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騎士と料理人
元最強騎士とデジャヴ
しおりを挟む「──む。もう朝か」
東の空から差し込んできた陽光が、立ったまま眠っていたガレイトの顔を照らす。
ガレイトは大きく伸びをすると、辺りを見渡した。
場所は再び、オステリカ・オスタリカ・フランチェスカの裏口付近。
昨日、牢屋から出られたガレイトは、再び、ここへと戻って来ていた。
その目的は、ブリギットに会うため。
そして、その手には昨日と同じような花束が握られていたが、一晩中握りしめていたからか、瑞々しさはなくなっている。
「──あれ? 早いね、ガレイトさん」
開店準備にやって来たモニカがガレイトに声をかける。
いつもの黒いエプロン姿ではなく、ゆったりとした黒いワンピースにクリーム色の大きい帽子をかぶった、モニカがガレイトに声をかけた。
「モニカさん、おはようございます。お早いですね」
「うん、おはようございます。まあね、とくに早く来たからって、べつにやる事もないんだけど、あの子一人だといろいろと不安だから、早く来る習慣がついただけかも。……それで、その花どうしたの?」
「ああ、これですか? ブリギットさんのお見舞いにと」
「いやいや、退院祝いじゃないんだから……でも、ありがとね。あの子、お花好きだから喜ぶと思うよ」
「す、すみません。本当は消化にいいリンゴや桃などの果物を買っていこうと思ったのですが……」
「ん、なかったでしょ? どこにも」
「はい。いろいろな露店や商店を見て回ったのですが、どこも質の悪いものしか売っていなくて……それで思い直して、花をと」
「そう。ここらへんのお店って、今は基本的にまともな食べ物は売らないんだよ。というか、売れないんだよね、色々あって……」
寂しそうに足元に視線を落とすモニカ。
「なぜですか……?」
「まあ、それはいろいろあって……それよりもほら、ブリも大丈夫ぽいし、行ってあげれば? この時間だと、たぶんあの子も起きてると思うよ」
「ブリギットさん、もう回復なされたのですか」
「まあ、回復っていわれるほど、どこを悪くしたってわけでもないんだけど、もう普通に動けると思うよ。それに、そもそも回復してなかったら、あたしも呑気に自分の家なんかに帰ってないしね」
「……それで、ブリギットさんは何かおっしゃっていましたか?」
「ん? ああ、ガレイトさんの言ってた通り、すこしパニクっただけみたい。それで、もし会うようなことが謝っといてってさ。ったく、自分で謝ればいいのに」
「あ、謝るなんて、そんな……! 俺のほうが早とちりしただけなのに……!」
ガレイトが首を振って否定する。
「ふふ……でも、よかったね、これでもう牢屋にぶち込まれることはないよ」
「は、はぁ……」
モニカが悪戯ぽく笑ってみせると、ガレイトも苦笑いをした。
「とにかく、その辺の心配はもう大丈夫だよ。だから、べつにこの街から出てってもいいし、もちろん滞在してくれても構わない。なんなら、こちらとしては、是非また来店して、お金を落としていってほしいくらいなんだけど……?」
モニカが意味ありげな視線でガレイトを見上げる。
ガレイトはそれに対し、すこしはにかむような表情で答えた。
「そうですね。できればもう一度、ブリギットさんの料理を食べたいところではあるのですが……回復したとはいえ、すぐに料理を作るのは──」
「ああ、へーきへーき。昨日もあの後、普通に料理とかしてたし」
「そ、そうなんですか。それはそれで、なんというか、すごいバイタリティですね……」
「まあ、あの子の場合、料理はほとんど趣味だからね。それに、こういうことはしょっちゅうあるし」
「……こういうこと? 気絶することがですか?」
「え? あー……それは……まあ、オーナーと知り合いのガレイトさんになら、話しても大丈夫か」
モニカはそう言うと、すこし低めの声のトーンで話し始めた。
「──そう、じつはあの子、ちょっとした理由から、極度の人見知りになっちゃってね。特にガレイトさんみたいな大男なんて見た日には、むしろ気絶しないほうが不思議っていうか……」
「そうだったのですね……あれ? でしたら、俺がこのままブリギットさんに会うのは、その……、まずいのでは?」
「ああ、それはいいの! あの子だって、ずっと引きこもってるわけにもいかないだろうし、こういうのも訓練のうちだよ!」
「なかなか厳しいですね……」
「ははは。だから、遠慮せず行っといでよ」
「はい」
「今度は正面からね」
モニカに言われると、ガレイト店の正面へ周り、そこから店へと入っていった。
早朝の、誰もいない店内。
窓から差し込む朝日が、ふよふよと空気中に漂っている埃を照らし出す。
ホール、厨房を抜け、階段を上る途中──
そこでガレイトは立ち止まった。
「厨房から鼻歌が……?」
ガレイトは階段を降りると、それに導かれるようにして、一階の厨房へ歩を進めた。
「──ふんふん、ふふ~ん」
たれ付きの低いコック帽。
ぶかぶかのコックシャツ。
銀髪の少女が、楽しそうに鼻歌を歌いながら手を洗っていた。
ガレイトはフッと頬を緩ませると、そのまま厨房へと歩いて行く。
「ふふふんふ──」
「モニカさんのおっしゃっていた通り、本当に元気になられたようですね」
「ビャッッ!?」
ブリギットは体をビクン、と震わせると──
ギィ……ギィ……。
まるでブリキのおもちゃように、首を回し、ガレイトの顔を見た。
「あ、すみません、いきなり声をかけてしまいまして……ああ、そうだ」
ガレイトは手に持っていた花束を、ブリギットに見えるよう差し出した。
「レストランといえば、もちろん料理も大事ですが、やはり景観も。とりあえずの迷惑料……という言い方はあまりよくないですが、ブリギットさんの、オステリカ・オスタリカ・フランチェスカの店内を彩る、その一助となれば幸いと思い、花を贈らせていただきます。……ああ、もちろん、天井の床……? や裏口の扉の修繕費も、俺宛に請求してもらって構わないので……」
言いかけて、ガレイトが首を傾げる。
「……ブリギットさん?」
じゃーじゃー。
蛇口からは絶え間なく水が流れている。
そして、ガレイトの視線の先には、紫色の顔をした少女が。
少女は、これでもかというほど、眼球を、瞳を、上へと追いやっていた。
「あ、ああ……生首と生首が、人攫いを連れてきて、そして巨人が冥土の土産に花を贈って来てる」
「ぶ、ブリギットさん!?」
「私ももうおしまいだぁ……もう死ぬんだぁ……えへ、えへへへ……うふふ……」
「どうしたんですか!?」
ぶくぶくぶく……。
ごくごくごく……。
ブリギットは突然、虚ろな目をしたまま蛇口に口をつけると、水を一滴もこぼさずに飲み始めた。
「なぜ急に水を……いや、すごい……!」
ガレイトが握りこぶしを固める。
「蛇口から出ている水を、一滴もこぼさずに飲んでいる!! なんて胃の強い人なんだ。いや、この場合は喉? 喉が強いのか? これほどの量の水を飲み下す喉が……」
ごぼごぼごぼ。
許容量を超えてしまったのか、ブリギットの鼻から口から水が逆流する。
「いやいや、感心している場合じゃない! 止めさせなければ!」
ガレイトは持っていた花を放り捨てると、ブリギットの体を強引に引きはがした。
ぴゅー。
ぴゅー。
ブリギットは、まるで噴水のように口から水を噴き出すと──
ぱたり。
そのまま気絶してしまった。
「だ、大丈夫ですか! ブリギットさん!? ……くっ、どうすればいいんだ……!」
ガレイトはブリギットの体を厨房の床に静かに寝かせた。
「この場合、腹部を圧迫して水を強制的に対外へ排出すればいいのか!? それとも胸部……? いや、俺の力でやれば間違いなく肋骨が折れて内臓を傷つけてしまう……」
ひとり、混乱しながらぶつぶつと呟くガレイト。
「そ、そうだ! ここは俺が口から水を優しく吸い出せば──いやいや、ダメだろ! うら若き女性の唇を、こんな形で奪ってどうする! しっかりしろ、ガレイト!」
ガレイトは腕組みをすると、目を閉じ、うんうんと唸り始めた。
「……し、しかし、他に方法は……くっ、命には……代えられぬ……! 御免!」
ガレイトはブリギットの気道を確保すると、ブリギットの唇へ、自身の口を近づけていった。
「やっほー! ガレイトさん! ブリ! 仲直りはうまく……い……った……?」
モニカが元気よく登場する。
満面の笑みを浮かべていたモニカだったが、その顔は次第に暗く曇っていった。
「な、なに……やってんの……?」
「え? あ、モニカさん! 大変です! ブリギットさんが……」
「いや、ほら、なに、やってんのさって」
「え? ──て、違う! 違うんです!」
「なにが」
「俺は……何も……やってないんだあああああ!」
その日、早朝のオステリカ・オスタリカ・フランチェスカにガレイトの悲痛な叫びが虚しく響いた。
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