ある幸せな家庭ができるまで

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第三章:出産編

恐怖

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 この世界の出産はほとんどの場合自宅で行われる。取り上げてくれるのは俺の世界で言う産婆さんだ、こっちの世界だと産爺さんかな。産後直ぐはその産爺さんがしばらく母親や赤ちゃんの面倒を見てくれる、というかその役割は本来実母や義母の役割である事も多いらしいのだが、俺の母親はこの世界にはいないし義母には期待できないからな……

「それにしてもこの子はずいぶん大人しい子だね」

 そう言って産爺さんはシズクの頬をつつく。シズクはそんな事をされても少しもぞもぞと動く程度で反応がほとんどない。産爺さん曰く少し大人しすぎるシズクの反応、この子はもしかしたらどこか悪いのか? と不安がまた鎌首をもたげる。

「はは、こんなの子供の個性の範疇だよ。この時期のお母さんは神経質になってしまうけど、大丈夫、この子は元気だよ」
「でも、この子全然泣かないんです……」
「それだけ満足してるって事なんじゃないかな? だけど少しだけ手をかけすぎているのかもね。赤ん坊は泣くのが仕事で泣く事で体力を付けていく、少しぐずったくらいで抱き上げるのは良くないのかも」

 産爺さんにそんな事を言われて俺は戸惑う、だって俺はそもそもそこまでこの子に手をかけていない。定期的に乳を与えろと言われるから時間を決めて授乳をし、乳を与えれば排泄するからそれを取り換えて、あとは抱っこしていれば寝てしまう。まるで手がかからない。
 分かっている、俺には元々弟妹がいたから赤ん坊がこんなに大人しいモノではないと分かっている、なのにシズクは大人しすぎる。産爺さんは「これからだよ」と笑ったけれど、俺の心の中にはまた不安が巣食う。
 どこもおかしな所はない、そう思おうとするのに些細なよその子との違いに過剰反応をしてしまう。そんな俺を見て神経質になっては駄目だと産爺さんは言うけれど、不安なものは不安なのだから仕方がない。
 産爺さんが我が家に居てくれるのは一週間、それ以後は定期的にしばらく顔を出してくれるそうだけどよその出産が続けばそれもできない場合もあると言われた。初めての子育ては不安しかない、そんな中、頼れる人間がいないという状況はかなり辛い。
 ライザックだっていつまでも仕事を休んでいる訳にはいかないし、このふにゃふにゃと小さく柔らかい生き物を俺が一人で面倒を見なければならないのかと思ったら、それも不安で俺は途方に暮れた。

 宣言通り産爺さんは我が家を去り、どうにかこうにかおっかなびっくり子育てを続けていたある日、気を張って生活しているせいか、俺はうつらうつらと船を漕いでいた。ほとんど夜泣きをしない我が子だったがその前日の晩はよく泣いて、あまり寝られていなかったのもある。出産でずいぶん体力も消耗しているのだろう、毎日身体は重いしかったるくて仕方がない。
 ふと何かが頬にさわりと触れる感触に俺はそれを払いのける。虫か何かかと薄目を開けてぼんやりしていると、何かが目の端を過ぎり、俺はそれを瞳で追う。
 日が暮れてきているのだろう部屋の中は薄暗く、俺はもう一度目を凝らす。シズクの寝ているはずのベビーベッドの端でその紐はゆらゆらと揺れている。長い、紐……? あんな所に紐など置いていただろうか? ぼんやりそれを見続けていたらその紐はまるで生きているかのようにずるりと動き、俺は一気に覚醒する。

「っつ……!」

 見てはいけないものを見た気がした、俺がベビーベッドに駆け寄るとベッドの中でシズクはその紐――触手と戯れていた。俺がその触手をシズクから引き剥がそうと引っ張るとシズクは火が点いたように大きな声で泣き出した。それはもう今まで聞いた事もないような大きな泣き声に俺の手が緩む。するとその触手はするすると縮み、そして消えてなくなった。

「シズ……ク?」

 自分の見た物が信じられない、だってその消えた触手はまるで我が子に吸い込まれるように消えていったのだ、今は手も足も普通の子と変わらない、なのに――

「ぃああぁぁぁぁ!!!」

 訳も分からず叫び声が口を吐いて出た。シズクも大きな声で泣き続けている、けれど俺はそんな我が子を抱き上げる事が出来ない。だってこの子はやはり化け物なのだ、先程見た触手、それはシズクの手足の指が伸びていたのだ、そしてそんな触手とシズクは戯れていた。どういう事だ! どうなっている!?

「カズ!? どうした!!」

 俺の叫びに呼応するかのようにちょうど帰宅したのであろうライザックが家の中に飛び込んできた。ライザックは慌てたように室内を見渡し、何もないと悟ると泣き続ける我が子の元へと駆け寄った。そこにいたのは俺とシズクだけ、そしてベッドの上ではシズクが泣き続けている、それだけの状況を見れば子供に何かがあったのだろうと思うのは当然で、ライザックはシズクを抱き上げる。

「ライザック! 止めろ!!」
「? なんで? 何かあったのか?」
「その子は……」

 ライザックの腕に抱かれたシズクは微かに泣き声を小さくし、彼があやしているうちに機嫌を直して泣き止んだ。

「シズクがどうかしたのか?」

 ライザックがシズクを抱いたまま俺に近付いてくるのだが俺は反射的に後退る。シズクはライザックの腕の中大人しく抱かれている、だが俺はそれが恐ろしくて仕方がない。

「カズ……?」
「その子は……化け物だ」
「? カズは何を言っている?」

 不審気なライザックの表情、けれどもう俺の中で疑いは確信へと変わっていた。やはりシズクはあの占い師同様化け物なのだ。可愛いシズク、愛しい我が子、けれど綺麗に人の子に擬態しているが、その中身は……

「カズは疲れているのだな……すまない」

 そう言ってライザックは俺に手を伸ばし抱き寄せようとしたのだが、その腕の中のシズクが恐ろしくて仕方がない俺はそれを全力で拒否する。

「カズ……」

 途方に暮れたような表情のライザック、けれどそれは俺も同じ。心拍が上がる、どうしていいのか分からない。頭の隅を過るのは占い師の言った「産んでは駄目だ」という呪いにも似た言葉。少なくともこの子はこの世に生を受けるべき命ではなかったのだ。
 俺はベビーベッドに置きっぱなしのおくるみを引っ掴み、ライザックの腕の中にいるシズクに乱暴に被せて、そのままシズクを奪い取った。

「な、カズ! なにを!!」

 これは俺が生み出してしまった化け物だ、だとしたらコレをどうにかできるのもきっと俺だけ。戸惑い静止するライザックを振り払い、俺はシズクを抱きかかえて家を飛び出した。
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