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二人の王子
家族と父親 ②
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口の中に広がる錆びた鉄の味、恍惚とした表情で項を差し出すそいつを俺は知らない。
頭の中では止めろ! と警報が鳴り続けているのに、俺はその項に喰らい付くのを止められない。
甘い匂いだ、噎せ返るように甘い。こんな甘い匂いは嗅いだ事がない。
「あはは、ありがとう。これで君は僕の番だ、これで僕も晴れてデルクマン家の一員だ」
こいつは一体何を言っているんだ? 俺はこいつを知らないし、そこにあるのは肉欲だけ。
家族の一員? ふざけるな! お前なんか、俺の何にもなれはしない!!
白い項に付いた噛み痕、そこにこびり付いた赤い血がぶれたように眼前を覆う。
「でも、番契約だけじゃ心許ないよね、やっぱり子供は大事だよ。おいで、ほら……たくさん可愛がってあげる。好きなだけ中に出していいよ」
「ぐっ……嫌……だ」
「そんな事言っても身体は正直だよ、ほら出したいんでしょ? 僕に種付けしたくてうずうずしてるの分かってる。遠慮はいらない、思う存分種付けしていいよ」
「嫌、だ! カイトっ!」
俺の吐き出した言葉に男はすっと目を細めた。
「カイト君ってやっぱり恋人だったのかな? それとも片想いだった? 純愛だねぇ、僕、そういうの虫唾が走るんだ」
男の口角がにぃっと上がる。
「そんな子供の恋愛なんて馬鹿らしくなるような経験させてあげる」
「寄るなっ!」
なんとか動いた身体で、男を押し退けるのだが、それでもやはり思うように動かない体は足元もおぼつかず崩れ落ちた。
「強情だねぇ、もっと本能に忠実に生きた方が楽だよ? お互いにね」
男は纏っていた衣類をひとつ、またひとつと落としていき、白い裸体を晒す。
「据え膳を食わない男は、恥ずかしいんだよ? こっちはいいって言ってるんだから、君は本能に従えばいいだけなのに」
「っざけんな!」
伸びてきた手を振り払うと、彼は少し眉を顰めた。
「薬の効きが悪いのかな、こんなに動けるはずじゃなかったんだけど。そもそも、もっと本能に忠実な子なら簡単だったのに、君、意外と頑なだね」
少し思案するように男は首を傾げ、そのうちまた笑みを作ると戸棚を漁りロープを取り出す。
「こういうプレイ、あんまり好きじゃなかったけど、やる方は楽しいんだね。初めて知ったよ」
そう言って彼は俺の手首を縛り上げ、ベッドの柵へと結び付けた。
「じっとしてて、大丈夫、全部僕がしてあげる」
舌なめずりするような赤い唇だけが妙に印象的で、吐き気がする。
なんでこんな事になった!? 俺が一体何をした! 気持ちが悪い、嫌だ、嫌だ、嫌だ!
心は頑なに拒否していても、疼く身体は止められない。下着まで剥ぎ取られ、晒した下肢のイチモツに男は目を細めて口付けた。
※ ※ ※
1人部屋に籠り、もそもそと惣菜を食べていたら、外からぱんっ! と何かが弾けるような音が聞こえた。
「ん? 花火?」
窓の外を見やると、音のした方角から少しばかりの煙が上がっている。その煙には色が付いていて、その煙の色は赤かった。
「あれ、なんだろう?」
そう思って、立ち上がり窓を開けると、更に立て続けに煙が上がる。
なんか、あれ見た事がある。先だってあった事件でユリウス兄さんがあんな感じの煙を見上げて、眉を顰めていたのを思い出した。
何かの信号? あそこで何かあったのかな? ちょっと遠いけど、行ってみる?
好奇心はむくむく湧いてきて、出かけようと思った所に、部屋の扉がばんっ! と勢いよく開いた。
「え? 何?」
「良かった、ちゃんと居た」
「何? 何が?」
母は心底安心したという表情で、僕を抱き締めるのだけど訳が分からない。
「あれ、信号弾。あれは緊急信号だよ、赤は特別緊急事態。お前が黙って出てったのかと思って慌てたけど、ちゃんと居た。だけど、あれが上がってるって事は緊急事態はツキノの方だ。ツキノは家に帰ったんじゃなかったのかい?」
「え……たぶん、帰ったんだと、思うけど……」
ツキノの帰れる場所なんてナダールおじさんの家かおじいさんのいるお城か、そのくらいしか思い付かない。ツキノは僕以外に親しく友人も作っていなかった、頼れる人間など大していなかったはずだ。
「なんだか曖昧な言い方だね? 何かあった?」
瞳を覗き込まれて言葉に窮した、こんな風に父さんに抱き込まれた事は今までほとんど無くて、ちゃんと僕の事心配してくれてたんだな、と思う反面ちょっと複雑。
「今朝、ツキノと喧嘩して追い出しちゃったんだ。僕、ツキノがどこに行ったかまでは分からない」
「喧嘩? お前達にしては珍しい事もあったもんだね。だけど、そうなってくると少し心配だね、あれは本当に緊急の信号弾だ、何もないといいけれど」
「何か……ねぇ、あれってツキノに何かあったって事なの!?」
「たぶん恐らくね。僕はそう聞いてる」
彼を追い出した時には悲しくても前を向かなければという少し清々した気持ちでいたのに、一気に血の気が引いた。
「何があったの!? ツキノ大丈夫なの!?」
「それが分かれば苦労はしないよ。だけど、あの信号を見た人間が動いているはずだから大事にはならないはずだけどね」
信号弾は間隔を置いて上がり続けている、僕は居ても立っても居られずに家の外に飛び出そうとしたのだが、母に腕を捕まれ止められた。
「行っては駄目だ、余計に彼等を煩わせる事になる」
「でも、ツキノが……」
「あぁ、良かった、こっちじゃなかった!」
ふいに窓の外から黒髪の男が顔を覗かせ安堵の声を漏らす。この人、誰?
「ルーク、何があった? あれ緊急弾だよね?」
「そう、俺も行かないといけないから、先生ちゃんとカイトの事見といてくださいね」
男はそう言うと、窓枠をするすると登り始めた。
「待って、ツキノに何があったの!?」
「それが分からないから行くんでしょうが! くれぐれもあんた達は動かずにそこに居てくださいよ」
僕の言葉にそれだけ返して屋根に上った彼は屋根伝いにどんどん走って行ってしまい、その姿はあっという間に消えてしまった。
「父さん、僕……」
「駄目だよ、今、彼も動いては駄目だと言ったはずだ」
「でも、ツキノが!」
「駄目だ、お前まで危険な目には遭わせられない」
自由奔放で束縛など皆無の母は僕のする事に今まで否を唱えた事はない。好きなように生きろとばかりに放置されていたのに、なんで今になってそんな事を言うのだろう。
「ツキノは僕の『運命』だ! ツキノに何かあったら僕は生きられない!」
母は驚いたようにこちらを見やった。
「ツキノが運命? 僕はそんな話し聞いていないよ……?」
慌てたように母は僕の項を確認して、そこに噛み痕がない事を見て取るとほっとしたような表情を見せる。だけど僕はそれが気に入らず、母の手を振り解いた。
「勝手な事ばっかり言って! いつも勝手な事してるのそっちだろ、なんで駄目なんだ! ツキノがもし本当に危険な目に遭ってるなら、僕が行かなきゃ駄目なんだ! 僕がツキノを助けなきゃ!!」
「行って、お前に何ができる!? 彼等の邪魔になるだけならここで大人しく待っていた方がいい。お前はΩで大した力も持ってはいない、できる事はできる人間に任せるんだ」
「Ωだから何だってんだ! 僕は今まで他人に引けを取った事なんてないよ! Ωだからって自分を卑下するなって育てたの父さん達だろ! なのになんで今その父さんがそれを言うんだ!」
僕の言葉に怯んだように母は言葉を詰まらせたが、それでも駄目だと僕の行く手を阻む。
「行かせてよ!」
「彼等はすぐに戻ってくる、ここで待つんだ」
「……行かせてやればいいじゃないか、邪魔をさせなきゃいいんだろう?」
突然かかった声に、僕は母の背後を見やる。そこには僕の父親が、立っていて僕の行く手を阻んでいた母の肩に手を置いた。
「俺が付いてく、無茶はさせない、それでいいだろう?」
「駄目です! それこそ貴方をそんな危ないと分かっている場所に行かせる訳にはいきません!」
「俺はもうあんたに守られていた頃のように何もできない子供ではない。カイトはちゃんと守る」
「ですが、王子!」
「俺を信じろ。カイト場所は分かるか?」
「方角と距離はなんとなく分かる」
打ち上がっていた信号弾の位置を頭の中で反芻すると「充分だ」とエリオットは身を翻すので、僕も母の脇をすり抜けその後を追う。
「カイト! 王子も止めてください!」
「何も死地に赴くわけではない、あんたはここで大人しく待ってろ。必ずちゃんと連れ帰る。不本意だが、そのツキノとかいう子供もちゃんと連れて戻ってくるから安心して待っていろ」
駆け出すエリオットとカイト、その後姿はどことなくよく似ていて、カイルはその後姿を何もできずにただ見送っていた。
※ ※ ※
身体中を這い纏わる手と湿った舌、気持ちが悪くて叫びたいのだが、その声はまともに声にはならずくぐもった呻き声に変わる。
まるで捕食動物に捕らえられた餌のように、俺はただ震えていた。
喧嘩は強い方だと思っていたし、実際何もない時ならこの程度の男一払いで退けられるのに、飲まされた薬と、彼自身から発する甘いフェロモンの薫りが俺の身体を縛り上げる。
自分は何でもできると思っていた、今まで思い通りにならない事など何もなかった、それがいかに甘やかされた環境だったのか、この状況下で初めて思い知る。
誰か助けてっ! 怖い! カイトっ!
止めどもなく悔し涙が零れる。カイトと番になる事を我慢したというのに、こんな得体の知れない男の項を噛まされた。番というのは大事なものだ、ただ一人の人間を愛する為の神聖な儀式、なのにこいつはそんなモノには虫唾が走ると嗤うのだ。
こんな愛のない番契約など無効にしようと思えばできるのだろうが、こいつはそれも分かった上で、子供という既成事実まで求めてくる。
こいつが欲しいのはデルクマンという名前。養い親の家はそこそこ裕福だ、養父は騎士団長という役職を長く勤めているし、義母は家庭を守る傍ら趣味で作るよく分からないからくり細工を売っては生活の足しにしている。
この住まいを見る限り、この男の生活は困窮しているのだろう、自分の生活の向上の為に自らを切り売りし、ただ1人と言われる番契約までも差し出した。
Ωにとっては番契約は奴隷契約にも等しい、俺がこいつとの番契約は不当だと訴える事も分かっているのだろうに、それでもこの生活から抜け出す為にこいつはこんな事をしているのだ。
養父が恐らくこいつを無碍に扱えない事を分かってやっている。
番契約は破棄できるだろう、けれど養子だとはいえ我が子に子供ができたら養父母はそれから目を背ける事はできない人達だ。
子供ができたら確実にこいつに何らかの形で生活の援助を申し出るに違いない、それを全て見越した上でのこの犯行だ。
醜いΩ、自分を盾に生活の安定を掴み取ろうと思っているのか? そんな事の為に利用されようとしている自分が悔しくて仕方がない。
フェロモンの抑制剤、ヒートを起したΩを守る為に持ち歩けと言われていた、その半面でそれは自分の身を守る為でもあると言われていた。俺は口を酸っぱくして言われたその言葉を話半分にしか聞いてはいなかったのだが、今まさにこんな状況の事を指しているのだと、こんな時に気付いても後の祭りだ。
白い裸体が俺の上で踊る、俺はその抗い難い快楽を唇を噛んで耐える。
こいつの思い通りになどさせては駄目だ、分かっている。でも反応する身体は俺の意思に反して男の身体に楔を打ち込む。
「若いくせになんでこんなに遅いの? 遅漏? まぁ、いいけど。楽しい事はじっくり、ね?」
男根を締め付けられてまた呻き声を上げる。快楽の行為が苦痛でしかない。
心のない行為はただの責め苦だ。
気持ちが悪い、甘い匂いに吐き気がする。
誰か助けてっ! と心が叫んだその瞬間、家の扉がばんっ! と蹴破られた。
「ツキノっ!」
飛び込んできたのは赤い赤い、綺麗な人。
「助けてっ!」
咽び泣くように叫んだ言葉に彼が一瞬立ち竦んだのが分かった。噎せ返るような甘い匂い、男から発せられているのとは違う匂いが部屋中に充満した。
そして、その直後目の前の男の首が飛んだ。吹き上がる血飛沫に何が起こったのかまるで分からなかった。
赤い、世界のすべてが赤く染まる。
人形のように俺を蹂躙していた男の体が横倒しに倒れる。俺は何が起こったのか分からない。
男の首が飛び絶命したのだと理解して、俺が悲鳴を上げる前に、義母が真っ青な顔で悲鳴を上げた。
「母……さん……?」
「なんで、こんな……嫌だっ、なんで!」
尋常でない震え方、人が目の前で死んだのだそれは当然の反応だとも言える、けれどその男の首を撥ねたのは貴方なのに……
「こんな、こいつが……」
どこか虚ろな表情へと変わった義母グノーが剣を握り直し、横倒しに倒れた男の死体にまたしても剣を突き立てた。
それは執拗に何度も何度も、その身体が肉片に変わるまで、何度も繰り返されて俺はその光景を赤い部屋の中で呆然と見続けていた。
「ツキノっ……っ、グノー!!」
次に部屋に飛び込んできたのは養父のナダールだった。なんでこの人達俺がここにいるって分かったのかな?
ナダールは肉塊に剣を突き立て続けるグノーを羽交い絞めにするようにして抱き締めた。
「止めてください、その人はもう、死んでいる……」
「でも、だって……こいつが」
養母の視線がゆらりとこちらを向き、俺を見据えてまた悲鳴を上げた。
俺にはもう何が起こっているのかまるで分からなかった。ナダールに続いてばらばらと何人かの男達が続いてその部屋の中に入ってきて、皆一様にその部屋の惨状に顔を背けた。
「ツキノ、大丈夫か? 何があった……?」
男達の1人が俺に駆け寄りそう問うのだが、俺はもう訳も分からず首を振る。
養母の悲鳴はまだ止め処もなく続いていて、養父はそれを宥めるように抱き締めその頭を撫でている。
赤い、部屋も俺の手も身体も全部、真っ赤……
意識が薄れる、霞がかかる、それは安堵なのか絶望なのか、俺はその場で昏倒した。
頭の中では止めろ! と警報が鳴り続けているのに、俺はその項に喰らい付くのを止められない。
甘い匂いだ、噎せ返るように甘い。こんな甘い匂いは嗅いだ事がない。
「あはは、ありがとう。これで君は僕の番だ、これで僕も晴れてデルクマン家の一員だ」
こいつは一体何を言っているんだ? 俺はこいつを知らないし、そこにあるのは肉欲だけ。
家族の一員? ふざけるな! お前なんか、俺の何にもなれはしない!!
白い項に付いた噛み痕、そこにこびり付いた赤い血がぶれたように眼前を覆う。
「でも、番契約だけじゃ心許ないよね、やっぱり子供は大事だよ。おいで、ほら……たくさん可愛がってあげる。好きなだけ中に出していいよ」
「ぐっ……嫌……だ」
「そんな事言っても身体は正直だよ、ほら出したいんでしょ? 僕に種付けしたくてうずうずしてるの分かってる。遠慮はいらない、思う存分種付けしていいよ」
「嫌、だ! カイトっ!」
俺の吐き出した言葉に男はすっと目を細めた。
「カイト君ってやっぱり恋人だったのかな? それとも片想いだった? 純愛だねぇ、僕、そういうの虫唾が走るんだ」
男の口角がにぃっと上がる。
「そんな子供の恋愛なんて馬鹿らしくなるような経験させてあげる」
「寄るなっ!」
なんとか動いた身体で、男を押し退けるのだが、それでもやはり思うように動かない体は足元もおぼつかず崩れ落ちた。
「強情だねぇ、もっと本能に忠実に生きた方が楽だよ? お互いにね」
男は纏っていた衣類をひとつ、またひとつと落としていき、白い裸体を晒す。
「据え膳を食わない男は、恥ずかしいんだよ? こっちはいいって言ってるんだから、君は本能に従えばいいだけなのに」
「っざけんな!」
伸びてきた手を振り払うと、彼は少し眉を顰めた。
「薬の効きが悪いのかな、こんなに動けるはずじゃなかったんだけど。そもそも、もっと本能に忠実な子なら簡単だったのに、君、意外と頑なだね」
少し思案するように男は首を傾げ、そのうちまた笑みを作ると戸棚を漁りロープを取り出す。
「こういうプレイ、あんまり好きじゃなかったけど、やる方は楽しいんだね。初めて知ったよ」
そう言って彼は俺の手首を縛り上げ、ベッドの柵へと結び付けた。
「じっとしてて、大丈夫、全部僕がしてあげる」
舌なめずりするような赤い唇だけが妙に印象的で、吐き気がする。
なんでこんな事になった!? 俺が一体何をした! 気持ちが悪い、嫌だ、嫌だ、嫌だ!
心は頑なに拒否していても、疼く身体は止められない。下着まで剥ぎ取られ、晒した下肢のイチモツに男は目を細めて口付けた。
※ ※ ※
1人部屋に籠り、もそもそと惣菜を食べていたら、外からぱんっ! と何かが弾けるような音が聞こえた。
「ん? 花火?」
窓の外を見やると、音のした方角から少しばかりの煙が上がっている。その煙には色が付いていて、その煙の色は赤かった。
「あれ、なんだろう?」
そう思って、立ち上がり窓を開けると、更に立て続けに煙が上がる。
なんか、あれ見た事がある。先だってあった事件でユリウス兄さんがあんな感じの煙を見上げて、眉を顰めていたのを思い出した。
何かの信号? あそこで何かあったのかな? ちょっと遠いけど、行ってみる?
好奇心はむくむく湧いてきて、出かけようと思った所に、部屋の扉がばんっ! と勢いよく開いた。
「え? 何?」
「良かった、ちゃんと居た」
「何? 何が?」
母は心底安心したという表情で、僕を抱き締めるのだけど訳が分からない。
「あれ、信号弾。あれは緊急信号だよ、赤は特別緊急事態。お前が黙って出てったのかと思って慌てたけど、ちゃんと居た。だけど、あれが上がってるって事は緊急事態はツキノの方だ。ツキノは家に帰ったんじゃなかったのかい?」
「え……たぶん、帰ったんだと、思うけど……」
ツキノの帰れる場所なんてナダールおじさんの家かおじいさんのいるお城か、そのくらいしか思い付かない。ツキノは僕以外に親しく友人も作っていなかった、頼れる人間など大していなかったはずだ。
「なんだか曖昧な言い方だね? 何かあった?」
瞳を覗き込まれて言葉に窮した、こんな風に父さんに抱き込まれた事は今までほとんど無くて、ちゃんと僕の事心配してくれてたんだな、と思う反面ちょっと複雑。
「今朝、ツキノと喧嘩して追い出しちゃったんだ。僕、ツキノがどこに行ったかまでは分からない」
「喧嘩? お前達にしては珍しい事もあったもんだね。だけど、そうなってくると少し心配だね、あれは本当に緊急の信号弾だ、何もないといいけれど」
「何か……ねぇ、あれってツキノに何かあったって事なの!?」
「たぶん恐らくね。僕はそう聞いてる」
彼を追い出した時には悲しくても前を向かなければという少し清々した気持ちでいたのに、一気に血の気が引いた。
「何があったの!? ツキノ大丈夫なの!?」
「それが分かれば苦労はしないよ。だけど、あの信号を見た人間が動いているはずだから大事にはならないはずだけどね」
信号弾は間隔を置いて上がり続けている、僕は居ても立っても居られずに家の外に飛び出そうとしたのだが、母に腕を捕まれ止められた。
「行っては駄目だ、余計に彼等を煩わせる事になる」
「でも、ツキノが……」
「あぁ、良かった、こっちじゃなかった!」
ふいに窓の外から黒髪の男が顔を覗かせ安堵の声を漏らす。この人、誰?
「ルーク、何があった? あれ緊急弾だよね?」
「そう、俺も行かないといけないから、先生ちゃんとカイトの事見といてくださいね」
男はそう言うと、窓枠をするすると登り始めた。
「待って、ツキノに何があったの!?」
「それが分からないから行くんでしょうが! くれぐれもあんた達は動かずにそこに居てくださいよ」
僕の言葉にそれだけ返して屋根に上った彼は屋根伝いにどんどん走って行ってしまい、その姿はあっという間に消えてしまった。
「父さん、僕……」
「駄目だよ、今、彼も動いては駄目だと言ったはずだ」
「でも、ツキノが!」
「駄目だ、お前まで危険な目には遭わせられない」
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「ツキノは僕の『運命』だ! ツキノに何かあったら僕は生きられない!」
母は驚いたようにこちらを見やった。
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「勝手な事ばっかり言って! いつも勝手な事してるのそっちだろ、なんで駄目なんだ! ツキノがもし本当に危険な目に遭ってるなら、僕が行かなきゃ駄目なんだ! 僕がツキノを助けなきゃ!!」
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「Ωだから何だってんだ! 僕は今まで他人に引けを取った事なんてないよ! Ωだからって自分を卑下するなって育てたの父さん達だろ! なのになんで今その父さんがそれを言うんだ!」
僕の言葉に怯んだように母は言葉を詰まらせたが、それでも駄目だと僕の行く手を阻む。
「行かせてよ!」
「彼等はすぐに戻ってくる、ここで待つんだ」
「……行かせてやればいいじゃないか、邪魔をさせなきゃいいんだろう?」
突然かかった声に、僕は母の背後を見やる。そこには僕の父親が、立っていて僕の行く手を阻んでいた母の肩に手を置いた。
「俺が付いてく、無茶はさせない、それでいいだろう?」
「駄目です! それこそ貴方をそんな危ないと分かっている場所に行かせる訳にはいきません!」
「俺はもうあんたに守られていた頃のように何もできない子供ではない。カイトはちゃんと守る」
「ですが、王子!」
「俺を信じろ。カイト場所は分かるか?」
「方角と距離はなんとなく分かる」
打ち上がっていた信号弾の位置を頭の中で反芻すると「充分だ」とエリオットは身を翻すので、僕も母の脇をすり抜けその後を追う。
「カイト! 王子も止めてください!」
「何も死地に赴くわけではない、あんたはここで大人しく待ってろ。必ずちゃんと連れ帰る。不本意だが、そのツキノとかいう子供もちゃんと連れて戻ってくるから安心して待っていろ」
駆け出すエリオットとカイト、その後姿はどことなくよく似ていて、カイルはその後姿を何もできずにただ見送っていた。
※ ※ ※
身体中を這い纏わる手と湿った舌、気持ちが悪くて叫びたいのだが、その声はまともに声にはならずくぐもった呻き声に変わる。
まるで捕食動物に捕らえられた餌のように、俺はただ震えていた。
喧嘩は強い方だと思っていたし、実際何もない時ならこの程度の男一払いで退けられるのに、飲まされた薬と、彼自身から発する甘いフェロモンの薫りが俺の身体を縛り上げる。
自分は何でもできると思っていた、今まで思い通りにならない事など何もなかった、それがいかに甘やかされた環境だったのか、この状況下で初めて思い知る。
誰か助けてっ! 怖い! カイトっ!
止めどもなく悔し涙が零れる。カイトと番になる事を我慢したというのに、こんな得体の知れない男の項を噛まされた。番というのは大事なものだ、ただ一人の人間を愛する為の神聖な儀式、なのにこいつはそんなモノには虫唾が走ると嗤うのだ。
こんな愛のない番契約など無効にしようと思えばできるのだろうが、こいつはそれも分かった上で、子供という既成事実まで求めてくる。
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この住まいを見る限り、この男の生活は困窮しているのだろう、自分の生活の向上の為に自らを切り売りし、ただ1人と言われる番契約までも差し出した。
Ωにとっては番契約は奴隷契約にも等しい、俺がこいつとの番契約は不当だと訴える事も分かっているのだろうに、それでもこの生活から抜け出す為にこいつはこんな事をしているのだ。
養父が恐らくこいつを無碍に扱えない事を分かってやっている。
番契約は破棄できるだろう、けれど養子だとはいえ我が子に子供ができたら養父母はそれから目を背ける事はできない人達だ。
子供ができたら確実にこいつに何らかの形で生活の援助を申し出るに違いない、それを全て見越した上でのこの犯行だ。
醜いΩ、自分を盾に生活の安定を掴み取ろうと思っているのか? そんな事の為に利用されようとしている自分が悔しくて仕方がない。
フェロモンの抑制剤、ヒートを起したΩを守る為に持ち歩けと言われていた、その半面でそれは自分の身を守る為でもあると言われていた。俺は口を酸っぱくして言われたその言葉を話半分にしか聞いてはいなかったのだが、今まさにこんな状況の事を指しているのだと、こんな時に気付いても後の祭りだ。
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男根を締め付けられてまた呻き声を上げる。快楽の行為が苦痛でしかない。
心のない行為はただの責め苦だ。
気持ちが悪い、甘い匂いに吐き気がする。
誰か助けてっ! と心が叫んだその瞬間、家の扉がばんっ! と蹴破られた。
「ツキノっ!」
飛び込んできたのは赤い赤い、綺麗な人。
「助けてっ!」
咽び泣くように叫んだ言葉に彼が一瞬立ち竦んだのが分かった。噎せ返るような甘い匂い、男から発せられているのとは違う匂いが部屋中に充満した。
そして、その直後目の前の男の首が飛んだ。吹き上がる血飛沫に何が起こったのかまるで分からなかった。
赤い、世界のすべてが赤く染まる。
人形のように俺を蹂躙していた男の体が横倒しに倒れる。俺は何が起こったのか分からない。
男の首が飛び絶命したのだと理解して、俺が悲鳴を上げる前に、義母が真っ青な顔で悲鳴を上げた。
「母……さん……?」
「なんで、こんな……嫌だっ、なんで!」
尋常でない震え方、人が目の前で死んだのだそれは当然の反応だとも言える、けれどその男の首を撥ねたのは貴方なのに……
「こんな、こいつが……」
どこか虚ろな表情へと変わった義母グノーが剣を握り直し、横倒しに倒れた男の死体にまたしても剣を突き立てた。
それは執拗に何度も何度も、その身体が肉片に変わるまで、何度も繰り返されて俺はその光景を赤い部屋の中で呆然と見続けていた。
「ツキノっ……っ、グノー!!」
次に部屋に飛び込んできたのは養父のナダールだった。なんでこの人達俺がここにいるって分かったのかな?
ナダールは肉塊に剣を突き立て続けるグノーを羽交い絞めにするようにして抱き締めた。
「止めてください、その人はもう、死んでいる……」
「でも、だって……こいつが」
養母の視線がゆらりとこちらを向き、俺を見据えてまた悲鳴を上げた。
俺にはもう何が起こっているのかまるで分からなかった。ナダールに続いてばらばらと何人かの男達が続いてその部屋の中に入ってきて、皆一様にその部屋の惨状に顔を背けた。
「ツキノ、大丈夫か? 何があった……?」
男達の1人が俺に駆け寄りそう問うのだが、俺はもう訳も分からず首を振る。
養母の悲鳴はまだ止め処もなく続いていて、養父はそれを宥めるように抱き締めその頭を撫でている。
赤い、部屋も俺の手も身体も全部、真っ赤……
意識が薄れる、霞がかかる、それは安堵なのか絶望なのか、俺はその場で昏倒した。
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