運命に花束を

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君と僕の物語:番外編

エリオット・スノー・ランティス

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 厳つい顔をした祖父であり先代のランティス国王陛下、俺は祖父が嫌いだった。
 居丈高で周りを威圧し、えばり散らすばかりで何をしているのかもよく分からなかった。
 自分には双子の弟がいたそうなのだが、その弟をこの祖父は『殺せ』と命じたのだそうだ。
 『双子は忌み子』それは王家の歴史を紐解いていけば分からなくもない話だったが、それでもそんな風に命を軽々しく扱う祖父を俺は好きにはなれなかったのだ。
 だが、一方で俺はそんな厳格な祖父に何故か好かれていて、可愛がられていたと思う。
 両親は大人しく優しい人達だ。
 逆に言えば祖父の顔色を伺うばかりの頼りない大人にも見える。
 俺がそんな祖父に好かれている事が両親には何より安堵の種だったようで、祖父の生前俺はよく祖父の傍に置かれていた。
 何を話すでもない、ただ祖父は自分の姿を見せていたのだと思う。
 まだ自分は幼くて、何を語られても理解には遠く、だからこそ祖父は王という者の姿を孫に見せておきたかったのかもしれない。

 俺は祖父が嫌いだった、だが王様としては父より祖父を尊敬している。



 俺は昔から大概の事はなんでもこなせる子供だった。
 家庭教師が教えてくれる勉強の理解も早く、場を弁えた言動のできる子供だったと思う。
 正直、可愛気の欠片もないそんな子供、しかし、大人達はそういう子供を求めていたし、王族としてはそうあるべきだと思っていた節もあって、何の可愛気もない自分だったが周りにはよく出来た子供だと褒められた。
 裏で何を言われているのかなど知りはしない、けれど俺はそれでいいと思っていたのだ。
 そんな俺が双子の弟の生存を知ったのは、祖父の葬式の席での事だった。
 両親は祖父の死を受けて、自分達の息子で俺の双子の弟である『エドワード』を城に呼び戻そうと思ったようなのだ。
 そして幼い俺に両親は今までの事のあらましを語ってくれた。
 何故今なのか? と幼い俺は思った。
 弟が生きていた事は正直に嬉しかったのだが、祖父の死をこれ幸いにと弟を呼び戻そうとする両親に俺は何故かすっきりしない物を感じていた。
 そんな風に弟を愛していたのならば、何故祖父に反抗してでも弟を守ってやらなかったのかと思わずにはいられなかったのだ。
 だが、両親の想いも虚しく、弟は帰っては来なかった。弟を連れ、祖父の目から逃れるために逃げた叔母はどうやら弟を手離してしまったようで、彼は既に新しい家族の元で新しい名を与えられ、王族としてではなく自らの人生を歩き出していた。
 両親は嘆き悲しんだが、それは言わば両親の自業自得だと俺は思っている。
 叔母からはたびたび弟の近況を伝える文が届き、俺はそれが来るたびにその手紙を読んでくれと何度も両親や側付の侍女にねだった。
 顔を見た事もない双子の弟、それが自分の知らない場所で『兄』の存在も知らずに暮らしている、それはなんだか不思議な話だった。
 弟の名前は『エドワード』から『アジェ』へと変わっていた。
 最初は変な名前だと思ったのだが、その名前が『アンジェ=天使』からの派生だと分かり、そうか、弟は天使になったのか…とぼんやりとそう思った。
 天使と名付けられた弟は本当に天使のような人間だった。
 ある日突然唐突に涙が止まらなくなった時があって、その不可解な現象に戸惑っていたら、数日後に叔母からの手紙が届いた。
 それは、弟の現在置かれた立場を伝えるもので、母と信じて慕っていたカルネ領主の妻に自分の存在を忘れられてしまったのだと、その手紙は伝えてきた。
 意味も分からなかったその涙と、胸を締め付けられるようなその想いが、しばらくの間、俺を苦しめた。
 だが、それも長くは続かず、弟はその総てを受け入れたのだと聞かずとも理解ができた。
 それがどれほど辛い事だったか、想像するだに胸が痛む。

 酷い人生を歩ませていると思う。
 王家に生まれ、その存在すら隠蔽されて、育ての親からも酷い仕打ちを受けている。
 だが、自分はその育ての親であるカルネ領主夫妻を責める事はできない。
 そもそも元を正せば厳格な前ランティス王である祖父、そして現国王である父の不甲斐なさが招いた結果なのだ。
 だから、俺は祈るのだ、弟にこれ以上の災難が降りかからない事を。

 顔も知らない、会った事もない俺の片割れ『アジェ』
 彼の幸福だけを考えていた俺が自分の『運命』と出会ったのはそんな頃だった。
 それは奇しくも『アジェ』が運命である『エドワード』と出会った同じ頃で、俺は双子の不思議を思わずにはいられないのだ。





 その人は家庭教師として俺の前に現れた。
 歳は一回り程も上で、最初は正直『運命』だとかそんな事は全く一切感じなかった。
 顔立ちは整っているが、視力が悪いのか常にかけている丸眼鏡が野暮ったい。笑顔は見せているけれど、細められたその目は何か胡散臭げな感じを受けて、変な男が来たなと思ったのが第一印象だ。
 髪の毛はふわふわしていて人形のようなのだが、それはただ単に手入れをされていなくて飛び跳ねているだけなのだと気が付くのにそんなに時間はかからなかった。
 手入れができないのなら切ってしまえばいいのに、その切る事すら面倒くさいのか、彼はその髪を一括りに括るだけで、やはりふわふわとその髪は存在を主張していた。

「はじめまして、王子。カイル・リングスと申します」

 猫のように細い目を、彼は更に細めて笑う。
 一回り程年上だが、今まで自分に付いた家庭教師の中では格段に若い。恐らくまだ20代半ばであろう彼は特に突出した物があるようには見えなかった。
 俺の家庭教師はその頃、わりところころと変わっていた。何故なら、歳を重ねるにつれ、付く家庭教師は偉ぶった年寄りが増え、その教える態度も居丈高で俺はその老害共が気に入らず、その当時俺はそういう家庭教師を小馬鹿にするような言動ばかりを取っていたのだ。
 頭の堅い年寄り共は年端もいかない子供に正論で意見を論破されると顔を真っ赤にして皆、職を辞していった。
 別に意図してやっていた訳ではないが、この頃は可愛気のなさに加え、憎ったらしさが増していたのだろう、彼等は俺を持て余していた。

「先生は僕に何を教えてくれるの?」
「さて……なんでしょうねぇ? 私にもよく分からないのですよ。王子の家庭教師に抜擢はされましたが、私は特にあなたに教えるような知識を持っている訳ではありません。私の専門は薬の研究ですが、それは王子が学ぶべき事ではないでしょうからね」
「薬? へぇ……何の薬?」
「薬と名の付く物なら何でもですよ。薬は病気を治すだけの物ではありません。その薬効は多岐に渡り、人類の生活を自由にする物です。人の体だけではなく、汚染された水を浄化したり、荒れた地を緑豊かな地に変える事だって不可能ではない」
「へぇ、なんか凄いね」
「地味な研究なので、周りにはあまり理解はされませんがね」

 そう言って笑った顔は子供のようで、この人は本当に薬の研究が大好きなんだな、とそう思った。

「それで、今日はどうするの?」
「どうしましょうねぇ? 王子は何がしたいですか?」

 そんな事を聞かれたのは初めてで面食らう。教えるべき事を何も用意せずに自分の前にやってきた家庭教師など初めてだ。

「何……と言われても……先生はどうしたいの?」
「言っていいのならば庭園が見たいです」
「庭園? 何で?」
「城の中の庭なんて滅多に見られる場所ではないじゃないですか、珍しい薬草が生えていたら是非採取したい所ですね」
「……先生さぁ、先生やる気あるの?」
「抜擢されたので来ましたが、正直あんまり……」

 正直過ぎて反応に困る。
 俺はひとつ溜息を吐いて「いいよ」とそう言った。

「課外授業ってのも悪くない。僕に薬草の見分け方教えてよ」
「おぉ、そういうのなら得意です。一から十まで教えて差し上げますよ」

 そう言って彼はそれは楽しそうに庭を散策して、宣言通り一から十まで植物達の薬効を教えてくれた。
 葉の部分が薬になる物から、根の部分が薬になる物まで多種多様あるその植物を先生はそれは楽しそうに眺め、許可を取っては掘り返し、採取して、陽が暮れる頃には2人とも泥で真っ黒になっていたし汗だくで見れたものではない姿になっていた。
 一国の王子になんたる仕打ちかと思いもしたのだが、その作業は思いの外楽しくて、俺の気持ちを高揚させた。

「いや~やはり王宮内には珍しい物もたくさんありましたねぇ。有り難い事に大収穫です、これでもうクビになっても悔いはありません」
「クビって何?」
「最初に言ったでしょう? 私には教えられる事などこんな事くらいしかないのですよ、物は試しと呼びつけられはしましたが、私なんてたぶん単なる繋ぎです。王子にはもっと優秀な家庭教師がそのうち就きますよ」
「……やだ」
「ん?」
「先生がいい!」

 俺は叫んだ。
 それは俺の始めての我がままだった。

「決めた、僕の家庭教師は先生だよ! 他の誰にも教わらない、先生が先生だ。クビになんて絶対させない!」

 カイルは驚いたように目を見開いて、そしてやはり猫のような目を細めて笑った。

「教えられることなんて、あまりありませんよ?」
「教わらなくても大概の事は分かるから必要ない」
「それは私のいる意味もあまりない気がしますねぇ」

 彼は苦笑するようにそう言ったのだが「いいですよ」と俺の言葉に頷いた。

「あまり教えられる事はないかもしれませんが、私の持ちうる知識を総てあなたに差し上げますよ、王子」

 そうして彼は正式に俺の家庭教師に就任したのだ。
 カイルは教えられる事はほとんど無いと言いつつもそれは謙遜でしかなく、彼は非常に優秀な男だった。
 その知識は最終的にはすべて薬学へと繋がっていくのだが、その為にそれ以外の勉学を疎かにする事はなく、薬学を学ぶ為だけにあらゆる知識を吸収した恐るべき博学者だった。

「先生、これ読めないんだけど……」
「え? あぁ、これは失礼、こちらに訳したものがありますよ」

 薬草の為なら何処へでも足を運ぶ彼は語学にも通じ、今ではほぼ使われていない旧字すらも操った。

「何、この計算、意味分からないんだけど……」
「薬の配合分配を考えれば楽なものですよ?」

 勿論理数には強く、訳の分からない数式もすらすらと解いていく。

「あれ? ここって何処だっけ?」
「そこは百合の群生で有名な場所ですね、百合の根には色々な薬効があって……」

 そして、薬草の生えている地域には当たり前のように詳しかった。

「先生って、ホント先生だよねぇ……」
「それはどういう意味ですか?」

 自分の知識欲に従順で、知りたい事は何でも知りたい、やりたい事は何でもやる。

「自分のやりたい事だけやって生活するのって、楽しそう。羨ましいな」
「楽しいですが、生きていくのは大変ですよ。研究の為にはお金もかかりますし、なかなか結果に結びつかない研究にお金を出してくれる人間は少ないですからね。こんな小銭稼ぎでもしないと研究ができません」
「僕の家庭教師って小銭稼ぎだったんだ」
「ここのお給金はとてもいいので助かっていますよ」

 歯に衣着せぬ言動は俺にとっては耳に心地よくて、俺はどんどん先生に惹かれていった。



 その匂いに気が付いたのは俺が14の誕生日を迎える頃だった。
 甘い物はあまり好きではない俺が何故か妙に心惹かれたその匂いの発生源が先生だと気付いた時には驚きを隠せなかった。

「先生、Ωだったの……?」

 瞬間カイルが驚いたような顔をこちらへと向ける。
 この世界に男女の性差以外に存在する三種の性別α・β・Ω、俺はその中で一番優秀とされるαだ。
 カイルの優秀さは誰もが認める所だったので、先生ももちろんαだと疑いもしていなかった俺にはそれは晴天の霹靂だった。

「まさか、私はβですよ。薬屋の息子としてバース性の知識はありますが、生まれた時からずっとβです。そもそもαである王子にΩの家庭教師を宛がう人間などいる訳がないでしょう?」
「でも、先生から凄くいい匂いがする」
「そんな訳ないです。王子の気のせいですよ」

 いつも言いたい事は何でも好きなように言い放つカイルが、珍しく困惑したように瞳を逸らした。
 俺はそもそもΩの匂いというのがよく分からない。
 一般的に甘い匂いらしいというのは聞いてはいるが、俺は他のバース性の人間程にΩの匂いを感じ取る事ができず、Ωに対する自分の嗅覚は他人に劣っていると自覚していた。
 だが、そんな物は知らずとも、どうせ番う相手はどこかの貴族の娘か、選ばれた良家の子女だと知っていたので気にも留めていなかったのだ。
 どうせ自分で番う相手を決める事などできはしない……幼い頃からずっとそう思って、生きていたのに、そのカイルから発せられる甘い匂いは己の思考を奪わせた。

「嘘だ。これは気のせいなんかじゃない。先生はΩだ、何で隠す?」

 Ωの匂いを知りもしないくせにそれはΩのフェロモンだと確信していた。いや、確信していたと言うよりは、そう信じたかったのかもしれない。

「別に隠していませんよ、私はΩではありません。知っているでしょう? Ωには数ヶ月に一度発情期ヒートが来る。それは毎回1週間程は続くのですよ。私、言っては何ですが、そんな長期休暇、ここに勤めだしてからいただいた事ありませんよ?」

 確かにそれはその通りで俺は言葉に詰まった。
 カイルは時々気紛れに薬草採取に出掛けたり、城下町にある実家に戻ったりする事もあるのだが、それは定期的なものではない。
 城内に家庭教師として私室を用意されたカイルはそこにいる事がほとんどで、Ωらしい行動を取っていた事など一度もないのだ。

「この歳でヒートのないΩなんて、Ωである意味もありません。それに、私はどうせ間違われるならαの方がいいですねぇ」

 そう言って彼はまた猫のように目を細めて笑うのだ。
 バース性の生態は自分がαである以上ある程度の知識を有している、それはカイルの言う通りで俺は黙り込むしかない。
 それでも俺は納得がいかず、それからしばらくは色々な文献を紐解き俺はバース性の生態を調べ直した。
 そしてそこで見付けたひとつの記述……

『力の強いαは時に気に入った者の性別を変化させる事がある』

 後天性Ω、それが指し示された結論だった。
 俺はその頃にはもうカイルへの好意を自覚していた。自分が力の強いαであるのか、それは全く分からなかったの だが、それでもβからΩへの転位は過去に事例もあり、ない事ではないのだと知った。
 そして、もしカイルがΩに変わっているのなら、それは自分のせいだとそう思ったのだ。
 彼は元々βでバース性のフェロモンなど持ち合わせていない。
 そんなカイルからΩのフェロモンが薫ってくるのは自分が彼に必要以上に近付いた時で、俺は疑惑を確信に変えた。

「先生はΩだ」
「また王子はやぶから棒に……それは以前にも否定したはずですよ?」

 困惑したように彼は苦笑する。

「だったら証拠を見せてやる」

 言って、彼の腕を掴み抱き寄せ、顔を寄せた。
 途端に辺り一面に甘い匂いが立ち込める。
 そのまま唇を奪ってやりたい所だが、如何せん身長はまだカイルの方が高くて届かず、少し悔しかった。

「なっ! やめてください!」

 カイルに突き飛ばされるようにして身を離されたが、その匂いはもう隠しようもなく辺りに漂い、彼がΩなのだと確信させるのには充分だった。

「何故、隠してた?」
「隠していた訳では……ただ確信はなかったので……」
「あんたは俺に反応してΩに変わった、違うか?」
「それは違います!」

 慌てたように言うカイルに些かイラつく。

「だったらどう説明をつける? 今までこんな事はなかっただろう?」
「原因は……分かっています」
「それは?」
「王子は知らなくてもいい事です」

 あくまで俺は関係ないと言い募る彼に苛立って仕方がない。

「知らなくてもいいとはどういう事だ? あんたはΩに変わったんだ、その理由、俺が近付けばあんたからはΩのフェロモンが溢れてくる、その理由は……」
「王子だからではないです、あなたがαだから反応しているだけで……」
「そうじゃないだろう! あんたが変わった理由、それはあんたが俺の『運命の番』だからだ!」

 カイルの目が見開かれる。
 そして戸惑ったように首を横に振った。

「そんな事ある訳がない、王子の『運命』の相手が私であるなどと、そんな事冗談でも口にするものではありませんよ、王子」
「俺は間違ったことは言っていないし、冗談のつもりもない! あんたは俺の『運命』だ!」

 カイルの困惑の表情は更に深まり、彼は俯き首を振った。

「そんな事はありえない」

 頑なな否定。何故そこまで否定されなければならないのか分からない。

「あんたは、俺が嫌いなのか?」

 カイルは弾かれたように顔を上げた。

「そんな事はありません! 私は、王子が好きです。ですが、それは恋愛感情ではない。あなたは私の弟のような存在で、それは決して恋愛のそれではないのです。私は王子を大事に思っています、ですがそれは『運命』などというものではない」
「嘘だ」

 俺はまたカイルににじり寄り、彼は怯えたように後ずさった。

「なんで逃げる? 弟から逃げる兄など滑稽でしかない」
「やめてください王子、私はもう……どうしていいか分からない……」

 壁際まで追い詰めて、壁と自分の間に彼を閉じ込めその顔を睨み上げたのだが、やはり自分のこの身長では格好が付かないと心の中で溜息を吐く。

「先生、あんたに時間をやる。俺があんたの身長を超えたら、俺はあんたを抱く」
「王子!」
「それまでにせいぜい覚悟を決めておけ」
「王子! 私は!」

 首に抱きつくようにして奪った唇はとても柔らかかったのだが、それでも下から奪う形なのはやはり面白くなくて、早く背を伸ばさなければ……とその時俺は切実に思っていた。





 結局その後先生の身長を越すまでには7年の歳月を要した。
 その間に双子の弟アジェと再会を果たしたり、先生自身の裏切りや大臣の謀反があったりと忙しなく時は過ぎていき、意外とその歳月を長く感じている余裕はなかった。
 7年の歳月はカイルも覚悟を決めるのには充分な期間であったようで、2人の初夜は別段何の問題もなくつつがなく済んでしまった。問題はその後だ。

「前例がありません! ありえませんよ!」
「前例なんて今作ればいい。何の問題もない」

 俺は苛立っていた。
 晴れて両想い、身体も繋げてその相性がいい事も確認済みだ。にも関わらず、愛しの恋人は頑なに俺との結婚を拒否する。

「あなたはきちんと良家の子女を娶って跡継ぎを作り、この国を支えていくべき人なのです。私のような平民、しかもどこからどう見ても男にしか見えないΩを娶るなどありえませんよ! しかもご存知の通り私にはヒートがきません。Ωとしては不完全なのです。私は妾で充分です、ですからあなたは国の事を第一に考えて……」
「俺達2人の関係に国は一切関係ない!」

 そもそもカイルの妹もそれを望んでいないのだ。
 カイルの妹ナディアは俺達2人の関係を快く思っていない、それは彼女の態度を見ていれば一目瞭然で、彼女は兄を日陰の身として遇する事をよしとしない。
 かといって妃として迎える事にも不満があるようで、こちらもどうしていいか分からない。
 いや、選択肢のひとつとして無くはないのが俺自身の王家離脱だ。
 王家を離れて一般市民としてカイルと暮らす、その選択肢が無い訳ではないのだが、カイルはそれを望まない。八方塞だ。
 現在王位継承者の第2位に弟のマリオもいる。王家を捨てて、弟にすべて委ねてしまうという選択肢もなくはないのだが、マリオは昔から身体が弱くて王家の責務を果たすには少しばかり不安が残る。
 そして、カイルを娶る事に賛同しない国の重鎮共の声もうるさく、俺はずっと苛立ちっぱなしだ。
 そしてそんな時に起こったのがカイルの家庭教師辞職だ。
 いや、そもそも自分も既に立派に成人して家庭教師など必要もないのだが、それでも彼自身からの「もう私は城には戻らない」という宣言はまさに晴天の霹靂だった。

「あんたは一体どうしたいんだ!?」
「私は最初から言っています。あなたは国を支えるべき人間で私は妾で充分だと。それに私は王子以上に研究が好きです。王家に嫁げばそんな研究もできなくなってしまう、私はそれを望んではいません」

 自分と研究を秤に架けて、薬の研究の方が好きだと言われるのも全くもって腹立たしい。

「俺は必ずあんたを娶る! 誰が何と言おうとだ! あんた以外を娶る気はないし、俺は愛していない女を抱く気もない!」

 カイルはやはり困ったように瞳を伏せる。
 最近はこんな不毛な話し合いばかりで、彼との甘い恋人生活も送れてはおらず、苛立ちは募るばかりだ。
 彼の猫のような瞳が好きだ、その細い目を更に細めて子供のように笑う所が大好きだったのに、彼は最近そんな表情も見せてはくれない。
 王家の人間としての責務は果たす、だが私生活にまで口を挟まれるのは真っ平ごめんだ!
 そして、そんな苛立ちを抱えたある日、運命のときは訪れる。
 城を辞し、実家の薬局へと戻ってしまった彼に会いに俺はたびたび城下町へと繰り出していた。
 そして、その日も彼の実家へ顔を出した俺に渡されたのは一通の封書。
 その手紙はカイルからの物で、俺はそれを読み進み顔色を変えた。

『エリオット王子、私は自分があなたを煩わせる為に存在する事が堪らなく嫌なのです。私はしばらく旅に出ます、いつ戻るかも決めてはいません。あなたはあなたの責務を果たし立派な王と成られんことを祈っています』

 話を要約すればそんな事が淡々と紙面には綴られ、彼はそれっきり俺の前から姿を消した。
 そして、俺が彼を見つけ出し自分の手の中に彼を取り戻すまでに、それからまた長い歳月を要する事になるのだ。

「ざけんなっ!草の根分けてでも見つけ出す! 見つけ出したらもう二度と逃がさねぇから、覚悟しとけ!!!」
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