榊原さんちの家庭の事情

矢の字

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βだって愛されたい!①

事件

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 昼休み、教室でクラスメイトと弁当を食べていたらスマホが鳴った。誰だ? と思ってディスプレイを見てみれば、そこには樹の名前が明滅していた。

「もしもし、樹? どうした?」
「四季兄、ヤバイ……発情期ヒート、きちゃったかも」
「な……言わんこっちゃない! お前、今何処にいるんだ!?」
「一階の男子トイレの個室」
「分かった! すぐ行く、待ってろ!」

 少しだけ苦しそうな息遣い、その声だけで切羽詰まっている事を理解した俺は弁当を放り出して駆け出した。
 多数の学生が集う学校には学年に2・3人はαがいる、そいつ等に樹が見付かったら何をされるか分からない。なにせまだ学生のαは番相手を持っていない者がほとんどで、しかも一番精力盛んな年頃でもある、これ程ヒートを起こしたΩにとって危険な場所はない。 
 Ωのフェロモンはβには効かないとは言え、それだってどこまで信じていいのか分からない、だからこそ気を付けろとあれほど言ったのに!
 校舎の一階は多目的な教室が並び、通常クラスが並ぶ2階3階程トイレを使う人間は多くない。そんな男子トイレに飛び込むと、そこには一人の大柄な男子生徒が訝し気にこちらを見やった。
 俺よりも体格がいいその男が立っている場所のすぐ背後の個室の扉は閉まっている。

「樹!?」
「兄ちゃん!」
「良かった、無事か!」

 俺はほっと胸を撫でおろしたのだが、その瞬間目の前の男に何故か胸倉を掴まれた。

「邪魔だ」
「は!?」
「出て行け、アレは俺の物だ」
「な……」

 強い力で壁に押し付けられる。

「兄ちゃん、そいつαだっ! 僕、それでここから出られなくて……」

 なんてこった、こいつ樹の発情フェロモンにやられたαなのか!

「出て行けと言われて簡単に引き下がれるかっ! あいつは俺の大事な弟だ!!」
「弟……?」

 瞬間相手の腕が微かに緩み、俺は掴まれた腕を振り払う。

「あんたは樹のフェロモンにあてられているだけだ、悪い事は言わない、直ぐに出て行け」
「βのお前なんかに指示される筋合いはない!」

 少しばかり尊大な態度、それはαの特徴でもある。将来を約束されている才能を持ったαは周りからちやほやと育てられている事が多く、その上に胡坐をかいているような奴等は総じてプライドが高い。
 そう言えば、こいつの顔どこかで見た事があるな……確か2年のスポーツ特待生だったような……という所まで考えた所で脇腹に足蹴りをくらい俺は吹っ飛ぶ。あぁ……思い出した、こいつサッカー部のエースだ。サッカー部がその脚力を暴力に使うとか最低だぞ!

「っつ……」
「兄ちゃんっ!」
「お前はそこから出てくるなっ! あと誰かに応援要請! 早くっ!!」

 俺は自分の限界を知っている、俺はたぶんこいつには勝てない。それでも弟を見捨てて逃げるなど言語道断。俺は時間稼ぎになればいい、こんな暴力沙汰を起こして損をするのはお前の方だ。特待生なんて取り消されちまえ、馬~鹿!!!

「そいつが駄目ならお前が相手になるか?」
「はぁ!?」

 性的に興奮気味の男に乱暴に服を破かれた、男の俺なんか剥いても何も見るとこないんだからな! 少しは落ち着け!
 それにしてもΩのフェロモンはここまでαを狂わせるのかと俺は少し恐ろしくなる。けれど、それも一瞬で、俺は抑え込まれ男に肩口に歯を立てられた。

「痛っ! ちょ……おま……」

 男の犬歯が肩に食い込む、男は完全に常軌を逸していて、まるで野生の獣だ。

「ざけんなっ!」

 俺だって男だ、やられるばかりでは腹が立つ。一発みぞおちに拳をくれてやったのだが、ぎらりとした瞳をこちらに向けた男にそこから俺は殴る蹴るの暴行をくわえられた。
 ただ、それもそんなに長い時間ではなかったと思う、たぶん樹が誰かに助けを求めたのだろう、やって来た教師に男は取り押さえられ「兄ちゃん大丈夫?」と樹が俺の顔を覗き込んだ所まではおぼえているのだけど、俺の意識はそこまででその後の事を俺は覚えていない。



 目を覚ますと、そこはベッドの上だった。自室ではない無機質な白い壁に、ここは何処だ? と身動ぎをしたら「目が覚めたか?」と一縷兄ちゃんに顔を覗き込まれた。

「気分は悪くないか?」
「俺……どうしたんだっけ? ここ何処?」
「病院だよ、お前は暴行を受けて気を失っていたんだ。幸い外傷は青痣程度でそこまで酷くはないけれど……」

 そこまで言って兄が俺の肩口を撫でる。俺はそこにぴりっとした痛みを感じて眉を顰めた。そう言えば俺、あの特待生に噛み付かれたんだった。どうやら患部は既に何かしらの手当てがされているようで、その痛み以外は特に感触もないけれど、全く酷い目に遭ったものだ。

「樹は……?」
発情期ヒートが始まっていたから、母さん呼んで先に家に帰らせた」
「無事……?」
「あぁ、無事だよ」
「そっか、なら良かった……」

 安堵と共に身体の節々が痛む。骨に影響はなかったみたいだけど青痣だって内出血だ、しばらくはこの身体の痛みと付き合わないといけないのかと溜息が零れた。
 まぁ、それでも樹が最悪な事態にならなくて良かったよ。

「吐き気や特別不調がなければ帰ってもいいと医者に言われているが、どうする?」
「んん……特にそういうのはなさそう、かな?」

 俺の言葉に頷いた兄は「待っていろ」と言い置いて、病室を出て行った。
 あぁ、それにしても身体が痛い。のろのろとベッドから起き上がり、帰り支度を……と思った所で兄が病室に戻って来た。

「何をしている? 大人しく待っていろと言っただろう?」
「別に全く動けない訳じゃないんだし、帰り支度くらい自分で出来るよ」
「そこまで酷くないとは言えお前は怪我人、大人しくしていろ」

 そう言って兄はてきぱきと俺の帰りの準備を整えると、さも当然とばかりに俺を抱き上げた。

「!? ちょ……兄ちゃん!?」
「ん? 車椅子の方が良かったか?」
「そういう問題じゃない! 俺、普通に歩けるよ!」
「怪我人は大人しくしていろとさっきも言ったな?」
「それにしても、こんなの恥ずかしいだろ!」
「何を恥ずかしがる必要がある? お前は怪我人だと何度も言っている、こんな時くらい甘えてくれたっていいだろう?」

 甘えるとかそういう問題か? 子供じゃないんだから普通に考えてこれはおかしいだろ? 俺はおろしてくれと兄に何度も言ったのだが、結局そこは兄も譲らず、俺は兄に抱かれたまま病院を後にした。
 あぁ、恥ずかしくて、もうあの病院行けないよ……


 病院からは兄の車で、当然車から降りた後はまたしても抱き上げられた。しかも今度はお姫様だっこ、恥ずかしすぎる……しかも、そのまま連れて行かれたのは自室ではなく、何故か兄の部屋。

「なんで、こっち?」
「樹が発情期ヒートなの忘れたか?」

 あぁ、そう言えばそうだった。いつも樹が発情期の間、俺は部屋を締め出される。そういうものだと分かっているし、3か月に一回、1週間程度の事なので今までも俺はその期間をリビングで過ごすか、兄の部屋に転がり込むかして過ごしていた。でも、一縷兄ちゃんの部屋は久しぶりだな……

「俺、リビングでいいよ」
「駄目だ。少なくともその傷が癒えるまで、お前の面倒は俺が見る」

 ひどく真面目な表情の兄、けれどそれが何故なのかが分からない俺は「……なんで?」と、思わず首を傾げた。

「別に怪我だって大した事なかったし、まだ節々痛むけどそれだって直ぐに……」
「四季はそんなに俺に構われるのが嫌なのか?」

 ひどく拗ねたような表情の兄、別にそう言う訳じゃないけどさ。

「だって、兄ちゃんは仕事もあるし、そんな……」
「仕事なら一週間休みを貰って来た、俺はお前達をこんな目に遭わせた奴を叩き潰さないと気が済まない、だからこの休暇中に徹底的にやるつもりでいる。有休も溜まっていたんだ、ちょうどいい」

 ……え?

「だからお前はしばらく家で安静にしていればいいし、お前の面倒は俺が見る」

 にっこり笑顔の兄ちゃんが怖い。

「兄ちゃん、あいつに何する気?」
「お前は何も気に病む必要はない」

 いやいや、気に病むとかそれ以前の問題だろ!? 特待生の取り消しくらいはなっちまえって俺も思ったけど、一体あいつに何する気だよ!?

「お前にこんな傷を付けたんだ、相応の代償は払ってもらわなければな」

 そう言って兄が俺の肩口を撫でた。またしてもぴりっと引き攣れるような痛みを感じて俺は眉を顰める。

「別に俺Ωじゃないし、噛まれたくらいじゃどうにもならないし」

 俺があの特待生に噛まれたのは肩口だったのだが、たぶん奴が本当に噛みたかったのは俺のうなじなのだと思う。
 バース性の人間は本能で番相手を選び、その相手を選んだらαがΩの項を噛んで晴れて2人は番になるのだ。樹のフェロモンにやられたあの特待生は、性的欲求に負けて見境なく俺を襲った、それは本能から起こる行動なのだとバース性家庭で育った俺は知っている。
 俺が出て行けと言った時点であいつがあそこから退散してくれていたら、こんな事にはならなかった……発情期が近いのに無防備でいた樹も悪い、けれどαの側だって、自分がΩを傷付ける行動を取らないように気を付けるのは最低限のマナーだ。

「そういう問題じゃない、理性の弱いαは害悪だ、だからこうやってお前は傷付けられた、俺はそれが許せない」

 兄が何度も何度も指で俺の肩口に残っているのであろう噛み痕を撫でる。それ痛いから止めてくれないかな……それにしても兄ちゃん、これでいてガチでぶち切れてたんだな、淡々としてるもんだから気付かなかったよ。
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