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交通事故
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熱心に仕事をしていたわけではないけれど、気がつけあば午後5時のチャイムが聞こえ始めていた。
橋本美保はパソコンデスクに座ったままで小さく息を吐き出した。
美保が勤めている会社のいいところは残業がほとんどないところだった。
その分仕事が少ないかと言えば、そうでもない。
なんでも、美保が入社するほんの2年前まではみんな普通に残業をしていたらしい。
けれど残業している社員が日中に仕事をサボりまくっているのを目撃した上司が、残業イコール仕事熱心ではないということに気がついて、残業ゼロを目指して動き始めたらしい。
おかげで美保が入社した頃にはほぼ残業ゼロの、まぁまぁホワイト企業として知られるようになっていた。
そこに入社できたことは感謝すべきことかもしれない。
パソコンの電源を落として帰る準備をしていると後方で同僚たちがこれからどこに食べに行くか、どこに飲みに行くかという会話で盛り上がっているのが聞こえてきた。
その会話をなんとなく聞きながら、そっか今日は金曜日かと思い出す。
明日と明後日は休みだから、みんな余計にはしゃいでいるらしい。
美保は特に誰かに声をかけられることもなく席を立ち、更衣室へ向かった。
この会社で事務をしている美保は電車で二駅のところにアパートを借りて暮らしている25歳。
就職氷河期時代に、運良く大学卒業と同時に就職先を決めることができたタイプだった。
でも……。
私服姿になった美保は会社から一歩出てため息を吐き出す。
金曜日の夜ということであちこちからにぎやかな声が聞こえてくる。
同僚を肩を組んであるくスーツ姿の人。
数人で固まってスマホ画面を見て騒いでている女子社員たち。
つい先程仕事が終わったばかりなのに、彼らはすでにオフのスイッチが押されているらしい。
美保はそんな人達の間を縫って駅へと急ぐ。
運良く就職できた。
仕事内容も嫌いじゃない。
でも、それだけ。
それだけしか、ない。
休日でも出勤日でもさして変化のない毎日を送っている美保は自然とため息をつくのがくせになってしまっていた。
なにをしていても特別楽しいという気持ちになれない。
最近の楽しみは自宅でビールを飲みながら泣ける恋愛映画を1人で見ることだった。
誰かと一緒にご飯を食べたり、お酒を飲むようなことはもう長らくしていない。
そんなことを考えながらぼんやりと歩いていたのが悪かったんだと思う。
いつの間にか美保は横断歩道の真ん中にいた。
信号機はすでに赤に変わっていてあちこちからクラクションが鳴らされる。
「あっ」
これはまずいかも。
そう思ったときにはもう遅かった。
クラクションの音で足を止めてしまった美保のすぐそばに白い車が迫ってきていたのだ。
運転手の男性と視線がぶつかる。
相手は大きく目を見開いて、美保も負けないくらい目を見開いて、次の瞬間美保の意識は途絶えていた。
☆☆☆
あぁ、なんてあっけない。
私の25年間はこうして幕を閉じることになった。
ぼーっと歩いていて車にひかれるなんて、両親にバレたらきっと飽きられてしまう。
美保はそういう子だったからと、苦笑いしている姿が浮かんでくるようだった。
「起きろ」
そんな声が聞こえてきて美保はゆっくりとまぶたを開けた。
てっきり自分は病院で目を覚ましたものと思っていたけれど、それにしては体が軽い。
車にひかれたはずなのに痛みも感じなかった。
そして周囲が真っ暗なことに気がついて「ここ、どこ?」と、戸惑いの声を上げる。
美保の声は少しだけ周囲にこだまして消えていった。
ここがどこだかわからないけれど、体に異常がないようなのでひとまず安心して上半身を起こす。
そのまま立ち上がってみたけれど、やっぱり痛みは感じられなかった。
よかった。
車にひかれたと思っていたけれど、実は寸前のところで誰かが助けてくれたのかもしれない。
だとしたらその人はどこにいるんだろう?
そしてどうしてここはこんなに暗いんだろう?
様々な疑問が浮かんできては消えていく。
さっき誰かの声が聞こえてきて目を覚ましたはずだけれど、真っ暗で相手の顔を見ることもできない。
でも男の人の声だったよね。
目を細めたり、大きく見開いたりして周りを確認していると「残念だが、お前は死んだ」と、また声が聞こえてきた。
さっきと同じ声だ!
ハッとして振り向くと、そこには暗闇の中にスポットライトのようなものが照らし出されていて、黒いスーツを着た男が立っていた。
不健康なくらい青白い顔に、右手には大きな鎌を持っている。
スーツに大鎌という異質な組み合わせに美保はまばたきをした。
「あなたは誰ですか?」
「俺は死神だ。お前は死んだ」
男がまた同じことを繰り返した。
「私、死んだんだ」
自分の体を見下ろしてつぶやく。
けれど自分の体はほとんど闇の中に解けていて、ほとんど確認することはできなかった。
どうりで交通事故に遭ったのに痛みがないはずだ。
死んでいるのだから当然だった。
死んでからも痛みがあったらどうしようかという悩みは、これでなくなってホッとした。
「そうだ」
頷く死神を見て、それじゃこの人は私を迎えに来たのかと納得する。
あまりにも顔色が悪い人だから心配したけれど、死神ならまぁ別に大丈夫なのだろう。
「そうですか、じゃあ、これから天国に行くんですか?」
「それは俺が決めることじゃない。お前はこれから7日ごとに閻魔様のさばきを受ける。それによって極楽浄土へ行けるかどうかが決まるんだ」
へぇ。
あぁ、なんだか昔読んだマンガでそんなようなことを描いてあった気がする。
人間って死んですぐに天国や地獄へ行くわけじゃないんだ。
結構たいへんなんだなぁ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、死神が軽く咳払いをした。
少し落ち着いて見てみると、この死神さんすごくカッコイイかもしれない。
そこら辺のアイドルにも負けないような整った顔立ちをしている。
更に顔色が悪いのが肌に透明感をもたせていてすごくキレイだ。
「なにをぼーっとしている」
「あ、ごめんなさい」
死神がなにか説明をしているというのに、ついその顔に見入ってしまった。
「つまり。ひとつだけ生前の願いを叶えてやれるということだ」
「生前の願い?」
「あぁ。お前のように突然死んだ者にはどうしても未練がつきまとう。なかなか成仏できないヤツが多いから、そのための処置だ」
そんなサービスがあるんだ!
と、目を剥いて驚く。
あの交通事故はどう考えても自分の責任だったけれど、それでもそんないいサービスを受けることができるのだとなんだか感動してしまう。
ううん。
生前の願い。
生前の願い。
思い浮かんでくるのは途中までしか見ていない映画のことばかり。
他にやり残したことと言えば、仕事の事務処理くらいなものだ。
これって別に心残りでもなんでもないよね?
「特にありません」
ろくに考えもせずに答えた美保に死神が目を見開く。
「な、なんだと?」
「心残りとか、願いとか、特にありません。だから私のことはすぐに連れて行ってもらっても大丈夫です!」
自信満々に言う美保に死神は更に困惑した様子で視線をウロウロさせはじめてしまった。
あぁ、なんだかわからないけれど困らせちゃってる?
死んでもまだ誰かを困らせるなんて、私ってほんとうにダメ人間だなぁ。
「本当になにもないのか? 途中で引き返すことはできないんだぞ?」
「強いていうなら映画のラストが気になります」
昨日途中まで見た映画の内容は、闘病生活を送る彼女を懸命に支える男の子の話だった。
彼女のために院内で結婚式を上げたけれど、その最後に彼女は倒れてしまって……。
というところで寝てしまった。
ちょっとビールを飲みすぎたんだと思う。
気がついたらテーブルに突っ伏して眠っていて、映画はエンドロールが流れていた。
どうかハッピーエンドでいてほしいと思う。
「映画のラスト……」
死神にまで呆れられてしまっている。
こんな自分が死んだところで困る人はほとんどいないだろうから、自分で良かったと思うことにしよう。
「はい。なので連れて行ってもらっても大丈夫です」
再びそういうと死神はなにか考え込むように指先を顎に当てた。
そのしなやかな指先につい見入ってしまう。
この人(?)本当にキレイな人だなぁ。
そんな風にまたぼーっと相手のことを見つめていると、ふと同僚の高野裕之の顔が浮かんできた。
裕之は美保と同じ大学卒業生で、同じ会社に就職していた。
そのルックスで女性社員たちからの人気は高く、また真面目な勤務態度を上司からもかわれていて、今重要なプロジェクトの中心にいる。
同じ大学を卒業して同じ会社に就職したのに、これほど差が出るとは正直思ってもいなかった。
まぁ、そこそこの生活ができていれば私はそれでいいんだけれど。
それでもやっぱり裕之のことは気になって、時々視線を送ってしまうこともある。
裕之は常に忙しく動き回っているから、その視線に気がつくこともないのだけれど。
「あ、強いて言えば」
ぼーっと裕之のことを思い出している間に、つい口をついて言葉が出てきていた。
「強いて言えば、なんだ?」
死神がグイッと体を近づけてくる。
未練がなにもないと言われてうろたえていたので、食いつくような感じだ。
「ちょっと気になる人はいました」
でも、好きかどうかはわからない。
なにせ今まで恋愛経験は1度もないし、異性として好きとかよくわからない。
けどまぁ、気になって視線を送っていたくらいだから、嫌いではないんだと思う。
だから好きだったのかと聞かれるとやっぱりわからないけれど。
「それだ! 最後に告白したり、キスしたりしたいんだろう!?」
美保の口からようやく未練っぽい言葉が出てきたことで、死神は嬉しそうだ。
もしかしたらこのサービスが死神の仕事のひとつだったのかもしれない。
自分の仕事の出番がなくて困っていたのかも。
「キスなんてとんでもない!」
美保は顔を真っ赤にして左右に首をふる。
キスなんてそれこそ映画の中で起きることだ。
自分の身に起きるなんて考えたことは1度もない。
もちろん、憧れくらいは、あるけれど。
「まぁなんでもいい。それが叶えたい願いだな?」
「はい、まぁ、そうでうね?」
歯切れの悪い美保を無視するかのように死神が大鎌を前に突き出してきた。
ギラリと光る切っ先に思わず後ずさりしてしまう。
大鎌を突きつけられるとさすがに怖い。
まさかこれで首を切ったりしないよね?
「よし、じゃあこの映像をよく見ろ」
映像?
と、思っていると大鎌に見慣れた景色が浮かんできた。
そこは美保の通勤路で、まさしく交通事故を起こしたあの交差点だったのだ。
美保はゴクリと唾を飲み込んでその映像に見入る。
視線を外したいのに、外すことができない。
映像の中で交差点はオレンジ色に色づいているから、夕方だということがわかる。
青信号に変わった時、仕事終わりの人たちがゾロゾロと交差点をあるき始める。
そんな中、自分の姿が見えて美保は「あっ」と小さくつぶやいた。
これは、今日の自分に違いない。
今着ている服と同じ服を着ている映像内の自分に、心臓がドクドクと早鐘を打ち始めた。
嫌な汗が背中を流れていく。
みんなより遅いスピードで歩いている私。
はたからみてもぼーっとしていることがわかる。
こんな風に歩いていたらから信号が赤色に変わったことにも気が付かなかったんだ。
そして突如立ち止まり、驚いたように目を丸くする。
このときすでに信号が赤に変わったことに気がついたんだ。
すぐに動き出せばいいのに、しばらく放心したようにその場に立ち尽くした。
その結果……白い乗用車が走ってきてそのまま自分の体が跳ね飛ばされるのを見た。
映像に釘付けになっていた美保はハッと大きく息を吸い込んで大鎌から視線を外した。
心臓がバクバクしていて、汗が滴り落ちていく。
立っていられなくてその場に両膝をついた。
「よく見てみろ」
死神にそう言われ、唾を飲み込んでもう1度視線を上げる。
大鎌の中に映る自分は地面に投げ出されてピクリとも動かない。
私、本当に死んだんだ……。
こうして映像を見せられると恐怖がジワジワと浮かんでくる。
心残りはないに等しいけれど、それでもやっぱり衝撃的だった。
「これから時間は逆回りする。未来は変えられないが、お前は未練をなくすように動く時間が与えられる」
死神が説明している間に、大鎌の中の映像が逆再生されはじめた。
白い車が去っていき、美保が横断歩道を逆に渡っていく。
そしてそれはどんどん加速していき……。
「お前は一週間前に目が覚める。そのとき、また会おう」
映像を見ている間に強いめまいを感じ、美保は横倒しに倒れていた。
死神の声が頭の中にグワングワンと響き渡り、そして意識を手放した。
橋本美保はパソコンデスクに座ったままで小さく息を吐き出した。
美保が勤めている会社のいいところは残業がほとんどないところだった。
その分仕事が少ないかと言えば、そうでもない。
なんでも、美保が入社するほんの2年前まではみんな普通に残業をしていたらしい。
けれど残業している社員が日中に仕事をサボりまくっているのを目撃した上司が、残業イコール仕事熱心ではないということに気がついて、残業ゼロを目指して動き始めたらしい。
おかげで美保が入社した頃にはほぼ残業ゼロの、まぁまぁホワイト企業として知られるようになっていた。
そこに入社できたことは感謝すべきことかもしれない。
パソコンの電源を落として帰る準備をしていると後方で同僚たちがこれからどこに食べに行くか、どこに飲みに行くかという会話で盛り上がっているのが聞こえてきた。
その会話をなんとなく聞きながら、そっか今日は金曜日かと思い出す。
明日と明後日は休みだから、みんな余計にはしゃいでいるらしい。
美保は特に誰かに声をかけられることもなく席を立ち、更衣室へ向かった。
この会社で事務をしている美保は電車で二駅のところにアパートを借りて暮らしている25歳。
就職氷河期時代に、運良く大学卒業と同時に就職先を決めることができたタイプだった。
でも……。
私服姿になった美保は会社から一歩出てため息を吐き出す。
金曜日の夜ということであちこちからにぎやかな声が聞こえてくる。
同僚を肩を組んであるくスーツ姿の人。
数人で固まってスマホ画面を見て騒いでている女子社員たち。
つい先程仕事が終わったばかりなのに、彼らはすでにオフのスイッチが押されているらしい。
美保はそんな人達の間を縫って駅へと急ぐ。
運良く就職できた。
仕事内容も嫌いじゃない。
でも、それだけ。
それだけしか、ない。
休日でも出勤日でもさして変化のない毎日を送っている美保は自然とため息をつくのがくせになってしまっていた。
なにをしていても特別楽しいという気持ちになれない。
最近の楽しみは自宅でビールを飲みながら泣ける恋愛映画を1人で見ることだった。
誰かと一緒にご飯を食べたり、お酒を飲むようなことはもう長らくしていない。
そんなことを考えながらぼんやりと歩いていたのが悪かったんだと思う。
いつの間にか美保は横断歩道の真ん中にいた。
信号機はすでに赤に変わっていてあちこちからクラクションが鳴らされる。
「あっ」
これはまずいかも。
そう思ったときにはもう遅かった。
クラクションの音で足を止めてしまった美保のすぐそばに白い車が迫ってきていたのだ。
運転手の男性と視線がぶつかる。
相手は大きく目を見開いて、美保も負けないくらい目を見開いて、次の瞬間美保の意識は途絶えていた。
☆☆☆
あぁ、なんてあっけない。
私の25年間はこうして幕を閉じることになった。
ぼーっと歩いていて車にひかれるなんて、両親にバレたらきっと飽きられてしまう。
美保はそういう子だったからと、苦笑いしている姿が浮かんでくるようだった。
「起きろ」
そんな声が聞こえてきて美保はゆっくりとまぶたを開けた。
てっきり自分は病院で目を覚ましたものと思っていたけれど、それにしては体が軽い。
車にひかれたはずなのに痛みも感じなかった。
そして周囲が真っ暗なことに気がついて「ここ、どこ?」と、戸惑いの声を上げる。
美保の声は少しだけ周囲にこだまして消えていった。
ここがどこだかわからないけれど、体に異常がないようなのでひとまず安心して上半身を起こす。
そのまま立ち上がってみたけれど、やっぱり痛みは感じられなかった。
よかった。
車にひかれたと思っていたけれど、実は寸前のところで誰かが助けてくれたのかもしれない。
だとしたらその人はどこにいるんだろう?
そしてどうしてここはこんなに暗いんだろう?
様々な疑問が浮かんできては消えていく。
さっき誰かの声が聞こえてきて目を覚ましたはずだけれど、真っ暗で相手の顔を見ることもできない。
でも男の人の声だったよね。
目を細めたり、大きく見開いたりして周りを確認していると「残念だが、お前は死んだ」と、また声が聞こえてきた。
さっきと同じ声だ!
ハッとして振り向くと、そこには暗闇の中にスポットライトのようなものが照らし出されていて、黒いスーツを着た男が立っていた。
不健康なくらい青白い顔に、右手には大きな鎌を持っている。
スーツに大鎌という異質な組み合わせに美保はまばたきをした。
「あなたは誰ですか?」
「俺は死神だ。お前は死んだ」
男がまた同じことを繰り返した。
「私、死んだんだ」
自分の体を見下ろしてつぶやく。
けれど自分の体はほとんど闇の中に解けていて、ほとんど確認することはできなかった。
どうりで交通事故に遭ったのに痛みがないはずだ。
死んでいるのだから当然だった。
死んでからも痛みがあったらどうしようかという悩みは、これでなくなってホッとした。
「そうだ」
頷く死神を見て、それじゃこの人は私を迎えに来たのかと納得する。
あまりにも顔色が悪い人だから心配したけれど、死神ならまぁ別に大丈夫なのだろう。
「そうですか、じゃあ、これから天国に行くんですか?」
「それは俺が決めることじゃない。お前はこれから7日ごとに閻魔様のさばきを受ける。それによって極楽浄土へ行けるかどうかが決まるんだ」
へぇ。
あぁ、なんだか昔読んだマンガでそんなようなことを描いてあった気がする。
人間って死んですぐに天国や地獄へ行くわけじゃないんだ。
結構たいへんなんだなぁ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、死神が軽く咳払いをした。
少し落ち着いて見てみると、この死神さんすごくカッコイイかもしれない。
そこら辺のアイドルにも負けないような整った顔立ちをしている。
更に顔色が悪いのが肌に透明感をもたせていてすごくキレイだ。
「なにをぼーっとしている」
「あ、ごめんなさい」
死神がなにか説明をしているというのに、ついその顔に見入ってしまった。
「つまり。ひとつだけ生前の願いを叶えてやれるということだ」
「生前の願い?」
「あぁ。お前のように突然死んだ者にはどうしても未練がつきまとう。なかなか成仏できないヤツが多いから、そのための処置だ」
そんなサービスがあるんだ!
と、目を剥いて驚く。
あの交通事故はどう考えても自分の責任だったけれど、それでもそんないいサービスを受けることができるのだとなんだか感動してしまう。
ううん。
生前の願い。
生前の願い。
思い浮かんでくるのは途中までしか見ていない映画のことばかり。
他にやり残したことと言えば、仕事の事務処理くらいなものだ。
これって別に心残りでもなんでもないよね?
「特にありません」
ろくに考えもせずに答えた美保に死神が目を見開く。
「な、なんだと?」
「心残りとか、願いとか、特にありません。だから私のことはすぐに連れて行ってもらっても大丈夫です!」
自信満々に言う美保に死神は更に困惑した様子で視線をウロウロさせはじめてしまった。
あぁ、なんだかわからないけれど困らせちゃってる?
死んでもまだ誰かを困らせるなんて、私ってほんとうにダメ人間だなぁ。
「本当になにもないのか? 途中で引き返すことはできないんだぞ?」
「強いていうなら映画のラストが気になります」
昨日途中まで見た映画の内容は、闘病生活を送る彼女を懸命に支える男の子の話だった。
彼女のために院内で結婚式を上げたけれど、その最後に彼女は倒れてしまって……。
というところで寝てしまった。
ちょっとビールを飲みすぎたんだと思う。
気がついたらテーブルに突っ伏して眠っていて、映画はエンドロールが流れていた。
どうかハッピーエンドでいてほしいと思う。
「映画のラスト……」
死神にまで呆れられてしまっている。
こんな自分が死んだところで困る人はほとんどいないだろうから、自分で良かったと思うことにしよう。
「はい。なので連れて行ってもらっても大丈夫です」
再びそういうと死神はなにか考え込むように指先を顎に当てた。
そのしなやかな指先につい見入ってしまう。
この人(?)本当にキレイな人だなぁ。
そんな風にまたぼーっと相手のことを見つめていると、ふと同僚の高野裕之の顔が浮かんできた。
裕之は美保と同じ大学卒業生で、同じ会社に就職していた。
そのルックスで女性社員たちからの人気は高く、また真面目な勤務態度を上司からもかわれていて、今重要なプロジェクトの中心にいる。
同じ大学を卒業して同じ会社に就職したのに、これほど差が出るとは正直思ってもいなかった。
まぁ、そこそこの生活ができていれば私はそれでいいんだけれど。
それでもやっぱり裕之のことは気になって、時々視線を送ってしまうこともある。
裕之は常に忙しく動き回っているから、その視線に気がつくこともないのだけれど。
「あ、強いて言えば」
ぼーっと裕之のことを思い出している間に、つい口をついて言葉が出てきていた。
「強いて言えば、なんだ?」
死神がグイッと体を近づけてくる。
未練がなにもないと言われてうろたえていたので、食いつくような感じだ。
「ちょっと気になる人はいました」
でも、好きかどうかはわからない。
なにせ今まで恋愛経験は1度もないし、異性として好きとかよくわからない。
けどまぁ、気になって視線を送っていたくらいだから、嫌いではないんだと思う。
だから好きだったのかと聞かれるとやっぱりわからないけれど。
「それだ! 最後に告白したり、キスしたりしたいんだろう!?」
美保の口からようやく未練っぽい言葉が出てきたことで、死神は嬉しそうだ。
もしかしたらこのサービスが死神の仕事のひとつだったのかもしれない。
自分の仕事の出番がなくて困っていたのかも。
「キスなんてとんでもない!」
美保は顔を真っ赤にして左右に首をふる。
キスなんてそれこそ映画の中で起きることだ。
自分の身に起きるなんて考えたことは1度もない。
もちろん、憧れくらいは、あるけれど。
「まぁなんでもいい。それが叶えたい願いだな?」
「はい、まぁ、そうでうね?」
歯切れの悪い美保を無視するかのように死神が大鎌を前に突き出してきた。
ギラリと光る切っ先に思わず後ずさりしてしまう。
大鎌を突きつけられるとさすがに怖い。
まさかこれで首を切ったりしないよね?
「よし、じゃあこの映像をよく見ろ」
映像?
と、思っていると大鎌に見慣れた景色が浮かんできた。
そこは美保の通勤路で、まさしく交通事故を起こしたあの交差点だったのだ。
美保はゴクリと唾を飲み込んでその映像に見入る。
視線を外したいのに、外すことができない。
映像の中で交差点はオレンジ色に色づいているから、夕方だということがわかる。
青信号に変わった時、仕事終わりの人たちがゾロゾロと交差点をあるき始める。
そんな中、自分の姿が見えて美保は「あっ」と小さくつぶやいた。
これは、今日の自分に違いない。
今着ている服と同じ服を着ている映像内の自分に、心臓がドクドクと早鐘を打ち始めた。
嫌な汗が背中を流れていく。
みんなより遅いスピードで歩いている私。
はたからみてもぼーっとしていることがわかる。
こんな風に歩いていたらから信号が赤色に変わったことにも気が付かなかったんだ。
そして突如立ち止まり、驚いたように目を丸くする。
このときすでに信号が赤に変わったことに気がついたんだ。
すぐに動き出せばいいのに、しばらく放心したようにその場に立ち尽くした。
その結果……白い乗用車が走ってきてそのまま自分の体が跳ね飛ばされるのを見た。
映像に釘付けになっていた美保はハッと大きく息を吸い込んで大鎌から視線を外した。
心臓がバクバクしていて、汗が滴り落ちていく。
立っていられなくてその場に両膝をついた。
「よく見てみろ」
死神にそう言われ、唾を飲み込んでもう1度視線を上げる。
大鎌の中に映る自分は地面に投げ出されてピクリとも動かない。
私、本当に死んだんだ……。
こうして映像を見せられると恐怖がジワジワと浮かんでくる。
心残りはないに等しいけれど、それでもやっぱり衝撃的だった。
「これから時間は逆回りする。未来は変えられないが、お前は未練をなくすように動く時間が与えられる」
死神が説明している間に、大鎌の中の映像が逆再生されはじめた。
白い車が去っていき、美保が横断歩道を逆に渡っていく。
そしてそれはどんどん加速していき……。
「お前は一週間前に目が覚める。そのとき、また会おう」
映像を見ている間に強いめまいを感じ、美保は横倒しに倒れていた。
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