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西羽咲 花月

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起動

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家に戻ると出向かてくれたお母さんがあたしの制服を見てしかめっ面をした。
汚れは落とすことができたけれど、破れたブラウスはどうにもならなかった。
「ただいま」
小さな声で言うと、大きなため息が帰ってきた。
「帰りが遅いと思ってたら、またイジメられたの?」
呆れた声に胸がズキリと痛む。
お母さんが呆れているのは見れば理解できた。
「もう少ししっかりしなさい」
あたしだってイジメられたくないけれど、それを理解しようとはしてくれない。
あたしは自室へむかいながら、数日前の出来事を思い出していた。
その日は美紀たちからのイジメが激しくて制服を汚して帰ってしまったのだ。
『靖子、それどうしたの?』
あたしの姿を見たお母さんは目を丸くして聞いてきた。
お母さんの姿を見た瞬間我慢していた涙がブワッとあふれ出す。
それからあたしはお母さんに美紀たち4人にイジメられていることを初めて告白したのだ。
でも……。
『あなたはもう高校生なのよ?』
そんな声に顔を上げると厳しい表情のお母さんが立っていた。
『え……?』
一瞬、なにを言われているのかわからなかった。
『自分の力でどうにかしてみなさい』
それはあたしのための言葉だった。

例えばあたしが小学生の小さな子供なら、こんな突き放したりはしなかっただろう。
だけどあたしはもう17歳。
来年には就職や進学という悩みもリアルになってくる。
イジメ問題くらい、自分で解決しないといけない。
そう思ったんだと思う。
『どうして自分がイジメにあうのか、よく考えなさい』
その言葉を思い出してあたしは大きくため息を吐き出して、ベッドにダイブした。
お母さんの言いたいことはよくわかる。
あたし自身に非があったのなら、ちゃんと改善した方がいいことも理解している。
でも、なにもかも嫌になった気分だ。
イジメも、声をかけてきたおばあさんも、わけのわからないアプリも。
「全部、なくなっちゃえばいいのに」
あたしはそう呟いて、きつく目を閉じたのだった。

☆☆☆

次に目を覚ました時、窓の外は真っ暗になっていた。
慌ててサイドテーブルの目ざまし時計を確認してみると、夜中の3時を指している。
いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。
制服姿のままだったことを思い出し、ベッドからノロノロと起き出して着替えをする。
その時、スマホが光っていることに気がついた。
確認してみると《恐怖アプリ》が勝手に起動されていることに気がついた。
「なによこれ」
眉間にシワを寄せる。
画面には《復讐したい相手の顔写真をUPしてください》と、赤い文字で書かれている。
あたしはそれを無視して、シャワーへと向かったのだった。

☆☆☆

シャワーを浴びてようやく汚れを落としたあたしはスッキリとした気分で自室へ戻った。
まだ4時前だから、もう少し眠れる時間だ。
顎の痛みも引いていて見た目も問題なくて、ひと安心だ。
ベッドへ戻ったとき、さっきサイドテーブルに投げ出したスマホが視界入った。
画面を確認してみると、まだ《復讐したい相手の顔写真をUPしてください》の文字が表示されている。
画面を元に戻そうとしても、また操作がきかなくなっている。
「もう、なんなのよ」
ブツブツと文句を言いながら、机の中から2年D組の写真を取り出した。
とにかく誰かの写真をUPすればアプリが閉じてくれるかもしれない。
そう思ったのだ。
あたしはD組の写真を苦々しい気分で見つめた。
この写真を見て思い出されるのはイジメられている時の記憶ばかりだ。
「どうせだから、嫌な奴の写真にしよう」
呟き、ハサミで靖の顔だけ切り取った。
靖は美紀たちイジメっこの金魚のフンだ。
自分がイジメのターゲットにされたくないから、必死で美紀たちの機嫌を取っているのは明白だった。
靖の顔を撮影したあたしは《恐怖アプリ》にそれをUPしたのだった。

☆☆☆

翌日目を覚ますと憂鬱な気分だった。
また1日が始まってしまった。
「学校行きたくないなぁ」
思わず呟く。
今日仮病を使って休むことはできるけれど、そうなると夢が学校で1人になってしまう。
それに、昨日の今日で休むなど言ったらお母さんになんと言われるかわからない。
休めば楽になるというのはただの妄想だと感じていて。
仕方なくベッドから起き出してリビングへ向かった。
キッチンからはすでに朝ごはんのいい匂いがしている。
食欲はなかったけれど、用意されている卵焼きをどうにか食べて家を出た。
今日はとてもいい天気で温かい。
できればこのままどこか遠くへ行ってしまいたかった。
しかし、足は学校までの慣れた道のりを歩き始める。
嫌だと思いながらも別の道を歩いていくことができない。
そんな自分に嫌気がさしてくる。
そして学校が近付いてきた時だった。
同じ制服姿の生徒たちと混ざって歩いていると、前方に靖の姿を見つけた。
歩みは自然と遅くなる。
朝っぱらから見たくない顔だ。
できるだけ靖と距離を置いて歩いていた、そのときだった。
スマホを見ながら歩いていた靖が足もとのドブに気がつかず、はまってしまったのだ。
あたしはギョッとして立ち止まる。
同時に周囲から笑い声が聞こえてきて、思わず噴き出してしまった。
靖は慌てて足を引き上げたが、時すでに遅し。
白いスニーカーはドブ色に染まり、歩いて登校している生徒たちは靖から逃げるようにして通り過ぎている。
すごいところを見ちゃった。
笑いをこらえながら、足早に靖の横を通りすぎた。
幸い、靖はドブにはまってしまったことがショックだったようで、あたしには気がつかなかったのだった。

☆☆☆

頑張って登校すれば、朝からこんなに面白いものを見ることもあるんだ。
いい気分になって2年D組の教室に入ると、夢が駆け寄ってきた。
「靖子、昨日のアプリ大丈夫だった?」
挨拶もなしにそう聞いてくる。
よほど心配だったみたいだ。
「なんか変な気はするけど、今のところなんともないよ」
返事をして席へ向かう。
夢はホッとしたようにほほ笑んだ。
「よかった。あのおばあさん一体なんだったんだろうね?」
「本当にそうだよね。あたしからスマホを奪った時の動き、おばあさんのものじゃなかったよ」
あたしは昨日の出来事を思い出して言う。
あの俊敏な動きはあたしでも無理っぽい。
「そういえば、夜中にあのアプリが勝手に起動してたんだよね」
「え、それってやっぱりヤバイんじゃないの?」
夢がまた心配そうな顔をするので、あたしは左右に首を振った。
「ただ写真をUPしただけだから大丈夫」
「それって、アプリの説明にあったやつ?」
聞かれてあたしは頷いた。

「誰の写真をUPしたの?」
途端に小声になる夢。
なんだかんだ言って、そういうところは気になるみたいだ。
「靖の写真にした」
あたしがそう言うと、夢はキョロキョロと周囲を見回した。
「そう言えば靖、今日はまだ登校してきてないね?」
もう美紀たちも来ているのに、靖の姿は見えない。
あたしは今朝靖がドブにはまった場面を思い出し、こらえきれずに笑ってしまった。
美紀たちが怪訝そうな顔をこちらへ向けてきたので、慌ててそっぽを向く。
「靖は今朝ドブにはまったんだよ。だから一旦帰って靴とか履き替えてくるんじゃないのかな?」
その説明に一瞬夢はキョトンとした表情を浮かべ、それから笑い始めた。
「ドブって、嘘でしょう?」
「本当だよ。あたしの目の前にいたんだから」
思い出してもやっぱり面白い。
スマホばかり見て歩いているから、あんなことになるんだ。
「それってさ、アプリの力ってこと?」
ひとしきり笑った夢が言う。

「え?」
あたしは目を見開いて夢を見た。
「だって、靖の写真をUPしたんだよね? それで、恐怖を与えられたってことじゃないの?」
「そうなのかな……?」
靖がドブにはまったこととアプリを関連付けて考えてなどいなかったので、あたしは驚いてしまった。
でも、そんなことあるはずない。
これは単なる偶然だ。
そう思ったのに……。
不意にポケットの中のスマホが震えて、あたしは画面を確認した。
またアプリが勝手に起動されていたようで、赤い文字で《恐怖を与えました》と書かれていたのだ。
「なにこれ」
なんだか気味の悪さを感じて顔をしかめる。
「まさか、今朝の出来事は本当にアプリのおかげだったりしてね?」
「まさか、そんなことあるはずないじゃん」
あたしがそう返事をしたとき、アプリは勝手に閉じてしまったのだった。

☆☆☆

靖はホームルームには遅刻したけれど、ちゃんと登校してきていた。
ドブにはまったということはもちろん黙っていて、美紀たちと変わらぬ日常を過ごしている。
つまり、あたしと夢をイジメているということだ。
「ほんと、腹立つ」
昼休憩中、トイレに立ったあたしは鏡へ向けて呟いた。
「靖のこと?」
隣りで手を洗う夢が聞いてくる。
「うん。ドブにはまったくせにさ」
「それ、何度も言うよね」
夢が笑いながら言う。
美紀たちと一緒にいる時の靖は気が大きくなるようで、一番嫌みを言ってくるのだ。
その度につい今朝のことを口走りそうになってしまう。
それを言うと自分たちがどうなるかわかっているから、我慢しているけれど。
「さ、早く戻ってご飯にしようよ」
夢にせかされて、あたしはトイレから出たのだった。

教室へ入った瞬間、クラスメートたちの視線を感じた。
ある者は憐みの視線を。
ある者は見下した視線を。
ある者は興味のなさそうな視線を向ける。
その視線にからめとられたあたしは嫌な予感がして、夢と目を見かわせた。
そして美紀たちへ視線を向ける。
案の定、美紀たちはあたしたち2人を見てクスクスと笑い合っている。
トイレに行っている間になにかされたのは明白だった。
なんどもやられていることなのに、教室に入ったこの瞬間はとてもつもなく嫌な気分になる。
あたしたちの味方なんてどこにもいないのだと、突き刺さる視線に思い知らされるから。
自分の席へ戻った夢が大きく息を吐き出すのを見た。
夢の机の上にはお弁当箱が置かれている。
しかし、それは蓋をあけられ、逆さまになっていたのだ。
「夢……」
「大丈夫大丈夫。今日は食堂で食べたいと思ってたんだよね」
夢の明るい声に、安堵するクラスメート。
そしてつまらなさそうに舌打ちするクラスメート。
「そ、そっか。じゃあ行こうか!」
あたしは自分のお弁当を持って、夢と2人で教室を出た。
一刻も早くここから立ち去りたいと思った。
夢が無理して笑っている時間を少しでも減らしてあげたかった。

食堂に到着するとようやく一息つけた気がした。
夢はおにぎり2つとお茶を買って、あたしの隣に座った。
「ここにいたらあいつらいないし、毎日食堂で食べてもいいくらいだよね」
あたしはお弁当のウインナーを口に運んで言った。
教室でいつなにをされるかわからずドキドキしているよりも、ずっとマシだ。
「そうだよね。今度からそうしようか」
夢も笑っている。
でも、そんなちょっとした会話もすぐに打ち消されることになった。
入口から靖が入ってきたのだ。
まさか追いかけてきたのだろうか。
そう思って警戒する。
しかし、入ってきたのは靖1人で、美紀たちの姿はなかった。
「お、なんだよお前らこんなところで食ってんのか」
小銭を握り締めた靖はあたしたちに気がついて声をかけてきた。
自然と表情が険しくなるのを感じる。
「あ、そっかー。弁当ひっくり返されたんだっけ? ひっでーことするやつがいるよなぁ」
靖は大声でそう言い、下品な笑い声を上げる。

夢がうつむき、下唇を噛みしめた。
「ところであの弁当早く片付けろよ? 教室中くっせーくっせー!」
靖は鼻をつまんで夢へ向けて言った。
その言動に自分の中で何かがキレるのがわかった。
気がつけばイスを倒して立ちあがっていた。
靖を睨みつける。
「なんだよお前」
靖は少しひるみながらもあたしを見下ろす。
さすがに身長で勝つことはできない。
「なによ。今朝ドブにはまったくせに! あたし見てたんだからね!」
思わず言ってしまった。
靖が唖然とした顔で硬直する。
周囲にいた見知らぬ生徒たちが、間を置いて笑いだした。
「ドブにはまったんだってよ」
「ダッセー」
「やだあの人、恥ずかしくないのかなぁ?」
そんな声があちこちで聞こえてきたとき、靖の顔がカッと赤くなっていった。
「だ、黙れ!!」
靖は怒鳴り声を上げると、何も買わずに食堂から出ていったのだった。

☆☆☆

靖に怒鳴り返した時、気分はとてもスッキリとしていた。
たったこれだけで普段からのイジメをチャラになんてできないけれど、それでも晴れ晴れする。
しかし、それもだんだんと薄れていき、じきに後悔が襲ってきた。
「あんなこと言っちゃって、どうしよう……」
教室までの帰り道、あたしは落ち込んでしまっていた。
靖にあんなことを言ったらただじゃすまないことくらいわかっていた。
きっともっとひどいイジメを受けることになる。
考えただけで気分が悪くなってきてしまった。
「その時はあたしも一緒だから大丈夫だよ」
夢があたしの手を握って言った。
その温かさに少しだけホッとしたのだった。
しかし、予想に反して今日は平穏な一日を過ごすことになった。
イジメのリーダーである美紀が早く帰宅したため、他の3人も帰ってしまったのだ。
こんな放課後は久しぶりのことだった。

「なぁんか、平和だね」
久しぶりに早く帰れることもあり、あたしと夢はのんびりと河川敷を歩いていた。
天気もいいし、川も綺麗だし、ベンチに横になって昼寝したくなってくる。
「本当だね。最近毎日放課後は呼び出しだったもんね」
夢が苦笑して言う。
毎日放課後になるとイジメられるなんて、あたしたちはどれだけ不幸なのだろうかと思ってしまう。
それでもこうして学校に行きつづけることができるのは、1人じゃないからだった。
「そうだ。ついでに宿題やっちゃおうかな」
ベンチに座り、鞄からプリントを取り出す。
今日の宿題はこれ1枚だからそんなに時間もかからない。
「いいね。2人でやったら早いよね」
夢も同意してプリントを取り出す。
さっそく問題を読んで行こうとした、その時だった。
強い風が吹いて、手元のプリントを舞上げたのだ。
「あっ!」
咄嗟に手を伸ばすが届かない。
プリントはどんどん風に飛ばされて、川に落ちてしまった。
このままじゃ流されちゃう!
慌てて川岸まで走り、靴と靴下を脱いで川に入った。
流れは穏やかで水もそれほど冷たくない。

「靖子大丈夫?」
「平気平気!」
夢に片手をあげて見せてプリントを拾い上げた。
プリントはビショビショに濡れてしまって、乾かさないと使い物にならなくなってしまった。
「あ~あ、せっかく終わらせようとしたのに……」
こんなときに限って強い風が吹くなんて、つくづくついてない。
あたしは濡れたプリントを下敷きに張り付けた。
天気もいいし、こうしておくと勝手に乾くはずだ。
「スマホなってない?」
夢に言われて確認すると確かにスマホが光っていた。
「え?」
画面を確認して呟く。
「どうしたの?」
覗き込んできた夢にあたしはスマホ画面を見せた。
そこには赤い文字で『損失を与えました』と書かれているのだ。
あたしと夢は目を見かわせる。
そして今拾ってきたプリントを見つめた。
まさか、損失ってこれのこと?
だとしたら靖がドブにはまったことがアプリの仕業だったってこと?
混乱する頭を整理したいが、どう考えればいいかわからなかった。
「靖子、今すごく混乱してるでしょ?」
「そりゃ混乱するよ。これってどういうことだと思う?」
スマホ画面はすでに元に戻っていて、アプリも勝手に閉じられていた。
「よし、確認してみようか!」
夢はそう言うと、勢いよく立ちあがったのだった。

☆☆☆

なにが起こっているのか確認するためにやってきたのはあたしの家だった。
久しぶりに友達を連れて帰ったことにお母さんは驚き、そんなお母さんを尻目にあたしは自室へ向かった。
「へぇ、ここが靖子の部屋かぁ」
夢は珍しいものを見るようにあたしを部屋を眺める。
「やめてよ恥ずかしいから」
と言っても変わったものはなにも置いていない。
ベッドに机に本棚にテーブル。
簡素な部屋だということは自分が一番よくわかっていた。
「で、確認ってどうするつもり?」
お母さんがジュースを持ってきてくれたところで、あたしは本題に入った。
「もちろん、またこのアプリを使ってみるんだよ」
夢はテーブルの向こうから身を乗り出して言った。
あたしはその考えに目を見開く。
「本気で言ってるの? このアプリは危ないと思ってたんじゃないの?」
「それは今でも思ってるよ。だけど使ってみないとわからないことも多いと思うよ」
夢はそう言ってオレンジジュースを一口飲んだ。
「それはそうだけど……」
まさか夢がアプリを使ってみようと言い出すなんて思っていなかったから、驚いた。

「それに、さっきのが靖子への損失なら痛くもかゆくもないよね?」
さっき見ずに濡れたプリントは乾いて、ちゃんと文字が書けるまでになっていた。
「確かに、そうだけどさ」
「それに比べて靖はドブにはまったんでしょう? それって最高だと思わない?」
今朝の出来事を思い出すと、また笑えてきてしまう。
昼間靖が顔を真っ赤にしていたのも面白かった。
「じゃあ、もう1度だけ使ってみようか」
あの靖の顔を思い出すとあたしもアプリを使ってみたくなってしまった。
「誰にする?」
あたしはアプリを起動して夢に聞く。
「次も靖でいいと思うよ? あいつ、ただの金魚のフンなのにすごく調子乗るんだから」
そう言われて、あたしはもう1度靖の写真をアプリに取り込んだ。
「たったこれだけで勝手に恐怖を与えることができるの?」
「そうみたいだよ」
あたしは頷く。
理屈などは全くわからないけれど、とにかくそういうことになっているみたいだ。
「ふぅん?」
夢は不思議そうな顔をして頷いたのだった。

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