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第8章
閑話 高慢ちき令嬢の末路
しおりを挟む年の暮れの時期特有の、乾いた寒風が吹きすさぶレカニス王国の西端。
海辺にある粗末な修道院の片隅で、元アムリエ侯爵令嬢・アミエーラは、屋外で窓の拭き掃除をしていた。
「……どうして……どうしてこのワタクシが、こんな酷い扱いを受けねばならないの……!」
アミエーラは青い瞳に涙を浮かべ、刺すように冷たい水に何度も浸かった為にかじかんで、すっかり赤くなっている手指を擦り合わせながら独り言ちる。
思えば、下らない先王の悪事を暴いた立役者だから、などと言う理由で、平民の身分にも関わらず一部の貴族から敬われ、チヤホヤされていい気になっているという精霊の巫女に、聖女として釘を刺しに行った事がケチの付き始めだ。
聖女の自分に付き従う者達を連れ、件の精霊の村とやらに乗り込んで、「真に人々から敬われ、愛されるのは聖女である自分なのだから身の程を弁えろ」、と言ってやるはずが、村へ行きどころか山にさえ入れず、下々の者の前で大恥を掻かされた挙句、泥まみれの姿にされて教会へ戻る羽目になった時は、悔しくて腹立たしくて、夜もろくに眠れなかった。
なにせ、普段から雑用や憂さ晴らしに重宝していた、自分の奴隷も同然だったはずのドロシーにまで手を噛まれたのである。
これが腹立たしくないなら何が腹立たしいというのか。
だからその後、大司教が適当な理由で精霊の巫女を呼び出し、教会と聖女との格の違いを思い知らせてくれる、と言ってくれたから、とても期待していた。
精霊の巫女に尻尾を振った、恥知らずな奴隷娘も、自分がしっかり躾け直してやる、とも。
だからアミエーラもそのついでに、機会があれば大司教か、もしくは不特定多数の他人の前で、精霊の巫女に自分以上の醜態を晒させてやろうと思い立ち、父親におねだりして特製の神経毒を用意してもらったのだ。
父親から、「痙攣して泡を吹くなど派手な症状は出るが、致死毒ではないから安心して飲ませろ」、と言われた為、試しに家の使用人の女に飲ませた所、父親の言う通り、使用人は白目を剥いて痙攣し、口から泡を吹きながら失禁までしたので、これは傑作だと思った。
アミエーラは、これは誰かに恥を掻かせるのにおあつらえ向きの毒だと確信し、ワクワクしながら精霊の巫女の来訪を、手ぐすね引いて待ちわびた。
――だというのに、毒にやられて醜態を晒したのは、なぜか精霊の巫女ではなく自分だった。
幸い、布地をたっぷり使った柔らかなドレスを着ていた為、失禁した事はその場ではバレずに済んだ。
だがしかし、真の悪夢はその後に待っていた。
アミエーラが意識を失っている間に、なぜかドロシーが聖女のスキルに目覚め、アミエーラは聖女の称号を名乗る資格を持っていないと、ばれてしまったのである。
そして、そんな自分に沙汰を下した教皇は人でなしだと、アミエーラは心底思っている。
まだ病み上がりの自分を無理矢理地下牢へ収監し、反省と謝罪を強要した末、こんなみすぼらしい修道院に放り込んだのだから。
教皇の配下の者達も、誰も彼もみな無情で冷淡で、アミエーラがどんなに無罪を主張しても、一切聞く耳を持ってくれなかった。
自分はただ、父親の言い付けに従っていただけだと、何度も何度も言ったのに。
誰ひとり、温情のひとつもかけてはくれなかった。
アミエーラにとって、この修道院は劣悪な環境の薄汚い地獄で、ここで幅を利かせている年嵩のシスター達は醜い悪魔だ。
与えられた自室は狭くて汚い、屋敷にあったペット小屋以下の劣悪な環境で、マットレスに藁が詰めてあるだけのベッドは、固くて寝心地が悪かった。
掃除や洗濯の仕事をせねば食事も与えられず、屈辱に震えながら仕事をこなしても、出されるのは固くて酸っぱい黒いパンと、豆と野菜しか入っていない塩味のスープだけ。
一度は、こんな下賤の者が口にするようなものを、侯爵令嬢の自分に食べさせる気かと激怒し、パンとスープを皿ごと床に捨ててやったのだが、そうしたら「神の恵みたる食物を粗末に扱うとは何事か」、とシスター達が怒り出し、何度も鞭打たれた挙句、懺悔室とかいう狭い部屋に丸3日監禁され、食事どころか水まで抜かれて死ぬ思いをした。
それ以降、アミエーラは生きる為にやむなくシスター達に従い、掃除と洗濯をし、下賤な食事を食べ、粗末なベッドで唇を噛みながら眠っている。
いつかきっと、心を入れ替えた父親と優しい母親が、自分を助けに来てくれると信じて。
実際の所アミエーラの実父は、現在懲役10年の判決を受けて貴族用の刑務所に収監されている他、既に家督も弟に奪われ、妻も離縁状にサインして実家に逃げ帰っている為、もはやアミエーラを迎えに行くどころか、出所後の居場所さえない身の上になっていた。
その事実をアミエーラが知るのは、アミエーラが修道院に身を置くようになって、約5年が経過した頃の事。
貧しい暮らしに嫌気が差して修道院から逃げ出した末、無謀にも護衛がついた商人の馬車に果物ナイフ1本で襲いかかって、馬車ごと荷を奪おうとして返り討ちに遭い、ボロボロの姿で近隣の街の牢屋に放り込まれた数日後の事だ。
当然今のアミエーラは、そんな破滅的な未来が自分を待ち受けているなど、想像だにしていない。
いつでもどこでも何があっても、自分が一番正しくて、自分だけが一番大切で、自分は無条件で誰かに愛され、尽くされて当然という、傲慢な思考回路を持つアミエーラの中には、『反省』という概念どころか、他者を思いやる心根さえ存在しないのだから。
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