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無意味な拳

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「これは……隠者の布と呼ばれるものでございます」

「それぐらい知っておる。私を愚弄するか。私が訊いているのは、なぜそのようなモノをつけているのか、ということだ。まるで、私たちから気配を隠すようにして、な」

「……はい。まさに貴方様も仰る通りにございます」

「ふん、賊めが。尻尾を出し――」

「いえ、勘違いなさらないでください。こうしていると、賊の目を欺けるかと思い当たった次第です」

「……どういうことだ」

「今現在、この神殿内にて、我らと人間どもとの見分けがつきませぬ。したがって、敵がついてくるであろう盲点も、ここにあるのです。我らに紛れ、混乱に乗じる。賤しい人間の考えそうな愚策。……ですので私はそれを逆手に取り、魔物の気配を完全に遮断することにより、敵を欺き、虚を突くという作戦を考えついたのでございます」

「……成程……、二段構えというわけか」

「はい」

「……ふむ、これは悪かった。では引き続き、よろしく頼むぞ」

「は、仰せのままに……」


 今度こそ、なんとかなったみたいだな。
 こいつから、完全に敵意ぽいものが無くなった。
 いまのうちに早いところ上まで昇って、十字架を破壊しないと……はぁ、なんで俺がこんなに精神すり減らさなきゃダメなんだよ。
 それにあの梯子、かなり長いし。面倒くさい。
 ……て、よくよく考えたら、屋根にある十字架がもしものすごく硬かったら、俺壊せなくね?
 ヤバくね? 作戦失敗じゃね?


「そうだ、おもしろい話を聞かせてやろう」


 ちっ、まだなんかあんのかよ。
 足止め食うなら、梯子さっさと昇っときゃよかった。
 ……おしゃべりな魔物ってのも、うぜえな……。


「この体。大神官の――このマヌケの話だ。なぜ、こいつが未だ現役であるのにも関わらず、その地位を孫に譲ったと思う?」


 現役? 何言ってんだ、この魔物は?
 ……いや、クリムトの話では魔物襲撃の際、おっさんも抵抗してたと聞く。
 だったら……、なんだ? おっさんはまじで健在だったって意味か?
 そのうえで、『腰をいわした』なんて嘘までついて、退役したってのか?
 なんのために?


「……いえ、わかりかねます」

「世間からのバッシングだそうだ」

「え?」

「聞いたことはあるか? ユウキという人間が率いる、勇者筆頭パーティの存在を」

「……はい、名前くらいなら」

「そのパーティは我々からだけではなく、人間どもからも敵視されておってな。それはどうやら、そいつらの活動に関係しておるようでな。当然、人間の中には、そのパーティの熱心なアンチテーゼなる者たちもおるのだ」


 ……たしかにいたな。そういうやつら。
 基本的に俺らに潰されたパーティの残党とか、それに準ずるやつらだと思うけど、周りをウロチョロしたりしてきて、ハエみたいにウザかった。
 ユウキが裏から手を回して何人か見せしめにして(殺してはいない)からは、表立った行動は控えるようになったんだっけ。
 けど、なんで、今更そいつらの話になるんだ……?


「そいつらがな、そのパーティに手を貸したと言いがかりをつけ、この神殿の大神官をバッシングし始めたのだ。当初は大神官は気にも留めておらんかったようだが、そやつら声は次第に周りを巻き込み、大きくなり、中には面白半分で加担する者もいたそうだ。こうなってくると、さすがに本部勇者の酒場も無視できなくなってな、ついには大神官はその地位を自ら辞退するまでに至ったのだ。長年堕としあぐねていたアムダの神殿の、この突然の不祥事……いやはや、ここを落とすのはじつに容易かったぞ。新しい大神官が就任してから、堅固だった神殿を包む結界は、我の魔法の前に脆く崩れ去ったのだからな」

「……随分と、この神殿事情に詳しいのですね」

「ああ、喰らうてやったからな。こやつの能力の一部と、記憶をな。……くっくっく、ここからが傑作なのだが……あの孫は、この大神官のアホに噛みついていたようだ。転職をサポートしただけで、なぜそこまで言われなければならぬのか、無関係だと言い張ればよかったのではないか、とな。……すると、このアホは何と言ったと思う?」

「………………」

「『ワシは自分の仕事に誇りを持っている。今も手段はどうであれ、あいつらが魔王に立ち向かってくれていることに、ワシは大神官としてドンと誇りに思っておる』だと……な。くっ、フフフ……笑えるではないか。……ガーッハハハハハハハハハハハハハ!! 自分を直接的にではないが、間接的に失脚させたパーティを、憎く思うのではなく、よりによって誇りに思うなど、まさに愚の骨頂! 頭がイカレたとしか思えん愚行! 愚かで愚かで、なんたる愚かさか! ……まあ、人間でいえば、こやつもかなり高齢だったため、些かボケもはいっていたとは思うが……くくく、それにしても、誇っているなどと口にするとは……ボケもここに極まれりだな。いやはや傑作だ。……む、いや、最後の最後に苦し紛れに、孫の前で格好つけたかっただけか? だがしかし、ここまで突き抜けてしまうと、もはや敵味方関係なしに、哀れだとしか――」


 バキィ!!
 俺の振りかざした拳が、目の前のおっさんの頬にめり込む。
 なんだ?
 俺は一体、何をやってるんだ?
 なんで俺はここまで怒っているんだ?
 なんで今、この瞬間、拳に痛みを感じるほどの強さで、目の前の下衆野郎を殴ってんだ?
 ドシン――
 俺に殴られた魔物は、尻もちをつき、何が起こったかわからないといった表情を浮かべた。
 しまった。
 まずい。
 なんとかしないと。
 ……でも、この状況でなんて言う?
 拳がかゆかったんで、あなたの頬で搔かせていただきました、とか?
 ダメだダメだ、とてもじゃないけど誤魔化しきれない。
 てか、殺されかねない。
 いっそのこと身を翻して、ここからダッシュで上まで駆け上がるか?
 無理だ。
 超人じゃあるまいし、俺にそんなことはできない。
 だったら――


「す、すんまっせー。ちょっと、ほっぺたに蚊がいたんで……それで、つい……ね? すすす、すんまっせー」

「くくく……なるほどなるほど、蚊が……なあ? くくく……」

「へ? へは……へははは……ほへはははははは……!」

「くはははははははははははははははははははは――殺す!!」

「はひ?」


 突如として、魔物はおっさんの姿から、元の姿である、とても悪魔らしい・・・・・姿へと変貌を遂げた。
 紅く、ギョロギョロとした目。
 ヤギのような顔、蝙蝠のような羽に、赤褐色の肌。
 ゴリラのようなぶっとい両腕には、さきほどから握っている転生の杖……だろうか。それと、どこから取り出したか、俺の身長ほどある三又の槍が握られている。
 ……これはアレだな。
 魔物に変えられるっていう選択肢はねえかもな。
 あの槍でグサーっといかれるんだろうな。
 どうする?
 右に突くか? 左に突くか? 顔か? 脚か? どてっ腹か?
 はたまた豪快に横に薙ぎ払って、俺のあばらをぶち折ったあとに槍でグサーか?
 やべえな、選択肢が多すぎる。
 それに、たぶんそれらに対応する反射神経もない。
 背を向けて逃げ出すなんてのは、もってのほか。すぐに追いつかれて、背中をグサられる。
 ……うん、死んだかも。
 八方塞がりだ。
 それに丸腰だとやっぱ……、普段の三割り増しぐらい敵が怖く見える。
 避けるも地獄、逃げるも地獄。
 そして、言葉を交わすのも地獄。
 ……だとしたらもう、アレしかねえでしょ。


「ナニカ、イイノコスコトハ、アルカ?」

「――えい、えい」

 ポコポコ。
 ワンツーパンチ。
 見よう見まねで、赤くなっていた拳をアークデーモンの腹に叩き込んだ。
 顔は高くて届かなかったため、腹だ。
 ボディーブロー。
 これで俺の拳が、ヤツのレバーをズタボロに――


「ボヘェ!?」


 なったのは、俺のほうか……。
 何が起こったのか。
 腹にデカい衝撃があった後、背中が壁に叩きつけられた。
 アークデーモンとの距離があんなに離れている。
 ははは、どうやらドギツイ蹴りを食らったみたいだ。
 息ができない。
 それどころか、小さくヒュッヒュッヒュと、無様に喉から空気と吐瀉物が溢れ出てくる。
 視界が霞む。
 ドシンドシン。
 とどめを刺しに来たのか、あるいは俺を笑いに来たのか。
 アークデーモンは手に持った槍をクルクルと回しながら、俺に近づいてくる。
 とどめじゃないですかー、やだー。
 世間ではそれをオーバーキルというのに……。
 一歩、また一歩と、俺とアークデーモンとの距離が縮まっていく。
 ……嗚呼、ダメだ。
 なーんで、あんなマネするかな……。
 ガラじゃねえってのに、こんなことするから、現在進行形で死にかけてるんだよ。
 あのまま、あいつの言葉なんて無視して、十字架のところに向かってたら、今頃終わってたのかもな……。
 まあ、でもやってしまったことは仕方がない。
 ――ふぅ……悪いけど、おまえアークデーモンがここに来るまでに、意識を保ってられる自信がねえ。
 ほら、今にももう視界が狭まって……狭まって――ない?
 それどころか、力が、気力が溢れて来る。
 腹の痛みも、引いていく。
 回復魔法……か?
 てことは――


「おいゴルァ、勝手に死んでんじゃねえぞォ!」
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