ホスト科のお世話係になりました

西羽咲 花月

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切ない顔

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次の日も私は朝早く登校してホスト科の掃除をした。
朝ならそれほど予約電話もかかってこないから、掃除が捗ることがわかってきた。
昨日積んできた白い花はまだ元気に背筋を伸ばしていて、この部室に彩りを添えてくれている。

「愛美おはよ」
掃除を終えて教室へ向かうとさっそく百恵が駆け寄ってきた。
普段も百恵はもう少し遅く登校してきていたはずだけれど、昨日から私に合わせてちょっとだけ早く学校に来るようになっていた。

そうすれば、私がホスト科から戻ったタイミングで話を聞くことができるから。
「おはよ百恵」
「今日の掃除はどうだった!?」

相変わらず目を輝かせている百恵に苦笑いを向ける。
「どうって、掃除は掃除だからなにもないよ? 朝はホスト科の生徒たちもいないし、私1人なんだから」

「予約の電話は?」
「今朝はなし」
「なぁんだ。つまんないのぉ」
百恵は本当につまらなさそうな顔をして唇を突き出して見せた。

ホスト科で誰が一番人気なのか、気になっているのかもしれない。
「放課後はすぐに予定で埋まるんだけどね。昼間のデートはあまり利用者がいないみたい」
「そっかぁ。お昼休憩だけってなると時間を気にしなきゃいけなくなるからかなぁ?」
「そうかもしれないね?」

私は百恵の言葉に頷いた。
せっかくお金を出してホスト科を利用するのだから、あまり時間を気にせずに会話したいという気持ちはわかる。
「だけど本当に愛美ってラッキーだったよね」

「え、なんで?」
「だってさぁ、普段は千円出さなきゃ話ができない相手とタダで会話できるんでしょう? それってずるいよぉ」
「そんな。ホスト科の生徒たちだって教室では普通に会話してるはずだよ? 部活動になるともっと親身になってくれるから、それとこれとは違うと思うけど……」

昨日見学した尋のデートを思い出すと、同じであるはずがないと思えてくる。
お客さんが悲しんでいる姿を見てすぐに行動を起こす姿はそう簡単にできることじゃない。
ホストとして仕事をしていると自覚があったからできたことなんだと思っている。

「でもやっぱり羨ましいなぁ」
百恵はそう言ってまた唇を尖らせたのだった。

☆☆☆

昼の給食を食べ終えると、私はまたひとりでホスト科へ向かった。
説明を受けた時には毎日朝昼放課後来いという雰囲気ではなかったけれど、まぁまだ二日目だし行ってみた方がいいかなぁという感じで足が向いた。

なんのプレートも出ていないホスト科の部室の前で立ち止まり、左胸にネームをつけてドアをノックする。
中から「どうぞ」と、汰斗の声が聞こえてきてドアを開いた。
開けた瞬間昨日までとは違う雰囲気が部室内に漂っているのを感じて、一瞬入るのを躊躇してしまった。
それでもなにも気がついていないフリをして一歩踏み入れる。

なにかおかしいなと感じたのは、いつものように侑介が抱きついてこないことだった。
いや、侑介に抱きつかれなくて安心しているのだけれど、でも調子が狂ってしまいそうになる。

「みんなお疲れさまぁ」
と、声を掛けながらソファに座ると、侑介がソファをひとつ使って横になっているのがわかった。
私は尋の隣に座ってそれを見つめる。
「侑介のヤツ、風邪だってよ」

教えてくれたのは大だ。
大は腕組みをして侑介のことを見下ろしている。
ただ見ているだけかもしれないけれど、体が大きいから威圧的に感じられてしまう。
「え、大丈夫なの!?」
そう言われて見れば侑介の頬はいつもより赤くなっている。

熱があるのかも知れない。
私は慌てて冷蔵庫へ走って中から冷えピタを取り出した。
「ありがとう……愛美ちゃん」

冷えピタを貼り付けると弱々しい声が返ってきて余計に心配になる。
「侑介、今日はもう帰れ。熱も高いんだろ?」
汰斗に言われて侑介が激しく左右に首を振った。

「熱は大丈夫。クスリを飲んだからもうすぐ下がってくると思うから」
「でも、相手に風邪をうつしてしまうかもしれませんよ?」
尋も心配そうだ。
私も汰斗と尋の意見に賛成だった。
無理はしないほうがいい。

「ダメなんだ。今日の放課後の予約は絶対に行きたいんだから」
侑介が上半身を起こして言う。
呼吸が荒くて苦しそうだ。

「どうしてそんなに行きたいんだ?」
「その子、1年前の今日もボクを指名してくれたんだ」
「1年前の今日?」
大が怪訝そうな顔を向ける。

「うん。今日はその子の誕生日なんだよ。来年も一緒に祝ってねって、約束したんだ」
だからこんなに頑なになっているのかと、ようやく納得した。
「1年前の約束をよく覚えていましたね。だけど明日にズラすとか、そういう対応をしてもらった方がいいんじゃないですか?」

「今日が誕生日だから、一緒にいてあげたいんだよ」
侑介は絶対に譲る気はないみたいだ。
クスリがキイてきたおかげなのか、少し顔色も戻ってきている。
「汰斗、どうする?」

大が汰斗へ視線を向ける。
ずっと侑介の様子を見ていた汰斗は少し大げさなため息をついた。
「仕方ないな。そこまで言うなら行ってこい。ただ、放課後までに体調を戻しておくこと。仕事に影響を出さないこと。やるなら、いつもどおり完璧なホストになれ」
汰斗に言われて侑介に笑顔が広がった。

「わかった!」
侑介は大きく頷いたのだった。

☆☆☆

それから放課後まで落ち着かず、ソワソワとした時間を過ごす羽目になってしまった。
侑介の体調は大丈夫だろうか、そればかりが心配で授業もあまり身に入らなかった。
放課後になると同時に教室を飛び出して部室棟へと向かう。

まだ時間が早いせいで、ホスト科のドアには鍵がかかっていた。
先に職員室へ行って鍵をもらってくるべきだったと思いながら胸にネームをつけていると、汰斗がやってくるのが見えた。
「お疲れ様」

声をかけると汰斗が驚いたように目を見開いた。
「今日はやけに早いな。どうかしたのか?」
「うん。侑介くんのことが気になって」
汰斗がドアの鍵を開けてくれるのをまって、ふたりで部室へと入っていく。

「クスリを飲んでいたから、大丈夫だと思うけどな」
「うん。それならいいんだけど……」
「まだなにか、気になるのか?」
カーテンを開けながら質問されてドキッとする。
さすがホストをしているだけあって、人がなにかを隠しているとすぐに見抜いてくるみたいだ。

「うん。侑介くん、1年前の約束を覚えてたんだよね? それってもしかして相手のことを特別だと思ってるんじゃないかなって思って」
ただの想像だけれど、そんな昔の約束を覚えているなんて私には難しいことだった。
だけど特別な相手との約束なら、覚えていることもできるかもしれないと思ったのだ。

「侑介が、相手のことを好きなんじゃないかって心配をしてるのか?」
ストレートに質問されて私は何度も頷いた。
頷きながら、侑介が私に抱きついてきたときのことを思い出す。
あのときは別に侑介のことが好きじゃなくても心臓がドキドキしてしまった。

同じような気持ちを侑介が別の子に持っているかもしれないと思うと、なんだか胸の奥がモヤモヤしてきてしまう。
「それはないんじゃないか? 侑介だってホストだ。相手を本気で好きになったりはしない」
「で、でも。そんなのわからないよね? ちゃんと線引しているって思ってても、好きな気持を止めるのって難しいし」

「どうしてそんなに侑介のことを気にするんだ?」
「え?」
怪訝そうな顔を向けられて言葉に詰まってしまった。
どう返事をすればいいかわからない。
「君は、侑介のことが好きなのか? だから、そんなに気になるのか?」
「ち、違う! 私は好きとか、そういうんじゃなくて……」

うまく言えずに言葉がしぼんで行ってしまう。
侑介に好きな人ができたら悲しいと思うかも知れない。
でもそれは、友達としてというか、決して好きだからとかって理由じゃない。
「よかった」
安心したような声に顔を向けると汰斗が笑った。

「もしもホスト科の誰かを好きになったら、君にはお世話係を辞めてもらうことになる」
「え、どうして?」

「今までにも何人かのお世話係がいたけれど、みんなホスト目当てだったんだ。自分の好きなホストには仕事の予約を入れないようにしたり、贔屓したりして、結局お世話係として適切じゃなくて、辞めてもらうことになってきた」
「そうだったんだ……」
てっきりお世話係になったのは私が初めてだと思っていた。

今までにもみんなのお世話をする子がいて、辞めていたんだ。
「君はまだ正式なお世話係じゃないから伝えていなかったけれど、ここは恋愛禁止だ」

その言葉が何故か私の胸にずっしりとのしかかってくる。
侑介が相手の子に恋をしていないと言い切れるのは、こういう約束があるからなんだろう。
私はまたホスト科の新たな一面を目撃したのだった。

☆☆☆

部室にやってきた侑介の顔色はよかった。
念の為に熱を測ってみると平熱まで下がっていて一安心だ。
「これで行っても大丈夫だよね?」

と、汰斗に質問している。
「仕方ないな。でも早めに切り上げること。相手に風邪をうつさないこと」
「わかってるってば! そっれじゃ、行ってきます!」
「侑介、まだ話は終わってない!」

部室を出ていく侑介の後ろ姿へ向けて叫ぶ汰斗は結構心配性なのかも知れない。
その様子をクスクス笑って見ていると「汰斗は過保護だろ」と、大が笑って言ってきた。

私はコクコクと頷く。
初めて会ったときはクールでとっつきにくい存在なのかと思っていたけれど、時間をともにするたびに汰斗の熱っぽさも感じられるようになってきた。
特に仲間へと気遣いは人並み以上かもしれない。

「ごめん。私ちょっとトイレに行ってくるね」
私はそう行ってホスト科を出たのだった。

☆☆☆

部室から出た私は早足になって侑介の後を追いかけた。
侑介の相手がどんな子なのか、ずっと気になっていたのだ。

汰斗の前では一応納得した顔をしておいたけれど、1年越しの約束を守ろうとしている侑介の姿も見てみたかった。
「侑介くん、お疲れさまぁ」

気が付かれないように侑介の後を追いかけていくと体育館前に女子生徒の姿があった。
「おまたせマリアちゃん」
相手の女子生徒の顔には見覚えがあって、一瞬息を飲んでしまった。

その子は最近少し派手になってきていて、赤いリップを口につけている。
ふわりとウェーブした髪の毛をポニーテールにして、ほんのりと香水もつけているのだとキイたことが会った。
名前はマリアではないはずだけれど、ホストを利用するときの偽名なんだろう。
「全然待ってないよ! 侑介くん今日まで約束覚えててくれてありがとう」

マリアは嬉しそうにその場で飛び跳ねた。
そのたびにポニーテールがゆらゆらゆれて、香水の匂いがふわりと風に乗って私まで届いてきた。
「ベンチに座って話そうか」
侑介がマリアをエスコートして近くのベンチに座る。

そしてズボンのポケットからラッピングされた小さな箱を取り出した。
「誕生日おめでとう、マリアちゃん」
「うわぁ! ありがとう侑介くん!」
マリアは今にも侑介に抱きつきそうな勢いだ。

そんなマリアにニコニコと笑みを向けている侑介。
ふたりを見ていると、なんとなく胸の奥がモヤモヤしてきてしまう。
「ね、開けてもいい?」

「もちろん! ボク、頑張って選んだんだよ」
マリアが包装紙を開けて小さな白い箱を開けると、そこには小さなイヤリングが入っていた。
決して高級品ではないと思うけれど、部室に大量にあったハンカチとは違うことは一目瞭然だった。
侑介はマリアのためにこれを買いに行ったんだろうか。

「うわぁ、可愛いイヤリング!」
マリアが赤いハート形のイヤリングを両手に乗せている。
「つけてあげるよ」
侑介がそれを手に取り、マリアの耳につけていく。

その距離の近さに胸がジクジクしてくるのを感じた。
もうダメだ。
見ていられない。

こんなふたりを見ても汰斗は恋愛感情なんてないと言うことができるんだろうか。
ふたりから視線を外して部室へ戻ろうとしたときだった。

数人の女子生徒たちがマリアに気がついて駆け寄っていくのを見た。
「あれぇ、こんなところでなにしてんの?」
「マキちゃん、彼氏いるのに他の子とデート!?」

なんて言い合っている。
そうだ。
マリアの本当の名前はマキちゃんだっけ。
マキちゃんは友達の出現にサッと青ざめる。

「あれだけ彼氏のこと自慢してたのに、もう他の男?」
友達は悪気はないのだろう、冗談半分で次々と言葉を続けている。
マリアは気まずそうにうつむいてしまった。

「大丈夫?」
「うん。平気」
侑介が気遣っているけれど、マリアは気丈に振る舞って笑顔を浮かべる。

友達は騒ぎながらすぐにどこかへ行ってしまったけれど、ふたりの間には気まずそうな沈黙が下りてきている。
「ごめんねぇ? 私の友達、空気読めなくて」
「別に大丈夫だよ。ボクのことは気にしないで」

そう言いながらも侑介の頬は少し赤く染まり、目元も赤くなっている。
もしかして泣くのを我慢してる!?

そう気がついても出ていくわけにはいかない。
私はふたりを隠れながら見守ることしかできなくて、歯がゆい気持ちになってくる。
「彼氏できたんだね?」
「うん。一週間前かな」

「そっか、おめでとう」
そこでまた会話が途切れてしまっている。
侑介の胸が傷んでいるんじゃないかと、気が気ではない。

そもそも、彼氏がいるのにどうしてホスト科を利用するのかわからなかった。
自分の誕生日なら彼氏に祝ってもらえばいいのに。

「ありがとう」
それからあまり会話も盛り上がること無く、マリアが指定した20分という時間はあっという間に過ぎて行ってしまった。

その間侑介は何度もマリアに話しかけて微笑みかけていたけれど、その姿は痛々しくて見ていられなかった。
「それじゃ、まだ呼んでね」
「うん。今日はありがとう。イヤリング大切に使うね」
そう言って手を振って別れるふたりを見て、私はマリアの後を追いかけることにした。
これから真っ直ぐに帰るのか、それとも部活に参加するのかなんとなく気になったからだ。

だけど侑介と別れたマリアは廊下の途中で立ち止まり、スマホを取り出して誰かに電話をかけ始めた。
その相手はかなり親しい相手なんだろう、砕けた言葉使いになっている。
「用事もう終わったよ。今から会える? ……じゃあ昇降口で待ち合わせね……うん。楽しみにしてる」

そう言って電話を切ったマリアの頬は赤く染まっている。
まさか彼氏との電話じゃないだろうか。
ついさっきまで侑介と一緒にいたのにこんなに素早く外の男に連絡を入れるなんて、信じられなかった。
私は昇降口へと向かうマリアに大股で近づいていた。

「ちょっと、マキちゃん」
肩を掴んで名前を呼ぶと、マリアは驚いた顔で振り向いた。
「誰?」

地味で目立たない私のことは知らなくても仕方ないと思った。
「私は星野愛美よ。ホスト科のお世話係をしているの」
「へぇ、今度はあなたが?」

マリアは興味津々に私を見てくる。
なんだか品定めされているようで気分はよくない。
「マキちゃん、彼氏がいるのにどうしてホストなんて使うの?」
「え?」

「だって、おかしいじゃん。侑介くんはあんなに必死にマキちゃんに寄り添ってるのに、その気持を踏みにじるなんて!」
言いながらどんどん声が大きくなっていってしまう。
感情が制御できなくて肩で呼吸を繰り返した。
「なに言ってるの? 侑介くんはただのホストでしょう?」

「でもっ」
侑介の今にも泣き出してしまいそうな顔を思い出すと胸が締め付けられる。
それなのに、マリアはなにも感じていなさそうだ。

「ごめん。約束があるからもう行くね」
マリアは吐き捨てるようにそう言うと逃げるように昇降口へと向かってしまったのだった。

☆☆☆

マリアは今頃彼氏とデート中なんだろうか。
ホスト科へ戻ってくると侑介がソファで横になっていて、他のメンバーは出払っていた。
顔に腕を乗せて横になる侑介は涙をこらえているようにも見える。
声をかけたいけれど、恋愛経験ゼロの私がなんと声をかけたらいいのかわからない。

手持ち無沙汰で棚の掃除をしていると、汰斗が部室に戻ってきた。
「あ、おかえりなさい」
「あぁ」
汰斗は短く返事をして真っ直ぐに侑介の前に向かった。

そして横になっているその体を強く揺さぶったのだ。
驚いた侑介が目を開けてまばたきをしている。
「ちょっと汰斗くん!?」

なにかよくない感じがして慌ててふたりの間に割って入ろうとしたけれど、汰斗に睨まれて言葉を切ってしまった。
重たい空気が部室内に漂いはじめる。
「さっき昇降口でお前の客に会った。すっごい顔で怒ってたぞ。お前は一体どんな対応をしてきたんだ!」

汰斗のどなり声が部室に響き渡る。
普段クールな汰斗が目を吊り上げて怒っている様子に、心臓が止まりそうになった。
「え? マリアちゃんが怒ってた?」
侑介はなにが起こったのかわからない様子で混乱している。

どうしよう。
マリアちゃんを怒らせたのは間違いなく私だ。
「ご、ごめんなさい! それ、私のせいなの!」

思わぬ場所から謝罪が出てきて汰斗と侑介が驚いた顔をこちらへ向ける。
「愛美ちゃん? どういうこと?」
侑介が眉間にシワを寄せて首を傾げる。

「だ、だって……あの子最近彼氏ができてすごく派手になってきてて、それなのにホスト科なんて利用して、なに考えてるんだろうと思って……」
説明しながらなにか自分がとんでもないことをしてしまったのではないかと感づいてきた。

あのときはついカッとなってしまったけれど、客とホストの関係はちゃんと割り切っていたのかもしれない。
「なんでそんなことを!?」

侑介が悲鳴に近い甲高い声を上げる。
「だ、だって。侑介くんあの子のことが好きなんだよね? 1年前の約束を覚えてたくらいだし、彼氏の話が出た時にすごく悲しそうな顔してたし、今だって……!」

侑介の大きなため息で私は言葉を切った。
「悲しそうに見えたのはボクが悪かった。ごめん。だけどそんなんじゃないんだ。また熱が出てきて少ししんどかっただけなんだよ」
「うそ……」
泣きそうになっていたのは、ただの熱のせい!?
信じられなくて何度もまばたきを繰り返す。

呆然としている私を尻目に侑介がソファから起き上がって出口へと向かう。
「ど、どこに行くの?」
「マリアちゃんに謝ってこなきゃ」

侑介はこちらを見ること無くそう言うと、部室を出ていってしまった。
残された私と汰斗の間に沈黙が落ちてくる。
ソロソロと汰斗へ視線を向けると、冷たい表情と視線がぶつかった。
「ご、ごめんなさい!」

とんだ早とちりで侑介のお客さんにとんでもないことをしてしまった。
ジワリと背中に汗が流れていくのを感じる。

「本当に、いい迷惑だ」
静かに、だけど怒りを込めた声で言われて私は奥歯を噛み締めた。
汰斗が本気で怒っているのがこちらにまで伝わってくる。

ピリピリとした突き刺すような視線を直視できなくてうつむいてしまった。
「君にとってはホストなんてチャラくてふしだらかもしれない。だけど俺たちは本気でホストとしての活動をしてるんだ!」
怒鳴られてビクリと肩が跳ねる。

「ご、ごめんなさい……」
怖くて申し訳なくて、さっきよりも情けない声になってしまった。
ここで自分が泣くことなんてできないと思いながらも、涙を我慢できなくて頬にボロボロとこぼれ落ちていく。
「泣きたいのは侑介の方だ」
「わか……ってる」
それでも涙は止まってくれない。

手の甲で何度拭っても次から次へと溢れ出してきて止まらない。
「本当にごめんなさい」
私にできることはひたすら謝ることだけだ。
侑介にもマリアちゃんにも、そして汰斗にも申し訳なくて仕方ない。

「俺にそんなに謝られてもどうしようもない」
「わ、私もマリアちゃんのところへ……」
「今は行かない方が言い」
最後まで言わせてももらえず、拒絶される。
胸がズキズキと傷んでどうしようもなくて、今度は下唇を噛み締めた。

涙が口に入ってきて、すごくしょっぱい。
「今君が出ていけばふたりは余計に混乱するだけだ」
「でも……」

原因は私にある。
やっぱり、私が謝らないといけないはずだ。
「え? どうしたんですか?」
そんな声に視線を向けるといつの間にか尋が部室に入ってきていた。
尋も仕事を終えたところなんだろう。

私は慌てて涙を拭って、顔をそむけた。
「愛美ちゃん、どうしましたか?」
やはり誤魔化すことはできなかったようで、尋が心配そうに近づいてくる。

「ううん。なんでもないの」
左右に首を振って返事をするが、尋は汰斗を睨みつけた。
「汰斗。愛美ちゃんになにかしたんですか?」

「俺はなにもしてない。したのはこいつだ」
汰斗が冷たい視線を私へ向ける。

「愛美ちゃんが何をしたって言うんですか?」
泣いている私と、怒っている汰斗。
この状況を見れば誰だって汰斗が悪いと勘違いしてしまうだろう。
「わ、私が勘違いで侑介くんの邪魔をしちゃったの!」

汰斗と尋が喧嘩してしまう前に、私は自分がしてしまったことをすべて説明した。
話している途中でまた涙が止まらなくなって、尋がずっと背中をさすってくれていた。
「なるほど。そういうことでしたか」
すべてを聞き終えて尋が納得したように呟く。

「本当にごめんなさい」
「いや、僕に謝ってもらってもどうしようもないですし、そもそも愛美ちゃんはそれほど悪いことをしたわけじゃないと思いますよ?」
「え?」

予想外の言葉に顔を上げると、尋が笑顔を向けてくれた。
「すべては侑介のためにしたことなんですよね? それなら、愛美ちゃんばかりを責めるわけにはいきません。そうですよね? 汰斗?」
尋が汰斗へ視線を向ける。

腕組みをして私達のやりとりを見ていた汰斗は軽くため息を吐き出した。
「そうかもしれないけど、とんでもないことをしたのは事実だ」
やっぱり、汰斗は私のことを許す気はないみたいだ。
どんどん底なし沼へと入り込んでしまって、もう二度と這い上がれないような気持ちになってきた。

「そんな言い方はよくないですよ? 愛美ちゃん安心して? 侑介は立派なホストですから、きっとうまく説明してくれていますから」
「そうかな……」

今はそれを祈るしかない。
「そうですよ。僕たちホストは予約を入れてくれた子たちに最高の思い出を残すのが仕事なんですから。だから愛美ちゃんは安心して待っていればいいんです」

優しい言葉をかけてくれる尋に少しだけ心が軽くなる。
汰斗は相変わらず険しい顔でこちらを見ているけれど、尋が盾になるように立って目隠しをしてくれていた。
「どうして尋さんはそんなに優しいの?」

ようやく涙が止まってから質問すると「僕は愛美ちゃんにずっとここにいてほしいと思っているんですよ」と、返された。
その言葉に自然と頬が赤くなってしまう。

「今までのお世話係の子は仕事よりもお気に入りのホストと親密になることを優先していました。だけど愛美ちゃんは違う。ちゃんと仕事をして、僕たちホストとも正しい距離を保っていますよね。そういう子こそ、お世話係として続けてほしいと思うんです」

それは尋の切実な願いのように聞こえた。
これだけカッコイイ男子生徒が揃っていたら、誰でも相手にとって特別な人になりたいと思ってしまうだろう。
「……私、まだここにいてもいいのかな?」

今日のミスはただでは済まされないものだという自覚がある。
もしかしたら一ヶ月間のお試しを待たずに解雇されるかもしれない。
不安が胸に膨らんでいく中、私は汰斗へ視線を向けた。
汰斗はさっきから私に背中を向けて手帳を確認しているけれど、会話は聞こえているはずだった。

それなのに、なにも言ってくれない。
「大丈夫。僕が愛美ちゃんを解雇にはさせませんから」

「尋さんが?」
驚いて聞き返すと、尋は大きく頷いてくれた。
汰斗の背中が反応したようにピクリを動く。
だけどやっぱり振り向いて声をかけてはくれなかった。

「えぇ。だから安心してお世話係を続けてください」
「はい、ありがとうございます!」

☆☆☆

それからしばらくすると侑介が部室へ戻ってきていた。
心なしか足元がふらついているように見えて、すぐに駆け寄って肩を貸した。

「熱が上がってきてる!」
支えた体から伝わってくる熱さに慌てていると、尋が冷たい麦茶を侑介のために入れて持ってきてくれた。
「ありがとう」
ソファに座って麦茶を一気にコップ半分ほど飲み干して、そのまま横になってしまった。
「大丈夫? 迎えを呼んだほうがいいよね?」

「それは後で、自分でやるからいい」
スマホを取り出そうとした私を静止して侑介が言った。

侑介の視線は背中を向けている汰斗に向かっている。
「マリアちゃんはちゃんと理解してくれたよ、汰斗」
「……そうか」
振り向いた汰斗が頷く。

その表情はまだ険しいけれど、もう怒っている雰囲気ではなかった。
それどころかなんとなく悲しげにも見えて戸惑ってしまう。
「侑介、お前はその子のことが本気で好きなのか?」

「まさか。いい子だとは思うけれど恋愛感情はボクにはないよ」
キッパリと言い切る侑介に汰斗がホッとしたように微笑んだ。

私の言葉をちゃんと気にかけてくれていたのだということがわかった。
「だけど恋愛したくなれば、すぐに言ってくれ。俺がお前をここに引き止める権利なんてないんだから」
「わかってるよ。汰斗は心配性だなぁ」

侑介が苦しげな顔で笑った。
すると汰斗が私へ向き直った。
また怒られると思って自然と身構えてしまう。

「こういう仕事だ。最初はミスくらいあるだろう。だけど、次はないからな」
「え、あ、はい」
コクコクと頷いてからよく考えてみる。

次はないってことは、今回は許してくれるということだ。
「あ、ありがとう!」

解雇されなかったことが嬉しくてつい大きな声になってしまう。
すると汰斗はムッとした顔つきに戻って「調子に乗るな」と、言われてしまったのだった。
それから私は侑介の親に連絡して迎えを頼んだ。

その間に部室内にあったハチミツとレモンで暖かな飲み物を作って全員に振る舞った。
「おぉ、うまいな!」
いいタイミングで仕事から戻ってきた大が一番にハチミツレモンを飲んで豪快に言ったのだった。

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