自殺教室

西羽咲 花月

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最後の1人

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奈穂はその場に座り込んで動くことができなかった。
ひらりひらりと、珠美の残骸となった灰が目の前にゆらめいている。

それはゆっくりと床に落ちて、動くのを止めた。
ついに残り1人になってしまった。

どうして自分がここにいるのか、考えていたけれどずっとわからなかった。


「……私はなにもしてない」


声に出してみるとどこか違和感があった。
一浩も豊も珠美も、なにかしらの形で千秋のイジメに加担していた。

本人にその気がなくてもだ。
それならきっと、自分も同類なんだろう。

千秋から見れば奈穂だって他の3人と同じだった。
だから今、ここにいるんだ。


とても静かな教室内にカッカッと音が聞こえてきて奈穂は黒板へと視線を向けた。


『中武珠美は外へ出た』


いつもならその報告の後チョークは落下する。
だけど今回はまだ空中に浮いたままだった。


『私はちゃんと聞いてる。だからすべてを話して』


今思えば少し丸っこくて癖のあるこの文字は何度か見たことのあるものだった。
千秋の文字。

奈穂はここまで来てようやくそのことに気がついた。
でも、それに気がついたところで今更どうこうなるものじゃなかった。

奈穂はゆっくりと立ち上がると、ナイフを握りしめて自分の席へ向かった。
どうせここで自殺をすることになる。

それなら最初からナイフを握りしめておけばいい。
ナイフに追いかけられるなんて無駄な恐怖を味わう必要なんてない。

そして椅子に座り、教卓へ視線を向けた。
まるでそこに千秋がいるように目を細め、そして「ごめんね」と、小さな声で呟いた。


☆☆☆

その日、1度家に帰った奈穂はキッチンに立っている母親から牛乳を買ってくるように言われて再び外へ出ていた。
右手にはエコバックと小銭の入った財布。

向かう先は大きなデパートだった。
近所には小型スーパーもあるものの、奈穂の家でいつも飲んでいる牛乳はデパートでしか売っていない商品だった。

白くてピカピカ光っている自転車にまたがり、軽快にペダルを踏む。
太陽の光はまだ優しく体を包み込んで、肌にあたる風も心地よかった。

これからどんどん気温が高くなってくるんだなぁと思うと、今からうんざりした気持ちになってくるけれど、今はその心地よさに目を細めた。

たどり着いたデパートの地下へ向かい、お目当ての牛乳をカゴに入れる。
ついでにチョコレートの試食を楽しんでレジへ向かった。

デパ地下では夕方頃から頻繁に試食を出しているので、奈穂はお使いをふたつ返事でOKしていたのだ。

甘いもの以外にもできたてのお惣菜や、ドリンクの試飲なども出ていて、あちこちから店員さんの声が聞こえてくる。
デパ地下を歩いているだけでお腹がいっぱいになってしまいそうだ。

そんな中でも今日試食したチョコレートは奈穂のお気に入りだった。
ちょっと高級なチョコレートなので普段は滅多に口に入らないのだけれど、誕生日になればここのチョコレートケーキをおねだりしている。

口の中に残る芳醇な甘い香りを楽しみながらレジを通り、1階へ向かう。
せっかくここまで来たのだから他にも色々見て和まりたいけれど、残念ながらそんな時間もお金もない。

きらびやかなな店内で目移りしてつい立ち止まってしまいそうになる中、早足で出口へ向かう。
と、そのときだった。

見知った顔を見つけて奈穂の歩調が緩まった。
香水コーナーに立ち止まっているのは奈穂と同じ中学の制服を着た生徒だ。

誰だろうと思って近づいてくと、同じクラスの豊であることに気がついた。


豊が香水コーナーでなにをしてるんだろう?
好奇心から奈穂はその場に立ち止まって様子を伺っていたのだ。

豊から香水の匂いがしてきたことはないし、香水に興味があるようにも見えない。
なによりも、豊が今見ている香水はブランド品で、相当高級品なのだ。

中学生が購入できるような商品じゃない。
なにをしてるんだろう?

そう思って首をかしげた時、店員の目がそれた瞬間を見計らったように豊の手が展示されている香水に伸びた。
そして躊躇なくカバンの中にそれを入れる。

一瞬、奈穂はなにが起こっているのかわからなかった。
豊が万引するなんて少しも考えていなかったからだ。

豊はしばらくの間にその場に留まって商品を見る素振りを見せてから、そのまま店を出ていってしまった。
レジは通さなかった……。


☆☆☆

帰り道、自転車をこぎながらも奈穂の心臓はドキドキしていた。
クラスメートが万引する瞬間を目撃してしまい、動揺もしていた。

豊はどうしてあんなものを盗んだんだろう。
本当に欲しくて盗んだのかな?

奈穂には豊がどうしても欲しくて盗んだようには見えなかった。
それに、豊の家は確かとても裕福だったはずだ。

考えれば考えるほどに奈穂の心は沈んでいく。
豊の万引を目撃してしまってからしばらく店内に残っていた奈穂だが、結局豊がお店に戻ってくることはなかった。

そして外に出たときにはもう豊はいなかったのだ。
目撃したことを誰かに相談した方がいいんだろうか……。

そう思っている間に家についた。


「ただいまぁ」


暗い気持ちでキッチンへ向かう。


「あら、そんな顔してどうしたの? 試食がなかった?」


夕飯を作っている最中の母親がすぐに奈穂の変化に気がついた。
出かけるときには機嫌が良さそうだったのに、今はとても暗い顔をしているからだ。


「ううん、あったよ」


答えながらエコバッグから牛乳を取り出して冷蔵庫へしまう。


「じゃあなにかあった?」

「あのねお母さん……」


そういいかけたけれど途中で口が止まってしまった。
ここで本当に万引を目撃したことを話していいんだろうか。

話せば、なにか恐ろしいことが待っているような気がして言えなくなってしまった。


「どうしたの?」

「……ううん、なんでもない!」


奈穂は結局なにも言えずに、母親からなにか質問をされる前に自分の部屋に逃げたのだった。


それから奈穂は万引を目撃したことを、他の誰にも言えていなかった。
毎日が忙しく過ぎ去っていき、豊の万引のことなんて忘れてしまいそうになったときのことだった。


「あ~あ、こんなに早く学校に行くなんてめんどくさいなぁ」

「仕方ないでしょう? 今日提出の宿題を学校に置き忘れた奈穂が悪いんだから」


朝早い時間に置き出した奈穂は怠慢な動きで朝食を食べていた。
実は昨日、寝る前に宿題をしようと思ったけれど学校に置き忘れてきてしまったことに気がついたのだ。

今から学校へ行っても門がしまっていて中に入ることはできない。
だから今日、朝早くに学校へ行って宿題をするはめになってしまったのだ。

普段ならもっとゆっくりできる朝が、今日は慌ただしかった。


「こんなに忙しい朝が嫌なら、忘れ物をしないことね」


奈穂のために一緒に早起きをして朝食を作ってくれた母親に「はぁい」と気だるい返事をして学校へ向かう。
いつもの通学路を歩いていても犬の散歩をしているおじいさんも、早足で奈穂を追い越していくサラリーマンもいない。


人の姿も車の台数も少なくて、なんだか不思議な感覚がした。
見慣れた景色なのに、別世界にいるみたい。

そう思うとなんだか楽しい気持ちになってきて、奈穂はスキップするように学校へ向かった。
こんな早い時間だから門が開いているかどうか心配だったけれど、門はすでに開いていた。

職員室と事務室の明かりもついている。
人がいたことにホッとすると同時に、今から宿題をするのだと思うと重たい気持ちになってくる。

お母さんが言う通り、今度は絶対に忘れ物なんてしない。
そう心に誓って階段を上がっていく。

そして2年B組の教室まできたとき、中から物音が聞こえてきて奈穂は立ち止まった。
こんな早い時間に生徒が来ているとは思えないから、きっと先生がなにかしてるんだな。

そう思って薄くドアを開いて中を覗き見た。
そこにいたのは先生ではなく、クラスメートの一浩だったのだ。

一浩はクラス内でも派手な乱暴者で有名で、学校に遅刻してくる常習犯だった。
そんな一浩がすでに登校してきていることに驚いて奈穂は目を見開いた。


こんな時間からなにをしてるんだろう?
まさか、奈穂と同じように宿題を忘れたとかじゃないと思う。

一浩は宿題を忘れることくらいで、動揺するタイプじゃないから。
ということは、なにか他に理由があるはず……。

そう思って細く開けた隙間から覗いていると、一浩はマジックを片手に移動を始めた。
そして誰かの机にラクガキをはじめたのだ。

思わず「あっ」と声を上げてしまい、慌てて両手で口を塞いだ。
幸い、今の声は一浩には聞こえていなかったようだ。

一浩はまだ机にラクガキを続けている。
その机は千秋の机だとすぐにわかった。
なにを書いてるんだろう?

なんであんなことをするんだろう?
疑問は次々と浮かんでくるけれど、声には出せなかった。

黙ってジッと一浩の様子を見ていることしかできない。
声を出してしまえば最後、なにかとても悪いことが起こりそうで怖かった。

奈穂はしばらく一浩の行動を見守った後、そっとその場を後にしたのだった。


☆☆☆

「私が悪いんじゃない。私はなにも見てない」


トイレの個室で奈穂は何度も呟いて自分自身に言い聞かせた。
豊の万引も一浩のラクガキも、自分はただ目撃してしまっただけだ。

あんなの見たくなんてなかった。
奈穂が目撃したことは誰も知らないから黙っていればきっと嵐は去ってくれる。

そう信じていた。
思えば奈穂はクラス会のときなどでもなにも発言ができないタイプだった。

手を上げてあれがやりたい、これはどうだろうと言える生徒にすべてを任せていた。
そうして誰かが引いてくれたレールの上を歩いていれば、まちがいないからだ。

もしも自分でなにかを発言して、それで責任が生まれたらどうするの?
責任なんて取りたくないし、任せられたくない。

だからいつでも流れに身を任せてきた。
きっとほとんどの子たちが同じだと思う。

発言できるほんの一握りの生徒たちの任せておけばどうにかなると思っている。


だから今回もそうすることにした。
なにも見てない。

なにも知らない。
それが自分にとって1番安全だと感じたからだ。

それなのに、千秋が交通事故に遭う日の放課後、昇降口でバッタリ千秋と出会ってしまったのだ。


「あ……」


千秋の姿を見た瞬間奈穂の動きが止まる。
この頃にはすでにクラス内で起きているイジメに関しては有名になっていて、誰でも1度は目撃していた。

そうなったことで、一番最初にイジメを目撃してしまって黙っていた奈穂の罪悪感が薄れてきてもいた。


「奈穂」


運悪く千秋がこちらに気がついて顔を上げてしまった。
その上千秋の目には涙が滲んでいる。


またなにかされたのかもしれない。
奈穂はゴクリと唾を飲み込んですぐに千秋から視線を外した。

なにも気がついていないフリをして自分の靴を取り出し、履き替える。
そこで千秋は上履きのままなことに気がついた。

下駄箱へ視線を向けると、千秋の靴がなくなっている。
一浩がどこかに隠すか、捨てるかしたに違いない。

それを千秋はずっと探していたんだろう。
たった1人で。

一瞬胸がズキリと痛む。
こんなにちゃんと目撃してしまってそのまま帰るのはさすがに気がひける。

せめて『大丈夫?』と、声をかけるべきだ。
頭では理解している。

けれどここで声をかければ、今度は自分の身に恐ろしいことが起こりそうで怖かった。
もしも千秋に声をかけているところを一浩に目撃されたら?

次のイジメのターゲットは自分になるかもしれないんだ。


そう思うと怖くて唇を引き結んでいた。
急いで靴を履き替えて千秋に背を向ける。

千秋はなにかいいたそうな顔をしていたかもしれないけれど、そこから逃げるように大股で歩き出した。
背中に千秋の視線を感じる気がして、早足になる。

校門を出るころにはほとんど走っていた。
そうして家が見え始めた頃、奈穂はようやく足を緩めてふりむいた。

そこには帰宅途中の他の学生の姿が見えるだけで、千秋の姿はなかったのだった。

☆☆☆

「あの時千秋は靴を探すことができなかった。だから交通事故に遭ったときに、上履きのままだったんだよね? 私はその理由を知っていて、また何も知らないフリをしたの」


声が震える。
ナイフを握りしめている両手も震えて、汗が滲んでいた。

自分はなにもしてない。
確かになにもしてないかもしれない。

しなければならかったことまで、しなかったんだから。
豊の万引を目撃したときすぐに追いかけていれば。

そして千秋とふたりで説得していれば。
千秋へのイジメが誘発されることもなかったかもしれない。

一浩が千秋の机にラクガキをしているとき、勇気を出して教室へ入っていれば。
一浩へ向けて『おはよう』といつもの調子で声をかけることができていれば、一浩はラクガキを思いとどまっていたかもしれない。

そんなもしもの世界を、奈穂は自分の手でことごとく握りつぶした。


その結果、千秋は交通事故に遭ったんだ。


「ごめんね千秋。私はやるべきことをしなかった。自分の中でなかったことにして、記憶に蓋をしてた」


ナイフを握りしめた手がそっと持ち上がる。
怖くてどうしようもなくて、体中がガタガタと震えだす。

サッと血の気が引いて、座っているのに倒れてしまいそうだ。
それでもこうするしか道は残されていない。

時計の針はもうすぐ5時というところまで進んでいた。
外の景色は随分と白んできて、よく見えるようになってきている。

もう少しで朝が来る。
ここで私が自殺すれば、朝が来る……。

恐怖でヒクヒクと喉が引きつり、変な声が漏れる。
千秋はさっきからなにも言わない。

チョークも動かない。
けれど見ていることだけは確実だった。


どこからか視線を感じる。
ジッとこちらを見つめている。

奈穂の手が動いた。
ナイフの先端が首に当たる。

ヒヤリとした感触に鳥肌が立った。
思わずナイフを取り落してしまいそうになるけれど、もうナイフは奈穂の手から離れなかった。

泣いても叫んでもこれで終わり。
これで全部が、終わり……。

首にナイフが突き刺さる。


「キャアアア!」


痛みと恐怖で悲鳴がほとばしり、同時に急激な眠気が奈穂を襲った。
椅子から横倒しに倒れ込んで大きな音を立てる。

そして意識が遠のいて行く瞬間、ようやく千秋の声が聞こえてきた。


「それが私の痛み」


千秋は奈穂の目の前に立っていて、今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。
これが、千秋の痛み。

千秋の指先は奈穂の首元を差している。
こんなに痛くて、こんなに苦しい毎日を送っていたんだと思うと、涙が出た。


「ごめん……ごめんなさい。ごめんなさい千秋」


謝ってもどうにもならないほどの痛み。
全身に寒気がして強い孤独を感じる。

それは途絶えること無く奈穂を襲う。


「ごめんね千秋。ごめんなさい」


ボロボロと涙を流して何度も何度も謝罪を口にする。
それでも許されることじゃないということはわかっている。

でも言わずには居られなかった。


「ごめんなさい……」


ハッと息を飲んで目を開けるとそこは見慣れた自分の部屋だった。


奈穂はしばらく呆然として天井を見上げていた。

ベッド横のサイドテーブルから目覚まし時計の音が聞こえてきてビクリと体を跳ねさせて飛び起きた。
慌てて時計を止めて時刻を確認すると朝7時だ。

いつも起きる時間になっていて、窓からは朝日が差し込んでいる。


「私、生きてる……?」


小さな声で呟いてベッドから降りると、少しふらついた。
その足でクローゼットの横にある姿見を見る。

青白い顔の自分が写っている。
全身汗だくで、だけど首に傷はなかった。

ナイフを差したはずの首に触れてみても痛みはない。
あれほど苦しくて痛かったのに、今は平気だ。

大きく息を吐き出してベッドに座り込む。
あれば全部夢だったんだろうか?


それにしてはリアルで、ナイフを握りしめていたときの手のひらはまだ汗で湿っている。
ふと視線を部屋の中へ向けてみると、昨日寝たときとかわっているところがあった。

勉強机の椅子に引っ掛けられた制服だ。
奈穂は毎日ハンガーに吊るしてクローゼットにいれているから、こんなところにあるはずがない。

そっと近づいて確認してみると、紺色のスカートがホコリまみれになっていることに気がついた。


「なにこれ」


呟き、慌ててホコリを手で払う。
そして気がついた。

教室内から脱出しようとしたときあれだけ動き回ったら、これくらいのホコリがついてもおかしくないと。
そう気がついた瞬間、奈穂の背筋は冷たくなったのだった。
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