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運命に花束を②
運命と商売始めました④
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「スタールと何を話していたんです?」
食器を片付け、皿洗いに取り掛かろうと腕を巻くっていると、少し落ち込んだ様子のグノーが厨房に戻ってきたので、心配になって声をかけた。
「別に……なんでもない」
「本当に?」
「なんでもないってば、俺、こっち片付けるな」
グノーは口を噤んで何も言わないのだが、その表情は明らかに何かを隠している顔で、ナダールはひとつ溜息を吐く。
店の方ではスタールが大あくびをしているのが見て取れて、別段何かあった風にも見えないのだが、少し不安になったナダールは「残った食器も先に持ってきちゃいますね」と店の方へと足を向けた。
食器類を片付けながら、ナダールはスタールの元へ歩み寄る。
「あなた、さっきグノーと何の話をしていたんですか?」
「あ? なんだ、やぶから棒に。別に世間話だよ、怪我の事だってちゃんと誤魔化したし、変な話しはしてねぇよ」
「そうですか。グノーの様子が少しおかしかったので、気になったのですけど、急にたくさん働いて疲れが出ただけですかね……」
それでも厨房の方をさりげなく伺って様子を見守るナダールに、スタールは呆れたような視線を向ける。
「心配しすぎなんじゃねぇのか? 見た感じ、もう全然普通そうじゃねぇか」
「今の時期が一番危ないんですよ。油断してるとすぐに元に戻ってしまう」
「そうなのか? 今、少しばかりメリアの話をしてたんだが、昔を思い出させたらまずかったか?」
「メリアの? まぁ、直接あの人の記憶に触れている話じゃなければ大丈夫だと思いますけど、何の話を?」
机の上を片付けながら、ナダールはスタールを問い詰める。
「何って、俺が元々メリアの出身だって話と、身分が高い奴はいい物食えて羨ましいなぁって話だよ。あと、前の国王はなんで失脚したんだろうな……って」
「あぁ、それですね。最悪だ……なんでよりによってそんな話……」
「まずかったのか? どれがだ?」
どの話しがグノーの心に触れたのか分からないスタールは不審顔をこちらに向けるのだが、とりあえず今はグノーへのフォローの方が先だ。
「詳しい事情はまた後でお話します」とスタールに告げて、ナダールは大量の食器を手に、厨房へと戻る。
「洗い物、ここに置きますね」
厨房のグノーを伺うと、彼は別段変わった様子もなく調理器具を洗っていた。
「少し疲れましたか? 代わりましょうか?」
「ん? 大丈夫。今日は楽しかったし疲れてねぇよ、心配すんな」
「また無理をしたりしていませんか? まだ病み上がりなのですから、無理は禁物ですよ」
「平気だって、お前は本当に心配性だな」
おかしそうに笑うグノーに「心配するのはあなたが大事だからですよ」と告げると、彼はまた嬉しそうに微笑んだ。
何度言葉を重ねてもすぐに忘れてしまう彼には何度言っても足りないくらいなのに、心配性と言われてしまうのは何やら腑に落ちない話だ。だが、しつこいくらいにくり返し、何度言葉を重ねても、彼の心は闇へと落ちる。それを食い止められるのなら呆れられようと構わないと自分は思っている。
「なぁ、ナダール。いい王様っていうのは、どんな王様の事を言うんだろうな?」
「いい王様……ですか?」
「そう、さっきスタールにさ、レリックは国内を安定させたいい王様だったのにって言われてさ、傍から見たらあんな人でもいい王様なのかな……って、ちょっと考えちまった。俺はブラックも知ってるし、ランティス王の事もアジェから聞いて知ってる。そんな中で、あいつをいいと思う奴もいるんだって考えたら、なんか不思議でな……」
グノーは洗い物の手を休めて、ぼんやりとそんな事を呟いた。
「一国民である私達には王の人格や行いなんて害を被らない限りどうという事もありませんからね。国が安定して自分達が安心して暮らせる政治さえしてくれたら、多少おかしくても別に構わないと思う人がいても不思議ではないです。特にメリアは長い事ずっと内乱続きですからね」
「そっか……」
「だからと言って、自分が我慢してずっとあそこにいれば、今みたいに国が荒れ続けることもなかったのかな、なんて考えているなら大きな間違いですからね!」
「はは、お見通しか……」
グノーは困ったように苦笑する。
彼の思考は後ろ向きに暴走しがちで、気付くと考えなくてもいいような事を後ろ向きに考え込んでいたりする。それは彼の悪い癖で、それに気付くたびにナダールはそれを全力で否定する。
「誰かの犠牲の上に成り立っている国なんて最初からどこかおかしいのですよ。だから、王が代わったくらいで毎回国が荒れるのです。今、例えばブラックさんやランティス国王陛下が倒れたとして、国があそこまで乱れると思いますか? 私は思いませんね。何故なら彼等の周りには王を支える何人もの優秀な臣下がいるからです。間違った事をしたり、言ったりすれば諌めてくれる者もいる。それが普通の国の在り方です。いわばあなたのお兄さんだって、メリアという国の犠牲者の一人だと私は思いますよ」
「あいつも……?」
「そうですよ。前の王に虐げられていたのはあの人も同じです、それがずっと続いてしまっている事こそが、メリアの不幸なのです」
「そっか……」
思えば両親もそうだったのだ。父王は先代の妾の子、母は先代と正妻の子、兄と妹での政略結婚、そして近親婚。そんな事が何代も続いて今があり、そんな事ばかりしているからいつまで経っても国が正常になる事がないのだ。
「どうしたらいいんだろうな?」
「それは私にも分かりません。ですが、あなたが気に病む事などひとつも無いという事だけは覚えておいてください」
「うん、ありがとう」
現在メリアではグノーの弟レオンと、メリアの正統な王位継承者であるルイスが国を纏めようと奮闘している。そんな中、それでも自分はあの国の王家に属する人間にも関わらず、今は何もしていない。
国民から見たら一人だけ逃げ出し、幸せを享受する卑怯者だと思われているのでないかと思ってしまうのだが、ナダールはきっとグノーのそんな気持ちも否定するのだろう。
「でも、そう思うとこの国ファルスは本当にいい国ですよね。国王陛下もちゃんと国民や国のことを考えて動いている。それが当たり前だと言ってしまえばそれまでですが、当たり前ではない国もいくらでもあるのでしょうからね」
「そうだな……」
思えばファルス国王であるブラックは若い頃から国中を見て周り、どの土地にどんな問題があるのかつぶさに観察して回っていたのではないかと思うのだ。
問題が起これば自ら赴き、解決できる事ならその場で治めてきた。そんな事ができる国王だから国も平和でのんびりしている。
グノーを気にかけてくれていたのも、恐らくグノーも大事な国民の一人だと思っていたからなのだと今なら分かる。すべての国民全員を一人で守るのは不可能だが、それでも手の届く範囲すべての人間を守ろうと努めてきたのだろう。その範囲は少しずつ広がって、それでもできる限りの事をしようとしているブラックが、いつも仕事に追われている事をグノーは知っていた。
「俺はもっとブラックに感謝するべきなんだな」
喧嘩友達のように会えば軽口を叩いている仲だが、普通そんな王様いるわけない。
自分は人に恵まれているのだと思う、今まで気付いていなかったが、それに気付かされた。
「お前はいつも俺が気付いていなかった、考え付きもしない事を教えてくれる。やっぱりお前は凄いな」
「何の事ですか?」
「なんでもないよ」
そう言ってグノーは翳りのない笑みを見せ、ナダールはそれにほっとする。
「さぁ、残りもさっさと片付けるか」と、グノーは皿の片付けに取り掛かる。何せ食べ盛りの男が10人もいれば、食事の量が多いのはもちろん、片付ける量も半端ない。
「私も手伝いますよ」と並んで片付けを始める2人を知ってか知らずか店から「ツマミが足りねぇぞ!」と声がかかり、グノーは苦笑して「今、持ってく!」とまた慌しく駆けていった。
すべての片付けが終わる頃、店には完全に酔い潰れた数人の男達が寝入っていた。
ちゃんと寄宿舎に帰って行った者達もいるのだが「帰るのが面倒くさい」とそのままその場で寝入ってしまったのだ。
「こんな所で寝たら風邪引きますよ」と机やソファーを急ごしらえの簡易ベッドに変えて、そこへ彼等を運び込み、毛布をかける。
皆高いびきで気持ち良さそうに寝入ってしまったので「今後、布団の予備も必要ですかね」とナダールが困惑顔で呟いていると「おい」と声がかけられた。
「あぁ、スタール。まだ帰っていなかったんですね」
「お前、話しは後でって言っただろうが」
「それはそうですけど、こんな遅くまで待っていてくれているとは思わなくて」
「気になって寝られるかよ、あいつ大丈夫だったのか?」
スタールの言葉にナダールは笑みを見せる。
本当に彼は体躯や態度に見合わず、お人好しで優しい男だと思う。
「少し落ち込んでいましたが、大丈夫ですよ。あなたは本当に見た目に反していい人ですね」
「見た目に反しては余計だよ」
「座れ」とスタールはナダールを自分の傍らの椅子に座るように促した。
ある程度の片付けは済んでいたのでグノーはもう自宅の方に戻っていて、それが分かっているのだろうスタールがナダールを見やる。
「もうこの際だから、どういった内容があいつにとって禁句なのか洗いざらい話せ。うかうか世間話で元に戻られたらたまんねぇよ」
「そうですね、その辺の話もあなたには知っておいて貰った方がいいかもしれませんね。ただ、これは隠している話しではないのですが、あの人の身の安全を守る為に大っぴらには口外しないと約束してくれますか?」
「身の安全? またずいぶん仰々しいな。俺は人の秘密を吹聴して回るようなそんな人間じゃねぇから安心しろ」
「分かってはいるんですけどね」とナダールは眉を下げて「念には念を入れておくに越した事はありませんから」とそう続けるので、スタールは眉間に皺を寄せて「なんなら騎士らしく剣にでも誓ってやろうか?」と提案する。
「はは、そこまでしていただかなくて結構ですよ。そうですね、あの人の一番の禁句はメリア王家の話です。特に先程も言っていた失脚した前メリア王があの人にとって一番の禁句なのですよ」
「まさかとは思うが……」
「あの人の本名はセカンド・メリア、メリアに3人いた王子の2番目がグノー自身なのです」
スタールは驚いた様子で机の上に置いた拳を握った。
「王家の次男って言ったら、長男の寵愛をいい事にわがまま放題に暮らしてるって噂になってたあの次男か?」
「そうですよ。でもあの人を見たらそんな話、根も葉もない噂話だったと分かるでしょう? 寵愛なんて名ばかりの監禁生活だったのですよ。誰とも話してはいけない、外に出るのも許されない、許されたのは読書と勉強、そして剣術だけ。昼はただ一人で過して、夜は兄の慰み者、母に疎まれ、父に無視され、そんな彼がどうやってわがままを通していたと言うのでしょう」
「私はあの男がいまだに憎くてたまりませんよ!」とナダールは語気荒く吐き捨てる。
「でも、ちょっと待てよ、俺がその寵愛の話しを聞いたのは王が失脚する少し前の話だぞ。実際そういう事はあって噂が流れてたんじゃないのか?」
「違いますね、グノーはあの人にわがままなんてひとつも言った事はないはずです。ただ、グノーが家を飛び出し彼が失脚するまでの間に、城には偽者のセカンドが暮らしていた。彼はその偽者の言う事ならなんでも聞いたと私も聞いています。ただ、その偽者もそこまでのわがままを言ってはいないはずなので、きっと話に尾ひれ背びれが付いて拡散されたのではないでしょうかね。その偽者の方もグノーが見付かったと同時に放逐されました、あの男はそういう人だったのですよ」
「人をまるで玩具扱いか……酷い話だな」
「そうですよ……だから私達があの人を失脚させたのです。あの人を殺す為に国民を奮起させ、城を爆破した」
スタールは更に驚いた表情をこちらに向ける。
「あの暴動、お前等の仕業だったのかよ……」
「あの人が生きている限り、グノーに安息はないのだと思い知りましたからね。人質までとって脅して、ファルスやランティスまで巻き込んで彼を取り戻そうとする狂った王にはそうするしか対処の方法がなかったのですよ。幸い協力者は存外多くて、城を落とすのは意外と簡単でしたよ」
そう言って笑みを零すナダールの笑顔に底知れぬ物を感じて、スタールはぞっと鳥肌を立てた。
武闘会で勝った負けたと騒いでいたのがアホらしくなる程の修羅場であっただろうその事件を、笑顔で語るナダールが恐ろしかったのだ。この2人はそもそもすでに見ている世界が違うのだ。
「なので、申し訳ないのですが、メリア王家の話はあの人にしないで欲しいのです。もう過去は過去と割り切ってはいますが、どんな拍子にどんな話があの人の琴線に触れるのか分かりませんので」
「分かった、メリアの話はもうしねぇ。そもそも俺だって出身がメリアだって言うだけで、育ちはファルスだからな、そんなに話すこともねぇ。で、他に禁句はねぇのか? 後出しはすんなよ」
「あぁ、そう言われるとあとひとつ『お前のせい』は絶対に言わないでください。あの人、その言葉にとても敏感で、とても気にするのですよ。悪い事はすべて自分のせいだと思い込む悪い癖があるので、何か事件があった時は特に気を付けてもらえるとありがたいです」
「分かった……ちなみにこの話、知っている奴は他にもいるのか?」
「黒の騎士団、それにコリーさんにはお話ししてあります」
「そうか……」
スタールはそれだけ呟き、立ち上がると外套を羽織った。
「帰るんですか? もうこの際泊まっていけばいいのに……」
「これのどこに寝る場所があるんだよ。こんな野郎共に囲まれた芋洗い状態で寝られるか」
「それもそうですね。こういう時の事も考えて、もう少し色々と準備しないとですね……お給料、幾らあっても足りませんよ……」
溜息を零しながらぼやくナダールにスタールは「せいぜい美味い料理の勉強でもするんだな。そしたら毎日でも食いに来てやるよって、あいつに言っとけ」と口の端を上げて笑った。
ナダールは「伝えておきます」とスタールの背を見送る。外はまだ寒く、吐く息は白い。
ゆっくり風呂にでも浸かって寝るか……とナダールは店の扉に鍵をかけ、踵を返した。
一人夜道を歩くスタールに忍び寄る影。
「ずいぶん遅くまでかかったな。すっかり凍えちまった」
「はん、そんなの知ったことか……だが、あんたの持ってきた情報、間違ってなかったみたいだな。あいつ何もかも全部べらべら喋ってくれたよ。本当に人を疑うって事を知らない馬鹿だな、あいつは」
「それじゃあ、やっぱりあの女、メリア王家の……」
「あぁ、間違いねぇよ」
男はほくそ笑んで「これで俺にもツキが回ってきた」と呟いた。
「それでお前そんな事知って、あいつ等に何をするつもりだ?」
「あの女を探している奴がいる。せいぜい高値を吹っかけて売りつけてやるよ」
「あぁ、そうかよ。俺にも当然分け前はあるんだろうな?」
「今後の働き次第だな」
「ふん、面倒くせぇ……」
「近い内にあの家を襲う計画がある」と男は笑いを殺しきれない楽しげな声でスタールにそう告げた。
「昼間はあの女一人だ、女一人くらいどうという事もない。周りに誰もいなければ、あの妙な技も使えないだろうしな」
グノーの腕っ節の強さを知っているスタールは『そう上手くいくもんかね……』と心の内で思ったが、この男にそれを教えてやるいわれもない。
「また追って連絡する」
男は隠れるように暗闇に消えていき、スタールはひとつ溜息を落とす。
「本当、面倒くせぇなぁ……」
白々と月は美しく輝いているのに、彼の心には暗い闇が広がっていた。
食器を片付け、皿洗いに取り掛かろうと腕を巻くっていると、少し落ち込んだ様子のグノーが厨房に戻ってきたので、心配になって声をかけた。
「別に……なんでもない」
「本当に?」
「なんでもないってば、俺、こっち片付けるな」
グノーは口を噤んで何も言わないのだが、その表情は明らかに何かを隠している顔で、ナダールはひとつ溜息を吐く。
店の方ではスタールが大あくびをしているのが見て取れて、別段何かあった風にも見えないのだが、少し不安になったナダールは「残った食器も先に持ってきちゃいますね」と店の方へと足を向けた。
食器類を片付けながら、ナダールはスタールの元へ歩み寄る。
「あなた、さっきグノーと何の話をしていたんですか?」
「あ? なんだ、やぶから棒に。別に世間話だよ、怪我の事だってちゃんと誤魔化したし、変な話しはしてねぇよ」
「そうですか。グノーの様子が少しおかしかったので、気になったのですけど、急にたくさん働いて疲れが出ただけですかね……」
それでも厨房の方をさりげなく伺って様子を見守るナダールに、スタールは呆れたような視線を向ける。
「心配しすぎなんじゃねぇのか? 見た感じ、もう全然普通そうじゃねぇか」
「今の時期が一番危ないんですよ。油断してるとすぐに元に戻ってしまう」
「そうなのか? 今、少しばかりメリアの話をしてたんだが、昔を思い出させたらまずかったか?」
「メリアの? まぁ、直接あの人の記憶に触れている話じゃなければ大丈夫だと思いますけど、何の話を?」
机の上を片付けながら、ナダールはスタールを問い詰める。
「何って、俺が元々メリアの出身だって話と、身分が高い奴はいい物食えて羨ましいなぁって話だよ。あと、前の国王はなんで失脚したんだろうな……って」
「あぁ、それですね。最悪だ……なんでよりによってそんな話……」
「まずかったのか? どれがだ?」
どの話しがグノーの心に触れたのか分からないスタールは不審顔をこちらに向けるのだが、とりあえず今はグノーへのフォローの方が先だ。
「詳しい事情はまた後でお話します」とスタールに告げて、ナダールは大量の食器を手に、厨房へと戻る。
「洗い物、ここに置きますね」
厨房のグノーを伺うと、彼は別段変わった様子もなく調理器具を洗っていた。
「少し疲れましたか? 代わりましょうか?」
「ん? 大丈夫。今日は楽しかったし疲れてねぇよ、心配すんな」
「また無理をしたりしていませんか? まだ病み上がりなのですから、無理は禁物ですよ」
「平気だって、お前は本当に心配性だな」
おかしそうに笑うグノーに「心配するのはあなたが大事だからですよ」と告げると、彼はまた嬉しそうに微笑んだ。
何度言葉を重ねてもすぐに忘れてしまう彼には何度言っても足りないくらいなのに、心配性と言われてしまうのは何やら腑に落ちない話だ。だが、しつこいくらいにくり返し、何度言葉を重ねても、彼の心は闇へと落ちる。それを食い止められるのなら呆れられようと構わないと自分は思っている。
「なぁ、ナダール。いい王様っていうのは、どんな王様の事を言うんだろうな?」
「いい王様……ですか?」
「そう、さっきスタールにさ、レリックは国内を安定させたいい王様だったのにって言われてさ、傍から見たらあんな人でもいい王様なのかな……って、ちょっと考えちまった。俺はブラックも知ってるし、ランティス王の事もアジェから聞いて知ってる。そんな中で、あいつをいいと思う奴もいるんだって考えたら、なんか不思議でな……」
グノーは洗い物の手を休めて、ぼんやりとそんな事を呟いた。
「一国民である私達には王の人格や行いなんて害を被らない限りどうという事もありませんからね。国が安定して自分達が安心して暮らせる政治さえしてくれたら、多少おかしくても別に構わないと思う人がいても不思議ではないです。特にメリアは長い事ずっと内乱続きですからね」
「そっか……」
「だからと言って、自分が我慢してずっとあそこにいれば、今みたいに国が荒れ続けることもなかったのかな、なんて考えているなら大きな間違いですからね!」
「はは、お見通しか……」
グノーは困ったように苦笑する。
彼の思考は後ろ向きに暴走しがちで、気付くと考えなくてもいいような事を後ろ向きに考え込んでいたりする。それは彼の悪い癖で、それに気付くたびにナダールはそれを全力で否定する。
「誰かの犠牲の上に成り立っている国なんて最初からどこかおかしいのですよ。だから、王が代わったくらいで毎回国が荒れるのです。今、例えばブラックさんやランティス国王陛下が倒れたとして、国があそこまで乱れると思いますか? 私は思いませんね。何故なら彼等の周りには王を支える何人もの優秀な臣下がいるからです。間違った事をしたり、言ったりすれば諌めてくれる者もいる。それが普通の国の在り方です。いわばあなたのお兄さんだって、メリアという国の犠牲者の一人だと私は思いますよ」
「あいつも……?」
「そうですよ。前の王に虐げられていたのはあの人も同じです、それがずっと続いてしまっている事こそが、メリアの不幸なのです」
「そっか……」
思えば両親もそうだったのだ。父王は先代の妾の子、母は先代と正妻の子、兄と妹での政略結婚、そして近親婚。そんな事が何代も続いて今があり、そんな事ばかりしているからいつまで経っても国が正常になる事がないのだ。
「どうしたらいいんだろうな?」
「それは私にも分かりません。ですが、あなたが気に病む事などひとつも無いという事だけは覚えておいてください」
「うん、ありがとう」
現在メリアではグノーの弟レオンと、メリアの正統な王位継承者であるルイスが国を纏めようと奮闘している。そんな中、それでも自分はあの国の王家に属する人間にも関わらず、今は何もしていない。
国民から見たら一人だけ逃げ出し、幸せを享受する卑怯者だと思われているのでないかと思ってしまうのだが、ナダールはきっとグノーのそんな気持ちも否定するのだろう。
「でも、そう思うとこの国ファルスは本当にいい国ですよね。国王陛下もちゃんと国民や国のことを考えて動いている。それが当たり前だと言ってしまえばそれまでですが、当たり前ではない国もいくらでもあるのでしょうからね」
「そうだな……」
思えばファルス国王であるブラックは若い頃から国中を見て周り、どの土地にどんな問題があるのかつぶさに観察して回っていたのではないかと思うのだ。
問題が起これば自ら赴き、解決できる事ならその場で治めてきた。そんな事ができる国王だから国も平和でのんびりしている。
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「なんでもないよ」
そう言ってグノーは翳りのない笑みを見せ、ナダールはそれにほっとする。
「さぁ、残りもさっさと片付けるか」と、グノーは皿の片付けに取り掛かる。何せ食べ盛りの男が10人もいれば、食事の量が多いのはもちろん、片付ける量も半端ない。
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「それはそうですけど、こんな遅くまで待っていてくれているとは思わなくて」
「気になって寝られるかよ、あいつ大丈夫だったのか?」
スタールの言葉にナダールは笑みを見せる。
本当に彼は体躯や態度に見合わず、お人好しで優しい男だと思う。
「少し落ち込んでいましたが、大丈夫ですよ。あなたは本当に見た目に反していい人ですね」
「見た目に反しては余計だよ」
「座れ」とスタールはナダールを自分の傍らの椅子に座るように促した。
ある程度の片付けは済んでいたのでグノーはもう自宅の方に戻っていて、それが分かっているのだろうスタールがナダールを見やる。
「もうこの際だから、どういった内容があいつにとって禁句なのか洗いざらい話せ。うかうか世間話で元に戻られたらたまんねぇよ」
「そうですね、その辺の話もあなたには知っておいて貰った方がいいかもしれませんね。ただ、これは隠している話しではないのですが、あの人の身の安全を守る為に大っぴらには口外しないと約束してくれますか?」
「身の安全? またずいぶん仰々しいな。俺は人の秘密を吹聴して回るようなそんな人間じゃねぇから安心しろ」
「分かってはいるんですけどね」とナダールは眉を下げて「念には念を入れておくに越した事はありませんから」とそう続けるので、スタールは眉間に皺を寄せて「なんなら騎士らしく剣にでも誓ってやろうか?」と提案する。
「はは、そこまでしていただかなくて結構ですよ。そうですね、あの人の一番の禁句はメリア王家の話です。特に先程も言っていた失脚した前メリア王があの人にとって一番の禁句なのですよ」
「まさかとは思うが……」
「あの人の本名はセカンド・メリア、メリアに3人いた王子の2番目がグノー自身なのです」
スタールは驚いた様子で机の上に置いた拳を握った。
「王家の次男って言ったら、長男の寵愛をいい事にわがまま放題に暮らしてるって噂になってたあの次男か?」
「そうですよ。でもあの人を見たらそんな話、根も葉もない噂話だったと分かるでしょう? 寵愛なんて名ばかりの監禁生活だったのですよ。誰とも話してはいけない、外に出るのも許されない、許されたのは読書と勉強、そして剣術だけ。昼はただ一人で過して、夜は兄の慰み者、母に疎まれ、父に無視され、そんな彼がどうやってわがままを通していたと言うのでしょう」
「私はあの男がいまだに憎くてたまりませんよ!」とナダールは語気荒く吐き捨てる。
「でも、ちょっと待てよ、俺がその寵愛の話しを聞いたのは王が失脚する少し前の話だぞ。実際そういう事はあって噂が流れてたんじゃないのか?」
「違いますね、グノーはあの人にわがままなんてひとつも言った事はないはずです。ただ、グノーが家を飛び出し彼が失脚するまでの間に、城には偽者のセカンドが暮らしていた。彼はその偽者の言う事ならなんでも聞いたと私も聞いています。ただ、その偽者もそこまでのわがままを言ってはいないはずなので、きっと話に尾ひれ背びれが付いて拡散されたのではないでしょうかね。その偽者の方もグノーが見付かったと同時に放逐されました、あの男はそういう人だったのですよ」
「人をまるで玩具扱いか……酷い話だな」
「そうですよ……だから私達があの人を失脚させたのです。あの人を殺す為に国民を奮起させ、城を爆破した」
スタールは更に驚いた表情をこちらに向ける。
「あの暴動、お前等の仕業だったのかよ……」
「あの人が生きている限り、グノーに安息はないのだと思い知りましたからね。人質までとって脅して、ファルスやランティスまで巻き込んで彼を取り戻そうとする狂った王にはそうするしか対処の方法がなかったのですよ。幸い協力者は存外多くて、城を落とすのは意外と簡単でしたよ」
そう言って笑みを零すナダールの笑顔に底知れぬ物を感じて、スタールはぞっと鳥肌を立てた。
武闘会で勝った負けたと騒いでいたのがアホらしくなる程の修羅場であっただろうその事件を、笑顔で語るナダールが恐ろしかったのだ。この2人はそもそもすでに見ている世界が違うのだ。
「なので、申し訳ないのですが、メリア王家の話はあの人にしないで欲しいのです。もう過去は過去と割り切ってはいますが、どんな拍子にどんな話があの人の琴線に触れるのか分かりませんので」
「分かった、メリアの話はもうしねぇ。そもそも俺だって出身がメリアだって言うだけで、育ちはファルスだからな、そんなに話すこともねぇ。で、他に禁句はねぇのか? 後出しはすんなよ」
「あぁ、そう言われるとあとひとつ『お前のせい』は絶対に言わないでください。あの人、その言葉にとても敏感で、とても気にするのですよ。悪い事はすべて自分のせいだと思い込む悪い癖があるので、何か事件があった時は特に気を付けてもらえるとありがたいです」
「分かった……ちなみにこの話、知っている奴は他にもいるのか?」
「黒の騎士団、それにコリーさんにはお話ししてあります」
「そうか……」
スタールはそれだけ呟き、立ち上がると外套を羽織った。
「帰るんですか? もうこの際泊まっていけばいいのに……」
「これのどこに寝る場所があるんだよ。こんな野郎共に囲まれた芋洗い状態で寝られるか」
「それもそうですね。こういう時の事も考えて、もう少し色々と準備しないとですね……お給料、幾らあっても足りませんよ……」
溜息を零しながらぼやくナダールにスタールは「せいぜい美味い料理の勉強でもするんだな。そしたら毎日でも食いに来てやるよって、あいつに言っとけ」と口の端を上げて笑った。
ナダールは「伝えておきます」とスタールの背を見送る。外はまだ寒く、吐く息は白い。
ゆっくり風呂にでも浸かって寝るか……とナダールは店の扉に鍵をかけ、踵を返した。
一人夜道を歩くスタールに忍び寄る影。
「ずいぶん遅くまでかかったな。すっかり凍えちまった」
「はん、そんなの知ったことか……だが、あんたの持ってきた情報、間違ってなかったみたいだな。あいつ何もかも全部べらべら喋ってくれたよ。本当に人を疑うって事を知らない馬鹿だな、あいつは」
「それじゃあ、やっぱりあの女、メリア王家の……」
「あぁ、間違いねぇよ」
男はほくそ笑んで「これで俺にもツキが回ってきた」と呟いた。
「それでお前そんな事知って、あいつ等に何をするつもりだ?」
「あの女を探している奴がいる。せいぜい高値を吹っかけて売りつけてやるよ」
「あぁ、そうかよ。俺にも当然分け前はあるんだろうな?」
「今後の働き次第だな」
「ふん、面倒くせぇ……」
「近い内にあの家を襲う計画がある」と男は笑いを殺しきれない楽しげな声でスタールにそう告げた。
「昼間はあの女一人だ、女一人くらいどうという事もない。周りに誰もいなければ、あの妙な技も使えないだろうしな」
グノーの腕っ節の強さを知っているスタールは『そう上手くいくもんかね……』と心の内で思ったが、この男にそれを教えてやるいわれもない。
「また追って連絡する」
男は隠れるように暗闇に消えていき、スタールはひとつ溜息を落とす。
「本当、面倒くせぇなぁ……」
白々と月は美しく輝いているのに、彼の心には暗い闇が広がっていた。
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番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
彼の理想に
いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。
人は違ってもそれだけは変わらなかった。
だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。
優しくする努力をした。
本当はそんな人間なんかじゃないのに。
俺はあの人の恋人になりたい。
だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。
心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。
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