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いなくなる
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本当に神様がいたなんて……。
薫子は呆然として本殿の天井を見上げていた。
神様はすぐに縁切りしてやると言ってから、こつ然と姿を消してしまった。
今本殿には薫子1人だけだったが、神様が残していった火がふたつがけ残っていてふわふわと空中に浮いていた。
それがなければ自分は夢を見ていたのだと思ったところだろう。
火は遊ぶように飛び回ったり、薫子に近づいたりしてくる。
その火に触れても不思議と熱さはなく、変わりに体の芯かわジワリと温まっていくのを感じた。
夜の寒さもいつの間にか感じなくなっていることに薫子は驚いた。
そしていつの間にかうとうとし始めた薫子はふたつの火に見守られるようにして目を閉じたのだった。
☆☆☆
「本当にありがとうございます!」
翌日、外から聞こえてきたそんな声で薫子は目を覚ました。
一瞬ここがどこだかわからなかったけれど、すぐに縁切り神社の本殿だと気がついた。
昨日見た火はすでにどこにもおらず、扉の隙間から太陽の光が差し込んできている。
薫子は着物姿のまま床で寝てしまい、身体のあちこちが痛くなっていたがどうにか上半身を起こして外の様子を伺った。
隙間から確認してみると沢山の村人たちが手にお供え物を持ち、列をなしている。
「一晩のうちに盗賊はいなくなりました。ありがとうございました」
口々に礼を言い、お供え物を置いて戻っていく。
その顔はみんな笑顔で、清々しいほどだ。
「神様が助けてくれだんだ」
薫子は昨晩のことを思い出してつぶやいた。
神様はたしかにいた。
キレイな男の顔をしていて、熱くない火を出してみせた。
でも……。
と、本殿の中を見回してみる。
今はどこにも神様の姿はないようだ。
一体どこへ行ったのか。
また戻ってくるんだろうか。
そう考えている間によく知った声が外から聞こえてきた。
「神様ありがとうございます」
菊乃だ!
薫子はすぐに扉へかけよって開けようとしたが、思いとどまった。
自分はすでに生贄になった身だ。
まだ死んではいないけれど、きっと時期に殺されるだろう。
そんな自分が今出ていけばまた菊乃を悲しませてしまうだけだ。
扉へ伸ばした両手で拳をつくり、引っ込める。
声をかけない変わりに隙間から菊乃の様子を確認してみると、菊乃もまた他の村人たちと同じように笑顔を浮かべている。
盗賊が来てから久しく見ていなかった心からの笑顔だ。
その顔を見るだけで薫子の心は満たされていった。
よかった。
本当によかった。
これで怯えて過ごさなくてすむ。
夜だって、安心してぐっすりと眠ることができるはずだ。
そう思い、薫子はそっと扉から身を離したのだった。
☆☆☆
狭い本殿の中に気配を感じたのは、村人たちの姿がなくなってからだった。
ギッと床の軋む音がして薫子はそちらへ視線を向ける。
するといつの間に切神がそこに立っているのだ。
「どうやら盗賊はいなくなったようだ」
「あ、ありがとうございます! これでみんな平和に暮らすことができます」
薫子はすぐに正座をして頭を下げた。
「いや、私がいなかったことで色々と被害もあったようだ。悪かった」
切神が薫子の前にあぐらをかいて座り、そういうので慌てて左右に首を振った。
「神無月であることを失念していたのは私たちです。覚えていれば、神様が動けないことも承知していたはずです」
決して切神のせいではない。
出雲では神々の大切な話し合いがあったはずだ。
「それは?」
切神が薫子の横にあるカゴに気がついて視線を向けた。
菊乃が持たせてくれた食べ物だ。
そういえば昨日ここへ来てからなにも食べていないことを思い出した。
薫子のお腹は急速に空腹を訴えてグゥと鳴ってしまった。
「腹が減っているようだな。なにか準備するか」
そう言って立ち上がろうとする切神を薫子は慌てて止めた。
こんなことで切神の手をわずらわせるわけにはいかない。
「わ、私なら大丈夫です。ここへ来る前に友達の菊乃が持たせてくれました」
薫子はそう言うとカゴの中から栗ご飯で作ったおむすびを取り出した。
おむすびは薫子の手からはみ出るくらいに大きくて、菊乃の思いやりを感じて胸の奥がジワリと熱くなった。
「栗ご飯か、うまそうだな」
「た、食べますか?」
もうひとつカゴの中から栗ご飯のおにぎりを取り出す。
中を確認してみると大きなおにぎりがあと3つ入れられていることに気がついた。
こんなに沢山作ってくれるなんて。
思わず涙が滲んできて、慌てて手の甲でそれを拭った。
「お前がもったものだろう。私が食べるわけにはいかない」
「沢山あるから、大丈夫です」
薫子はそう言うと少し強引に切神の手におにぎりを載せた。
切神の手の平にはピッタリサイズだ。
切神はしげしげとおにぎりを見つめた後、それを一口くちに入れた。
なにかを確かめるように丁寧に咀嚼していく。
ゴクリと飲み込むのを確認して「どうですか?」と、恐る恐る質問した。
菊乃が作ってくれたものだから美味しいはずだけれど、薫子の心臓はドキドキしている。
「うん。うまいな」
満足そうに言う切神に薫子はホッとして自分の分のおにぎりを口に運ぶ。
こうして切神と一緒菊乃が作ったおにぎりを食べることになるとは思っていなかったけれど、少しずつ緊張が解けていくのがわかる。
薫子がおにぎりを食べ終えるのを待って切神は立ち上がった。
「昨日はろくな挨拶もできずに悪かった」
「い、いえ。私なら大丈夫です」
神様がそれほど暇だとは思っていないし、こうして対峙して会話できる存在だなんて思ってもいなかった。
「改めて自己紹介しよう。私はこの神社の御神体である、切神だ」
「私は薫子と申します」
薫子は居住まいを正してお辞儀をする。
さっきほぐれた緊張がまた舞い戻ってきたようだ。
「薫子。今日は隣の部屋で眠るといい。ここでは体が休まらなかっただろう」
切神はそう言うと本殿の飾ってある隣の壁を手のひらで押した。
するとその壁が外側へ向けて動き、もうひとつの部屋が現れたのだ。
薫子は驚いて瞬きを繰り返す。
「ここに、こんな部屋があったなんて」
驚きを声にしつつ、切神に促されて隣の部屋に足を踏み入れた。
後ろから切神が右手を空中へ向けて開いて見せると、そこから小さな火がポッポッポッと3つ浮かんできて、部屋の中を楽しげに踊り始めた。
それは昨日薫子が本殿の中で見た火と同じものみたいだ。
火は部屋の中をオレンジ色に照らし出し、そこが6畳ほどの畳の部屋であることと、すでに二組の布団が準備されていることに気がついた。
布団を見た薫子の頬が少しだけ硬直する。
今自分がどうしてここにいるのか、布団を見た瞬間に思い出した気分だ。
盗賊たちはすでにいなくなった。
あとは自分が生贄としての役目を果たすのみだ。
「寝る前に着替えをしたほうがいいな」
まだ白無垢姿のままである薫子を見て切神が部屋の奥へと消えた。
そこまでは火の光が届かず、切神がなにをしているのかわからない。
だけどすぐに戻ってきた。
手には真っ白な寝間着が準備されている。
それを見た薫子はゴクリと唾を飲み込んで切神を見つめた。
切神は寝間着を薫子へ手渡すと後ろを向いてしまった。
ここで着替えろということだろう。
薫子は手渡された寝間着を広げてみた。
真っ白な浴衣は薫子の慎重にちょうどいいみたいだ。
切神がいる同じ部屋で着替えなんて。
そう思ったけれど、振り向いてもそこにあるのは本殿だ。
本殿で着替えをするのもはばかられるからやっぱりここで着替えを済ませた方が良さそうだ。
慣れない白無垢姿で数日間を過ごしたせいで、さすがに体はクタクタだ。
薫子は切神に背を向けて帯に手を回した。
ほどけないようにしっかりと結ばれているそれを、繊細な指先で解いていく。
重たい帯がするすると解けていき、ドサッと床に落ちた。
それから着物を一枚ずつ丁寧に縫いでいく。
この白無垢はできれば綺麗に保管しておきたいけれど、それはできないだろう。
薫子はこれから切神の生贄となるのだから、着物のことなんて考えてはくれないはずだ。
そう思うと少しだけ悲しい気持ちになった。
その気持を振り払うように寝間着の浴衣へと袖を通す。
サラリとした肌触りに、とても柔らかい生地。
これは上物だとすぐに気がついた。
薫子が着るどころか、触れることさえできないような寝間着に一瞬とまどう。
だけどすぐ近くにいる切神をいつまでも待たせるわけにはいかなくて、手早く着替えた。
白無垢はとりあえずで畳んで部屋の角へと置いておいた。
「できました」
切神が振り向くとそこには三指をついた薫子がいた。
白い寝間着姿もよく似合っている。
「そうか。それじゃ寝るぞ」
「はい」
薫子の心臓が爆発しそうなほど早鐘を打つ中、切神は当たり前のように自分用の布団に潜り込んだ。
薫子はどうすればいいかわからず、隣の布団へ視線をやったまま動きを止める。
ここは切神の布団に入るべきか?
いや、なにも言われていないのに自分から相手の布団に入るなんて、そんな節操のないことはできない。
でも自分がここに来た理由はひとつだけ。
用事が終われば殺されて終わるはず。
「どうした。早く横になれ」
切神がそう言って隣の布団をトンッと叩いたので、薫子はようやく動くことができた。
隣の布団に潜り込むと、これもふかふかとして心地よい。
目を閉じたらすぐにでも眠りに落ちてしまいそうだ。
そうしている間に切神が3つ飛ぶように踊っていた火をふたつ消して、ひとつにしてしまった。
室内が薄暗くなり、火がゆっくりとふたりの枕元へと下りてくる。
そのまま静止した。
「あ、あの……」
このままでは本当に眠ってしまいそうだったので、薫子は思わず声をかけた。
「どうした? まだ眠くないのか?」
「いえ、そうじゃないですけど……」
着物を来たまま床に寝たので、昨日は寝た気がしていない。
すぐにでも眠ってしまいたかった。
「私は生贄としてここへ来ました。眠ってしまってもいいんでしょうか?」
自分が考えていることを素直に聞くと、切神は一瞬目を見開いて薫子を見つめ、それからふっと口元を緩めた。
常に鋭い刃物のような顔をしていると思っていた切神の不意の笑顔に、薫子の心臓がドクンッと高鳴る。
自分の顔がカッと熱くなるのも感じた。
「そうか。そんなことを気にしていたのか」
切神はそう言いながら少しだけ薫子に身を寄せた。
顔がグッと近づいて薫子は視線をそらす。
こうして間近で見てみると決めが細やかで美しい神様だ。
村の人たちしか知らない薫子にとって、異国の人のような感覚を覚える。
思わずギュッと両目を閉じた。
このままグワッと口を開けて食べられてしまうのかもしれない。
その覚悟を決めて呼吸を止める。
と、その瞬間だった。
柔らかくて暖かな感触が香るこの口元に振ってきて、驚いて目を開けた。
見ると目を閉じた切神の顔がすぐ近くにある。
薫子に触れているのは切神の唇だった。
驚いて声をあげようにも、唇を塞がれているからどうしようもない。
薫子はしばらく放心状態のようになって動けなかった。
やがて切神は薫子から身を離して「今日はこれくらいにしておこう」と、自分の布団へ戻ったのだった。
薫子は呆然として本殿の天井を見上げていた。
神様はすぐに縁切りしてやると言ってから、こつ然と姿を消してしまった。
今本殿には薫子1人だけだったが、神様が残していった火がふたつがけ残っていてふわふわと空中に浮いていた。
それがなければ自分は夢を見ていたのだと思ったところだろう。
火は遊ぶように飛び回ったり、薫子に近づいたりしてくる。
その火に触れても不思議と熱さはなく、変わりに体の芯かわジワリと温まっていくのを感じた。
夜の寒さもいつの間にか感じなくなっていることに薫子は驚いた。
そしていつの間にかうとうとし始めた薫子はふたつの火に見守られるようにして目を閉じたのだった。
☆☆☆
「本当にありがとうございます!」
翌日、外から聞こえてきたそんな声で薫子は目を覚ました。
一瞬ここがどこだかわからなかったけれど、すぐに縁切り神社の本殿だと気がついた。
昨日見た火はすでにどこにもおらず、扉の隙間から太陽の光が差し込んできている。
薫子は着物姿のまま床で寝てしまい、身体のあちこちが痛くなっていたがどうにか上半身を起こして外の様子を伺った。
隙間から確認してみると沢山の村人たちが手にお供え物を持ち、列をなしている。
「一晩のうちに盗賊はいなくなりました。ありがとうございました」
口々に礼を言い、お供え物を置いて戻っていく。
その顔はみんな笑顔で、清々しいほどだ。
「神様が助けてくれだんだ」
薫子は昨晩のことを思い出してつぶやいた。
神様はたしかにいた。
キレイな男の顔をしていて、熱くない火を出してみせた。
でも……。
と、本殿の中を見回してみる。
今はどこにも神様の姿はないようだ。
一体どこへ行ったのか。
また戻ってくるんだろうか。
そう考えている間によく知った声が外から聞こえてきた。
「神様ありがとうございます」
菊乃だ!
薫子はすぐに扉へかけよって開けようとしたが、思いとどまった。
自分はすでに生贄になった身だ。
まだ死んではいないけれど、きっと時期に殺されるだろう。
そんな自分が今出ていけばまた菊乃を悲しませてしまうだけだ。
扉へ伸ばした両手で拳をつくり、引っ込める。
声をかけない変わりに隙間から菊乃の様子を確認してみると、菊乃もまた他の村人たちと同じように笑顔を浮かべている。
盗賊が来てから久しく見ていなかった心からの笑顔だ。
その顔を見るだけで薫子の心は満たされていった。
よかった。
本当によかった。
これで怯えて過ごさなくてすむ。
夜だって、安心してぐっすりと眠ることができるはずだ。
そう思い、薫子はそっと扉から身を離したのだった。
☆☆☆
狭い本殿の中に気配を感じたのは、村人たちの姿がなくなってからだった。
ギッと床の軋む音がして薫子はそちらへ視線を向ける。
するといつの間に切神がそこに立っているのだ。
「どうやら盗賊はいなくなったようだ」
「あ、ありがとうございます! これでみんな平和に暮らすことができます」
薫子はすぐに正座をして頭を下げた。
「いや、私がいなかったことで色々と被害もあったようだ。悪かった」
切神が薫子の前にあぐらをかいて座り、そういうので慌てて左右に首を振った。
「神無月であることを失念していたのは私たちです。覚えていれば、神様が動けないことも承知していたはずです」
決して切神のせいではない。
出雲では神々の大切な話し合いがあったはずだ。
「それは?」
切神が薫子の横にあるカゴに気がついて視線を向けた。
菊乃が持たせてくれた食べ物だ。
そういえば昨日ここへ来てからなにも食べていないことを思い出した。
薫子のお腹は急速に空腹を訴えてグゥと鳴ってしまった。
「腹が減っているようだな。なにか準備するか」
そう言って立ち上がろうとする切神を薫子は慌てて止めた。
こんなことで切神の手をわずらわせるわけにはいかない。
「わ、私なら大丈夫です。ここへ来る前に友達の菊乃が持たせてくれました」
薫子はそう言うとカゴの中から栗ご飯で作ったおむすびを取り出した。
おむすびは薫子の手からはみ出るくらいに大きくて、菊乃の思いやりを感じて胸の奥がジワリと熱くなった。
「栗ご飯か、うまそうだな」
「た、食べますか?」
もうひとつカゴの中から栗ご飯のおにぎりを取り出す。
中を確認してみると大きなおにぎりがあと3つ入れられていることに気がついた。
こんなに沢山作ってくれるなんて。
思わず涙が滲んできて、慌てて手の甲でそれを拭った。
「お前がもったものだろう。私が食べるわけにはいかない」
「沢山あるから、大丈夫です」
薫子はそう言うと少し強引に切神の手におにぎりを載せた。
切神の手の平にはピッタリサイズだ。
切神はしげしげとおにぎりを見つめた後、それを一口くちに入れた。
なにかを確かめるように丁寧に咀嚼していく。
ゴクリと飲み込むのを確認して「どうですか?」と、恐る恐る質問した。
菊乃が作ってくれたものだから美味しいはずだけれど、薫子の心臓はドキドキしている。
「うん。うまいな」
満足そうに言う切神に薫子はホッとして自分の分のおにぎりを口に運ぶ。
こうして切神と一緒菊乃が作ったおにぎりを食べることになるとは思っていなかったけれど、少しずつ緊張が解けていくのがわかる。
薫子がおにぎりを食べ終えるのを待って切神は立ち上がった。
「昨日はろくな挨拶もできずに悪かった」
「い、いえ。私なら大丈夫です」
神様がそれほど暇だとは思っていないし、こうして対峙して会話できる存在だなんて思ってもいなかった。
「改めて自己紹介しよう。私はこの神社の御神体である、切神だ」
「私は薫子と申します」
薫子は居住まいを正してお辞儀をする。
さっきほぐれた緊張がまた舞い戻ってきたようだ。
「薫子。今日は隣の部屋で眠るといい。ここでは体が休まらなかっただろう」
切神はそう言うと本殿の飾ってある隣の壁を手のひらで押した。
するとその壁が外側へ向けて動き、もうひとつの部屋が現れたのだ。
薫子は驚いて瞬きを繰り返す。
「ここに、こんな部屋があったなんて」
驚きを声にしつつ、切神に促されて隣の部屋に足を踏み入れた。
後ろから切神が右手を空中へ向けて開いて見せると、そこから小さな火がポッポッポッと3つ浮かんできて、部屋の中を楽しげに踊り始めた。
それは昨日薫子が本殿の中で見た火と同じものみたいだ。
火は部屋の中をオレンジ色に照らし出し、そこが6畳ほどの畳の部屋であることと、すでに二組の布団が準備されていることに気がついた。
布団を見た薫子の頬が少しだけ硬直する。
今自分がどうしてここにいるのか、布団を見た瞬間に思い出した気分だ。
盗賊たちはすでにいなくなった。
あとは自分が生贄としての役目を果たすのみだ。
「寝る前に着替えをしたほうがいいな」
まだ白無垢姿のままである薫子を見て切神が部屋の奥へと消えた。
そこまでは火の光が届かず、切神がなにをしているのかわからない。
だけどすぐに戻ってきた。
手には真っ白な寝間着が準備されている。
それを見た薫子はゴクリと唾を飲み込んで切神を見つめた。
切神は寝間着を薫子へ手渡すと後ろを向いてしまった。
ここで着替えろということだろう。
薫子は手渡された寝間着を広げてみた。
真っ白な浴衣は薫子の慎重にちょうどいいみたいだ。
切神がいる同じ部屋で着替えなんて。
そう思ったけれど、振り向いてもそこにあるのは本殿だ。
本殿で着替えをするのもはばかられるからやっぱりここで着替えを済ませた方が良さそうだ。
慣れない白無垢姿で数日間を過ごしたせいで、さすがに体はクタクタだ。
薫子は切神に背を向けて帯に手を回した。
ほどけないようにしっかりと結ばれているそれを、繊細な指先で解いていく。
重たい帯がするすると解けていき、ドサッと床に落ちた。
それから着物を一枚ずつ丁寧に縫いでいく。
この白無垢はできれば綺麗に保管しておきたいけれど、それはできないだろう。
薫子はこれから切神の生贄となるのだから、着物のことなんて考えてはくれないはずだ。
そう思うと少しだけ悲しい気持ちになった。
その気持を振り払うように寝間着の浴衣へと袖を通す。
サラリとした肌触りに、とても柔らかい生地。
これは上物だとすぐに気がついた。
薫子が着るどころか、触れることさえできないような寝間着に一瞬とまどう。
だけどすぐ近くにいる切神をいつまでも待たせるわけにはいかなくて、手早く着替えた。
白無垢はとりあえずで畳んで部屋の角へと置いておいた。
「できました」
切神が振り向くとそこには三指をついた薫子がいた。
白い寝間着姿もよく似合っている。
「そうか。それじゃ寝るぞ」
「はい」
薫子の心臓が爆発しそうなほど早鐘を打つ中、切神は当たり前のように自分用の布団に潜り込んだ。
薫子はどうすればいいかわからず、隣の布団へ視線をやったまま動きを止める。
ここは切神の布団に入るべきか?
いや、なにも言われていないのに自分から相手の布団に入るなんて、そんな節操のないことはできない。
でも自分がここに来た理由はひとつだけ。
用事が終われば殺されて終わるはず。
「どうした。早く横になれ」
切神がそう言って隣の布団をトンッと叩いたので、薫子はようやく動くことができた。
隣の布団に潜り込むと、これもふかふかとして心地よい。
目を閉じたらすぐにでも眠りに落ちてしまいそうだ。
そうしている間に切神が3つ飛ぶように踊っていた火をふたつ消して、ひとつにしてしまった。
室内が薄暗くなり、火がゆっくりとふたりの枕元へと下りてくる。
そのまま静止した。
「あ、あの……」
このままでは本当に眠ってしまいそうだったので、薫子は思わず声をかけた。
「どうした? まだ眠くないのか?」
「いえ、そうじゃないですけど……」
着物を来たまま床に寝たので、昨日は寝た気がしていない。
すぐにでも眠ってしまいたかった。
「私は生贄としてここへ来ました。眠ってしまってもいいんでしょうか?」
自分が考えていることを素直に聞くと、切神は一瞬目を見開いて薫子を見つめ、それからふっと口元を緩めた。
常に鋭い刃物のような顔をしていると思っていた切神の不意の笑顔に、薫子の心臓がドクンッと高鳴る。
自分の顔がカッと熱くなるのも感じた。
「そうか。そんなことを気にしていたのか」
切神はそう言いながら少しだけ薫子に身を寄せた。
顔がグッと近づいて薫子は視線をそらす。
こうして間近で見てみると決めが細やかで美しい神様だ。
村の人たちしか知らない薫子にとって、異国の人のような感覚を覚える。
思わずギュッと両目を閉じた。
このままグワッと口を開けて食べられてしまうのかもしれない。
その覚悟を決めて呼吸を止める。
と、その瞬間だった。
柔らかくて暖かな感触が香るこの口元に振ってきて、驚いて目を開けた。
見ると目を閉じた切神の顔がすぐ近くにある。
薫子に触れているのは切神の唇だった。
驚いて声をあげようにも、唇を塞がれているからどうしようもない。
薫子はしばらく放心状態のようになって動けなかった。
やがて切神は薫子から身を離して「今日はこれくらいにしておこう」と、自分の布団へ戻ったのだった。
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