そして彼女は別世界へ旅立った

く〜いっ

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16 動物の名を与えられた者と番号で呼ばれた者

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 王家の血統を守るため、王族に嫁ぐ女性には処女性が求められている。リルが歌った歌詞のとおりのことをしてきたのなら、彼女はその資格を失ってしまった。

 海を渡った遠い異国には、性を売る商売もあると、船乗りに聞いたことがある。だが、帝国にはそのような商売は表向き存在しない……表向き……だが。
 大陸戦争後、庶民や他国の人間の人権も帝国貴族同様に守られるべきものと、法律が定められた。根強い身分制度は残っているが、それでも人権を無視した人身売買は禁止され、おもに奴隷を娼婦としていた娼館が、帝国から消えた。
 現在、娼館で性を売ることは帝国法で禁止されている。娼館は酒や舞踊を見世物にする場と変わっていった。……裏では法外な値段で、貴族相手に性を売ることもあると聞くが……一夜に金貨数十枚が消えていく、娼館遊びは庶民を相手に値段設定されていない。帝国に庶民相手に性をにおわす店は存在しないのだ……

 ブィア鑑別所は、『鑑別所』を隠れ蓑にした庶民向けの、娼館だった。帝国法を無視し、性を売りものとした大陸戦争以前の娼館……父上は、ブィア鑑別所が戦時中にできた帝国の恥部だとおっしゃっていた。捕虜を拷問した歴史だけではなかったのだな……

 街からリルの世話を頼む女性を呼ぼうと思っても、場所がブィア鑑別所だとわかると泣いて嫌がられた。自分がブィア鑑別所で仕事をした……とうわさがたてば、自分も性を金で売る女だと思われる! 同類だと言われれば、罪人にされる! と、拒否された。

 「兄ちゃん、やりすぎてヤバイことになったのか? 死んだらさすがに領主様に怒られるが、治癒師が診ているなら平気だろ?」

 街まで世話係を探しに行った護衛は、そう言われたと言って戻ってきた。

 部屋から出ることを喜んでいたリルを、元の部屋に戻すことはしたくなく、ブィア鑑別所内で一番広い所長室に寝かせた。
 ブィア鑑別所内にはリルと同じように動けない者が残っていたため、その者たちの看病も治癒師にまかせている。本当はリルと他の人物を同室にしておきたくなかったのだが、部屋をわけられるだけの手がたりない……
 ブィア鑑別所は、庶民のあいだで『罪人相手に下品な遊びができる場所』として知れわたりすぎていた……

 『赤い白ウサギ』と呼ばれている鞭打ち痕で肌が真っ赤に腫れた女性と、『子豚の丸焼き』と呼ばれている火傷だらけの中年の女性は、衰弱しきっていた。リルのように足の腱を切られてはいなかったが、長いことブィア鑑別所にいるのだろう……ぼーっと天井を見つめたまま動かない。
 『子鹿のダンス』と呼ばれている少年は、睾丸を切り落とされていた。なにか、薬物でも使われているのだろうか? 肉棒は勃起し、つねに腰をカクカクと揺すっている。
 『14号』『21号』『24号』と呼ばれていた3人の男性たちは、舌を切られ去勢されていた。動物の名称で呼ばれていた者たちと違い、容貌は整っていない。やせ細った体には鞭打ちの痕が深く残り、短い首輪で床に拘束されていた。

 そして、『金のガチョウ』と呼ばれたリルにもまた、足の腱を切られただけでなく、深い鞭の痕が体中に残っていた。引きつれた痛々しい傷跡は、傷が完治してもリルの体から消えることはないだろう……拷問の歴史があるブィア鑑別所には、体を傷つける道具がそろいすぎていた。

 私は、続き部屋の執務室に陣取り書類の山と格闘している。

 再教育と労働奉仕の名のもとに、ブィア鑑別所でなにがおこなわれていたのか? 他の鑑別所でも同じことがおこっているのか?

 ブィア鑑別所の収支報告を確認しながら、こめかみをグリグリと押す。

 ――金のガチョウの羽毛:1金貨
 ――金のガチョウの料理:100トゥーリ硬貨
 ――金のガチョウの食事:1人5銅貨

 びくつきながら元下働きの男は、隠語で書かれた収支報告書の内容を説明する。

「羽毛は髪の毛で、金のガチョウの羽毛は高額がつくので定期的に収穫して……」
「収穫だと!」
「ひぇ! お許しを!」
「……つづけてくれ」
「料理は鞭打ちなど体罰をくわえること。食事は……閨の相手でございますです」

 下働きの男の視線が、おろおろと泳ぐ。

「金のガチョウは高貴な雰囲気で美しく、子鹿のダンスは可愛らしい顔の少年なのが人気で、他より高額でございます。反対に14号、21号、24号は見た目が悪いので安く、肉体労働に貸し出されるで、あります」

 金のガチョウの羽毛入り刺繍……40トゥーリ硬貨。刺繍……20トゥーリ硬貨……

 街の食堂に飾ってあったリルの金の糸を使った刺繍……まさか、リルの髪でさされたものだったとは……40トゥーリ硬貨? だと? リルの美しい髪が、おもちゃの指輪より安いなんて……

 庶民のこづかいで……簡単にリルを鞭打てる金額。収支報告に並ぶ『金のガチョウの食事』の文字は、数日食事のレベルをさげリルを抱きにきただろう男たちの下卑た顔を想像させた。ギリギリと食いしばった唇が切れ、口のなかに血の味がひろがる。

「食事をした者たちが、リルに下品な歌を教えこんだのか……」

 ぼそりとつぶやいた言葉に、下働きの男が反応する。

「歌でございますか? いえ、男は『食事』が好きなので、女たちの『料理』の成果でございますです。女たちは日頃のうっぷんばらしができるためか、美しい女を『料理』するのが好きでございましたです。はい。」
「女……たち?」
「はい。顔など見える部分に傷をつけることは、領主様に禁止されていますので、服でかくれる部分に傷をつけ、心を、言葉を貶めるのでございますです」

 子豚の丸焼きと呼ばれている女性は、街の宿屋の看板娘だった。「宿で性を売りものにしている」と領主の衛兵に囚われ、ブィア鑑別所に入れられたそうだ。女性の両親と入り婿が、冤罪を訴え裁判をおこした。女性との面会がかなったときには、自分の両親や旦那の名を呼ぶことができなくなるほど、心を殺されていたという……女性の姿を見た3人は、その晩、宿屋で首を括った。

 庶民の女たちが、私が守るべき民だちが、愛する者の名前を二度と口にできなくなるほど、他者の心を傷つける……リルは、女のアディにもおびえていた……リルも同じめにあっている。リルの悲鳴が耳にこだましズキズキとした頭痛をおこさせた。

 ――庶民の女たちのうっぷんばらしのせいで、リルは傷だらけになり、私は二度とリルに名を呼んでもらえなくなったかも知れないということか……

 下働きの男が語る女たちの残忍性を聞きながら、守るべき民たちが憎くて、ドロリとした汚泥のような感情が心に染みこんでいくのを感じていた。
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