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第8章

14話 変わらぬものと変わりゆくもの

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 ドロシー様が聖女として認定されてから、1か月が経過した。
 ザルツ山でもようやく雪解けの時期が到来し、雪が解けた地面からは、ちらほらと春の草花や山菜が芽吹き始めている。
 うちの庭の隅っこにも、フキノトウに似た山菜がちょこちょこ生えてきていて、ちょっとニンマリしてしまう。

 フロースゲンマ、という名前のこの山菜は、成長するとヒヤシンスとアジサイを足して2で割ったような、独特の形をした小さな白い花を咲かせるのだが、地面の下から息吹いたばかりの芽は、苦みもえぐみも癖もなく、火を通すと甘みがよく出て本当に美味しい。
 風味としてはちょっとアスパラに似ています。

 個人的に一番好きなのはフリッターで、次点が蒸し焼き。フリッターは甘酸っぱいトマトソースかシンプルに塩、蒸し焼きはちょこっと酸味を足したバターソースつけて食べると、マジで最高なんだな、これが。

 それから、もうちょっとしたら始めようと計画してる事もある。
 デュオさんの店で、今年の春から新しく扱い始めた大豆を使って、醤油と味噌を自作してみようと思っているのだ。
 よその大陸のよその国はどうか分からないが、少なくとも私が住んでるこの国には、醬油と味噌は存在しない。
 米を炊いて食べる文化は一応あるのに。

 なお、最も重要な問題である醤油と味噌の仕込み方だが、これは『強欲』さんの権能を使えば普通に習得できるので、特に問題ないと見ていいだろう。
 成功すれば念願の味噌汁が飲めるし、何と合わせても美味しく頂ける最強クラスの調味料・ガリバタ醤油も作れるようになる。
 もっとも、どの料理にしたってメシマズ女の私にゃマトモに作れないんで、リトスにお願いする形になると思うけど。

 いや、私だって、このままじゃよくないとは思ってるんだよ?
 だっていつかはリトスも、好きな子と一緒になってこの家を出る日がやって来る。
 その時の事を想像するだけで、もう正直寂しくて寂しくて仕方ないが、目を背けてはいけない現実だ。
 私はいつまでも、リトスにおんぶに抱っこなままでいてはいけない。

 だから昨日、早速一念発起して、意気揚々とキッチンに立って包丁とリンゴを手に取り、ここはまずシンプルに、リンゴの皮剥きから始めてみようとしたんだけど――

 皮剥きを始めて1分と経たないうちに、キッチンの一部がエグい事になりました。

 ホントもう、パッと見のビジュアルがだいぶヤバかったんで、ここでは詳細な描写は避けるけど、なんかこう、刃傷沙汰の現場みたいになってしまった、という事だけお伝えさせて頂きます。
 モーリンに怪我を治してもらえなかったら、左の掌を何針か縫う羽目になってたと思う。

 あと、リトスがいない時にやらかしたからか、夕方仕事から戻ってきたリトスにもしこたま怒られた。
 一通りお説教を喰らった後、リトスがリンゴの皮剥きをマンツーマンで指導してくれたものの、どんだけ丁寧に教えられ、手取り足取り包丁とリンゴの持ち方などを指導されても、欠片も上達しないという体たらく。

 私自身、あまりに情けないこの結果が精神的にしんどくて、今朝になってから再チャレンジに走った。
 やや強めの口調で止めてくるリトスに、「ちょっと野菜を切るくらいならできるだろう、いや、できるはずだ」と強硬に言い張り、ニンジン切ろうとしたらうっかり手が滑って悲劇再び。

 そして再びモーリンのお世話になりました。
 お手数おかけして本当に申し訳ない。

 流石の私も気まずくて、いやはや、危うく左手の親指がなくなる所だったよ、とおどけて見せたものの、モーリンはすっかり呆れ顔で、『下手の横好きも大概にせぬと洒落にならんぞえ』と、苦言まで呈されてしまった。
 はい、そうですね。仰る通りです。
 返す言葉もございません。

 ついでに言うなら、まだリトス君は怒っていらっしゃるようだ。
 腕組みしながら半眼で、椅子に座ったまま縮こまってる私をじっと見ていらっしゃる。
 やべぇ。気まずいのと申し訳ないのとおっかないのとで、まともにリトスの顔を見られない。

 つか、そろそろ出かけなくていいのかな。
 いいんだろうな。
 昨夜「明日は1日休みもらった」…とか言ってたし。
 これは少々、長引くかも知れない。

「……うん。とにかく今回の事で、プリムがどれだけ料理に向いてないのかは、よく分かった。……もう僕も、いい加減吹っ切れたよ。前からシエラにも言われてたけど、そろそろ腹を括って動く事にする。これ以上後ろばっかり向いて黙ってたって、いい事なんて何もないよね」

 リトスは形のいい細い眉を真ん中に思い切り寄せ、深々とため息を吐き出しながら言う。

「いい? よく聞いて、プリム。これからプリムは、包丁触るの一生禁止。今後包丁を使う作業は死ぬまで全部僕がやるから。そうじゃないと、胃が溶けてなくなる。分かった?」

「へ? 死ぬまで? ……い、いやいやいや! それはちょっと考え直そうよ! 幾らなんでも行き過ぎだから! それじゃああんた、これから先好きな子ができても、いつまで経ってもお婿に行けないでしょ!?」

「お婿になんて行かないよ。好きな子なら今目の前にいるし、どこにも行く必要ないから」

「――はい?」

「ああそうだ、キッチンのマットは買い換えようね。あれもう、洗っても綺麗にならないと思うし、僕自身あのマットを見るたび、君の怪我の事思い出して、複雑な気持ちになるから」

「いやあの、り、リトス君? 今なんて言ったの? 悪いんだけどその、なんか私今、幻聴っぽいものが聞こえてね?」

「幻聴じゃないよ。そりゃ、照れ臭くて話の流れに無理矢理告白捻じ込んだ僕もよくなかったと思うけど、幻聴扱いする事はないだろ? それとも、幻聴だって事にしないとやってられないくらい、僕の事嫌いなの?」

「あ、え、いや、そんな事は、ない、けど」

「……そう。よかった。じゃあちょっと出かけてくる」

 混乱する私をよそに、リトスはさっさと椅子から立ち上がり、玄関に向かって歩き出す。

「えっ? で、でかける? どこに?」

「カトルさんの店。カトルさんの店は基本衣料品店だけど、材料を渡して頼めば彫金もやってくれるんだって。多芸だよね、カトルさんって」

「そ、そうなんだ。それでその、彫金? で、なに作ってもらうの?」

「……それは勿論、指輪を作ってもらうんだよ。……。その、やっぱり今のは……告白として、なってなかったなって。だから……きちんとした指輪を作ってもらって、もう一度ちゃんとやり直すから、もう一度ちゃんと聞いて。――行ってきます」

 私を振り返る事なく、そのまま家を出ていくリトス。
 でも私は見てしまった。
 リトスの耳が、茹で蛸のように真っ赤になっていたのを。

 ヤバい。手が震える。
 動悸がめったくそに激しい。
 耳元で心臓が鳴ってる。
 なんか息苦しくなってきた。

「…………。どうしよ」

 私は無意識に呟く。
 一体何がどうなってこういう事になったんでしょう、神様。
 ねえこれドッキリじゃないの? 本当に本当の出来事なの?
 私ちゃんと起きてる? 寝ぼけて変な夢見てるんじゃないよね?
 いやまあ別に嫌ではないけどさ!

 ああもう!
 ホントマジでどうしていいのか分からんのですが!

『いやあ、春じゃのう。家の中まで春じゃのう』

「うっさい! 余計な事言わないでくれます!?」

 私はニヤニヤしながらのたまうモーリンに叫び返したのち、頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
 なんか、頭から湯気が出そうだった。

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