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第2章
閑話 無策の代償
しおりを挟むそれは、プリムローズがザルツ山の某所で、緑と大地を司る精霊との邂逅を果たしていた頃の事。
固く閉ざされた扉の内側。
自室の前の廊下を幾人もの人間が、バタバタと音を立てて忙しなく通り過ぎていく音を聞きながら、レカニス王は1人、青ざめた顔で頭を抱えていた。
数週間前、貴族街第3区画と平民街第1区画にて流行の兆しあり、と報告されたザクロ風邪が、ここにきて急激に広まり始めたのである。
ザクロ風邪は元より感染力の強い病ではあるが、ここまで早く蔓延するとは、誰も想像だにしていなかった。
既に、第1から第3まである貴族街のほぼ全域と、平民街の第1、第2、第4区画にて深刻な汚染が認められ、各地区の医療関係者や文官達が、これ以上の感染拡大を阻止しようと奔走しているが、残念ながら焼け石に水の状態だ。
一応王都には、ザクロ風邪の感染予防薬が存在してはいるのだが、それは今年の初春に、平民の医師と薬師が共同開発したばかりの物。
貧民街の住民達へ無作為に声をかけ、呼びかけに応えた者に対し、幾ばくかの小銭を握らせて行った投薬実験――現代日本でいう所の治験に近い確認作業だ――が完了して間もない、文字通りの新薬だった。
自分と自分の家族の事しか頭にない小物の王は、その事実を知るや否や平民医師会へ密かに王命を下し、自分達の分だけでも新薬を献上させようとしたのだが、叶わなかった。
平民医師会は、ザクロ風邪の流行が確認された直後……つまり、レカニス王の元へその話が奏上された時点で、医療従事者や食料品の流通などに携わる者が病に倒れ、王都の医療機関と都市機能が麻痺するような事態を避けるべく、前述の仕事に就いている人間に、新薬を優先的に与え始めていたのだ。
その結果、王命によって文官が派遣されて来た時には、新薬の在庫はなくなっていたのである。
当然件の新薬に、備蓄分や余剰分などがあるはずもない。
無論、平民医師会は貴族医師会からの命令を待つまでもなく、新薬の製法を貴族医師会に対して速やかに開示している。
現在両医師会は総力を挙げ、これ以上ザクロ風邪が市井に蔓延するのを防ぐべく、新薬の増産に血道をあげているが、そもそもこの新薬は、人海戦術を用いようとも即座に出来上がる類の薬ではない為、レカニス王は当面の間、予防薬なしでザクロ風邪の脅威に耐えねばならなかった。
そして。
王都の平民達はおろか、王族含めた上位貴族にさえ、満足に薬が行き渡らぬこの状況下において、レカニス王は今も保身に走り続けている。
ザクロ風邪の感染から逃れるべく、執務の大半を文官達に丸投げし、自分は第三者との直接的な接触を避け、自室に閉じこもるという、国主にあるまじき行動を取っていたのだ。
奏上を行った文官に対しては、体力のある若い者ならば、罹った所で死にはしないのだから捨て置け、などと言い放っておきながら、いざ自身がその病に侵される可能性が出た途端、この振る舞い。
いよいよ己の権威が地に堕ちるのを越え、奈落の底まで転落しようとしている事にも思い至らない暗愚な王は、自室の片隅で縮こまり、親指の爪を噛みながら震え、ひたすらブツブツと独り言ちていた。
「……どうすれば、どうすればいい。大体、なぜこのような事になったのだ。大罪系スキルを持った悪魔の子は、既に王都より追放したというのに、なぜこのような厄災が……。
……。もしや……原因はシュレインか? 神は我が息子を見放されたと言うのか? そんな馬鹿な。有り得ぬ。神が、一度見初めた愛し子を捨て去るなど……。となれば、シュレインが神の意に添わぬ行いをしたせいか?
こうなれば一度、シュレインを呼んで話を……いや、待て。ダメだ。先日、貴族街の宝石商を呼んでから、王妃も体調が優れぬと聞く。もし……万が一、シュレインがザクロ風邪の病原体を持っていたら、私は……っ! クソッ! どうしてこんな事に! 私が何をしたというのですか、神よ!」
今度は両手で頭を掻き毟り、レカニス王が如何ともしがたい身勝手な台詞を叫んだ直後、扉の外から文官達の、悲鳴交じりの声が聞こえてくる。
――大変だ! 今さっき、ガイツハルス筆頭公爵がザクロ風邪に罹ったと報告が!
――そ、そんな! 筆頭公爵まで!? 今朝、キュドサック伯爵が倒れられたと報告があったばかりなのに……!
――あぁ畜生、どうすりゃいいんだ……! 王妃殿下もザクロ風邪! ケントルム公爵とその夫人もザクロ風邪! どこもかしこもザクロ風邪だ! もういい加減にしてくれよぉ!」
レカニス王は、反射的に両手で耳を塞いで更に身体を縮こまらせた。
恐怖と嫌悪で身体の震えが止まらない。
そしてその恐怖が、意図して閉ざしていた古い記憶の扉をこじ開ける。
かつて、レカニス王は若い時分に一度だけ、ザクロ風邪に罹り、死んだ老人の遺体を目にした事があった。
当時目にした名も知らぬ老人の、醜くも惨たらしい死にざまが脳裏に蘇り、レカニス王は小さく悲鳴を上げる。
「ひ、ひぃ……っ! 嫌だ……嫌だぁっ! 死にたくない、あんな姿になりたくない……! なぜだ! 私は王になったのに! 邪魔な兄上を追い出して、やっと王になったのに! クソッ、くそおおおおおおッ!」
内側から鍵のかけられた王の自室の中。
聞くに堪えない言葉を何度も吐き散らしながら、レカニス王は泣き叫ぶ。
無論、そんなレカニス王に救いの手を差し伸べる者など、どこにも存在しなかった。
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