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運命に花束を②
運命の三回戦⑥
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第三騎士団の騎士団長アイン・シグは体格もナダールとほとんど変わらない大柄な男だ。自称『武闘馬鹿』だが決して頭の悪い男ではなく、人当たりも良い。武闘派揃いの第三騎士団でトップを張っているだけあって、武闘センスはピカ一で後輩の育成にも余念がない。
それは自分が強い奴と闘いたいからという不純な動機ではあるのだが、常に配下を把握しマメに様子を見て回るので、配下の信頼も厚い人望のある騎士団長だった。
「あれ、どっちが勝つと思う?」
ブラックは玉座の肘掛に頬杖を付いて、勝負を見守っていた。
正直ブラックはナダールがここまでやるとは予想していなかった。傍らに控えたムソンの民リンは「さぁ、どうでしょうねぇ……」と言いながら「行儀が悪い」とその肘を叩いた。
「痛っ、なんだよ。俺だってあっちに行きたいの我慢してこんな退屈な玉座に座ってんだぞ、少しくらいいいじゃねぇか」
「立場を弁えろと言っている。こんなどこで誰が見てるかも分からない場所でだらだらしてるんじゃない、仮にも一国の王が」
「好きでやってんじゃねぇや」
拗ねた子供のように言ういい大人を、リンは呆れたように見やる。
「またそんな事を……そんなんじゃあ義兄さん、姉さんが草葉の陰で泣いてるぞ」
「あの両親がそんなたまかよ、今頃俺のこのなりを見て草葉の陰で笑い転げてるのが関の山だ」
それは違いない……とリンは心の中で思いはしたが、黙殺する。リンとブラックは叔父と甥の関係にあたる。リンがブラックの母の歳の離れた弟になるのだが、一番上の姉とリンとでは歳が十歳以上も離れていたので、リンはブラックとの方が歳が近い。その為リンは幼い頃からお目付け役のようにブラックの傍に置かれていて、二人は兄弟のように仲が良かった。
「俺だって好き好んでお前の影武者やってる訳じゃないんだから、お前も少しは我慢しろ」
「だから我慢してるって言ってるだろ。あぁ……俺もあそこで戦いてぇ……」
ブラックは昔から暴れん坊気質で、あちらへこちらへとよく飛び回っていた。そのお目付け役に就けられたリンもおのずと国中を回らざるをえず、いつの間にかすっかり国際情勢にも詳しくなってしまっていた。
それでもブラックが妻を娶ってからは、それまでよりは大人しくなっていたのだが、この所の王政業務にブラックは飽き飽きした表情を隠さない。
「もういっそ王政廃して、国のトップもこうやって決めたら楽しいだろうになぁ」
「そうしたら、どうせまたお前が王様だろうが」
「あ……そっか」と子供のような王様は笑う。
自分が負ける事など微塵も考えない傲慢不遜な男、なのに人に恨まれない、生まれながらの王族。
リンとも多少なりと血は繋がっているはずなのに、その差は歴然だ。別にそれを羨ましいとも思わないが、こういうのを「生まれながらの王」というのだろうな、とリンは思う。
ブラックは誰にも何にも流されない、立つべくして人の上に立っている。兄元国王もそれを分かっているから国政に戻ってこようとしないのだ。
何をするでもなく皆に認められていく、ブラックはそういう男だった。
そしてこの男が育てた息子エドワードもまた同じような気質を持っている。本人が聞いたら嫌がるだろうし、血の繋がらない自分が王などと一笑されて終いだろうが、エドワードはブラックの子供の中で誰より一番ブラックに似ていた。
そんなエドワードが可愛くて仕方がないブラックの愛情表現は、傍目には虐待にも見えるのだが、それに立ち向かってくるエドワードに怯えは見えない。
口では「嫌いだ、ふざけるな!」と悪態を吐いているエドワードだが、ブラックの言葉は素直に聞く不思議な親子関係で、凡人には分からない思いが色々あるのだろうなと思う。
「なぁ、リン。あいつ、どう思う?」
「どうと言うと? ナダールの事か?」
「あぁ、俺はあいつが正直ここまでやるとは思ってなかったんだよな。グノーが認めた男だからやる事はやるだろうと思っていたが、せいぜい副団長くらいだと思ってたんだよ。二回戦も放っておいたら勝てないかと思ってクロードまで送り込んだのに、必要なかったかもなぁ。俺の予想の斜め上の勝ち方してきたし」
「あいつの事は俺より息子達の方が詳しいが、息子はあいつを認めているよ。俺もあいつは信頼に足る人物だと思っている。そうでなかったらムソンになど置いておかん」
ブラックは玉座に座ったままリンを見上げる。
「その根拠は?」
「ナダールは裏表がまるで無い。何をやらせても全力で、しかも本人はそれを苦とも思っていない。愛想も人当たりも良いから誰にでも好かれるしな、あの体格で威圧感がない、子供達もあいつにはすぐに懐く、人誑しの才はお前以上だよ」
「ほぅ」
「威圧感がないせいで迫力には欠けるが、決して弱い訳でも、できない訳でもない。やる時にはやる男、それが俺の評価だ」
「お前が手離しで、そこまで人を褒めるのも珍しいな」
「そうか?」
「いつも俺の知り合いにはケチつけるくせに」
「お前の知り合いは山賊崩れや盗賊崩れみたいなのが多いからだろう。もう少しまともな人脈作れ、この馬鹿」
呆れたようにそう言うとブラックは「馬鹿って言う方が馬鹿なんだからな」と拗ねてしまう。
「子供か……」
額に手をあて溜息を零す。本当にブラックは変わらなさ過ぎて扱いに困る。それでもそんな山賊崩れのような人間でもいつの間にか更生させて普通の生活に戻してしまうその手腕はいつも見事だと思うのだが、そんな事を言えば図に乗るのは長年の付き合いで知っているので、そこもあえて黙殺する。
「俺はもしかしたら良い拾い物をしたのかもしれんなぁ」
「今更か、俺は分かってやっているのだとばかり思っていたぞ」
「いやぁ、グノーの反応がいちいち面白いからつい……あいつのあんな姿、十年以上付き合いあるのに、今まで見た事無かったからな」
「それは……二人にとってはいい迷惑だな。そんな理由ならムソンで静かに暮らさせてやれば良かったものを……」
いやいやとブラックは笑う。
「田舎で埋もれさせとくには惜しいじゃねぇか、グノーの頭が切れるのも、腕がいいのも知っていたからな、旦那引っ張ってくればもれなくあいつも付いて来ると期待しての事だったんだが、旦那の方も使えるとはな、全くいい誤算だったわ」
「あまり過度な期待はし過ぎるなよ。お前の要求はいつも無茶ばかりだ、できる男だとは言ったが、期待で潰してしまったら元も子もない」
「分かってる、それにそんな無体な事したらグノーが黙ってねぇよ。あいつを怒らせたら面倒だからな」
リンは黙って頷く。実を言えばブラックと大半の生活を共にしているリンは、かなり早い段階の付き合いからグノーの事は知っていた。
出会った時の事は知らないのだが、色々な場所でブラックは彼と遭遇している。見るたびに得体の知れない男だと思っていたのだが、ブラックは気に入ってよく構い倒していた。
正直関わり合いにならない方がいいタイプの人間なのではないかと思っていたのだが、事情を知ってしまえば彼の不審な行動にも納得がいった。今となっては、そっとしておいてやればいいのにという気持ちの方が大きいくらいだ。
彼の中の狂気は今はなりを潜めているが、リンはそれをたびたび目撃しており、怒らせたら手がつけられない事も知っていた。
そんなグノーをあそこまで手懐けたナダールの手腕も凄いと思うし、幸せになって欲しいと思う。ナダールと出会ってからのグノーは見違えるように変わっていったから。
荒んで怯え、人を殺す所を何度も見てきた。だから先だってあった二人の結婚式など目を疑うようだった。
狂気の裏側にある彼の素顔があそこまで美しいとは予想もしていなかった。それをブラックやナダールは最初から見抜いていたのだろうか? やはり同じαとは言っても、まだまだ凡人に近い自分とは見ている物が違うのだなと思わずにはいられない。
息子達は彼のその狂気を知らないまま仲良くやっている。できればこのまま、穏やかに暮らしていって欲しいと思うのだ。
「お、始まるな」
競技場を見やると、ナダールとアインが剣を構えて相対していた。
試合開始の合図と共に剣と剣の交わる音が響いた。速い、そして重い。ぎりぎりと押し合い、一端引く。
あぁ、これはもう小細工は通じない……と早々に考える事は放棄した。考えていたら追いつかない。
アインは楽しげに嬉しそうな笑みを見せ、対照的にナダールは表情をなくしていた。
「さすがのあいつも、笑ってる場合じゃないと悟ったか」
スタールの言葉にグノーは「さぁ、どうかな」と笑みを見せる。時折見せる彼の真剣な表情、いつでも常に穏やかな笑みを浮かべる彼のその真剣な表情は本気になった証拠だ。
彼のその表情はグノーですらぞくっと背筋に冷や汗が流れるほどに冷たい。常が笑顔なので余計にそう思うのだろうが、ナダールのそんな表情を見る事ができるのは本当に稀なのだ。
二人は斬り結んでは離れるを繰り返し、観衆はそれを固唾を飲んで見守っている。
決着など、もっとあっさり着くものだと思われたが、意外な事にどれほど斬り結んでもお互い致命傷にならない程度の剣撃が続いていた。
「これは、もしかすると、もしかするのか?」
「時間、もう四半時も闘ってるぞ」
ナダールには観衆の声は届いておらず、時間の経過もよく分からなくなっていた。襲ってくる剣を受けて流し、反撃の隙を見定める。お互いが同じように動いていた。
息が上がる、滴る汗に不快感を覚えても、それを拭う時間さえない。
いつの間にかアインからも楽しげな表情は消えていた。
荒い息遣いだけが耳に響く、また斬り結び離れる刹那、落ちた汗に足を取られた。
しまった! と思った瞬間、その隙を見逃すはずの無いアインに斬り込まれ、寸前で剣を受けると、ぎりぎりと刃が目の前にまで迫ってくる。
体勢の整わないこの状況でこれはキツイ、やられる……と思った瞬間、無意識で足が出た。
一瞬アインも何が起こったのか分からなかったのだろう、バランスを崩したその身体に更に足払いをかけて剣を手離し押さえつけた。
「え……?!」
アインだけでなく、誰もがその瞬間何が起こったのか分からず呆然とした。
アインを押さえつけるナダール、身動きの取れないアイン、だがこれは剣での試合ではなかったか?
ざわざわと観衆が騒ぎ出す中、ナダールははたと我に返る。
「えっ!? あっ、わぁぁ、ごめんなさい!! つい身体が勝手にっっ、すみません!!」
慌ててアインを押さえつける手を離し、ナダールは平謝りに謝罪を繰り返す。アインはむくりと起き上がり、胡坐をかいて考え込んだ。
「えっと、あの……これ私の反則負け、ですよね……?」
「いや、ルールブックには剣で闘えなんて一言も書いてないな」
「えっ? いや、でも……」
これは明らかに駄目な試合結果だろう。
「これは参ったな、完敗だ」
そう言ってアインは笑い出す。観衆もそのアインの笑い声に一体どうなったのかと首を傾げた。
「いやぁ、完敗完敗。お前凄いなぁ」
よっこらせ、と立ち上がってアインはナダールの背を叩く。
「えっ、いやでもこれ駄目でしょう? 私の負けですよ」
「俺が俺の負けだと言ってるんだから、この試合はお前の勝ちだ。勝ったのに何か文句でもあるのか?」
「いえ、でもですねぇ……」
言い合う二人を見守って、結局これはどちらの勝ちになるのか? と観衆はざわざわと顔を見合わせた。
「静まれ、静まれ!」
試合会場に声が響く。ブラックが皆を制して前に出てきた。
「なかなかに面白い試合だったぞ、二人共よく頑張った」
アインとナダールは膝を付き姿勢を正す。
「だが、なんとも難しい試合結果だな」
「恐れながら陛下、私はこの者、ナダール・デルクマンの勝利で差し支えないと思います。これが戦場での闘いであったならば、私はあの時命を落としております。これで私が勝ったなどとはとても言えません」
「ですがこれは剣での試合です、私のやった事は明らかなルール違反、無意識とはいえ大切な御前試合にこのような事をしでかし、私が勝ちなど恐れ多く、皆も納得しないでしょう」
「ふぅむ、困ったな……」
二人の言い分はもっともで、どちらの意見も正しいと思う。
ブラックはどうしたものかと首を捻る。ルールなどあってないも同然とナダールを第1騎士団長に据えてしまってもいいが、本当にそれで民衆が納得するものだろうか?
「恐れながら陛下」
その時どこからか声がかかる。
その声の主を探して観客席を見やれば、そこに居たのはガリアス・ゲイル第二騎士団長だ。
「恐れながらこの試合、私に預からせてはいただけませんか?」
「ほぅ、何かいい案でもあるのか?」
「はい、私としてもこのような中途半端な結果で第一騎士団長の座を新入りに渡すのは納得がいきません。私がこの者と闘って決着を着けるというのは如何でしょう?」
「ほぅ、それはいい考えかもしれないな」
第三騎士団長に続き第二騎士団長も倒してしまえば、誰もナダールの第一騎士団長への就任に不服を申し立てる者も出ないだろう。
ナダールが負けたとしても、それはそれで騎士団長就任は決定事項だ。
「うむ、分かった。この試合お前に預けよう。支度を整えあの者と闘うがいい」
「かしこまりました」
言ってガリアスは踵を返す。
「なんだか面倒な事になってきたな。あいつは毎度毎度、素直に勝つという事ができんのか」
スタールが額に手を当て溜息を吐く。
「あっははは、あいつらしいよ。勝負に執着は無くても生きる事には貪欲だ、殺されると思ったから咄嗟に足が出たんだろう。本当あいつらしい」
「そんなもんなのか……俺には分からんなぁ」
「あいつにはたくさん死線をくぐらせちまったからなぁ、ある意味巻き込んじまった俺のせいか」
「お前等今までどんな生活してたんだよ」
胡乱な瞳のスタールに「ナイショ」とグノーは片目をつぶり、口元に人差し指を立てた。
それは自分が強い奴と闘いたいからという不純な動機ではあるのだが、常に配下を把握しマメに様子を見て回るので、配下の信頼も厚い人望のある騎士団長だった。
「あれ、どっちが勝つと思う?」
ブラックは玉座の肘掛に頬杖を付いて、勝負を見守っていた。
正直ブラックはナダールがここまでやるとは予想していなかった。傍らに控えたムソンの民リンは「さぁ、どうでしょうねぇ……」と言いながら「行儀が悪い」とその肘を叩いた。
「痛っ、なんだよ。俺だってあっちに行きたいの我慢してこんな退屈な玉座に座ってんだぞ、少しくらいいいじゃねぇか」
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「好きでやってんじゃねぇや」
拗ねた子供のように言ういい大人を、リンは呆れたように見やる。
「またそんな事を……そんなんじゃあ義兄さん、姉さんが草葉の陰で泣いてるぞ」
「あの両親がそんなたまかよ、今頃俺のこのなりを見て草葉の陰で笑い転げてるのが関の山だ」
それは違いない……とリンは心の中で思いはしたが、黙殺する。リンとブラックは叔父と甥の関係にあたる。リンがブラックの母の歳の離れた弟になるのだが、一番上の姉とリンとでは歳が十歳以上も離れていたので、リンはブラックとの方が歳が近い。その為リンは幼い頃からお目付け役のようにブラックの傍に置かれていて、二人は兄弟のように仲が良かった。
「俺だって好き好んでお前の影武者やってる訳じゃないんだから、お前も少しは我慢しろ」
「だから我慢してるって言ってるだろ。あぁ……俺もあそこで戦いてぇ……」
ブラックは昔から暴れん坊気質で、あちらへこちらへとよく飛び回っていた。そのお目付け役に就けられたリンもおのずと国中を回らざるをえず、いつの間にかすっかり国際情勢にも詳しくなってしまっていた。
それでもブラックが妻を娶ってからは、それまでよりは大人しくなっていたのだが、この所の王政業務にブラックは飽き飽きした表情を隠さない。
「もういっそ王政廃して、国のトップもこうやって決めたら楽しいだろうになぁ」
「そうしたら、どうせまたお前が王様だろうが」
「あ……そっか」と子供のような王様は笑う。
自分が負ける事など微塵も考えない傲慢不遜な男、なのに人に恨まれない、生まれながらの王族。
リンとも多少なりと血は繋がっているはずなのに、その差は歴然だ。別にそれを羨ましいとも思わないが、こういうのを「生まれながらの王」というのだろうな、とリンは思う。
ブラックは誰にも何にも流されない、立つべくして人の上に立っている。兄元国王もそれを分かっているから国政に戻ってこようとしないのだ。
何をするでもなく皆に認められていく、ブラックはそういう男だった。
そしてこの男が育てた息子エドワードもまた同じような気質を持っている。本人が聞いたら嫌がるだろうし、血の繋がらない自分が王などと一笑されて終いだろうが、エドワードはブラックの子供の中で誰より一番ブラックに似ていた。
そんなエドワードが可愛くて仕方がないブラックの愛情表現は、傍目には虐待にも見えるのだが、それに立ち向かってくるエドワードに怯えは見えない。
口では「嫌いだ、ふざけるな!」と悪態を吐いているエドワードだが、ブラックの言葉は素直に聞く不思議な親子関係で、凡人には分からない思いが色々あるのだろうなと思う。
「なぁ、リン。あいつ、どう思う?」
「どうと言うと? ナダールの事か?」
「あぁ、俺はあいつが正直ここまでやるとは思ってなかったんだよな。グノーが認めた男だからやる事はやるだろうと思っていたが、せいぜい副団長くらいだと思ってたんだよ。二回戦も放っておいたら勝てないかと思ってクロードまで送り込んだのに、必要なかったかもなぁ。俺の予想の斜め上の勝ち方してきたし」
「あいつの事は俺より息子達の方が詳しいが、息子はあいつを認めているよ。俺もあいつは信頼に足る人物だと思っている。そうでなかったらムソンになど置いておかん」
ブラックは玉座に座ったままリンを見上げる。
「その根拠は?」
「ナダールは裏表がまるで無い。何をやらせても全力で、しかも本人はそれを苦とも思っていない。愛想も人当たりも良いから誰にでも好かれるしな、あの体格で威圧感がない、子供達もあいつにはすぐに懐く、人誑しの才はお前以上だよ」
「ほぅ」
「威圧感がないせいで迫力には欠けるが、決して弱い訳でも、できない訳でもない。やる時にはやる男、それが俺の評価だ」
「お前が手離しで、そこまで人を褒めるのも珍しいな」
「そうか?」
「いつも俺の知り合いにはケチつけるくせに」
「お前の知り合いは山賊崩れや盗賊崩れみたいなのが多いからだろう。もう少しまともな人脈作れ、この馬鹿」
呆れたようにそう言うとブラックは「馬鹿って言う方が馬鹿なんだからな」と拗ねてしまう。
「子供か……」
額に手をあて溜息を零す。本当にブラックは変わらなさ過ぎて扱いに困る。それでもそんな山賊崩れのような人間でもいつの間にか更生させて普通の生活に戻してしまうその手腕はいつも見事だと思うのだが、そんな事を言えば図に乗るのは長年の付き合いで知っているので、そこもあえて黙殺する。
「俺はもしかしたら良い拾い物をしたのかもしれんなぁ」
「今更か、俺は分かってやっているのだとばかり思っていたぞ」
「いやぁ、グノーの反応がいちいち面白いからつい……あいつのあんな姿、十年以上付き合いあるのに、今まで見た事無かったからな」
「それは……二人にとってはいい迷惑だな。そんな理由ならムソンで静かに暮らさせてやれば良かったものを……」
いやいやとブラックは笑う。
「田舎で埋もれさせとくには惜しいじゃねぇか、グノーの頭が切れるのも、腕がいいのも知っていたからな、旦那引っ張ってくればもれなくあいつも付いて来ると期待しての事だったんだが、旦那の方も使えるとはな、全くいい誤算だったわ」
「あまり過度な期待はし過ぎるなよ。お前の要求はいつも無茶ばかりだ、できる男だとは言ったが、期待で潰してしまったら元も子もない」
「分かってる、それにそんな無体な事したらグノーが黙ってねぇよ。あいつを怒らせたら面倒だからな」
リンは黙って頷く。実を言えばブラックと大半の生活を共にしているリンは、かなり早い段階の付き合いからグノーの事は知っていた。
出会った時の事は知らないのだが、色々な場所でブラックは彼と遭遇している。見るたびに得体の知れない男だと思っていたのだが、ブラックは気に入ってよく構い倒していた。
正直関わり合いにならない方がいいタイプの人間なのではないかと思っていたのだが、事情を知ってしまえば彼の不審な行動にも納得がいった。今となっては、そっとしておいてやればいいのにという気持ちの方が大きいくらいだ。
彼の中の狂気は今はなりを潜めているが、リンはそれをたびたび目撃しており、怒らせたら手がつけられない事も知っていた。
そんなグノーをあそこまで手懐けたナダールの手腕も凄いと思うし、幸せになって欲しいと思う。ナダールと出会ってからのグノーは見違えるように変わっていったから。
荒んで怯え、人を殺す所を何度も見てきた。だから先だってあった二人の結婚式など目を疑うようだった。
狂気の裏側にある彼の素顔があそこまで美しいとは予想もしていなかった。それをブラックやナダールは最初から見抜いていたのだろうか? やはり同じαとは言っても、まだまだ凡人に近い自分とは見ている物が違うのだなと思わずにはいられない。
息子達は彼のその狂気を知らないまま仲良くやっている。できればこのまま、穏やかに暮らしていって欲しいと思うのだ。
「お、始まるな」
競技場を見やると、ナダールとアインが剣を構えて相対していた。
試合開始の合図と共に剣と剣の交わる音が響いた。速い、そして重い。ぎりぎりと押し合い、一端引く。
あぁ、これはもう小細工は通じない……と早々に考える事は放棄した。考えていたら追いつかない。
アインは楽しげに嬉しそうな笑みを見せ、対照的にナダールは表情をなくしていた。
「さすがのあいつも、笑ってる場合じゃないと悟ったか」
スタールの言葉にグノーは「さぁ、どうかな」と笑みを見せる。時折見せる彼の真剣な表情、いつでも常に穏やかな笑みを浮かべる彼のその真剣な表情は本気になった証拠だ。
彼のその表情はグノーですらぞくっと背筋に冷や汗が流れるほどに冷たい。常が笑顔なので余計にそう思うのだろうが、ナダールのそんな表情を見る事ができるのは本当に稀なのだ。
二人は斬り結んでは離れるを繰り返し、観衆はそれを固唾を飲んで見守っている。
決着など、もっとあっさり着くものだと思われたが、意外な事にどれほど斬り結んでもお互い致命傷にならない程度の剣撃が続いていた。
「これは、もしかすると、もしかするのか?」
「時間、もう四半時も闘ってるぞ」
ナダールには観衆の声は届いておらず、時間の経過もよく分からなくなっていた。襲ってくる剣を受けて流し、反撃の隙を見定める。お互いが同じように動いていた。
息が上がる、滴る汗に不快感を覚えても、それを拭う時間さえない。
いつの間にかアインからも楽しげな表情は消えていた。
荒い息遣いだけが耳に響く、また斬り結び離れる刹那、落ちた汗に足を取られた。
しまった! と思った瞬間、その隙を見逃すはずの無いアインに斬り込まれ、寸前で剣を受けると、ぎりぎりと刃が目の前にまで迫ってくる。
体勢の整わないこの状況でこれはキツイ、やられる……と思った瞬間、無意識で足が出た。
一瞬アインも何が起こったのか分からなかったのだろう、バランスを崩したその身体に更に足払いをかけて剣を手離し押さえつけた。
「え……?!」
アインだけでなく、誰もがその瞬間何が起こったのか分からず呆然とした。
アインを押さえつけるナダール、身動きの取れないアイン、だがこれは剣での試合ではなかったか?
ざわざわと観衆が騒ぎ出す中、ナダールははたと我に返る。
「えっ!? あっ、わぁぁ、ごめんなさい!! つい身体が勝手にっっ、すみません!!」
慌ててアインを押さえつける手を離し、ナダールは平謝りに謝罪を繰り返す。アインはむくりと起き上がり、胡坐をかいて考え込んだ。
「えっと、あの……これ私の反則負け、ですよね……?」
「いや、ルールブックには剣で闘えなんて一言も書いてないな」
「えっ? いや、でも……」
これは明らかに駄目な試合結果だろう。
「これは参ったな、完敗だ」
そう言ってアインは笑い出す。観衆もそのアインの笑い声に一体どうなったのかと首を傾げた。
「いやぁ、完敗完敗。お前凄いなぁ」
よっこらせ、と立ち上がってアインはナダールの背を叩く。
「えっ、いやでもこれ駄目でしょう? 私の負けですよ」
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「いえ、でもですねぇ……」
言い合う二人を見守って、結局これはどちらの勝ちになるのか? と観衆はざわざわと顔を見合わせた。
「静まれ、静まれ!」
試合会場に声が響く。ブラックが皆を制して前に出てきた。
「なかなかに面白い試合だったぞ、二人共よく頑張った」
アインとナダールは膝を付き姿勢を正す。
「だが、なんとも難しい試合結果だな」
「恐れながら陛下、私はこの者、ナダール・デルクマンの勝利で差し支えないと思います。これが戦場での闘いであったならば、私はあの時命を落としております。これで私が勝ったなどとはとても言えません」
「ですがこれは剣での試合です、私のやった事は明らかなルール違反、無意識とはいえ大切な御前試合にこのような事をしでかし、私が勝ちなど恐れ多く、皆も納得しないでしょう」
「ふぅむ、困ったな……」
二人の言い分はもっともで、どちらの意見も正しいと思う。
ブラックはどうしたものかと首を捻る。ルールなどあってないも同然とナダールを第1騎士団長に据えてしまってもいいが、本当にそれで民衆が納得するものだろうか?
「恐れながら陛下」
その時どこからか声がかかる。
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「恐れながらこの試合、私に預からせてはいただけませんか?」
「ほぅ、何かいい案でもあるのか?」
「はい、私としてもこのような中途半端な結果で第一騎士団長の座を新入りに渡すのは納得がいきません。私がこの者と闘って決着を着けるというのは如何でしょう?」
「ほぅ、それはいい考えかもしれないな」
第三騎士団長に続き第二騎士団長も倒してしまえば、誰もナダールの第一騎士団長への就任に不服を申し立てる者も出ないだろう。
ナダールが負けたとしても、それはそれで騎士団長就任は決定事項だ。
「うむ、分かった。この試合お前に預けよう。支度を整えあの者と闘うがいい」
「かしこまりました」
言ってガリアスは踵を返す。
「なんだか面倒な事になってきたな。あいつは毎度毎度、素直に勝つという事ができんのか」
スタールが額に手を当て溜息を吐く。
「あっははは、あいつらしいよ。勝負に執着は無くても生きる事には貪欲だ、殺されると思ったから咄嗟に足が出たんだろう。本当あいつらしい」
「そんなもんなのか……俺には分からんなぁ」
「あいつにはたくさん死線をくぐらせちまったからなぁ、ある意味巻き込んじまった俺のせいか」
「お前等今までどんな生活してたんだよ」
胡乱な瞳のスタールに「ナイショ」とグノーは片目をつぶり、口元に人差し指を立てた。
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社畜のサラリーマン柊(ひいらぎ)はある日、ヘッドマッサージの勧誘にあう。怪しいマッサージかと疑いながらもついて行くと、待っていたのは――極上の癒し体験だった。柊は担当であるイケメンセラピスト夕里(ゆり)の技術に惚れ込むが、彼はもう店を辞めるという。柊はなんとか夕里を引き止めたいが、通ううちに自分の痴態を知ってしまった。ただのマッサージなのに敏感体質で喘ぐ柊に、夕里の様子がおかしくなってきて……?
敏感すぎるリーマンが、大型犬属性のセラピストを癒し、癒され、懐かれ、蕩かされるお話。
心に傷を抱えたセラピスト(27)×疲れてボロボロのサラリーマン(30)
現代物。年下攻め。ノンケ受け。
※表紙のイラスト(攻め)はPicrewの「人間(男)メーカー(仮)」で作成しました。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭
3/6 2000❤️ありがとうございます😭
オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜
トマトふぁ之助
BL
某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。
そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。
聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。
【完結】運命の番に逃げられたアルファと、身代わりベータの結婚
貴宮 あすか
BL
ベータの新は、オメガである兄、律の身代わりとなって結婚した。
相手は優れた経営手腕で新たちの両親に見込まれた、アルファの木南直樹だった。
しかし、直樹は自分の運命の番である律が、他のアルファと駆け落ちするのを手助けした新を、律の身代わりにすると言って組み敷き、何もかも初めての新を律の名前を呼びながら抱いた。それでも新は幸せだった。新にとって木南直樹は少年の頃に初めての恋をした相手だったから。
アルファ×ベータの身代わり結婚ものです。
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