命令教室

西羽咲 花月

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減っていく友人

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教室でずっと泣きじゃくっていた香のことが心配で、私は夜になると香の部屋を訪れていた。
電気もつけていない暗い部屋で香はひとり、うずくまっていた。


「香、大丈夫?」


そう声をかけても顔を上げてくれない。
今日は他の子たちもみんな夕食を食べる気分じゃなくなってしまって、それぞれの部屋に引きこもっていた。


「お腹すいてない? 菓子パンがあったから、もらってきたの」


できるだけ明るい声を出して、菓子パンを香に差し出す。


「ジュースも持ってきたよ。本当に、食べ物だけは沢山あるよね。山の中の合宿所だから、こういうものしか娯楽がないのかなぁ?」


香の横に座り込んで自分の菓子パンを開ける。
チョコレートの甘い香りがふわりとかおってきて、なくなっていた食欲が少しだけ復活するのを感じた。
パックの野菜ジュースにストローを突き刺して一口飲むと、甘いリンゴの味が広がった。
あれだけ走らされてなにもかもがすり減ってしまった体に染み込んで行く。


「……美味しそうだね」


香がようやく弱い声を出した。


「香の分もあるよ」

やさしジュースにストローを差して差し出すと、香はそれを素直に受けとった。
一口飲んで少しだけ口角を上げる。


「おいしい」

「だねぇ。普段野菜ジュースなんてそんなに飲まないけど、たまにはいいよね」


ここで準備されていなかったら、滅多に選ぶことのない飲み物だ。


「うん。ありがとうね、歩」

「なに言ってんの? 私はただ夕飯を香と一緒に食べたかっただけ」


そう答えてチョコレートパンにかぶりつく。
甘みが口いっぱいに広がって、疲労が解けていくように感じられる。
それを見た香も菓子パンに手を伸ばした。


「人が食べてるのを見るとお腹が空いてくるよね」


同じ味のパンをかじって香が呟く。


「そうだね」

「食欲がなくても……お腹、すくよね」


香の声が震えた。
私はパンを食べるのを止めて香を見つめる。
香の両目からは大粒の涙がボロボロとこぼれ出していた。


「どんどん友達がいなくなって、悲しくて、なにもしたくないのに……お腹すいちゃうんだよね」


私は香の体を抱きしめる。


どれだけ辛くても、悲しくても、生きていく者は最低限のことはしなくちゃいけない。
食事はその最低限の中に入っているものだ。


「先生も、潤も、彩も花も……みんな、もうこれ、食べられないのに!」


香が手の中でパンを握りしめた。
ギュッと形を崩したパンは居心地が悪そうだ。


「大丈夫だよ香。私達はみんなの分まで生きていかなきゃいけないんだから」


それは自分へ向けた言葉でもあった。
修に励まされて、それでも納得できなかった自分への言葉。
たとえここから出ることができなかったとしても、それでも生きている限りは生命活動を続けるべきだ。
弱っている香を目の前にすると、強くそう感じることができた。


「明日にはまた命令が書かれてるのかな。それで、また誰かが消えるのかな」


香が独り言のようにぶつぶつと呟く。
きっとそうなるだろう。
ううん、明日こそなにかが変わるかも知れない。
私は何も答えられず、ただ香を抱きしめ続けていたのだった。


☆☆☆

その日、結局私は香の部屋で朝を迎えていた。
寄り添って座ったまま、何度かうつらうつらした程度だ。
昨日走ったせいで全身が筋肉痛で悲鳴をあげている。

できればこのまま香とふたりで昼まで眠っていたい気分だった。
それでもどうにか重たいまぶたをお仕上げてふたりで部屋を出た。
ずっと引きこもっていたら、他の子たちに心配をかけてしまうから、ひとまず顔を出さなきゃいけない。
階段を降りるときには足が痛くてふたりして涙目になりながら、どうにか足を進めていった。


「食堂には誰もいないね」


部屋を出た時間がいつもより少し遅かったせいか、食堂には誰の姿もなかった。
けれどなにかを食べた後の匂いだけは残っている。


「香、なにか食べる?」

「ううん。まだいいや」


昨日の晩は菓子パン一個しか食べていなかったけれど、食欲はまだ回復していないみたいだ。
私もあまり食べる気分にはなれなくて、そのまま教室へ向かうことになった。


「みんなおはよう」


声をかけて教室に集まっていたメンバーに声をかける。
そこにいたには修、充、正志、純子、未来の全員だ。


「遅くなってごめんね」


声をかけながら教室に入ると修が複雑な表情を浮かべてこちらへ視線を向けた。
なにかあったんだ。
そう直感して、香と共に近づいていく。


「どうしたの?」


聞くと修は視線だけでホワイトボードを確認するように促してきた。
ということは、今日もなにかがそこに書かれたということに違いない。
私は1度キツク目を閉じる。
昨日ほど過酷な命令だったらどうしようと、心臓が早鐘を打ち始める。

だけど確認しなければ、そして命令をちゃんと実行しなければ今日消えてしまうのは自分かもしれない。
覚悟を決めて目を開ける。
ホワイトボードに書かれた文字は……。


『誰かを自殺させる日』


全身が凍りついて、なにも考えられなくなった。
周囲の音がかき消えて、目の前の文字を凝視し続ける。


「ありえねぇだろ」


充の声でハッと我に返った。


「な、なにこれ。自殺って?」


『自殺』という言葉を自分の口から発した瞬間に寒気が走った。
そんな恐ろしいこと、できるわけがない。
誰かを自殺させる?
なにをふざけたことを……!


「自殺させるってことは、追い詰めるってことか?」


正志が誰にともなく質問している。
そんなの知らない。
知りたくもない!
私は耳を塞いでその場に座り込んでいた。


「1日で、自殺するまで追い詰めるなんてできる?」


それでも嫌でも聞こえてくるみんなの声。
みんなはもう、ホワイトボードの命令に従うつもりでるんだろう。


「精神的に追い詰めるのは無理だと思う。だから、物理的に自殺するしかない状態にして……」


なんで?
なんでそんな話が普通にできるの?
みんなここに閉じ込められて、極限状態に陥って、おかしくなってしまったのかもしれない。

私は勢いよく立ち上がるとホワイトボードを両手で押し倒していた。


「こんな命令きく必要ない! こんなのおかしいよ!」


ホワイトボードの文字を手でこすって無理やり消そうとする。
しかし文字は一向に消える気配がない。


「歩、やめろ!」


止めに入ったのは修だった。
後ろから両手で羽交い締めにされて、ホワイトボードから引き離される。


「離してよ! 離して!!」


いくらもがいてみても男の力には敵わない。
私は再び床に座り込んでいた。


「みんなだって色々考えたんだ。誰かを自殺させるなんて無理だと思ってた。でも……やらないと、また誰かが消える。それならって話になったんだ」


それなら?
誰かが消えるなら、誰かを自殺させてもいいってこと?
私は両手で顔を覆った。
自然と涙が溢れ出してくる。
こんなのおかしい。


絶対におかしいのに、従わないといけない。
理不尽な命令に感情が入り乱れてしまう。


「正直、もっと遅く来てたら歩たちがターゲットになってたと思う」


耳元で囁かれた言葉にハッと息を飲んで顔を上げた。
修は真剣な表情をしている。


「ここではできるだけみんなと一緒に行動した方がいい。じゃないと……」


修がそこまで言ったとき、突然香が出口めがけて駆け出した。


「香!?」


声をかけても振り向かずに教室の外へと飛び出していく。


「ちょっと待って! どこに行くの!?」


私は慌てて香の後を追いかけたのだった。


☆☆☆

全身筋肉痛とは思えない速さで香は階段を駆け上がっていた。
一段飛ばしで、屋上へと続く階段を。


「香待って、お願い!」


必死についていくけれど追いつくことができず、なんどもコケてしまいそうになる。
ようやく追いついたときには香は屋上に出ていた。


「どうしたの、香」


肩で呼吸をしながら聞くけれど、香は答えなかった。
私に背中を向けて立っている。
屋上には風で擦れて消えかけているSOSの文字と、燃やしたプリントの残骸が残されていた。

必死に助けを求めたあの日。
結局誰にも私達の存在を知らせることはできなかった。
思い出して胸がギュッと締め付けられる。
ヘリの姿はあれ以来見ていない。


「ねぇ香。教室に戻ろうよ」


一歩近づいたとき、香がフェンスに両手をかけた。


そのままスルスルとよじ登っていく。


「香、なにする気!?」


慌てて駆け寄ったときにはもう、香はフェンスの向こう側に立っていた。


「もう……嫌なの」


その声はひどく震えていて、泣いているのがわかった。


「そんなこと言わないで。きっと大丈夫だから」

「なにが大丈夫なの? 本当はなにも大丈夫じゃないよね?」


香の声は弱々しい。
攻めている感じはしないのに、私の胸に突き刺さってくる。


「私は香と一緒にここから出たいよ。離れたくないよ!」

「だけど今日、また1人消えるよ? それが私や歩じゃないとは言い切れない」

「でも……っ」


香の言っていることが正しくてなにも言えなくなってしまう。
今日の命令に失敗すれば7人のうちの誰かが消える。
生徒の人数は確実に減っていて、消える確率は高くなっている。


「香お願い、こっちを向いて!」


私の呼びかけに香はゆっくりと左右に首を振った。


「ごめん、できない」

「どうして!?」


「今振り向いたら、きっと決意が揺らいじゃう。だけど、私はもう耐えられないの。今日の命令がなかったとしても、きっと耐え続けることはできなかった。だからこれは誰のせいでもない」


香の声が風に流されていく。
呆然と立ちつくていると後方から足音が近づいてきた。
振り向くと、そこに立っていたのは充だ。


「充お願い! 香を助けて!」


充ならきっと強引にでも香を引き戻すことができるはずだ。
フェンスの向こう側に行って、香の手を掴むことができればそれでいい!
でも……充は左右に首を振ったのだ。


「え?」

「助けられない」

「なに言ってるの!?」


香はまだそこにる。
手を伸ばせば助けられる距離に立っている!


「俺だって消えたくないんだよ!」


充が苦痛に顔を歪めて叫んだ。


「教室では今誰が死ぬかでもめてる。修が止めに入ってるけど、それもいつまでもつかどうかわからねぇ」

「そんなっ!」


すでに誰かを犠牲にすると決めている子たちが、香を助けてくれるとは思えない。
私は唇を引き結んでフェンスに近づいた。
それなら、自分がやるしかない。


「香、大丈夫だからね。今そっちに行くから」

「来ないで!!」


香がようやく振り向いた。
その顔は涙がグチャグチャに濡れている。
死ぬことへの恐怖が張り付いている顔だった。


「私なら大丈夫。これで楽になれるんだから、大丈夫なんだよ」


死ぬのが怖くない人間なんていない。
いくら絶望していても、絶望できるということはまだ生きているということなんだから。
香の手がフェンスから離れて体がグラリと揺れた。


「ダメ!!」


叫んで手を伸ばす。
しかしフェンスの隙間から香の体を掴むことはできなかった。
香の体は私の前からふっと姿を消すように、落下したのだ。


「あ……うそ……」


ついさっきまでそこにいた香は今はもうどこにもいない。
心臓がドクンッと大きく撥ねて嫌な汗が吹き出してくる。


「香、そんな……」


ふらふらと後ずさりをしてその場に尻もちをついてしまった。
コンクリートに体を打っても痛みはほとんど感じなかった。
香が……死んだ。


「いやあああああああ!!」


私は自分でも気が付かない内に絶叫していたのだった。



☆☆☆

香が死んだ。
そんなのは嘘だ。
これは悪い夢に決まっている。
私はふらふらと教室へ向かって階段を降りていた。

ともすれば足を滑らせてそのまま落ちてしまいそうになる。
その度に後ろからついてきていた充が「危ない!」と、声をかける。
どうにか教室へ戻るとそこにはすすり泣く未来と純子の姿があった。
私を見つけて修が駆け寄ってくるが、その顔は青ざめている


「今……」


そう言って口を閉ざしてしまった。
香が立っていたのはこの教室の真上辺りだった。
だからきっと、落ちてくる様子が窓から見えてしまったんだろう。

私はふらふらと足をもつれさせながら窓辺へ近づいて行った。
そして下を見下ろしてみるが、そこにはなにもない。
落ちたはずの香はどこにもいなかった。
そしてホワイトボードには『誰かを自殺させる日 成功』と、書かれていたのだった……。


合宿参加者

山本歩 山口香(死亡) 村上純子 橋本未来 古田充 小高正志 安田潤(死亡) 東花(死亡) 町田彩(死亡) 上野修

担任教師

西牧高之(死亡)


残り6名
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