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Cliche

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「──あら、どうかした? イレイナの顔をじっと見つめて」


〝女子しか入学出来ないのなら女子になればいい〟
 ──という暴論に至ってしまった哀れな男子中学生、羅漢前剛雄は、前日のように私立エトワール・ブリエ学院高等学校の正門前で立っていたイレイナへ、挑発するような視線を送っていた。
 前日のタケオならいざ知らず、今のタケオは長いウィッグをかぶり、セーラー服を着こなしていて、どこからどう見ても、女子にしか見えなかった。イレイナが完全にタケオを女子だと認識しているがわかると、タケオはイレイナに見えないよう、小さく拳を握ってガッツポーズをとった。


「どうしたの?」

「あ、その……す、すみません、去年亡くなった友人に少し、似ていて……」


 これ以上、むやみにボロを出してはいけないと思ったタケオは、いもしない友人の訃報をでっち上げると、自然に、自分の足元へと視線を落とした。


「そう……ご友人が……。大変だったわね。あなたも、あなたのご友人のご家族も。イレイナに似てるって事は、イレイナと同じここよりも西方の出身だったのかしら」

「いえ、日本人です」

「な、なら、お父さんかお母さん、どちらかがその血を継いでいたのかもしれないわね」

「純日本人でした」

「ま、まあ、たまに顔の濃い日本人っているものね」

「薄顔でした」

「……からかってる?」


 タケオは思いのほか、嘘が下手だった。
 これ以上ここに居る必要もないな、と思ったタケオは、イレイナから視線を落としたまま、その場から立ち去ろうとした。


「──そういえばあなた、どこかで会った事はなかったかしら?」


 突然の、意識外からのイレイナの質問ジャブにタケオが肩を震わせる。


「最近……のような、もしかしたら、昨日のような気もするのよね」

「そ、そうでしょうか? たしかに俺はイレイナさんに友人の面影を重ねていますが……」

「〝俺〟? あなたいま、俺って言わなかったかしら?」

「……オゥレィ!」

「サンバ?」

「フラメンコです」

「ああ、そうよね。つい、将軍のほうに引っ張られちゃったわ……」

「で、では、あたし・・・はこれで……」


 タケオはそう言うと、サンバのようにひょこひょこと軽快なステップを踏みながら、学舎へと入ろうとした。──が、そんなタケオの肩を、イレイナの大きな手ががっしりと掴んだ。


「な、なんでしょうか……?」


 冷や汗を滝のように流しながら振り返るタケオ。その目には焦りと、怯えの色が見えていた。


「もしかしてあなた……」

「あわ、あわわわわわわわわ」


 互いの額が触れあいそうな距離まで、イレイナが顔を近づける。イレイナは肩眉を上げると、訝しむようにタケオの顔を見た。反対にタケオはその目に、その顔に怯え切っており、もう気絶寸前といった感じだった。


「──舞踊人類学の専攻を希望する子かしら?」

「へ?」

「ほら、サンバとかフラメンコとか、踊りの事について詳しかったから」

「ええっと……どちらかというと、服飾デザイン科を希望しているんですけど……」

「あら、そうだったの。……ごめんなさいね、早とちりしちゃって。服飾デザイン科、という事は、クリスチアーヌ先生ね」

「……クリスチアーヌ、先生?」

「あら、知らない? クリスチアーヌ・ロラン先生。本人の名前が社名で、そのままブランド名にもなっている有名な方よ。今はもうデザイナーは引退していて、ここで教鞭を執っているの」

「ほへぇ~……。すごい人なんですね」

「すごいなんてもんじゃないわよ。間違いなく、洋服の歴史に名を残す人ね」

「そんな人が、日本の学院に……」

「イレイナもここの教師だから、クリスチアーヌ先生とお話しする機会があって、その時言ってらしたのは、若い頃、日本の文化に深く感銘を受けて、引退したらここで暮らすつもりだったって言ってたわ」

「そ、そうなんですね……」

「それに、世界で今売れっ子の……ほら、あの〝ミヤビ・ウエダ〟の師匠でもあるらしいわよ」

「み、ミヤビ・ウエダ!? その人の師匠なんですか?! クリムゾン・バーニング先生って!?」

「クリスチアーヌ・ロラン先生ね。個人情報だから、詳しくはイレイナの口からは言えないけど、どうしてもって言われたから、ミヤビさんを弟子にしたって聞いたわよ」

「な、なんてこった。知らなかった……。まさかミヤビ先生に、そのまた先生がいたなんて……」


 ひとりでショックを受けているタケオを見ると、イレイナは思い出したように指を鳴らし、タケオに向かい合った。


「そうだ! もう、今日は願書を取りに来る非常識な男の子はこなさそうだし、どうする? イレイナがクリスチアーヌ先生のところまで連れてってあげようか?」

「い、いいんすか!?」


 イレイナの提案に、タケオはぱあっと顔を輝かせた。


「え、ええ。まさかそんなに食いついてくるとは思ってなかったけど……」

「行きます行きます! 行きたいです!」


 もはや、タケオの正体がバレるバレない以前に、彼の興味は完全にミヤビの師であるクリスチアーヌに向けられていた。


「なら、決定ね。とりあえず、門を施錠するから、その後に案内してあげるわ。……感謝しなさいよ、イレイナがここまで他人に親切にするのは珍しいんだから」

「あ、ありがとうございます! でも、なんで俺……あたしなんかに……」

「そうね。あえて理由を言うのなら……あなたによく似た子羊を、昨日見ちゃったから、かもね」

「こ、子羊……ですか」

「ええ。その子は、あなたと違って性別が〝男〟なんだけど、その内に秘める情熱は本物だったわ。どうしてもウチに入りたいって、身長が倍近くもあるイレイナに何度も立ち向かって来たの。だからせめて、もう少しだけお話を聞いてあげればよかったかなって、今は思ってたり、思ってなかったり」

「そ、そうですか……。でも、さすがに彼も、もう諦めちゃったんじゃないですかね」

「いいえ。たぶん、彼の事だから、今もめげずに頑張っていると思うわ。短い……ほんの一時間ほどの付き合いだったけれど、イレイナにはわかるの」

「そ、そすか……」

「ちなみに、イレイナの予想だと、次はたぶん女装してくるわよ、彼」

「じょ!? じょじょ……じょじょじょじょ?!」

「だから、その時こそ、せめてイレイナなりに彼の誠意に応えようと思っているの。……それで、どう転ぶのかはわからないけど、ね?」


 バチコン!
 イレイナはそう言うと、タケオの顔を見つめ、豪快なウインクをしてみせた。


 ◇


「じゃあね、イレイナはここまで。そろそろ戻らないと、心配されちゃうかもしれないから」

「は、はい! ありがとうございました、イレイナさん! ここまで付き合ってくれて……」

「いいのよ。それと、もしエトワール・ブリエに入学することが出来たら、その時はイレイナの事は、イレイナ先生って呼んでね」

「はい、頑張ります!」

「いや、べつに頑張らなくても、普通に言ってくれればいいんだけど……実際ここの先生だし……。それじゃあね、なかなか楽しめたわ」


 イレイナは小さくタケオに手を振ると、そのままクリスチアーヌ専用の研究室を後にした。
 タケオは振り返ると、人差し指の第二関節を曲げ、ゴクリと生唾を呑み込み、意を決して──コンコンコン、と遠慮がちに扉をノックした。


「──どなた?」


 ややあって、高年の女性特有の、すこししゃがれたような声がタケオの目の前の扉から聞こえてきた。タケオはひとつ、短く、小さく咳ばらいをすると「こ、今度、エトワール・ブリエに入学するタケ……者です。本日はご挨拶に伺いました!」と、すこし角張った挨拶を口にした。が、クリスチアーヌはこれに返答せず、しばらくの沈黙が続いた。
 そして、それに耐えかねたタケオが口を開こうとすると──


「どうぞ」


 クリスチアーヌが入室の許可を出した。タケオは微かに震える手で扉のノブを掴むと、「失礼します……」と小さく断りを入れ、そのまま部屋の中へと入っていった。
 中にいたのは、白髪で眼鏡をかけた、姿勢の良い高年の女性だった。
 クリスチアーヌはタケオの顔を見ると、眼鏡を取り、丁寧に、革製でキャメル色の眼鏡入れに仕舞った。


「あら、可愛らしい男の子ね。適当にかけてちょうだい」

「は、はい、あの、今度ここへ入学するので、その時服飾デザイン科へ……え?」


 クリスチアーヌの言葉に、黒い、革張りのソファに座りかけていたタケオはまるで、真冬に、池の水ごと凍っている金魚のように固まってしまった。「どうしたの? 続けなさい?」と、クリスチアーヌはタケオに話を続けさせようとしているが、タケオはまんじりとも動かない。


「……ああ、もしかしてあなた、わたくしに女装が通じると思っていたの?」

「ば、バレてるんすか? 俺が、男だって」

「はい。服飾とは、人間の体についてよく知る事。まだ変声前でキーの高い声でしゃべっても、顔がいくら女の子みたいで可愛くても、肩を見れば、腰を見れば、膝を見れば、あなたが男だという事は、一目瞭然です」

「す、すげえ……」

「別段、すごくはありません。これから入学されるのなら、これくらいの見分けはついていて当然です」

「……え? 入学……していいんですか? 男なのに?」

「もちろん。ここエトワール・ブリエは表向き女子高と謳ってはいますが、実際は……」

「俺みたいな男もいるんですか?!」

「いません」

「……へ?」

「おそらく女装して入学しようとしている子は、あなたが初。前代未聞でしょう」

「で、ですよね。ビックリしました。……でも、じゃあ、さっきなんて言おうとしたんです?」

「表向き女子高と謳ってはいますが、実際は女子高です」

「そのままじゃないですか」

「すみません、なにぶん外国出身ですので、まだ日本語には慣れていなくて」

「いや、そこらへんの人より流暢だと思いますけど。……でも、本当に入学してもいいんですか?」

「もちろん。あなたも……タケオさんも、そのつもりで女装までして、この学校に来たのでしょう?」

「そ、そうですけど……て、なんで俺の名前を!?」

「じつはですね、あの時──あなたが展覧会でミヤビに弟子入りをお願いした時、わたくしもその場にいたのよ」

「ええ!? そ、そうだったんですか!?」

「ええ。教え子だもの。それに、たまには行かないと、あの子、すぐ拗ねるし」

「でも、ミヤビ先生もそんな素振りは……」

「まあ、変装というか、顔を隠していましたからね」

「……なぜ?」

「なぜって……そうですね。あえて理由を述べるのなら、わたくしが行くとあの子があからさまに喜ぶから、でしょうか」

「それ、良い事なんじゃ……」

「いいえ。わたくしとしては、あの子の拗ねた顔が見たいので、あえて名と顔は伝えてはいません。それゆえ、招待状をもらうため、あの子の作るバカ高い服を定期購入しなければならない、というデメリットはありますが」

「こう言ったらすごく失礼なんですけど……す、すごい嫌な性格ですね」

「ふふ、褒めても何もでませんよ」

「褒めてはいません」

「……と、いう理由から、わたくしはあなたがこの学校へ入学することを許可します」

「そんな急に……、でも、許可しますって?」

「なんとかして差し上げます、と言っているのです」

「そ、そんな事出来るんですか?」

「……おや、そのつもりで来たのではないのですか?」

「は、はい。俺はただ、ミヤビ先生の、その先生に挨拶をしようって、それだけで……」

「なるほど。いい子なのか、おバカさんなのか……」

「お、おバカさん……」

「あなた、まず大前提として男子が女子高に入学出来ない事は知っていますよね?」

「は、はい」

「なら、どうやって、ここへ入学しようとしていたのかしら?」

「そ、それは……気合で……」

「どこぞのアニマルですか、あなたは。……いいですか、学校へ入学する際、それなりの資料が必要になってきます。あなたは男子で、女子高に入るのですから、その時点でアウト。弾かれてしまいます。なら、どうするか? あなたの戸籍をいじるか、こちらで架空の人物を作り上げる他ありません」

「架空の……」

「ええ。ですが、そうした場合、今度は国に罪に問われてしまいます」

「じゃあ、どうすれば……」

「バレなければいいのです」

「……え?」

「じつはですね、もしかしたら必要になるのでは、と思って、あたくしのほうで架空の人物をすでにでっちあげておいたのです」

「いや、やり過ぎでしょ」

「設定としては、あなたはわたくしの遠い親戚にあたる、春風彩華はるかぜいろはということにしてあります」

「い、いろは……」

「わたくしの好きな、古い日本の歌からとっています」

「でも、いいんですか? そんな事して……」

「ダメです」

「ですよね」

「ですが、まあ、せいぜい三年間だけなので、強引に、なりふり構わず、わたくしのコネクションを最大限に発揮すれば、出来なくもありません」

「そうまでして、俺に協力してくれるんですか? でも、なんで……」

「ミヤビへの嫌がら……面白いから、です」

「どっちにしろ、ロクな理由じゃないですね」

「はい。ですが、あなたにとっても都合のいい話でしょう? まあ、わたくしの所に挨拶に来たのはすこし意外でしたが……、これであなたも立派な共犯者・・・というわけですね」

「いやな言い方ですけど……、それなら喜んで、是非、よろしくお願いします!」


 タケオはそう言うと、ずっと中腰だった姿勢を正して、深々とクリスチアーヌに頭を下げた。しかし、クリスチアーヌはこのタケオの行為が意外だったのか、自身の顎をかるく摘まむと、そのままタケオに話しかけた。


「……意外ですね」

「意外、ですか?」


 はて、といった顔でクリスチアーヌを見るタケオ。


「あたくしとしては、もっと嫌がると思ったのですが……」

「嫌がる……ですか?」

「ええ。それでなくても、もう少し尻込みをするか……まさか、こんなにまっすぐ来られるとは、思ってもいませんでした。いちおう言っておきますが、仮にここへ入学でき、卒業できたとしても、ここに在籍していたのは〝春風彩華〟であり、〝羅漢前剛雄〟ではありません。つまり、羅漢前剛雄の経歴はここで一旦途切れます。親御さんには打ち明けても構いませんが、担任には卒業後、働くと言っておいてください。それと、経歴が再開されるのは三年後となりますが……」

「問題ありません!」

「そうですか。これだけ脅しても……。もう、覚悟は決まっているのですね」

「はい」

「ふふ、良い眼です。……面白くはありませんが」

「ちょっと!? ……でも、なんというか、もうなりふり構ってられないというのが本音です」

「女装もしてますしね」

「あ、あまりそこはツッコまないでください……」

「照れる必要はありません。とても似合っていますよ」

「ありが……たいのかな?」

「さて、こうやってあなたと話せてよかったです。あなたの人となりも知ることが出来ましたしね」

「きょ、恐縮っす……」


 クリスチアーヌは立ち上がると、自身の机の上に置かれた卒業式で使われるような黒く、厚いファイルを手に取ると、それをタケオに丁寧に手渡した。タケオはそれを受け取ると、改めてクリスチアーヌの顔を見た。


「これは……?」

「私立エトワール・ブリエ学院高等学校の入学願書および、あなたの……春風彩華の戸籍謄本やらなんやかやです」

「なんやかやですか」

「なんやかやです。今現在から入学まで、出来る限り春風彩華に慣れて・・・・・・・・おいてください。ボロが出ればそこで終わりますので」

「は、はい! 頑張って頭に叩き込んでおきます!」

「よろしい。では、今日の所はこれで。次はまた入学式にお会いしましょう」

「はい! いろいろとありがとうございました!」


 タケオはもういちど深く頭を下げると、そのまま部屋から出て行った。
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