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第8章
11話 堕ちる者、目覚める者 前編
しおりを挟む応接室内は今や、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
まさかこいつ……私が幾ら毒入り紅茶を飲んでもピンピンしてるもんだから、ついつい毒の効能を疑って、自分で試しに毒を飲んでみたんじゃ……。
いや、まさかじゃなくて間違いなくそうだ。
ワゴンの上に飲みかけの紅茶が置いてあるし。
なんつー馬鹿な真似を……!
っていうか……こいつ私に、飲んですぐに意識がなくなって、口から泡吹くようなエグい毒盛りやがったんかい!
ホント後でシバいてやろうかな! マジで!
「アムリエ侯爵令嬢! 聞こえますか、アムリエ侯爵令嬢!」
ヘリング様が高慢ちきを抱き起こし、何度か軽く頬を叩いて呼びかけるが、反応はナシ。既に意識もなくなっているらしい高慢ちきに、大司教も傍らから必死に呼びかける。
「アミエーラ! どうしたのだ、しっかりせい! アミエーラ!」
「ダメですね、意識が戻らない……。大司教、一刻も早く医者を!」
「は、はい! ――誰か! そこにおるであろう!」
「どうなさいましたか! 大司教様!」
大司教がヘリング様に促されて声を上げると、室外にいた護衛の僧兵が、押っ取り刀の様相で応接室のドアを開け、中へ入ってきた。室内の光景を目にした途端、僧兵はギョッとして目を剥き、硬直する。
そりゃそうだよね。
ぶっ倒れて意識がないっぽい様子の聖女様が、口から泡吹いて痙攣してんだもん。
誰だって何事かと思うよね。
「アミエーラが! アミエーラが危急じゃ! 医者を! 早く医者を呼べ!」
「――はっ!? わ、分かりました! すぐにお呼びして参ります!」
我に返って状況を理解したらしい僧兵は、大急ぎで廊下を駆けて行った。
その姿を黙って見送ったヘリング様が、再び高慢ちきに視線を戻してうそぶく。
「しかしこの症状……アムリエ侯爵令嬢は、毒を飲んだ可能性が高いのでは」
「ど、毒ですと!? 一体誰がそのような大それた真似を!」
ヘリング様の言葉に一層顔を青くする大司教。
しかしその答えはすぐに、ワゴンと高慢ちきの周囲を見回していたリトスと、毒を飲んだ本人が明かしてくれた。
「……あれ? ヘリング様、聖女様の左手を見て下さい! 何か握ってます!」
「左手? ……ん? なんだこれは……。コルクの栓……小瓶か? ……くっ、きつく握り込んでいて、片手では取り出せないな……。大司教、アムリエ侯爵令嬢の左手の指を解いて下さいませんか!」
「はいっ!? ひっ、左手? ……。……なんだこの小瓶は? ……。うぐっ!? 鼻が曲がる! こ、これが毒なのか!? なぜアミエーラはこのようなものを……」
ヘリング様に促されるまま高慢ちきの左手の指を解き、握り込んでいた小瓶を見て眉根を寄せた大司教は、更に小瓶のコルク栓を開けて鼻を近づけ――即座に反射の勢いで顔を背ける。
私も大司教の傍に行き、断りを入れてから問題の小瓶を受け取り、口の空いた瓶に鼻を近づけてみると、鼻腔を突き刺すような酷い臭いに襲われた。
うわ臭っ! ていうか、鼻の奥にツンときた!
昔科学の授業で嗅いだ、酢酸みたいな刺激臭がする!
っていうか……これが紅茶に入ってたんだよね?
よくもまあこんなの混入されて、美味しく紅茶頂いたりしちゃったもんだよな、私。
詳らかになった事実に打ちのめされそうだ……。
いや、多分これはアレだ。
紅茶の成分と混ざった事で、いい感じに化学反応が起きて美味しい味になったんだ。
そうだ。そうに決まってる。
そういう事にしよう。
ハイ決まり。
私は自分に都合のいい自己解釈を脳内で構築し、華麗に自己完結した。
これでいい。こういうポジティブさが、人生をいい方向に向かわせるのだ。
しかし、私の問題は解決したが、高慢ちきの問題は全く解決していない。
私達があれこれ話し合いながら医者を待ってる間にも、高慢ちきの容態は、徐々に悪化しているように見受けられる。
ていうかこれ……このまま放っておいたら、医者が来るまで保たないのでは……?
ムカつく高慢ちきだが、死なれてしまうというのは流石に気分が悪い。
ちょっとどうにかできないか、モーリンに念話で訊いてみよう。
どうせ暇潰しにこっち見てるんだろうし。
(モーリン、ねえちょっとモーリン。いきなりで悪いんだけど、回復魔法でこいつの毒消せないかな?)
『嫌じゃ。妾はこの小娘の事は好かぬ。そもそもこやつが倒れたのは自業自得じゃ』
(え~? ダメ? そこ何とか負けてくれない? なんか明らかにヤバそうな感じだし、私も目の前で死なれるとか、そういうのはちょっとしんどいし……)
『ダメじゃ、鉄貨1枚分とて負からぬ。この小娘に精霊の癒しを与えるなぞ、過ぎた施しじゃ。しかし案ずるな。見た感じヤバそうな様子ではあるが、死ぬほどの毒ではない。安心して放置するのじゃ』
(ダメかぁ。……ってか、安心して放置って……)
『気にするでない。それに、いざとなれば聖女がなんとかするじゃろう。――ではな。妾はもうしばらく様子を観察しておるのじゃ』
(聖女がなんとか? なによそれ、どういう事? だって聖女は……って、ちょっと! 念話の接続一方的に切るな! ……あーもう……)
思わず肩を落とす私に、リトスが声をかけてくる。
「プリム? どうかした?」
「え? ああ……。ちょっとモーリンに、こう……もとい、聖女様の解毒ができないか訊いてみたの。拒否されちゃったけど」
「は!? な、なぜですか巫女様! あなたは精霊と契約なされているのですよね!? なのになぜ拒否されてしまうのですか!」
目を剥いて詰め寄ろうとしてくる大司教を、リトスが無言でその場に押し留める。
「精霊と人間の契約というのは、精霊側が『主』で人間側が『従』に相当するもの。契約を結んでいても、精霊に助力を強制する事は不可能なんですよ。
本来なら、契約した精霊に対して敬いの祈りを捧げ、対価となる供物を捧げる事で、ようやく力を貸してもらえるんです」
私は納得いかなさそうな顔をしている大司教に、精霊と契約の話をざっくり説明していく。
「私はまだ精霊が温情をかけて、対等な関係として契約を結んでくれているので、そういった儀式をせずとも頼みを聞いてもらえるのですが……それでもやはり、私の意志にいつでも添ってくれる訳ではありません。最も優先されるのは精霊側の意志です。
それに納得して従えない人間には、精霊は初めから力を貸したりはしませんし、姿を見せる事さえありません。残念ながら、精霊との契約というのは、そういうものなんです」
「そ、そんな……。で、では、アミエーラは……」
「それに関しては大丈夫だそうです。放っておいても死に至るほどの毒ではないと、精霊は言っていました。それと……聖女が何とかする、とも言っていましたが……」
「聖女が? し、しかしその、肝心の聖女が、アミエーラ自体が毒で倒れておるのに、それは一体どういう……」
「すみません。私も訊いてみたのですが、答えてもらえませんでした。――申し上げづらいのですが、私と契約してくれている精霊……モーリンは、そちらの聖女様がつくづくお気に召さないようです。
モーリンは元々、人間が好きな優しい精霊なのに、ここまで拒否感を前面に出して意固地になるなんて、初めてですよ。困ったものですね」
「…………」
私がチクリと嫌味を言うと、大司教は露骨に不機嫌そうな顔をしたが、唇を噛んでうつむくだけで、声を荒らげたり食ってかかってくる事はなかった。
まだその程度の理性は残っているらしい。
私は小さくため息を零しつつ、ヘリング様に抱えられたままでいる高慢ちきに目を向ける。
その傍らには、高慢ちきに心配そうな目を向けるドロシー様がしゃがみ込んでいて、未だ痙攣が収まらないその手を包むように握っているのが見えた。
本当にドロシー様は優しい人だ。
自分を奴隷のように扱った挙句、しょうもない濡れ衣を着せて罪人に貶めようとしたのに、それでもまだ高慢ちきの身を案じるなんて。私には真似できない。
正直言って、こんな性根の腐った高慢ちきなんかよりドロシー様の方が、よっぽど聖女の称号を得るに相応しい気がするんだけどな。
私が再びため息をつき、内心でそううそぶいた瞬間。
高慢ちきの身体が、突然柔らかな光に包まれた。
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