31 / 124
第2章
閑話 幼子の反旗と贖罪
しおりを挟むここへ連れて来られてから、一体どれほどの日数が過ぎたのだろうか。
薄暗くて狭い檻の中、寝具代わりの薄っぺらい布に包まりながら、エフィーメラは小さく息を吐いた。
元々大人用だと思われる、小汚くてボロボロのチュニックと、所々毛羽立って擦り切れている大判の布だけが、エフィーメラがここで持つ事を許されている数少ない私物だ。
無論、その事に不服を感じていない訳ではない。
だが、およそ同じ人間に対するものとは思えぬ粗雑な扱いと、繰り返される理不尽な暴力によって、今や幼い令嬢の心は完全に折れ、もはや反抗するどころか物申す気力さえなくしてしまっていた。
今まで暮らしていた、ケントルム公爵家の自分の部屋と比べて、半分程度の広さしかない檻の中には、エフィーメラと似たような背格好の子供が数人、寝転がっている。
エフィーメラと同じ、奴隷商の所有物であり、商品でもある子供達だ。
(寒い……。お腹が減った……)
エフィーメラは他の子供と同じように、固く冷たい床に寝転がって目を閉じた。
起きていると余計に空腹が酷くなるからだ。
そうして横になっていると、以前は就寝時、当たり前に肩や腕に触れていた、自慢の長い髪がもうどこにもない事を嫌でも自覚させられ、悲しくなる。
腰まで伸ばしていたエフィーメラの自慢の髪は、ここへ連れて来られたその日のうちに、シラミが湧くから、という理由で、刈り込むような勢いで切り落とされた。
やめて、私の髪を返して、と泣き喚き、背中を何度も鞭打たれて気を失ったエフィーメラには、切られた髪がどうなったのか分からない。
奴隷商は、切り取ったエフィーメラの髪をどこぞの商人に高く売りつけていたが、その事には思い至らなかった。
恵まれた貴族の家に、何ひとつ欠ける所のない健康な娘として生まれたエフィーメラは、付け毛やカツラというものを知らないのだ。
ゆえに、自分の髪はゴミとして捨てられてしまったのだと思い込んでいた。
(お姉様ほど、華やかな色の髪じゃなかったけど……自慢だったのにな……。お母様やお父様だって、「綺麗な髪だ」って、褒めて……っ)
エフィーメラはきつく唇を噛み、泣くのを堪えた。
泣けば余計に腹が減り、体力も削られる。
どうせ泣こうが喚こうが、ろくな食事は与えてもらえない。
むしろ、下手に騒いで奴隷商の機嫌を損ねれば、食事を抜かれる事もある。
それだけは避けたかった。
(山の中に捨てられたお姉様も、こんな風にお腹を空かせたのかしら……。こんな風に、寒くて辛い思いをしながら、死んでいったのかしら……)
エフィーメラは寝転がったままぼんやりと、自分のふたつ上の華やかな容姿をした、美しい腹違いの姉の事を思う。
ぼろを着せられ、身ひとつで北の山に捨てられた姉。
北の山はとても寒くて、人を襲う獣が沢山住んでいると聞いている。
恐らく、もう生きてはいないだろう。
その末期を思うたび、屋敷で暮らしていた時には、いい気味だと思っていた。
けれど今は。
(きっと……私もお母様もお父様も、罰が当たったのね。お姉様に酷い事して死なせたから……神様が怒って私達を、お姉様と同じような目に遭わせようとしてるんだわ……。ごめんなさい、ごめんなさいお姉様……)
ジワリと視界が滲み、エフィーメラは再び唇を噛んだ。
そんな中、ふと気付く。
今日はなんだか、檻の外が妙に静かで、人の気配もない事に。
その事を怪訝に思い、ノロノロと起き出して檻の出入り口へ近づいていくと、案の定見張りの姿がない。
見張りは一体どこへ行ったのか、という疑問に背を押されるがまま、檻の隙間に身体を押し込むようにして、外の様子を更に詳しく観察しようとした瞬間、エフィーメラの身体は格子と格子の隙間をすり抜け、外に転がり出ていた。
「……え?」
全く予想すらしていなかった現象に驚き戸惑い、エフィーメラは思わず間の抜けた声を上げる。
エフィーメラには知る由もない事だが、元々この檻は大人を閉じ込める為に作られたものであり、子供を閉じ込める為のものとしては、格子の間隔が幾分広かったのだ。
無論、それでも普通は、子供であっても格子の隙間をすり抜ける事など、できようはずがない。だが、何事にも例外は付き物であり、不測の事態というのもまた、いつ何時も起こりうるもの。
何日にも亘って粗末な食事ばかりを与えられ、ガリガリに痩せ細った身体であった事。そして、エフィーメラが未だ10にも満たない幼子であった事。
それらの条件が寄り合わさった事で、期せずして奴隷商の想定を超えた奇跡が起きたのである。
「……で、出られ、た……」
茫然と呟き、放心していたのはほんの数秒。
我に返ったエフィーメラは、残りの力を振り絞って立ち上がり、いつも見張りが座っている、粗末な机と椅子がある場所へと走る。
椅子に登り、古びた机のガタついた引き出しを開ければ、案の定そこに、幾つかの鍵を輪に通してまとめてある鍵束が入っていた。
続いてエフィーメラは小さな手で鍵を引っ掴むと、走って戻った檻の出入り口に取り付いて、焦りと興奮で震える手で、鍵穴に鍵を差し込みにかかる。だが、なかなか鍵が合わない。
そんな中、エフィーメラの行動に気付いた他の子供達も、身体を起こして檻の出入り口へ近づき、エフィーメラの行動を固唾を呑んで見守り始めた。
(逃げてやる。絶対ここから、みんなで逃げてやる……!)
エフィーメラは確固たる決意の元、歯を食いしばって鍵を試し続ける。
何度も鍵を試すうち、鍵穴と鍵が噛み合い、檻の出入り口が開いた。
「やった……開いた、開いたわ!」
エフィーメラの言葉に子供達が歓声を上げ、我先にと檻の外へ駆け出していく。
すると隣の檻から、同じように捕まっている大人が声を上げた。
「お嬢ちゃん、頼む! こっちも、こっちの鍵も開けてくれ!」
「わ、分かったわ! 待ってて!」
エフィーメラは急ぎ隣の檻の出入り口に取り付き、同じように鍵を試していく。
こんな事をしたくらいで神様が、死んだ姉が自分を許してくれるとは思わない。
でもそれでも、ここで他の誰かを見捨てて、自分だけ逃げるよりはずっとマシなはず。
なんの根拠も確証もないが、エフィーメラはそう信じていた。
やがて同じように鍵が噛み合い、開いた檻の扉から、何人もの大人達が駆け出てきた。そのうちの1人、最初にエフィーメラに助けを求めてきた大人が、他の大人に声をかけ、複数の大人が足の遅い子供を抱き上げ始める。
エフィーメラもまた、大人に抱きかかえられてその場を去る事になった。
久し振りに出た檻の外、肌寒くも眩しい空の下に広がる街中には、またもや人の姿が全くない。
まさに、もぬけの殻のがらんどう。そんな表現が似つかわしいほどの状況だ。
「なにがあったか分からないけど……今のうちに逃げましょう!」
エフィーメラと同じく、短く髪を刈り込まれている女性に促され、エフィーメラ達はその場から急いで逃げ出した。
ここから先、自分達がどうなるかは分からない。完全なる未知数だ。
でも、逃げ出した事を悔やむ日は絶対に来ない。
エフィーメラのみならず、他の子供や大人達の誰もが、そう強く思っていた。
1
お気に入りに追加
86
あなたにおすすめの小説
【書籍化決定】俗世から離れてのんびり暮らしていたおっさんなのに、俺が書の守護者って何かの間違いじゃないですか?
歩く魚
ファンタジー
幼い頃に迫害され、一人孤独に山で暮らすようになったジオ・プライム。
それから数十年が経ち、気づけば38歳。
のんびりとした生活はこの上ない幸せで満たされていた。
しかしーー
「も、もう一度聞いて良いですか? ジオ・プライムさん、あなたはこの死の山に二十五年間も住んでいるんですか?」
突然の来訪者によると、この山は人間が住める山ではなく、彼は世間では「書の守護者」と呼ばれ都市伝説のような存在になっていた。
これは、自分のことを弱いと勘違いしているダジャレ好きのおっさんが、人々を導き、温かさを思い出す物語。
※書籍化のため更新をストップします。
ガチャと異世界転生 システムの欠陥を偶然発見し成り上がる!
よっしぃ
ファンタジー
偶然神のガチャシステムに欠陥がある事を発見したノーマルアイテムハンター(最底辺の冒険者)ランナル・エクヴァル・元日本人の転生者。
獲得したノーマルアイテムの売却時に、偶然発見したシステムの欠陥でとんでもない事になり、神に報告をするも再現できず否定され、しかも神が公認でそんな事が本当にあれば不正扱いしないからドンドンしていいと言われ、不正もとい欠陥を利用し最高ランクの装備を取得し成り上がり、無双するお話。
俺は西塔 徳仁(さいとう のりひと)、もうすぐ50過ぎのおっさんだ。
単身赴任で家族と離れ遠くで暮らしている。遠すぎて年に数回しか帰省できない。
ぶっちゃけ時間があるからと、ブラウザゲームをやっていたりする。
大抵ガチャがあるんだよな。
幾つかのゲームをしていたら、そのうちの一つのゲームで何やらハズレガチャを上位のアイテムにアップグレードしてくれるイベントがあって、それぞれ1から5までのランクがあり、それを15本投入すれば一度だけ例えばSRだったらSSRのアイテムに変えてくれるという有り難いイベントがあったっけ。
だが俺は運がなかった。
ゲームの話ではないぞ?
現実で、だ。
疲れて帰ってきた俺は体調が悪く、何とか自身が住んでいる社宅に到着したのだが・・・・俺は倒れたらしい。
そのまま救急搬送されたが、恐らく脳梗塞。
そのまま帰らぬ人となったようだ。
で、気が付けば俺は全く知らない場所にいた。
どうやら異世界だ。
魔物が闊歩する世界。魔法がある世界らしく、15歳になれば男は皆武器を手に魔物と祟罠くてはならないらしい。
しかも戦うにあたり、武器や防具は何故かガチャで手に入れるようだ。なんじゃそりゃ。
10歳の頃から生まれ育った村で魔物と戦う術や解体方法を身に着けたが、15になると村を出て、大きな街に向かった。
そこでダンジョンを知り、同じような境遇の面々とチームを組んでダンジョンで活動する。
5年、底辺から抜け出せないまま過ごしてしまった。
残念ながら日本の知識は持ち合わせていたが役に立たなかった。
そんなある日、変化がやってきた。
疲れていた俺は普段しない事をしてしまったのだ。
その結果、俺は信じられない出来事に遭遇、その後神との恐ろしい交渉を行い、最底辺の生活から脱出し、成り上がってく。
雑用係の回復術士、【魔力無限】なのに専属ギルドから戦力外通告を受けて追放される〜ケモ耳少女とエルフでダンジョン攻略始めたら『伝説』になった〜
霞杏檎
ファンタジー
「使えん者はいらん……よって、正式にお前には戦力外通告を申し立てる。即刻、このギルドから立ち去って貰おう!! 」
回復術士なのにギルド内で雑用係に成り下がっていたフールは自身が専属で働いていたギルドから、何も活躍がないと言う理由で戦力外通告を受けて、追放されてしまう。
フールは回復術士でありながら自己主張の低さ、そして『単体回復魔法しか使えない』と言う能力上の理由からギルドメンバーからは舐められ、S級ギルドパーティのリーダーであるダレンからも馬鹿にされる存在だった。
しかし、奴らは知らない、フールが【魔力無限】の能力を持っていることを……
途方に暮れている道中で見つけたダンジョン。そこで傷ついた”ケモ耳銀髪美少女”セシリアを助けたことによって彼女はフールの能力を知ることになる。
フールに助けてもらったセシリアはフールの事を気に入り、パーティの前衛として共に冒険することを決めるのであった。
フールとセシリアは共にダンジョン攻略をしながら自由に生きていくことを始めた一方で、フールのダンジョン攻略の噂を聞いたギルドをはじめ、ダレンはフールを引き戻そうとするが、フールの意思が変わることはなかった……
これは雑用係に成り下がった【最強】回復術士フールと"ケモ耳美少女"達が『伝説』のパーティだと語られるまでを描いた冒険の物語である!
(160話で完結予定)
元タイトル
「雑用係の回復術士、【魔力無限】なのに専属ギルドから戦力外通告を受けて追放される〜でも、ケモ耳少女とエルフでダンジョン攻略始めたら『伝説』になった。噂を聞いたギルドが戻ってこいと言ってるがお断りします〜」
異世界転生はどん底人生の始まり~一時停止とステータス強奪で快適な人生を掴み取る!
夢・風魔
ファンタジー
若くして死んだ男は、異世界に転生した。恵まれた環境とは程遠い、ダンジョンの上層部に作られた居住区画で孤児として暮らしていた。
ある日、ダンジョンモンスターが暴走するスタンピードが発生し、彼──リヴァは死の縁に立たされていた。
そこで前世の記憶を思い出し、同時に転生特典のスキルに目覚める。
視界に映る者全ての動きを停止させる『一時停止』。任意のステータスを一日に1だけ奪い取れる『ステータス強奪』。
二つのスキルを駆使し、リヴァは地上での暮らしを夢見て今日もダンジョンへと潜る。
*カクヨムでも先行更新しております。
転生したらスキル転生って・・・!?
ノトア
ファンタジー
世界に危機が訪れて転生することに・・・。
〜あれ?ここは何処?〜
転生した場所は森の中・・・右も左も分からない状態ですが、天然?な女神にサポートされながらも何とか生きて行きます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初めて書くので、誤字脱字や違和感はご了承ください。
【完結】神様に嫌われた神官でしたが、高位神に愛されました
土広真丘
ファンタジー
神と交信する力を持つ者が生まれる国、ミレニアム帝国。
神官としての力が弱いアマーリエは、両親から疎まれていた。
追い討ちをかけるように神にも拒絶され、両親は妹のみを溺愛し、妹の婚約者には無能と罵倒される日々。
居場所も立場もない中、アマーリエが出会ったのは、紅蓮の炎を操る青年だった。
小説家になろう、カクヨムでも公開していますが、一部内容が異なります。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
冤罪で山に追放された令嬢ですが、逞しく生きてます
里見知美
ファンタジー
王太子に呪いをかけたと断罪され、神の山と恐れられるセントポリオンに追放された公爵令嬢エリザベス。その姿は老婆のように皺だらけで、魔女のように醜い顔をしているという。
だが実は、誰にも言えない理由があり…。
※もともとなろう様でも投稿していた作品ですが、手を加えちょっと長めの話になりました。作者としては抑えた内容になってるつもりですが、流血ありなので、ちょっとエグいかも。恋愛かファンタジーか迷ったんですがひとまず、ファンタジーにしてあります。
全28話で完結。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる