上 下
109 / 124
第8章

4話 聖女襲来。 後編

しおりを挟む


「……あなた……今、なんと仰ったの?」

 格下の女に意見された事が、よっぽど気に入らないのだろう。
 この状況をどうにか打開すべく、頑張って勇気を振り絞ったであろうシスターに、高慢ちきが今までより数段低い声を出す。
 まるでヤクザの恫喝を目の当たりにしてるみたいだ。

 美人の怒り顔は恐ろしい、と人は言うけれど、こいつの場合はそれとは違う意味で恐ろしい。
 平均以上に整っているはずの顔は、もはや怒りというより憎悪に満ち満ちており、凶悪なまでに歪んでいた。
 高慢ちきの顔を見た入山希望者達のみならず、取り巻きの男性達までもが露骨に怯えた様子で数歩後ろへ下がり、私も思わずドン引いて「うわ」と呻く。

 そして、単なる白い子ギツネを装っているモーリンは、何食わぬ顔で毛づくろいの真っ最中だ。どうやら直前の宣言通り、我関せずのスタンスを貫く構えである模様。
 私もいっそキツネになりたいよ。畜生。

 しかし……さっきは鬼ような形相って言ったけど、こりゃどっちかというと山姥やまんばだな。
 なんかもう、今にも隠し持ってた包丁を、やたらめったらに振り回して襲い掛かって来るんじゃないか、なんて邪推が瞬間的に湧いてくるくらいには、エグい表情をしていらっしゃる。

 まかり間違っても、上位貴族の高度な教育を受けた淑女がしていい顔じゃないぞ。これ。
 ぶっちゃけた話、ここが山道の入り口じゃなくて王都の中心街だったら、間違いなくこの高慢ちきは嫁のもらい手が見付からなくなってたと思う。

「家格の低い、木っ端も同然な子爵家の娘風情が、このワタクシに意見するなんて……! どこまで親の躾がなっていないのかしら、お前は……!」

 私がそんな事を思っている間にも、高慢ちきは今にも人を殺しそうなお顔で、シスターとの距離をじわりじわりと詰めていく。
 いや。親の躾がなってないのは、どう考えてもお前の方だろ。
 お前の思考回路は一体どうなってるんだ。

 一方のシスターは、あまりの恐怖に身体が硬直し、逃げたくても逃げられなくなっているようだった。
 その場に突っ立ったまま、両手を胸の前で組んで身体を縮こまらせ、血の気の失せた顔でガクガク震えている。もはや声すら出ないらしい。金縛りに遭ったような状態だ。

 まあ、彼女の気持ちも分からなくはない。
 下手な怪物より、今のこの高慢ちきの形相の方がよっぽど怖いもん。
 小さな子が見たらトラウマになる事請け合いだよ。
 ていうか、流石にいい加減割って入って止めておかないと、後味の悪い事になりかねない。

 私がやむなく結界の外へ出ようとしたその時、今にも掴みかかられそうになっていたシスターが、寸での所で足を動かして大きく後ずさった。
 多分、意図して動いたというより、反射に近い感じで身体が勝手に動いたんだろう。
 そして、シスターに向かって伸ばしていた高慢ちきの手が、あえなくスカッと空を切った刹那。

「ワタクシの手を避けるだなんて、どういう了見なのお前はッ!!」

「きっ……! きゃあああああっ!」

 ついに高慢ちきがブチギレた。
 本当、侯爵令嬢が人様に見せていいような顔じゃn(以下略)。

 一方シスターの方はというと、高慢ちきが唐突に張り上げた怒声が、完全に金縛りを解く切っ掛けになったようで、化け物と遭遇したような表情で悲鳴を上げながら、なりふり構わずその場から走って逃げ出した。
 さもありなん。

 しかし――これでわざわざ助けに入る必要もなくなったな。

「誰の許しを得て逃げているの! この無礼者! お父様に言い付けて、不敬罪で処刑してやるッ!」

 綺麗にセットされたハーフアップっぽい髪を振り乱し、無茶苦茶な事を言いながらシスターを追いかけ始める高慢ちき。
 うーわ。本当に山姥みたいだ。怖っ。

 あとさ、この程度の振る舞いで不敬罪適用して処刑するなんて、まず無理だよ?
 まあ、シスターが平民で、お前が国主から見て一親等内に含まれる王族だったら、時と場合によっては、そうなる可能性もあるかも知れないけど。

 ていうかそもそも、お前がきちんとした良識のある淑女だったら、こんな状況なんてハナから生まれてないからな。そこん所分かってんの?
 いや、分かってる訳ないか。
 今のは我ながら愚問だったわ。

 私がげんなり顔でしょうもない事を考えている間に、理不尽な追いかけっこは突如終わりを迎えた。
 半泣き顔で近くに駆け込んで来たシスターを、私が一応背後に匿った次の瞬間、高慢ちきがバチッ、という結構派手な音と共に、結界に弾かれたのである。

 高慢ちきは「ぎゃあっ!?」と無様な悲鳴を上げながら、大きく後ろに吹っ飛んで地面に転がった。肩越しに背後を振り返ると、シスターは何が起きたかすぐには理解できないようで、ポカンとしている。
 それから一瞬遅れて取り巻き達が我に返り、「聖女様ああぁっ!?」と叫びながら、白目を剥いて倒れたままピクリとも動かない高慢ちきの元へ、慌てて駆け寄っていく。

 はいそうです。
 シスターは、山の周囲に張られた結界を普通に素通りし、怒り狂って周りが見えなくなっていた高慢ちきは、結界に気付かずシスターを追いかけようとして、自分から結界に激突して自滅した次第です。ざまぁ。

 ていうか、パツキンドリルロールとお高そうな白のヒラヒラドレスが、半端に溶けた雪が混じった泥にまみれて、えらい事になっちゃってるよ。
 こっちの世界の洗剤と洗浄技術じゃ、どんなに洗っても綺麗にはならないだろうな、あのドレス。ご愁傷様。
 こんな時期にそんな恰好で山に来る方が悪いんだけど。

 ちなみに、モーリンが生み出した『忌み人避け』の結界は、通過を試みた相手が強い悪意や害意を持っているほど、痛烈な魔力のカウンターで対象を拒絶し、結界面への接触時の勢いが強いほど、触れた相手を大きく弾く。
 恐らくあの高慢ちきは結界に接触した瞬間、ガタイのいい格闘家に思いっ切り殴り飛ばされるくらいのダメージを受けたんじゃなかろうか。
 あの様子じゃ、当分起き上がれないだろう。

「あらあら。どうやらそちらの聖女様、山と村を守護して下さっている、精霊様の逆鱗に触れてしまわれたようですね。お命に別状はありませんか?」

 倒れた高慢ちきを囲んでしゃがみ、あわあわまごまごするばかりの取り巻き連中に、やや大きめの声でそう呼びかけると、連中は傍目にも丸分かりなほどビクついて、面白いほど大きく身体を跳ねさせた。

「はっ、ははは、はいぃっ! お、お命には、別状ないようですっ!」

「こっ、この、このような事になっては、村を訪問などできませんし、こ、ここは一度お暇させて頂きたく思うのですがっ、よろしいでしょうかっ!」

「ええ、勿論構いませんよ。ただ、今私の近くにいらっしゃるシスターさんは、どうやら酷く聖女様のご不興を買ってしまわれたようですし、一時的にこちらで身柄をお預かりした方がいいかも知れません。どう思われますか?」

「そっ……そ、そうですねっ! 私共も、それがよろしいかと愚考する次第でございますっ! それではこれで失礼します!」

 言うが早いか、取り巻き達は泥まみれになった高慢ちきを担ぎ上げ、早足で山道から遠ざかっていく。木々に隠れてよく見えないが、比較的近くに四頭立てのデカい馬車が停めてるみたいだし、多分、あれに乗って帰るんだろう。

 なんとなくそちらの方へ目を向けていると、背後からドサッという、なにか重いものが落ちるような音が聞こえてくる。何事かと思って振り返れば、特に外傷も何もないはずのシスターが、なぜかその場にばったり倒れて失神していた。
 もしかしたら、極度の緊張から解放された反動、という奴なんだろうか。

 なんにしても、このまま倒れた女性を放置するという選択肢など、初めから私の中にはない。
 私は周囲にいる人達の力を借りてシスターを背負い、ひとまず彼女を自宅へ連れて行く事にした。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】神様に嫌われた神官でしたが、高位神に愛されました

土広真丘
ファンタジー
神と交信する力を持つ者が生まれる国、ミレニアム帝国。 神官としての力が弱いアマーリエは、両親から疎まれていた。 追い討ちをかけるように神にも拒絶され、両親は妹のみを溺愛し、妹の婚約者には無能と罵倒される日々。 居場所も立場もない中、アマーリエが出会ったのは、紅蓮の炎を操る青年だった。 小説家になろう、カクヨムでも公開していますが、一部内容が異なります。

転生メイドは絆されない ~あの子は私が育てます!~

志波 連
ファンタジー
息子と一緒に事故に遭い、母子で異世界に転生してしまったさおり。 自分には前世の記憶があるのに、息子は全く覚えていなかった。 しかも、愛息子はヘブンズ王国の第二王子に転生しているのに、自分はその王子付きのメイドという格差。 身分差故に、自分の息子に敬語で話し、無理な要求にも笑顔で応える日々。 しかし、そのあまりの傍若無人さにお母ちゃんはブチ切れた! 第二王子に厳しい躾を始めた一介のメイドの噂は王家の人々の耳にも入る。 側近たちは不敬だと騒ぐが、国王と王妃、そして第一王子はその奮闘を見守る。 厳しくも愛情あふれるメイドの姿に、第一王子は恋をする。 後継者争いや、反王家貴族の暗躍などを乗り越え、元親子は国の在り方さえ変えていくのだった。

異世界で魔法が使えるなんて幻想だった!〜街を追われたので馬車を改造して車中泊します!〜え、魔力持ってるじゃんて?違います、電力です!

あるちゃいる
ファンタジー
 山菜を採りに山へ入ると運悪く猪に遭遇し、慌てて逃げると崖から落ちて意識を失った。  気が付いたら山だった場所は平坦な森で、落ちたはずの崖も無かった。  不思議に思ったが、理由はすぐに判明した。  どうやら農作業中の外国人に助けられたようだ。  その外国人は背中に背負子と鍬を背負っていたからきっと近所の農家の人なのだろう。意外と流暢な日本語を話す。が、言葉の意味はあまり理解してないらしく、『県道は何処か?』と聞いても首を傾げていた。  『道は何処にありますか?』と言ったら、漸く理解したのか案内してくれるというので着いていく。  が、行けども行けどもどんどん森は深くなり、不審に思い始めた頃に少し開けた場所に出た。  そこは農具でも置いてる場所なのかボロ小屋が数軒建っていて、外国人さんが大声で叫ぶと、人が十数人ゾロゾロと小屋から出てきて、俺の周りを囲む。  そして何故か縄で手足を縛られて大八車に転がされ……。   ⚠️超絶不定期更新⚠️

[完結]前世引きこもりの私が異世界転生して異世界で新しく人生やり直します

mikadozero
ファンタジー
私は、鈴木凛21歳。自分で言うのはなんだが可愛い名前をしている。だがこんなに可愛い名前をしていても現実は甘くなかった。 中高と私はクラスの隅で一人ぼっちで生きてきた。だから、コミュニケーション家族以外とは話せない。 私は社会では生きていけないほどダメ人間になっていた。 そんな私はもう人生が嫌だと思い…私は命を絶った。 自分はこんな世界で良かったのだろうかと少し後悔したが遅かった。次に目が覚めた時は暗闇の世界だった。私は死後の世界かと思ったが違かった。 目の前に女神が現れて言う。 「あなたは命を絶ってしまった。まだ若いもう一度チャンスを与えましょう」 そう言われて私は首を傾げる。 「神様…私もう一回人生やり直してもまた同じですよ?」 そう言うが神は聞く耳を持たない。私は神に対して呆れた。 神は書類を提示させてきて言う。 「これに書いてくれ」と言われて私は書く。 「鈴木凛」と署名する。そして、神は書いた紙を見て言う。 「鈴木凛…次の名前はソフィとかどう?」 私は頷くと神は笑顔で言う。 「次の人生頑張ってください」とそう言われて私の視界は白い世界に包まれた。 ーーーーーーーーー 毎話1500文字程度目安に書きます。 たまに2000文字が出るかもです。

明日を信じて生きていきます~異世界に転生した俺はのんびり暮らします~

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生した主人公は、新たな冒険が待っていることを知りながらも、のんびりとした暮らしを選ぶことに決めました。 彼は明日を信じて、異世界での新しい生活を楽しむ決意を固めました。 最初の仲間たちと共に、未知の地での平穏な冒険が繰り広げられます。 一種の童話感覚で物語は語られます。 童話小説を読む感じで一読頂けると幸いです

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

リリゼットの学園生活 〜 聖魔法?我が家では誰でも使えますよ?

あくの
ファンタジー
 15になって領地の修道院から王立ディアーヌ学園、通称『学園』に通うことになったリリゼット。 加護細工の家系のドルバック伯爵家の娘として他家の令嬢達と交流開始するも世間知らずのリリゼットは令嬢との会話についていけない。 また姉と婚約者の破天荒な行動からリリゼットも同じなのかと学園の男子生徒が近寄ってくる。 長女気質のダンテス公爵家の長女リーゼはそんなリリゼットの危うさを危惧しており…。 リリゼットは楽しい学園生活を全うできるのか?!

婚約破棄された上に国外追放された聖女はチート級冒険者として生きていきます~私を追放した王国が大変なことになっている?へぇ、そうですか~

夏芽空
ファンタジー
無茶な仕事量を押し付けられる日々に、聖女マリアはすっかり嫌気が指していた。 「聖女なんてやってられないわよ!」 勢いで聖女の杖を叩きつけるが、跳ね返ってきた杖の先端がマリアの顎にクリーンヒット。 そのまま意識を失う。 意識を失ったマリアは、暗闇の中で前世の記憶を思い出した。 そのことがきっかけで、マリアは強い相手との戦いを望むようになる。 そしてさらには、チート級の力を手に入れる。 目を覚ましたマリアは、婚約者である第一王子から婚約破棄&国外追放を命じられた。 その言葉に、マリアは大歓喜。 (国外追放されれば、聖女という辛いだけの役目から解放されるわ!) そんな訳で、大はしゃぎで国を出ていくのだった。 外の世界で冒険者という存在を知ったマリアは、『強い相手と戦いたい』という前世の自分の願いを叶えるべく自らも冒険者となり、チート級の力を使って、順調にのし上がっていく。 一方、マリアを追放した王国は、その軽率な行いのせいで異常事態が発生していた……。

処理中です...