ある幸せな家庭ができるまで

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第四章:夫婦の絆編

話し合い

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 俺とライザックは二人でハロルド様の部屋の前に立つ。そういえば俺、最後にここに入ったのライザックと結婚するって報告に来た時だったな。しかもアレが最初で最後だ。
 この家を出る時にはライザックがハロルド様から俺を守るように盾になってくれていて、挨拶なんて無しで屋敷を出てしまったからハロルド様の顔を見るのも久しぶりだ。
 部屋の中からはお義父さんの元気な声が聞こえてくるけど、ハロルド様の声はまったく聞こえてこない。ライザックが姿勢を正し、ひとつ深呼吸をしてから扉を叩く。しばらくの沈黙の後「誰?」と中からハロルド様の声が聞こえた。

「母上、ライザックです。来客中に失礼いたします」

 しばしの逡巡があったのか、また少し沈黙があって、その後「お入り」と声がかかった。ライザックはほっとしたように扉のノブを回した。けれど扉を開けて見えてきた光景にライザックは瞬間立ち止まった。何故なら、そこには気だるげにソファーに腰かけるハロルド様と、何故かエプロン姿で部屋の片づけをしているお義父さんの姿が見えたからだ。
 
「これは……一体何を……?」
「やぁ、ライザック! 何って部屋の模様替えだよ!」

 元気よく返事を返してきたのはハロルド様ではなくお義父さんで、俺もライザックも困惑の表情を隠せない。ハロルド様も憮然とした表情のまま、ちらりとこちらへと視線を寄越した。

「部屋の、模様替え……?」
「この部屋って辛気臭いだろ? こんな部屋に籠ってたらハロルドの気持ちも落ち込むってもんさ、だから部屋の模様替え」

 にこりと笑みを見せるお義父さん、一方でハロルド様は「頼んだ覚えはない」と苦り切った表情を見せる。

「僕が好きでやってるんだ、あ、今日はカズ君とシズクちゃんも一緒なんだね! お茶菓子多めに持ってきて正解だ、皆でお茶会しよ」

 微妙な空気の室内に、どこまでも空気を読まないお義父さんの陽気な声が響く。このメンバーでお茶会って、まるでお通夜のような空間になる未来しか見えません、お義父さん!
 そんな困惑の俺達を置き去りに、エプロン姿のお義父さんは「準備してくるね」と楽し気に部屋を出ていった。
 急に部屋に静寂が訪れる、お義父さんがいるだけで部屋は明るく見えたのに、やはりそこは以前と変わらぬハロルド様の城だ。けれど、室内には恐らく模様替えと言っていたお義父さんが持ってきたのだろう花が飾られ、殺風景だった壁に幾つかの額縁が飾られている。それは恐らく手編みのレース編みや刺繍の類が飾られて、もしかしてこれお義父さんお手製だったりするのかな?

「何年も私の前に姿を現しもしなかったアルフレッドが最近頻繁に我が家に来るようになったのは、お前の差し金かい? ライザック」
「いえ、私は何も……」
「それにしてはそこの使用人とも親し気な様子だったけれど?」

 『使用人』って俺の事だよな……あくまでライザックの嫁としては認めないって事か。まぁ、分かってはいたけれど。

「母上、カズを使用人と呼ぶのはやめてください! それに父上は私の方から連絡を取った訳ではなく、父上の方から孫の顔が見たかったと訪ねて来てくれたのです。母上はそんな事一言も仰ってはくれなかった、けれど父上は……」
「私はその子を孫だとは認めないと言ったはずですよ、ライザック。それは勿論オーランドルフの人間として認めないと言っているのです」

 ライザックが失望の色を浮かべて首を振る。もう最初から結果は分かっていたようなものだった、それでも少しはシズクの顔を見て心動かされてはくれないものかと思っていたのだけれど、ハロルド様は全くこちらを見向きもしない。

「それにアルフレッドから聞きました、その子には障害があるそうですね。そんな出来損ないの子供など、なおさら認められる訳がない」
「な……」

 それは俺にとってはある程度覚悟していた言葉だった。それは恐らくライザックも同じであったと思うのだけれど、それでも彼は母を信じる気持ちを少なからず持っていたのだろう、ライザックは表情を失くし俯いた。

「お前がなにを思ってその者達を連れて来たのか知らないが、同じ空間にいるのも忌々しい、使用人はさっさと出ておいき」
「母上……その言葉は私にも向けられていると思って間違いありませんね?」
「ん?」
「それでも私にも親子の情があります、母上を着の身着のままでこの屋敷から追い出す事は憚られると、そう思ってやって来ましたが、母上がそのおつもりならもう話し合いの余地はありません」

 ライザックの言葉にハロルド様が怪訝な表情を見せる。

「ライザック、お前は何を言っている? 私をこの屋敷から追い出すと? そもそもこの屋敷はお前の物ではないのだよ」
「そうですね、けれどこの屋敷は母上の物でもないはずです。この屋敷は父上、アルフレッド・オーランドルフの物、私達はそこに間借りしていたにすぎない」
「何を言っている、アルフレッドは私達を捨てていくかわりにこの屋敷を私達に寄越したのだ、この屋敷は私の物だ」

 ライザックは憐れむような瞳を母に向ける。

「母上はなにも苦労を知らない箱入りでこの屋敷に嫁いできて、何も知らぬままここまできてしまったのですね……土地家屋には毎年その規模に応じて税金がかかるのですよ。父上がこの屋敷を出た直後にはまだこの家にも蓄えがありました、先代の執事はとてもよくやりくりしてくれて、その蓄えで私の成人まではどうにかなっていたのです。けれど、もうその蓄えも底を尽き、現在は家財を売ってしのいでいる状態、そもそも売れる家財がもう何もない。母上はこの小さな部屋からほとんど出る事がないので知らないのでしょう、この屋敷には空っぽの部屋が何部屋もあるのですよ」
「そんな事……」
「この無駄に広く大きな屋敷にかかる税は高い、そして生活していくのにもお金は必要で、それを支払えるだけのお金がもうこの家にはないのです。知っていましたか? もう既にこの家には使用人に払ってやれる賃金すらないのですよ、通いで来てくださっている方々に現在給金は発生していません、長年この屋敷に勤めたその情で、最低限の仕事を無償でしてくれているのです。そしてミレニアも、この屋敷でまともに給金を受け取っていたのはハインツだけなのです。それも余所より薄給だというのに、それすらも、もうまともに払えない……」

 俺にとっても驚きのその事実、俺の事なんか雇ってる場合じゃなかったんじゃねぇか! どんだけ貧乏だよ、いや、もしかしてそこまで困窮したのって、俺と別世帯持ったせいか!? だとしたら、この屋敷を出た事自体が間違いだったのでは……

「ハインツには先程新しい勤め先を探すようにと伝えました、ミレニアにも、もうこの屋敷に囚われることなく好きな事をするように伝えるつもりです。もし、それでも母上がこの屋敷に残るというのであれば、どうぞお一人で頑張ってください。私は全ての相続を放棄し、オーランドルフの姓も捨てるつもりです」
「な……お前は母を、この私を捨てるというのか!?」
「先にそれを告げたのは母上の方です」

 ライザックはひたすらに淡々としている。それは俺も今まで一度も見た事のないような無表情でとても怖い。

「私にとって母上は今まで唯一の家族でした、けれど母上は私の愛する人を認めてくれようとはしない、私の子ですらまるで畜生を見るような瞳を向ける、私はもう、そんなあなたを愛せない」
「ライザック!」
「カズ、帰ろう。もうすべての用は済んだ」

 俺を促すようにライザックが踵を返し俺の肩を抱いた。けれどその腕は少しだけ震えていて、たぶんこれはライザックにとっても最悪の形の結末なのだろうなと、なんとなく察する事ができた。

「本当に、いいのか?」
「いいんだ、母上はもう変わりはしない」

 完全に諦めたような表情のライザック、だけど俺はその場を動けない。ライザックの向こう側からハロルド様がすごい形相でこちらを睨んでいるのも分かるけど、これで全ての話し合いを終わりにしていいのか分からなくて、俺はライザックを見上げる。
 その時、「あれ? まさかもう帰るの?」と呑気な口調のお義父さんが部屋に戻ってきた。
 お義父さんは両手で大きなトレイを抱えていて、その上には人数分の茶器が並んでいる。このメンツで本気でお茶会するつもりなのか? 豪胆にも程がある。
 けれどそんなお義父さんの登場に瞬間張りつめた空気が緩んで、俺はひとつ息を吐いた。

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