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猫になる

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どうして自分の体が搬送されたのに、自分はここにいるんだろう。
全くわけがわからないことが起こって呆然としながらあてもなく歩く。

外はもう暗くなり始めていて早くアパートへ帰りたいのだけれど、なぜか大きな公園へ着ていた。
公園はオレンジ色の街灯がついているけれど、もう子供たちの姿は見えない。

ベンチに座って少し休憩しよう。
そう思って歩いていたとき、水たまりができていることに気がついて避けそうとした。

そのとき、自分の姿がその水の中に映し出されたのだ。
真っ白な毛に覆われたつぶらな瞳。

プルプルと小刻みに震えている体。
頭の上でしょぼくれている耳……。


「ミャア!?」
驚いてその場で大きく飛び上がる。

悲鳴を上げたのに喉から出てきたのは猫の泣き声だった。
いや、水たまりに写っている自分の姿も猫そのものだ。

もう1度、恐る恐る水たまりの中を確認してみると、やはり同じ白猫が怯えた瞳をこちらへ向けていた。

これが……私!?
自分の顔に触れようとしても触れられなかったのは、そもそも人間とは体の作りが違うからだ。

この体で顔に触れようとしたら、人間と同じように腕を伸ばしても無駄だ。
尚美は一度その場にお座りのポーズを取り、それから震える手……前足で自分の顔に触れた。

フワリとした毛の感触にヒッ! と内心で悲鳴を上げる。
少し爪を立ててみるとその感触もちゃんとあった。


全身から血の気が引いていき、座っているのに倒れてしまいそうな感覚に襲われる。
フラリと水たまりから離れて尚美はベンチの下へと向かった。

きっと私はとても疲れているんだ。
これは全部悪い夢なんだ。

少し眠れば、きっと現実世界で目を覚ますことができる。
そう信じて丸くなり、目を閉じたのだった。

☆☆☆

夢から目覚めることを期待して目を閉じたものの、外は寒くてそう簡単に眠れるものではなかった。
仕方なくベンチの下から這い出してきて公園を出る。

本当なら今頃カレーを食べているはずなのに、どうしてこんなところをさまよっているんだろう。
さっきから行く宛もなくフラフラ歩き回っているだけなので、体力も限界が近い。

それにカレーのことを思い出してしまってから無性にお腹が減ってきた。
なんでもいいから、なにか食べたい。

そんな気持ちで歩いていると、ふと見慣れた景色の中に出てきた。
ここはオフィス街で、尚美が毎日のように通勤しているビルの近くだった。

フラフラとさまよい歩いているつもりだ、つい自分の慣れた道を歩いていたみたいだ。
でも、こんなところに来ても食べ物にありつくことはできない。


一本入った場所が飲食店街になっているから、そっちへ行けばなにか食べられるかもしれない。
最後の体力を振り絞って再び歩き出そうとしたとき、体がフラリと揺れた。

そういえばこの猫はいつからご飯を食べていないんだろう。
私が助けたときにはもう何日も食べていなかったのかもしれない。

だとすれば、もう……体力が……。
ドサリと小さな体が横倒しに倒れる。

これが人間ならすぐに誰かがかけつけてくれるだろうけれど、今の尚美はただの猫だ。
小さな命が潰えようとしても、それに気がつく人はいない。

手足に力が入らなくてだんだんとまぶたが重たくなってくる。
公園では全く眠ることができなかったのに、こんなに簡単に眠れるなんて。

「おや、どうしたんだ?」
そんな声が近くで聞こえてきたような気がしたけれど、尚美はそのまま目を閉じてしまったのだった。

☆☆☆

甘いミルクの匂いがする。
体を暖かなものに包み込まれている感覚もある。

あぁ、ついに私は天国へ来たんだ。
事故に遭ってなぜか猫になってたけど、それはやっぱり全部夢だったんだなぁ。

どうしてあんな夢を見たのかはわからないけれど、ちゃんと成仏できたみたいでよかった。
あ、でも新作のコートは1度でいいから袖を通してみたかったなぁ……。

「起きたかい?」
ぼんやりと考え事をしていたところに声をかけられて尚美の意識は完全に覚醒した。

ハッと目を開けると目の前に男性の顔があって飛び上がって逃げる。
「そんなに怖がらなくてもいいのに」


男性は残念そうな表情になりながら、白い哺乳瓶を掲げてみせた。
その中にはミルクが入っていて、さっき感じた甘い匂いはこれだと気がついた。

でも、なんで……?
首をかしげた時、意識を失う寸前に声をかけられたことを思い出した。

あの声は気のせいじゃなかったんだ。
あの声の持ち主がこの男性?

しかっりと相手の顔を見ようと歩み寄ったとき、尚美の体は抱き上げられていた。
咄嗟に抵抗しようとするが、体力を消耗しすぎていてうまく行かない。

やだ!
知らない男の人に抱っこされるなんて……!!

焦りを感じている尚美の口元にミルクの瓶が差し出される。
ムリムリムリ!

こんな変なプレイみたいなこと絶対にできないって!
激しい拒絶反応と同時にお腹がグゥと空腹を訴えてくる。


クラリとめまいも感じて空腹が極限状態にあるとわかると、途端に口の中に唾が広がってくる。
甘くていい香りのミルクが目の前にある。

男性に抱っこされて哺乳瓶で飲まされるというのは少しアレだけれど、でも背に腹は変えられない!
尚美は思い切って哺乳瓶に口を近づけた。

そして一口飲むと、後は夢中になった。
前足を起用に使って哺乳瓶を支え、ゴクゴクと喉を鳴らしながらミルクを飲んでいく。

空っぽだった胃がほどよく温められたミルクによってどんどん満たされていく。
「そんなに焦って飲まなくても誰も盗んだりはしないよ」

男性がクスクス笑って言うけれど、必死になりすぎて尚美の耳には入ってこない。
ゴクゴクとミルクを飲むたびに小さな耳が連動するようにピクピク震えている。

その姿が愛らしくて男性の表情も緩みっぱなしなのだけれど、尚美はもちろん気が付かない。


そして用意されたミルクをすべて飲み干したとき、ようやく生き返った心地になっていた。
フカフカのタオルの上に乗せられると眠気が襲ってくる。

食べてすぐ眠くなるなんてまるで子供みたいだと自分でも思うけれど、実際尚美は今子猫になっているのだから仕方ないことだった。

おまけに男性が大きな手で尚美の背中を優しくなで始めた。
「もう少し眠るといいよ」

その声にはどこか聞き覚えがあったのだけれど、眠気にあらがうことができず尚美はまだまぶたを閉じたのだった。
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