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第1話
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外は湿度が低くカラッとした青空が広がっているが、6畳のフローリングの部屋は湿度が高く湿っぽさを残している。
電気もつけず、窓も開けないまま恵一はヘッドフォンを耳に当てて体を小さく揺らしていた。
時折リズムに乗って歌詞をくちずさんでいるが、それはほとんど聞き取れなかった。
壁一面に張られた地元を拠点として活動しているアイドルのポスター。
本棚には女性アイドルの写真集がところ狭しと置かれていて、小さなテレビは見てもいないのにつけっぱなし。
家の中から恵一を呼ぶ母親の声が聞こえてきたけれど、恵一は音楽に身を任せていてその声にも気がつかなかった。
薄暗い部屋の中、恵一が体を揺らした時に発せられる服のすれる音が絶え間なく聞こえてくる。
全国ニュースを告げていたテレビは時間が経過して、地元ニュースへと切り替わっていた。
《また、野良猫が殺害されました》
深刻そうな表情で地元ニュースを読み上げている女性キャスター。
話題はここ一ヶ月くらい続いている野良猫殺しの報道だった。
野良猫の首を絞めたり、腹を切り裂いたりという方法で残酷に殺す人がこの町のどこかにいるらしい。
しかし、そんな残酷なニュース報道も、恵一の耳には一切入ってきていなかったのだった。
☆☆☆
戸張高校2年B組の教室へと向かう恵一の背中は老人のように丸まっていた。
いつも自分の部屋で体を小さくしてヘッドフォンをつけて音楽を聞いていたから、歩くときにも同じように体を丸めるのが癖になってしまっていた。
恵一はB組の教室へ入っても誰にも挨拶することなく自分の席につく。
誰とも目を合わさないようにうつむき、カバンから教科書などを取り出していく。
ノートやペンケースはすべてアイドルのグッズだ。
それらをカバンから取り出した瞬間、恵一の表情が揺るんだ。
彼女たちの笑顔を見るとこちらまで笑顔になって、元気になれる気がする。
少しだけ気分がよくなった恵一はクラスメートたちに茶化される前に素早く引き出しの中にそれらを隠した。
そして最後に取り出したのは、薄型のデジタルカメラだった。
恵一はそれを大切な宝物のようにゆっくりと丁寧にカバンから取り出し、ツルリと光沢のある表面を指の腹でなでた。
このデジタルカメラは恵一が高校に入学してすぐに始めたアルバイトでお金をためて購入したものだった。
実際に宝物だと言ってしまってもいい品物だ。
このデジタルカメラがほしくてアルバイトを始めた恵一は、目的の金額まで稼ぐとすぐにやめてしまった。
そもそもコンビニのアルイバイトなんて恵一には会わなかったのだ。
休憩室はいつでもタバコ臭いし、店長は勝手にシフトを書き換えるし、客は傲慢。
恵一のような内気な性格の子には難しい職業だった。
しかし、このデジタルカメラだけはどうしても手に入れたくて、必死に我慢して半年間勤め上げた。
その間恵一がどれだけ走り回って客の対応をしても、どれだけ汗を流して重たいドリンクを運んでも店長は一度も褒めてくれなかった。
そんな店長は恵一が辞めるといったときには文句だけは口にした。
思い出すと苦い思い出だけれど、それがあってこそこのデジタルカメラを手に入れることができたのだ。
スマホでも撮影はできるけれど、やっぱり専用の機械がほしかった。
自分だけのあの子をこの中に閉じ込めることができるような気がしたから。
恵一は大切そうにデジタルカメラを持ち、席を立った。
このクラスで恵一が動いたことを気にするような生徒は1人もいない。
恵一自身がそうしてクラスメートたちと接してきたから、別に悲しくはなかった。
イジメられているわけでもない。
ただ、空気になっただけだ。
もちろん、このクラス内でイジメだのなんだのが起これば真っ先に自分がターゲットになるかもしれない。
それでも、恵一は今の自分を変えようとは思わなかった。
むしろ今のほうが動きやすいから、恵一は今の立場を快く感じていた。
廊下へ出るとお目当ての人がいた。
長沢リナ。
同じクラスの女子生徒で、身長は154センチ。
スリーサイズは上から83、55、80。
体重はヒミツ。
でもこれは公式サイトで見たものだから、実際はどうなのかわからない。
特にウエストなんかは極端に細く記載されている可能性が高い。
恵一は一瞬リナを見ただけですぐに視線をそらして背中を向けた。
リナの存在を気にしていない風を装い、そっと近づく。
リナは廊下から窓の外を眺めて友人となにか会話をしている。
リナに近づくと自分の心臓が早鐘を打ち始めるのを感じる。
部屋一面に張ったリナのポスター。
そのリナが、今自分の目の前にいるのだ。
恵一はごくりと唾を飲み込むと、ポケットからデジタルカメラを取り出した。
リナは窓の外に視線を向けていて、恵一の動きに気がつかない。
恵一は左手でデジタルカメラを持つと、腕を組むようにして右のわきの下からレンズブブンをリナへと向けた。
デジタルカメラの色は黒だ。
この色を選んだのだって、制服の色と同化しやすいという利点があるからだ。
恵一は焦点を合わせると音を消した状態で連射で撮影した。
隠し撮りをするその瞬間は、相手にバレたらどうしようという不安が大きくて変な汗をかいてしまう。
悪いことをしているという自覚もあるし、リナにバレてしまったらどうしようとも思う。
だけどそれ以上に、相手に内緒で撮影することが快感にもなっていた。
連射でリナの横顔を撮影した恵一は満足し、デジタルカメラをポケットへ戻す。
教室へ戻ろうと振り向いたそのときだった。
大きな壁が目の前にあってあやうくぶつかってしまいそうになった。
ギョッとして立ち止まった恵一を、その壁は見下ろしていた。
「なにしてたんだよ今」
壁がしゃべった。
いや違う、壁ではなくてクラスメートの大田だ。
大田は学年でも一番体が大きくて、キックボクシングをしているという噂を聞いたことがあった。
恵一は大田を見上げて、その身長差に青ざめた。
165センチでヒョロリとした体系の恵一と、195センチでガッチリとした体系の大田では、見下ろされるだけでひるんでしまう。
「べ、別に」
小さな声で言って大田の横をすり抜けようとしたが、腕を掴まれてとめられてしまった。
大田からすればそれほど力を入れて引き止めたわけでもないのに、恵一は体のバランスを崩して窓に手をついた。
リナがその振動に気がついて一瞬視線をコチラへ向けた。
恵一の心臓が一段と高鳴る。
しかしリナは恵一と大田に関心がないようで、友人を笑いあいながら教室へと戻っていってしまった。
「お前、今隠し撮りしてただろ」
「な、なんのこと?」
ヘラッと情けない笑顔を浮かべて対応する。
しかし大田はその笑顔が気に入らなかったようで、眉間に深いシワを寄せて恵一を睨んだ。
「とぼけんなよ! 俺は見たんだ!」
大田に突き飛ばされて恵一の体は廊下を吹き飛んだ。
下手したら廊下の端まで滑っていってしまいそうな勢いだ。
大田はまだ手加減してくれているみたいだが、恵一にはたまったものじゃなかった。
「そ、そんなことしてない。僕は、なにもしてない」
必死に左右に首を振って弁解する。
そんな恵一には大田は近づいた。
恵一は近づいてくる大田にゴクリと唾を飲み込んで、すぐに立ち上がって逃げ出そうとする。
しかし、足が滑って立ち上がることができない。
仕方なく四つんばいになって逃げ出すが、すぐに首根っこを掴まれてしまった。
「カメラ隠しただろ」
後ろから大田に聞かれて恵一は懸命に左右に首を振った。
このデジタルカメラは自分の宝物だ。
あのクソ店長からの嫌味を半年間耐え続けて、ようやく手に入れたものなんだ。
恵一は咄嗟にその場にうずくまって丸まった。
「おい、出せよカメラ!」
大田が恵一のわき腹を足先で蹴ってくる。
とても弱い力だけれど、守るものがないわき腹を蹴られるとダイレクトに内臓に響く。
恵一は低い声を上げて痛みを耐え、しかし顔は決してあげなかった。
大田の仁王のような顔を見ると自分がデジタルカメラを渡してしまいそうだったからだ。
「おかしいだろお前! 自分がなにやってんのかわかってんのかよ!」
大田は正義を振りかざして恵一のわき腹を蹴り続ける。
その力は次第に強くなってきて、恵一は痛みで常に顔をゆがめていないといけなくなった。
でも渡さない。
このデジカメだけは、絶対に。
歯を食いしばって痛みを絶えていると、ホームルームが始まるチャイムが鳴り始めた。
そのチャイムをきっかけに大田の動きが止まった。
「チッ」
軽い舌打ちと共に、B組の中へと入っていく気配がする。
その気配が完全に通り過ぎるのを待って、恵一はようやく顔を上げた。
「なにをしているの?」
そこには担任の女性教師が立っていて、まるで汚いものでも見るような視線を恵一へ向けていたのだった。
電気もつけず、窓も開けないまま恵一はヘッドフォンを耳に当てて体を小さく揺らしていた。
時折リズムに乗って歌詞をくちずさんでいるが、それはほとんど聞き取れなかった。
壁一面に張られた地元を拠点として活動しているアイドルのポスター。
本棚には女性アイドルの写真集がところ狭しと置かれていて、小さなテレビは見てもいないのにつけっぱなし。
家の中から恵一を呼ぶ母親の声が聞こえてきたけれど、恵一は音楽に身を任せていてその声にも気がつかなかった。
薄暗い部屋の中、恵一が体を揺らした時に発せられる服のすれる音が絶え間なく聞こえてくる。
全国ニュースを告げていたテレビは時間が経過して、地元ニュースへと切り替わっていた。
《また、野良猫が殺害されました》
深刻そうな表情で地元ニュースを読み上げている女性キャスター。
話題はここ一ヶ月くらい続いている野良猫殺しの報道だった。
野良猫の首を絞めたり、腹を切り裂いたりという方法で残酷に殺す人がこの町のどこかにいるらしい。
しかし、そんな残酷なニュース報道も、恵一の耳には一切入ってきていなかったのだった。
☆☆☆
戸張高校2年B組の教室へと向かう恵一の背中は老人のように丸まっていた。
いつも自分の部屋で体を小さくしてヘッドフォンをつけて音楽を聞いていたから、歩くときにも同じように体を丸めるのが癖になってしまっていた。
恵一はB組の教室へ入っても誰にも挨拶することなく自分の席につく。
誰とも目を合わさないようにうつむき、カバンから教科書などを取り出していく。
ノートやペンケースはすべてアイドルのグッズだ。
それらをカバンから取り出した瞬間、恵一の表情が揺るんだ。
彼女たちの笑顔を見るとこちらまで笑顔になって、元気になれる気がする。
少しだけ気分がよくなった恵一はクラスメートたちに茶化される前に素早く引き出しの中にそれらを隠した。
そして最後に取り出したのは、薄型のデジタルカメラだった。
恵一はそれを大切な宝物のようにゆっくりと丁寧にカバンから取り出し、ツルリと光沢のある表面を指の腹でなでた。
このデジタルカメラは恵一が高校に入学してすぐに始めたアルバイトでお金をためて購入したものだった。
実際に宝物だと言ってしまってもいい品物だ。
このデジタルカメラがほしくてアルバイトを始めた恵一は、目的の金額まで稼ぐとすぐにやめてしまった。
そもそもコンビニのアルイバイトなんて恵一には会わなかったのだ。
休憩室はいつでもタバコ臭いし、店長は勝手にシフトを書き換えるし、客は傲慢。
恵一のような内気な性格の子には難しい職業だった。
しかし、このデジタルカメラだけはどうしても手に入れたくて、必死に我慢して半年間勤め上げた。
その間恵一がどれだけ走り回って客の対応をしても、どれだけ汗を流して重たいドリンクを運んでも店長は一度も褒めてくれなかった。
そんな店長は恵一が辞めるといったときには文句だけは口にした。
思い出すと苦い思い出だけれど、それがあってこそこのデジタルカメラを手に入れることができたのだ。
スマホでも撮影はできるけれど、やっぱり専用の機械がほしかった。
自分だけのあの子をこの中に閉じ込めることができるような気がしたから。
恵一は大切そうにデジタルカメラを持ち、席を立った。
このクラスで恵一が動いたことを気にするような生徒は1人もいない。
恵一自身がそうしてクラスメートたちと接してきたから、別に悲しくはなかった。
イジメられているわけでもない。
ただ、空気になっただけだ。
もちろん、このクラス内でイジメだのなんだのが起これば真っ先に自分がターゲットになるかもしれない。
それでも、恵一は今の自分を変えようとは思わなかった。
むしろ今のほうが動きやすいから、恵一は今の立場を快く感じていた。
廊下へ出るとお目当ての人がいた。
長沢リナ。
同じクラスの女子生徒で、身長は154センチ。
スリーサイズは上から83、55、80。
体重はヒミツ。
でもこれは公式サイトで見たものだから、実際はどうなのかわからない。
特にウエストなんかは極端に細く記載されている可能性が高い。
恵一は一瞬リナを見ただけですぐに視線をそらして背中を向けた。
リナの存在を気にしていない風を装い、そっと近づく。
リナは廊下から窓の外を眺めて友人となにか会話をしている。
リナに近づくと自分の心臓が早鐘を打ち始めるのを感じる。
部屋一面に張ったリナのポスター。
そのリナが、今自分の目の前にいるのだ。
恵一はごくりと唾を飲み込むと、ポケットからデジタルカメラを取り出した。
リナは窓の外に視線を向けていて、恵一の動きに気がつかない。
恵一は左手でデジタルカメラを持つと、腕を組むようにして右のわきの下からレンズブブンをリナへと向けた。
デジタルカメラの色は黒だ。
この色を選んだのだって、制服の色と同化しやすいという利点があるからだ。
恵一は焦点を合わせると音を消した状態で連射で撮影した。
隠し撮りをするその瞬間は、相手にバレたらどうしようという不安が大きくて変な汗をかいてしまう。
悪いことをしているという自覚もあるし、リナにバレてしまったらどうしようとも思う。
だけどそれ以上に、相手に内緒で撮影することが快感にもなっていた。
連射でリナの横顔を撮影した恵一は満足し、デジタルカメラをポケットへ戻す。
教室へ戻ろうと振り向いたそのときだった。
大きな壁が目の前にあってあやうくぶつかってしまいそうになった。
ギョッとして立ち止まった恵一を、その壁は見下ろしていた。
「なにしてたんだよ今」
壁がしゃべった。
いや違う、壁ではなくてクラスメートの大田だ。
大田は学年でも一番体が大きくて、キックボクシングをしているという噂を聞いたことがあった。
恵一は大田を見上げて、その身長差に青ざめた。
165センチでヒョロリとした体系の恵一と、195センチでガッチリとした体系の大田では、見下ろされるだけでひるんでしまう。
「べ、別に」
小さな声で言って大田の横をすり抜けようとしたが、腕を掴まれてとめられてしまった。
大田からすればそれほど力を入れて引き止めたわけでもないのに、恵一は体のバランスを崩して窓に手をついた。
リナがその振動に気がついて一瞬視線をコチラへ向けた。
恵一の心臓が一段と高鳴る。
しかしリナは恵一と大田に関心がないようで、友人を笑いあいながら教室へと戻っていってしまった。
「お前、今隠し撮りしてただろ」
「な、なんのこと?」
ヘラッと情けない笑顔を浮かべて対応する。
しかし大田はその笑顔が気に入らなかったようで、眉間に深いシワを寄せて恵一を睨んだ。
「とぼけんなよ! 俺は見たんだ!」
大田に突き飛ばされて恵一の体は廊下を吹き飛んだ。
下手したら廊下の端まで滑っていってしまいそうな勢いだ。
大田はまだ手加減してくれているみたいだが、恵一にはたまったものじゃなかった。
「そ、そんなことしてない。僕は、なにもしてない」
必死に左右に首を振って弁解する。
そんな恵一には大田は近づいた。
恵一は近づいてくる大田にゴクリと唾を飲み込んで、すぐに立ち上がって逃げ出そうとする。
しかし、足が滑って立ち上がることができない。
仕方なく四つんばいになって逃げ出すが、すぐに首根っこを掴まれてしまった。
「カメラ隠しただろ」
後ろから大田に聞かれて恵一は懸命に左右に首を振った。
このデジタルカメラは自分の宝物だ。
あのクソ店長からの嫌味を半年間耐え続けて、ようやく手に入れたものなんだ。
恵一は咄嗟にその場にうずくまって丸まった。
「おい、出せよカメラ!」
大田が恵一のわき腹を足先で蹴ってくる。
とても弱い力だけれど、守るものがないわき腹を蹴られるとダイレクトに内臓に響く。
恵一は低い声を上げて痛みを耐え、しかし顔は決してあげなかった。
大田の仁王のような顔を見ると自分がデジタルカメラを渡してしまいそうだったからだ。
「おかしいだろお前! 自分がなにやってんのかわかってんのかよ!」
大田は正義を振りかざして恵一のわき腹を蹴り続ける。
その力は次第に強くなってきて、恵一は痛みで常に顔をゆがめていないといけなくなった。
でも渡さない。
このデジカメだけは、絶対に。
歯を食いしばって痛みを絶えていると、ホームルームが始まるチャイムが鳴り始めた。
そのチャイムをきっかけに大田の動きが止まった。
「チッ」
軽い舌打ちと共に、B組の中へと入っていく気配がする。
その気配が完全に通り過ぎるのを待って、恵一はようやく顔を上げた。
「なにをしているの?」
そこには担任の女性教師が立っていて、まるで汚いものでも見るような視線を恵一へ向けていたのだった。
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