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運命に花束を②
運命と噂話①
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「コリーさん、最近なんだか楽しそうですね。何か良い事でもありましたか?」
ナダールは大量の書類を運びながら、それでも何故か鼻歌でも歌い出しそうにご機嫌な様子のコリーを見やって、不思議そうにそう尋ねた。
「そんなに楽しそうに見えましたか? これはいけませんね」などと言いつつも、やはりコリーの様子は楽しげで、もう一度「何かあったのですか?」と尋ねてみると、彼は満面の笑みで答えてくれた。
「最近少しばかり興味深い実験をしていましてね、仕事に私情は持ち込まないようにしているつもりだったのですが……」
「実験? 何の実験ですか?」
「人の噂話の伝達速度に関する実験なんですが、これがなかなか興味深くて面白いのです」
「噂話の伝達速度?」
よく分からない事を言い出したコリーに、ナダールは首を傾げる。
「えぇ、うちの家内がよく喋る口から生まれてきたような女性なのですが、私がうっかり喋った話が三日後には街の酒場にまで届いていて、少し興味を引かれたのですよ、この街の噂話の伝達速度は一体どのくらいなのか? とね」
「はぁ、それはまた……興味深いといえば興味深い話ですね」
逆に言ってしまえば本当にまるでどうでもいい実験のようにも思われるのだが、コリーがそれはもう楽しそうに語るので、ナダールはうっかり興味のあるふりをしてしまう。
「あなたはこの街の中で人の噂話が隅から隅まで行き渡るのに何日くらいかかると思いますか?」
「隅から隅まで、ですか……一ヵ月くらいですかね?」
「ですよね、そのくらいかかると思うじゃないですか! ですが、これがまた非常に興味深い結果が出ていて、話題によって伝達速度も変わるのですけれど、概ね1週間、人の耳目を引く内容ならおよそ三日で広がります」
「三日……それは速いですね」
「首都のイリヤは広い上に人口も多かったので、ここまで噂話が拡散する事はなかったと思うのです。ですが、やはり田舎は違いますね、普段の話題が乏しいせいもあるのでしょう、人の生死に関わる話題なら当日中に街中すべてに知れ渡ります。これは親戚やお付き合いのあった方が各家庭へ連絡に周るでしょうから速くて当然なのですが、それでも当日中というのは驚きのスピードです」
「確かにそうですね」
ナダール達が昨年まで暮らしていた村ムソンもそんな感じではあったが、ずっと都会暮らしだったコリーにはそれはとても新鮮に映ったようで「これは凄い事ですよ!」と力説を続ける。
「まぁ、いい噂だけなら結構な事なのですが、悪い噂も同じスピードで広がりますのでそこは注意しないといけません。この実験をしている過程で分かった事なのですが、騎士団内のあれやこれや、いい噂も悪い噂も尾ひれはひれ付きで拡散されている事がこの実験で判明いたしまして、これはなかなか厄介でしたよ」
「別に噂になるような悪い事なんてなくないですか?」
小首を傾げるナダールに、コリーはふっと口角だけ上げて「分かっていませんね」と呆れたように言われてしまった。
「尾ひれが付いていると、先程も言ったはずです。あなた、巷では相当な女好きの騎士団長だと有名になっていましたよ」
「は!? 女好きって……なんでですか!?」
言いがかりも甚だしい、自分はそんな素振りを見せた事もないはずなのに、納得がいかない。
「それは自分の行いを顧みれば分かるはずですよ。あなたと奥さん、傍目から見たらどう映ると思うのですか? 職場に女を連れ込んで、常に侍らせていると思われたって仕方のない事、あなたしてたでしょ?」
「ぐ……それは……」
「まぁ、そんな噂話は王命で動いている騎士団としても体裁が悪い。情報操作も兼ねて『団長は少し度の過ぎた愛妻家だ』という噂を上書きで流しておきましたので、その噂はすでに立ち消えたと思いますよ」
「それは『ありがとうございます』と言うべきなのでしょうか……」
根も葉もない噂話なのだ、放っておいてもいいのかもしれないが、それでもそれをフォローしてくれたのなら礼を言うべきなのかと少し迷ってしまう。
「どちらにしても『人の噂も75日』と言われます。いずれ噂話など消えていく物ですが、くれぐれも己の行いには責任を持ってくださいね、仮にも騎士団長なのですから」
「分かりました、充分気を付けます。それにしてもその実験、何かの役に立ったら面白いのにと思いますね。今の所は何に使えるかは思いつきませんけど」
「店の宣伝にでも使いますか?」
コリーは悪戯を思いついたような、あまり見た事のない笑みを見せる。
「うちのですか? グノー一人でやっている店なので、騎士団員相手に小銭が稼げれば充分ですよ。そこまで手も回らないでしょうし、記憶もまだすべて戻った訳ではありませんからね」
「そうですか、それは残念」
コリーもこの実験を何かに使えないものかと考えていたのは一目瞭然で、少し苦笑してしまう。
「あぁ、そういえば私、ちょっとあなたにお願いがあるのですよ」
「なんですか?」
コリーからお願いなど滅多にある事ではないので、つい無闇に身構えてしまうのだが、コリーはそんな事には気付かずに「うちの娘、そちらで雇ってはいただけませんか?」とさらっと告げた。
「娘さん……ですか?」
そんなコリーの予想外の言葉にナダールは困惑する。
「いえね、うちの娘、都会育ちなもので田舎の暮らしに飽き始めたようで、イリヤに帰りたい帰りたいとうるさいのです。かといって娘一人を帰すのもどうかと思いますし、私共夫婦はこちらで暮らすつもりで家財道具は一切合財処分してこちらに越してきているので、今更戻るのもどうかと……そこで、娘も仕事でもすれば少しは気も紛れるかもと考えたのですよ」
「はぁ、なるほど」
「あなたの所でしたら、例え奥さんが男性だとしても娘に手を出したりはしないでしょう? それにあの方、とても腕が立つのも存じておりますので、悪い男が寄ってきても追い払ってくれそうですし」
「コリーさんは娘さんをお嫁に出す気はないのですか?」
コリーの娘には何度か会った事がある。確か自分と同世代、もしくは少し下くらいの年齢で、言ってしまえば結婚適齢期、女性だと思えば少し遅いくらいかもしれない。だが、コリーの話を聞いていると娘に寄ってくる男はすべて排除してしまいたいくらいの気持ちが垣間見えてナダールはまた苦笑した。
自分にも娘がいる、その気持ちは分からなくもないが、それもある程度の年齢を過ぎてしまえば逆に心配になるものなのではないのだろうか?
「確かに娘の花嫁姿は見てみたいと思いますけど、生憎と今まで私の目に適う男性がおりませんでしたのでね」
「今まで娘が家に連れて来た男性でいいと思った男は一人もいない」とコリーは呆れたようにそう言った。
「娘さんは『家を出たい』と言ったりはしないのですか?」
「常々言っておりますが、そんなの許すわけがないでしょう? 嫁入り前の娘は親元で暮らしていればいいのです」
それはお気の毒に……という言葉が口をついて出そうになったが、そこは言葉を飲み込んだ。
「それで如何ですか? 雇っていただけますか?」
「雇って差し上げたいのは山々なのですが、現在人を雇うほどの儲けは出ていないのですよ。娘さんを雇ったら完全に赤字です」
「そうですか……それでは娘の給料は私が出しましょう。それならどうです?」
「コリーさんはそれでいいのですか?」
なんだか本末転倒な提案に困惑するのだが、コリーは「問題ない」と頷いた。
「その代わりと言ってはなんですが、娘に料理を仕込んでください」
「料理を?」
「はい。奥さんの料理の腕前は予想外でした、あの料理の数々は素晴らしい」
「あはは、あの人元々研究家肌なので、一度興味を持つとどこまでも探求していくのですよね。元は私が教えていたはずなのに、今となっては私が教わる事の方が多いです」
「探求、素晴らしい言葉ですね。是非娘にも見習わせたい」
分からない事はとことんまで知り尽くしたい探究心、どうやらそれはコリーの琴線に触れたようだ。
「まずはグノーにも相談してみないと何とも言えませんので、また相談してご連絡しますね」
「色よい返事をお待ちしておりますよ」
機嫌よく仕事に戻っていくコリーを見やり、また妙な事になったな……とナダールは何とはなしに苦笑した。
「いらっしゃいませ! あ……アジェか」
「こんにちは。また食べに来ちゃった」
店舗入り口から顔を覗かせ笑顔を見せるアジェだったが、店を開いてから毎日こうやって日に一回は顔を出してくれる。
客商売としてはありがたいが、申し訳ない気持ちが先に立つ。
「来てくれるのはすごく嬉しいけど、別に毎日じゃなくてもいいんだぞ?」
「だってグノーの作る料理はお世辞抜きで美味しいよ。ちゃんと看板出してお店やればいいのに」
そんな事を言いながらカウンター席へとやってくるアジェに、まずはとりあえずお茶を出した。
「ん~まだ自分一人でどこまでできるか予想が立たないからなぁ。仕入だって無駄に買い込みすぎて捨てるなんて、やってる家計の余裕もないし」
「飲食店の仕入れはギャンブルに近い」とグノー苦笑する。
「長く持つ物なら多少多目に仕入れてもいいけど、生ものはなかなか……保存食とか今何もないから、漬物やそういうの少しずつ増やしていこうかなとは考えてる。でもある程度慣れるまでは知ってる奴だけが来る、今のスタンスが丁度いい」
「思い切りが良かった割に、意外と慎重だね」
「あいつに無理させてるの分かってるからな。これで借金まで作ったら、俺、どれだけ疫病神だよって話じゃん?」
「僕がこんな大きな家紹介しちゃったから……」
途端にしょぼんとうなだれたアジェに「それは違う」と慌ててフォローする。
確かに紹介してくれたのはアジェだが、最終的に決めたのは自分達だ、そこは誰かのせいにするつもりはない。
「それは全然大丈夫だ。俺もあいつもここの風呂は気に入ってるんだ。でも欲を言えば、せっかく風呂が2つもあるんだから別々に分かれてたら良かったのに……とは思う」
「え? なんで?」
「騎士団の奴等がいると俺が入れないんだよ。俺、女だと思われてるっぽいし、そもそもうちのが自分以外の男と入るの嫌がるしな」
「あぁ、それは分かる。僕もエディに『食事はいいけど風呂には入るな』って言われてる」
「別に減るもんでもないのになぁ……」
「それでも用心に越した事ないよ」とアジェは笑った。
アジェもグノーも男女の性は男だが、バース性はΩなのだ、Ωはαを魅了する力を持っている。2人が2人共番持ちとは言え、それでも何かあってからでは遅いのだから用心に越した事はない。
「こういうの本当面倒くさい」
「まぁまぁ……あ、そういえば僕、グノーに聞かなきゃと思ってたんだ。最近グノーの周りで何か変な事とかあったりしなかった?」
「変な事? 別に何もないけど?」
「そう? ならいいけど……」
アジェは少し言葉を濁し、そんなアジェの前にお茶うけ程度の軽食を出す。
「何? 何かあった?」
「ううん、ただちょっと変な噂を聞いたから」
「噂?」とグノーは首を傾げる。
アジェは軽食を摘みながら「それがね……」と話し始めた。
「最近メリアの姫がルーンに越して来たって、町で噂になっててさ、そもそもメリア王家の姫って言って思い出せるのレイシア姫くらいしかいなくて、でもそれってありえないでしょう?」
『レイシア』とは先のメリア王唯一の子、グノーにとっては姪に当たる娘だが、グノーが彼女に会った事はほぼないと言っていい。
王を失脚させる前「父親に会いたい」と叫びながら廊下を侍女の目を盗んで走り回っている幼い姫の姿を見かけたのが恐らく最初で最後だ。
「俺はあの娘の動向は知らない」
「あ……そっか、そうだったね。でもレイシア姫がファルスにいるなんて事はありえないんだよ、姫は今革命推進派の手の内で動向を見張られているから、国外に出る事はできないんだよ」
「……なんでアジェがそんな事知ってんの?」
身内であるはずの自分ですら知らない情報にグノーは少しだけ眉間に皺を寄せた。
「僕、ルネちゃんと文通友達なんだよね」
「ルネ……?」
「ルネーシャ姫だよ、エディの妹。僕達そもそも幼馴染で結構仲良くてさ、一緒にメリア城で人質生活してたり、急に王家に担ぎ込まれたって点でも僕達同じだからね、僕はルネちゃんの愚痴聞き係みたいな感じかな。あまり大っぴらにできない王家の話もできるから、ルネちゃんからはメリアの情報色々流れてくるんだよ」
『ルネーシャ姫』ブラックの娘でエドーワードの血の繋がらない妹。そしてグノーの弟レオンの嫁、言ってしまえばグノーにとっても義理の妹だ。
「ルネちゃんとレイシア姫って、元々仲が良くてね、お城の中でもよく行き来してたんだよ。だけど、レイシア姫のお父さんが亡くなって、その死に直接的じゃなくてもルネちゃんが関わってるのを姫が知って、嫌われたってしょんぼりしてた。でも、ルネちゃんって前向きな子だから、一方的に嫌われたままなの嫌みたいで、あの手この手でレイシア姫にアプローチしてるんだよ。絶対仲直りするんだって頑張っててさ、だからレイシア姫の情報はかなり詳しく僕にも届いているんだよ」
まさかそんな情報網があるとは思わず、グノーは驚く。
「じゃあその娘はメリアからは絶対出てないって事か」
「間違いないよ」
「じゃあ町で噂になってる姫って?」
「それが分からないんだよ。その姫っていうのが女の人って意味なら、まぁ何人か越して来た女の人はいるんだけど、メリアから来たって言われちゃうと該当する人いないんだよね。グノーはメリア出身で見た目も分かりやすくメリア人だし、最近は女性だと思われてる率も高そうだから、まさかとは思うんだけど何かあったらいけないと思ってさ」
「メリアの姫……か。俺さぁ、どう頑張っても姫って柄じゃないと思うんだけど?」
それはアジェも同意できる部分なのだろう、くすりと笑みを零す。
「でも、人の噂なんて当てにならないものだよ。どこかで尾ひれはひれが付いてそんな話になってるんだとしたら、元は『メリア王家の人間がいる』って話だったのかもしれないし、こんな田舎にまでメリアの人が追ってくるとは思えないけど、用心に越した事ないから」
メリアでは先代の王レリックを殺害したのはメリアのセカンドであるらしいというのはもっぱらの噂になっていた。
それは城を攻略する際、グノーが父王の妃であった母親そっくりの顔を晒して暴れまわっていたせいで、それは公然の事実として語られている。
グノーを探しているメリア人は大きく分けて二種類いる、片方はメリア国王陛下を殺害した犯人に復讐するという目的で彼を探している者達、そしてもう片方は王家の血筋としてグノーを王へと担ぎ上げたい者達だ。
現在メリアでは名目上は父王の三番目の息子になっている弟レオンが国を纏めようと頑張っている。だが、未だ民主化は成されず、レオンも王に即位はしていない。
レオンは暫定的な王として担ぎ上げられてはいるが反対勢力も多く、その内の一派がグノーを探しているのだ。
自分なんかを担ぎ上げて一体何をしたいのかとも思うのだが、別に担ぎ上げられる人間などそういう輩にとっては誰でもいいのだ、トップは所詮傀儡に過ぎない、そんな人間達に利用されるなど真っ平ごめんなグノーは彼等の前に姿を現すような事は決してしなかった。
「ったく、いつまで経っても面倒くさいな。でも気を付けるわ、心配してくれてありがとな」
メリア王家にはもう二度と関わる気など無いというのに、代えることのできないこの体に流れる血を呪わしく思う。
「あんまり気にし過ぎも良くないから、話し半分程度にね。本当にただの噂だけだからさ」
グノーが「分かった」と頷くとアジェは笑みを見せて「今日のも美味しいねぇ」とぺろりと皿を空にしてくれた。
作った物を美味しそうに綺麗に完食してくれるのは気分が良くて、グノーも満足気に頷く。だがその一方で、アジェの持ってきたその話しは、少しだけグノーの心に影を落とした。
ナダールは大量の書類を運びながら、それでも何故か鼻歌でも歌い出しそうにご機嫌な様子のコリーを見やって、不思議そうにそう尋ねた。
「そんなに楽しそうに見えましたか? これはいけませんね」などと言いつつも、やはりコリーの様子は楽しげで、もう一度「何かあったのですか?」と尋ねてみると、彼は満面の笑みで答えてくれた。
「最近少しばかり興味深い実験をしていましてね、仕事に私情は持ち込まないようにしているつもりだったのですが……」
「実験? 何の実験ですか?」
「人の噂話の伝達速度に関する実験なんですが、これがなかなか興味深くて面白いのです」
「噂話の伝達速度?」
よく分からない事を言い出したコリーに、ナダールは首を傾げる。
「えぇ、うちの家内がよく喋る口から生まれてきたような女性なのですが、私がうっかり喋った話が三日後には街の酒場にまで届いていて、少し興味を引かれたのですよ、この街の噂話の伝達速度は一体どのくらいなのか? とね」
「はぁ、それはまた……興味深いといえば興味深い話ですね」
逆に言ってしまえば本当にまるでどうでもいい実験のようにも思われるのだが、コリーがそれはもう楽しそうに語るので、ナダールはうっかり興味のあるふりをしてしまう。
「あなたはこの街の中で人の噂話が隅から隅まで行き渡るのに何日くらいかかると思いますか?」
「隅から隅まで、ですか……一ヵ月くらいですかね?」
「ですよね、そのくらいかかると思うじゃないですか! ですが、これがまた非常に興味深い結果が出ていて、話題によって伝達速度も変わるのですけれど、概ね1週間、人の耳目を引く内容ならおよそ三日で広がります」
「三日……それは速いですね」
「首都のイリヤは広い上に人口も多かったので、ここまで噂話が拡散する事はなかったと思うのです。ですが、やはり田舎は違いますね、普段の話題が乏しいせいもあるのでしょう、人の生死に関わる話題なら当日中に街中すべてに知れ渡ります。これは親戚やお付き合いのあった方が各家庭へ連絡に周るでしょうから速くて当然なのですが、それでも当日中というのは驚きのスピードです」
「確かにそうですね」
ナダール達が昨年まで暮らしていた村ムソンもそんな感じではあったが、ずっと都会暮らしだったコリーにはそれはとても新鮮に映ったようで「これは凄い事ですよ!」と力説を続ける。
「まぁ、いい噂だけなら結構な事なのですが、悪い噂も同じスピードで広がりますのでそこは注意しないといけません。この実験をしている過程で分かった事なのですが、騎士団内のあれやこれや、いい噂も悪い噂も尾ひれはひれ付きで拡散されている事がこの実験で判明いたしまして、これはなかなか厄介でしたよ」
「別に噂になるような悪い事なんてなくないですか?」
小首を傾げるナダールに、コリーはふっと口角だけ上げて「分かっていませんね」と呆れたように言われてしまった。
「尾ひれが付いていると、先程も言ったはずです。あなた、巷では相当な女好きの騎士団長だと有名になっていましたよ」
「は!? 女好きって……なんでですか!?」
言いがかりも甚だしい、自分はそんな素振りを見せた事もないはずなのに、納得がいかない。
「それは自分の行いを顧みれば分かるはずですよ。あなたと奥さん、傍目から見たらどう映ると思うのですか? 職場に女を連れ込んで、常に侍らせていると思われたって仕方のない事、あなたしてたでしょ?」
「ぐ……それは……」
「まぁ、そんな噂話は王命で動いている騎士団としても体裁が悪い。情報操作も兼ねて『団長は少し度の過ぎた愛妻家だ』という噂を上書きで流しておきましたので、その噂はすでに立ち消えたと思いますよ」
「それは『ありがとうございます』と言うべきなのでしょうか……」
根も葉もない噂話なのだ、放っておいてもいいのかもしれないが、それでもそれをフォローしてくれたのなら礼を言うべきなのかと少し迷ってしまう。
「どちらにしても『人の噂も75日』と言われます。いずれ噂話など消えていく物ですが、くれぐれも己の行いには責任を持ってくださいね、仮にも騎士団長なのですから」
「分かりました、充分気を付けます。それにしてもその実験、何かの役に立ったら面白いのにと思いますね。今の所は何に使えるかは思いつきませんけど」
「店の宣伝にでも使いますか?」
コリーは悪戯を思いついたような、あまり見た事のない笑みを見せる。
「うちのですか? グノー一人でやっている店なので、騎士団員相手に小銭が稼げれば充分ですよ。そこまで手も回らないでしょうし、記憶もまだすべて戻った訳ではありませんからね」
「そうですか、それは残念」
コリーもこの実験を何かに使えないものかと考えていたのは一目瞭然で、少し苦笑してしまう。
「あぁ、そういえば私、ちょっとあなたにお願いがあるのですよ」
「なんですか?」
コリーからお願いなど滅多にある事ではないので、つい無闇に身構えてしまうのだが、コリーはそんな事には気付かずに「うちの娘、そちらで雇ってはいただけませんか?」とさらっと告げた。
「娘さん……ですか?」
そんなコリーの予想外の言葉にナダールは困惑する。
「いえね、うちの娘、都会育ちなもので田舎の暮らしに飽き始めたようで、イリヤに帰りたい帰りたいとうるさいのです。かといって娘一人を帰すのもどうかと思いますし、私共夫婦はこちらで暮らすつもりで家財道具は一切合財処分してこちらに越してきているので、今更戻るのもどうかと……そこで、娘も仕事でもすれば少しは気も紛れるかもと考えたのですよ」
「はぁ、なるほど」
「あなたの所でしたら、例え奥さんが男性だとしても娘に手を出したりはしないでしょう? それにあの方、とても腕が立つのも存じておりますので、悪い男が寄ってきても追い払ってくれそうですし」
「コリーさんは娘さんをお嫁に出す気はないのですか?」
コリーの娘には何度か会った事がある。確か自分と同世代、もしくは少し下くらいの年齢で、言ってしまえば結婚適齢期、女性だと思えば少し遅いくらいかもしれない。だが、コリーの話を聞いていると娘に寄ってくる男はすべて排除してしまいたいくらいの気持ちが垣間見えてナダールはまた苦笑した。
自分にも娘がいる、その気持ちは分からなくもないが、それもある程度の年齢を過ぎてしまえば逆に心配になるものなのではないのだろうか?
「確かに娘の花嫁姿は見てみたいと思いますけど、生憎と今まで私の目に適う男性がおりませんでしたのでね」
「今まで娘が家に連れて来た男性でいいと思った男は一人もいない」とコリーは呆れたようにそう言った。
「娘さんは『家を出たい』と言ったりはしないのですか?」
「常々言っておりますが、そんなの許すわけがないでしょう? 嫁入り前の娘は親元で暮らしていればいいのです」
それはお気の毒に……という言葉が口をついて出そうになったが、そこは言葉を飲み込んだ。
「それで如何ですか? 雇っていただけますか?」
「雇って差し上げたいのは山々なのですが、現在人を雇うほどの儲けは出ていないのですよ。娘さんを雇ったら完全に赤字です」
「そうですか……それでは娘の給料は私が出しましょう。それならどうです?」
「コリーさんはそれでいいのですか?」
なんだか本末転倒な提案に困惑するのだが、コリーは「問題ない」と頷いた。
「その代わりと言ってはなんですが、娘に料理を仕込んでください」
「料理を?」
「はい。奥さんの料理の腕前は予想外でした、あの料理の数々は素晴らしい」
「あはは、あの人元々研究家肌なので、一度興味を持つとどこまでも探求していくのですよね。元は私が教えていたはずなのに、今となっては私が教わる事の方が多いです」
「探求、素晴らしい言葉ですね。是非娘にも見習わせたい」
分からない事はとことんまで知り尽くしたい探究心、どうやらそれはコリーの琴線に触れたようだ。
「まずはグノーにも相談してみないと何とも言えませんので、また相談してご連絡しますね」
「色よい返事をお待ちしておりますよ」
機嫌よく仕事に戻っていくコリーを見やり、また妙な事になったな……とナダールは何とはなしに苦笑した。
「いらっしゃいませ! あ……アジェか」
「こんにちは。また食べに来ちゃった」
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「来てくれるのはすごく嬉しいけど、別に毎日じゃなくてもいいんだぞ?」
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そんな事を言いながらカウンター席へとやってくるアジェに、まずはとりあえずお茶を出した。
「ん~まだ自分一人でどこまでできるか予想が立たないからなぁ。仕入だって無駄に買い込みすぎて捨てるなんて、やってる家計の余裕もないし」
「飲食店の仕入れはギャンブルに近い」とグノー苦笑する。
「長く持つ物なら多少多目に仕入れてもいいけど、生ものはなかなか……保存食とか今何もないから、漬物やそういうの少しずつ増やしていこうかなとは考えてる。でもある程度慣れるまでは知ってる奴だけが来る、今のスタンスが丁度いい」
「思い切りが良かった割に、意外と慎重だね」
「あいつに無理させてるの分かってるからな。これで借金まで作ったら、俺、どれだけ疫病神だよって話じゃん?」
「僕がこんな大きな家紹介しちゃったから……」
途端にしょぼんとうなだれたアジェに「それは違う」と慌ててフォローする。
確かに紹介してくれたのはアジェだが、最終的に決めたのは自分達だ、そこは誰かのせいにするつもりはない。
「それは全然大丈夫だ。俺もあいつもここの風呂は気に入ってるんだ。でも欲を言えば、せっかく風呂が2つもあるんだから別々に分かれてたら良かったのに……とは思う」
「え? なんで?」
「騎士団の奴等がいると俺が入れないんだよ。俺、女だと思われてるっぽいし、そもそもうちのが自分以外の男と入るの嫌がるしな」
「あぁ、それは分かる。僕もエディに『食事はいいけど風呂には入るな』って言われてる」
「別に減るもんでもないのになぁ……」
「それでも用心に越した事ないよ」とアジェは笑った。
アジェもグノーも男女の性は男だが、バース性はΩなのだ、Ωはαを魅了する力を持っている。2人が2人共番持ちとは言え、それでも何かあってからでは遅いのだから用心に越した事はない。
「こういうの本当面倒くさい」
「まぁまぁ……あ、そういえば僕、グノーに聞かなきゃと思ってたんだ。最近グノーの周りで何か変な事とかあったりしなかった?」
「変な事? 別に何もないけど?」
「そう? ならいいけど……」
アジェは少し言葉を濁し、そんなアジェの前にお茶うけ程度の軽食を出す。
「何? 何かあった?」
「ううん、ただちょっと変な噂を聞いたから」
「噂?」とグノーは首を傾げる。
アジェは軽食を摘みながら「それがね……」と話し始めた。
「最近メリアの姫がルーンに越して来たって、町で噂になっててさ、そもそもメリア王家の姫って言って思い出せるのレイシア姫くらいしかいなくて、でもそれってありえないでしょう?」
『レイシア』とは先のメリア王唯一の子、グノーにとっては姪に当たる娘だが、グノーが彼女に会った事はほぼないと言っていい。
王を失脚させる前「父親に会いたい」と叫びながら廊下を侍女の目を盗んで走り回っている幼い姫の姿を見かけたのが恐らく最初で最後だ。
「俺はあの娘の動向は知らない」
「あ……そっか、そうだったね。でもレイシア姫がファルスにいるなんて事はありえないんだよ、姫は今革命推進派の手の内で動向を見張られているから、国外に出る事はできないんだよ」
「……なんでアジェがそんな事知ってんの?」
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「僕、ルネちゃんと文通友達なんだよね」
「ルネ……?」
「ルネーシャ姫だよ、エディの妹。僕達そもそも幼馴染で結構仲良くてさ、一緒にメリア城で人質生活してたり、急に王家に担ぎ込まれたって点でも僕達同じだからね、僕はルネちゃんの愚痴聞き係みたいな感じかな。あまり大っぴらにできない王家の話もできるから、ルネちゃんからはメリアの情報色々流れてくるんだよ」
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「ルネちゃんとレイシア姫って、元々仲が良くてね、お城の中でもよく行き来してたんだよ。だけど、レイシア姫のお父さんが亡くなって、その死に直接的じゃなくてもルネちゃんが関わってるのを姫が知って、嫌われたってしょんぼりしてた。でも、ルネちゃんって前向きな子だから、一方的に嫌われたままなの嫌みたいで、あの手この手でレイシア姫にアプローチしてるんだよ。絶対仲直りするんだって頑張っててさ、だからレイシア姫の情報はかなり詳しく僕にも届いているんだよ」
まさかそんな情報網があるとは思わず、グノーは驚く。
「じゃあその娘はメリアからは絶対出てないって事か」
「間違いないよ」
「じゃあ町で噂になってる姫って?」
「それが分からないんだよ。その姫っていうのが女の人って意味なら、まぁ何人か越して来た女の人はいるんだけど、メリアから来たって言われちゃうと該当する人いないんだよね。グノーはメリア出身で見た目も分かりやすくメリア人だし、最近は女性だと思われてる率も高そうだから、まさかとは思うんだけど何かあったらいけないと思ってさ」
「メリアの姫……か。俺さぁ、どう頑張っても姫って柄じゃないと思うんだけど?」
それはアジェも同意できる部分なのだろう、くすりと笑みを零す。
「でも、人の噂なんて当てにならないものだよ。どこかで尾ひれはひれが付いてそんな話になってるんだとしたら、元は『メリア王家の人間がいる』って話だったのかもしれないし、こんな田舎にまでメリアの人が追ってくるとは思えないけど、用心に越した事ないから」
メリアでは先代の王レリックを殺害したのはメリアのセカンドであるらしいというのはもっぱらの噂になっていた。
それは城を攻略する際、グノーが父王の妃であった母親そっくりの顔を晒して暴れまわっていたせいで、それは公然の事実として語られている。
グノーを探しているメリア人は大きく分けて二種類いる、片方はメリア国王陛下を殺害した犯人に復讐するという目的で彼を探している者達、そしてもう片方は王家の血筋としてグノーを王へと担ぎ上げたい者達だ。
現在メリアでは名目上は父王の三番目の息子になっている弟レオンが国を纏めようと頑張っている。だが、未だ民主化は成されず、レオンも王に即位はしていない。
レオンは暫定的な王として担ぎ上げられてはいるが反対勢力も多く、その内の一派がグノーを探しているのだ。
自分なんかを担ぎ上げて一体何をしたいのかとも思うのだが、別に担ぎ上げられる人間などそういう輩にとっては誰でもいいのだ、トップは所詮傀儡に過ぎない、そんな人間達に利用されるなど真っ平ごめんなグノーは彼等の前に姿を現すような事は決してしなかった。
「ったく、いつまで経っても面倒くさいな。でも気を付けるわ、心配してくれてありがとな」
メリア王家にはもう二度と関わる気など無いというのに、代えることのできないこの体に流れる血を呪わしく思う。
「あんまり気にし過ぎも良くないから、話し半分程度にね。本当にただの噂だけだからさ」
グノーが「分かった」と頷くとアジェは笑みを見せて「今日のも美味しいねぇ」とぺろりと皿を空にしてくれた。
作った物を美味しそうに綺麗に完食してくれるのは気分が良くて、グノーも満足気に頷く。だがその一方で、アジェの持ってきたその話しは、少しだけグノーの心に影を落とした。
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小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
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