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風翔の暮らしているアパートは私の家からそれほど離れていなかった。
何度か帰り道にばったり出くわしたことがあって、偶然その場所を知っていたのだ。
「行ってきます」
朝食を食べてすぐにカバンを手にした私に母親が驚いたように顔を向ける。
「あら、今日は早いのね?」
「うん。ちょっと、朝の掃除を頼まれちゃって」
適当に言い訳をしてそそくさと家を出る。
風翔がいるアパート付近へ立ち寄ってから登校するつもりだったから、いつもより30分早い。
なにせ最近の鳥殺しは午前の早い時間に行われているとニュースで聞いていたから、この時間になった。
もしかしたら、もっと早い時間かもしれないけれどさすがに早朝に家を抜け出すことは難しかった。
家から出てすぐの十字路を左に曲がりまっすぐ進む。
角まで来たら右だ。
その奥には工業団地に務めている人たちのためアパートや社宅が立ち並ぶ地域になる。
つまり風翔のお父さんは工業団地のどこかの工場勤務ということだ。
「確か、このアパートだったよね……」
沢山のアパートの中でもひときわ目立つ新しいアパートの近くで足を止めた。
以前風翔がここへ入っていくのを見たことがある。
玄関横には広い駐輪場とゴミ捨て場が設置されていて、そのどこにも人の姿は見えなかった。
風翔はもう行動を移しているだろうか?
私はアパートの外周ををぐるっと一周して確認してみたが、どこにも風翔の姿はない。
一足遅かったのかもしれない。
鳥を殺すという行為はもっとひと気のない時間帯に行われていてもおかしくはない。
今日は不発だったか。
明日出直してくるしかなさそうだ。
せっかく30分も前に家を出たのにと、肩を落として歩き出す。
アパートの近くには公園もあり、家族で暮らしやすい設計になっているのがわかった。
この公園を突っ切れば学校まで近道になるかもしれない。
そう思って公園に一歩足を踏み入れたときだった。
公園の奥の茂みからガサガサと音がして身構えた。
背の低い植木が揺れたかと思うと、そこから一羽のハトが飛び立った。
なんだハトか。
ホッと胸をなでおろしてから気がついた。
この公園はハトが多いようだ。
アパートの住民たちが餌付けをしているのか、ブランコの上やベンチの上に沢山止まっている。
なにげなくその様子を見ているとさっきの茂みがまたガサガサと音を立てた。
今度は葉がさっきよりも大きく揺れて、どう見てもハトの大きさではなかった。
私は咄嗟に入り口横にあったトイレの影に身を隠す。
顔だけ出して様子を確認していると、茂みから出てきたのは風翔だった。
風翔は右手にハトを捕まえている。
思わず上げそうになった悲鳴を飲み込んで、すぐにスマホを構えた。
風翔は公園内に人がいないことを確認すると、手の中で暴れるハトを地面に叩きつけたのだ。
ハトは脳震盪でも起こしたのか静になる。
でもまだ生きているのだろう、ハトは足や羽を動かしてどうにか逃れようとしている。
それでもすでに立ち上がることもできない状態で、そんなハトを風翔は無表情に見下ろした。
なにをする気だろうか。
息が詰まるような気分で見守っていると、風翔は学生カバンから何かを取り出した。
それは小学生時代に使ったことのある、彫刻刀セットだった。
風翔が持っているそれは、ここからでもわかるくらい先端が錆びている。
普通に使っているだけならそこまでボロボロになることはないだろう。
木製の持ち手にはあちこち赤黒いシミがついている。
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
ここは絶対に抑えておかなきゃいけない場面だ。
そう思うと自然と緊張して、体もこわばった。
緊張で手に汗が滲み、取り落してしまわないようにスマホ両手で握り直す。
画面をアップにして、風翔の顔と手元がしっかりと映るようにした。
風翔は動きが鈍くなったハトを地面に横たえると、右手で彫刻刀を持ち、左手でスマホを持った。
どうやら犯行の様子を自分でも撮影しているみたいだ。
後から見直して楽しむためだろうか。
気持ちの悪さを感じて顔をしかめた。
そして右手を高々と振り上げた時、風翔は笑った。
今までほとんど表情を変えなかった風翔が、とても楽しそうに笑ったのだ。
次の瞬間、彫刻刀はハトの脇腹に突き立てられていた。
ハトがひときわ大きく暴れて羽が飛び散る。
それでも風翔はお構いなしに彫刻刀を何度も何度もハトに突き立てた。
ハトは徐々に動きを鈍くしていき、地面にはハトの血飛沫が舞う。
風翔はすでに動かなくなったハトに彫刻刀を付き立て続けた。
それらのは行為は10分ほどで終わったけれど、その後の風翔の恍惚とした表情にはさすがに寒気がした。
風翔は砂の上に飛び散った血を靴の裏で砂をかき混ぜるようになぜてごまかし、ハトの死骸は植木の奥へと放り投げた。
すべてをやり遂げたような充実した表情でこちらへ向かってきたので、私はトイレの後方へと身を隠す。
男子トイレに入って行ってすぐに水音が聞こえてきた。
汚れた手を洗っているんだろう。
同時に鼻歌が聞こえてくる。
教室内では決して見せないその顔に、私は逃げるように公園を出たのだった。
☆☆☆
鳥殺しの犯人は風翔。
その事実をどう活用しようか、学校までの道のりでそんなことばかりを考えていた。
この証拠を突きつければきっと風翔は私の言うことを聞くはずだ。
小高先生と風翔の二人を顎で使うことができると思うと、これから先の学校生活はとても明るいものになる。
ただ、使い方を間違えないようにしないといけない。
二人を適度に脅しつつ、決して逃げられないように手懐ける必要もあった。
アメとムチ。
そんなことが自分にできるのかどうかも、不安が残る。
でも、やるしかない。
今が私の人生逆転のチャンスなんだから。
私は自分に気合をいれるためにグッと拳を握りしめたのだった。
☆☆☆
風翔に鳥殺しの証拠を掴んだことを伝えるのは、学校内では無理だと悟った。
普段風翔と私は会話をしない。
そもそも根暗同士がなにか話をしあっていたらそれだけで目立ってしまう。
そこで私は昇降口の近くで風翔が登校してくるのを待つことにした。
幸い、30分も早く家を出てきたおかげでまだ登校時間には少し早い。
風翔もそろそろやってくるだろう。
そう考えていると、案の定なにも知らない風翔がやってきた。
「おはよう」
下駄箱の影に隠れていた私は笑みを浮かべて風翔に声をかける。
ここで誰かに話かけられるとは思っていなかったのだろう、風翔は驚いた様子でこちらを見た。
けれどそれもほんの一瞬のことで、すぐにいつものように無表情になる。
風翔は返事もせずに靴を履き替えて教室へ向かおうとするので、私は少し強引にその前に立ちはだかった。
「人が挨拶してるんだからさ、返事くらいしようよ?」
あくまで優しい声で、笑顔を絶やさずに言う。
けれどそれは風翔にとって意味が悪いものだったかもしれない。
風翔は無表情だけれど警戒心を見せて「おはよう」と、小さな声で言った。
近くにいても聞き取るのが難しいくらいの声だ。
その姿は今までの私と瓜二つで、胸の奥から嫌悪感が湧き上がってくる。
私はこういう自分が本当は嫌いだったんだ。
1人でも平気だという顔をしていたけれど、本当は友だちのいない自分を自分でも嫌いだった。
今ならそれがよくわかる。
1人でいることが平気になってしまったのは、悲しいことでもあるんだ。
「ちょっと話があるんだけど、いい?」
挨拶が終わったから私の横をすり抜けて教室へ向かおうとする風翔に更に声をかける。
風翔は足を止め、今度は本当に怪訝そうな表情を浮かべた。
そうして表情を変えていてくれたほうが、よほど人間らしくていいと思う。
風翔の鳥殺しだって、結局はなにかの感情が引き金になっているはずなんだから。
「話って?」
「ここじゃ話せないから、空き教室へ行こう」
私はそう言うと、風翔の腕を掴んで強引に歩き出したのだった。
☆☆☆
A組内で根暗同士の私と風翔が一緒に歩いているのを目撃されるわけにはいなかった。
誰かに見られれば笑いものにされることは必須だ。
けれど幸いにも空き教室へ到着するまで同じクラスの生徒に会うことはなかった。
「で、話って?」
1階の廊下の奥にある空き教室は普段物置にされていて、埃っぽかった。
年中鍵が開けっ放しになっているのは、ここに置かれているものが比較的頻繁に使われるものだからだろう。
「風翔のお父さんって工業団地に務めてるの?」
突然本題へ入ってもおもしろくないので、私は探るように風翔を見る。
「そうだけど、それがなにか?」
「あの周辺で風翔の姿を見たことがあるからそうなのかなぁと思って」
「へぇ。で、話ってそれだけ?」
風翔はすぐにでもここから出て行きたそうだ。
けれど本題はまだ始まってもいない。
「今日もね、風翔をあの辺で見かけたよ」
その言葉に風翔は一瞬目を泳がせた。
どこで私に会ったのだろうかと記憶を手繰り寄せているのかもしれない。
だけど風翔の記憶の中に私はいないはずだ。
ずっと隠れていたんだから。
「でね……見ちゃった」
私がニッコリと笑う。
風翔がなにかを悟ったように一歩後ずさりをした。
「見たって……なにを?」
いつもどおりにしているつもりだろうけれど、声が微かに震えている。
「今日の、公園でのこと」
それだけ伝えれば十分だった風翔はサッと青ざめて私から視線をそらせた。
それはやましいことがある証拠だ。
「動画も撮影したんだけど、見る?」
わざとらしくそう聞いてスマホを取り出す。
するとすぐに風翔は私の手を止めさせた。
「見なくていい。わかってるから」
「そう」
私は大人しくスマホをスカートのポケットに戻る。
物分りはいい方みたいだ。
「それで、証拠を取ってどうするつもりだよ?」
「どうしようか?」
私はニッコリ笑って首をかしげる。
とにかく風翔の弱みを握っておいて損はないと思っただけだ。
これを利用するとすれば、今思い浮かんでくることは一つだけ。
「なんだよ、その笑顔……」
風翔は私の笑顔に怯えて一歩後ずさりをした。
「黙っててあげるから、私のお願いを聞いてほしい」
「お願い?」
「そう。クラスメートの正広について調べてほしいの」
その言葉に風翔はまばたきを繰り返す。
ここで正広の名前が出てくるとは思っていなかったんだろう。
「どうして?」
「誰にでも弱みはあるものでしょう? 私は正広の弱みが知りたいの」
「でも、あいつに弱みがあるとは思えないけど……」
成績優秀で、生活態度も悪くない。
誰にでも優しい正広に弱みがあるようには見えないんだろう。
私もそう思う。
だけど不穏ラジオを聞いているとどんな人間にでも不穏要素があるとわかってきた。
風翔だってその1人だ。
まさか鳥殺しの犯人だなんて、誰も思わないだろう。
「あいつの弱みを握ってどうするつもりだ?」
「それは風翔には関係ないよね?」
弱みを握って言うことを聞かせる。
私の彼氏になってもらう。
その想像はどんどん膨らんできている。
そのために風翔は必要な人材だった。
だけど、風翔は浮かない表情だ。
「仮に鳥殺しの証拠を撮っているとしても、それを誰が信じるんだよ。きっと、誰も信じない」
強気な態度の風翔に今度はこっちが押され気味だ。
「どうして? ちゃんと動画撮影したんだけど?」
やっぱり、ちゃんと動画を見せないと信用しないんだろうか。
そう思っていると風翔は左右に首を振った。
「その動画が作り物かもしれないだろ」
「どうして私がそんな手間のかかることをしなきゃいけないの?」
「さぁ? でも、イジメが原因の憂さ晴らしとか?」
風翔はそう言って笑って見せた。
時々私が優たちのイジメのターゲットになっているのを見て、笑っているのだ。
私は下唇を噛み締めて風翔を睨みつけた。
風翔はこんなふうに私のことを影で笑っていたのかもしれない。
私が心の中でクラスメートたちのことを見下し、バカにしていたのと同じように。
「憂さ晴らしするなら優の動画を撮るでしょう? イジメに風翔は関係ないんだから」
風翔は私の言葉に軽く肩をすくめてみせた。
なにを言ってもこっちの言うことを聞かないつもりらしい。
「この動画を先生に見せてもいいの? きっと退学処分になるよ。動画をネットに流して拡散するって手もあるよね。そうなればきっとお父さんの仕事にも影響が出るんじゃない?」
そう言うとようやく風翔の表情は固くなった。
風翔は今朝近くの公園で鳥殺しをしているから、父親の会社を特定されてしまう可能性が高かった。
それを引き合いに出して成功みたいだ。
「ちなみに言っておくけど、担任の小高先生も私の手先だから」
更に追い込むために小高先生の名前を出すと、風翔は呆然とした表情でこちらを見つめた。
「最近ホームルームでの小言がないと思わない? あれ、私がやめるように言ったんだ」
信じているかどうかわからないが、風翔は曖昧な様子で頷いて見せた。
とにかく、風翔を手球にとることには成功したみたいでホッとする。
「俺は正広の弱みをつかめばそれでいいわけ?」
「そうだよ。お願いね」
私はそう言うと風翔の肩をポンッと叩いて教室を出たのだった。
☆☆☆
風翔は私の言いつけを守り、休憩時間になると何気なく正広に近づいて探りを入れてくれていた。
と言っても、普段教室内で会話をしない風翔だから、自分から話しかけるようなことはしない。
ただ、正広が友人らと会話しているのに聞き耳を立てているだけだ。
「ちょっと涼香、邪魔なんだけど」
風翔の様子が気になっている横で、優が涼香へ冷たい声をかけていた。
涼香は優のためにジュースを買ってきたところだったけれど、優の机に近づいただけで怒られている。
「ご、ごめんね」
咄嗟に優から離れて、手を伸ばしてジュースを渡そうとしている。
優はパックのイチゴミルクを受け取り、無言でストローを突き刺した。
その様子を涼香は少し離れた場所に立って見つめている。
優はお礼も何も言わないけれど、自分が買ってきたものを飲んでくれているだけで涼香は嬉しいらしい。
その顔には笑みが浮かんでいた。
ジュースの差し入れを拒絶されなかったから、自分の立場が少し回復したと感じているのかもしれない。
だけど、そんな期待も次の瞬間には途切れていた。
優はストローから口を離すと「なにこれマッズ!」と、わざと教室中に聞こえる声で言ったのだ。
涼香の顔が一瞬にして引きつり、青ざめる。
教室にいた生徒たちの視線が涼香と優のふたりに集まる。
優は顔をしかめて「こんなもの私に飲ませやがって!」と、涼香を罵倒した。
「え、でもこれ、いつも優が飲んでるやつ……」
「はぁ? 言い訳してんじゃねぇよ!」
優は涼香に言い訳するすきも与えずに、涼香の頭からジュースをぶっかけたのだ。
ピンク色をしたジュースが涼香の頭から頬にかけて流れ落ちる。
甘ったるい匂いが教室の中に充満する。
涼香は呆然として立ち尽くし、優の笑い声が響き渡る。
「あははは! うける!」
手を叩いて笑う優に釣られるようにして、優の取り巻きたちも笑い声を上げ始めた。
涼香を指差して、涼香を見下して、涼香をさげすんで笑う。
涼香はようやく自分がなにをされたのか理解したようで、うつむいてしまった。
「ちゃんと片付けしとけよ」
優はそう言って空になったパックを涼香に投げつけたのだった。
☆☆☆
お昼にお弁当を食べ終わってから、私は1階の空き教室で風翔と合流した。
すぐに連絡を取れるように、今朝メッセージ交換をしておいたのだ。
「なにかわかった?」
空き教室の机の上に座って聞くと、風翔は渋い表情で左右に首を振った。
「特に何も。こんな短期間じゃ無理だろ」
まぁ、期待はしていなかった通りの答えだった。
正広は午前中ずっと教室内にいたし、やましい行動は見ていない。
それでもこうして風翔を呼び出したのは、ちゃんと使えているかどうか確認するためだった。
「そう。他になにか面白そうなことはなかった?」
私に咎められることのなかった風翔は少し安心したように表情を崩し、それから「面白いことと言えば」となにか思い出したように口を開く。
「正広には好きな子がいるらしい」
その言葉に私は大きく息を吸い込んだ。
昨日の放課後のことを思い出してしまい、感情が表に流れ出てしまいそうになる。
「それで? 相手は?」
「同じクラスの斎藤春菜」
斎藤春菜!?
その名前に私は大きく目を見開き、呼吸をすることも忘れてしまっていた。
教室内での春菜はいつもお菓子を食べていて、ぽっちゃりしている。
それだけのイメージしかなかった。
「なんで、あいつを!?」
思わず声が荒くなる。
正広が好きになった相手が春菜だなんて、信じられない。
あんなヤツのどこがいいのか検討もつかなかった。
あんなデブよりも、見た目だけなら私の方がずっといいはずだ!!
「春菜は優しいからね」
風翔はわかったように答える。
それが気に入らなくて睨みつけた。
「優しい? どこが?」
確かに春菜は私がイジメられていたときに声をかけてくれた。
でも、それだけだ。
私がベランダに閉じ込めらたときには笑っていたことを忘れてはいない。
「あんなデブのどこがいいの」
チッと舌打ちすると風翔が驚いたようにこちらを見つめた。
そういえば普段は自分の本心はすべて心の中だけにとどめていたんだった。
今日始めて私の本心を耳にした風翔が驚いても仕方ないことだった。
「こっちが本当の私だから」
そう言うと風翔は納得したように頷いた。
鳥殺しをしている風翔としても、納得できることがあったのだろう。
私達はどこか似ている者同士なのかもしれない。
「とりあえず、午後からも正広の弱みを探してよ」
「わかってる。だけど簡単じゃないぞ。あいつは少なくても学校内で悪い顔を見せないと思う」
「あんたと同じで?」
そう聞くと風翔はしかめっ面をして見せた。
学校内で猫を被っているのだとすれば、外に出た時にも尾行してその正体を探るしか方法はない。
思った以上に長い戦いになりそうだけれど、正広と付き合うためなら時間をかけたってかまわない。
「ところであんた、なんで鳥殺しなんてしてるの?」
ふと思い立ってそう聞いた。
別に風翔がなにをしようが関係ないけれど、最近あまりに騒がれている事件だから興味が湧いた。
風翔は軽く肩をすくめると「つまらないから」と、答えた。
「学校も、家も、つまらない」
風翔の言葉に私の胸の中がうずいた。
私も前はそうだった。
不穏ラジオが聞こえ始める前までは、風翔と同じでなにもかもがつまらなかった。
「鳥を殺しているときだけはなんだかスッとするんだ」
「それって今の私と似てるかも」
誰かの弱みを握って言うことを聞かせるとき、心がスッとする。
まるで今まで蓄積されてきたストレスが、一瞬で解放されるような気分になる。
けれどそれは長期間持続するわけではない。
何度も繰り返していかないと、またすぐに心に澱が溜まってきてしまう。
だから、繰り返すんだ。
私も、風翔も。
「そろそろ行かないと怪しまれる」
あまり教室から出ない風翔が時間を気にしてそう言った。
「先に教室に戻って。私は後から行く」
そう言うと風翔は頷いて私に背を向けた。
しかし、正広の好きな相手が春菜とは以外だった。
今度は春菜の弱みを握ってそれを正広に聞かせるということも手かもしれない。
正広がドン引きしてしまうような黒い弱みが春菜にあればいいけれど。
そう思っていたときだった。
教室から出ようとしていた風翔が途端に立ち止まり、後退りをした。
どうしたのかと声を掛ける前に、教室に小高先生と副担任の飯田先生が入ってくるのが見えた。
小高先生がこちらに気が付き、少しだけ表情を変える。
「な、なんですか?」
後ずさりをした風翔がとまどった声を上げる。
私はすぐに風翔の後ろへ駆け寄った。
なにかよくない雰囲気がしている。
「どうしたんですか?」
風翔の後ろから声をかけると、飯田先生が鋭い視線をこちらへ向けた。
まだ30代前半の女性の先生だけれど、小高先生よりも威圧感がある。
黒縁ネガネの奥の目が、風翔へと注がれた。
「樋口風翔くんに話があります。今から職員室に来てください」
そう告げる飯田先生に風翔がこちらを振り向いた。
その表情は助けて欲しいと訴えかけている。
「今、風翔は私と話をしてたんです」
助け舟を出すけれど、飯田先生は動じない。
「こちらはとても大切な話なんです。樋口くんの人生に関わることです」
その言い方には有無を言わせぬ迫力があった。
風翔の人生に関わる話とはなんだろう?
そもそも、生徒に話があるのなら校内アナウンスをすればいいだけだ。
なのにアナウンスを使わないということは、それなりに大きな理由があるということなんだろう。
私は小高先生へ視線を向けた。
小高先生は気まずそうにすぐに視線をそらせる。
「私にもその話を聞かせてください」
「そういうわけには行きません」
答えたのは飯田先生だ。
だけど私は真っ直ぐに小高先生を見る。
小高先生は気まずそうに何度も咳払いをして、観念したように口を開いた。
「樋口には最近の鳥殺しの容疑がかかってる」
「先生!?」
飯田先生が小高先生に非難の目を向ける。
こんな重要なことを簡単に生徒に話していいはずがないからだ。
私は風翔と視線を見交わせた。
風翔は眉間にシワを寄せてこちらを睨みつけてくる。
「違う、私じゃない」
私はすぐに左右に首を振った。
風翔は私が情報を提供したと考えているみたいだけれど、そんなことをするはずがなかった。
なにせ風翔にはまだまだ動いてもらうつもりでいたのだから。
それについては風翔もわかっているようで、視線を先生へ戻した。
「今朝、公園で目撃証言があったんだ。今警察が来てる」
小高先生が手短に説明する。
まさかあの場所にいたのが私だけじゃなかったなんて迂闊だった。
でも、アパートが立ち並んでいるあの区画でなら、誰が見ていてもおかしくはなかったんだ。
私は親指の爪を強く噛んだ。
せっかく使えるコマをひとつ増やせたと思ったのに、もう使い物にならなくなってしまった。
「とにかく、行きましょう」
風翔の右に飯田先生、左側に小高先生が立ち、まるで囚われた小人のように連れて行かれる風翔。
私はその後姿を見送り、舌打ちをしたのだった。
何度か帰り道にばったり出くわしたことがあって、偶然その場所を知っていたのだ。
「行ってきます」
朝食を食べてすぐにカバンを手にした私に母親が驚いたように顔を向ける。
「あら、今日は早いのね?」
「うん。ちょっと、朝の掃除を頼まれちゃって」
適当に言い訳をしてそそくさと家を出る。
風翔がいるアパート付近へ立ち寄ってから登校するつもりだったから、いつもより30分早い。
なにせ最近の鳥殺しは午前の早い時間に行われているとニュースで聞いていたから、この時間になった。
もしかしたら、もっと早い時間かもしれないけれどさすがに早朝に家を抜け出すことは難しかった。
家から出てすぐの十字路を左に曲がりまっすぐ進む。
角まで来たら右だ。
その奥には工業団地に務めている人たちのためアパートや社宅が立ち並ぶ地域になる。
つまり風翔のお父さんは工業団地のどこかの工場勤務ということだ。
「確か、このアパートだったよね……」
沢山のアパートの中でもひときわ目立つ新しいアパートの近くで足を止めた。
以前風翔がここへ入っていくのを見たことがある。
玄関横には広い駐輪場とゴミ捨て場が設置されていて、そのどこにも人の姿は見えなかった。
風翔はもう行動を移しているだろうか?
私はアパートの外周ををぐるっと一周して確認してみたが、どこにも風翔の姿はない。
一足遅かったのかもしれない。
鳥を殺すという行為はもっとひと気のない時間帯に行われていてもおかしくはない。
今日は不発だったか。
明日出直してくるしかなさそうだ。
せっかく30分も前に家を出たのにと、肩を落として歩き出す。
アパートの近くには公園もあり、家族で暮らしやすい設計になっているのがわかった。
この公園を突っ切れば学校まで近道になるかもしれない。
そう思って公園に一歩足を踏み入れたときだった。
公園の奥の茂みからガサガサと音がして身構えた。
背の低い植木が揺れたかと思うと、そこから一羽のハトが飛び立った。
なんだハトか。
ホッと胸をなでおろしてから気がついた。
この公園はハトが多いようだ。
アパートの住民たちが餌付けをしているのか、ブランコの上やベンチの上に沢山止まっている。
なにげなくその様子を見ているとさっきの茂みがまたガサガサと音を立てた。
今度は葉がさっきよりも大きく揺れて、どう見てもハトの大きさではなかった。
私は咄嗟に入り口横にあったトイレの影に身を隠す。
顔だけ出して様子を確認していると、茂みから出てきたのは風翔だった。
風翔は右手にハトを捕まえている。
思わず上げそうになった悲鳴を飲み込んで、すぐにスマホを構えた。
風翔は公園内に人がいないことを確認すると、手の中で暴れるハトを地面に叩きつけたのだ。
ハトは脳震盪でも起こしたのか静になる。
でもまだ生きているのだろう、ハトは足や羽を動かしてどうにか逃れようとしている。
それでもすでに立ち上がることもできない状態で、そんなハトを風翔は無表情に見下ろした。
なにをする気だろうか。
息が詰まるような気分で見守っていると、風翔は学生カバンから何かを取り出した。
それは小学生時代に使ったことのある、彫刻刀セットだった。
風翔が持っているそれは、ここからでもわかるくらい先端が錆びている。
普通に使っているだけならそこまでボロボロになることはないだろう。
木製の持ち手にはあちこち赤黒いシミがついている。
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
ここは絶対に抑えておかなきゃいけない場面だ。
そう思うと自然と緊張して、体もこわばった。
緊張で手に汗が滲み、取り落してしまわないようにスマホ両手で握り直す。
画面をアップにして、風翔の顔と手元がしっかりと映るようにした。
風翔は動きが鈍くなったハトを地面に横たえると、右手で彫刻刀を持ち、左手でスマホを持った。
どうやら犯行の様子を自分でも撮影しているみたいだ。
後から見直して楽しむためだろうか。
気持ちの悪さを感じて顔をしかめた。
そして右手を高々と振り上げた時、風翔は笑った。
今までほとんど表情を変えなかった風翔が、とても楽しそうに笑ったのだ。
次の瞬間、彫刻刀はハトの脇腹に突き立てられていた。
ハトがひときわ大きく暴れて羽が飛び散る。
それでも風翔はお構いなしに彫刻刀を何度も何度もハトに突き立てた。
ハトは徐々に動きを鈍くしていき、地面にはハトの血飛沫が舞う。
風翔はすでに動かなくなったハトに彫刻刀を付き立て続けた。
それらのは行為は10分ほどで終わったけれど、その後の風翔の恍惚とした表情にはさすがに寒気がした。
風翔は砂の上に飛び散った血を靴の裏で砂をかき混ぜるようになぜてごまかし、ハトの死骸は植木の奥へと放り投げた。
すべてをやり遂げたような充実した表情でこちらへ向かってきたので、私はトイレの後方へと身を隠す。
男子トイレに入って行ってすぐに水音が聞こえてきた。
汚れた手を洗っているんだろう。
同時に鼻歌が聞こえてくる。
教室内では決して見せないその顔に、私は逃げるように公園を出たのだった。
☆☆☆
鳥殺しの犯人は風翔。
その事実をどう活用しようか、学校までの道のりでそんなことばかりを考えていた。
この証拠を突きつければきっと風翔は私の言うことを聞くはずだ。
小高先生と風翔の二人を顎で使うことができると思うと、これから先の学校生活はとても明るいものになる。
ただ、使い方を間違えないようにしないといけない。
二人を適度に脅しつつ、決して逃げられないように手懐ける必要もあった。
アメとムチ。
そんなことが自分にできるのかどうかも、不安が残る。
でも、やるしかない。
今が私の人生逆転のチャンスなんだから。
私は自分に気合をいれるためにグッと拳を握りしめたのだった。
☆☆☆
風翔に鳥殺しの証拠を掴んだことを伝えるのは、学校内では無理だと悟った。
普段風翔と私は会話をしない。
そもそも根暗同士がなにか話をしあっていたらそれだけで目立ってしまう。
そこで私は昇降口の近くで風翔が登校してくるのを待つことにした。
幸い、30分も早く家を出てきたおかげでまだ登校時間には少し早い。
風翔もそろそろやってくるだろう。
そう考えていると、案の定なにも知らない風翔がやってきた。
「おはよう」
下駄箱の影に隠れていた私は笑みを浮かべて風翔に声をかける。
ここで誰かに話かけられるとは思っていなかったのだろう、風翔は驚いた様子でこちらを見た。
けれどそれもほんの一瞬のことで、すぐにいつものように無表情になる。
風翔は返事もせずに靴を履き替えて教室へ向かおうとするので、私は少し強引にその前に立ちはだかった。
「人が挨拶してるんだからさ、返事くらいしようよ?」
あくまで優しい声で、笑顔を絶やさずに言う。
けれどそれは風翔にとって意味が悪いものだったかもしれない。
風翔は無表情だけれど警戒心を見せて「おはよう」と、小さな声で言った。
近くにいても聞き取るのが難しいくらいの声だ。
その姿は今までの私と瓜二つで、胸の奥から嫌悪感が湧き上がってくる。
私はこういう自分が本当は嫌いだったんだ。
1人でも平気だという顔をしていたけれど、本当は友だちのいない自分を自分でも嫌いだった。
今ならそれがよくわかる。
1人でいることが平気になってしまったのは、悲しいことでもあるんだ。
「ちょっと話があるんだけど、いい?」
挨拶が終わったから私の横をすり抜けて教室へ向かおうとする風翔に更に声をかける。
風翔は足を止め、今度は本当に怪訝そうな表情を浮かべた。
そうして表情を変えていてくれたほうが、よほど人間らしくていいと思う。
風翔の鳥殺しだって、結局はなにかの感情が引き金になっているはずなんだから。
「話って?」
「ここじゃ話せないから、空き教室へ行こう」
私はそう言うと、風翔の腕を掴んで強引に歩き出したのだった。
☆☆☆
A組内で根暗同士の私と風翔が一緒に歩いているのを目撃されるわけにはいなかった。
誰かに見られれば笑いものにされることは必須だ。
けれど幸いにも空き教室へ到着するまで同じクラスの生徒に会うことはなかった。
「で、話って?」
1階の廊下の奥にある空き教室は普段物置にされていて、埃っぽかった。
年中鍵が開けっ放しになっているのは、ここに置かれているものが比較的頻繁に使われるものだからだろう。
「風翔のお父さんって工業団地に務めてるの?」
突然本題へ入ってもおもしろくないので、私は探るように風翔を見る。
「そうだけど、それがなにか?」
「あの周辺で風翔の姿を見たことがあるからそうなのかなぁと思って」
「へぇ。で、話ってそれだけ?」
風翔はすぐにでもここから出て行きたそうだ。
けれど本題はまだ始まってもいない。
「今日もね、風翔をあの辺で見かけたよ」
その言葉に風翔は一瞬目を泳がせた。
どこで私に会ったのだろうかと記憶を手繰り寄せているのかもしれない。
だけど風翔の記憶の中に私はいないはずだ。
ずっと隠れていたんだから。
「でね……見ちゃった」
私がニッコリと笑う。
風翔がなにかを悟ったように一歩後ずさりをした。
「見たって……なにを?」
いつもどおりにしているつもりだろうけれど、声が微かに震えている。
「今日の、公園でのこと」
それだけ伝えれば十分だった風翔はサッと青ざめて私から視線をそらせた。
それはやましいことがある証拠だ。
「動画も撮影したんだけど、見る?」
わざとらしくそう聞いてスマホを取り出す。
するとすぐに風翔は私の手を止めさせた。
「見なくていい。わかってるから」
「そう」
私は大人しくスマホをスカートのポケットに戻る。
物分りはいい方みたいだ。
「それで、証拠を取ってどうするつもりだよ?」
「どうしようか?」
私はニッコリ笑って首をかしげる。
とにかく風翔の弱みを握っておいて損はないと思っただけだ。
これを利用するとすれば、今思い浮かんでくることは一つだけ。
「なんだよ、その笑顔……」
風翔は私の笑顔に怯えて一歩後ずさりをした。
「黙っててあげるから、私のお願いを聞いてほしい」
「お願い?」
「そう。クラスメートの正広について調べてほしいの」
その言葉に風翔はまばたきを繰り返す。
ここで正広の名前が出てくるとは思っていなかったんだろう。
「どうして?」
「誰にでも弱みはあるものでしょう? 私は正広の弱みが知りたいの」
「でも、あいつに弱みがあるとは思えないけど……」
成績優秀で、生活態度も悪くない。
誰にでも優しい正広に弱みがあるようには見えないんだろう。
私もそう思う。
だけど不穏ラジオを聞いているとどんな人間にでも不穏要素があるとわかってきた。
風翔だってその1人だ。
まさか鳥殺しの犯人だなんて、誰も思わないだろう。
「あいつの弱みを握ってどうするつもりだ?」
「それは風翔には関係ないよね?」
弱みを握って言うことを聞かせる。
私の彼氏になってもらう。
その想像はどんどん膨らんできている。
そのために風翔は必要な人材だった。
だけど、風翔は浮かない表情だ。
「仮に鳥殺しの証拠を撮っているとしても、それを誰が信じるんだよ。きっと、誰も信じない」
強気な態度の風翔に今度はこっちが押され気味だ。
「どうして? ちゃんと動画撮影したんだけど?」
やっぱり、ちゃんと動画を見せないと信用しないんだろうか。
そう思っていると風翔は左右に首を振った。
「その動画が作り物かもしれないだろ」
「どうして私がそんな手間のかかることをしなきゃいけないの?」
「さぁ? でも、イジメが原因の憂さ晴らしとか?」
風翔はそう言って笑って見せた。
時々私が優たちのイジメのターゲットになっているのを見て、笑っているのだ。
私は下唇を噛み締めて風翔を睨みつけた。
風翔はこんなふうに私のことを影で笑っていたのかもしれない。
私が心の中でクラスメートたちのことを見下し、バカにしていたのと同じように。
「憂さ晴らしするなら優の動画を撮るでしょう? イジメに風翔は関係ないんだから」
風翔は私の言葉に軽く肩をすくめてみせた。
なにを言ってもこっちの言うことを聞かないつもりらしい。
「この動画を先生に見せてもいいの? きっと退学処分になるよ。動画をネットに流して拡散するって手もあるよね。そうなればきっとお父さんの仕事にも影響が出るんじゃない?」
そう言うとようやく風翔の表情は固くなった。
風翔は今朝近くの公園で鳥殺しをしているから、父親の会社を特定されてしまう可能性が高かった。
それを引き合いに出して成功みたいだ。
「ちなみに言っておくけど、担任の小高先生も私の手先だから」
更に追い込むために小高先生の名前を出すと、風翔は呆然とした表情でこちらを見つめた。
「最近ホームルームでの小言がないと思わない? あれ、私がやめるように言ったんだ」
信じているかどうかわからないが、風翔は曖昧な様子で頷いて見せた。
とにかく、風翔を手球にとることには成功したみたいでホッとする。
「俺は正広の弱みをつかめばそれでいいわけ?」
「そうだよ。お願いね」
私はそう言うと風翔の肩をポンッと叩いて教室を出たのだった。
☆☆☆
風翔は私の言いつけを守り、休憩時間になると何気なく正広に近づいて探りを入れてくれていた。
と言っても、普段教室内で会話をしない風翔だから、自分から話しかけるようなことはしない。
ただ、正広が友人らと会話しているのに聞き耳を立てているだけだ。
「ちょっと涼香、邪魔なんだけど」
風翔の様子が気になっている横で、優が涼香へ冷たい声をかけていた。
涼香は優のためにジュースを買ってきたところだったけれど、優の机に近づいただけで怒られている。
「ご、ごめんね」
咄嗟に優から離れて、手を伸ばしてジュースを渡そうとしている。
優はパックのイチゴミルクを受け取り、無言でストローを突き刺した。
その様子を涼香は少し離れた場所に立って見つめている。
優はお礼も何も言わないけれど、自分が買ってきたものを飲んでくれているだけで涼香は嬉しいらしい。
その顔には笑みが浮かんでいた。
ジュースの差し入れを拒絶されなかったから、自分の立場が少し回復したと感じているのかもしれない。
だけど、そんな期待も次の瞬間には途切れていた。
優はストローから口を離すと「なにこれマッズ!」と、わざと教室中に聞こえる声で言ったのだ。
涼香の顔が一瞬にして引きつり、青ざめる。
教室にいた生徒たちの視線が涼香と優のふたりに集まる。
優は顔をしかめて「こんなもの私に飲ませやがって!」と、涼香を罵倒した。
「え、でもこれ、いつも優が飲んでるやつ……」
「はぁ? 言い訳してんじゃねぇよ!」
優は涼香に言い訳するすきも与えずに、涼香の頭からジュースをぶっかけたのだ。
ピンク色をしたジュースが涼香の頭から頬にかけて流れ落ちる。
甘ったるい匂いが教室の中に充満する。
涼香は呆然として立ち尽くし、優の笑い声が響き渡る。
「あははは! うける!」
手を叩いて笑う優に釣られるようにして、優の取り巻きたちも笑い声を上げ始めた。
涼香を指差して、涼香を見下して、涼香をさげすんで笑う。
涼香はようやく自分がなにをされたのか理解したようで、うつむいてしまった。
「ちゃんと片付けしとけよ」
優はそう言って空になったパックを涼香に投げつけたのだった。
☆☆☆
お昼にお弁当を食べ終わってから、私は1階の空き教室で風翔と合流した。
すぐに連絡を取れるように、今朝メッセージ交換をしておいたのだ。
「なにかわかった?」
空き教室の机の上に座って聞くと、風翔は渋い表情で左右に首を振った。
「特に何も。こんな短期間じゃ無理だろ」
まぁ、期待はしていなかった通りの答えだった。
正広は午前中ずっと教室内にいたし、やましい行動は見ていない。
それでもこうして風翔を呼び出したのは、ちゃんと使えているかどうか確認するためだった。
「そう。他になにか面白そうなことはなかった?」
私に咎められることのなかった風翔は少し安心したように表情を崩し、それから「面白いことと言えば」となにか思い出したように口を開く。
「正広には好きな子がいるらしい」
その言葉に私は大きく息を吸い込んだ。
昨日の放課後のことを思い出してしまい、感情が表に流れ出てしまいそうになる。
「それで? 相手は?」
「同じクラスの斎藤春菜」
斎藤春菜!?
その名前に私は大きく目を見開き、呼吸をすることも忘れてしまっていた。
教室内での春菜はいつもお菓子を食べていて、ぽっちゃりしている。
それだけのイメージしかなかった。
「なんで、あいつを!?」
思わず声が荒くなる。
正広が好きになった相手が春菜だなんて、信じられない。
あんなヤツのどこがいいのか検討もつかなかった。
あんなデブよりも、見た目だけなら私の方がずっといいはずだ!!
「春菜は優しいからね」
風翔はわかったように答える。
それが気に入らなくて睨みつけた。
「優しい? どこが?」
確かに春菜は私がイジメられていたときに声をかけてくれた。
でも、それだけだ。
私がベランダに閉じ込めらたときには笑っていたことを忘れてはいない。
「あんなデブのどこがいいの」
チッと舌打ちすると風翔が驚いたようにこちらを見つめた。
そういえば普段は自分の本心はすべて心の中だけにとどめていたんだった。
今日始めて私の本心を耳にした風翔が驚いても仕方ないことだった。
「こっちが本当の私だから」
そう言うと風翔は納得したように頷いた。
鳥殺しをしている風翔としても、納得できることがあったのだろう。
私達はどこか似ている者同士なのかもしれない。
「とりあえず、午後からも正広の弱みを探してよ」
「わかってる。だけど簡単じゃないぞ。あいつは少なくても学校内で悪い顔を見せないと思う」
「あんたと同じで?」
そう聞くと風翔はしかめっ面をして見せた。
学校内で猫を被っているのだとすれば、外に出た時にも尾行してその正体を探るしか方法はない。
思った以上に長い戦いになりそうだけれど、正広と付き合うためなら時間をかけたってかまわない。
「ところであんた、なんで鳥殺しなんてしてるの?」
ふと思い立ってそう聞いた。
別に風翔がなにをしようが関係ないけれど、最近あまりに騒がれている事件だから興味が湧いた。
風翔は軽く肩をすくめると「つまらないから」と、答えた。
「学校も、家も、つまらない」
風翔の言葉に私の胸の中がうずいた。
私も前はそうだった。
不穏ラジオが聞こえ始める前までは、風翔と同じでなにもかもがつまらなかった。
「鳥を殺しているときだけはなんだかスッとするんだ」
「それって今の私と似てるかも」
誰かの弱みを握って言うことを聞かせるとき、心がスッとする。
まるで今まで蓄積されてきたストレスが、一瞬で解放されるような気分になる。
けれどそれは長期間持続するわけではない。
何度も繰り返していかないと、またすぐに心に澱が溜まってきてしまう。
だから、繰り返すんだ。
私も、風翔も。
「そろそろ行かないと怪しまれる」
あまり教室から出ない風翔が時間を気にしてそう言った。
「先に教室に戻って。私は後から行く」
そう言うと風翔は頷いて私に背を向けた。
しかし、正広の好きな相手が春菜とは以外だった。
今度は春菜の弱みを握ってそれを正広に聞かせるということも手かもしれない。
正広がドン引きしてしまうような黒い弱みが春菜にあればいいけれど。
そう思っていたときだった。
教室から出ようとしていた風翔が途端に立ち止まり、後退りをした。
どうしたのかと声を掛ける前に、教室に小高先生と副担任の飯田先生が入ってくるのが見えた。
小高先生がこちらに気が付き、少しだけ表情を変える。
「な、なんですか?」
後ずさりをした風翔がとまどった声を上げる。
私はすぐに風翔の後ろへ駆け寄った。
なにかよくない雰囲気がしている。
「どうしたんですか?」
風翔の後ろから声をかけると、飯田先生が鋭い視線をこちらへ向けた。
まだ30代前半の女性の先生だけれど、小高先生よりも威圧感がある。
黒縁ネガネの奥の目が、風翔へと注がれた。
「樋口風翔くんに話があります。今から職員室に来てください」
そう告げる飯田先生に風翔がこちらを振り向いた。
その表情は助けて欲しいと訴えかけている。
「今、風翔は私と話をしてたんです」
助け舟を出すけれど、飯田先生は動じない。
「こちらはとても大切な話なんです。樋口くんの人生に関わることです」
その言い方には有無を言わせぬ迫力があった。
風翔の人生に関わる話とはなんだろう?
そもそも、生徒に話があるのなら校内アナウンスをすればいいだけだ。
なのにアナウンスを使わないということは、それなりに大きな理由があるということなんだろう。
私は小高先生へ視線を向けた。
小高先生は気まずそうにすぐに視線をそらせる。
「私にもその話を聞かせてください」
「そういうわけには行きません」
答えたのは飯田先生だ。
だけど私は真っ直ぐに小高先生を見る。
小高先生は気まずそうに何度も咳払いをして、観念したように口を開いた。
「樋口には最近の鳥殺しの容疑がかかってる」
「先生!?」
飯田先生が小高先生に非難の目を向ける。
こんな重要なことを簡単に生徒に話していいはずがないからだ。
私は風翔と視線を見交わせた。
風翔は眉間にシワを寄せてこちらを睨みつけてくる。
「違う、私じゃない」
私はすぐに左右に首を振った。
風翔は私が情報を提供したと考えているみたいだけれど、そんなことをするはずがなかった。
なにせ風翔にはまだまだ動いてもらうつもりでいたのだから。
それについては風翔もわかっているようで、視線を先生へ戻した。
「今朝、公園で目撃証言があったんだ。今警察が来てる」
小高先生が手短に説明する。
まさかあの場所にいたのが私だけじゃなかったなんて迂闊だった。
でも、アパートが立ち並んでいるあの区画でなら、誰が見ていてもおかしくはなかったんだ。
私は親指の爪を強く噛んだ。
せっかく使えるコマをひとつ増やせたと思ったのに、もう使い物にならなくなってしまった。
「とにかく、行きましょう」
風翔の右に飯田先生、左側に小高先生が立ち、まるで囚われた小人のように連れて行かれる風翔。
私はその後姿を見送り、舌打ちをしたのだった。
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