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二人の王子
プロローグ
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目覚めて朝一番に目に飛び込んでくるのは朝日に輝く金色の髪、その髪を見て、幼い頃から何度羨ましいと思った事だろう。
自分の髪は漆黒の色、闇夜に溶ける黒色だ。家族の中で自分だけが違っている、自分だけが他人なのだとずっとそう思っていた。だから「お前の本当の両親は遠くで暮らしているんだよ」と告げられた時にも、それほど驚きはしなかった。
それよりも『あぁ、やっぱり自分だけはこの家の子じゃなかったんだ……』と諦めにも似た気持ちでその言葉を聞いていた。
俺の養い親は別に俺を実子と差別したりはしなかった、けれどそれでも1人だけ違うこの俺の色は口さがない大人達の噂の的になるのは当然だった。
『あら、可愛い兄弟。でも1人だけ毛色が違うのね……』
そんな事を毎度毎度言われ続け、幼い俺はいつも泣いていた。
そんな時にいつも傍に居てくれたのが幼馴染のカイト、今俺の横で寝ている男だ。
『なんでツキの髪は黒いんだろう、こんな色本当に嫌い』
『でも僕はツキノが好きだよ』
そう言って、カイトは俺の横でいつも笑っていた。
金色の髪、養い親の髪も金色で、カイトはよその家の子なのにまるでうちの家族に紛れ込むようにしてそこにいた。
『ツキノはいいなぁ、僕もこの家の子になれたらいいのに……』
常に傍にいたカイト、けれどカイトだけははっきりとうちの子ではないと分かっていた。何故ならカイトにはちゃんとよそに親が居たからだ。
カイトの母親は少し変な人で、自分の興味を惹かれる事があると、そちらに熱中してしまってカイトの存在を忘れてしまう。
そうやって放置され続ける事が続いて、カイトも俺と一緒に俺達の家に暮らすようになった。だから俺達は幼い頃、自分達は本当に兄弟だと思っていたのだ。
でも、違った。俺は毛色が違う、カイトはよそに家がある。
その家の中で俺達2人だけが異物で、俺達は俺達2人だけの世界を作っていった。
「カイト、起きて。お腹空いた……」
「うぅん……まだ早いよ。もう少し……」
むにゃむにゃと寝言のような事を言って寝返りを打ち、彼は向こうを向いてしまう。
1つのベッドで丸まって寝る、それは幼い頃からの習慣で俺達は別段変な事だと思ってはいない、けれど俺もカイトも大きくなった。ベッドはもうずいぶん手狭で、こんな風に一緒に寝られるのもあと少しだと分かっている。
カイトはΩ、俺はα、本当はこんな風に一緒に寝ていていい間柄じゃない、年齢的にももうそんな事は分かっている、だけどもう少し、あともう少しだけと思いながら、俺はその寝顔を眺めている。
カイトの項には常にはチョーカーが嵌められている。Ωは性交時αに項を噛まれると否が応もなく番にされてしまう、それを防ぐ為の防犯用のチョーカーだ。カイトはそのチョーカーがあまり好きではないようで、家にいる間は外している事が多い。
金色の髪が覆い隠すその項を噛んでしまえば、カイトは二度と俺から離れられなくなる、そんな事を思ってその項を眺めるのだけれど、俺はその項を噛む事はしない。
カイトにまだ発情期がきていないのも勿論だが、俺はカイトと番になる気はないからだ。
『ツキノは僕の運命の番だよね?』
幼い頃カイトはそう言ってにっこり笑った。それを幼い頃の自分達は疑いもしていなかった、実際カイトの事は好きだったし、カイトからはいつでもいい匂いがして、俺はその匂いが大好きだったからだ。
けれど、養い親に告げられた自分の出自を知ってから、俺はそんな思いは捨てた。
カイトは好きだ、けれど自分の運命にカイトを巻き込む事はしてはいけない、そう思ったのだ。それにカイトの事は好きだったけれど、それが恋愛感情なのかどうかにも疑問があった、ずっと傍にいた、空気みたいにいて当たり前の存在、だけど自分はカイトを抱きたいのか?と考えたらそれがよく分からない。
傍に居たかった、けれどそれはそういう恋人のような形である必要はない。
実際カイトの方も俺の事は友達、親友と言いはしても恋人だと言ったことは一度もないし、カイトは女の子達によくモテて、常に女の子達を侍らせ王子様のような生活を送っている。
俺達の関係は言葉にできない、当たり前に2人でいるけど、どんな関係にもなれない2人、それが俺達の今の関係なのだ。
俺が養い親の家を飛び出して既に半年程経っている。最初は祖父の元で世話になるのを条件に家を出たのだが、祖父との生活はどうにも性に合わなかった。
俺の祖父はこの国の国王だ。最初に聞いた時は嘘かとも思ったが、それは事実で間違いないらしい。
母はファルス国王陛下の娘ルネーシャ王女、そして俺の父親はメリアの現国王レオン国王である。
何故国王の子である俺が祖国を出され、ファルスの一介の騎士団長の子として育ったのかと言えば、騎士団長の妻グノー・デルクマンが俺の伯父にあたるからだ。
最初はファルス国王の元で俺は育てられる予定だったらしいのだが、幼子だった俺は連れてこられる際伯父であるグノーと離れたがらなかったらしい。当然だが覚えていない。
実の両親が俺を手離した理由は聞いていないが、好きで手離した訳ではないというのは聞いている。だから俺は15になったらメリアに帰ろうと思っている。
隣国メリア、いい噂は聞かない国だ。父は国王を名乗ってはいるが、国内にはたくさんの勢力がひしめき合って、未だに一枚岩の国にはなりきれていないと聞いている。
そこに戻って俺に何ができるかなど今の俺にはまだ分からないけれど、それでも俺はその国を何とかしなければいけないのだ。
そんな俺の運命にカイトは巻き込めない。巻き込んではいけないのだと、その時俺はそう思っていた。
薄暗がりから段々に朝日が強くなってくる。あぁ、それにしても腹が減った。
育ち盛りの俺達は食べても食べても腹が減る、その割にはたいして育っている気がしないのが少し悔しい。
男性Ωのカイトが細身でどちらかといえば女性的なのは納得がいくのだが、半年ほどカイトの方が年上とはいえ、俺の体格とカイトの体格がほぼ同じなのはどうかと思うのだ。
気が付けば4つも年下のウィルにまで身長は抜かされて、言葉に出したりはしないが悔しくて仕方がない。
運動もそれなりにしているつもりなのに、たいして筋肉も付かないし、枝木のような細腕に嫌気が差す。
義理の兄であるユリウス、そして最近知り合い、何故か目の前をちょろちょろしていたノエルとかいう少年も皆一様に体格が良くて、コンプレックスは刺激されまくっている。
これでカイトにまで抜かされたら目も当てられないのだが、カイトだけは自分と変わらぬ体形を維持しているので、隣に立っていても卑屈にならずにすんでいる。それでも、最近のカイトはやはり少しだけ大人びて、もう子供ではいられないのだと思わずにはいられない。
「カイト、腹減った」
「う~ん?」
カイトはまだ夢の中。
別に勝手に台所なりなんなり漁ればいいのだが、それでもここはカイトの家だ、無闇に好き放題はできない。
ついでに言えばカイトは料理上手、というよりは家事の全般彼は得意で、なんやかやとカイトは俺の面倒を見てくれている。
カイトが何故そこまで家事が得意なのかと言えば、彼には生活能力皆無の父親がいるからだ。父親とは言ってもカイトを生んだのはこの父親で、彼は母親であり父親という微妙な立場に立っている。
その父であり母であるカイルは本当にマイペースな人間だ。それこそ先にも言ったように、自分の興味関心のある事を見付けてしまうと周りが何も見えなくなってしまう変わり者。
カイトが幼い頃もそうやって、カイトを放置する事がたびたびあって、俺達の養い親グノーはそれを案じてカイトに一通りの家事を叩き込んだ。
おかげでカイトの家事能力はすこぶる高く、俺はそれに甘え倒す形でここにいる。
自分だって家事ができない訳ではない、カイトが家事を叩き込まれる傍らで俺も同じように教わっていたはずなのだ、けれど所詮覚えなければ自分の生活がままならない人間と、別に覚えなくても誰かがやってくれるという甘えのある人間の差は歴然で、俺はカイトほど万能な人間には育たなかった。
「カイト、ご飯作ってよ」
カイトの作る飯は自分で作る物よりよほど旨い。だから、俺はそうやってカイトに甘えて飯をねだる。カイトもカイトで「ツキノは燃費が悪いよね……」と苦笑しながらいつでも何かを食わせてくれる。
甘えている自覚はある、けれどカイトはそんな俺をいつでも許容する。
どれだけ喧嘩をしてもそれは変わらず、カイトはいつでも俺の横で笑っていた。
※ ※ ※
僕の名前はカイト・リングス。そして目の前で僕の作った料理を作った人間そっちのけで食べ続けているのが僕の幼馴染で恐らく『運命の番』であるツキノ・デルクマン。
「ツキノ、最近ちょっと食べすぎじゃない?」
「ん? そうか?」
「そうだよ、そんなに食べてたら太るよ?」
「別に太るなら太ったで別に構わない」
そう言ってツキノはまたもりもりと食事を再開する。
確かにツキノの体は細い、ある程度食べているにも関わらずそう太る事がない。育ち盛りだという事を鑑みても少しばかり痩せすぎな気がするので、太る分には問題ないのかもしれないのだが、それにしてもよく食べる。
食費も馬鹿にならないんだけどなぁ……なんて事はとりあえず口には出さないけれど、本当は今少し困っている。
ツキノが我が家に転がり込んで来たのは一ヶ月前、僕がここイリヤに戻って来てからちょうど一年目くらいの頃だった。
僕はツキノの養い親であるナダール・デルクマン騎士団長夫妻の元で一年前までは暮らしていた。けれど、僕の親であるカイル・リングスがお城の専属医として勤めだしたのと同時に僕は養い親の元を離れてここイリヤへと戻ってきたのだ。
デルクマン夫妻は「せめて成人するまでは居てくれて構わない」とそう言ったのだが、それでも何となく世話になり続けるのには抵抗があったのと、自分は早く自立しなければいけないという焦りから来る決断だった。
僕の身内は僕を生んでくれたカイルだけだ、他にも親戚はいるのかもしれないけど、聞いた事も見た事もない。
因みに僕を生んでくれたカイルは僕と同じ男性Ωだ。姿形はどこからどう見ても男性なので、対外的には父で通しているが、実際には母になる。
母の出身はランティス王国だと言うのだから、そちらに身内は居そうなものだが、母はそちらと連絡を取っている様子はないので、実際本当に身内は誰も居ないのかもしれないが僕には分からない。
そもそも僕は自分の出自がよく分からない。母は母だと思っている、なんだかんだで自分と母の目鼻立ちはよく似ているから。けれど自分の父親は誰だか教えて貰ったことは無い。
Ωは男性でも子供が生める、父親とは言っているが、α女性である可能性も否定はできない、自分の中に流れているこの血の半分が誰の物なのか僕には知る術もない。
けれど、僕の中にはある確信があった。
僕の面倒を見てくれていたナダール騎士団長、彼は母の幼馴染なのだと聞いた。
彼もまたランティス出身で結婚と同時にファルスに越して来たのだそうだ。そして母はそんな彼を追いかけるようにしてここファルスへと越してきている。
僕の髪は彼によく似た金髪だ。ランティス人は金髪が多いのだそうで、母も勿論金髪なのだが、それでも彼のその色は僕によく似ていると思ったのだ。
それを母に告げたら一笑に付され、ついでにナダールおじさんには困惑されてしまったのだけど、僕はその考えを変える気はない。だって、僕は彼等家族が大好きなのだ。
僕を家族のように受け入れてくれた彼等が好きで、もしそこに入れるのなら……と考えてしまう。ううん、本当はちゃんと分かってる、ナダールおじさんが浮気なんてする訳ないというのは夫婦の様子を見ていれば一目瞭然だから。
でも、それでも僕はそんな妄想を簡単に捨てる事ができなかった。
幸せな家庭その一員になりたい、それはそんなに贅沢な事だろうか? 妄想の中でくらいそんな幸せな家族の一員でいたかった、それは僕のあくまでも希望でしかない。
これは全部夢、そんな事は分かっているんだよ……
「……イト、カイト!」
「え? 何?」
「話、聞いてなかったな。どうしたんだよ、ぼんやりして」
「え……あぁ、うん。何でもない」
「調子でも悪いのか……?」
ツキノが少しだけ心配そうな顔でこちらを見やった。そういう顔も出来るくせに、そんな優しげな顔はほとんど見せてくれない、僕の運命の番。
幼い頃はそれが嬉しくて仕方がなかった、ツキノと番になる事で僕もあの家族の一員になれると単純に信じていたから。
けれど、ツキノはあの家の本当の子供ではなかった。少し考えればすぐに分かる事だった、だってツキノの髪は黒いのだ。暗闇に溶ける漆黒の黒。
養い親のおじさんは金色の髪の持ち主で、その妻は赤髪の持ち主だった。それでもツキノはおばさんや兄妹ともよく似た顔立ちをしていたので、ずっと不思議だったのだが、ツキノはおばさんの血の繋がった甥に当たるのだとようやく最近教えてもらえた。聞いたのは本当につい先日だ。
ツキノは僕に何も話してくれない、それこそツキノ自身の出自も結局僕はツキノからではなくツキノの義兄ユリウスから聞いたのだ。
『ツキノはね、メリアの王子なんだよ……』
ツキノの祖父がファルスの国王陛下だった事にも驚いたが、その母がまさかメリアに嫁いだ彼の娘だなんてまるで寝耳に水の話だった。そんな重要な話、番である僕に話さないなんて事ある?
いや、現在僕達は番ですらない、それでも一緒に暮らしているくらいの仲の人間にそんな重要な事を話さないってどうなの?
しかもツキノはその話をしている最中ですら「カイトには関係ない」の一点張りだ。
確かに関係ないよ、僕達は家族でもなんでもないし、言ってしまえば赤の他人だよ、だけどそれでも言って欲しかったと思うのは僕の我が儘なのかな?
自立をする為にツキノの家族と離れて、どうにかこうにか自分に折り合いを付けて生活をしていた僕の所に土足で転がり込んできた挙句に言った言葉が「関係ない」だよ? どう考えてもおかしいだろ?
ツキノは本当に僕の『運命』なのかすら、それすら分からなくなってきた今日この頃だけど、それでもツキノから薫るフェロモンの香りは僕の不安定な心を安定させる。
1人で居る事に慣れなければと思う心にさりげなく寄り添ってくる。
酷い人。本当に大嫌い、だけど、それでも僕はツキノが隣にいてくれている間は自分から彼と離れる事などできないのだ。
Ωの立場は弱い、僕はΩを公言している訳では無いけど、それでも同じΩの人間やαの人間には僕がΩだという事はすぐに分かってしまう。
薬やフェロモンコントロールである程度は隠せても、やはりバレてしまえば男性Ωは奇異の目で見られる事が多かった。
男性Ω、僕の母もそうだしツキノの養い親であるグノーも男性Ωだ、全くいない訳ではない、けれど数は限りなく少ない。
Ωである事を恥じる事は無いと言い聞かされて育ってきたが、それでも向けられる視線は好意的な物ばかりではなかった。
男性Ωはα男性やβ男性より一般的に線が細い。そんな優男ぶりが女子には安心感を呼ぶのか僕の周りには常に女の子達がいる。
何故そうなるのかβの人間にはまるで分からない事だろうけど、αの人間にはそれが分かる。だから女の子達に囲まれている僕をあいつ等は蔑んだ目で見る事も少なくない。
『お前は男のクセに抱かれる側の人間だもんな』
にやにやとそんな風に言ってくるような奴等は本当に嫌いだ。単純に虐められていると認識してくれるβの女の子達は僕を庇ってくれて居心地がいい、だから僕はツキノが居ない時には彼女達と一緒に過す事が多かった。
それは傍目からは女子にちやほやされているようにも見えて、やっかみの視線も受けるのだけど、女の子達は優しくすれば全員僕の味方になってくれるから、僕は女の子達を周りに侍らせるような生活を送っている。侍らせるとは言っても本当に一緒に過しているだけで、彼女達も男っぽくない僕を好いてくれているだけだから、変にやっかむ必要ないのにね。
男性Ω、抱かれて孕む性……そんな事は知っている。だけど、僕はまだそれがどういうモノかはっきりとは理解していない。
僕にはまだ発情期が来た事はないから。ヒートが来たらΩは生殖の事しか考えられなくなるらしい、それがどういう状態なのか今の僕にはまだよく分かっていない。
母には発情期がない、どうやらそういう特異体質なのだと聞いている。もしかしたら僕もそんな特異体質を引き継いでいる可能性も無くはないけど、それでも番が見付かるまでは危ないからと僕の首には項を噛まれない為のチョーカーが嵌っている。
発情期が来たらツキノに項を噛んでもらって番になればいいと簡単に考えていた僕には少しだけそれは重かったのだけど、今の現状を考えるとその大人達の判断は正しかったのかもとも思う。
『運命の番』
ツキノをずっとそれだと信じて疑いもしてこなかったけれど、もしかしたらツキノは僕の運命ではないのかもしれない、なんて最近は思い始めている。
そもそも僕だって一応男だし? よく考えたらなんでツキノに無条件に抱かれなきゃいけないのかも分からない。相手がαなら別に女の子だっていい訳で、あの家の子になりたいなら僕の番は長女のルイ姉さんでもいい訳だ。
ただ、ルイ姉さんは非常にモテルし、歳もずいぶん上だから難しい気もしなくもない。
だったらユリウス兄さん? 今、ユリウス兄さんノエル(の料理)に夢中だもんなぁ、僕だって料理の腕には自信があるんだけど、まさかあんなに短期間で簡単にノエルが兄さんの胃袋掴んでいったのは予想外。
まるで恋焦がれるみたいに「ノエル君に会いたい……」とか言ってるだけならまだしも「ノエル君の事思い出すとお腹が減る……」って呟きながら食事してるのどうなの? 兄さん完全に色気より食い気じゃん。エンゲル係数高すぎるんだよ! 生活考えるとちょっと食費的にどうなの?! って思っちゃうんだよね。
まぁ、それで言ったら、今目の前で料理をがっついてるツキノも同じなんだけどさ……
「カイトは食わないの?」
「食べるけど、これ一応二人前なの分かってる?」
驚いたようにツキノは自分が食べていた料理を見やり「……少ないだろ」と一言呟いた。
「少なくない! っていうか、ツキノ食べすぎ! 居候の分際で少しは遠慮とかしてくれてもいいと思うんだけど!?」
「腹が減るんだよ……」
「それは分かるよ、僕だってお腹は空くよ! だけどツキノは食費も何も入れてくれないじゃん、うちは親1人子1人で生活かつかつなんだよ!? 節約生活当たり前! お金なかったら食材買うことすらできない事くらいツキノだって分かるだろ!」
なんか驚いたような顔してるけどどういう事!? まさか本気で今まで何も考えずに1ヵ月我が家で飲み食いしてたの? 馬鹿なの!?
生活してくのにお金がかかってないなんて思ってるなら、本気でちょっと神経疑うんだけど! そりゃあ、この間ユリウス兄さんが訪ねて来てくれた時「申し訳ない」って幾らか包んで渡してくれたけど、それツキノの1ヵ月分の生活費としては全然足りてないからね! もしかしてそれすら気付いてなかった訳?!
「呆れた……ツキノってホント根っからの王子様なんだね、生活費なんてどこかから湯水みたいに湧いてくるとでも思ってたの?」
「俺は別に自分を王子だなんて思った事はない」
「そう? その割にはいつも態度も偉そうだし、自分の面倒は誰かが見てくれると思ってるような所あるよね」
「そんな事は思ってない」
「本当かな? 僕にはそう見えるけど」
母は僕が彼等の家に世話になっている間、やはりそれなりの金額をデルクマン夫妻に渡していた。彼等は別にいらないと言っていたけれど、そんなやり取りを何度か見ていて、自分にもお金はかかっている、迷惑をかけている事を自覚していた僕は彼等の家では極力我が儘も言わず、欲しい物も我慢して生活してきた。
けれどツキノはそんな事にはまるで気付いてもいないというのがとても腹立たしい。
『カイトは少し物分りが良すぎるな』
そう言って僕の頭を撫でてくれたのはツキノの養い親のグノーだった。
もっと我が儘を言ってもいいし、好きなようにしていてもいいと言ってくれたのだけど、僕にはそれができなかった。自分の存在が彼等の負担になっていると思ったらそれもできなかったからだ。
「生活費くらいどうにか用立てる」
「おじさんを頼るの? それともおじいさん? いいよね、ツキノには頼れる人がたくさんいてさ。おじさん達もしばらくイリヤに暮らす事になったらしいじゃん、もういっそ帰ったら?」
「……俺は帰らない」
「何をそんな意固地になってるか知らないけど、だったらツキノは何がしたいの? 15になったらメリアに帰るとか行ってるけど、どうやってメリアまで行くの? そのお金も用立ててもらうの?」
現在ツキノは僕の家でごろごろしているだけで特に何もしていない。一応僕達は学校に通っている学生だ。ツキノがイリヤに来たのは半年前「親戚の家に世話になる事になった」と目の前に現れたツキノには驚いたけど、嬉しかったんだ。
もしかして僕を追いかけて来てくれたの? と、思いもしたんだよ? だけど、僕達の関係はそれ以前とやはり何も変わらないまま。
それならそれで「友達、親友」そういう間柄に収まるのかな? となんとなく思っていたら、一ヶ月前突然ツキノが我が家に転がり込んできて、いよいよプロポーズでもしてくれるのかと思ったら、やっぱりそれもなしの礫でツキノはただ僕の家にいるだけだった。
僕は生活の為もあるし、15になったら学校を卒業して騎士団に入るつもりでいた。だから、ツキノもそのつもりなのかと思っていたら、騎士団には入らない宣言、しかもメリアに帰るとか言い出すし、ホントもう訳が分からなかったよね。
『付いて来るか?』って言われたらちょっと考えるなぁ……と思ったけど、それも何もないし、一体僕ってツキノの何なの? お母さん? ただの飯炊き? こういうの何て言うか知ってる? こういうの『ヒモ』って言うんだよ? 自覚ないとかちょっとやばくない?
まぁ、そんな風にツキノを甘やかし倒した責任の一端は僕にもあるんだけどね。
僕はそれでもツキノに傍にいて欲しくて、ツキノのする事を全部許容してきたんだから。僕の家は僕と母の家だけど、母は研究室に籠りがちでほとんど家には帰ってこない。だから誰にも干渉されないこの家はツキノにはずいぶん居心地がいいんだろうって事は分かっていたんだ。
ツキノは僕がいなければ生活もできないし、他の誰を選ぶ事もない。僕はツキノの出自を知るまではそう思っていた。
だけど、違った、僕はただツキノにいいように利用されてるだけだった、生活なんてどうにでもなるよね、だって王子なんだもん。
先の事考えてないの当たり前だよね、だって国に戻れば生活に困る事なんて何もないんだろ? 可愛いお嫁さんだって選り取りみどりじゃん、僕なんて選ぶ必要どこにもないんだ。
っていうか、王子の嫁、お妃が男性Ωなんてありえないよね、はは。
もっと早くに言ってくれたら良かったのに、そうしたらもっと早くから覚悟が出来た、もっと別の人を好きになる事だってできたのに、本当に酷い。
『カイトには関係ない』
その言葉がどれだけ僕の胸に刺さったかなんて、ツキノはきっとそんなに深く考えてもいないんだ。僕なんて所詮ツキノにとってその程度の人間だったって事……本当にツキノなんて嫌い。そんなツキノから離れられない自分も大嫌い。
「ツキノは口では偉そうな事ばっかり言ってるけど、計画性は何もないよね。別に僕に迷惑かからなきゃどうでもいいけど、そろそろ食費がやばいんだよ、このままうちで暮らすつもりなら自分の食い扶持くらい自分で稼いできてよね」
「な……お前だってまだ親に食わせて貰ってる身だろ!」
「僕はバイトして自分の小遣いは稼いでる。年少の子達に勉強教えてあげてるんだよ、知らなかった?」
自分で言うのもなんだけど頭の出来は悪くないんだよ。僕の教え方、分かりやすいって評判いいんだから。そういう所、学者肌の母さんに似たのかもね。
「……ちっ」
「舌打ちしないでよ、ツキノのその短気な所もどうにかした方がいいと思うけど? 王・子・様?」
「王子って言うな!」
「だってツキノは正真正銘王子様じゃん、ごめんね、こんな庶民の食事しか出せなくて」
「それは嫌味か?」
「嫌味だよ、当たり前じゃん。そんな食事だって用意するの大変なんだからね。王子様には分からないかもしれないけど」
ツキノがあからさまに不機嫌を隠さない顔をしているけど、もうそんなの知った事じゃないよ。だって僕なんてツキノにとったらただの空気なんでしょ?
口さがない同級生が教えてくれたよ、本当に僕って馬鹿みたい、そんな風にツキノに思われてた事すら知らなかったんだもん。
空気が口答えしたから怒ったの? だったら僕の目の前から消えてくれたらいいんだ。
もう僕は引き止めないよ。
苛立ったようにツキノが席を立ち、上着を掴んで玄関へと向かった。
「せめて使った食器くらい片付けてくのが礼儀だよ」
更に苛立った様子のツキノは戻って来て手荒に食器を流しに放り込んだ。そんな風に扱ったら食器が割れちゃうよ。そのくらいの事も分からないの?
「また戻ってくるつもりがあるなら、今後ちゃんとそれなりに生活費入れてよね」
「あぁ!?」
「それが出来ないなら僕の家でツキノの世話をするのはもう無理だよ、おじさんの家に帰りなよ。僕だっていつまでもツキノの面倒は見ていられない。僕もちゃんと自分の番を探さないといけないしね……」
「はぁ!?」
「はぁ? って何? ツキノは僕を番にする気ないんだろ?! だったら僕は僕だけを見てくれる恋人を探すよ! 当たり前だろう! Ωの立場は弱いんだ、今はいい薬がたくさん出回って、昔よりかはΩの差別も減ったけど、それでも無闇やたらにフェロモン撒き散らしながら生活なんてできやしない。その為に僕には番が絶対必要なんだ、だけどツキノにその気はないんだろ!」
「それは……」
ツキノが何故か言いよどむ。知ってるよ、僕だって馬鹿じゃない誘惑するように家の中ではチョーカーを外して生活していたって、ツキノは僕に触れようともしなかった。
それは僕に魅力を感じないって事で、その気にもならない僕を番にする気も全く無いって事だろ?
「僕はそれなりにモテるんだよ? でもツキノがいたら恋人も連れ込めない、だからもう出て行って」
「な……恋人って……俺は聞いてない」
「ツキノ聞かなかったじゃん、ツキノ僕に言ったよね? 家族の事、聞かれなかったから言わなかったってさ、僕も同じ、聞かれなかったから言わなかっただけ」
「は……何の冗談……」
「冗談じゃないよ、本当の事だ」
ツキノは怒ったような戸惑ったような顔をしているけど、そんな事知った事じゃない。
ツキノだって少しくらい僕の気持ちを思い知ればいいんだ、無条件で愛されるなんて思い上がり、全部粉々に砕いてやるよ。
僕はにっこり笑みを作る。僕、作り笑い得意なんだよね、笑っていれば皆優しくしてくれる、これは僕の処世術。
「バイバイ、ツキノ。ちゃんとお別れはしたいから、メリアに行く時には声掛けてね。それまでに僕も番相手捕まえるように頑張るよ」
言って、僕は笑顔のまま玄関からツキノを追い出し、扉を閉めて鍵をかけた。
「バイバイ、ツキノ……」
本当はもっと早くにこうするべきだった、こんなに傷口が広がる前に自分の気持ちにケリを付けるべきだった。それでも「もしかしたら」という可能性に縋ってツキノの傍らに居た事が全ての間違いだった。
玄関にもたれるようにして、ずるずると座り込む。もう笑顔なんて作れない、精一杯の虚勢を張って、ようやくツキノを手離せた。
「っく……ふ……」
ぼろぼろと零れ落ちる涙、なんでこんなに苦しいんだろう。ツキノは僕に全然優しくなかった、僕の事なんてこれっぽっちも想ってくれなかった、それなのに、僕はこんなにも彼が愛おしい。
大嫌いなのに、離れられないこの感情はもう『運命』以外の何物でもないと思うのに、ツキノは結局僕を好きだとは一度も言ってはくれなかった……
自分の髪は漆黒の色、闇夜に溶ける黒色だ。家族の中で自分だけが違っている、自分だけが他人なのだとずっとそう思っていた。だから「お前の本当の両親は遠くで暮らしているんだよ」と告げられた時にも、それほど驚きはしなかった。
それよりも『あぁ、やっぱり自分だけはこの家の子じゃなかったんだ……』と諦めにも似た気持ちでその言葉を聞いていた。
俺の養い親は別に俺を実子と差別したりはしなかった、けれどそれでも1人だけ違うこの俺の色は口さがない大人達の噂の的になるのは当然だった。
『あら、可愛い兄弟。でも1人だけ毛色が違うのね……』
そんな事を毎度毎度言われ続け、幼い俺はいつも泣いていた。
そんな時にいつも傍に居てくれたのが幼馴染のカイト、今俺の横で寝ている男だ。
『なんでツキの髪は黒いんだろう、こんな色本当に嫌い』
『でも僕はツキノが好きだよ』
そう言って、カイトは俺の横でいつも笑っていた。
金色の髪、養い親の髪も金色で、カイトはよその家の子なのにまるでうちの家族に紛れ込むようにしてそこにいた。
『ツキノはいいなぁ、僕もこの家の子になれたらいいのに……』
常に傍にいたカイト、けれどカイトだけははっきりとうちの子ではないと分かっていた。何故ならカイトにはちゃんとよそに親が居たからだ。
カイトの母親は少し変な人で、自分の興味を惹かれる事があると、そちらに熱中してしまってカイトの存在を忘れてしまう。
そうやって放置され続ける事が続いて、カイトも俺と一緒に俺達の家に暮らすようになった。だから俺達は幼い頃、自分達は本当に兄弟だと思っていたのだ。
でも、違った。俺は毛色が違う、カイトはよそに家がある。
その家の中で俺達2人だけが異物で、俺達は俺達2人だけの世界を作っていった。
「カイト、起きて。お腹空いた……」
「うぅん……まだ早いよ。もう少し……」
むにゃむにゃと寝言のような事を言って寝返りを打ち、彼は向こうを向いてしまう。
1つのベッドで丸まって寝る、それは幼い頃からの習慣で俺達は別段変な事だと思ってはいない、けれど俺もカイトも大きくなった。ベッドはもうずいぶん手狭で、こんな風に一緒に寝られるのもあと少しだと分かっている。
カイトはΩ、俺はα、本当はこんな風に一緒に寝ていていい間柄じゃない、年齢的にももうそんな事は分かっている、だけどもう少し、あともう少しだけと思いながら、俺はその寝顔を眺めている。
カイトの項には常にはチョーカーが嵌められている。Ωは性交時αに項を噛まれると否が応もなく番にされてしまう、それを防ぐ為の防犯用のチョーカーだ。カイトはそのチョーカーがあまり好きではないようで、家にいる間は外している事が多い。
金色の髪が覆い隠すその項を噛んでしまえば、カイトは二度と俺から離れられなくなる、そんな事を思ってその項を眺めるのだけれど、俺はその項を噛む事はしない。
カイトにまだ発情期がきていないのも勿論だが、俺はカイトと番になる気はないからだ。
『ツキノは僕の運命の番だよね?』
幼い頃カイトはそう言ってにっこり笑った。それを幼い頃の自分達は疑いもしていなかった、実際カイトの事は好きだったし、カイトからはいつでもいい匂いがして、俺はその匂いが大好きだったからだ。
けれど、養い親に告げられた自分の出自を知ってから、俺はそんな思いは捨てた。
カイトは好きだ、けれど自分の運命にカイトを巻き込む事はしてはいけない、そう思ったのだ。それにカイトの事は好きだったけれど、それが恋愛感情なのかどうかにも疑問があった、ずっと傍にいた、空気みたいにいて当たり前の存在、だけど自分はカイトを抱きたいのか?と考えたらそれがよく分からない。
傍に居たかった、けれどそれはそういう恋人のような形である必要はない。
実際カイトの方も俺の事は友達、親友と言いはしても恋人だと言ったことは一度もないし、カイトは女の子達によくモテて、常に女の子達を侍らせ王子様のような生活を送っている。
俺達の関係は言葉にできない、当たり前に2人でいるけど、どんな関係にもなれない2人、それが俺達の今の関係なのだ。
俺が養い親の家を飛び出して既に半年程経っている。最初は祖父の元で世話になるのを条件に家を出たのだが、祖父との生活はどうにも性に合わなかった。
俺の祖父はこの国の国王だ。最初に聞いた時は嘘かとも思ったが、それは事実で間違いないらしい。
母はファルス国王陛下の娘ルネーシャ王女、そして俺の父親はメリアの現国王レオン国王である。
何故国王の子である俺が祖国を出され、ファルスの一介の騎士団長の子として育ったのかと言えば、騎士団長の妻グノー・デルクマンが俺の伯父にあたるからだ。
最初はファルス国王の元で俺は育てられる予定だったらしいのだが、幼子だった俺は連れてこられる際伯父であるグノーと離れたがらなかったらしい。当然だが覚えていない。
実の両親が俺を手離した理由は聞いていないが、好きで手離した訳ではないというのは聞いている。だから俺は15になったらメリアに帰ろうと思っている。
隣国メリア、いい噂は聞かない国だ。父は国王を名乗ってはいるが、国内にはたくさんの勢力がひしめき合って、未だに一枚岩の国にはなりきれていないと聞いている。
そこに戻って俺に何ができるかなど今の俺にはまだ分からないけれど、それでも俺はその国を何とかしなければいけないのだ。
そんな俺の運命にカイトは巻き込めない。巻き込んではいけないのだと、その時俺はそう思っていた。
薄暗がりから段々に朝日が強くなってくる。あぁ、それにしても腹が減った。
育ち盛りの俺達は食べても食べても腹が減る、その割にはたいして育っている気がしないのが少し悔しい。
男性Ωのカイトが細身でどちらかといえば女性的なのは納得がいくのだが、半年ほどカイトの方が年上とはいえ、俺の体格とカイトの体格がほぼ同じなのはどうかと思うのだ。
気が付けば4つも年下のウィルにまで身長は抜かされて、言葉に出したりはしないが悔しくて仕方がない。
運動もそれなりにしているつもりなのに、たいして筋肉も付かないし、枝木のような細腕に嫌気が差す。
義理の兄であるユリウス、そして最近知り合い、何故か目の前をちょろちょろしていたノエルとかいう少年も皆一様に体格が良くて、コンプレックスは刺激されまくっている。
これでカイトにまで抜かされたら目も当てられないのだが、カイトだけは自分と変わらぬ体形を維持しているので、隣に立っていても卑屈にならずにすんでいる。それでも、最近のカイトはやはり少しだけ大人びて、もう子供ではいられないのだと思わずにはいられない。
「カイト、腹減った」
「う~ん?」
カイトはまだ夢の中。
別に勝手に台所なりなんなり漁ればいいのだが、それでもここはカイトの家だ、無闇に好き放題はできない。
ついでに言えばカイトは料理上手、というよりは家事の全般彼は得意で、なんやかやとカイトは俺の面倒を見てくれている。
カイトが何故そこまで家事が得意なのかと言えば、彼には生活能力皆無の父親がいるからだ。父親とは言ってもカイトを生んだのはこの父親で、彼は母親であり父親という微妙な立場に立っている。
その父であり母であるカイルは本当にマイペースな人間だ。それこそ先にも言ったように、自分の興味関心のある事を見付けてしまうと周りが何も見えなくなってしまう変わり者。
カイトが幼い頃もそうやって、カイトを放置する事がたびたびあって、俺達の養い親グノーはそれを案じてカイトに一通りの家事を叩き込んだ。
おかげでカイトの家事能力はすこぶる高く、俺はそれに甘え倒す形でここにいる。
自分だって家事ができない訳ではない、カイトが家事を叩き込まれる傍らで俺も同じように教わっていたはずなのだ、けれど所詮覚えなければ自分の生活がままならない人間と、別に覚えなくても誰かがやってくれるという甘えのある人間の差は歴然で、俺はカイトほど万能な人間には育たなかった。
「カイト、ご飯作ってよ」
カイトの作る飯は自分で作る物よりよほど旨い。だから、俺はそうやってカイトに甘えて飯をねだる。カイトもカイトで「ツキノは燃費が悪いよね……」と苦笑しながらいつでも何かを食わせてくれる。
甘えている自覚はある、けれどカイトはそんな俺をいつでも許容する。
どれだけ喧嘩をしてもそれは変わらず、カイトはいつでも俺の横で笑っていた。
※ ※ ※
僕の名前はカイト・リングス。そして目の前で僕の作った料理を作った人間そっちのけで食べ続けているのが僕の幼馴染で恐らく『運命の番』であるツキノ・デルクマン。
「ツキノ、最近ちょっと食べすぎじゃない?」
「ん? そうか?」
「そうだよ、そんなに食べてたら太るよ?」
「別に太るなら太ったで別に構わない」
そう言ってツキノはまたもりもりと食事を再開する。
確かにツキノの体は細い、ある程度食べているにも関わらずそう太る事がない。育ち盛りだという事を鑑みても少しばかり痩せすぎな気がするので、太る分には問題ないのかもしれないのだが、それにしてもよく食べる。
食費も馬鹿にならないんだけどなぁ……なんて事はとりあえず口には出さないけれど、本当は今少し困っている。
ツキノが我が家に転がり込んで来たのは一ヶ月前、僕がここイリヤに戻って来てからちょうど一年目くらいの頃だった。
僕はツキノの養い親であるナダール・デルクマン騎士団長夫妻の元で一年前までは暮らしていた。けれど、僕の親であるカイル・リングスがお城の専属医として勤めだしたのと同時に僕は養い親の元を離れてここイリヤへと戻ってきたのだ。
デルクマン夫妻は「せめて成人するまでは居てくれて構わない」とそう言ったのだが、それでも何となく世話になり続けるのには抵抗があったのと、自分は早く自立しなければいけないという焦りから来る決断だった。
僕の身内は僕を生んでくれたカイルだけだ、他にも親戚はいるのかもしれないけど、聞いた事も見た事もない。
因みに僕を生んでくれたカイルは僕と同じ男性Ωだ。姿形はどこからどう見ても男性なので、対外的には父で通しているが、実際には母になる。
母の出身はランティス王国だと言うのだから、そちらに身内は居そうなものだが、母はそちらと連絡を取っている様子はないので、実際本当に身内は誰も居ないのかもしれないが僕には分からない。
そもそも僕は自分の出自がよく分からない。母は母だと思っている、なんだかんだで自分と母の目鼻立ちはよく似ているから。けれど自分の父親は誰だか教えて貰ったことは無い。
Ωは男性でも子供が生める、父親とは言っているが、α女性である可能性も否定はできない、自分の中に流れているこの血の半分が誰の物なのか僕には知る術もない。
けれど、僕の中にはある確信があった。
僕の面倒を見てくれていたナダール騎士団長、彼は母の幼馴染なのだと聞いた。
彼もまたランティス出身で結婚と同時にファルスに越して来たのだそうだ。そして母はそんな彼を追いかけるようにしてここファルスへと越してきている。
僕の髪は彼によく似た金髪だ。ランティス人は金髪が多いのだそうで、母も勿論金髪なのだが、それでも彼のその色は僕によく似ていると思ったのだ。
それを母に告げたら一笑に付され、ついでにナダールおじさんには困惑されてしまったのだけど、僕はその考えを変える気はない。だって、僕は彼等家族が大好きなのだ。
僕を家族のように受け入れてくれた彼等が好きで、もしそこに入れるのなら……と考えてしまう。ううん、本当はちゃんと分かってる、ナダールおじさんが浮気なんてする訳ないというのは夫婦の様子を見ていれば一目瞭然だから。
でも、それでも僕はそんな妄想を簡単に捨てる事ができなかった。
幸せな家庭その一員になりたい、それはそんなに贅沢な事だろうか? 妄想の中でくらいそんな幸せな家族の一員でいたかった、それは僕のあくまでも希望でしかない。
これは全部夢、そんな事は分かっているんだよ……
「……イト、カイト!」
「え? 何?」
「話、聞いてなかったな。どうしたんだよ、ぼんやりして」
「え……あぁ、うん。何でもない」
「調子でも悪いのか……?」
ツキノが少しだけ心配そうな顔でこちらを見やった。そういう顔も出来るくせに、そんな優しげな顔はほとんど見せてくれない、僕の運命の番。
幼い頃はそれが嬉しくて仕方がなかった、ツキノと番になる事で僕もあの家族の一員になれると単純に信じていたから。
けれど、ツキノはあの家の本当の子供ではなかった。少し考えればすぐに分かる事だった、だってツキノの髪は黒いのだ。暗闇に溶ける漆黒の黒。
養い親のおじさんは金色の髪の持ち主で、その妻は赤髪の持ち主だった。それでもツキノはおばさんや兄妹ともよく似た顔立ちをしていたので、ずっと不思議だったのだが、ツキノはおばさんの血の繋がった甥に当たるのだとようやく最近教えてもらえた。聞いたのは本当につい先日だ。
ツキノは僕に何も話してくれない、それこそツキノ自身の出自も結局僕はツキノからではなくツキノの義兄ユリウスから聞いたのだ。
『ツキノはね、メリアの王子なんだよ……』
ツキノの祖父がファルスの国王陛下だった事にも驚いたが、その母がまさかメリアに嫁いだ彼の娘だなんてまるで寝耳に水の話だった。そんな重要な話、番である僕に話さないなんて事ある?
いや、現在僕達は番ですらない、それでも一緒に暮らしているくらいの仲の人間にそんな重要な事を話さないってどうなの?
しかもツキノはその話をしている最中ですら「カイトには関係ない」の一点張りだ。
確かに関係ないよ、僕達は家族でもなんでもないし、言ってしまえば赤の他人だよ、だけどそれでも言って欲しかったと思うのは僕の我が儘なのかな?
自立をする為にツキノの家族と離れて、どうにかこうにか自分に折り合いを付けて生活をしていた僕の所に土足で転がり込んできた挙句に言った言葉が「関係ない」だよ? どう考えてもおかしいだろ?
ツキノは本当に僕の『運命』なのかすら、それすら分からなくなってきた今日この頃だけど、それでもツキノから薫るフェロモンの香りは僕の不安定な心を安定させる。
1人で居る事に慣れなければと思う心にさりげなく寄り添ってくる。
酷い人。本当に大嫌い、だけど、それでも僕はツキノが隣にいてくれている間は自分から彼と離れる事などできないのだ。
Ωの立場は弱い、僕はΩを公言している訳では無いけど、それでも同じΩの人間やαの人間には僕がΩだという事はすぐに分かってしまう。
薬やフェロモンコントロールである程度は隠せても、やはりバレてしまえば男性Ωは奇異の目で見られる事が多かった。
男性Ω、僕の母もそうだしツキノの養い親であるグノーも男性Ωだ、全くいない訳ではない、けれど数は限りなく少ない。
Ωである事を恥じる事は無いと言い聞かされて育ってきたが、それでも向けられる視線は好意的な物ばかりではなかった。
男性Ωはα男性やβ男性より一般的に線が細い。そんな優男ぶりが女子には安心感を呼ぶのか僕の周りには常に女の子達がいる。
何故そうなるのかβの人間にはまるで分からない事だろうけど、αの人間にはそれが分かる。だから女の子達に囲まれている僕をあいつ等は蔑んだ目で見る事も少なくない。
『お前は男のクセに抱かれる側の人間だもんな』
にやにやとそんな風に言ってくるような奴等は本当に嫌いだ。単純に虐められていると認識してくれるβの女の子達は僕を庇ってくれて居心地がいい、だから僕はツキノが居ない時には彼女達と一緒に過す事が多かった。
それは傍目からは女子にちやほやされているようにも見えて、やっかみの視線も受けるのだけど、女の子達は優しくすれば全員僕の味方になってくれるから、僕は女の子達を周りに侍らせるような生活を送っている。侍らせるとは言っても本当に一緒に過しているだけで、彼女達も男っぽくない僕を好いてくれているだけだから、変にやっかむ必要ないのにね。
男性Ω、抱かれて孕む性……そんな事は知っている。だけど、僕はまだそれがどういうモノかはっきりとは理解していない。
僕にはまだ発情期が来た事はないから。ヒートが来たらΩは生殖の事しか考えられなくなるらしい、それがどういう状態なのか今の僕にはまだよく分かっていない。
母には発情期がない、どうやらそういう特異体質なのだと聞いている。もしかしたら僕もそんな特異体質を引き継いでいる可能性も無くはないけど、それでも番が見付かるまでは危ないからと僕の首には項を噛まれない為のチョーカーが嵌っている。
発情期が来たらツキノに項を噛んでもらって番になればいいと簡単に考えていた僕には少しだけそれは重かったのだけど、今の現状を考えるとその大人達の判断は正しかったのかもとも思う。
『運命の番』
ツキノをずっとそれだと信じて疑いもしてこなかったけれど、もしかしたらツキノは僕の運命ではないのかもしれない、なんて最近は思い始めている。
そもそも僕だって一応男だし? よく考えたらなんでツキノに無条件に抱かれなきゃいけないのかも分からない。相手がαなら別に女の子だっていい訳で、あの家の子になりたいなら僕の番は長女のルイ姉さんでもいい訳だ。
ただ、ルイ姉さんは非常にモテルし、歳もずいぶん上だから難しい気もしなくもない。
だったらユリウス兄さん? 今、ユリウス兄さんノエル(の料理)に夢中だもんなぁ、僕だって料理の腕には自信があるんだけど、まさかあんなに短期間で簡単にノエルが兄さんの胃袋掴んでいったのは予想外。
まるで恋焦がれるみたいに「ノエル君に会いたい……」とか言ってるだけならまだしも「ノエル君の事思い出すとお腹が減る……」って呟きながら食事してるのどうなの? 兄さん完全に色気より食い気じゃん。エンゲル係数高すぎるんだよ! 生活考えるとちょっと食費的にどうなの?! って思っちゃうんだよね。
まぁ、それで言ったら、今目の前で料理をがっついてるツキノも同じなんだけどさ……
「カイトは食わないの?」
「食べるけど、これ一応二人前なの分かってる?」
驚いたようにツキノは自分が食べていた料理を見やり「……少ないだろ」と一言呟いた。
「少なくない! っていうか、ツキノ食べすぎ! 居候の分際で少しは遠慮とかしてくれてもいいと思うんだけど!?」
「腹が減るんだよ……」
「それは分かるよ、僕だってお腹は空くよ! だけどツキノは食費も何も入れてくれないじゃん、うちは親1人子1人で生活かつかつなんだよ!? 節約生活当たり前! お金なかったら食材買うことすらできない事くらいツキノだって分かるだろ!」
なんか驚いたような顔してるけどどういう事!? まさか本気で今まで何も考えずに1ヵ月我が家で飲み食いしてたの? 馬鹿なの!?
生活してくのにお金がかかってないなんて思ってるなら、本気でちょっと神経疑うんだけど! そりゃあ、この間ユリウス兄さんが訪ねて来てくれた時「申し訳ない」って幾らか包んで渡してくれたけど、それツキノの1ヵ月分の生活費としては全然足りてないからね! もしかしてそれすら気付いてなかった訳?!
「呆れた……ツキノってホント根っからの王子様なんだね、生活費なんてどこかから湯水みたいに湧いてくるとでも思ってたの?」
「俺は別に自分を王子だなんて思った事はない」
「そう? その割にはいつも態度も偉そうだし、自分の面倒は誰かが見てくれると思ってるような所あるよね」
「そんな事は思ってない」
「本当かな? 僕にはそう見えるけど」
母は僕が彼等の家に世話になっている間、やはりそれなりの金額をデルクマン夫妻に渡していた。彼等は別にいらないと言っていたけれど、そんなやり取りを何度か見ていて、自分にもお金はかかっている、迷惑をかけている事を自覚していた僕は彼等の家では極力我が儘も言わず、欲しい物も我慢して生活してきた。
けれどツキノはそんな事にはまるで気付いてもいないというのがとても腹立たしい。
『カイトは少し物分りが良すぎるな』
そう言って僕の頭を撫でてくれたのはツキノの養い親のグノーだった。
もっと我が儘を言ってもいいし、好きなようにしていてもいいと言ってくれたのだけど、僕にはそれができなかった。自分の存在が彼等の負担になっていると思ったらそれもできなかったからだ。
「生活費くらいどうにか用立てる」
「おじさんを頼るの? それともおじいさん? いいよね、ツキノには頼れる人がたくさんいてさ。おじさん達もしばらくイリヤに暮らす事になったらしいじゃん、もういっそ帰ったら?」
「……俺は帰らない」
「何をそんな意固地になってるか知らないけど、だったらツキノは何がしたいの? 15になったらメリアに帰るとか行ってるけど、どうやってメリアまで行くの? そのお金も用立ててもらうの?」
現在ツキノは僕の家でごろごろしているだけで特に何もしていない。一応僕達は学校に通っている学生だ。ツキノがイリヤに来たのは半年前「親戚の家に世話になる事になった」と目の前に現れたツキノには驚いたけど、嬉しかったんだ。
もしかして僕を追いかけて来てくれたの? と、思いもしたんだよ? だけど、僕達の関係はそれ以前とやはり何も変わらないまま。
それならそれで「友達、親友」そういう間柄に収まるのかな? となんとなく思っていたら、一ヶ月前突然ツキノが我が家に転がり込んできて、いよいよプロポーズでもしてくれるのかと思ったら、やっぱりそれもなしの礫でツキノはただ僕の家にいるだけだった。
僕は生活の為もあるし、15になったら学校を卒業して騎士団に入るつもりでいた。だから、ツキノもそのつもりなのかと思っていたら、騎士団には入らない宣言、しかもメリアに帰るとか言い出すし、ホントもう訳が分からなかったよね。
『付いて来るか?』って言われたらちょっと考えるなぁ……と思ったけど、それも何もないし、一体僕ってツキノの何なの? お母さん? ただの飯炊き? こういうの何て言うか知ってる? こういうの『ヒモ』って言うんだよ? 自覚ないとかちょっとやばくない?
まぁ、そんな風にツキノを甘やかし倒した責任の一端は僕にもあるんだけどね。
僕はそれでもツキノに傍にいて欲しくて、ツキノのする事を全部許容してきたんだから。僕の家は僕と母の家だけど、母は研究室に籠りがちでほとんど家には帰ってこない。だから誰にも干渉されないこの家はツキノにはずいぶん居心地がいいんだろうって事は分かっていたんだ。
ツキノは僕がいなければ生活もできないし、他の誰を選ぶ事もない。僕はツキノの出自を知るまではそう思っていた。
だけど、違った、僕はただツキノにいいように利用されてるだけだった、生活なんてどうにでもなるよね、だって王子なんだもん。
先の事考えてないの当たり前だよね、だって国に戻れば生活に困る事なんて何もないんだろ? 可愛いお嫁さんだって選り取りみどりじゃん、僕なんて選ぶ必要どこにもないんだ。
っていうか、王子の嫁、お妃が男性Ωなんてありえないよね、はは。
もっと早くに言ってくれたら良かったのに、そうしたらもっと早くから覚悟が出来た、もっと別の人を好きになる事だってできたのに、本当に酷い。
『カイトには関係ない』
その言葉がどれだけ僕の胸に刺さったかなんて、ツキノはきっとそんなに深く考えてもいないんだ。僕なんて所詮ツキノにとってその程度の人間だったって事……本当にツキノなんて嫌い。そんなツキノから離れられない自分も大嫌い。
「ツキノは口では偉そうな事ばっかり言ってるけど、計画性は何もないよね。別に僕に迷惑かからなきゃどうでもいいけど、そろそろ食費がやばいんだよ、このままうちで暮らすつもりなら自分の食い扶持くらい自分で稼いできてよね」
「な……お前だってまだ親に食わせて貰ってる身だろ!」
「僕はバイトして自分の小遣いは稼いでる。年少の子達に勉強教えてあげてるんだよ、知らなかった?」
自分で言うのもなんだけど頭の出来は悪くないんだよ。僕の教え方、分かりやすいって評判いいんだから。そういう所、学者肌の母さんに似たのかもね。
「……ちっ」
「舌打ちしないでよ、ツキノのその短気な所もどうにかした方がいいと思うけど? 王・子・様?」
「王子って言うな!」
「だってツキノは正真正銘王子様じゃん、ごめんね、こんな庶民の食事しか出せなくて」
「それは嫌味か?」
「嫌味だよ、当たり前じゃん。そんな食事だって用意するの大変なんだからね。王子様には分からないかもしれないけど」
ツキノがあからさまに不機嫌を隠さない顔をしているけど、もうそんなの知った事じゃないよ。だって僕なんてツキノにとったらただの空気なんでしょ?
口さがない同級生が教えてくれたよ、本当に僕って馬鹿みたい、そんな風にツキノに思われてた事すら知らなかったんだもん。
空気が口答えしたから怒ったの? だったら僕の目の前から消えてくれたらいいんだ。
もう僕は引き止めないよ。
苛立ったようにツキノが席を立ち、上着を掴んで玄関へと向かった。
「せめて使った食器くらい片付けてくのが礼儀だよ」
更に苛立った様子のツキノは戻って来て手荒に食器を流しに放り込んだ。そんな風に扱ったら食器が割れちゃうよ。そのくらいの事も分からないの?
「また戻ってくるつもりがあるなら、今後ちゃんとそれなりに生活費入れてよね」
「あぁ!?」
「それが出来ないなら僕の家でツキノの世話をするのはもう無理だよ、おじさんの家に帰りなよ。僕だっていつまでもツキノの面倒は見ていられない。僕もちゃんと自分の番を探さないといけないしね……」
「はぁ!?」
「はぁ? って何? ツキノは僕を番にする気ないんだろ?! だったら僕は僕だけを見てくれる恋人を探すよ! 当たり前だろう! Ωの立場は弱いんだ、今はいい薬がたくさん出回って、昔よりかはΩの差別も減ったけど、それでも無闇やたらにフェロモン撒き散らしながら生活なんてできやしない。その為に僕には番が絶対必要なんだ、だけどツキノにその気はないんだろ!」
「それは……」
ツキノが何故か言いよどむ。知ってるよ、僕だって馬鹿じゃない誘惑するように家の中ではチョーカーを外して生活していたって、ツキノは僕に触れようともしなかった。
それは僕に魅力を感じないって事で、その気にもならない僕を番にする気も全く無いって事だろ?
「僕はそれなりにモテるんだよ? でもツキノがいたら恋人も連れ込めない、だからもう出て行って」
「な……恋人って……俺は聞いてない」
「ツキノ聞かなかったじゃん、ツキノ僕に言ったよね? 家族の事、聞かれなかったから言わなかったってさ、僕も同じ、聞かれなかったから言わなかっただけ」
「は……何の冗談……」
「冗談じゃないよ、本当の事だ」
ツキノは怒ったような戸惑ったような顔をしているけど、そんな事知った事じゃない。
ツキノだって少しくらい僕の気持ちを思い知ればいいんだ、無条件で愛されるなんて思い上がり、全部粉々に砕いてやるよ。
僕はにっこり笑みを作る。僕、作り笑い得意なんだよね、笑っていれば皆優しくしてくれる、これは僕の処世術。
「バイバイ、ツキノ。ちゃんとお別れはしたいから、メリアに行く時には声掛けてね。それまでに僕も番相手捕まえるように頑張るよ」
言って、僕は笑顔のまま玄関からツキノを追い出し、扉を閉めて鍵をかけた。
「バイバイ、ツキノ……」
本当はもっと早くにこうするべきだった、こんなに傷口が広がる前に自分の気持ちにケリを付けるべきだった。それでも「もしかしたら」という可能性に縋ってツキノの傍らに居た事が全ての間違いだった。
玄関にもたれるようにして、ずるずると座り込む。もう笑顔なんて作れない、精一杯の虚勢を張って、ようやくツキノを手離せた。
「っく……ふ……」
ぼろぼろと零れ落ちる涙、なんでこんなに苦しいんだろう。ツキノは僕に全然優しくなかった、僕の事なんてこれっぽっちも想ってくれなかった、それなのに、僕はこんなにも彼が愛おしい。
大嫌いなのに、離れられないこの感情はもう『運命』以外の何物でもないと思うのに、ツキノは結局僕を好きだとは一度も言ってはくれなかった……
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