3 / 14
8月1日
しおりを挟む
布団の中で起床の音楽を聞いた私はのろのろと上半身を起こして、窓からの日差しに目を細める。
眠れなかったせいで頭が重たくて、体もなかなかいうことをきかない。
それでもどうにか着替えだけ済ませると廊下へ出た。
「歩おはよぉ!」
元気のいい香の声がガンガンと頭に響く。
「って、どうしたのその顔!?」
「眠れなくて……」
「いつものベッドじゃないと落ち着かなかった?」
その質問に私は曖昧に頷き返す。
昨日の出来事は言わない方がいいかもしれないと、なんとなく感じていた。
それから1階まで降りてくるとすでに数人の生徒たちが洗面台に並んでいた。
「おはようふたりもと」
後ろからそう声をかけられて振り向くと寝起きの修が立っていた。
ふらりとした猫っ毛に寝癖がついていて、可愛らしい。
修を見た瞬間眠気が吹き飛んでしまう。
「お、はよう」
たどたどしく挨拶をして笑みを作るけれど、まだ洗顔もしていない自分の顔を覆い隠してしまいたくなった。
「修くんの寝起き、可愛いね」
隣の香がこそっと耳打ちをしてくる。
私は無言のまま何度も頷いた。
修のこんな姿を見ることができるなんて、やっぱり今回の合宿は参加して正解だった!
朝から私の心臓はドキドキと忙しい。
「目の下にクマができてるけど、眠れなかったんだ?」
修に目ざとく見つけられて思わず目元を手で隠す。
「ちょっと、色々あって……」
もちろん、深夜部屋を抜け出したことや入ってはいけない部屋に入ってしまったことは言えない。
「結構繊細なんだな」
そう言って笑う修にドキドキしてしまう。
自分の顔がカッと熱くなるのを感じていると、廊下の奥から純子と未来のふたりがやってきた。
その後方には充と正志の姿もある。
私は咄嗟に4人から視線を離した。
昨夜の話をされるかと思ったが、4人は朝食で何を作るかという話題で盛り上げっていて、ひとまず安堵する。
今の所誰にもバレていないみたいだ。
先生にもバレてなきゃいいけれど……。
再び昨日聞いたうめき声を思い出して、私は一抹の不安を抱いたのだった。
☆☆☆
結局不安は杞憂に終わった。
先生は朝食を作っている間も、食べている間も特になにも言ってこなかったのか。
本当にバレていないのか、それとも知っていてみんなの前で黙っていてくれているのかはわからないけれど。
怒られるとしても他の生徒たちが居ない場所でだろう。
修に知られることがなくて安心している間に、あっという間に朝食の時間は終わってしまった。
今朝作ったのは卵焼きとウインナーの炒めものだ。
昨日の内にタイマー予約していたお米がまだ炊けていないというハプニングはあったものの、それ意外は楽しい時間になった。
それから1時間後、私達生徒は1階の教室に集まっていた。
これから本格的に勉強が開始されるのだと思うと少し気が重たい。
教室から見える窓の外の景色はだだっぴろいグラウンドだけだし、なんだかちょっと物足りない気持ちになってくる。
席は自由なので私と香は窓際の席に並んで座ることにした。
「最初の1時間は数学のプリントをしてもらう。わからないところがあったら、遠慮なく質問しろよー」
先生はそう言いながら順番にプリントを配ってくれる。
普段は各科目専門の先生がいるけれど、今回は担任の西牧先生ひとりが5科目を教えてくれることになっている。
つまり、私達の成績はそれくらい悪いということなんだけど……。
配られたプリントを見ると軽くメマイを感じた。
白い紙に上から下までびっしりと問題が印刷されている。
これを見ているだけで眠くなってしまいそうだ。
特に寝不足な私は本当に眠ってしまわないように注意しなきゃいけなかった。
「なにこれ、全然わかんない」
隣の香はさっそく頭を悩ませている。
他の子たちも似たりよったりで、西牧先生は開始早々に引っ張りだこだ。
あれだけあちこち行き来していたら、少しくらい眠ってしまっても気が付かれないかもしれない。
私は口元に手を当てて大あくびをする。
あくびをしたせいで涙が滲んできてプリントの文字が読めなくなった。
「歩、全然勉強する気ないでしょ」
香に言われて苦笑いを浮かべる。
今頃になってこんなに眠くなるなら、昨日少しでも眠っておけばよかった。
と、今更後悔してももう遅い。
私は吸い込まれるように夢の中へ落ちていったのだった。
☆☆☆
どれくらい時間が経過しただろうか。
先生の「なんだこれは?」という声が聞こえてきて私の意識が浮上した。
てっきり自分の居眠りがバレたのかと思って緊張したけれど、それにしてはさっきのセリフはおかしい。
居眠りを指摘するなら『起きろ』とか『朝だぞ』なんて言うのが普通だ。
まだ半分眠っている頭を無理やり起こして教室内を見回してみると、みんなプリントに飽きてしまったのか、膝の上で本を広げていたり、スマホをいじっていたりする。
先生は教室前方に置かれているホワイトボードを見つめていた。
「どうしたんですか?」
先生に声をかけたのは未来だ。
「これ、なんだかわかるか?」
そう言って生徒に見えるように体をずらすと、ホワイトボードには『誕生日を祝う日』と書かれていた。
私は目をパチクリさせてその文字を見つめる。
「誕生日って、今日誰か誕生日なの?」
未来が誰にともなく質問するけれど、数人の生徒が左右に首を振っただけだった。
もちろん、私も違う。
「今日は8月1日か。でも別に誕生日のヤツはいないんだな?」
先生呼びかけにまた数人が頷いた。
きっと誰かが勘違いしてあんなものを書いたんだろう。
先生はホワイトボードの文字を消していく。
そして私達はまた数学のプリントと向き合う事になったのだった。
☆☆☆
「もう、全然わかんなかった!」
2時間の勉強が終わって昼休憩に入ったとき香が泣きそうな顔で言った。
「私も。もうちょっと簡単な問題にしてくれないと、一週間も持たないよね」
数学と国語のプリントはどちらも難しくて半分も理解できなかった。
ただひとり、修だけは黙々と問題を説いていたから、やっぱり頭がいいんだろうなと関心する。
「さて、今日の昼はオムライスだ」
食堂へ移動してきてから先生が献立を発表する。
最初に聞いていた通り食材は充分にあるので、卵をふんだんに使うことができそうだ。
「俺オムライスって作ったことないな」
偶然近くにいた修が声をかけてきて緊張が走る。
「そ、そうなんだ。簡単だよ?」
「へぇ。さすがだね」
なんでもこなしてしまう修にそう言われると照れてしまう。
「こ、これくらい、練習すれば誰でもできるから」
早口で言いながら大きなボールに卵を割り落としていく。
修にジッと見られていると、つい手元が狂ってしまいそうになるから要注意だ。
「それより、大丈夫?」
泡立て器を使って卵をかき混ぜていると、心配そうな修の目と視線がぶつかる。
「え、なにが?」
「さっき居眠りしてたでしょ? 普段そういうことないから気になってて」
居眠りをしていたところを見られていたことが恥ずかしくて手が止まってしまう。
同時に普段から修が自分を見ていたことがわかって反応に困ってしまった。
私のこと見ていてくれたんだ?
なんて、もちろん言えないし。
「ね、寝不足だったから」
「あぁ、そうだよね。目の下にクマができてたもんね」
「まだ、できてる?」
聞くと修はグイッと体を寄せてきた。
急に近づいた距離に心臓がドクンッと大きく撥ねる。
思わず後ずさりしてしまいそうになるのをグッとこらえた。
「少しマシになってる。昨日は眠れなかったんだっけ?」
「う、うん」
「じゃあ、今日はちゃんと眠れるといいね」
そう言ってニッコリと微笑む顔にやられてしまう。
昨日は恐怖で眠れなかったけれど、今日は別の意味で眠れないかもしれない。
そんな予感がしていたのだった。
☆☆☆
みんなで作ったオムライスはとてもおいしくておかわりまでしてしまった。
お腹がいっぱいになって眠気は加速していく。
午後からも勉強があるというのに、やる気は全く出てこない。
「やっぱり修くんに告白するべきだって!」
連れ立ってトイレにやってきた香が、手を洗いながらそう言ってきた。
「こ、告白なんて、そんな……!」
鏡の中自分の顔は真っ赤だ。
人を好きになったことは何度かあるけれど、告白したことは1度もない。
だいたい、小学校の頃先生を好きになったとか、近所のお兄さんを好きになったとか、その程度の恋しかしたことがなかった。
そんな私がやっと恋らしい恋をした相手が修だった。
「でもさ、修くんも絶対に歩のこと気にしてるって!」
「そ、そうかなぁ?」
首をかしげながらもそれは自分でも実感できていることだった。
この合宿へ来てから、修はなにかと私に声をかけてきてくれている。
でもそれはただの偶然かもしれないし、舞い上がるにはまだ早い気がする。
「とにかく歩はもっと自身持って!」
パンッと背中を叩かれて一瞬のけぞる。
そして私は苦笑いを浮かべたのだった。
☆☆☆
午後からの勉強は自分の苦手科目を自習するというものだったけれど、午前中にも増して教室内はやる気がなかった。
お腹が膨らんでいることもあって、みんな眠気と戦っている。
修だけは黙々と科学の教科書を読んでいて、本当に関心させられるばかりだ。
こうしてはいられない。
修の隣に立ちたいのなら自分だってもっと頑張らない!
そう思い直して自分に気合を入れる。
午前中にもやった数学のプリントを取り出して、できていない部分に目を走らせる。
正直これだけじゃ意味がわからないから、何度も手を上げて先生に質問をした。
学校の授業だといまいち理解できない問題でも、こうして一対一で教えてもらえると頭に入ってきやすい。
どうしてもできなかった問題が解けたときには開放感が体を支配する。
「やった、できた!」
思わず小さな声で言ってガッツポーズを取る。
チラリと香に視線を飛ばしたつもりが、その奥にいる修と視線がぶつかった。
修が口パクで「よかったね」と言うのが見えて、また顔が熱くなる。
私は何度か頷いて、そのままうつむいてしまったのだった。
☆☆☆
午後の勉強もどうにか終わって、窓から夕日が差込始めた頃。
教卓の前に立った先生が「今日は1日よく頑張ったな」と、生徒たちを見回した。
ちゃんと勉強していた者。
ほとんどサボっていた者と様々だけれど、みんなの顔にも開放感が浮かんでいる。
この合宿が終わるころにはみんな少しでも勉強が得意になってればいいけれど。
「それじゃこれから休憩して、夕飯の準備を……」
そこまで言って途端に言葉を切る。
先生の視線はホワイトボードへと向いていて、眉間にシワが寄った。
どうしたのだろうと私もホワイトボードへ視線を向けると、そこには『誕生日を祝う日。失敗』と書かれていたのだ。
「なんだこれは」
先生が怪訝そうな表情でホワイトボードへ近づいていく。
「誰だ、ラクガキしたのは?」
先生の質問に答える生徒はいない。
みんな目を身交わせて左右に首を振っている。
でも、勉強の間に休憩時間もあったから、その間に誰かが書いたのだということだけはわかっていた。
こんなラクガキをするってことは、今日が誕生日の生徒がいるのかもしれない。
名前は名乗らずにこっそり祝ってもらおうとしているのかも。
そう考えてクスッと笑う。
こんな回りくどいことをしなくても、みんな祝ってくれるのに。
「もしかして安田じゃね?」
正志の言葉に全員の視線が教室前方に座る安田潤に向かう。
「ぼ、僕じゃ……ないよ」
この合宿に参加して初めて潤の声を聞いたかもしれない。
その声は学校と同じで聞き取れないほど細くて小さい。
「ウソつけ。お前自分の誕生日を祝ってほしいけど言えないからあんなラクガキしたんだろ」
正志はすっかり決めつけている。
潤はうつむいて左右に首をふるだけだ。
「それとも花や彩だったりして?」
未来が潤の隣に座るふたりへ矢面を向ける。
名指しされた花と彩がビクリと肩を震わせた。
ふたりとも地味で目立たないタイプだから、自分の誕生日だということを大々的に言えなかったのかもしれない。
「それなら、祝ってあげたらいいじゃん」
言ったのは香だ。
その声に相手を責めているような響きはない。
単純にお祝い事をしてあげればいいと考えているみたいだ。
私もその意見に同意だった。
ホワイトボードの前に立った先生が潤と花と彩を交互に見つめる。
3人ともとまどい、困っている様子だ。
「もしかして、3人とも違うの?」
私が聞くと3人は同時に頷いた。
その反応に首をかしげる。
他にそれらしい生徒はいないし、どういうことなんだろう?
ラクガキするにしてもその内容がよく理解出来ないものだから、ひっかかる。
「まぁいい。誰かのイタズラだろ」
先生がホワイトボードの文字をイレーザーで消していく。
結局誰が書いたのかわからないままだけれど、気にするような内容じゃないからまぁいっかという雰囲気が教室内に流れる。
それよりも早く教室から出て自由になりたい。
今晩の献立はなんだろう。
そんな私語が聞こえ始める。
私も1日の疲れを体で感じていて、両手を天井へ向けて伸ばす。
ぐーっと体が伸びて気持ちよくなったとき、コトンッと音がした。
その乾いた音はホワイトボード付近から聞こえてきて、ついさっき先生が持っていたイレーザーが床に落ちている。
え……。
突然のことでなにが起こったのか理解できなかった。
ホワイトボードの文字は半分消されて半分残っている状態で、先生の姿がこつ然と消えていたのだ。
「え、なに?」
純子が唖然とした声で呟く。
「先生はどこにいったんだ?」
続いて正志の声。
「意味わかんないんだけど!?」
未来がパニック寸前の高い声を上げる。
私はようやく両手をゆるゆると下ろして教室内を見回した。
先生はついさっきまで確実にホワイトボードの前にいた。
それが今どこにもいなくなっているのだ。
「もしかしてマジックじゃねぇの?」
そう言ったのは充だ。
「ほら、人間が急に消えるやつ」
そう言えば先生は簡単なマジックを練習したことがあると言っていたっけ。
実際に学校の休憩時間にトランプマジックを見せてもらったこともある。
プロのマジシャンとまではいかなくても、結構上手だったはずだ。
「人体が消えるなんて、めっちゃ大掛かりなマジックだよ?」
純子は眉を寄せている。
確かに、床に抜け道があったり後ろの壁がドアになっていたりするのが、人体マジックのタネだ。
この施設にそんな大掛かりなものがあるとは思えない。
「よっし! タネを探そうぜ!」
正志はそう言うと勢いよく立ち上がったのだった。
☆☆☆
一番怪しいのはやっぱりホワイトボードだ。
この教室には黒板があるのに、ホワイトボードも置かれている。
もしかしたら先生が人体マジックをするために事前に用意したものかもしれなかった。
私たちはホワイトボードの前に集まって周辺を取り囲んだ。
「特に変わったところはないみたいだけどな」
修がクルクルとホワイトボードを回転させて確認している。
ペンで書いてみても普通に書けるし、もちろん消すこともできる。
それなら怪しいの床だ。
先生が立っていた付近の床板が外れるようになっているのかもしれない。
そう考えてしゃがみこんで確認していくけれど、それらしい箇所は見当たらない。
ホワイトボード後方の壁にも異常は見られなかった。
「どういうこと?」
香の深刻な声。
未来はすでに青ざめている。
「とにかく先生を探そう。きっと施設内にはいるだろうから」
修の提案によって、私達はそれぞれ先生を探すことになったのだった。
眠れなかったせいで頭が重たくて、体もなかなかいうことをきかない。
それでもどうにか着替えだけ済ませると廊下へ出た。
「歩おはよぉ!」
元気のいい香の声がガンガンと頭に響く。
「って、どうしたのその顔!?」
「眠れなくて……」
「いつものベッドじゃないと落ち着かなかった?」
その質問に私は曖昧に頷き返す。
昨日の出来事は言わない方がいいかもしれないと、なんとなく感じていた。
それから1階まで降りてくるとすでに数人の生徒たちが洗面台に並んでいた。
「おはようふたりもと」
後ろからそう声をかけられて振り向くと寝起きの修が立っていた。
ふらりとした猫っ毛に寝癖がついていて、可愛らしい。
修を見た瞬間眠気が吹き飛んでしまう。
「お、はよう」
たどたどしく挨拶をして笑みを作るけれど、まだ洗顔もしていない自分の顔を覆い隠してしまいたくなった。
「修くんの寝起き、可愛いね」
隣の香がこそっと耳打ちをしてくる。
私は無言のまま何度も頷いた。
修のこんな姿を見ることができるなんて、やっぱり今回の合宿は参加して正解だった!
朝から私の心臓はドキドキと忙しい。
「目の下にクマができてるけど、眠れなかったんだ?」
修に目ざとく見つけられて思わず目元を手で隠す。
「ちょっと、色々あって……」
もちろん、深夜部屋を抜け出したことや入ってはいけない部屋に入ってしまったことは言えない。
「結構繊細なんだな」
そう言って笑う修にドキドキしてしまう。
自分の顔がカッと熱くなるのを感じていると、廊下の奥から純子と未来のふたりがやってきた。
その後方には充と正志の姿もある。
私は咄嗟に4人から視線を離した。
昨夜の話をされるかと思ったが、4人は朝食で何を作るかという話題で盛り上げっていて、ひとまず安堵する。
今の所誰にもバレていないみたいだ。
先生にもバレてなきゃいいけれど……。
再び昨日聞いたうめき声を思い出して、私は一抹の不安を抱いたのだった。
☆☆☆
結局不安は杞憂に終わった。
先生は朝食を作っている間も、食べている間も特になにも言ってこなかったのか。
本当にバレていないのか、それとも知っていてみんなの前で黙っていてくれているのかはわからないけれど。
怒られるとしても他の生徒たちが居ない場所でだろう。
修に知られることがなくて安心している間に、あっという間に朝食の時間は終わってしまった。
今朝作ったのは卵焼きとウインナーの炒めものだ。
昨日の内にタイマー予約していたお米がまだ炊けていないというハプニングはあったものの、それ意外は楽しい時間になった。
それから1時間後、私達生徒は1階の教室に集まっていた。
これから本格的に勉強が開始されるのだと思うと少し気が重たい。
教室から見える窓の外の景色はだだっぴろいグラウンドだけだし、なんだかちょっと物足りない気持ちになってくる。
席は自由なので私と香は窓際の席に並んで座ることにした。
「最初の1時間は数学のプリントをしてもらう。わからないところがあったら、遠慮なく質問しろよー」
先生はそう言いながら順番にプリントを配ってくれる。
普段は各科目専門の先生がいるけれど、今回は担任の西牧先生ひとりが5科目を教えてくれることになっている。
つまり、私達の成績はそれくらい悪いということなんだけど……。
配られたプリントを見ると軽くメマイを感じた。
白い紙に上から下までびっしりと問題が印刷されている。
これを見ているだけで眠くなってしまいそうだ。
特に寝不足な私は本当に眠ってしまわないように注意しなきゃいけなかった。
「なにこれ、全然わかんない」
隣の香はさっそく頭を悩ませている。
他の子たちも似たりよったりで、西牧先生は開始早々に引っ張りだこだ。
あれだけあちこち行き来していたら、少しくらい眠ってしまっても気が付かれないかもしれない。
私は口元に手を当てて大あくびをする。
あくびをしたせいで涙が滲んできてプリントの文字が読めなくなった。
「歩、全然勉強する気ないでしょ」
香に言われて苦笑いを浮かべる。
今頃になってこんなに眠くなるなら、昨日少しでも眠っておけばよかった。
と、今更後悔してももう遅い。
私は吸い込まれるように夢の中へ落ちていったのだった。
☆☆☆
どれくらい時間が経過しただろうか。
先生の「なんだこれは?」という声が聞こえてきて私の意識が浮上した。
てっきり自分の居眠りがバレたのかと思って緊張したけれど、それにしてはさっきのセリフはおかしい。
居眠りを指摘するなら『起きろ』とか『朝だぞ』なんて言うのが普通だ。
まだ半分眠っている頭を無理やり起こして教室内を見回してみると、みんなプリントに飽きてしまったのか、膝の上で本を広げていたり、スマホをいじっていたりする。
先生は教室前方に置かれているホワイトボードを見つめていた。
「どうしたんですか?」
先生に声をかけたのは未来だ。
「これ、なんだかわかるか?」
そう言って生徒に見えるように体をずらすと、ホワイトボードには『誕生日を祝う日』と書かれていた。
私は目をパチクリさせてその文字を見つめる。
「誕生日って、今日誰か誕生日なの?」
未来が誰にともなく質問するけれど、数人の生徒が左右に首を振っただけだった。
もちろん、私も違う。
「今日は8月1日か。でも別に誕生日のヤツはいないんだな?」
先生呼びかけにまた数人が頷いた。
きっと誰かが勘違いしてあんなものを書いたんだろう。
先生はホワイトボードの文字を消していく。
そして私達はまた数学のプリントと向き合う事になったのだった。
☆☆☆
「もう、全然わかんなかった!」
2時間の勉強が終わって昼休憩に入ったとき香が泣きそうな顔で言った。
「私も。もうちょっと簡単な問題にしてくれないと、一週間も持たないよね」
数学と国語のプリントはどちらも難しくて半分も理解できなかった。
ただひとり、修だけは黙々と問題を説いていたから、やっぱり頭がいいんだろうなと関心する。
「さて、今日の昼はオムライスだ」
食堂へ移動してきてから先生が献立を発表する。
最初に聞いていた通り食材は充分にあるので、卵をふんだんに使うことができそうだ。
「俺オムライスって作ったことないな」
偶然近くにいた修が声をかけてきて緊張が走る。
「そ、そうなんだ。簡単だよ?」
「へぇ。さすがだね」
なんでもこなしてしまう修にそう言われると照れてしまう。
「こ、これくらい、練習すれば誰でもできるから」
早口で言いながら大きなボールに卵を割り落としていく。
修にジッと見られていると、つい手元が狂ってしまいそうになるから要注意だ。
「それより、大丈夫?」
泡立て器を使って卵をかき混ぜていると、心配そうな修の目と視線がぶつかる。
「え、なにが?」
「さっき居眠りしてたでしょ? 普段そういうことないから気になってて」
居眠りをしていたところを見られていたことが恥ずかしくて手が止まってしまう。
同時に普段から修が自分を見ていたことがわかって反応に困ってしまった。
私のこと見ていてくれたんだ?
なんて、もちろん言えないし。
「ね、寝不足だったから」
「あぁ、そうだよね。目の下にクマができてたもんね」
「まだ、できてる?」
聞くと修はグイッと体を寄せてきた。
急に近づいた距離に心臓がドクンッと大きく撥ねる。
思わず後ずさりしてしまいそうになるのをグッとこらえた。
「少しマシになってる。昨日は眠れなかったんだっけ?」
「う、うん」
「じゃあ、今日はちゃんと眠れるといいね」
そう言ってニッコリと微笑む顔にやられてしまう。
昨日は恐怖で眠れなかったけれど、今日は別の意味で眠れないかもしれない。
そんな予感がしていたのだった。
☆☆☆
みんなで作ったオムライスはとてもおいしくておかわりまでしてしまった。
お腹がいっぱいになって眠気は加速していく。
午後からも勉強があるというのに、やる気は全く出てこない。
「やっぱり修くんに告白するべきだって!」
連れ立ってトイレにやってきた香が、手を洗いながらそう言ってきた。
「こ、告白なんて、そんな……!」
鏡の中自分の顔は真っ赤だ。
人を好きになったことは何度かあるけれど、告白したことは1度もない。
だいたい、小学校の頃先生を好きになったとか、近所のお兄さんを好きになったとか、その程度の恋しかしたことがなかった。
そんな私がやっと恋らしい恋をした相手が修だった。
「でもさ、修くんも絶対に歩のこと気にしてるって!」
「そ、そうかなぁ?」
首をかしげながらもそれは自分でも実感できていることだった。
この合宿へ来てから、修はなにかと私に声をかけてきてくれている。
でもそれはただの偶然かもしれないし、舞い上がるにはまだ早い気がする。
「とにかく歩はもっと自身持って!」
パンッと背中を叩かれて一瞬のけぞる。
そして私は苦笑いを浮かべたのだった。
☆☆☆
午後からの勉強は自分の苦手科目を自習するというものだったけれど、午前中にも増して教室内はやる気がなかった。
お腹が膨らんでいることもあって、みんな眠気と戦っている。
修だけは黙々と科学の教科書を読んでいて、本当に関心させられるばかりだ。
こうしてはいられない。
修の隣に立ちたいのなら自分だってもっと頑張らない!
そう思い直して自分に気合を入れる。
午前中にもやった数学のプリントを取り出して、できていない部分に目を走らせる。
正直これだけじゃ意味がわからないから、何度も手を上げて先生に質問をした。
学校の授業だといまいち理解できない問題でも、こうして一対一で教えてもらえると頭に入ってきやすい。
どうしてもできなかった問題が解けたときには開放感が体を支配する。
「やった、できた!」
思わず小さな声で言ってガッツポーズを取る。
チラリと香に視線を飛ばしたつもりが、その奥にいる修と視線がぶつかった。
修が口パクで「よかったね」と言うのが見えて、また顔が熱くなる。
私は何度か頷いて、そのままうつむいてしまったのだった。
☆☆☆
午後の勉強もどうにか終わって、窓から夕日が差込始めた頃。
教卓の前に立った先生が「今日は1日よく頑張ったな」と、生徒たちを見回した。
ちゃんと勉強していた者。
ほとんどサボっていた者と様々だけれど、みんなの顔にも開放感が浮かんでいる。
この合宿が終わるころにはみんな少しでも勉強が得意になってればいいけれど。
「それじゃこれから休憩して、夕飯の準備を……」
そこまで言って途端に言葉を切る。
先生の視線はホワイトボードへと向いていて、眉間にシワが寄った。
どうしたのだろうと私もホワイトボードへ視線を向けると、そこには『誕生日を祝う日。失敗』と書かれていたのだ。
「なんだこれは」
先生が怪訝そうな表情でホワイトボードへ近づいていく。
「誰だ、ラクガキしたのは?」
先生の質問に答える生徒はいない。
みんな目を身交わせて左右に首を振っている。
でも、勉強の間に休憩時間もあったから、その間に誰かが書いたのだということだけはわかっていた。
こんなラクガキをするってことは、今日が誕生日の生徒がいるのかもしれない。
名前は名乗らずにこっそり祝ってもらおうとしているのかも。
そう考えてクスッと笑う。
こんな回りくどいことをしなくても、みんな祝ってくれるのに。
「もしかして安田じゃね?」
正志の言葉に全員の視線が教室前方に座る安田潤に向かう。
「ぼ、僕じゃ……ないよ」
この合宿に参加して初めて潤の声を聞いたかもしれない。
その声は学校と同じで聞き取れないほど細くて小さい。
「ウソつけ。お前自分の誕生日を祝ってほしいけど言えないからあんなラクガキしたんだろ」
正志はすっかり決めつけている。
潤はうつむいて左右に首をふるだけだ。
「それとも花や彩だったりして?」
未来が潤の隣に座るふたりへ矢面を向ける。
名指しされた花と彩がビクリと肩を震わせた。
ふたりとも地味で目立たないタイプだから、自分の誕生日だということを大々的に言えなかったのかもしれない。
「それなら、祝ってあげたらいいじゃん」
言ったのは香だ。
その声に相手を責めているような響きはない。
単純にお祝い事をしてあげればいいと考えているみたいだ。
私もその意見に同意だった。
ホワイトボードの前に立った先生が潤と花と彩を交互に見つめる。
3人ともとまどい、困っている様子だ。
「もしかして、3人とも違うの?」
私が聞くと3人は同時に頷いた。
その反応に首をかしげる。
他にそれらしい生徒はいないし、どういうことなんだろう?
ラクガキするにしてもその内容がよく理解出来ないものだから、ひっかかる。
「まぁいい。誰かのイタズラだろ」
先生がホワイトボードの文字をイレーザーで消していく。
結局誰が書いたのかわからないままだけれど、気にするような内容じゃないからまぁいっかという雰囲気が教室内に流れる。
それよりも早く教室から出て自由になりたい。
今晩の献立はなんだろう。
そんな私語が聞こえ始める。
私も1日の疲れを体で感じていて、両手を天井へ向けて伸ばす。
ぐーっと体が伸びて気持ちよくなったとき、コトンッと音がした。
その乾いた音はホワイトボード付近から聞こえてきて、ついさっき先生が持っていたイレーザーが床に落ちている。
え……。
突然のことでなにが起こったのか理解できなかった。
ホワイトボードの文字は半分消されて半分残っている状態で、先生の姿がこつ然と消えていたのだ。
「え、なに?」
純子が唖然とした声で呟く。
「先生はどこにいったんだ?」
続いて正志の声。
「意味わかんないんだけど!?」
未来がパニック寸前の高い声を上げる。
私はようやく両手をゆるゆると下ろして教室内を見回した。
先生はついさっきまで確実にホワイトボードの前にいた。
それが今どこにもいなくなっているのだ。
「もしかしてマジックじゃねぇの?」
そう言ったのは充だ。
「ほら、人間が急に消えるやつ」
そう言えば先生は簡単なマジックを練習したことがあると言っていたっけ。
実際に学校の休憩時間にトランプマジックを見せてもらったこともある。
プロのマジシャンとまではいかなくても、結構上手だったはずだ。
「人体が消えるなんて、めっちゃ大掛かりなマジックだよ?」
純子は眉を寄せている。
確かに、床に抜け道があったり後ろの壁がドアになっていたりするのが、人体マジックのタネだ。
この施設にそんな大掛かりなものがあるとは思えない。
「よっし! タネを探そうぜ!」
正志はそう言うと勢いよく立ち上がったのだった。
☆☆☆
一番怪しいのはやっぱりホワイトボードだ。
この教室には黒板があるのに、ホワイトボードも置かれている。
もしかしたら先生が人体マジックをするために事前に用意したものかもしれなかった。
私たちはホワイトボードの前に集まって周辺を取り囲んだ。
「特に変わったところはないみたいだけどな」
修がクルクルとホワイトボードを回転させて確認している。
ペンで書いてみても普通に書けるし、もちろん消すこともできる。
それなら怪しいの床だ。
先生が立っていた付近の床板が外れるようになっているのかもしれない。
そう考えてしゃがみこんで確認していくけれど、それらしい箇所は見当たらない。
ホワイトボード後方の壁にも異常は見られなかった。
「どういうこと?」
香の深刻な声。
未来はすでに青ざめている。
「とにかく先生を探そう。きっと施設内にはいるだろうから」
修の提案によって、私達はそれぞれ先生を探すことになったのだった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
友梨奈さまの言う通り
西羽咲 花月
児童書・童話
「友梨奈さまの言う通り」
この学校にはどんな病でも治してしまう神様のような生徒がいるらしい
だけど力はそれだけじゃなかった
その生徒は治した病気を再び本人に戻す力も持っていた……
なんでおれとあそんでくれないの?
みのる
児童書・童話
斗真くんにはお兄ちゃんと、お兄ちゃんと同い年のいとこが2人おりました。
ひとりだけ歳の違う斗真くんは、お兄ちゃん達から何故か何をするにも『おじゃまむし扱い』。
スペクターズ・ガーデンにようこそ
一花カナウ
児童書・童話
結衣には【スペクター】と呼ばれる奇妙な隣人たちの姿が見えている。
そんな秘密をきっかけに友だちになった葉子は結衣にとって一番の親友で、とっても大好きで憧れの存在だ。
しかし、中学二年に上がりクラスが分かれてしまったのをきっかけに、二人の関係が変わり始める……。
なお、当作品はhttps://ncode.syosetu.com/n2504t/ を大幅に改稿したものになります。
改稿版はアルファポリスでの公開後にカクヨム、ノベルアップ+でも公開します。
ヴァンパイアハーフにまもられて
クナリ
児童書・童話
中学二年の凛は、文芸部に所属している。
ある日、夜道を歩いていた凛は、この世ならぬ領域に踏み込んでしまい、化け物に襲われてしまう。
そこを助けてくれたのは、ツクヨミと名乗る少年だった。
ツクヨミに従うカラス、ツクヨミの「妹」だという幽霊、そして凛たちに危害を加えようとする敵の怪異たち。
ある日突然少女が非日常の世界に入り込んだ、ホラーファンタジーです。
化け猫ミッケと黒い天使
ひろみ透夏
児童書・童話
運命の人と出会える逢生橋――。
そんな言い伝えのある橋の上で、化け猫《ミッケ》が出会ったのは、幽霊やお化けが見える小学五年生の少女《黒崎美玲》。
彼女の家に居候したミッケは、やがて美玲の親友《七海萌》や、内気な級友《蜂谷優斗》、怪奇クラブ部長《綾小路薫》らに巻き込まれて、様々な怪奇現象を体験する。
次々と怪奇現象を解決する《美玲》。しかし《七海萌》の暴走により、取り返しのつかない深刻な事態に……。
そこに現れたのは、妖しい能力を持った青年《四聖進》。彼に出会った事で、物語は急展開していく。
幽霊鬼ごっこ
西羽咲 花月
児童書・童話
このキズナ小学校には「幽霊鬼ごっこ」の噂がある
放課後になると学校のどこかで幽霊との鬼ごっこが始まって
それは他者には見えないらしい
そんな噂がまさか本当だったなんて!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる