81 / 147
懐かしのヴィルヘルム
元最強騎士とセブンスカジキフェア
しおりを挟む「……ブリギットさんは、変なことはしないよな?」
ティムはそう言うと、ブリギットではなく、そのすこし後ろへ視線を移した。
そこには自身の腹をさすりながら、肩を落としているガレイトがいる。
「えと、小麦粉で雪だるま作り……ですか?」
「いや、そういう初歩的なミスを言っているわけじゃ……ん? 初歩的とかいう問題なのか? あー……ともかく、だ。そういう事を言ってるわけじゃなく、包丁の握り方とか、鍋の使い方とか、そういうのは教えなくてもいいんだよな?」
「は、はい……でも、作れって言われたら、その……作れますけど、雪だるま」
「作らなくていいです」
ティムがきっぱりと断る。
「じゃ、じゃあ……さっそく、やってみますね」
「じゃあ、まずは塩を──」
ティムが指示をするよりも早く、ブリギットの手が動く。
ブリギットはカジキの切り身にパラパラと塩を軽くまぶすと、清潔な布巾で余分な水分を拭き取り、次に、アルミのトレイに薄く敷かれている小麦粉をカジキ肉の表と裏につけた。
ぽんぽんと肉を軽くたたき、表面の小麦粉を落としたら、今度はフライパンに植物油、そして厚く切ったバターを入れる。
フライパンの取っ手を握り、軽く、全体に馴染むように鍋をゆする。
ブリギットは、十分に油が混ざり、熱されているのを確認したら、ゆっくりとその中へカジキの肉を入れた。
ジュウジュウ。
パチパチ。
厨房内にバターの弾ける音と、魚が焼ける音が反響する。
一連の動作を見ていたティムは、感心するようにブリギットの顔を見た。
「なかなかいい手際じゃないか」
「あ、ありがとうございます……」
褒められて嬉しかったのか、恥ずかしそうに頬を赤らめて返事をするブリギット。
しかしその視線は、意識は、手元のカジキ肉のみに注がれている。
「普段からムニエルは作っているのか?」
「いえ、お肉に触れるようになったのは最近で……」
「最近!? どういうことだ?」
「は、はい。前までは……その、色々あって、お肉に触るのが、苦手だったんです」
「そ、そうだったのか……それなのに……」
腕組みをし、急に押し黙るティム。
「あ、でも、何もしていなかったわけじゃなくて、レイチェルさんの……従業員さんにはきちんと、わかりやすいように勉強はしてました……」
ブリギットはそこで会話を中断させると、フライ返しを使い──
じゅわわわぁぁ……!
鍋をすこし振動させながら、慣れた手つきで肉を裏返した。
パチパチパチ……!
ほんの少し弱くなっていた油の勢いが、ここに来てまた強くなる。
そして、今までフライパンに面していた箇所には、綺麗な薄茶色の焦げ目がついていた。
「いや、タイミングも完璧だな……どこで判断しているんだ?」
「耳、です……」
「耳……?」
「はい。あ、目でもちゃんと見てるんですけど、お魚に限らず、お肉って中まで火が通ると、まわりで跳ねている油の音が変わる気がするんです」
「油の音……か」
「はい。パチパチ……から、じゅわじゅわ……みたいな……高い音から、一段下がった音……ちょっと、変かもしれませんけど」
「いいや、確かに聞いたことがある」
「え?」
「一度……どこだったか、ど忘れしたが、揚げ物をやってる人と話したことがあるんだ。もちろん、その人もプロなんだが、やはり、その人も耳で、音で判断していると言っていた」
ティムは顎に手を当てると、独り言のように小さく呟く。
「ただ、その人が言うには一朝一夕では身に付かないとも言っていた……そして、ブリギットさんが肉を触れるようになったのは最近。なのに、その音を判断出来ているという事は……やはり──」
「ティムさん?」
「え? ああ、すまん。ボーっとしてた。……で、なんだ?」
「お皿、取ってもらえますか?」
「おっと、そうだな、悪い」
ティムはそう言うと、清潔な皿を焜炉の横──
ブリギットの近くへ置いた。
ブリギットはそれを確認すると、丁寧に、身が崩れないように、皿の上に盛り付け、素早く塩胡椒で味付けをした。
「あとは──」
ブリギットはもう一度バターを、今度は、先ほどより薄く切ると、それをフライパンの上に滑らせた。
「お、今度は……ソースを作る気か?」
「は、はい。出来れば、お魚が冷めないうちに……」
「まあ、このままで十分に美味そうではあるが……ムニエルには必要だわな」
「はい。それで、あの、爽やかな香りの香草か、レモンみたいな果物は……?」
「すまん。ない。味の濃いソースやケチャップなら腐るほどあるんだが……」
「あ、だったら……でも……うーん、ケチャップ……どうしよう……味が変わるけど、ないよりは──」
「なにやら、いい匂いがするでござるな……」
ふらふらと、まるで明かりに集まってくる虫のように、サキガケが厨房に入ってくる。
「なんか来た……誰だ? 知り合いか?」
サキガケはティムの事は見えていない様子で、そのまま、ブリギットの近くまで行き、手元を覗き込んだ。
「おお、これはこれは……ぶりぎっと殿。なにか、良い魚でも釣れたでござるか?」
「さ、サキガケさん、丁度いいところに……!」
パン、と満面の笑みで手を合わせるブリギット。
「ニン?」
「サキガケさん、こっちに来るとき、ミソとショウユを大量に持ってきてたって言ってたよね?」
「うむ。持ってきているでござるよ」
「それって、いまありますか……?」
「無論、持ってきているでござる」
「ま、マジか……!? ショウユを……!?」
話を聞いていたティムが、目を大きく見開いて狼狽える。
「ま、まあ、あれがあれば、雑草でも食べられるでござるからな」
「いや、それはさすがにねえけど……、そうか、あんた見ない顔のやつだと思ったが、千都の人間か……」
「いかにも」
「あのね、サキガケさん、そのショウユなんだけど、借りることって出来ないかな?」
「ニン? 全然構わないでござるが……むしろ、大量に持ってきているゆえ、消費してくれたほうが助かるというか……」
サキガケはそう言うと、調理台に置かれている皿の上の肉を注視した。
「ははあ。魚に醤油。鉄板でござるな。ちなみに、どういった調理法を……?」
「それは、出来てからのお楽しみ……かな」
「うむ。了解したでござる。肉が冷めないうちに、急ぎ取りに行くゆえ、しばし待たれよ」
◇
じゅわじゅわ~……!
すっかりと溶けて液状になったバターに、ちゅーっと、適量の醤油が注がれる。
その瞬間、煙とともに香りも拡散され、ドタバタと厨房内に乗員乗客がなだれ込む。
皆、一様に目を輝かせながら、何が出来るか今か今かと待ちわびていた。
「ふむ。さすがはバター醤油。これだけでも人を魅了するには十分でござろうな」
その人たちを見て、なぜか感慨に耽るサキガケ。
ブリギットは十分にソースが温まったのを確認すると、未だあつあつのカジキ肉へとかけていった。
パチ……パチパチパチパチ……!
じゅうぅぅぅ……!
ソースは芳しい音を立てながら、まるで料理が完成したことを祝福するように、肉の上を跳ね回った。
「……セブンスカジキのムニエル、バターショウユ風味完成……かな……?」
「おいおい、ブリギットさん、そこは言い切らねえと」
隣にいたティムがこっそりとブリギットに耳打ちをする。
「か、完成……しました!」
ブリギットがそう言い直すや否や、今まで固唾をのんで見守っていたギャラリーから、歓声が上がった。
「うおおおおおおおおお!」
「うまそおおおおおおお!」
「なあ、おい、嬢ちゃん! 俺のぶんも作ってくれるんだよな!?」
「いくらだ!? 言い値で買おう!」
「お、オレはこいつの倍払う! だから、先に食べさせてくれ!!」
多くのギャラリーに圧倒されながらも、ブリギットは勇気を振り絞り、口を開く。
「ご、ごめんなさい。……皆さんの分は作るので、まずは──」
ブリギットはそう言うと、完成した料理をティムに所まで持って行った。
「ど、どう……でしょうか?」
「お、俺……?」
ティムは不意を突かれたような顔をする。
「は、はい……よろしくお願いいたします……!」
ティムはブリギットの顔を見ると、「フッと」少し笑い、手近にあったフォークでムニエルを食べた。
もぐもぐもぐ……。
ティムが口を動かすたび、顎を上下させるたびに、ギャラリーも物欲しそうな視線を注ぐ。
そして──
「ああ、うまい……」
その言葉は、意識して言うというよりも、自然と口から出たと思われる言葉であった。
「ほ、本当ですか……?」
「ああ。いますぐ、次の一口を頬張りたいくらいだ」
「あ、ありがとうございます……!」
ブリギットは嬉しそうな顔で、何度もティムにお辞儀をすると、ティムもまた、それに返すようにブリギットに頭を下げた。
「礼を言うのはこちらのほうだ」
「え、ティムさん……?」
「ありがとう。こんなにうまい料理を食えたのは、久しぶりだ。最高の食材に、それを最大限に活かす腕を持った、最高の料理人……どうやら、俺の心配は杞憂だったようだな」
「ということは……?」
すっかり顔色がよくなっているガレイトが訊き返す。
「……ダグザさんが言っていた通り、いや、それ以上だ。ブリギットさんは、俺が思っていたよりも、ずっと素晴らしい料理人だったんだな。俺から教えることなんてないよ」
ティムは優しいまなざしで、口調で、丁寧に言った。
「あ、ありがとうございます!」
そう言って、何度も頭を下げるブリギットに、ティムが口を開く。
「よし、ここにいるやつらももう限界だろうから──やるか、ブリギットさん」
「へ? やるって何を……?」
「そりゃ、オステリカ・オスタリカ・フランチェスカの名物だろ。良い食材が手に入ったら、皆と分かち合う。おそらくだが、今でもまだこの習慣はあるんだろ?」
「あ、それって……もしかして……」
「セブンスカジキフェアの開催だ!」
──わあああああああああああ!!
船全体が揺れるほどの歓声が響く。
「わ……!? で、でも……大丈夫かな……私一人で……」
「ブリギットさんなら問題ないさ。……俺も微力ながら手伝わせてもらうしな」
「は、はい……! よろしくお願いいたします……!」
その日──
セブンスカジキフェアは、夜通し続いた。
0
お気に入りに追加
210
あなたにおすすめの小説
【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?
つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。
平民の我が家でいいのですか?
疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。
義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。
学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。
必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。
勉強嫌いの義妹。
この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。
両親に駄々をこねているようです。
私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。
しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。
なろう、カクヨム、にも公開中。
追放された聖女の悠々自適な側室ライフ
白雪の雫
ファンタジー
「聖女ともあろう者が、嫉妬に狂って我が愛しのジュリエッタを虐めるとは!貴様の所業は畜生以外の何者でもない!お前との婚約を破棄した上で国外追放とする!!」
平民でありながらゴーストやレイスだけではなくリッチを一瞬で倒したり、どんな重傷も完治してしまうマルガレーテは、幼い頃に両親と引き離され聖女として教会に引き取られていた。
そんな彼女の魔力に目を付けた女教皇と国王夫妻はマルガレーテを国に縛り付ける為、王太子であるレオナルドの婚約者に据えて、「お妃教育をこなせ」「愚民どもより我等の病を治療しろ」「瘴気を祓え」「不死王を倒せ」という風にマルガレーテをこき使っていた。
そんなある日、レオナルドは居並ぶ貴族達の前で公爵令嬢のジュリエッタ(バスト100cm以上の爆乳・KかLカップ)を妃に迎え、マルガレーテに国外追放という死刑に等しい宣言をしてしまう。
「王太子殿下の仰せに従います」
(やっと・・・アホ共から解放される。私がやっていた事が若作りのヒステリー婆・・・ではなく女教皇と何の力もない修道女共に出来る訳ないのにね~。まぁ、この国がどうなってしまっても私には関係ないからどうでもいいや)
表面は淑女の仮面を被ってレオナルドの宣言を受け入れたマルガレーテは、さっさと国を出て行く。
今までの鬱憤を晴らすかのように、着の身着のままの旅をしているマルガレーテは、故郷である幻惑の樹海へと戻っている途中で【宮女狩り】というものに遭遇してしまい、大国の後宮へと入れられてしまった。
マルガレーテが悠々自適な側室ライフを楽しんでいる頃
聖女がいなくなった王国と教会は滅亡への道を辿っていた。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。
桜乃
ファンタジー
ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」
この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。
※約4000文字のショートショートです。11/21に完結いたします。
※1回の投稿文字数は少な目です。
※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。
表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
1ページの文字数は少な目です。
約4500文字程度の番外編です。
バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`)
ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑)
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
大切”だった”仲間に裏切られたので、皆殺しにしようと思います
騙道みりあ
ファンタジー
魔王を討伐し、世界に平和をもたらした”勇者パーティー”。
その一員であり、”人類最強”と呼ばれる少年ユウキは、何故か仲間たちに裏切られてしまう。
仲間への信頼、恋人への愛。それら全てが作られたものだと知り、ユウキは怒りを覚えた。
なので、全員殺すことにした。
1話完結ですが、続編も考えています。
晴れて国外追放にされたので魅了を解除してあげてから出て行きました [完]
ラララキヲ
ファンタジー
卒業式にて婚約者の王子に婚約破棄され義妹を殺そうとしたとして国外追放にされた公爵令嬢のリネットは一人残された国境にて微笑む。
「さようなら、私が産まれた国。
私を自由にしてくれたお礼に『魅了』が今後この国には効かないようにしてあげるね」
リネットが居なくなった国でリネットを追い出した者たちは国王の前に頭を垂れる──
◇婚約破棄の“後”の話です。
◇転生チート。
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇なろうにも上げてます。
◇人によっては最後「胸糞」らしいです。ごめんね;^^
◇なので感想欄閉じます(笑)
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
勝手に召喚され捨てられた聖女さま。~よっしゃここから本当のセカンドライフの始まりだ!~
楠ノ木雫
ファンタジー
IT企業に勤めていた25歳独身彼氏無しの立花菫は、勝手に異世界に召喚され勝手に聖女として称えられた。確かにステータスには一応〈聖女〉と記されているのだが、しばらくして偽物扱いされ国を追放される。まぁ仕方ない、と森に移り住み神様の助けの元セカンドライフを満喫するのだった。だが、彼女を追いだした国はその日を境に天気が大荒れになり始めていき……
※他の投稿サイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる