123 / 124
第8章
14話 変わらぬものと変わりゆくもの
しおりを挟むドロシー様が聖女として認定されてから、1か月が経過した。
ザルツ山でもようやく雪解けの時期が到来し、雪が解けた地面からは、ちらほらと春の草花や山菜が芽吹き始めている。
うちの庭の隅っこにも、フキノトウに似た山菜がちょこちょこ生えてきていて、ちょっとニンマリしてしまう。
フロースゲンマ、という名前のこの山菜は、成長するとヒヤシンスとアジサイを足して2で割ったような、独特の形をした小さな白い花を咲かせるのだが、地面の下から息吹いたばかりの芽は、苦みもえぐみも癖もなく、火を通すと甘みがよく出て本当に美味しい。
風味としてはちょっとアスパラに似ています。
個人的に一番好きなのはフリッターで、次点が蒸し焼き。フリッターは甘酸っぱいトマトソースかシンプルに塩、蒸し焼きはちょこっと酸味を足したバターソースつけて食べると、マジで最高なんだな、これが。
それから、もうちょっとしたら始めようと計画してる事もある。
デュオさんの店で、今年の春から新しく扱い始めた大豆を使って、醤油と味噌を自作してみようと思っているのだ。
よその大陸のよその国はどうか分からないが、少なくとも私が住んでるこの国には、醬油と味噌は存在しない。
米を炊いて食べる文化は一応あるのに。
なお、最も重要な問題である醤油と味噌の仕込み方だが、これは『強欲』さんの権能を使えば普通に習得できるので、特に問題ないと見ていいだろう。
成功すれば念願の味噌汁が飲めるし、何と合わせても美味しく頂ける最強クラスの調味料・ガリバタ醤油も作れるようになる。
もっとも、どの料理にしたってメシマズ女の私にゃマトモに作れないんで、リトスにお願いする形になると思うけど。
いや、私だって、このままじゃよくないとは思ってるんだよ?
だっていつかはリトスも、好きな子と一緒になってこの家を出る日がやって来る。
その時の事を想像するだけで、もう正直寂しくて寂しくて仕方ないが、目を背けてはいけない現実だ。
私はいつまでも、リトスにおんぶに抱っこなままでいてはいけない。
だから昨日、早速一念発起して、意気揚々とキッチンに立って包丁とリンゴを手に取り、ここはまずシンプルに、リンゴの皮剥きから始めてみようとしたんだけど――
皮剥きを始めて1分と経たないうちに、キッチンの一部がエグい事になりました。
ホントもう、パッと見のビジュアルがだいぶヤバかったんで、ここでは詳細な描写は避けるけど、なんかこう、刃傷沙汰の現場みたいになってしまった、という事だけお伝えさせて頂きます。
モーリンに怪我を治してもらえなかったら、左の掌を何針か縫う羽目になってたと思う。
あと、リトスがいない時にやらかしたからか、夕方仕事から戻ってきたリトスにもしこたま怒られた。
一通りお説教を喰らった後、リトスがリンゴの皮剥きをマンツーマンで指導してくれたものの、どんだけ丁寧に教えられ、手取り足取り包丁とリンゴの持ち方などを指導されても、欠片も上達しないという体たらく。
私自身、あまりに情けないこの結果が精神的にしんどくて、今朝になってから再チャレンジに走った。
やや強めの口調で止めてくるリトスに、「ちょっと野菜を切るくらいならできるだろう、いや、できるはずだ」と強硬に言い張り、ニンジン切ろうとしたらうっかり手が滑って悲劇再び。
そして再びモーリンのお世話になりました。
お手数おかけして本当に申し訳ない。
流石の私も気まずくて、いやはや、危うく左手の親指がなくなる所だったよ、とおどけて見せたものの、モーリンはすっかり呆れ顔で、『下手の横好きも大概にせぬと洒落にならんぞえ』と、苦言まで呈されてしまった。
はい、そうですね。仰る通りです。
返す言葉もございません。
ついでに言うなら、まだリトス君は怒っていらっしゃるようだ。
腕組みしながら半眼で、椅子に座ったまま縮こまってる私をじっと見ていらっしゃる。
やべぇ。気まずいのと申し訳ないのとおっかないのとで、まともにリトスの顔を見られない。
つか、そろそろ出かけなくていいのかな。
いいんだろうな。
昨夜「明日は1日休みもらった」…とか言ってたし。
これは少々、長引くかも知れない。
「……うん。とにかく今回の事で、プリムがどれだけ料理に向いてないのかは、よく分かった。……もう僕も、いい加減吹っ切れたよ。前からシエラにも言われてたけど、そろそろ腹を括って動く事にする。これ以上後ろばっかり向いて黙ってたって、いい事なんて何もないよね」
リトスは形のいい細い眉を真ん中に思い切り寄せ、深々とため息を吐き出しながら言う。
「いい? よく聞いて、プリム。これからプリムは、包丁触るの一生禁止。今後包丁を使う作業は死ぬまで全部僕がやるから。そうじゃないと、胃が溶けてなくなる。分かった?」
「へ? 死ぬまで? ……い、いやいやいや! それはちょっと考え直そうよ! 幾らなんでも行き過ぎだから! それじゃああんた、これから先好きな子ができても、いつまで経ってもお婿に行けないでしょ!?」
「お婿になんて行かないよ。好きな子なら今目の前にいるし、どこにも行く必要ないから」
「――はい?」
「ああそうだ、キッチンのマットは買い換えようね。あれもう、洗っても綺麗にならないと思うし、僕自身あのマットを見るたび、君の怪我の事思い出して、複雑な気持ちになるから」
「いやあの、り、リトス君? 今なんて言ったの? 悪いんだけどその、なんか私今、幻聴っぽいものが聞こえてね?」
「幻聴じゃないよ。そりゃ、照れ臭くて話の流れに無理矢理告白捻じ込んだ僕もよくなかったと思うけど、幻聴扱いする事はないだろ? それとも、幻聴だって事にしないとやってられないくらい、僕の事嫌いなの?」
「あ、え、いや、そんな事は、ない、けど」
「……そう。よかった。じゃあちょっと出かけてくる」
混乱する私をよそに、リトスはさっさと椅子から立ち上がり、玄関に向かって歩き出す。
「えっ? で、でかける? どこに?」
「カトルさんの店。カトルさんの店は基本衣料品店だけど、材料を渡して頼めば彫金もやってくれるんだって。多芸だよね、カトルさんって」
「そ、そうなんだ。それでその、彫金? で、なに作ってもらうの?」
「……それは勿論、指輪を作ってもらうんだよ。……。その、やっぱり今のは……告白として、なってなかったなって。だから……きちんとした指輪を作ってもらって、もう一度ちゃんとやり直すから、もう一度ちゃんと聞いて。――行ってきます」
私を振り返る事なく、そのまま家を出ていくリトス。
でも私は見てしまった。
リトスの耳が、茹で蛸のように真っ赤になっていたのを。
ヤバい。手が震える。
動悸がめったくそに激しい。
耳元で心臓が鳴ってる。
なんか息苦しくなってきた。
「…………。どうしよ」
私は無意識に呟く。
一体何がどうなってこういう事になったんでしょう、神様。
ねえこれドッキリじゃないの? 本当に本当の出来事なの?
私ちゃんと起きてる? 寝ぼけて変な夢見てるんじゃないよね?
いやまあ別に嫌ではないけどさ!
ああもう!
ホントマジでどうしていいのか分からんのですが!
『いやあ、春じゃのう。家の中まで春じゃのう』
「うっさい! 余計な事言わないでくれます!?」
私はニヤニヤしながらのたまうモーリンに叫び返したのち、頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
なんか、頭から湯気が出そうだった。
1
お気に入りに追加
107
あなたにおすすめの小説
異世界で魔法が使えるなんて幻想だった!〜街を追われたので馬車を改造して車中泊します!〜え、魔力持ってるじゃんて?違います、電力です!
あるちゃいる
ファンタジー
山菜を採りに山へ入ると運悪く猪に遭遇し、慌てて逃げると崖から落ちて意識を失った。
気が付いたら山だった場所は平坦な森で、落ちたはずの崖も無かった。
不思議に思ったが、理由はすぐに判明した。
どうやら農作業中の外国人に助けられたようだ。
その外国人は背中に背負子と鍬を背負っていたからきっと近所の農家の人なのだろう。意外と流暢な日本語を話す。が、言葉の意味はあまり理解してないらしく、『県道は何処か?』と聞いても首を傾げていた。
『道は何処にありますか?』と言ったら、漸く理解したのか案内してくれるというので着いていく。
が、行けども行けどもどんどん森は深くなり、不審に思い始めた頃に少し開けた場所に出た。
そこは農具でも置いてる場所なのかボロ小屋が数軒建っていて、外国人さんが大声で叫ぶと、人が十数人ゾロゾロと小屋から出てきて、俺の周りを囲む。
そして何故か縄で手足を縛られて大八車に転がされ……。
⚠️超絶不定期更新⚠️
追放もの悪役勇者に転生したんだけど、パーティの荷物持ちが雑魚すぎるから追放したい。ざまぁフラグは勘違いした主人公補正で無自覚回避します
月ノ@最強付与術師の成長革命/発売中
ファンタジー
ざまぁフラグなんて知りません!勘違いした勇者の無双冒険譚
ごく一般的なサラリーマンである主人公は、ある日、異世界に転生してしまう。
しかし、転生したのは「パーティー追放もの」の小説の世界。
なんと、追放して【ざまぁされる予定】の、【悪役勇者】に転生してしまったのだった!
このままだと、ざまぁされてしまうが――とはならず。
なんと主人公は、最近のWeb小説をあまり読んでおらず……。
自分のことを、「勇者なんだから、当然主人公だろ?」と、勝手に主人公だと勘違いしてしまったのだった!
本来の主人公である【荷物持ち】を追放してしまう勇者。
しかし、自分のことを主人公だと信じて疑わない彼は、無自覚に、主人公ムーブで【ざまぁフラグを回避】していくのであった。
本来の主人公が出会うはずだったヒロインと、先に出会ってしまい……。
本来は主人公が覚醒するはずだった【真の勇者の力】にも目覚めてしまい……。
思い込みの力で、主人公補正を自分のものにしていく勇者!
ざまぁフラグなんて知りません!
これは、自分のことを主人公だと信じて疑わない、勘違いした勇者の無双冒険譚。
・本来の主人公は荷物持ち
・主人公は追放する側の勇者に転生
・ざまぁフラグを無自覚回避して無双するお話です
・パーティー追放ものの逆側の話
※カクヨム、ハーメルンにて掲載
【完結】神様に嫌われた神官でしたが、高位神に愛されました
土広真丘
ファンタジー
神と交信する力を持つ者が生まれる国、ミレニアム帝国。
神官としての力が弱いアマーリエは、両親から疎まれていた。
追い討ちをかけるように神にも拒絶され、両親は妹のみを溺愛し、妹の婚約者には無能と罵倒される日々。
居場所も立場もない中、アマーリエが出会ったのは、紅蓮の炎を操る青年だった。
小説家になろう、カクヨムでも公開していますが、一部内容が異なります。
冤罪で山に追放された令嬢ですが、逞しく生きてます
里見知美
ファンタジー
王太子に呪いをかけたと断罪され、神の山と恐れられるセントポリオンに追放された公爵令嬢エリザベス。その姿は老婆のように皺だらけで、魔女のように醜い顔をしているという。
だが実は、誰にも言えない理由があり…。
※もともとなろう様でも投稿していた作品ですが、手を加えちょっと長めの話になりました。作者としては抑えた内容になってるつもりですが、流血ありなので、ちょっとエグいかも。恋愛かファンタジーか迷ったんですがひとまず、ファンタジーにしてあります。
全28話で完結。
転生したおばあちゃんはチートが欲しい ~この世界が乙女ゲームなのは誰も知らない~
ピエール
ファンタジー
おばあちゃん。
異世界転生しちゃいました。
そういえば、孫が「転生するとチートが貰えるんだよ!」と言ってたけど
チート無いみたいだけど?
おばあちゃんよく分かんないわぁ。
頭は老人 体は子供
乙女ゲームの世界に紛れ込んだ おばあちゃん。
当然、おばあちゃんはここが乙女ゲームの世界だなんて知りません。
訳が分からないながら、一生懸命歩んで行きます。
おばあちゃん奮闘記です。
果たして、おばあちゃんは断罪イベントを回避できるか?
[第1章おばあちゃん編]は文章が拙い為読みづらいかもしれません。
第二章 学園編 始まりました。
いよいよゲームスタートです!
[1章]はおばあちゃんの語りと生い立ちが多く、あまり話に動きがありません。
話が動き出す[2章]から読んでも意味が分かると思います。
おばあちゃんの転生後の生活に興味が出てきたら一章を読んでみて下さい。(伏線がありますので)
初投稿です
不慣れですが宜しくお願いします。
最初の頃、不慣れで長文が書けませんでした。
申し訳ございません。
少しづつ修正して纏めていこうと思います。
リリゼットの学園生活 〜 聖魔法?我が家では誰でも使えますよ?
あくの
ファンタジー
15になって領地の修道院から王立ディアーヌ学園、通称『学園』に通うことになったリリゼット。
加護細工の家系のドルバック伯爵家の娘として他家の令嬢達と交流開始するも世間知らずのリリゼットは令嬢との会話についていけない。
また姉と婚約者の破天荒な行動からリリゼットも同じなのかと学園の男子生徒が近寄ってくる。
長女気質のダンテス公爵家の長女リーゼはそんなリリゼットの危うさを危惧しており…。
リリゼットは楽しい学園生活を全うできるのか?!
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
明日を信じて生きていきます~異世界に転生した俺はのんびり暮らします~
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生した主人公は、新たな冒険が待っていることを知りながらも、のんびりとした暮らしを選ぶことに決めました。
彼は明日を信じて、異世界での新しい生活を楽しむ決意を固めました。
最初の仲間たちと共に、未知の地での平穏な冒険が繰り広げられます。
一種の童話感覚で物語は語られます。
童話小説を読む感じで一読頂けると幸いです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる