上 下
25 / 124
第2章

閑話 無策の代償

しおりを挟む


 それは、プリムローズがザルツ山の某所で、緑と大地を司る精霊との邂逅を果たしていた頃の事。


 固く閉ざされた扉の内側。
 自室の前の廊下を幾人もの人間が、バタバタと音を立てて忙しなく通り過ぎていく音を聞きながら、レカニス王は1人、青ざめた顔で頭を抱えていた。
 数週間前、貴族街第3区画と平民街第1区画にて流行の兆しあり、と報告されたザクロ風邪が、ここにきて急激に広まり始めたのである。
 ザクロ風邪は元より感染力の強い病ではあるが、ここまで早く蔓延するとは、誰も想像だにしていなかった。

 既に、第1から第3まである貴族街のほぼ全域と、平民街の第1、第2、第4区画にて深刻な汚染が認められ、各地区の医療関係者や文官達が、これ以上の感染拡大を阻止しようと奔走しているが、残念ながら焼け石に水の状態だ。

 一応王都には、ザクロ風邪の感染予防薬が存在してはいるのだが、それは今年の初春に、平民の医師と薬師が共同開発したばかりの物。
 貧民街の住民達へ無作為に声をかけ、呼びかけに応えた者に対し、幾ばくかの小銭を握らせて行った投薬実験――現代日本でいう所の治験に近い確認作業だ――が完了して間もない、文字通りの新薬だった。

 自分と自分の家族の事しか頭にない小物の王は、その事実を知るや否や平民医師会へ密かに王命を下し、自分達の分だけでも新薬を献上させようとしたのだが、叶わなかった。
 平民医師会は、ザクロ風邪の流行が確認された直後……つまり、レカニス王の元へその話が奏上された時点で、医療従事者や食料品の流通などに携わる者が病に倒れ、王都の医療機関と都市機能が麻痺するような事態を避けるべく、前述の仕事に就いている人間に、新薬を優先的に与え始めていたのだ。

 その結果、王命によって文官が派遣されて来た時には、新薬の在庫はなくなっていたのである。
 当然件の新薬に、備蓄分や余剰分などがあるはずもない。

 無論、平民医師会は貴族医師会からの命令を待つまでもなく、新薬の製法を貴族医師会に対して速やかに開示している。
 現在両医師会は総力を挙げ、これ以上ザクロ風邪が市井に蔓延するのを防ぐべく、新薬の増産に血道をあげているが、そもそもこの新薬は、人海戦術を用いようとも即座に出来上がる類の薬ではない為、レカニス王は当面の間、予防薬なしでザクロ風邪の脅威に耐えねばならなかった。

 そして。
 王都の平民達はおろか、王族含めた上位貴族にさえ、満足に薬が行き渡らぬこの状況下において、レカニス王は今も保身に走り続けている。
 ザクロ風邪の感染から逃れるべく、執務の大半を文官達に丸投げし、自分は第三者との直接的な接触を避け、自室に閉じこもるという、国主にあるまじき行動を取っていたのだ。

 奏上を行った文官に対しては、体力のある若い者ならば、罹った所で死にはしないのだから捨て置け、などと言い放っておきながら、いざ自身がその病に侵される可能性が出た途端、この振る舞い。
 いよいよ己の権威が地に堕ちるのを越え、奈落の底まで転落しようとしている事にも思い至らない暗愚な王は、自室の片隅で縮こまり、親指の爪を噛みながら震え、ひたすらブツブツと独り言ちていた。

「……どうすれば、どうすればいい。大体、なぜこのような事になったのだ。大罪系スキルを持った悪魔の子は、既に王都より追放したというのに、なぜこのような厄災が……。
 ……。もしや……原因はシュレインか? 神は我が息子を見放されたと言うのか? そんな馬鹿な。有り得ぬ。神が、一度見初めた愛し子を捨て去るなど……。となれば、シュレインが神の意に添わぬ行いをしたせいか?
 こうなれば一度、シュレインを呼んで話を……いや、待て。ダメだ。先日、貴族街の宝石商を呼んでから、王妃も体調が優れぬと聞く。もし……万が一、シュレインがザクロ風邪の病原体を持っていたら、私は……っ! クソッ! どうしてこんな事に! 私が何をしたというのですか、神よ!」

 今度は両手で頭を掻き毟り、レカニス王が如何ともしがたい身勝手な台詞を叫んだ直後、扉の外から文官達の、悲鳴交じりの声が聞こえてくる。

 ――大変だ! 今さっき、ガイツハルス筆頭公爵がザクロ風邪に罹ったと報告が!

 ――そ、そんな! 筆頭公爵まで!? 今朝、キュドサック伯爵が倒れられたと報告があったばかりなのに……!

 ――あぁ畜生、どうすりゃいいんだ……! 王妃殿下もザクロ風邪! ケントルム公爵とその夫人もザクロ風邪! どこもかしこもザクロ風邪だ! もういい加減にしてくれよぉ!」

 レカニス王は、反射的に両手で耳を塞いで更に身体を縮こまらせた。
 恐怖と嫌悪で身体の震えが止まらない。
 そしてその恐怖が、意図して閉ざしていた古い記憶の扉をこじ開ける。

 かつて、レカニス王は若い時分に一度だけ、ザクロ風邪に罹り、死んだ老人の遺体を目にした事があった。
 当時目にした名も知らぬ老人の、醜くも惨たらしい死にざまが脳裏に蘇り、レカニス王は小さく悲鳴を上げる。

「ひ、ひぃ……っ! 嫌だ……嫌だぁっ! 死にたくない、あんな姿になりたくない……! なぜだ! 私は王になったのに! 邪魔な兄上を追い出して、やっと王になったのに! クソッ、くそおおおおおおッ!」

 内側から鍵のかけられた王の自室の中。
 聞くに堪えない言葉を何度も吐き散らしながら、レカニス王は泣き叫ぶ。
 無論、そんなレカニス王に救いの手を差し伸べる者など、どこにも存在しなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最底辺の転生者──2匹の捨て子を育む赤ん坊!?の異世界修行の旅

散歩道 猫ノ子
ファンタジー
捨てられてしまった2匹の神獣と育む異世界育成ファンタジー 2匹のねこのこを育む、ほのぼの育成異世界生活です。 人間の汚さを知る主人公が、動物のように純粋で無垢な女の子2人に振り回されつつ、振り回すそんな物語です。 主人公は最強ですが、基本的に最強しませんのでご了承くださいm(*_ _)m

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

異世界転生した時に心を失くした私は貧民生まれです

ぐるぐる
ファンタジー
前世日本人の私は剣と魔法の世界に転生した。 転生した時に感情を欠落したのか、生まれた時から心が全く動かない。 前世の記憶を頼りに善悪等を判断。 貧民街の狭くて汚くて臭い家……家とはいえないほったて小屋に、生まれた時から住んでいる。 2人の兄と、私と、弟と母。 母親はいつも心ここにあらず、父親は所在不明。 ある日母親が死んで父親のへそくりを発見したことで、兄弟4人引っ越しを決意する。 前世の記憶と知識、魔法を駆使して少しずつでも確実にお金を貯めていく。

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

薬華異堂薬局のお仕事は異世界にもあったのだ

柚木 潤
ファンタジー
 実家の薬華異堂薬局に戻った薬剤師の舞は、亡くなった祖父から譲り受けた鍵で開けた扉の中に、不思議な漢方薬の調合が書かれた、古びた本を見つけた。  そして、異世界から助けを求める手紙が届き、舞はその異世界に転移する。  舞は不思議な薬を作り、それは魔人や魔獣にも対抗できる薬であったのだ。  そんな中、魔人の王から舞を見るなり、懐かしい人を思い出させると。  500年前にも、この異世界に転移していた女性がいたと言うのだ。  それは舞と関係のある人物であった。  その後、一部の魔人の襲撃にあうが、舞や魔人の王ブラック達の力で危機を乗り越え、人間と魔人の世界に平和が訪れた。  しかし、500年前に転移していたハナという女性が大事にしていた森がアブナイと手紙が届き、舞は再度転移する。  そして、黒い影に侵食されていた森を舞の薬や魔人達の力で復活させる事が出来たのだ。  ところが、舞が自分の世界に帰ろうとした時、黒い翼を持つ人物に遭遇し、舞に自分の世界に来てほしいと懇願する。  そこには原因不明の病の女性がいて、舞の薬で異物を分離するのだ。  そして、舞を探しに来たブラック達魔人により、昔に転移した一人の魔人を見つけるのだが、その事を隠して黒翼人として生活していたのだ。  その理由や女性の病の原因をつきとめる事が出来たのだが悲しい結果となったのだ。  戻った舞はいつもの日常を取り戻していたが、秘密の扉の中の物が燃えて灰と化したのだ。  舞はまた異世界への転移を考えるが、魔法陣は動かなかったのだ。  何とか舞は転移出来たが、その世界ではドラゴンが復活しようとしていたのだ。  舞は命懸けでドラゴンの良心を目覚めさせる事が出来、世界は火の海になる事は無かったのだ。  そんな時黒翼国の王子が、暗い森にある遺跡を見つけたのだ。   *第1章 洞窟出現編 第2章 森再生編 第3章 翼国編  第4章 火山のドラゴン編 が終了しました。  第5章 闇の遺跡編に続きます。

この度異世界に転生して貴族に生まれ変わりました

okiraku
ファンタジー
地球世界の日本の一般国民の息子に生まれた藤堂晴馬は、生まれつきのエスパーで透視能力者だった。彼は親から独立してアパートを借りて住みながら某有名国立大学にかよっていた。4年生の時、酔っ払いの無免許運転の車にはねられこの世を去り、異世界アールディアのバリアス王国貴族の子として転生した。幸せで平和な人生を今世で歩むかに見えたが、国内は王族派と貴族派、中立派に分かれそれに国王が王位継承者を定めぬまま重い病に倒れ王子たちによる王位継承争いが起こり国内は不安定な状態となった。そのため貴族間で領地争いが起こり転生した晴馬の家もまきこまれ領地を失うこととなるが、もともと転生者である晴馬は逞しく生き家族を支えて生き抜くのであった。

冤罪で山に追放された令嬢ですが、逞しく生きてます

里見知美
ファンタジー
王太子に呪いをかけたと断罪され、神の山と恐れられるセントポリオンに追放された公爵令嬢エリザベス。その姿は老婆のように皺だらけで、魔女のように醜い顔をしているという。 だが実は、誰にも言えない理由があり…。 ※もともとなろう様でも投稿していた作品ですが、手を加えちょっと長めの話になりました。作者としては抑えた内容になってるつもりですが、流血ありなので、ちょっとエグいかも。恋愛かファンタジーか迷ったんですがひとまず、ファンタジーにしてあります。 全28話で完結。

ナイナイ尽くしの異世界転生◆翌日から始めるDIY生活◆

ナユタ
ファンタジー
見知らぬ子供を助けて呆気なく死んだ苦労人、真凛。 彼女はやる気の感じられない神様(中間管理職)の手によって転生。 しかし生涯獲得金額とやらのポイントが全く足りず、 適当なオプション(スマホ使用可)という限定的な力と、 守護精霊という名のハツカネズミをお供に放り出された。 所持金、寝床、身分なし。 稼いで、使って、幸せになりたい(願望)。 ナイナイ尽くしの一人と一匹の ゼロから始まる強制的なシンプル&スローライフ。

処理中です...