運命に花束を

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二人の王子

来訪 ①

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 翌日、僕とツキノは連れ立ってデルクマン家へと向かった。
 二人揃ってこの家を訪れるのは初めてで無駄に緊張してしまう。その日デルクマン家には僕たち以外にも訪問者が居たようで、玄関前で彼等は中の家人に挨拶をしている所だった。

「でも、思っていたより元気そうで良かったよ。おじさんに挨拶して、また後から来るから、待っててね」

 先客はどうやら、一度帰って、また来訪するつもりのようで、その開いた玄関扉から出てくる彼等の邪魔にならないように僕達は脇へと避けた。
 だが、玄関から出てきたその人物の顔を見て、僕は途端に青褪める。

「あんた、なんでこんな所に!」

 その顔は紛れもなく僕の父親エリオットで、僕は一体どの面下げて……と一気に頭に血が上り、彼の腕を掴んだ。
 腕を掴まれた方は驚いたのだろう、ビックリしたような顔でこちらを見ているが、驚いているのはこっちの方だ、なんでそんな平気な顔でこの家に出入りできるのか、その神経が分からない。

「え? 何? 誰?」
「あんた、よくもこの家に顔が出せたもんだな! 厚顔無恥にも程がある!」
「えっ? ちょっと、待って!」

 家の中から引きずり出そうとする僕に彼はとても戸惑った様子なのだが、逆になんでそんな態度になるのか僕にはまったく理解ができない。
 デルクマン家への来訪者は1人ではなかった、僕が引きずり出そうとした僕の父親と、もう1人その傍らには大きな男性がいたのだけど、そちらも突然の事に驚いた様子だったが、僕が怒りを露に父親の腕を掴んだのを見ると、逆にその掴んだ僕の腕を掴んで捻り上げた。
 僕がその男を見上げると、彼の顔はとても険しい顔をしていて、僕は問答無用で家の壁に押さえつけられた。

「あぁ! エディ駄目だよ! 手荒にしないで!」
「先に手を出したのはこっちのガキだ、手加減してやるいわれはない」
「痛いっ! この馬鹿力!」

 僕はその押さえつける男の手を振り払おうともがくのだが、男の腕はまったく弛む様子もない。

「もう、エディ! 駄目だってば! 手を放して!」

 エリオットの一喝でようやく男はしぶしぶといった表情で僕の拘束を解いた。もう、こいつ何なの!? なんでこいつ等ここにいるんだよ!

「ごめんね、大丈夫?」

 拘束されていた腕が痛くて僕がそこを擦っていると、心配そうな顔が僕の顔を覗き込み、僕の方に手が伸びてきたのだが、僕は咄嗟にその手を払い除けた。

「触るな!」

 払い除けられた方はまたとても驚いた顔をしているが、僕は本当に嫌だったんだ、こんな奴が僕の父親だという事が本当に虫唾が走るほどに嫌だった。
 玄関先の騒ぎに気付いたのだろう、家の中から誰かが「どうかした?」とかける声が聞こえた。顔を覗かせたのは呑気な顔をしたグノーさんで「あぁ、ツキノ、来てたんだ」と、にっこり笑みを零した。

「この人! なんでここにいんの!?」
「え? 遊びに来てくれたんだけど、ツキノ、アジェの事知ってたっけ?」

 グノーさんの言葉に僕は「え……?」と硬直して、恐る恐る彼の顔をもう一度見やる。
 え? 嘘……間違えた? この人、あいつじゃないの……?

「あ、もしかして兄と間違えられたかな? 僕の名前はアジェ・ド・カルネ、宜しくね、ツキノ君?」

 彼は僕を見やってにっこり笑う。その顔は僕の大嫌いなあの父親とそっくり同じなのに、物腰と笑顔があまりにも違いすぎて僕は完全に間違えたのだと気が付いた。

「ごめんなさい!」

 エリオットには双子の弟がいると言っていた、顔はそっくりで優しい人だとそう聞いている。

「いいよ、いいよ、大丈夫、慣れてるから」
「こういうのに慣れるのは如何なもんかと思うがな……」

 僕を押さえ付けていた男性は不機嫌全開の顔で嘆息した。その人は本当に大きくて、ナダールおじさんに少し似ている。

「ツキノ、今日はいつもより来るの早いんだな。おいで」

 グノーさんが機嫌よく僕を手招きするのに、僕は辺りを見回した。

「今日は友達連れて来たんだけど……あれ? どこ行った?」

 気が付いたら、何故かツキノがいない。僕がツキノを探して視線を彷徨わせていると、僕の背後、ずいぶん後方を見ていたその金色の髪の大男は「その友達というのは、そこの壁の影に隠れた黒髪の坊主の事か?」と、やはり不機嫌顔でそう言った。
 僕もその壁の方を見やると、確かにその壁の向こうにツキノの気配がする。

「もう! なんでそんな所に隠れてんの! せっかく会いに来たのに!」

 僕の言葉に、ツキノはそろりと少しだけ顔を覗かせて「心の準備が……」と呟いた。
 僕は呆れて壁に歩み寄り、ツキノの手を取り壁の裏から彼を引きずり出して、彼をグノーの前まで引っ張って行くと、ツキノは居心地悪そうに視線を彷徨わせる。
 だが、その瞬間、耳に響いたのは大きな悲鳴。驚いて顔を上げると、ツキノの顔を見たグノーが真っ青な顔で悲鳴を上げていた。それはまるであの事件の時の彼と同じで、僕とツキノは言葉も出せずに立ち竦んだ。

「なんでっ! お前なんか知らないっ! 嫌だっ、なんで!!」

 ふらふらと後ずさったグノーさんは、壁に背を付けると糸が切れたようにふらりと倒れ込み、その体を大男は苦虫を噛み潰したような表情で受け止め、抱き上げた。
 家の中から悲鳴を聞いて飛び出してきたユリウス兄さんとルイ姉さんは、僕達の顔を見て事態を察したのか、やはり困惑顔で倒れたグノーさんを奥の部屋へと連れて行った。
 僕は呆然としていた、まさか彼がツキノに対してここまでの拒絶反応を起すとは思ってもいなかった。そして、ツキノもツキノでこんな反応は想像もしていなかったのだろう、真っ青な顔色で、がたがたと震えていた。

「母さん、あの時のままだ……俺が母さんを……」

 ツキノの呟きが胸に刺さる、まさかこんな事になるとは思ってもいなかった僕達はお互いの手を握って震えていた。

「2人共大丈夫? 少し座ろうか。深呼吸して、そう、ゆっくりね」

 僕の父親にそっくりな顔の僕の叔父、アジェさんは僕達2人を纏めて抱き締め、静かに静かにそう言った。その声はどこまでも穏やかで、荒れた心を落ち着ける。

「なん、で……?」

 ぽろりとツキノの瞳から涙が零れ落ちた。

「君はグノーによく似てるから、驚いちゃったんだと思うよ」
「似てない、どこも……母さんは俺なんかより、ずっとずっと綺麗な人だ……」
「そうだねぇ、グノーは綺麗だよねぇ。でも、やっぱり君はあの人によく似てるよ、ツキノ君」

 初対面のはずの彼が、僕を先程『ツキノ』と呼んだ彼が、ツキノの事をちゃんと『ツキノ』と呼んだ。

「なんで、知って……?」
「分かるよ、だってカイト君は僕の甥っ子だし、僕はツキノ君の両親とも友達だからね。ちゃんと知ってる、分かってた。辛かったね」

 その穏やかな声にツキノだけでなく僕の瞳からも涙が零れた。

「よく、頑張ったね」

 それだけ言うと彼は僕達2人を抱き締めて、泣き止めない僕達の背を黙ってずっと撫でていてくれた。僕は何故だかこの人の前なら泣いてもいいんだ、とその涙を止める事ができなかった。


  ※  ※  ※


「グノーの過去は知ってる?」

 俺達は場所を移して、彼の言葉を聞いていた。彼の言う母さんの過去というのは恐らく父さんが話してくれたあの話だろう、と俺達は黙って頷いた。

「僕が初めてグノーに会ったのは今の君達くらいの歳の頃でね、いつも笑ってるんだけど、どこか寂しげな人だった。今より凄く細くて、髪も伸び放題で服も全然構わないから小汚くてさ、今と似ても似つかなかったな」

 それは俺達が全く知らない母さんの過去。

「今のツキノ君はね、その頃のグノーに少し似てるよ。ちゃんと食べてる? ちゃんと寝てる? グノーはよく夜中に飛び起きてた。寝ていてもうなされていて、ほとんど寝られないみたいだった。食事も必要最低限で、その辺の木の根っこを適当に取って齧ってたんだよ。グノーはね、そんな生活しかできなかったんだ」

 そんな事があるのだろうか? 母さんはとても料理上手で、俺達が食事をするのをいつでもにこにこ見ている人だった。確かに食べる量はさほど多いとは言い難いが、それでも人並みに食べていたし、そんな辛い過去を思わせるような言動は見た事も無い。

「僕がグノーの過去をちゃんと知ったのは、出会ってからもうずいぶん経ってからだった、グノーはいつも何かに怯えていたけど、それが何なのかグノーは僕に教えてくれなかった。僕自身もその頃ちょっと色々あって、気にはなっても自分の事で手一杯で、何も聞いてあげられなかった。それでもグノーは黙って僕の傍にいてくれたんだ。僕達は言ってしまえば今の君達みたいな関係かな。僕はね、グノーには返し切れないほどの恩がある、だからできればもっと傍にいて力になってあげたいと思うんだけど、これがなかなか難しくてね……」
「恩よりも、迷惑被ってる事の方が多いだろうが、お前はお人好し過ぎる」

 それまでアジェの言葉を無言で聞いていた、大男は眉を顰める。

「そんな事ないよ、グノーとナダールさんがいなかったら今、僕達は2人でここにいる事はなかったはずだよ。感謝してもしきれないよ」
「そうは言っても……」

 やはりその大男は苦虫を噛み潰したような顔で、たぶんもうこの人、こういう顔なんだなと思う。最初は2人の関係がよく分からなかったのだが、2人の間に流れるフェロモンの流れに2人の関係が見えてくる。
 この2人はたぶん『つがい』だ。

「叔父さん、この人って……?」
「うん、もう分かると思うけど、僕の旦那さん。エドワード・R・カルネ。カルネ領の領主だよ」

 カイトの問いにアジェはあっさり頷いた。

「ところで君達、僕の事は誰かから聞いてる?」
「なんか、ざっくりとは……僕の叔父さん、なんですよね?」
「うん、そう。僕はカイト君のお父さんの弟、叔父さん。あとね、こっちのおじさんは、ツキノ君の伯父さんなんだよ」

 俺が驚いてその苦虫を噛み潰したような顔をまじまじと見やると、彼は仏頂面でこちらを見返すので、俺は思わず身を竦ませた。だが、そんな俺の様子に溜息を零しつつ彼はやはり不機嫌そうに眉を寄せたまま「お前は俺の妹の子だ」とぼそりと告げた。

「妹? 俺の母親はファルス国王の娘ルネーシャなんじゃ?」
「うん、そう。そのルネちゃんが、エディの妹」

 俄かに人間関係と背後関係がよく分からなくなってくる。目の前でにこにこしているアジェはランティスの王子のはずだ。Ωである彼がカルネ領主に嫁いだ、という話なら分かる、けれど、この仏頂面の男がファルス国王の息子となったらこれはどうなる?
 なんでカルネ領主などをやっているのか、意味が分からない。年齢的に考えて、どう考えてもこの人がこの国の第一王子になるのではないのだろうか?

「あはは、さすがにそこまでは聞いてないんだね。僕達の関係は意外と複雑でね、説明するのが難しい。エディとルネちゃんは血が繋がってないんだ、だけどエディは子供の頃ファルスの王様ブラックさんに育てられていてね、ルネちゃんとは兄妹として暮らしてた、だからルネちゃんはエディの妹。血縁はなくてもツキノ君はエディの甥になるんだよ」

 やはり事情が飲み込めない俺達が困惑しているのが分かったのだろう、その仏頂面の俺の伯父さんはやはり仏頂面のまま「王家とは関係を断っている、だがルネが妹なのに変わりはない」とそう言った。

「なんでそんな事になってるのか、さっぱり……」
「だよねぇ、だけどツキノ君を心配して今回のこの旅に同行したがったのはエディだから、あんまりエディの事怖がらないでくれるかな?」
「な、アジェ!」

 アジェさんがころころ笑う傍らで俺の伯父は慌てていて、ちょっと驚く。この強面の大男が俺の事を心配してた? さっきからずっと仏頂面で、どう見たって機嫌が悪そうにしか見えないのに、これでいてそんな事があるのだろうか?

「エディはね、顔は怖いけど見た目ほど中身は怖くないから安心して。心配が過ぎるとこんな顔しかできなくなるんだ、分かり辛くてごめんね」
「アジェ、もうそれ以上言うな……」
「なに? 本当の事だろ、伯・父・さん?」

 なんだか、完全に尻に敷かれていそうな俺の伯父エドワードは、やはり苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んだ。カイトの叔父さん、にこやかに強いな。

「君達には大人の事情っていうのをあまり知って欲しくはなかったから、特にカイト君の方はカイルさんがとても嫌がったし、王家の話しはせずに君達2人を見守ってきたけど、なんだかついにエリィがカイルさんの所在を掴んじゃったみたいで、なんか、ごめんね」
「……エリィ?」
「あぁ、僕の兄エリオット、僕はそう呼んでる」

 アジェさんはにこにことそんな事を言うが、あまりに可愛らしい響きに思わず似合わないな、と思ったのはカイトも同じだったのだろう、あからさまに眉間に皺を寄せている。

「その顔、さっきのアレもそうだけど、エリィやっぱり色々やらかしてるんだね……グノーの件以外にも何かあった?」
「僕、あの人嫌いです。あの人本当に僕の父親なんですか?」
「それはね、うん、間違いないよ」

 カイトの言葉にアジェさんは少し複雑そうな顔で苦笑した。

「エリィに悪気はないんだよ、ただ自分の感情に素直で、その優しさも見え難い。僕もエリィのこと酷い人だと思った時はあったよ、でも、憎めない。やっぱり兄だからね」
「悪気なく人を傷付ける奴なんて最低だ……」
「エリィのメリア嫌いには理由があってね、もう今のメリアは昔とは違うけど、エリィはメリア王家の陰謀で本人も殺されかけてるから、なかなか許せないんだよ。昔、僕がメリアに人質に取られたりした事なんかも関係してる。グノーはその一件に大きく関わっていたから余計に当たりがキツイんだ。エリィの気持ちも分かるし、僕としては2人が関わらなければと思っていたんだけど……」
「でも、そんなのもう過去の話ですよね!」
「そう、過去の話、でも過去は消えないよ。その人の人生の中でピリオドなんてなかなか打てなくて、周りがいくら終わった事だって言っても、本人が終わったと思わなければ、その過去は現在まで続く。本当はそんなの引き摺るべきじゃないんだけど、エリィにとっては終わっていない事件なんだよ。事件の当事者だった僕達は幸せな家庭を築いて過去を過去にできたけど、エリィにはそれもできなかったから余計にね……」

 俺はカイトを盗み見る。確かにカイトとカイトの母親は彼の元ではなくここにいる。
 カイトの母カイルが何故彼の元から逃げて来たのか俺達はまだ知らないんだ。

「カイルさんはエリィの『運命の番』だけど、エリィはランティスを背負う立場の第一王子、一方カイルさんはエリィの家庭教師に雇われただけの一介の薬剤師、しかも男性Ω、王家としてはあまり好ましくない番相手とだと思わざるを得ないよね。エリィはそんな事を気にしなかったけど、やっぱりカイルさんはそこの所を気にしたんだよ。お妾さん、第2夫人くらいの立場ならまだ、良かったんだろうけど、兄はそういう所一途でね、それはどうしても嫌だった。カイルさんもカイルさんで妃なんて立場は受け入れられなかったんだよ、彼は根っからの研究者だからね」

 確かにカイルのマッドサイエンティストぶりは周知の事実で、男性Ωの妃、ましてや国母と呼ばれる王妃としての姿などちょっと想像がつかない。

「それで父さん逃げ出したんだ……」
「う~ん、逃げ出したというか、ちょっと息抜きに失踪したら、お腹に子供ができてて帰るに帰れなくなったって言うのが正しいんだけどね。カイト君はエリィとカイルさんの子供で間違いないし、完全な既成事実だった。カイルさんは王家に縛られたくはなかったんだけど、子供は欲しくて君を生んだんだ。でも、君を連れてランティスに戻ったら、やっぱりどうしてもカイト君は王子の子として祭り上げられるよ、生んだカイルさん自身もね。カイルさんはそれがどうしても嫌だったんだよ」

 黙ってアジェさんの言葉を聞いていたカイトは「……いい迷惑」と、一言ぼそりと呟いた。

「子供が欲しかったって、育てられもしなかった癖にそんな事言うんだ? しかも、自分は全力で逃げてるとか何なの? 馬鹿なの? 僕の両親、揃って自分の事しか考えてないんじゃん! 父さんが自分至上主義者なのは知ってたけどさ! そんな所に生まれてきた子供の迷惑考えろっての!」

 カイトの暴言にアジェさんは少しだけ困ったような表情を見せ「カイルさんはちゃんとカイト君を愛してるよ」と言うのだが、カイトは「そんな上っ面の慰め、いらないです」と一刀両断だ。

「僕の言い方が悪かったのかな……本当に君はちゃんと愛されて望まれて生まれた子なのは間違いないんだよ。ただ少しだけ、エリィもカイルさんも真っ直ぐ過ぎるだけ。カイルさんはさっき言ったメリアとの事件にも関わっていてね、もう自分の研究が悪用される事に嫌気がさしていたんだよ。本当は君が生まれた時にカイルさんはそんな研究も全部止めて君の為に生きようとしていたんだ。でもね、カイルさんの研究者としての才能は彼を放っておかなかった。ついでに言えばカイルさんは研究以外の能力が壊滅的に破綻していたっていうのもあるんだ、どんな仕事をするよりも薬に関わっている仕事が一番稼げた、だからカイルさんは今の生活を選ばざるを得なかったんだよ、君を養っていく為にね」

 カイトが少し悔しそうに唇を噛んだ。カイトは俺に何度も言っていた『生活するのには金がいる』その為には働かなければいけない事を重々承知しているカイトには分かってしまうのだろう、自分を育てる為にそうしなければ生活できなかったという事を。
 けれど薬の事となると周りが見えなくなってしまう彼は、カイトを自分では面倒見きれなかった……

「僕の話しはもういいです……今はグノーさんの話をしましょう」

 カイトは小さく首を振る。まだすべて納得はできていないという顔だが、確かにこの話しは本題からずれている。

「うん、そうだね……グノーはね、とても優しい人なんだよ。今のグノーの状態はそんなグノーの優しさからきているんだと僕は思ってる。グノーの過去、お兄さんに監禁されて、束縛されて、ちょうどそれが今の君達くらいの歳の頃だったんだよね。そんな過去は忘れたくても、過去はどうしても消せなくて、襲われてるツキノ君に自分が被ったんだろうね、今のツキノ君は昔のグノーに本当によく似ているから……それでそんな記憶を消したくてグノーは君達を忘れてしまった。だけど、それでもグノーは分かっているんだよ、大事な事を忘れているって分かってる。過去にもこんな事が何回かあって、思い出さなきゃと必死になってるんだけど、どうしても怖い思い出は勝手に体と心が拒絶反応を起すんだ、そこで作り出したのがカイト君の姿をしたツキノ君、なんじゃないのかな。君達はいつでも2人一緒にいただろう?だからグノーの記憶的にも符合する、グノーの心は都合よくツキノ君の記憶を消して記憶の修正をしているんだと僕は思う」

 アジェさんの言葉に俺は失望の気持ちで「やっぱり、俺の事忘れたいんだ……」と零すと、アジェさんは静かに首を振って「違うよ」と言った。

「グノーが消したいのも忘れたいのも過去の自分で、それはツキノ君自身じゃない。今のツキノ君はたぶんその頃のグノーに似すぎてるんだよ、だから心が拒絶しているだけ。そうじゃなかったらグノーの心は『ツキノ』という名前にすら反応して拒絶しているはずだからね」
「だったら俺はどうすれば……」
「とりあえず、笑えばいいと思うよ」

 俯きがちに言った俺の言葉にあっけらかんとアジェさんは告げる。笑えばいいって……そんな事でこの事態が収束するとはとても思えないのに、驚いて見やった彼の顔はやはり穏やかな笑みだった。

「ツキノ君のその痩せ方も問題だし、その表情が本当に会ったばかりの頃のグノーにそっくりなんだよ、今のツキノ君の表情は、たぶんグノーが一番自分を嫌悪してた頃のグノーの表情そっくりなんだ」
「そんな事……」
「僕は今のツキノ君はグノーに似てると思っているけど、別に顔立ちからすべてが似てる訳じゃない、たぶんグノーが嫌っているグノー自身と雰囲気がどこか似通ってるんじゃないかって、僕はそう思ってるんだ。だからね、ツキノ君はもっと笑わなきゃ駄目、それでもっと食べてお肉付けて、健康的になる所からだね」
「それができたら……母さんに会える?」
「うん、会えるよ」

 アジェさんはやはりにこにこと笑みを零してそう言った。この人の笑顔にはよく分からない説得力がある気がする。俺は膝の上で握った自分の拳を見詰め、頷いた。

「俺、帰ります。帰ってもっと食べないと……」
「うん、そうだね今日はもう帰ったほうがいい。僕達しばらくイリヤに滞在する事になってるから、何かあったらいつでも訪ねてきて。宿はここ」

 そう言って彼はサラサラとメモ用紙に宿屋の住所を書き記し俺達にくれた。
俺はそのメモ用紙を大事にしまい、ぺこりと頭を下げて踵を返した。カイトはそんな俺の後を慌てたように付いてくる。

「カイトは俺に付き合わなくてもいいんだぞ。父親の事とか、まだ聞きたい事あるんじゃないの?」
「あんな人の事なんてどうでもいいよ、ツキノが帰るって言うなら僕も帰る。それにツキノのご飯を作るのは僕の仕事だからね」
「そんなの初耳だ」
「今までだってそうだったろ。この仕事は誰にも譲る気ないから」

 カイトが笑う、それに俺も笑みを零す。俺はちゃんと笑えているだろうか?
 確かに最近カイトの前以外で笑った記憶があまりない。引き籠もっているから尚更だ。このままの俺では母さんに会えないのだと、そう思った。

「僕ね、ツキノがグノーさんに会えるようになるまで、グノーさんに会うの止めるよ」
「なんで? 別に会えばいいよ。俺ができない分、カイトが母さんに優しくしてあげてくれたらいいよ」
「でも、本当は昨日ナダールおじさんにも言われてたんだ。しばらく会わないでくれって、グノーさんの記憶をこれ以上混乱させるのは望むところじゃないって。ツキノに会えば全部思い出すかもって思ったんだけど、僕の考えが甘かった、ごめんツキノ」

 それは確かにカイトの甘い考えだったのかもしれない、けれどそれで自分が何をしなければいけないのかが分かったのだから、今はもうそれでいい。



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