刃のまにまに

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欲したものは

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 俺達が屋敷の中に戻ると、先程俺達が通された客間には別の客が通されていた。言わずもがな、これが座敷童の言う「タヌキ」で、真凛の祖父であるのはその姿形を見て一目で分かった。
 何故なら、その老人は蕎麦屋の軒先に置かれているようなタヌキの焼き物にそっくりな体型をしているのだ。酔っている訳ではないだろうが、顔も少し赤ら顔で、これで酒甕でも持てば完璧だろうというその姿に俺は思わず目を逸らした。だって、直視してたら爆笑してしまいそうだったのだから仕方がない。

「お義母さん、客人というのはこの方々ですか? 一体どのような用向きでいらっしゃってるのです? 見た感じご友人……という雰囲気ではありませんが」
「私が私の家に誰を招こうと貴方には関係のない事でしょう?」

 タヌキ親父の前に対峙するのは屋敷の主である珠子さん、俺達にはにこやかな笑みを見せてくれていた珠子さんだったが、タヌキ親父にはあまり良い感情を持っていないのか明らかに態度が素っ気ない。

「それよりも事前に連絡も寄越さずに訪問してくるなんて、相変らず貴方は礼儀がなっていらっしゃらないようね」
「たまたま真凛とこちらに来る用向きがあったもので、お義母さんもひ孫の顔を見られるのは嬉しいでしょう?」
「それはまぁ……でもその真凛の姿が先程から見えませんけどね」

 ははは、そりゃそうだ。その真凛は何故か屋敷を散策していて裏の座敷牢で今はコン太と座敷童の三人で留守番中だからな。

「奥様、ご依頼の件、ほぼ片がつきましたわ。蔵の清掃も終了いたしました」
「あら、あら……そう……」

 珠子さんが少し寂しげな表情だ。恐らく珠子さんは蔵に座敷童がいる事を分かっていたのだろう、本来なら俺達に彼女を諫めて欲しかったのだろうが、清掃終了の言葉を聞いて彼女も祓われてしまったと思ったのかもしれない。

「蔵……お義母さん、蔵は鍵を紛失したため開けられないと以前仰っていたように思うのですが?」

 タヌキ親父が奥様と凜々花さんの会話に口を挟む。

「あなたには関係のない話ですよ、庄司さん」
「何を言うのですか、お義母さん。この屋敷はいずれ真凛に相続させると以前仰っていましたよね、真凛はまだ幼いのですから、私がその辺きっちり把握をしておかなければ」
「それに関しては私から真凛に直接話をするのであなたは口を挟まなくて結構ですよ。それに、この土地家屋を真凛が相続しても、どのみち屋敷は取り壊してしまうのでしょう? だったら蔵の中身を知るのは真凛だけで充分よ」

 タヌキ親父は柔和な笑みを浮かべているのだが、どうにもその笑みは底が知れない感じがして気持ちが悪い。それにうっすらとだがタヌキ親父に被さるように何か黒いモヤのようなモノが視える。これはあまり良いモノじゃないな……

「お話し中に失礼します。蔵の中を拝見させていただき、不要と思われる物は処分させていただいたのですが、幾つか貴重な品だと思われる物も見付けたので、奥様には後でご確認いただきたいのですけれど」
「あら? 蔵に貴重品など……」
「おや、おやおやおや、それは大変だ。それは是非私にも立ち会わせていただきたいものですな」

 タヌキ親父を覆う黒いモヤが煙のように立ち上がる。ああ、これが強欲ってヤツか。蔵に金目の物があると分かって食いついてきたな。

「そちらのお客様は骨董などに興味がおありですか?」

 努めてにこやかに凜々花さんがタヌキ親父に声をかけた。

「おお! 私は骨董品には造詣が深いですぞ。蔵に骨董が置かれているというのであれば是非拝見させていただきたいものです。皿ですかな? 掛け軸ですかな? それとも……」
「庄司さん」

 奥様が諫めるようにかけた言葉を遮るようにして、御堂がタヌキ親父に見えないように奥様に向かって口元に人差し指を立てた。

「蔵の中に残されている品はとても貴重な代物ですよ。それこそお値段なんてつけられない程価値のあるモノです」
「お、おお!」

 タヌキ親父が完全に食い付いた。ってか、あの蔵、あんたのじゃないし、相続も真凛がするって言うならあんたには全く所有権なんてないのに、腹の中でその品の皮算用を始めていそうなタヌキ親父には呆れてしまう。

「そ、それでその骨董品とは一体……」

 凜々花さんがにっこり微笑みを浮かべながらタヌキ親父に擦り寄り、軽いボディタッチと共に耳元に唇を寄せる。凜々花さんは先にも述べたようにとても美人なお姉さんだ、そんな一挙手一投足にタヌキ親父は鼻の下を伸ばしている。分かりやすすぎるくらいに分かりやすいエロ親父だな!
 先程雄二さんが嫌な顔をした理由がよく分かる、そりゃあ自分の妻が目の前で他の男といちゃついてる姿なんて見たくないよな。ってか、それが分かっていたって事は憑きモノを祓う為にはこのボディタッチは必要だという事か。
 御堂に黙っていろと指示された奥様は何か言いたげではあるのだが、小さく首を振って沈黙した。
 タヌキ親父の耳元に唇を寄せた凜々花さんがタヌキ親父に何かを囁いているのだが、何を言っているのかまでは俺達の耳には聞こえてこない。けれど、その瞬間、タヌキ親父に覆いかぶさるモヤが一気に膨れ上がるのが分かって、俺は一歩後退った。

「み、御堂、アレ……」
「うん、分かってる。もう少しだから静かに」

 そうは言ってもそのモヤはもくもくと膨れ上がって部屋を覆いつくすような勢いだ。縁側で呑気に居眠りをしていた猫たちが起き上がり、こちらを向いて威嚇するように毛を逆立て始めた。
 凜々花さんが、タヌキ親父の指にするりと自分の指を絡ませて、胸をタヌキ親父に押し当てた。なんかもう、俺達は何を見せられているのかな? って感じだけど、これだけ部屋中に禍々しいモノが溢れているって事は上手くいってるって事だろうし、そもそも夫である雄二さんが何も言わないのだから俺がとやかく言える状況ではないと思う。
 俺が黙ってタヌキ親父と凜々花さんの動向を見守っていると、凜々花さんの片手が意味ありげにタヌキ親父の背後に回った。その片手はタヌキ親父の背中を撫で、そして黒いモヤを絡め取っていく。

「本当に庄司さんは博識でいらっしゃいますのね」
「はは、それほどでも。もしよろしければ今度私の一番のお気に入りを貴女に見ていただきたい」
「あら、嬉しい。で~も……」

 凜々花さんが絡め取ったモヤを引っ張るようにしてタヌキ親父を突き飛ばした。そして引きずり出されたモノとタヌキ親父を引き剥がすかのように片手に剣を顕現させてモヤと親父の繋がりを切り祓った。

「え? あ……?」
「ごめんなさい。私、人妻なのでよその殿方との逢引きはちょっと……これでも私、身持ちが固い女なんですよ」

 にっこり笑顔の凜々花さん、突き飛ばされたタヌキ親父は目を白黒させている、けれど俺達は実はそれどころではない、もしかしたらタヌキ親父には見えていないのかも知れないのだが、黒いモヤが宿主から切り離されて部屋中を飛び回り始め、耳障りな奇声を発している。

「な、ちょ、うるせぇ!」

 思わず俺が耳を抑えると、タヌキ親父はそれにもキョトンとした表情で、この頭が割れそうな程の奇声が聞こえないのかと、ちょっと羨ましい。元々霊感の強そうな奥様は青褪めたような表情なのだが、ぐっと耐えているようで気丈な人だとそう思う。

「なんなんだお前は! そっちからしなだれかかっておきながら失礼な女だな!」
「はいはい、庄司さん、怪我したくなかったら今は少し静かにしておいてくださいね」

 凜々花さんのタヌキ親父への扱いが途端にぞんざいになった。まぁ、そりゃそうだよな、用があったのはタヌキ親父にではなく、この人に憑いていた『強欲』と呼ばれたモノだ。
 ソレはタヌキ親父の中が余程居心地良かったようで、凜々花さんとタヌキ親父に襲い掛かる。けれど凜々花さんを中心にして丸い透明な球体がそれを阻んで退けた。

「御堂君!」
「分かってる」

 雄二さんが守るように珠子さんを背に庇う、御堂の手にはいつものように日本刀のような形に顕現した刀が握られていて、奇声を発し続ける黒いモヤにその刃を突き立てた。
 その瞬間、部屋がミシミシと音を立てて大きく揺れた。それはまるで巨大地震のようで俺も立っていられず、思わずしゃがみ込むと黒いモヤが何故か俺へと覆いかぶさってきた。

「……は?」

 一瞬何が起こったのか分からなかった。ソレは俺を包み込み耳元で更なる奇声を発した。それは声にならない叫び、得体の知れない感情なのか思考なのか、自分ではない何者かに意識を乗っ取られるような感覚に眩暈がした。
 欲しい。
 何が?
 金が欲しい、女が欲しい、名声が欲しい、この世界のありとあらゆる価値のある物を、称賛が欲しい、皆が羨むような生活が、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、、欲しい、欲しい、欲しい、欲しいこの世界の全てが、俺のモノなら……

「さあや、呑まれないで!」

 御堂の声が頭に響く。
 渦巻く感情、俺は何も持っていない。他人を羨んでも仕方がない生い立ちだという事を自覚している俺はこんなにも何かを欲しいと思った事はない。

『モット、欲望……ヲ、我ニ……』

 欲しい物なら幾らでもあった、級友が当たり前に持っているモノを俺は今まで何も持った事がない、ゲーム、自転車、パソコン、スマホ、その何ひとつとして俺は今まで手に取った事がない。それを羨む心が無かったといえば嘘になる、けれどこの渦巻くような思考は俺のモノではありはしない。
 俺の一番望むものはもう俺に与えられる事はない、俺の欲しいものは金では買えない、いくら欲望を植え付けられたとしても俺の欲しいものは二度と手に入ることなどないという事を俺はもう知っている。

「ああ、もう、うるさい! 御堂、これ何とかしろよ!!」
「言われなくても!」

 御堂の身体から淡い光が立ち上り、それが刀へと集約されていくのがモヤの向こう側うっすらと視認できる。これまでも何度か祓いは見てきたけど、御堂がこんな風になってるのは初めて見たな……いや、本当にそうだったか? 何かが記憶に引っかかる。
 俺はこんな光景を以前何処かで見た事があるぞ……?
 纏わりつく闇、耳をつんざくような悲鳴が聞こえた気がした、それは『強欲』の断末魔か、御堂の振るう刀が闇を切り裂いた。
 眩しい光に目が眩み瞳を細めると、目の前に映った光景は立ち尽くす御堂。険しい表情でこちらを見るその瞳には獰猛な陰が宿って見える。

「御、堂……?」
「はい、そこまで、御堂君! 気をしっかり持ちなさい!」

 凜々花さんが御堂の背中を叩く、それを見ていた俺の前にそっと差し伸べられた手。

「お疲れさま、優君」

 俺に手を差し伸べたのは雄二さん。何でだろう? この光景には覚えがある気がする。誰かの輪郭と雄二さんの顔がダブる。この記憶は一体なんだ?

「さあや、大丈夫?」
「え……あ、おお」

 雄二さんを押し退けるように御堂が俺に駆け寄って来た。俺は思い出せない記憶を頭を振る事で振り払う。
 雄二さんに代わるように目の前に現れた御堂に問答無用で抱きすくめられた、その刹那ぶわっと身体の中に熱が送り込まれて俺はまたしても崩れ落ちる。

「な、お前っ……!」
「ごめん、ちょっと今回増幅しすぎちゃったみたいでさ……凜々花――」
「はいはい、いいわよ、あとは任せて」

 御堂が俺をひょいっと担ぎ上げた。そして俺は御堂に担ぎ上げられたまま強制連行され、俺達が乗って来た車の後部座席に放り込まれる。

「御堂! お前なにや……んんっ!?」

 唇を唇で塞がれた。俺のファーストキス! なんて言葉が一瞬頭を掠めたのだが、そんな文句は再び御堂に送り込まれた熱によってあっという間に思考の彼方へと吹き飛ばされた。

「なっ……!? つっ――」

 俺は腹の中で暴れ回る熱い奔流を感じて瞳を閉じた。ヤバいこれ、今まで御堂から受け取った力の中で一番強い。意識を持っていかれそうだ。

「ごめんね、僕、まだ力の扱いが未熟でさ。家に着くまで寝てていいから」
「っ、こんなの……ごめんの一言で、済むかっっ!!」

 いつも飄々としている御堂が少し困ったような表情をしている。
 寝てていいと言われても、身体中を暴れ回る熱が身のうちを焼く。こんな熱に晒されて呑気に寝ていられる奴がいたら逆に尊敬するわ! 体内に籠り暴れ回る熱が熱すぎて寒気までしてきた俺は、車の後部座席に身を沈めて瞳を閉じた。
 今は御堂に文句を言っていても何にもならない、それなら体内で暴れ回っているこの熱を宥める方が先決だ。

「ううう、御堂、お前、覚えとけよ……」

 俺が自身の身体を抱くようにして後部座席で丸くなると、車は静かに発車した。
 いつも以上に身のうちで暴れ回る熱の制御が難しい。カーステレオからは少し気取ったジャズが流れ出し、静かな車内にゆっくりと響く。俺は車種の事はよく分からないのだが、御堂の所有するこの自動車がいわゆる高級車と呼ばれる類の物だという事は理解している。
 俺はあまり車に乗った事がないが施設が所有していたワゴン車に比べるとエンジン音も静かだし揺れも少ない。当たり前だが座席も広くて、こういう所が高級車の高級車たる所以なんだろうな。
 持っている奴は最初から何でも持っている。先程俺の身の内に入って来ようとした『強欲』が欲しい欲しいと強請っていた物の中にこういう物も含まれるのだろうが、俺はそんなモノを欲しいとは思わない。
 俺がずっと欲しているのは今も昔も変わらない、そう……それは俺の居場所だけ。
 俺は音楽に身を委ねるようにして力の制御に取り掛かった。

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