運命に花束を

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運命に花束を①

運命と春の嵐②

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 ここどこだっけ……?
 目が覚めると見た事のない天井を見上げていた。ぼんやりとした頭を叱咤して状況確認。なんだか最近こんな事ばかりしている気がする。
 腹を庇うように起き上がろうとして、その違和感に小さく悲鳴を零した。それはこの数ヶ月で身に付いたクセだった、重くなった腹を支えて身を起こす、その支えるべき重みがない。
 手を腹に当ててそこになんの膨らみもない事を確認する。
 何もない……何もない?
 そんな馬鹿な! 確かに自分には子供ができた筈だ、ナダールだって喜んでくれた、幸せで二人で笑って手を繋いで歩いていたはずだ。
 手を……ふと自分の腕を見て驚いた。幸せ太りと言わんばかりに肉付きのよくなっていた腕の肉が消えている。
 骨と皮……これはなんだ?どういうことだ?
 俺の子供……ナダールは? ナダールはどこだ?
 ベッドから起き出し、足を踏み出す。いや踏み出そうとして力が入らず崩れ落ちた。なんだ? 何が起きてる? ここはどこだ? 分からない、分からない、分からない!


 夢?


 全部、夢だった? どこから? 一体どこから夢だった?
子供ができたこと? ナダールに愛された事? そもそもナダールに出会った事?
 ナダール……そもそも、そんな男は存在するのか?
 自分の『運命』だとそういう彼はただただグノーに甘かった。そんな人間がそもそも存在していたのか、それすら分からなくなって混乱した。
 夢……自分に都合がいいだけの、現実逃避の夢だった?
 だって自分の身体はこんなに痩せ細っている、彼に優しくされて毎日餌付けされるように食べさせられ、肉が摘めるなんて笑ってたそんな身体はどこにもない。
 あぁ、ここはまだ牢獄の中なのか。ついに頭までおかしくなったんだな……と可笑しくて可笑しくて涙が出るほどに笑いが込み上げた。
 なんだ、それならもう死んでしまおう。だって夢の中の方が楽しかった。夢の中の方が幸せだった。きっとこのまま寝てしまえば、あの幸せな夢の続きが見られるはずだから……
 力の出ない身体で窓を開けた。
 あぁ、ここ二階なんだ。この高さで死ねるかな? うん、上手に飛べばたぶん、大丈夫……



 身を乗り出して、さぁ飛ぼうと思った瞬間、引きずり込まれるように室内へと戻された。

「あなたは! 何をやっているんですか!!」

 力いっぱいに抱きしめられたその腕には見覚えがあった。
 あぁ、ナダール……いた。
 ぼんやりそんな事を考えていると、ナダールはなにやら確認するように俺の身体を撫で回した。

「ナダー……ル?」
「なんですか?」
「なんか俺、おかしいんだ。身体が動かない。俺、こんなだったっけ?」

 困ったような顔をして彼はまた自分を抱きしめてくれる。

「なぁ、俺さぁ、夢見てたみたいなんだよな。凄く幸せな夢。俺がいて、お前がいて、子供ができて……どこまで夢だったのか、よく、分からない……」
「夢ではありませんよ。大丈夫、あなたは少し疲れているだけです」
「夢、じゃない……?」

 でも、自分の腹には子供がいない。ここには何も入っていない、何もない。

「あなたは何も心配する事はありません」

 そう言って彼は自分を抱き上げてベッドの中に戻し、頭を撫でてくれた。あぁ、お前がそういうならそうなのかな……なんだか疲れた。
 瞳を閉じると彼の薫りが鼻をくすぐる。やっぱりナダールの匂い好きだなぁ、凄く安心する。
 優しく優しく頭を撫でる手、大きくて温かい。まどろみの中、聞こえてくる微かな歌声。聞き覚えのある子守唄。


 ナダールはグノーの頭を撫でる。グノー自身が言っていたように、彼は少しおかしくなっていた。
 目覚めると突然笑い出したり大声で泣き出したり暴れたりと、その反応はその時々で異なり目が離せない。
 今日のように自殺を図ろうとすることも何度かあって、その都度凶器になりそうな物など片付けていたのだが、飛び降りるなら窓に格子でも嵌めるしかないかと、その窓を見やる。
 そんな事をしたらこの部屋は本当にまるで牢獄のようで、ナダールは溜息を吐く。
 階下から子供の小さな泣き声が聞こえる。ぱたぱたと駆けて行く足音とあやすように歌う子守唄。ナダールは立ち上がり、部屋を後にする。グノーの様子も気になったが娘の様子も気になった。


 ひと月早く生まれてしまった娘は、生まれた当初それはそれは小さく、触れば壊れてしまうのではないかと恐ろしいほどだった。
 彼によく似た赤毛の娘で、瞳の色はナダールそっくりな碧眼だ。産声も弱く、大丈夫なのかと心配していたのだが娘は順調に育っていた。
 娘を産んだ後、グノーはしばらく意識を取り戻さなかった。
 それ程に妊娠出産は母体に影響がある事が分かっていたから、ストレスなど与えないよう生活していたのに、あの日エドワードはグノーを詰り彼を追い詰めた。
 意識を取り戻さないグノーに責任を感じたものか彼は謝罪に訪れたが、ナダールはその謝罪を素直に受け入れる気にはなれなかった。

『あなたのした事、許す気はありませんから、謝罪の言葉は結構ですよ』

 冷ややかな瞳でそう告げると、彼は黙ってその場を去って行った。苦しいのは分かる、つらいのも、誰かを責めたくて仕方ないのも分かっている、それでも自分は彼を許す気にはなれなかった。彼はグノーの傷口を抉り踏み付けたのだ、到底許せるものではない。
 彼らはしばらくこの村に滞在するという。一体どの面下げて、と思わなくもなかったが彼もグノーに聞きたい事は山ほどあるのだろう。
 アジェがメリアに連れて行かれたと彼は言った。エドワードはそれがグノーのせいであるとも言っていた。それはすなわち彼の兄がまだ彼の事を諦めていないという事実だった。
 問われるままに自分は長老にグノーの過去を語った。それは恐らくそのままエドワードとクロードの二人にも伝わった事だろう。
 そして、グノーは一週間ほどで意識を取り戻したのだが、目が覚めた時には今の有様で、自分が子供を生んだ事すら認識できていない様子だった。
 そんな彼に娘を会わせるのはどうにも恐ろしく、まだ彼と娘の対面は果たされていないままなのが現状だ。

「ルイちゃん、パパがきたよ~」

 娘を手渡してくれたのは医師の番相手の男性、彼も男性Ωだった。出産経験もあり、子供の扱いはお手のものだ。
 間借り先は長老宅から診療所の二階に変わっていた。グノーの様子が明らかにおかしいので、医師の目の届く所にいた方がいいという判断でナダール共々親子三人世話になっている。
 この村に来てから村人達には世話になりっぱなしだ。

「彼の様子は?」
「寝ました。まだ混乱しているようで、現実と夢との区別がついていないようです」
「そう、ルイちゃんも早くママに会いたいねぇ」

 言って彼は娘の頬を突く。娘はむずかるようにこちらを丸い瞳で見やった。

「パパも、子供の前ではそんな険しい顔してたら駄目だよ。こんな状況だからね、笑えとは言えないけど、親の心理状況は子供に響く。こんなに小さくてもちゃんと見てるんだから」

 彼の言葉に笑顔を作ろうとして失敗する。自分は今までどうやって笑っていたのかもう分からなかった。

「グノーは、元に戻るのでしょうか……」

 ナダールの問いに答えを持たない彼は困ったように微笑んだ。
 まだこれからだったのだ。何もかも始まったばかりだったのに、その幸せは脆くも崩れ落ちた。
 涙が頬を伝って落ちる。娘はそれを不思議そうに見上げていた。
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