運命に花束を

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世界一メンドくさい君を想う

世界一メンドくさい君を想う⑤

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 3年に一度の武闘会が終わり、なんとなく仕事が落ち着いた頃ルークがぼそりと俺に告げた。

「ちょっとさぁ、母親に会いに行ってこようかと思うんだよね」
「母親? あのランティスの……?」

 ルークの母親は今までどこの誰だか分からなかったのだが、数ヶ月前、ルークの伯父である村長がルークに語った話しでは、生まれたばかりのルークを手にかけようとしていた母親から我が子であるルークを攫って、父親であるリンがここムソンへ連れ帰ってきたとそういう話だった。
 ルークの母親はランティスの貴族の娘でリンとは別に夫も子もいる女性なのだそうだ。

「うん、やっぱり自分のルーツって気になるじゃん? だから武闘会の時に親父に聞いたんだよねぇ、そしたら割とすんなり居場所教えてくれたんだ。っていうか、あの人俺に話してない事なんて全然気にしてなかったみたいでさ『言ってなかったか?』とかけろっとした顔で言うんだよ。挙句の果てに『もうとっくに聞いてるもんだと思ってた』ってさ、馬鹿にするにも程があると思わない?」
「それはまた……親父さんらしいといえばらしい話だな」
「だろぉ、それでさ『会ってみたい』って言ったら『好きにしろ』ってさ。こっちは聞いちゃいけない話なのかと思って今まで黙ってたのに拍子抜けもいい所だよ」

 ルークは口を尖らせるようにしてぶつぶつと零す。だが確かにそんな対応をされたら零したくなる気持ちも分からないでもない。

「でもさ、その母親ってお前を殺そうとしたんじゃなかったか……? そんな母親にわざわざ会いに行くのもどうかと思うぞ」
「うん、だよねぇ……オレも伯父さんがそう言ってたからそうだと思ってたんだけど、なんか親父の話聞いてると、その話、なんか間違ってるっぽいんだよねぇ」
「そうなのか?」
「うん、親父ってば最近は国王陛下の身代わりみたいな事もやってて忙しいじゃん? その時もあんまり詳しい話聞けなくてさ、詳しく知りたいなら母親に直接聞けって丸投げでさぁ、さすがのオレもえぇ~ってなったよね」
「それはまた、何というか……ご愁傷様?」
「まぁ、そんな訳でさ、親父に丸投げされたから、ちょっと母親に会ってみようと思うわけ」

 ルークの言葉に「ふむ」と頷き「じゃあ一緒に行くか」と言葉を返すと、ルークが些か驚いたような表情を見せた。

「え? サクヤも一緒に行ってくれるの?」
「駄目か?」
「全然! こんなのオレの私用だから『勝手に行って来い』って言われるかと思った」

 確かに言われてみたらその通りか、でも自分自身ルークの母親という人に興味はある。

「じゃあさ、じゃあさ、これって新婚旅行だね」
「……は?」

 確かにルークにプロポーズをされて「まぁ、仕方がないな」という形で了承した。
 そんなのは俺の照れ隠しだと分かっているルークは困ったように笑っているのだが、俺は彼の前では素直になれない。
 いつでも主導権は握っていたい俺に合わせるように彼は笑う。そんな彼の態度が全て計算尽くなのだという事を俺はもう知っているのだけど、俺もルークもそこは知らんふりを決め込んでいる。

「新婚旅行って……結局まだうちの父さんに挨拶にも行けてない奴がよく言う」
「あぁ、ソレ言う! 言っちゃうのっ!? 分かってるよ、ちゃんと挨拶に行かなきゃいけない事くらい、だけどさぁ、サクヤの親父さん超怖い……」

 脅えたようにルークは言った。俺はこればかりは演技ではなく彼の本心なのだとなんとなく分かっている。
 何故だか昔からルークはうちの父親がとても苦手だ。
 別に何をするでも言うでもなかったはずなのだが、何故か昔からルークはうちの父親を見かけるたびに無言で逃げ出す。
 今まで「何でだ?」と聞いても曖昧に誤魔化されてきたのだが、やはりそれが不思議な俺は改めて「うちの父さんそんなに怖い?」と首を傾げた。
 物静かで声を荒げる事もない静かな父親だ。
 母を亡くしてから男手ひとつで俺と姉を育ててくれた、本当にその辺にいる普通の父親なのだけれど……

「今まで言わなかったけどさぁ、親父さんオレがサクヤの事好きなこと、かなり早い段階から気付いててさ、物凄く無言で圧力加えてくるんだよ。本気で怖いんだよっ! 始めてそれされたのオレまだ5歳とか6歳とかそんな時だよっ、大人気なくない? ってか、サクヤと結婚なんて言ったら殺されるんじゃないかって、オレ結構本気で思ってる……」

 そんな話しは全くの初耳で、俺は戸惑いを隠せない。

「父さん、そんな事してたんだ……?」
「そうだよっ、サクヤは気付かないからって、子供に対する扱いじゃないよ。サリサ姉さんだってどん引きだよっ」
「姉さんは知ってたんだ……」

 だから姉のサリサはルークが幼い頃から俺を好きな事を知っていたという事か。

「お前もそんな事されてよく諦めなかったな……」
「オレの執念深さはサクヤも知ってるよね?」

 ルークはにっこり笑みを見せる。
 あぁ、そうだな、お前の執念深さは身を持って体験したから今更知らないとも言えないな。

「でも実際問題『ちゃんと挨拶に行ったのか!』って伯父さんもうるさくてさぁ……やっぱり行かなきゃ駄目だよねぇ……」
「まぁ、一応基本的にはそうだろうな」

 気が重い……とルークはうなだれる。こんなにテンションの低いルークも珍しい。

「そんなに嫌なら俺から言っとくし、別に無理しなくてもいいけどな」
「それは駄目!」

 甘やかすように言った俺の言葉にルークはがばっと顔を上げて「それ絶対駄目だから!」と更に言い募った。

「それやったら、もう絶対親父さんオレの事許してくれない気がする!」
「え……そうかなぁ……? 別にそこまで気難しい人でもないぞ?」
「駄目ったら、駄目。ちゃんと挨拶は行くからっ、覚悟が決まるまでもう少し待ってて」
「それって問題を先送りにしてるだけなんじゃあ……?」
「サクヤが抱かせてくれたら、今すぐ覚悟決める!」

 ルークの言葉に俺は言葉を無くした。

「な……それとこれとは話しが別……」
「別じゃない! 結婚って言ったら、そういうのもあってしかるべきだからっ」
「だったら婚前交渉はしないっ」
「ちょっ! マジか……」

 ルークは本気で真剣に悩み始めてしまって、俺は苦笑した。

「さて、今日も晩御飯はきのこ尽くしかなぁ……」

 話を変えるように俺は立ち上がり、台所へと赴くと「またぁ?」とルークは不服顔で付いてくる。

「最近父さんがマメに持って来てくれるんだよ、実の所、お前の様子を伺いに来てるんだったりしてな」

 父にはルークとの同居は伝えてある。
 俺の好物のそのきのこは実家の裏に自生している物で、父はそれを携えて来訪するのだが、もしかしたらそれはたただの口実なのかもしれない。
 自分はβだし、ルークはα、同棲だとは思っていないと思っていたが、もしかするとこれは既に勘付かれているかもしれないなと俺は更に苦笑する。
 父は俺には何も言わない、けれど最近はルークが俺に匂い付けをしているそうなので、その匂いに父は気付いているのではないかと思う。

「うぐぅ……だとしたらやっぱり早目に挨拶行かないとヤバイなぁ……」

 「嫌だなぁ、怖いなぁ」とぶつぶつ呟きながらルークは俺の肩口にぐりぐりと頭を擦りつけた。そんな彼の頭をぽんぽんと叩くように撫でて「自分も一緒に行くし、殺されたりはしないから安心しろ」と笑みを零すと「サクヤ好きぃ」とまた抱き締められた。


  ※  ※  ※


 そんな話をしていた数日後、何故か俺達はまた長老様に呼び出された。

「今度は何だろう?」
「さっさと結婚式の日取り決めろ! とかだったりして」

 ルークはくすくす笑っているが、それはあながち無い話ではない気がして、少しばかり気が重い。
 結婚……俺達本当に結婚するのかな……? どうにも実感は乏しいままだ。

「じーちゃん、来たよぉ」

 ルークが祖父の家に顔を出すと、以前と同様そこにはまた同席者がいた。
 ルークはその同席者の顔を見て顔を強張らせる。

「父さん……なんで?」

 そこに居たのはサクヤの父セイヤで、彼は困ったように苦笑するのみで何も答えてはくれなかった。
 そして、その場の同席者はサクヤの父だけではなかった、そこにはこの村の唯一の医者である初老の医者先生もいて、何やら怖い顔でこちらを見ていた。

「おやおや、これは本当に綺麗さっぱり消えているのう」

 ルークの祖父である長老は可笑しそうに笑う。それを諌めたのは医者先生で「笑い事ではないです!」と長老を一喝した。
 何の話をしているのかまるで分からない俺達は首を傾げるばかりだ。

「まぁ、2人共お掛けなさい」

 ルークの祖父である長老はにこにこと笑みを浮かべて2人に椅子に掛けるように促した。

「あの……これはどういう……?」
「ふむ、サクヤはまるで分かっておらんようじゃの。ルーク、お前は自覚症状があるのじゃないかね?」
「自覚症状? 何の話?」

 ルークも分かっていないのか長老の問いに首を傾げる。

「これは完全に中毒症状ですよ。感覚自体鈍ってしまっているのでしょう……あれほど食べさせるなと再三忠告しておいたのに、これはどういう事ですか!? あなたの管理責任を問われますよセイヤさん!」

 医者先生の怒りの矛先はサクヤの父セイヤに向き、それに対して彼は静かに微笑むだけだ。

「オレ達話が全然見えないんだけど、じーちゃんこれどういう事?」
「ふむ、わしもそこまで怒る事でもないと思うのじゃがなぁ……」
「長老!」

 医者先生は八方に対して怒っているのだが、その理由が分からない俺とルークは首を傾げる事しかできない。

「サクヤはβだからまだいいとしても、ルークはαなんですよ、こんな風に感覚を鈍らせてしまったら何かあった時に対処もできない。特に外に働きに出ているのだったら、用心は幾らしても足りないくらいなのに、あなた方は呑気すぎるっ」

 「そういうもんかのぅ?」と長老は呑気な笑みを見せるので、医者先生はまた眉間に皺を寄せた。

「はぁ、全く話にならない。ルーク、サクヤ、君達セイヤの家の裏に自生しているきのこ、あれを食べただろう?」
「え……? 今までも普通に食べてましたけど、何か問題でもありましたっけ?」

 俺のその言葉に医者先生は「セイヤ!?」とまたサクヤの父親に向き直る。

「あれはサクヤの好物だ、身体に毒になる訳ではないんだからいいだろう?」

 サクヤの父、セイヤはなんという事もないという顔で答えるので、医者先生の怒りはますます募ったのだろう、普段の温厚な姿からは想像できないような怒りで彼は机を叩いた。

「死に至る毒にはならなくても中毒性はある! そんな事も息子に教えていないというのはどういう事だ! お前が大丈夫だと言うから管理を任せていたのに、これは由々しき問題だぞ!」
「先生、中毒性って何? あれって食べちゃ駄目なやつなの?」
「確かに身体に影響はさほどない、中毒と言っても定期的に無性に食べたくなる程度の物でそれこそβのサクヤには何の問題もなかっただろうが、ルーク、お前は自分のフェロモンが消えかけている事に自覚症状はないのか?!」
「え……?」

 医者先生の言葉にルークは「あれ?」と首を傾げて「そういえば出ない……」と呟くと「そうだろう」と彼は険しい顔で頷いた。
 医者先生はルークのフェロモンの変化に気付き、身内である長老も交え話をする為にどうやら俺達を呼び出したようだった。

「サクヤとずっと一緒にいるから消されてるのかと思ってた。え? 何? これってあのきのこのせいなの?」
「サクヤといるからって言うのは、どういう理屈だ? そんな事ある訳ないだろう。あれはフェロモン抑制剤の主原料となってる薬材で、βにはほとんど害はないがバース性の人間のフェロモンを消してしまう不思議な力を持っている。フェロモンが消えるだけならともかく、感知能力も鈍くなって加減を間違えばバース性の人間の認知すらできなくなる。うちの村から出ないと言うならそれでもいいかもしれないが、ルークお前は任務で外に出ることもあるだろう、Ωの気配すら感じられないままΩのヒートに当てられたら無駄な悲劇を生むことになるぞ」

 「そんな悲劇を繰り返すのはごめんだ……」と医者先生は一人呟いた。

「このきのこを薬として扱えるようになったのはまだ近年の事で、それまでは知らずに食べていたαがΩのヒートに気付く事もできずにレイプ事件を起こす事もあったんだよ」

 ただでさえバース性の人間が多いこの村では、それは確かに由々しき事態だ。
 いくら倫理観が緩いとは言ってもそれでも許可もなく襲うような事は禁忌で、フェロモンを認知できないというのはそれだけでαにとってもΩにとっても危険度は上がる。逆に悪用しようと思えばそれは幾らでも悪用できてしまうその効能をよく理解しているからこそ、医者先生はここまで怒っているのだ。

「セイヤ、お前だってきのこの危険性は理解しているはずだ! 何故サクヤにそれを伝えていない?! 確かにサクヤはβだから関係ないかもしれないが、今こうしてルークの身体に変化が起きている、そんな事態が起こりうる可能性に気付けないほどお前は思慮無しではないはずだろう!」

 セイヤはやはり静かに笑っていた。

「父さんは知っていて俺にあれを食べさせていた……?」

 そういえば姉であるサリサはあまりこのきのこを食べていなかったようにも思う、姉が嫁にいってから父はよくこのきのこ料理を俺に作ってくれていたのだ。
 母の思い出の味、そして父の思い出の味でもあるのだが、これは一体どういう事だ?

「これは妻から私への遺言でしたからね、私は妻を愛していた。だから私は妻の遺言を守っていただけですよ」
「マリサさんにも私は再三忠告をしたはずだ、彼女もアレの危険性は知っていたはずだろう、なのになんでそんな事を……」

 セイヤはそれでもやはり静かに笑みを見せ、少しだけ瞳を伏せた。

「妻はね己のΩという性を憎んでいたのですよ。アレは生まれた時から遊郭育ちで他のΩの悲惨な生涯を幼い頃からずっと見て育ってきたのです。私は彼女の生涯のほんの少しを幸せに暮らさせてやることしかできなかった。だから、私はせめて彼女の遺言だけは守っていこうと思ったのです」
「母さんの遺言って……何?」

 サクヤの言葉に父はやはり穏やかな笑みでこちらを見やり「お前の平凡な生活を守って欲しい、それだけだよ」と微笑んだ。

「セイヤ、まさかとは思うが……もしかしてサクヤは……?」
「マリサはずっとこの子にアレを与え続けていた。それこそ腹の中にいる時や授乳時期は自分で食べて、離乳食の時分にはもうすでに細かく刻んで与えていた。そのせいなのかどうかは分からないが、サクヤからはフェロモンの匂いは一切しない。それは先生もご存知の通りですよ」

 「なんて事を……」そう一言呟いて医者先生は完全に絶句してしまった。

「え……それって、もしかしてサクヤはβじゃない可能性があるって事?」

 ルークがぽつりと呟く。色々な情報が一度に入ってきて、理解がまるで追いつかない俺はルークを見上げた。
 皆が何の話をしているのか分からない……

「だってそういう事だよね? きのこの過剰摂取? それでサクヤのフェロモンが消されてる可能性があるって事だよね?」
「こんな話しは前代未聞で分からんよ……まさかお前達がそんな事をしているなど思っていなかった、あれがサクヤの身体にどう影響を与えたのかも分からない。お前達は子供をなんだと思っている、こんな危険な事……全くお前達は……」
「マリサはΩの生き辛さを知っていた、だから娘も妻の言う通り好いてくれた男と早々に番になって嫁いでいった。だが……サクヤは男の子だ。マリサはサクヤを孕んだ時、もうΩの子を産むのは嫌だと言いました。私との間に宿った命を殺させる事はしたくなかった、産んだ事を後悔させることもです。そんな思いを死ぬまでさせるくらいなら、少しでもマリサを安心させてやりたかったのです」
「だったら、マリサが亡くなった時点で止めるべきだった、そしてサクヤにそれを伝えるべきだった、なのに何故彼は何も知らない……」
「Ωの生き辛さはマリサが死んでも変わりはしない。ましてやサクヤは男の子、この村にも先生の奥さんしかいない黒髪の男性Ωなんて、どれだけ彼の世界を狭めるか。奥さんはこの村から出た事もない、それは外の世界が彼にとって生き辛い世界だと分かっているからではないのですか? サクヤは半分は外の世界の血を引いている、それなのにこの村に一生を縛られるくらいなら、βとして一生を終えた方がサクヤにとっては幸せだと思ったのです。それは親として子の幸せを願う父として間違った事だったでしょうか」

 穏やかな笑みを零していた父の静かな言葉にサクヤは言葉も出ない。
 何を言われてるのかもよく分からない。
 どういう事? ねぇ……どういう事?

「あれだけマリサが望んでも、それでも生まれてしまったΩの男の子を彼女は殺そうとまでしたのですよ、だったらこの子の生きる道はβとしての平凡な道しかないと私は思ったのです……」

 うなだれた父にサクヤはもう言葉も出ない。変わりに言葉を投げたのは自分の傍らにいたルークだった。

「サクヤはΩなの……?」
「どうなのだろうな……確かに生まれた時にはΩの匂いが微かにしていたが、その後はもうずっと何の匂いもしない。それは彼女の執念だったのか、もう今となっては分かりはしない……もしΩだったら年頃になると同時に発情期もくるかと思ったが、サクヤにヒートはこなかった。もしかしたらサクヤはあんな物を食べなくとも本当にβだったのではないかと最近は思っていたくらいだ」
「ただでさえあれは薬効が強いんだ、何の疑問も持たずにこんな長い事、それこそ話通りなら生まれた時から食べ続けていたとしたら体質変化の可能性は充分にある。バース性の人間をβに変えるなんて聞いた事もないが……まだ世の中には我々の思い及ばない現象は存在する、はぁ……ルークだけの事かと思っていたが、まさかこんな話が出てくるとはな……呆れて言葉も出てこんわ」

 医者先生は難しい顔で額に手を当て溜息を吐いた。

「セイヤ、お前にアレの管理はもう任せてはおけん、管理には別の人間を置くから早々にあの家を出ることだな」
「そうか、そうだな……そうしよう。どのみちもう、私にはもうアレは必要なくなったようだしな。最近は迷いもあった、それでも息子にアレを与え続けたのは所詮私のエゴでしかない」

 そう言って父はこちらを見やって微かに笑みを見せた。

「サクヤ、私はお前の幸せを願っているが、お前はもう私の手を離れた。お前が彼を選んだ時、一度は止めようと思ったのだよ。けれど、私はお前に何も言う事はできなかった。今後どうしたいかは自分で決めるといい。アレを食べなければ、もしかしたらお前の本来の性も戻るのかもしれない、お前にはそれを知る権利が有る」
「俺の性……」

 ずっと20年以上自分はβだと疑いもしてこなかった、まさかこんな事が起こるなんて考えてもいなかった。

「アレには中毒性がある、ここまで食べ続けていたのなら食べる事を止めるのは、相当キツイ副作用が出る可能性もある。いっそ少量ずつでも食べ続けてβとして生きた方が楽かもしれん」
「副作用……?」
「今までも期間を置けば無性に食べたくなるという症状が出ていただろう? 止めるのは禁酒と同じようなものだ」

 確かにあまり美味くもないきのこだったが、常に常備している程度には好きでずっと食べていたのだから、それを中毒症状と言われてしまうと否定もできない。

「オレももしかしてヤバイ?」

 ルークは困惑したように医者先生を見やる。

「そうだな、でもお前はそんなに長期間に渡って食べてはいないのだろう?」
「うん、たぶんサクヤと暮らし始めてからだと思うよ。オレ、あんまり好きじゃなかったし、今までサクヤ基本的にオレの嫌いな物出してくる事なかったから」
「だったらそこまでの中毒症状は出ないはずだから、お前はもう二度と食べるな」

 医者先生にキツク言われてルークは「へーい」と頷いた。

「サクヤ、お前はこれからしばらく私が治療にあたろう、どの程度の摂取なら中毒症状を抑えられるか分からないからな」

 無意識で食べ続けていたので、その禁断症状というのがどれほどのものなのか分からない俺は戸惑う事しかできない。

「禁断症状ってそんなにキツイですかね……?」
「こればかりは私にも分からん、なんせ初めての事例だからな。何も知らないというのは恐ろしいな、下手をしたらアレの薬効が身体を蝕んで命を削っていた可能性も有るというのに、今まで一度も身体の不調はなかったのか?」
「別段これといっては……」
「βの人間には毒にも薬にもならない代物だ、もしかしたら本当にお前はβなのかもしれないな。それなら幸いだったが、果たしてどうだったのか……」

 医者先生はやれやれと首を振った。
 そんな先生を見て、長老は伸びた白髪の髭を撫でる。

「もしサクヤがΩだったら、ひ孫の期待もできるかのう」
「長老……これはそんな呑気な話ではないのですよ……」

 あまりにも呑気に笑う長老の言葉に脱力したのか、溜息と共に医者先生は肩を落とした。
 もし自分がΩだったら……考えなかった訳ではない、ルークと付き合い始めてからは尚更にその考えはちらちらと頭を掠めていたが、ありえないと思っていた事がいざ現実になったら戸惑う事しか自分にはできない。
 一方でルークは真面目な顔を作ろうとして、サクヤの横でにやける顔を止められずにいる。
 サクヤがΩだったらどれだけ良かったか、そんな事は何十回何百回と考え続けた事だ、まさかそれが現実になるなんて、自分は夢でも見ているのではないだろうか?
 サクヤの項に残る消えない噛み痕、それは自分の執念のなせる業かと思っていたけれど、もしかしたら、もしかするのかもしれない……
 医者先生はまた大きく溜息を吐く。

「まずは1週間、アレの摂取はしない事。家に保管してある物も全部処分だ、いいな、サクヤ」
「え……? あ、はい……分かりました」
「後で血液検査をしよう、ルークお前もだ」
「はぁ~い」

 医者先生の指示を受け、自分達2人は家にあるきのこを全部処分し、しばらく先生の医院に通うように通達された。
 長老の家を辞する際、父のセイヤはやはり静かに微笑み「今まで悪かった……」とサクヤの肩を抱いた。
そんな悪い事をされたと思っていない自分は黙って首を振る。
 その折、俺の項の噛み痕に気付いたのか、父が途端に険しい表情を見せルークに向き直った。

「君の執念には感心する、だが……これはどういう事かな? ルーク君?」
「へ……?」
「君達一族は血筋を守って生涯一人の番しか持たない、そういう掟のはずだ。だから私は安心してサリサもカズイ君の元へ嫁に出した。厳格な長一族だからこそ、ルールは守ると信じていたし、カズイ君はそれを守ってくれた。しかし、君はうちのをβと思っていながら、こんな事をしたのかい? 番にもなれない、結婚もできない、それが分かっていながら、サクヤを傷物にした、と……?」
「へ? や……ちゃんとルールは守ってますよっ、オレはサクヤ以外と番う気はないってずっとっっ!」
「私は、聞いていないよ……?」

 セイヤの真顔が怖い。ルークは脅えるように後ずさった。

「なんじゃ、お前はまだセイヤに挨拶もしとらなんだのか?」

 長老が呑気な笑みで「これはすまんかった」とセイヤに頭を下げる。
 医者先生もそんな皆のやり取りを見て、またひとつ息を零した。

「セイヤ、それは止めろ。元はといえば原因はお前にある。ルークもサクヤも今までサクヤはずっとβだと思い込んでいたんだ、バース性でもないサクヤを番に選ぶ事にルークだって葛藤がなかった訳ではないだろうし、サクヤにしたって同様だ。愛を確かめ合うのに身体の繋がりだとて必要な時もある、それを一概に否定するな」

 「愛」「身体の繋がり」意味を理解してサクヤの顔がぶわっと紅潮する。
 父の言った「傷物」とはまさにそういう事で「まだ、やってないしっ!」と思わず叫んでしまう。
 親に情事のあれこれがバレる事ほど恥ずかしい事はない。

「だが、その項……」
「これはルークに冗談半分に噛みつかれて……」

 項を押さえて父から目を逸らすと、今度は父が冷たい笑みを浮かべてまたルークに向き直った。

「項を噛む事がこの村では冗談半分で済むようなそんな簡単な意味だと思っているほど君は浅はかではないはずだよねぇ? 本当に、冗談半分でそんな事をうちの息子にしたと言うのなら……」
「してませんっ! そんな事してないですっっ! オレは本気でサクヤが好きで噛みました! そこだけは絶対なので、許してくださいっ。生涯番はサクヤ一人、そこも絶対守ります!嘘じゃないですっっ!!」

 土下座せんばかりの勢いで捲し立てたルークに、冷たい瞳の父の表情が少しだけ和らいだ。

「その言葉、信じて問題ないのかな?」
「大丈夫です、問題ないです。オレはサクヤ以外の人間に興味はないです」
「昔はサリサに付き纏っていた時期もあっただろう、君があのメリアのセカンドに惚れているというのもずいぶん噂になっていたように思うけれど……?」
「無いですっ、オレはずっとサクヤ一筋です。それはおじさんも知っているはずでしょう!? それ、本当に怖いんで止めてくださいっ」

 フェロモンを感知できない自分には全く分からないのだが、そこでは何か目に見えない戦いが繰り広げられているようで、長老は呑気に笑い、医者先生は額に手を当て呆れたように溜息を零している。

「セイヤ、大人気ない。もうこの子達も立派に成人した子供達だ、親がそこまで子供の事情に口を挟むものではないよ」
「親にとって我が子はどれだけ大きくなっても我が子です」
「それはそうなのだけれども……」
「ふぉっふぉっ、これは困った事だのぅ。じゃが、サクヤがお前にとって可愛い我が子なのと同様にルークはわしにとって可愛い孫なのじゃよ、少しばかり浅薄な所のある孫じゃが、馬鹿ではない、そろそろその辺で勘弁してやってはくれないかのぅ、セイヤ?」

 長老は変わらず笑顔のままなのだが、今度は父が固まって顔を強張らせている。
 もう、俺にも分かる争い方してくれないかな……何が起こってるのかさっぱり分からん!
 医者先生は溜息を吐くばかりで割って入る気はなさそうだ。

「う……長老がそこまでおっしゃるのでしたら……」
「ふぉっふぉっ、分かって貰えればそれで好い」

 どうやら目に見えない争いは収束したようで、ルークは脱力したように肩を落としたのだが、その瞬間また父はルークへと向き直る。

「だが、ルーク君」
「はいっ!?」
「私は家族を蔑ろにする輩は大嫌いだ、もしこの村の緩い倫理観でサクヤを不幸にするような事があったら……」
「しませんっ、絶対それだけはないので安心してくださいっ」

 父は「そうか」とひとつ頷き、サクヤに向き直った。
 ルークがあからさまにほっとした顔をしたので思わず笑ってしまう。

「サクヤ、幸せになるんだよ。母さんが何より望んだのはお前の幸せだ、お前が不幸になる事は何よりの親不孝、それだけは肝に銘じておいてくれ」

 サクヤは黙って頷いた。
 俺のこのβという性は両親が俺の幸せを願った結果なのだとしたら、拗ねている場合ではない。
 そして自分はもしかしたらΩなのかもしれないという可能性、まだ考える事は山ほどある、問題は山積みだけど、今は「大丈夫、ちゃんと幸せになるよ」と父に告げるのみだ。


  ※  ※  ※


 家に保管されていたきのこを全部処分して、俺達は禁きのこ(語呂が悪いな……)を始めた。
 一週間が経つ頃、先に禁断症状を発症したのはルークの方だった。

「何コレ……あんなの大嫌いだったのに、無性に食べたくてしょうがないんだけど……」
「そうなんだ? 俺は別に平気だけどなぁ」

 首を傾げる俺に「ずるい……」とルークはその禁断症状に絶え続けた。
 口寂しいというルークを甘やかすように俺達はキスを繰り返す。
 一ヶ月を過ぎた頃、ようやく俺にも禁断症状が出始めて、その頃にはルークの禁断症状はもう完全に治まっていたので、今度は逆に俺が呻く番だ。
 食べていた期間の長かった俺の方がやはり禁断症状は激しくて、キスなんかでは押さえのきかない俺は悶えるようにベッドの中で呻いていた。

「サクヤ少し食べたら? 先生も、サクヤの場合は完全に止めさせるのはキツイかもって言ってたよね? あんまり無理するの良くないよ」
「駄目だ……たぶん、少しでも食べたら際限なく食べたくなる」
「でもさぁ……」

 俺は口の中に医者先生から貰った薬を放り込む。
 それはフェロモンの抑制剤だ。あのきのこを主原料としているその薬は、禁断症状の多少の緩和に繋がった。
 まさか自分がこんな事でこの薬に頼らなければならない身体になるとは思いもよらなかった。

「いいから、お前は心配するな……」
「心配なんか、するに決まってるだろ!」
「だったら、少しでいいから俺を抱いてて……」

 驚いたようにルークがこちらを見やる。

「え? ……え?」
「お前の匂いは安心するんだ、そんなに心配なら。俺が寝付くまで、傍にいて」

 恥ずかしいセリフを吐いている気はするのだが、その時の自分はそれ所ではなくて、少しでも楽になれるなら何にでも縋りたい、そんな気持ちだった。

「そんなの、いくらでもするよっ」

 抱き締められて、安心する。
 あぁ、これなんなんだろうな……バース性の生態はよく分からないけれど、αとΩはお互いの匂いに安心すると聞いた事がある。だとしたら、やっぱり俺にとってルークは特別なのかもしれないな。
 それにしても腹の中がぐるぐるする、一体自分の身体の中で何が起こっているのだろうか、この苦行は一体どれほどの期間続くのだろう……
 俺はルークの匂いに包まれて、安心したように瞳を閉じた。

 今はもう、何も考えたくない……



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ヒイロ
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結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。 初投稿なので色々矛盾などご容赦を。 ゆっくり更新します。 すみません名前変えました。

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