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第8章
4話 聖女襲来。 後編
しおりを挟む「……あなた……今、なんと仰ったの?」
格下の女に意見された事が、よっぽど気に入らないのだろう。
この状況をどうにか打開すべく、頑張って勇気を振り絞ったであろうシスターに、高慢ちきが今までより数段低い声を出す。
まるでヤクザの恫喝を目の当たりにしてるみたいだ。
美人の怒り顔は恐ろしい、と人は言うけれど、こいつの場合はそれとは違う意味で恐ろしい。
平均以上に整っているはずの顔は、もはや怒りというより憎悪に満ち満ちており、凶悪なまでに歪んでいた。
高慢ちきの顔を見た入山希望者達のみならず、取り巻きの男性達までもが露骨に怯えた様子で数歩後ろへ下がり、私も思わずドン引いて「うわ」と呻く。
そして、単なる白い子ギツネを装っているモーリンは、何食わぬ顔で毛づくろいの真っ最中だ。どうやら直前の宣言通り、我関せずのスタンスを貫く構えである模様。
私もいっそキツネになりたいよ。畜生。
しかし……さっきは鬼ような形相って言ったけど、こりゃどっちかというと山姥だな。
なんかもう、今にも隠し持ってた包丁を、やたらめったらに振り回して襲い掛かって来るんじゃないか、なんて邪推が瞬間的に湧いてくるくらいには、エグい表情をしていらっしゃる。
まかり間違っても、上位貴族の高度な教育を受けた淑女がしていい顔じゃないぞ。これ。
ぶっちゃけた話、ここが山道の入り口じゃなくて王都の中心街だったら、間違いなくこの高慢ちきは嫁のもらい手が見付からなくなってたと思う。
「家格の低い、木っ端も同然な子爵家の娘風情が、このワタクシに意見するなんて……! どこまで親の躾がなっていないのかしら、お前は……!」
私がそんな事を思っている間にも、高慢ちきは今にも人を殺しそうなお顔で、シスターとの距離をじわりじわりと詰めていく。
いや。親の躾がなってないのは、どう考えてもお前の方だろ。
お前の思考回路は一体どうなってるんだ。
一方のシスターは、あまりの恐怖に身体が硬直し、逃げたくても逃げられなくなっているようだった。
その場に突っ立ったまま、両手を胸の前で組んで身体を縮こまらせ、血の気の失せた顔でガクガク震えている。もはや声すら出ないらしい。金縛りに遭ったような状態だ。
まあ、彼女の気持ちも分からなくはない。
下手な怪物より、今のこの高慢ちきの形相の方がよっぽど怖いもん。
小さな子が見たらトラウマになる事請け合いだよ。
ていうか、流石にいい加減割って入って止めておかないと、後味の悪い事になりかねない。
私がやむなく結界の外へ出ようとしたその時、今にも掴みかかられそうになっていたシスターが、寸での所で足を動かして大きく後ずさった。
多分、意図して動いたというより、反射に近い感じで身体が勝手に動いたんだろう。
そして、シスターに向かって伸ばしていた高慢ちきの手が、あえなくスカッと空を切った刹那。
「ワタクシの手を避けるだなんて、どういう了見なのお前はッ!!」
「きっ……! きゃあああああっ!」
ついに高慢ちきがブチギレた。
本当、侯爵令嬢が人様に見せていいような顔じゃn(以下略)。
一方シスターの方はというと、高慢ちきが唐突に張り上げた怒声が、完全に金縛りを解く切っ掛けになったようで、化け物と遭遇したような表情で悲鳴を上げながら、なりふり構わずその場から走って逃げ出した。
さもありなん。
しかし――これでわざわざ助けに入る必要もなくなったな。
「誰の許しを得て逃げているの! この無礼者! お父様に言い付けて、不敬罪で処刑してやるッ!」
綺麗にセットされたハーフアップっぽい髪を振り乱し、無茶苦茶な事を言いながらシスターを追いかけ始める高慢ちき。
うーわ。本当に山姥みたいだ。怖っ。
あとさ、この程度の振る舞いで不敬罪適用して処刑するなんて、まず無理だよ?
まあ、シスターが平民で、お前が国主から見て一親等内に含まれる王族だったら、時と場合によっては、そうなる可能性もあるかも知れないけど。
ていうかそもそも、お前がきちんとした良識のある淑女だったら、こんな状況なんてハナから生まれてないからな。そこん所分かってんの?
いや、分かってる訳ないか。
今のは我ながら愚問だったわ。
私がげんなり顔でしょうもない事を考えている間に、理不尽な追いかけっこは突如終わりを迎えた。
半泣き顔で近くに駆け込んで来たシスターを、私が一応背後に匿った次の瞬間、高慢ちきがバチッ、という結構派手な音と共に、結界に弾かれたのである。
高慢ちきは「ぎゃあっ!?」と無様な悲鳴を上げながら、大きく後ろに吹っ飛んで地面に転がった。肩越しに背後を振り返ると、シスターは何が起きたかすぐには理解できないようで、ポカンとしている。
それから一瞬遅れて取り巻き達が我に返り、「聖女様ああぁっ!?」と叫びながら、白目を剥いて倒れたままピクリとも動かない高慢ちきの元へ、慌てて駆け寄っていく。
はいそうです。
シスターは、山の周囲に張られた結界を普通に素通りし、怒り狂って周りが見えなくなっていた高慢ちきは、結界に気付かずシスターを追いかけようとして、自分から結界に激突して自滅した次第です。ざまぁ。
ていうか、パツキンドリルロールとお高そうな白のヒラヒラドレスが、半端に溶けた雪が混じった泥にまみれて、えらい事になっちゃってるよ。
こっちの世界の洗剤と洗浄技術じゃ、どんなに洗っても綺麗にはならないだろうな、あのドレス。ご愁傷様。
こんな時期にそんな恰好で山に来る方が悪いんだけど。
ちなみに、モーリンが生み出した『忌み人避け』の結界は、通過を試みた相手が強い悪意や害意を持っているほど、痛烈な魔力のカウンターで対象を拒絶し、結界面への接触時の勢いが強いほど、触れた相手を大きく弾く。
恐らくあの高慢ちきは結界に接触した瞬間、ガタイのいい格闘家に思いっ切り殴り飛ばされるくらいのダメージを受けたんじゃなかろうか。
あの様子じゃ、当分起き上がれないだろう。
「あらあら。どうやらそちらの聖女様、山と村を守護して下さっている、精霊様の逆鱗に触れてしまわれたようですね。お命に別状はありませんか?」
倒れた高慢ちきを囲んでしゃがみ、あわあわまごまごするばかりの取り巻き連中に、やや大きめの声でそう呼びかけると、連中は傍目にも丸分かりなほどビクついて、面白いほど大きく身体を跳ねさせた。
「はっ、ははは、はいぃっ! お、お命には、別状ないようですっ!」
「こっ、この、このような事になっては、村を訪問などできませんし、こ、ここは一度お暇させて頂きたく思うのですがっ、よろしいでしょうかっ!」
「ええ、勿論構いませんよ。ただ、今私の近くにいらっしゃるシスターさんは、どうやら酷く聖女様のご不興を買ってしまわれたようですし、一時的にこちらで身柄をお預かりした方がいいかも知れません。どう思われますか?」
「そっ……そ、そうですねっ! 私共も、それがよろしいかと愚考する次第でございますっ! それではこれで失礼します!」
言うが早いか、取り巻き達は泥まみれになった高慢ちきを担ぎ上げ、早足で山道から遠ざかっていく。木々に隠れてよく見えないが、比較的近くに四頭立てのデカい馬車が停めてるみたいだし、多分、あれに乗って帰るんだろう。
なんとなくそちらの方へ目を向けていると、背後からドサッという、なにか重いものが落ちるような音が聞こえてくる。何事かと思って振り返れば、特に外傷も何もないはずのシスターが、なぜかその場にばったり倒れて失神していた。
もしかしたら、極度の緊張から解放された反動、という奴なんだろうか。
なんにしても、このまま倒れた女性を放置するという選択肢など、初めから私の中にはない。
私は周囲にいる人達の力を借りてシスターを背負い、ひとまず彼女を自宅へ連れて行く事にした。
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