運命に花束を

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運命に花束を①

運命と春の嵐③

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 子守唄が聞こえる。頭を撫でる大きな手。

『今日は大事な用事があるんだ、ここで静かに待っていられるかな?』

 男の人だ。大きな人……いや自分が小さいのか。見上げた先の人物の顔は影になって見る事ができない。
 小さく頷くと、いい子だねとまた頭を撫でられた。



 薄暗い部屋、聞こえてくる子守唄。さっきの夢はなんだったのだろう、覚えているようで覚えていない。
 子守唄、この声はナダールの声? ふらりと導かれるように起き上がった。身体が重い。何もないのに身体ばかりが重い。
 人の声、子守唄がやむ。小さな子供の泣き声に、また子守唄が重なった。
 重い身体を引き摺るように声を辿る。廊下の先の部屋が明るくて、眩しさに目を瞬かせた。
 声が段々近くなる。

「ほら、パパ駄目だよ、もっとちゃんと頭を支えて、そう、ゆっくりね」
「え? ちょっと待ってください。手を離さないで!!」

 どこかで聞いた事があるような声に重なるように、ナダールの慌てたような声が聞こえる。
 室内を覗き込めばナダールが何か大きなたらいの前で奮闘していた。

「上手、上手。そう、ゆっくり……」

 言った声の主がふとこちらを見た。あぁ、この人知ってる。医者先生の番の人だ。彼はしーと口の前に人差し指を立てると、こっちにおいでと手招きをした。
 ナダールは真剣にたらいの中の何かと格闘していてこちらには気がつかない。
 静かに彼らの傍によりその手元を覗き込めば、たらいの中には小さな乳児が気持ち良さそうに湯浴みをしていた。
 その髪は自分と同じ真紅の赤毛、まだ生え揃わないその髪は薄かったがそれは、紛れもなく自分の子供だとそう思った。

「っあ……」
「え? グノー? え? ちょっと待ってください、今、手が離せない!!」
「慌てなくていいよ、ナダール。もっと近くにおいでグノー、ほら……触って」

 小さな手、小さな体、こちらを見詰める碧い瞳はナダールにそっくりだ。

「あかちゃん……いた」

 指先に触れると小さな手でぎゅうと指を握り返してくれて、俺は声を上げて泣き出した。
 居た、ここに居た。空っぽの腹の中にいたはずの俺のあかちゃん。

「いなくなったかとっ、思ってた。全部、っく、夢かと思った。幸せだったのも、楽しかったのも、全部っ、全部……」

 手のひらで顔を覆って号泣する。何もかも夢だったのかと、幸せな時間などひとつもなかったのかとそう思ってい
たのに、小さな我が子が、確かにそこで笑っていた。

「いるよ、君のあかちゃん、ちゃんとここにいる。大丈夫、元気な女の子だよ」

 しゃがみこんで号泣していると、大きな手が頭を撫でた。
 小さな娘はタオルに包まれ気持ち良さそうに欠伸をしていて、その姿にまた泣いてしまった。

「ルイちゃん、ママに会えて良かったねぇ」
「ル……イ?」

 耳慣れない単語。あぁ、この子の名前……

「あなたの意識がなかなか戻らなかったので、私が付けてしまいました。すみません」
「ルイ……ルイかぁ、ルイ……」

 手を伸ばすと彼は娘をそっと手渡してくれた。
 小さい、子供ってこんなに小さいんだ。でも、この子がずっと自分の腹の中に居たのだと思えば、そんなものかと納得できた。

「まだ首が座ってないから、そう、首のところを支えてあげて。上手上手」

 甘い匂いがする。フェロモンなどの匂いではなく純粋なミルクの匂い。
 娘の手が長い前髪を掴んで引っ張る。

「痛い、痛いよっ、もう……」

 娘を抱えてまた泣いて、頭を撫でられまた泣いた。



 泣いて泣いて目が溶けると思うほどに泣いたら、なんだか少しすっきりした。
 ナダールはグノーから娘を受け取り、馴れた仕草で用意された湯冷ましを飲ませる。娘の背を撫で続けると、小さく娘がげっぷをして、気がつくといつの間にか腕の中で寝入っていた。

「なぁ、ナダール。この子生まれてどのくらい経ってんの? 俺なんか、ずっとおかしかったよな」
「ひと月って所ですかね。ちょうど本来なら明日あたりが予定日でした」
「そっか……勿体無いことしたな」

 こんなに可愛く愛しい我が子とひと月も離れていたなんて、そんなに経っているとは思わなかった。
 ずいぶん長いこと夢の中でまどろんでいた気分だ。だがその夢は決して楽しいものではなかった。それは悪夢にも似て、己の心を凍えさせた。

「エディは? アジェは……どうなってる?」
「グノー、それも覚えているのですね。エドワード君は長老の所にいます。アジェ君は、分かりません。メリアにいる事だけは間違いないみたいです」
「そっか……」

 やはり兄は自分を見過ごしてはくれなかった。
 ナダールに促されるように娘を抱えて立ち上がった。いつまでもこんな所で座り込んでいたら娘が湯冷めしてしまう。
 自分の寝ていた部屋とは別の部屋に娘用の小さなベッドも用意されていて、そっとそこに娘を下ろすと嫌がるように娘は泣いた。

「泣いた、どうしよう」

 一人おろおろしているとナダールが大丈夫ですよ、と娘の身体を優しく撫でるようにぽんぽんと叩いた。

「どうしても人肌の方が気持ちいいみたいで、ベッドにおろすといつもこうなんです」

 ナダールは子守唄を歌いだす。先程も聞こえてきた穏やかな歌声だ。いつしか娘はぐずるのをやめて眠りに落ちた。

「お前、スゴイな」
「子守は昔からしていますからね。子供はいいです、いつまで見ていても飽きない」
「うん、俺もそんな気がする」

 娘の寝顔は平和そのものだ、だが、その裏で泣いている人が大勢いる……

「なぁ、ナダール。エディこの村にいるんだよな?」
「えぇ、そうですね」
「俺、ちゃんとあいつから話を聞かないといけないと思う」

 俺の言葉にナダールの肩が震えたのが分かる。

「凄く怖いけど。でも、逃げてもあいつは……レリックは俺をどこまでも追ってくる」
「追うのならどこまででも逃げ続けますよ。あなたとこの子は私が守る」
「……俺たちだけが幸せになっても意味がないって、お前だって分かってるだろ?」
「ですが、相手が大きすぎます。私達だけで一体何ができますか?何もできやしない!」

 大声出すな、と娘の寝顔を見やると、彼はバツの悪そうな顔で黙り込んだ。

「俺もお前と同じ、そう思ってたよ。でもさ、守る者ができた、お前とルイと、俺の周りで笑ってくれてた人達。ここも見つかれば、あいつは何をするか分からない……」
「グノー……」
「逃げてるだけじゃ駄目なんだ、ちゃんと立ち向かわないと誰も守れない。アジェも、守ってやれなかった……俺のせいだ」
「あなたのせいではありません!」

 俺は小さく首を振る。

「きっと、俺のせいなんだ。俺は周りに不幸をふりまく、昔からそうだった。俺の周りにいる奴は一人残らず不幸になる、俺が逃げるたび不幸な人間が増えていく」
「そんな馬鹿なこと、ある訳ないでしょう」

 彼は怒ったようにそう言うが、俺の周りはいつでも怒号と罵声が飛び交って、目に映るのは真紅の飛沫。もう、そんな物は見たくない。なによりそれを娘には見せたくない。

「エディの話を聞く。あいつはアジェを助けたがってる。それなら俺もそれに協力する。エディは嫌がるかもしれないけど」
「私は賛同できません」
「お前がいたから俺は強くなれた。お前がいたから俺は前を向けた。そんなお前が俺を否定するのなら、お前は俺を元の俺に戻すという事だ」

 彼が唇を噛む。

「ずるい人ですね、あなたは。私が今のあなたを愛している事を分かっていて、そういう事を言うんですか」
「お前はいつだって俺を信じてくれただろ?」
「私は今だってあなたを信じていますよ」
「だったらお願い、今の俺を否定しないで」

 ナダールが溜息を吐く微かな息遣いを感じる。

「無茶な事はしないと約束してください。命を粗末に扱う事も、自棄になる事も禁止です」
「分かってる、そんな事はもうしない」
「絶対ですよ」

 念を押されて抱きしめられた。過去との決着。逃げ続けた亡霊にようやく立ち向かえる勇気が持てた。
 あぁ、ナダールの腕の中はなんでこんなに安心するのだろう、 胸に額を擦り付けるようにしてぎゅっと抱きしめ返した。この腕をなくさない為に俺は前を向くんだ。
 唇が重なる、最初は軽く次第に深く。

「もっと、もっと強く抱いて……」

 過去を話しナダールを受け入れたことで、軽く唇を合わせるキスやハグくらいは日常になっていた。だが、子供ができてヒートもなくなり、彼と抱き合ったことはまだ一度もない。

「これ以上は私の箍が外れます……」

 身を離そうとする彼の背中に腕を回して、離れて行くなと縋りつく。

「怖かった。お前がいないのかもなんて、お前が本当は俺の妄想の産物で実在しないんじゃないかって、そう思ったら怖くて怖くてしょうがなかった」
「私はここにいますよ」

 髪を撫でられ小さく頷く。

「お前はいつでも優しくて、俺の言うことはなんでも聞いてくれて、そんな都合のいい人間いる訳ないってそう思ったんだ」
「私があなたに優しいのは、私にとってあなたが大事な人だからですよ。傷付けたくない、あなたが嫌がることをするつもりもない」
「うん、知ってる」
「だから、離してください。このままでは私はあなたを抱きたくなってしまう。ヒート以外の時にそんな事するの、あなたは嫌でしょう?」

 ナダールの言葉に心が震える。

「いい。お前になら、抱かれてもいい。俺にお前を刻み付けて、もうお前を忘れないように、お前が存在しないんじゃないかなんて馬鹿なこと考えないくらい、抱いて、お願い」

 ナダールが息を飲むのが見なくても分かった。

「後悔しても、知りませんよ」
「俺もお前に倣って後悔はしない事にしたんだ」
「あなたは私を煽る天才ですね……」

 抱えるように抱きしめられて、そのままベッドに放られた。
上から覗き込んでくる彼の瞳は月明かりで妖しく光って、より自分の心を落ち着かない気持ちにさせた。

「これでもずっと我慢していたんですよ。子供ができて、薬を飲まなくなって、あなたいつでもいい匂いがしているから、我慢するの大変だったんです」
「うん、なんとなく気付いてた」

 誘うように彼の顔を撫でると噛み付くように口付けられた。
息ごと喰らい尽くされるような口付けに心拍が上がる。
 忙しなく服をはだけられ裸体を晒す、あぁ、ヒートもきていないのに身体が熱い。

「あなたはまだ本調子じゃないし、本当は今こんな事してる場合じゃないとは思うのですけど」
「あぁ、そうだな、本当にそう」
「でも、今私は嬉しくて仕方ないですよ。ようやくあなたが私を受け入れてくれた。ようやく私はあなたの中に踏み込めた」

 饒舌な言葉が耳をくすぐる一方、身体をまさぐる手も止まらない。あの初めての晩の時の方がよほど余裕があったのではないかと、笑ってしまう。

「何を笑ってるんですか?」
「嬉しくて。俺、人に組み敷かれて嬉しいなんて思ったの、コレが初めてだ」
「余裕、ですね」
「余裕なんてないよ、触って、心臓凄く早い」

 彼の手を導くように胸へと誘えば、その鼓動を感じてくれたかどうかも分からぬままその胸にも口付けられた。

「やはり、少し膨らむんですね」
「っふ、なに?」

 吐息が上がる。

「胸、前より少し大きくなってる。娘より先に堪能してしまっていいものか、父親としては迷う所ですね」
「っふふ、馬鹿。他はがりがりで触り心地悪いだろうから、そのくらい堪能しとけ」
「本当ですよ、せっかくいい具合に触り心地良くなっていたのに、またこんなに痩せて……あそこまで肥えさせるのに私がどれだけ努力したと思っているんですか。全部水の泡ですよ」
「太らせて、食べようとしてた?」
「まぁ、そうですねぇ」

 二人はくすくす笑いあう。

「全部食べていいよ。骨まで残さず全部、食べて」
「ふふ、それでは遠慮なく……」

 甘い甘い薫りが辺り一面に漂っていた。
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