイトの発していた甘い匂いが纏わりついている。カイトの匂いは心地良いはずなのに、この興奮した甘ったるい匂いがどうしてもあの事件を思い出させる。
俺は窓を全開にして、その匂いを外へと逃がした。カイトの匂いが消えてゆき、俺は悲しくなった。
※ ※ ※
息が上がる、身体が熱い。ツキノに貸してもらった上着の匂いを嗅いでベッドの上で丸くなる。僕にとっては初めての発情期まさか、こんなに急にくるとは思っていなかった。
もしかしたら母と同じでヒートのこない特異体質なのかもと思っていたのに、やっぱり僕はΩなんだな、と思わずにはいられない。
部屋に籠った事で部屋中に充満する甘い薫り。自分のフェロモンがこんな風に制御が効かなくなるというのは本当に怖い。今回は家の中だったから良かったが、これが外出先だったりしたらと思うとぞっとする。
この僕の甘い匂いは無差別にαを誘惑するだろう、誰でもいい訳じゃない、欲しいのはただ一人だけなのに、制御が効かないこんな身体が恨めしい。
先程までツキノに触れていた唇が寂しい、彼の上着を抱きこんでその匂いを吸い込むのだけれど、やはり本物の匂いよりはどうしても薄くて身悶える。
ツキノが欲しい。身体の疼きは止まらない。すぐそこに彼がいるのに、この疼きを鎮めてもらえないなんて、あまりにも酷すぎる。
でも、分かってる。ツキノ自身が僕を嫌がってる訳じゃない、あの事件のせいでΩという存在が彼の中でトラウマになっているのだ。それでもΩである僕を傍らに置いてくれているツキノは僕を拒絶している訳ではない。頭では分かっているけど、やはり辛い。
意識に霞がかかる、自身は触れればすぐにでも達ってしまいそうなほど屹立していて苦しいし、下着の中がどうにも湿っぽいのは下肢がツキノを求めて自ら蜜を零しているせいだ。
そっと下着に手を差し込めば、ぬるりとした感触に更に困惑した。性欲は強い方じゃない、自慰だってほとんどする必要がない自分が制御も効かずに下肢を濡らす。
本当に怖いと思う。
子供が作れる大人になったと喜ぶべき所なのかもしれないが、こんなにあからさまな欲望には戸惑うばかりだ。
自分自身がここまで戸惑っているのだから、無理矢理性的欲求をぶつけられるα側なんて余計にだろう。ツキノは怯えていないだろうか? 『大丈夫?』と寄り添えない自分が悔しい。
ツキノの上着を抱えて更に丸くなる、こんなの早く終われと瞳を閉じた。
※ ※ ※
「わざわざ遠くからありがとうございます」
ナダール・デルクマンは目の前の青年に丁寧に頭を下げた。
「ううん、僕が来たくて来ただけだから。思ってたより元気そうで安心したけど、まだちょっと不安定だね」
ツキノの叔父、アジェは仕事から戻ったナダールと数年ぶりの再会を果たしていた。
ナダールはアジェの言葉に笑みは零しつつも、少しだけ困り顔で頷いた。
「私が付いている時ならまだいいのですが、仕事は仕事で休む訳にはいかず、ルイやユリウスにも負担を強いているのは分かっているのですが、どうにも一進一退と言う所ですね。今日も倒れたと聞きました、アジェ君が傍に居てくれたのでとても助かりました。ありがとうございます」
「僕は何もしていませんよ。それこそ傍に居てあげる事くらいしかできません」
「それが本当に有り難いのですよ」
少し疲れたような表情のナダールにアジェは笑みを浮かべつつも「ナダールさんは大丈夫ですか?」と心配そうに気遣った。
「私は……そうですね、平気とは言い切れないところですかね。現在イリヤは問題が山積みで、どこから手を付けていいのか分からない状況です。先だっての武闘会での事件の話しは聞きましたか?」
「うん、コリーさんから聞きました。大変でしたね。結局犯人は……?」
「国外逃亡してしまいましたからね……ただ現在は少しだけ進展がありまして、あの事件に関してはランティスとの連携が取れつつあります。不幸中の幸いという所ですかね」
少し皮肉な物言いのナダールに、アジェはやはり彼を気遣うような表情を見せ「エリィ、だよね……?」と確かめるようにそう言った。
「ええ、そうですね。グノーの件に関しては、本当にもう二度と顔を合わせたくないと思いますが、この国の国防を考えた時には会わざるを得ない……というより、彼の協力は大きいので手を結ぶのが得策なのは分かっているのです、ですが個人的にはどうにも複雑です」
「なんか本当にごめんなさい。僕からもキツク言っておきます」
「いえ、それは止めた方がいいと思います。彼は今ランティスという国が置かれた状況を目の当たりにして混乱していると思いますからね。陛下があちこち連れて行ったようで、帰ってきた時には神妙な顔をしていたそうですよ。ランティスの闇は深い、それはあの20年前の事件でも分かっていた事ですが、王子はあれはあれでもう解決した事件と認識していた様子で、己の認識の甘さに相当悔しがっていたと聞いています。君にまでそれを責められたら、彼は味方を失ってしまいます」
伴侶を傷付けられて尚、相手を気遣うナダールにアジェは改めてこの人は優しい人なのだとそう思う。
「エリィは今までメリアに関しては本当に聞く耳を持ってくれなかったけど、少しは心境に変化はありましたかね?」
「どうでしょう……そうあって欲しいと願うばかりですね」
アジェは静かに頷いた。
「それにしても、本当に参ります。まさかカイトがツキノを連れて来るのは予想外でした。昨日、しばらくカイト自身もグノーとの接触を控えるように言ったばかりだったのに、何を思ってこんな事を……」
ナダールは頭を抱えるようにそう零す。
「会うなって言われると余計に会いたくなるものですよ。僕も昔そうでした。ツキノ君がお母さんに会いたがったからカイト君は連れてきた、そんな感じだと思いますよ」
「思慮が浅い」
「それを彼等に求めるのは酷ですよ、言ってもまだ14・5の子供です」
「それは重々分かっているのですが……」
ナダールが大きな溜息を零すのに、アジェはやはり苦笑するしかない。
「今もツキノ君とカイト君は一緒に暮らしているんでしたっけ?」
「そうですね。カイトがツキノの事は任せろというので一任しています。私はあの事件以降ツキノには避けられていますし、カイトもあの事件当日は珍しくツキノと喧嘩をしていたようで、あの事件の原因の一端は自分にあると責任を感じているようでしたので、好きなようにやらせてみようと一任しました。保護者としては無責任かもしれませんが、こういう時は『運命』の相手と一緒にいる事が何よりの癒しになると私は考えています」
アジェは少し思案するように考え込み「2人は本当に『運命』なのですか?」と首を傾げた。
「本人達がそう言っていますからね。こればっかりは当人以外には分からない事ですからなんとも言えませんが、ある意味さもありなんとは思っていますよ」
「何故ですか……?」
「2人には本人達がどう足掻こうともメリアとランティスという大国が背後に付いて回る。それは親の想いも大人の思惑も関係はなく事実として存在するのです『運命の番』は出会った時から何か大きな流れの中に飲み込まれるのではないかという自論が私の中にはありまして、それを思うと私達の手元で2人がこうやって育った事がもう既に運命の流れの一部だったのではないかと私は思わずにはいられないのです」
「なんだか難しいですね」とアジェは笑った。
「あなた方も『運命』ですよね? そういう目に見えない流れのような物を感じた事はありませんか? 私はグノーとの出会いで人生も、見えている世界も180度変わりましたので、この流れは既に2人の『運命』としての力に流されている状態だと私は思っています」
「くだらない、そんな不確かなものを信じるのはどうかと思う」
黙ってアジェの脇に控えていたエドワードは憎々しげに吐き捨てた。
「この『運命の番』という言葉は単なる比喩的な表現で、お互いがそう思ったらそれで完結するものだ、そこに他者が関わってくる事はないし、ましてやそれが何か目に見えないもので支配されているなどという事はありえない」
「本当に、そうなのでしょうか……?」
「俺はそういう運命論的な話は好きじゃない。自分の運命なんてそれは自分で掴み取るもので、誰かに与えられたものでは決してないからな」
ナダールは静かに笑みを浮かべ頷いた。
「エディ君は強いですね」
「俺が強いんじゃなくて、あんた達が流されすぎなんだ! そうやって運命論を語って右往左往している姿を見ているとこっちはイライラするんだよ」
「エディのそういう真っ直ぐな所好きだけど、怒っちゃ駄目っ! もうホントエディの短気は治らないよねぇ……そんなんだからロディに避けられるようになるんだよ」
「む……別に避けられてなどいないだろう」
「気付いてないなら尚悪い。そのうち反抗期がきたら『このクソジジイ』くらい言われるようになるかもしれないから、覚悟しときなよ」
「な……」
「最近のロディ、昔ブラックさんに突っかかっていってたエディにそっくりだからね。ホント親子って似るよねぇ……」
「ちょっと待て、それは俺が親父に似てきたって事か!?」
「何言ってるの? エディは昔からブラックおじさんそっくりだろ?」
アジェはけらけらと笑い、エドワードは苦虫を噛み潰したような顔で黙り込む、そんな2人の様子を見ていたナダールはなんだか笑ってしまう。
「お2人は変わりませんね、幸せそうでなによりです」
「「おかげさまで」」
2人の声が綺麗にハモる。アジェは満面の笑みで、エドワードは仏頂面で、それでも息はぴったり過ぎてなんだかおかしい。
「あはは、なんだか昔に戻ったようです」
「ナダールさんは少しお疲れ気味?」
心配そうなアジェの言葉にナダールは僅かに瞳を伏せる。
「考える事はたくさんありますからね。先程の事件の事も、グノーの事もありますし、ツキノとカイトの事も……心配事は尽きません」
「ツキノとカイトに関してはそこまで気に病む事でもないだろう、2人はもうあんたの手を離れてる、子供だ子供だと言っても15にもなれば自分の事は自分で決めるようになる」
「だねぇ、僕がカルネの家から家出したのも15の時だったし、それを思うと意外と全然放っておいても大丈夫な気がするかな」
「私は自分が15の時はまだ親元でぬくぬくしていましたから、やはり心配ですよ。それを思うとあなた達の人生は若い頃からハードでしたよね」
「過ぎてみればなんて事もない、かな」
アジェが笑みを零すのにナダールはやはり少し瞳を伏せて「カイトを洗脳しやがって、と言われたのだそうですよ……」とそう零した。
「洗脳? カイト君を?」
「はい、私達は何も2人がそうなるように仕向けた子育てをしてはいませんでしたが、エリオット王子から見たらそう映るのか、と思いましたね。仲が良いに越した事はない、誰も他人の価値観で善悪を判断する事がないようにと育てたかっただけなのですが、それもまた私達の価値観の押し付けだったのかと、思ってしまうのですよね」
「僕はナダールさん達の子育ては間違ってないと思うけどな。皆素直でいい子に育ってると思うよ。エリィの言う事はそれこそエリィの価値観の押し付けだから気にしない方がいい」
「それでもあの子は王子の子です。今、カイトは父親であるエリオット王子を嫌っています、それこそ憎んでいるという表現がぴったりする程の嫌悪を抱えていて、それは私の望む所ではなかった……」
「それはあっちの自業自得だ、気にするな」
「そう言われてしまうと身も蓋もありませんが、それでももう少しまともな親子の再会だったらと思わずにはいられないのです……」
アジェは苦笑するように「ナダールさんが気にする事じゃないよ」と、彼を慰めるのだが、やはりナダールの表情はどこか沈んでいて、これは相当参っているな、とアジェは思った。
彼は抱えているものが多すぎて、そのひとつひとつがとても重いのだろう、もう少し気を抜いて肩の荷を降ろせばいいのにと思いはするが、それができないのが彼の性分だと分かっているアジェは何も言う事ができない。
「そういえばナダールさん、ツキノ君に例の話しはしたんですか?」
「いえ、それがそれもまだなのですよ……カイトが家を出てから顕著にツキノに反抗期が現われて、私達の言う事をまるで聞かなくなってしまいましてね、言おう言おうと時期を計っていたらこんな状況です。グノーもあんな感じで、私はツキノに避けられていますし、完全にタイミングを逃しました。デリケートな話なので、さすがにカイトを介してという訳にはいきませんのでね」
「そう……じゃあまだツキノ君は知らないんだ」
「恐らくは。ただあの2人が『運命』であるのなら、もう何かしらのタイミングで気付いている可能性もなくはないですが、まだ何も尋ねてこないので、気付いていないのではないかと思っています」
アジェは黙ってひとつ頷いた。
「ねぇ、ナダールさん、少しの間だけあの2人の事、僕に任せてくれない?」
「え……?」
「今の2人は2人の中だけで世界が完結していて、なんだか見ていて少し心許ない気がするんだよ。それに、やっぱりグノーとツキノ君会わせてあげたいんだよね」
「ですが、今のツキノをグノーに会わせるのは……」
「ナダールさんもたぶん考えてる事は一緒だと思うんだよね、今のツキノ君って昔のグノーに似てるって、そう思ってたりしない?」
「ええ、そうですね。昔グノーがルイに幼い自分を重ねてしまったように、今のツキノにあの人は辛かった頃の自分を重ねてしまっている、そんな気はしています。ツキノは容姿も性格もグノーによく似ているので」
「だよね、だったらツキノ君を変えちゃえばいいと僕、思うんだよね」
アジェの突飛な提案にナダールは首を傾げた。
「ツキノを、変える?」
「そう! 僕思うんだよ、確かに今のツキノ君は昔のグノーによく似てる。親子みたいなものだからね、似てるのは当然だよ。服の好みだってやっぱり親子は似てくるし、身なり言動、そういうのだってよく似てる。でもさ、そういうの全部取っ払ったら、意外とそんなに似てないんじゃないかとも思うんだよね。言ったって本当の両親はレオンさんとルネちゃんだし当然だよね。だからさ、少しツキノ君、変えてみない?」
「そんなに簡単に変えられるものなら、是非と言いたい所ですが、そんなにうまくいきますかね?」
「何事もやってみる事が大事だよ!」
「まぁ、確かに……」とナダールは曖昧に笑って頷いた。あまりうまくいくとは思っていない事が丸分かりの笑みだ。嘘を吐けないナダールらしい表情である。
けれどアジェはそんなナダールの表情には気付かないふりでにっこり微笑んだ。彼の笑顔には強い力がある、その笑顔に逆らえる者はとても少ない。
「カルネ領主の仕事の方は大丈夫なんですか?」
「父がいるからね。引退はしていても元気だし、コリーさんとも仲が良くて、何かあったら2人が対応してくれるよ。クロードさんもいるし、その辺は全然大丈夫だと思ってる。なんならエディ先に帰しても問題ないし」
「なっ……! 俺はお前の傍を離れる気はない!」
「まぁ、そう言うとは思ってたけど」
やはりアジェはコロコロ笑う。エドワードは完全に尻に敷かれている様子だ。
「ツキノは頑固ですよ?」
「頑固なのはエディやエリィで慣れてるよ、任せて」
「まぁ、アジェがこう言っているんだ、こいつは絶対できないような事を言い出したりはしない、少しの間だけ、俺達がここイリヤに滞在している間だけでも2人を預かっても問題ないだろう?」
エドワードとアジェの言葉に少し思案するような表情を見せたナダールだったが、しばらく後に「お2人がそこまで言うのでしたら……」と頷いた。どのみち今の自分には何もできないと分かっていたからだ。
「2人の事、どうぞお願いいたします」
「うん、ナダールさんは2人の事はしばらく忘れて少し肩の荷を降ろして休んでいて。絶対悪いようにはしないから」
アジェの言葉にナダールは頷き、息を吐く。他人に案じられるほど、自分は色々な物を抱え込みすぎていたのだと、改めて思う。余裕を持たなければ……と、そう思った。
「なに? 当然どうした?」
「僕はツキノを好きでいてもいいのかな……?」
少し心細そうな、不安が前面に出た声でカイトは言う。
「ん? それをお前が言うのか? ずっと傍に居てくれるって言ったのはお前の方なのに……それとも俺が嫌になった?」
「そんな訳ないだろ! 僕がツキノを嫌う事なんて絶対無いよ!」
「だったらなんで?」
「ツキノがメリアの王子で、僕がランティスの王子の子、だから」
「カイトはそんな理由で俺を嫌うのか……?」
「だから、僕は絶対ツキノを嫌いになったりしないって言ってるだろ! そういうんじゃないんだ、僕はずっとツキノを好きでツキノと一緒に居たいと思ってる、だけど、もし僕がツキノと一緒にメリアに行ったとして、メリアの人達は僕を受け入れてくれるのかなって、そう思ったら急に怖くなった……」
ランティスの人間であるカイトの父親はメリアを憎んでいた、だったら逆にメリアの人間はランティスの事をどう思っているのか? そんな事は全く考えていなかった俺は言葉に窮する。
「やっぱり僕の父親みたいに、メリアの人は僕の事を憎むのかな? ツキノの両親は? それこそツキノの両親はメリア王家の人間でランティスには人一倍の憎しみを持ってるかもしれない、そう思ったら怖くなったんだ……」
縋るようにカイトは俺を抱き締めるので、俺もその背に腕を回した。
「誰が何を言おうと関係ないよ、俺達は俺達だ、誰にも俺達の仲を邪魔する権利なんてない」
「本当に? ツキノは本当にそう思ってくれる?」
「もう決めたから。お前は俺のただ1人の運命の番だよ」
カイトは俺の言葉に華が綻ぶようにぱあっと笑みを零し、俺に口付けてくる。優しいキスだ、何度も何度も啄ばむように繰り返されるキスに応えていると、カイトがひとつ吐息を零して俺の顔を両手で挟むようにして深く口付けられた。
「んっ……んふっ……」
口内に舌が忍び込んでくる、逃げれば何度も追いかけられて、顔の角度を変えるようにして深く深くと貪るように追いかけてくる。
そしてそれと同時に辺りに広がる甘い匂い。カイトの顔を覗き込んだら頬が紅潮して瞳が潤んでいる。
そして噎せ返るような甘い甘い匂い。
唇が離れると唾液が糸を引いて、どうにも恥ずかしく、俺は自分の唇を腕で隠した。
「ごめんツキノ、僕、さっきからちょっとおかしくて……もしかして、これ、ヒートかもしれない……」
カイトの息遣いが荒くなり、戸惑うように潤んだ瞳がこちらを見返す。
フラッシュバックするようにあの時の光景が目の端をちらついた。甘い匂いと興奮したような息遣い、目の前にいるのは自分の運命の番のはずなのに、その甘い匂いに興奮するより先に鳥肌が立った。俺が青褪めたのが分かったのだろう、カイトは少し悲しそうな表情を見せながらも俺の拘束を解いて、壁を背にずるりと座り込んだ。
「カイト……」
「分かってる、ごめんね。薬、ちゃんと持ってるから、ツキノは部屋に戻って。ご飯、作れなくてごめん……」
「そんなのいいから、水持ってくるから待ってて」
「いらない、ごめん、これキツイ……っはぁ……ねぇ、ツキノのその上着貸してくれる……?」
「え? 上着?」
「なるべく汚さないようにするから……」
カイトの呼吸が荒い。俺の上着をどうするのかなんて聞けなかった、聞かなくても分かったし、こんな状態のカイトを慰められない自分に腹が立つ。
カイトは持ち歩いていたのだろう薬を口の中に放り込み、ぼりぼりと歯で噛み砕いた。
「カイト、ごめん……」
「分かってるから、大丈夫……それより、今は部屋に行ってて。ちゃんと鍵もかけてね、万が一があるといけないから」
着ていた上着を脱いでカイトに手渡し、俺はカイトの言う通りに部屋へと籠り、鍵をかけた。本来なら部屋に籠るのはΩの方で、αはΩを気遣う役目が普通だというのに、俺は逆に気遣われ逃げ出して部屋に籠っている、もう本当に自分が情けない。
Ωのヒートは大体3ヵ月に一度1週間ほど続く。俺の知る限りカイトがヒートを起している姿を見たのは初めてで、もしかしたらこれがカイトの初めてのヒートだったのかもしれない。なのに、俺はカイトを怖がり逃げ出した……
カイトは俺の運命だ、本当だったらこんな状況、αの側から押し倒しているのが定石だろうに、俺はカイトに我慢を強いている。
心は彼を求めている、なのに身体がそれを拒絶する。好きな人と抱き合えない、こんな馬鹿らしい事はない。
「……っ、くそっ」
どこかで扉の閉まる音がした、カイトは寝室に籠ったのだろう。まだ俺の身体にはカイトの発していた甘い匂いが纏わりついている。カイトの匂いは心地良いはずなのに、この興奮した甘ったるい匂いがどうしてもあの事件を思い出させる。
俺は窓を全開にして、その匂いを外へと逃がした。カイトの匂いが消えてゆき、俺は悲しくなった。
※ ※ ※
息が上がる、身体が熱い。ツキノに貸してもらった上着の匂いを嗅いでベッドの上で丸くなる。僕にとっては初めての発情期まさか、こんなに急にくるとは思っていなかった。
もしかしたら母と同じでヒートのこない特異体質なのかもと思っていたのに、やっぱり僕はΩなんだな、と思わずにはいられない。
部屋に籠った事で部屋中に充満する甘い薫り。自分のフェロモンがこんな風に制御が効かなくなるというのは本当に怖い。今回は家の中だったから良かったが、これが外出先だったりしたらと思うとぞっとする。
この僕の甘い匂いは無差別にαを誘惑するだろう、誰でもいい訳じゃない、欲しいのはただ一人だけなのに、制御が効かないこんな身体が恨めしい。
先程までツキノに触れていた唇が寂しい、彼の上着を抱きこんでその匂いを吸い込むのだけれど、やはり本物の匂いよりはどうしても薄くて身悶える。
ツキノが欲しい。身体の疼きは止まらない。すぐそこに彼がいるのに、この疼きを鎮めてもらえないなんて、あまりにも酷すぎる。
でも、分かってる。ツキノ自身が僕を嫌がってる訳じゃない、あの事件のせいでΩという存在が彼の中でトラウマになっているのだ。それでもΩである僕を傍らに置いてくれているツキノは僕を拒絶している訳ではない。頭では分かっているけど、やはり辛い。
意識に霞がかかる、自身は触れればすぐにでも達ってしまいそうなほど屹立していて苦しいし、下着の中がどうにも湿っぽいのは下肢がツキノを求めて自ら蜜を零しているせいだ。
そっと下着に手を差し込めば、ぬるりとした感触に更に困惑した。性欲は強い方じゃない、自慰だってほとんどする必要がない自分が制御も効かずに下肢を濡らす。
本当に怖いと思う。
子供が作れる大人になったと喜ぶべき所なのかもしれないが、こんなにあからさまな欲望には戸惑うばかりだ。
自分自身がここまで戸惑っているのだから、無理矢理性的欲求をぶつけられるα側なんて余計にだろう。ツキノは怯えていないだろうか? 『大丈夫?』と寄り添えない自分が悔しい。
ツキノの上着を抱えて更に丸くなる、こんなの早く終われと瞳を閉じた。
※ ※ ※
「わざわざ遠くからありがとうございます」
ナダール・デルクマンは目の前の青年に丁寧に頭を下げた。
「ううん、僕が来たくて来ただけだから。思ってたより元気そうで安心したけど、まだちょっと不安定だね」
ツキノの叔父、アジェは仕事から戻ったナダールと数年ぶりの再会を果たしていた。
ナダールはアジェの言葉に笑みは零しつつも、少しだけ困り顔で頷いた。
「私が付いている時ならまだいいのですが、仕事は仕事で休む訳にはいかず、ルイやユリウスにも負担を強いているのは分かっているのですが、どうにも一進一退と言う所ですね。今日も倒れたと聞きました、アジェ君が傍に居てくれたのでとても助かりました。ありがとうございます」
「僕は何もしていませんよ。それこそ傍に居てあげる事くらいしかできません」
「それが本当に有り難いのですよ」
少し疲れたような表情のナダールにアジェは笑みを浮かべつつも「ナダールさんは大丈夫ですか?」と心配そうに気遣った。
「私は……そうですね、平気とは言い切れないところですかね。現在イリヤは問題が山積みで、どこから手を付けていいのか分からない状況です。先だっての武闘会での事件の話しは聞きましたか?」
「うん、コリーさんから聞きました。大変でしたね。結局犯人は……?」
「国外逃亡してしまいましたからね……ただ現在は少しだけ進展がありまして、あの事件に関してはランティスとの連携が取れつつあります。不幸中の幸いという所ですかね」
少し皮肉な物言いのナダールに、アジェはやはり彼を気遣うような表情を見せ「エリィ、だよね……?」と確かめるようにそう言った。
「ええ、そうですね。グノーの件に関しては、本当にもう二度と顔を合わせたくないと思いますが、この国の国防を考えた時には会わざるを得ない……というより、彼の協力は大きいので手を結ぶのが得策なのは分かっているのです、ですが個人的にはどうにも複雑です」
「なんか本当にごめんなさい。僕からもキツク言っておきます」
「いえ、それは止めた方がいいと思います。彼は今ランティスという国が置かれた状況を目の当たりにして混乱していると思いますからね。陛下があちこち連れて行ったようで、帰ってきた時には神妙な顔をしていたそうですよ。ランティスの闇は深い、それはあの20年前の事件でも分かっていた事ですが、王子はあれはあれでもう解決した事件と認識していた様子で、己の認識の甘さに相当悔しがっていたと聞いています。君にまでそれを責められたら、彼は味方を失ってしまいます」
伴侶を傷付けられて尚、相手を気遣うナダールにアジェは改めてこの人は優しい人なのだとそう思う。
「エリィは今までメリアに関しては本当に聞く耳を持ってくれなかったけど、少しは心境に変化はありましたかね?」
「どうでしょう……そうあって欲しいと願うばかりですね」
アジェは静かに頷いた。
「それにしても、本当に参ります。まさかカイトがツキノを連れて来るのは予想外でした。昨日、しばらくカイト自身もグノーとの接触を控えるように言ったばかりだったのに、何を思ってこんな事を……」
ナダールは頭を抱えるようにそう零す。
「会うなって言われると余計に会いたくなるものですよ。僕も昔そうでした。ツキノ君がお母さんに会いたがったからカイト君は連れてきた、そんな感じだと思いますよ」
「思慮が浅い」
「それを彼等に求めるのは酷ですよ、言ってもまだ14・5の子供です」
「それは重々分かっているのですが……」
ナダールが大きな溜息を零すのに、アジェはやはり苦笑するしかない。
「今もツキノ君とカイト君は一緒に暮らしているんでしたっけ?」
「そうですね。カイトがツキノの事は任せろというので一任しています。私はあの事件以降ツキノには避けられていますし、カイトもあの事件当日は珍しくツキノと喧嘩をしていたようで、あの事件の原因の一端は自分にあると責任を感じているようでしたので、好きなようにやらせてみようと一任しました。保護者としては無責任かもしれませんが、こういう時は『運命』の相手と一緒にいる事が何よりの癒しになると私は考えています」
アジェは少し思案するように考え込み「2人は本当に『運命』なのですか?」と首を傾げた。
「本人達がそう言っていますからね。こればっかりは当人以外には分からない事ですからなんとも言えませんが、ある意味さもありなんとは思っていますよ」
「何故ですか……?」
「2人には本人達がどう足掻こうともメリアとランティスという大国が背後に付いて回る。それは親の想いも大人の思惑も関係はなく事実として存在するのです『運命の番』は出会った時から何か大きな流れの中に飲み込まれるのではないかという自論が私の中にはありまして、それを思うと私達の手元で2人がこうやって育った事がもう既に運命の流れの一部だったのではないかと私は思わずにはいられないのです」
「なんだか難しいですね」とアジェは笑った。
「あなた方も『運命』ですよね? そういう目に見えない流れのような物を感じた事はありませんか? 私はグノーとの出会いで人生も、見えている世界も180度変わりましたので、この流れは既に2人の『運命』としての力に流されている状態だと私は思っています」
「くだらない、そんな不確かなものを信じるのはどうかと思う」
黙ってアジェの脇に控えていたエドワードは憎々しげに吐き捨てた。
「この『運命の番』という言葉は単なる比喩的な表現で、お互いがそう思ったらそれで完結するものだ、そこに他者が関わってくる事はないし、ましてやそれが何か目に見えないもので支配されているなどという事はありえない」
「本当に、そうなのでしょうか……?」
「俺はそういう運命論的な話は好きじゃない。自分の運命なんてそれは自分で掴み取るもので、誰かに与えられたものでは決してないからな」
ナダールは静かに笑みを浮かべ頷いた。
「エディ君は強いですね」
「俺が強いんじゃなくて、あんた達が流されすぎなんだ! そうやって運命論を語って右往左往している姿を見ているとこっちはイライラするんだよ」
「エディのそういう真っ直ぐな所好きだけど、怒っちゃ駄目っ! もうホントエディの短気は治らないよねぇ……そんなんだからロディに避けられるようになるんだよ」
「む……別に避けられてなどいないだろう」
「気付いてないなら尚悪い。そのうち反抗期がきたら『このクソジジイ』くらい言われるようになるかもしれないから、覚悟しときなよ」
「な……」
「最近のロディ、昔ブラックさんに突っかかっていってたエディにそっくりだからね。ホント親子って似るよねぇ……」
「ちょっと待て、それは俺が親父に似てきたって事か!?」
「何言ってるの? エディは昔からブラックおじさんそっくりだろ?」
アジェはけらけらと笑い、エドワードは苦虫を噛み潰したような顔で黙り込む、そんな2人の様子を見ていたナダールはなんだか笑ってしまう。
「お2人は変わりませんね、幸せそうでなによりです」
「「おかげさまで」」
2人の声が綺麗にハモる。アジェは満面の笑みで、エドワードは仏頂面で、それでも息はぴったり過ぎてなんだかおかしい。
「あはは、なんだか昔に戻ったようです」
「ナダールさんは少しお疲れ気味?」
心配そうなアジェの言葉にナダールは僅かに瞳を伏せる。
「考える事はたくさんありますからね。先程の事件の事も、グノーの事もありますし、ツキノとカイトの事も……心配事は尽きません」
「ツキノとカイトに関してはそこまで気に病む事でもないだろう、2人はもうあんたの手を離れてる、子供だ子供だと言っても15にもなれば自分の事は自分で決めるようになる」
「だねぇ、僕がカルネの家から家出したのも15の時だったし、それを思うと意外と全然放っておいても大丈夫な気がするかな」
「私は自分が15の時はまだ親元でぬくぬくしていましたから、やはり心配ですよ。それを思うとあなた達の人生は若い頃からハードでしたよね」
「過ぎてみればなんて事もない、かな」
アジェが笑みを零すのにナダールはやはり少し瞳を伏せて「カイトを洗脳しやがって、と言われたのだそうですよ……」とそう零した。
「洗脳? カイト君を?」
「はい、私達は何も2人がそうなるように仕向けた子育てをしてはいませんでしたが、エリオット王子から見たらそう映るのか、と思いましたね。仲が良いに越した事はない、誰も他人の価値観で善悪を判断する事がないようにと育てたかっただけなのですが、それもまた私達の価値観の押し付けだったのかと、思ってしまうのですよね」
「僕はナダールさん達の子育ては間違ってないと思うけどな。皆素直でいい子に育ってると思うよ。エリィの言う事はそれこそエリィの価値観の押し付けだから気にしない方がいい」
「それでもあの子は王子の子です。今、カイトは父親であるエリオット王子を嫌っています、それこそ憎んでいるという表現がぴったりする程の嫌悪を抱えていて、それは私の望む所ではなかった……」
「それはあっちの自業自得だ、気にするな」
「そう言われてしまうと身も蓋もありませんが、それでももう少しまともな親子の再会だったらと思わずにはいられないのです……」
アジェは苦笑するように「ナダールさんが気にする事じゃないよ」と、彼を慰めるのだが、やはりナダールの表情はどこか沈んでいて、これは相当参っているな、とアジェは思った。
彼は抱えているものが多すぎて、そのひとつひとつがとても重いのだろう、もう少し気を抜いて肩の荷を降ろせばいいのにと思いはするが、それができないのが彼の性分だと分かっているアジェは何も言う事ができない。
「そういえばナダールさん、ツキノ君に例の話しはしたんですか?」
「いえ、それがそれもまだなのですよ……カイトが家を出てから顕著にツキノに反抗期が現われて、私達の言う事をまるで聞かなくなってしまいましてね、言おう言おうと時期を計っていたらこんな状況です。グノーもあんな感じで、私はツキノに避けられていますし、完全にタイミングを逃しました。デリケートな話なので、さすがにカイトを介してという訳にはいきませんのでね」
「そう……じゃあまだツキノ君は知らないんだ」
「恐らくは。ただあの2人が『運命』であるのなら、もう何かしらのタイミングで気付いている可能性もなくはないですが、まだ何も尋ねてこないので、気付いていないのではないかと思っています」
アジェは黙ってひとつ頷いた。
「ねぇ、ナダールさん、少しの間だけあの2人の事、僕に任せてくれない?」
「え……?」
「今の2人は2人の中だけで世界が完結していて、なんだか見ていて少し心許ない気がするんだよ。それに、やっぱりグノーとツキノ君会わせてあげたいんだよね」
「ですが、今のツキノをグノーに会わせるのは……」
「ナダールさんもたぶん考えてる事は一緒だと思うんだよね、今のツキノ君って昔のグノーに似てるって、そう思ってたりしない?」
「ええ、そうですね。昔グノーがルイに幼い自分を重ねてしまったように、今のツキノにあの人は辛かった頃の自分を重ねてしまっている、そんな気はしています。ツキノは容姿も性格もグノーによく似ているので」
「だよね、だったらツキノ君を変えちゃえばいいと僕、思うんだよね」
アジェの突飛な提案にナダールは首を傾げた。
「ツキノを、変える?」
「そう! 僕思うんだよ、確かに今のツキノ君は昔のグノーによく似てる。親子みたいなものだからね、似てるのは当然だよ。服の好みだってやっぱり親子は似てくるし、身なり言動、そういうのだってよく似てる。でもさ、そういうの全部取っ払ったら、意外とそんなに似てないんじゃないかとも思うんだよね。言ったって本当の両親はレオンさんとルネちゃんだし当然だよね。だからさ、少しツキノ君、変えてみない?」
「そんなに簡単に変えられるものなら、是非と言いたい所ですが、そんなにうまくいきますかね?」
「何事もやってみる事が大事だよ!」
「まぁ、確かに……」とナダールは曖昧に笑って頷いた。あまりうまくいくとは思っていない事が丸分かりの笑みだ。嘘を吐けないナダールらしい表情である。
けれどアジェはそんなナダールの表情には気付かないふりでにっこり微笑んだ。彼の笑顔には強い力がある、その笑顔に逆らえる者はとても少ない。
「カルネ領主の仕事の方は大丈夫なんですか?」
「父がいるからね。引退はしていても元気だし、コリーさんとも仲が良くて、何かあったら2人が対応してくれるよ。クロードさんもいるし、その辺は全然大丈夫だと思ってる。なんならエディ先に帰しても問題ないし」
「なっ……! 俺はお前の傍を離れる気はない!」
「まぁ、そう言うとは思ってたけど」
やはりアジェはコロコロ笑う。エドワードは完全に尻に敷かれている様子だ。
「ツキノは頑固ですよ?」
「頑固なのはエディやエリィで慣れてるよ、任せて」
「まぁ、アジェがこう言っているんだ、こいつは絶対できないような事を言い出したりはしない、少しの間だけ、俺達がここイリヤに滞在している間だけでも2人を預かっても問題ないだろう?」
エドワードとアジェの言葉に少し思案するような表情を見せたナダールだったが、しばらく後に「お2人がそこまで言うのでしたら……」と頷いた。どのみち今の自分には何もできないと分かっていたからだ。
「2人の事、どうぞお願いいたします」
「うん、ナダールさんは2人の事はしばらく忘れて少し肩の荷を降ろして休んでいて。絶対悪いようにはしないから」
アジェの言葉にナダールは頷き、息を吐く。他人に案じられるほど、自分は色々な物を抱え込みすぎていたのだと、改めて思う。余裕を持たなければ……と、そう思った。
0
お気に入りに追加
305
あなたにおすすめの小説


婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る
112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。
★本編で出てこない世界観
男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。


【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

当たり前の幸せ
ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。
初投稿なので色々矛盾などご容赦を。
ゆっくり更新します。
すみません名前変えました。

美形×平凡の子供の話
めちゅう
BL
美形公爵アーノルドとその妻で平凡顔のエーリンの間に生まれた双子はエリック、エラと名付けられた。エリックはアーノルドに似た美形、エラはエーリンに似た平凡顔。平凡なエラに幸せはあるのか?
──────────────────
お読みくださりありがとうございます。
お楽しみいただけましたら幸いです。

キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる