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運命に花束を①
運命に花束を④
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数日、自分が目覚めてから何人もの村人が自分を見舞いに訪ねてきた。子供から老人まで本当にたくさんの人が来てくれるので、自分はここで愛されて生活していたのだな……となんとなく分かった。しかしその一方で、自分は彼等のことが全く分からず申し訳ないという気持ちばかりが強くなっていった。
だが、誰もがそんな自分を見て大丈夫だよと笑ってくれるので、少しほっとする。
そんな中自分の面倒を見てくれる為に通って来てくれる一人の女性がいた。名をカズサと言い、気立てのいい娘だ。
彼女はΩなので心配がないとナダールも彼女には気を許していて、グノーはそれに何故か少しもやっとしたものを抱えていた。
彼女はナダールの仕事仲間なのだと言う。
「仕事って何をやっているんですか?」
「え~? その時々よ、人探しの時もあるし、指定された人を尾行したり、情報を集めたり?」
「危なくないんですか? 女の人がそんな仕事……」
「割と平気ね。危ない時はさっさと退けって言われてるし、女にしかできない仕事も時にはあるから」
彼女は平気平気とけらけらと笑う。
「ナダールも同じ仕事してるんですよね?」
「まぁ、最近はね。いつまでもただ飯食いって訳にはいかないもの」
「オレは? オレはなんの仕事をしてたんですか?」
カズサは少し考え込んで「旅人?」と首を傾げた。
「オレはずっとここに住んでいた訳じゃないんだ?」
「あなたとナダールは一年位前に二人揃ってこの村に来たのよ。その時あなた怪我はしてるし、妊娠してるしで、ナダールは大慌てよ」
「そう……なんだ。その子ってナダールとの間の子?」
「まぁ、そうでしょうね。あなたは人嫌いで他人を寄せ付けなかったから、他に父親候補って言われても思い当たらないわ。それにあの子の瞳ナダールそっくりだもの。可愛いわよねぇ、私もあんな碧い瞳の子供欲しいわぁ。時々でいいからナダール貸してくれない?」
カズサはさらっとそんな事を言う。
「そんな人を簡単に貸し借りするものでは……」
「あら、そう言えばあなたよそから来たんだったわね、うちの村の倫理観は通用しないんだったわ」
ごめんなさいとカズサは笑う。
「カズサさんはナダールが好きなんですか?」
「そうね、ちょっとタイプだわ。ああいう人、うちの村にはいないもの」
ナダールと自分の間には子供がいるという。まだ怖くて会ってはいないのだが、だったら自分達は夫婦なのかと思えばそうでもないようで、グノーは混乱するばかりだ。
「カズサさんはオレの事よく知ってるんですか? ナダールはあまり教えてくれなくて、不安になります」
「ん~知ってる事はいくらかあるけど、ナダールに口止めされてるから言えないわ。ごめんなさいね」
「そんな口止めされないといけないような事なんですか? ナダールもあまり思い出して欲しくないような事を言っていたし、オレの過去ってそんなに問題があったんでしょうか?」
「問題は多かったわね。でも、もう片付いたわ。だからナダールがあなたに忘れて欲しいって気持ちが私には分からなくもないわね。嫌な思い出は忘れてしまうに限るわ」
「それでも、不安です。自分の正体が分からない、何処で生まれて何処で育ったのか、職業旅人ですよね、なんでそんな暮らしをしていたのか、それすら分からない」
「焦る必要はないわ、今は体を癒す時だもの。ゆっくり体を治して、治った頃には思い出すわよ」
彼女は優しく微笑んだ。
「こんにちは~! お元気ですか? お元気ですね! これは良かった!」
突然元気な挨拶で部屋に入ってくるのはルークという名の少年だ。彼はどうやら自分に気があるようで、やたらと距離が近い。今も飛ぶような勢いで目前までやって来て手を握られ振り回される。
「こら、ルーク! そういうのは駄目って何度言ったら分かるのよ!」
カズサがルークの首根っこを引っ掴んで離してくれる。
ルーク少年はカズサの従兄弟で幼馴染でもあるらしい。彼女はルークにお説教を始めるがルークはどこ吹く風だ。
「今日は顔色も良いですね、早く完全復帰して、おいらにグノーさんの勇姿見せてくださいね!」
「オレの……勇姿?」
意味が分からなくて首を傾げる。
「馬鹿ルーク! 少しは黙りなさい!」
「オレ……何かやってたの、かな? 全然覚えてないんだけど……」
「何でもないのよ。本当に馬鹿ルーク、もう少し後先考えて言葉は口にするものよ!」
「え~だっておいら本当に楽しみに待ってるんだよ……」
とてもがっかりした様子のルークにグノーは申し訳ないような気持ちになる。
「それってさ、片足無くてもできる事?」
聞いて初めてルークはしまったという顔をして、カズサは大きな溜息を零す。どうやらその勇姿というのは片足がないと拝めない姿らしい、そっか。
「大丈夫ですよ、グノーさん強いから、片足無いくらい全然平気ですよ!」
「強い?」
なんだろう? 格闘とか? この細腕で?
自分の腕をしげしげ眺めて見れば、明らかに骨と皮だけでそんな事ができるとは到底思えない。
「馬鹿ルーク、あんたはもう帰りなさい! 当分立ち入り禁止!!」
そんなぁ……と嘆くルークを部屋から叩き出すようにして、カズサはルークを追い返してしまう。可哀想に。
「別にいいのに。オレ片足無くしたの実はあんまりショックじゃなくて、なんか変な気持ちなんですよね」
「そうなの?」
カズサの問いに頷くと「それならいいけど」とカズサは複雑な表情を見せた。歩けない事は不便だと思う、だが杖を使って歩く生活にもだんだん慣れてきた、普段の生活には支障がない。
「それよりも、オレ何やってたんですか? 強いってどういう意味?」
あ~とカズサは言葉を濁しつつ言った。
「あなたは剣豪だったわよ、それも凄腕のね。あなたの右に出る者はいない、それくらいあなたは強かったわ」
へぇ……と何の感慨もなくそう思った。まるで実感が湧かないのだ。この部屋に剣は無い。ナダールはいつも腰に一本剣をぶら下げているが、それだけだ。剣豪というからには自分の剣もあるのではないかと思うのにそんな物は見当たらない。
「この部屋にはないみたいですけど、カズサさんはオレの剣どこにあるか知ってます?」
「え? あら、そういえば見当たらないわね。どこにあるのかしら……」
カズサも辺りを見回し首を傾げる。
「立派な剣だったのよ、無いことは無いと思うんだけど……」
「オレ、その剣見たいです。もしかしたら記憶に繋がるかもしれない」
「そう……うん、分かった。また探しておくわね」
カズサは剣の探索を快諾してくれた。遠くでまた子供の泣き声が聞こえた。
「あら、ルイちゃんまた泣いてるみたい」
「ルイ……」
ナダールと自分の子供。ルイ。会いたいという思いと、怖いという気持ちが心の中で交錯している。
見てみたいと思う反面、その娘を可愛いと思えなかったらどうしよう、という思いが心の中で渦巻いているのだ。
「まだ、会いたくないの?」
「泣かれるかもしれないし、どう扱っていいか分からない」
「そういうのは会ってから考えればいいのに……」
確かにそれは一理ある。だがそれでもまだ心の整理はつかないままだ。自分の正体も分からないのに、そんな得体の知れない自分に子育てができる気がしない。
子守唄が聞こえる、なんだかこの唄はとても懐かしい。
「あなたは意外と臆病よね。もっと強い人かと思っていたから意外だわ」
「臆病?」
確かにそうかもしれない。まだこうして人がいて話相手になってくれている間はいい、だが一人になってしまうとよく分からない恐怖がむくむくと心の中に湧いてくるのだ。
怖い、何が怖いのか分からない。だが何か得体の知れないものが自分を闇の中へ引き摺り込んでしまいそうで怖くて怖くて仕方がないのだ。
そんな時は自分は布団をかぶり丸くなって寝てしまう、目が覚めた時にはすべて思い出して何でもなかったと言えたらいいと思いながら眠りにつくのだが、起きた時にやはり何も思い出していない事に絶望する。
カズサが帰り、ぼんやりと部屋の中を見回していると、ぱたぱたという足音と共にナダールが部屋に入ってきた。
「グノー、起きてますか?」
「おかえり、起きてるよ」
なんという事もない会話なのだが彼がぱっと笑顔を見せるとこちらの心も軽くなる。ナダールは本当に不思議な男だ。
「少し顔色が悪いですかね? 何かありましたか?」
グノーはなんでもないと首をふるのだが、ナダールはそれに小首を傾げてグノーを抱き上げた。
「なんでしょうねぇ、何が不安ですか? 記憶が戻らない事はそこまで不安に思うことではありませんよ?」
ナダールの膝の上に抱えられて、瞳を覗き込まれそう言われる。
なんなんだろう、この体勢。ナダールはとても普通の顔でそれをするのだが、この体勢はどうにも落ち着かない。
「あ……えっと、なんか、近い」
「ん? 嫌ですか?」
「嫌というか……恥ずかしい」
頬が熱い。今、絶対赤くなってる。
「なんだか新鮮でいいですね。最近のあなたはすっかりこの体勢にも慣れっこになってしまっていたので、娘が生まれる前のあなたに戻ったみたいで可愛いです」
「う~離して。オレはまだ慣れてない」
「すぐに慣れますよ」
言ってそのまま抱きすくめられた。
あ、やばい、こいつの匂いくらくらする。
「ふふ、甘い匂いがしますね。私あなたの匂い本当に好きです。このまま食べてしまいたいくらいですよ」
「食べる?」
「ん? お誘いですか?」
「だって子供がいるくらいだし、そういう事もしてたんだろ?」
少し恥ずかしいのだが、身体が疼いて仕方がないのだ。ナダールの匂いは本当に麻薬のように自分の身体に馴染む。やってしまえば思い出す事もあるかもしれない、そんな思いが頭を掠めた。
「実を言えばあなたとそういう事をした回数って、片手で足りる程度なんですよ」
「え? なんで?」
「最初の一回で娘ができてしまったので、そこからお預けを喰らって、その後はやっぱり色々あって、なかなかやる機会がなかったんですよね。本当なら今頃あなたと二人目を作る為に励んでいる予定だったんですけどね」
「なんか生々しい……」
「愛の行為にそういう言葉は似合いませんよ」
酷く真面目な顔で言われるので、そういうものなのかと赤面する。
「ですが、私はまだ今のあなたは抱けません」
「なんで? 別にいいのに……」
「だってあなたは私の事が好きですか? 愛していますか? 子供が欲しいと思うほどやりたいと思っていますか?」
「え……や、えっと……たぶん?」
しどろもどろに答えると「ほら、やっぱり」と彼は溜息を吐く。
「私はそんな中途半端な想いのあなたを抱く事はしたくありません。あなたを抱くのはあなたが私を本気で愛してくれた時です」
「本気で……」
「あなたの匂いは私を誘惑しますし、私の匂いもあなたを誘惑するでしょうけど、そんなそれだけの動物的感覚で私はあなたを求めている訳ではないのですよ。私は何よりあなたの心が欲しい。だからもう少しお預けです」
それでも離れ難いのかナダールはぐりぐりとグノーの肩口に顔を埋める。
「お前は、さ。こんな醜い体のオレでも愛してくれるの?」
自身の右足を指し示してそう聞いてみる。こんな不完全な体になってしまった自分をそれでも彼が愛してくれるか、それがとても不安だったのだ。
「あなたに醜い所なんてどこにもありませんよ?」
「でも、片足無いんだぞ?」
ナダールはグノーの身体を持ち上げベッドにおろすと、その足に口付けた。
「この足はね、あなたが私を守る為に、私と共に生きる為に自ら斬り落としたのですよ。そんなあなたのこの足を、私が醜いなどと思うわけがないでしょう」
「そう、なのか?」
この足は崩れる建物の下敷きになって失ったと聞いていたのに、どうやらそれだけではなかったようだ。
「本当はあの時一緒に死んでも構わないと思っていたのに、あなたは痛かったでしょうに、笑って、約束は守れとそう言ったんです」
「約束?」
「はい、あなたと一緒に幸せになる、という約束ですよ。私はその約束を違えるつもりはありません」
「なんか、悔しいな」
「なにがですか?」
「お前にそこまで想われてるのが、オレなのにオレじゃない。やきもち焼く相手が自分じゃ勝ち目ないじゃん」
ナダールは目を丸くして、そして笑った。
「妬いてくれるんですか?」
「さっきからずっと妬いてる。悔しい。お前はオレのだって思うのに、絶対そいつの方がお前にはお似合いだとか思っちまうし、でもそれオレだし、どうしていいか分かんない」
ナダールは申し訳なさそうに、それでも堪えきれないという表情で吹き出した。
オレ、本気で言ってるんだけどな!
「もう、笑うな!」
「ふふ、すみません」
謝罪の言葉はあってもナダールの笑いは止まらない。
「むぅ、やっぱりお前は記憶を無くす前のオレのモノだ。だから浮気はなし! 記憶が戻るまで禁欲生活で耐えてろ!」
言ってナダールの腕から抜け出し布団をかぶる。
「え? ちょ……そんな殺生な。せめて触るのくらい許してください!」
「記憶が戻るの祈ってて」
伸びてきた腕から逃れて、逆に彼の頬にキスを落とす、ナダールはがくりと肩を落として情けない顔で苦笑した。
だが、誰もがそんな自分を見て大丈夫だよと笑ってくれるので、少しほっとする。
そんな中自分の面倒を見てくれる為に通って来てくれる一人の女性がいた。名をカズサと言い、気立てのいい娘だ。
彼女はΩなので心配がないとナダールも彼女には気を許していて、グノーはそれに何故か少しもやっとしたものを抱えていた。
彼女はナダールの仕事仲間なのだと言う。
「仕事って何をやっているんですか?」
「え~? その時々よ、人探しの時もあるし、指定された人を尾行したり、情報を集めたり?」
「危なくないんですか? 女の人がそんな仕事……」
「割と平気ね。危ない時はさっさと退けって言われてるし、女にしかできない仕事も時にはあるから」
彼女は平気平気とけらけらと笑う。
「ナダールも同じ仕事してるんですよね?」
「まぁ、最近はね。いつまでもただ飯食いって訳にはいかないもの」
「オレは? オレはなんの仕事をしてたんですか?」
カズサは少し考え込んで「旅人?」と首を傾げた。
「オレはずっとここに住んでいた訳じゃないんだ?」
「あなたとナダールは一年位前に二人揃ってこの村に来たのよ。その時あなた怪我はしてるし、妊娠してるしで、ナダールは大慌てよ」
「そう……なんだ。その子ってナダールとの間の子?」
「まぁ、そうでしょうね。あなたは人嫌いで他人を寄せ付けなかったから、他に父親候補って言われても思い当たらないわ。それにあの子の瞳ナダールそっくりだもの。可愛いわよねぇ、私もあんな碧い瞳の子供欲しいわぁ。時々でいいからナダール貸してくれない?」
カズサはさらっとそんな事を言う。
「そんな人を簡単に貸し借りするものでは……」
「あら、そう言えばあなたよそから来たんだったわね、うちの村の倫理観は通用しないんだったわ」
ごめんなさいとカズサは笑う。
「カズサさんはナダールが好きなんですか?」
「そうね、ちょっとタイプだわ。ああいう人、うちの村にはいないもの」
ナダールと自分の間には子供がいるという。まだ怖くて会ってはいないのだが、だったら自分達は夫婦なのかと思えばそうでもないようで、グノーは混乱するばかりだ。
「カズサさんはオレの事よく知ってるんですか? ナダールはあまり教えてくれなくて、不安になります」
「ん~知ってる事はいくらかあるけど、ナダールに口止めされてるから言えないわ。ごめんなさいね」
「そんな口止めされないといけないような事なんですか? ナダールもあまり思い出して欲しくないような事を言っていたし、オレの過去ってそんなに問題があったんでしょうか?」
「問題は多かったわね。でも、もう片付いたわ。だからナダールがあなたに忘れて欲しいって気持ちが私には分からなくもないわね。嫌な思い出は忘れてしまうに限るわ」
「それでも、不安です。自分の正体が分からない、何処で生まれて何処で育ったのか、職業旅人ですよね、なんでそんな暮らしをしていたのか、それすら分からない」
「焦る必要はないわ、今は体を癒す時だもの。ゆっくり体を治して、治った頃には思い出すわよ」
彼女は優しく微笑んだ。
「こんにちは~! お元気ですか? お元気ですね! これは良かった!」
突然元気な挨拶で部屋に入ってくるのはルークという名の少年だ。彼はどうやら自分に気があるようで、やたらと距離が近い。今も飛ぶような勢いで目前までやって来て手を握られ振り回される。
「こら、ルーク! そういうのは駄目って何度言ったら分かるのよ!」
カズサがルークの首根っこを引っ掴んで離してくれる。
ルーク少年はカズサの従兄弟で幼馴染でもあるらしい。彼女はルークにお説教を始めるがルークはどこ吹く風だ。
「今日は顔色も良いですね、早く完全復帰して、おいらにグノーさんの勇姿見せてくださいね!」
「オレの……勇姿?」
意味が分からなくて首を傾げる。
「馬鹿ルーク! 少しは黙りなさい!」
「オレ……何かやってたの、かな? 全然覚えてないんだけど……」
「何でもないのよ。本当に馬鹿ルーク、もう少し後先考えて言葉は口にするものよ!」
「え~だっておいら本当に楽しみに待ってるんだよ……」
とてもがっかりした様子のルークにグノーは申し訳ないような気持ちになる。
「それってさ、片足無くてもできる事?」
聞いて初めてルークはしまったという顔をして、カズサは大きな溜息を零す。どうやらその勇姿というのは片足がないと拝めない姿らしい、そっか。
「大丈夫ですよ、グノーさん強いから、片足無いくらい全然平気ですよ!」
「強い?」
なんだろう? 格闘とか? この細腕で?
自分の腕をしげしげ眺めて見れば、明らかに骨と皮だけでそんな事ができるとは到底思えない。
「馬鹿ルーク、あんたはもう帰りなさい! 当分立ち入り禁止!!」
そんなぁ……と嘆くルークを部屋から叩き出すようにして、カズサはルークを追い返してしまう。可哀想に。
「別にいいのに。オレ片足無くしたの実はあんまりショックじゃなくて、なんか変な気持ちなんですよね」
「そうなの?」
カズサの問いに頷くと「それならいいけど」とカズサは複雑な表情を見せた。歩けない事は不便だと思う、だが杖を使って歩く生活にもだんだん慣れてきた、普段の生活には支障がない。
「それよりも、オレ何やってたんですか? 強いってどういう意味?」
あ~とカズサは言葉を濁しつつ言った。
「あなたは剣豪だったわよ、それも凄腕のね。あなたの右に出る者はいない、それくらいあなたは強かったわ」
へぇ……と何の感慨もなくそう思った。まるで実感が湧かないのだ。この部屋に剣は無い。ナダールはいつも腰に一本剣をぶら下げているが、それだけだ。剣豪というからには自分の剣もあるのではないかと思うのにそんな物は見当たらない。
「この部屋にはないみたいですけど、カズサさんはオレの剣どこにあるか知ってます?」
「え? あら、そういえば見当たらないわね。どこにあるのかしら……」
カズサも辺りを見回し首を傾げる。
「立派な剣だったのよ、無いことは無いと思うんだけど……」
「オレ、その剣見たいです。もしかしたら記憶に繋がるかもしれない」
「そう……うん、分かった。また探しておくわね」
カズサは剣の探索を快諾してくれた。遠くでまた子供の泣き声が聞こえた。
「あら、ルイちゃんまた泣いてるみたい」
「ルイ……」
ナダールと自分の子供。ルイ。会いたいという思いと、怖いという気持ちが心の中で交錯している。
見てみたいと思う反面、その娘を可愛いと思えなかったらどうしよう、という思いが心の中で渦巻いているのだ。
「まだ、会いたくないの?」
「泣かれるかもしれないし、どう扱っていいか分からない」
「そういうのは会ってから考えればいいのに……」
確かにそれは一理ある。だがそれでもまだ心の整理はつかないままだ。自分の正体も分からないのに、そんな得体の知れない自分に子育てができる気がしない。
子守唄が聞こえる、なんだかこの唄はとても懐かしい。
「あなたは意外と臆病よね。もっと強い人かと思っていたから意外だわ」
「臆病?」
確かにそうかもしれない。まだこうして人がいて話相手になってくれている間はいい、だが一人になってしまうとよく分からない恐怖がむくむくと心の中に湧いてくるのだ。
怖い、何が怖いのか分からない。だが何か得体の知れないものが自分を闇の中へ引き摺り込んでしまいそうで怖くて怖くて仕方がないのだ。
そんな時は自分は布団をかぶり丸くなって寝てしまう、目が覚めた時にはすべて思い出して何でもなかったと言えたらいいと思いながら眠りにつくのだが、起きた時にやはり何も思い出していない事に絶望する。
カズサが帰り、ぼんやりと部屋の中を見回していると、ぱたぱたという足音と共にナダールが部屋に入ってきた。
「グノー、起きてますか?」
「おかえり、起きてるよ」
なんという事もない会話なのだが彼がぱっと笑顔を見せるとこちらの心も軽くなる。ナダールは本当に不思議な男だ。
「少し顔色が悪いですかね? 何かありましたか?」
グノーはなんでもないと首をふるのだが、ナダールはそれに小首を傾げてグノーを抱き上げた。
「なんでしょうねぇ、何が不安ですか? 記憶が戻らない事はそこまで不安に思うことではありませんよ?」
ナダールの膝の上に抱えられて、瞳を覗き込まれそう言われる。
なんなんだろう、この体勢。ナダールはとても普通の顔でそれをするのだが、この体勢はどうにも落ち着かない。
「あ……えっと、なんか、近い」
「ん? 嫌ですか?」
「嫌というか……恥ずかしい」
頬が熱い。今、絶対赤くなってる。
「なんだか新鮮でいいですね。最近のあなたはすっかりこの体勢にも慣れっこになってしまっていたので、娘が生まれる前のあなたに戻ったみたいで可愛いです」
「う~離して。オレはまだ慣れてない」
「すぐに慣れますよ」
言ってそのまま抱きすくめられた。
あ、やばい、こいつの匂いくらくらする。
「ふふ、甘い匂いがしますね。私あなたの匂い本当に好きです。このまま食べてしまいたいくらいですよ」
「食べる?」
「ん? お誘いですか?」
「だって子供がいるくらいだし、そういう事もしてたんだろ?」
少し恥ずかしいのだが、身体が疼いて仕方がないのだ。ナダールの匂いは本当に麻薬のように自分の身体に馴染む。やってしまえば思い出す事もあるかもしれない、そんな思いが頭を掠めた。
「実を言えばあなたとそういう事をした回数って、片手で足りる程度なんですよ」
「え? なんで?」
「最初の一回で娘ができてしまったので、そこからお預けを喰らって、その後はやっぱり色々あって、なかなかやる機会がなかったんですよね。本当なら今頃あなたと二人目を作る為に励んでいる予定だったんですけどね」
「なんか生々しい……」
「愛の行為にそういう言葉は似合いませんよ」
酷く真面目な顔で言われるので、そういうものなのかと赤面する。
「ですが、私はまだ今のあなたは抱けません」
「なんで? 別にいいのに……」
「だってあなたは私の事が好きですか? 愛していますか? 子供が欲しいと思うほどやりたいと思っていますか?」
「え……や、えっと……たぶん?」
しどろもどろに答えると「ほら、やっぱり」と彼は溜息を吐く。
「私はそんな中途半端な想いのあなたを抱く事はしたくありません。あなたを抱くのはあなたが私を本気で愛してくれた時です」
「本気で……」
「あなたの匂いは私を誘惑しますし、私の匂いもあなたを誘惑するでしょうけど、そんなそれだけの動物的感覚で私はあなたを求めている訳ではないのですよ。私は何よりあなたの心が欲しい。だからもう少しお預けです」
それでも離れ難いのかナダールはぐりぐりとグノーの肩口に顔を埋める。
「お前は、さ。こんな醜い体のオレでも愛してくれるの?」
自身の右足を指し示してそう聞いてみる。こんな不完全な体になってしまった自分をそれでも彼が愛してくれるか、それがとても不安だったのだ。
「あなたに醜い所なんてどこにもありませんよ?」
「でも、片足無いんだぞ?」
ナダールはグノーの身体を持ち上げベッドにおろすと、その足に口付けた。
「この足はね、あなたが私を守る為に、私と共に生きる為に自ら斬り落としたのですよ。そんなあなたのこの足を、私が醜いなどと思うわけがないでしょう」
「そう、なのか?」
この足は崩れる建物の下敷きになって失ったと聞いていたのに、どうやらそれだけではなかったようだ。
「本当はあの時一緒に死んでも構わないと思っていたのに、あなたは痛かったでしょうに、笑って、約束は守れとそう言ったんです」
「約束?」
「はい、あなたと一緒に幸せになる、という約束ですよ。私はその約束を違えるつもりはありません」
「なんか、悔しいな」
「なにがですか?」
「お前にそこまで想われてるのが、オレなのにオレじゃない。やきもち焼く相手が自分じゃ勝ち目ないじゃん」
ナダールは目を丸くして、そして笑った。
「妬いてくれるんですか?」
「さっきからずっと妬いてる。悔しい。お前はオレのだって思うのに、絶対そいつの方がお前にはお似合いだとか思っちまうし、でもそれオレだし、どうしていいか分かんない」
ナダールは申し訳なさそうに、それでも堪えきれないという表情で吹き出した。
オレ、本気で言ってるんだけどな!
「もう、笑うな!」
「ふふ、すみません」
謝罪の言葉はあってもナダールの笑いは止まらない。
「むぅ、やっぱりお前は記憶を無くす前のオレのモノだ。だから浮気はなし! 記憶が戻るまで禁欲生活で耐えてろ!」
言ってナダールの腕から抜け出し布団をかぶる。
「え? ちょ……そんな殺生な。せめて触るのくらい許してください!」
「記憶が戻るの祈ってて」
伸びてきた腕から逃れて、逆に彼の頬にキスを落とす、ナダールはがくりと肩を落として情けない顔で苦笑した。
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