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第1章
3話 田舎暮らしの日々と突然の訪問者
しおりを挟む誕生日から数日後。
私は午前中から家の裏手にある薪割り場で、1人薪割り作業をしていた。
からりと晴れた秋空の下に、薪を割る軽快な音が一定のリズムで響き渡る。
叔父の一件があって以降、驚くほど身体が強くなった私は、家の中でする仕事の多くをシアに任せ、その代わり、狩りを含めた力仕事全般を引き受けるようになっていた。
当然、薪割りも私の仕事だ。
薪に使っているのはこの近辺に大量に生えている、シプレーという杉の木によく似た、幹の太い針葉樹。
見た目は杉っぽいくせに樫より硬くて、切り倒すのも薪として割るのも一苦労、ついでに言うなら燃えづらく、種火から火が移るのもかなり遅い。でも、一度火が点けばとても長く燃え続けてくれるから、普通の薪と比べて格段に燃費がいいという、ありがたい木でもある。
それこそ、1つの家庭がひと冬越すのにも、シプレーの成木が1本あれば余裕で足りる、なんて言われているくらいだ。葉の部分も、乾燥させればめっちゃよく燃えるし。
それに、シプレーは繫殖力が強く、驚くほど育つのが早い木でもある。
ほんの数センチくらいの小さな苗木が、5年ほどで平均14、5メートルほどの高さになると言えば、その生育速度の早さがよく分かるだろう。
こうした特性を持っているシプレーならば、定期的にあちこち切り倒して回った所でどうという事もない。
つか、前述の通り燃費のいい木なので、そんなに言うほど大量に切り倒したりもしないんだけど。
◆◆◆
そろそろ冬が近い事もあり、現在村の住人達は、揃って越冬の準備に入っていた。
当然私達も、絶賛越冬準備中。
昨日は知り合いの猟師さん達と一緒に森で狩りをして、獲った獲物を解体して保存食作りに勤しんだので、今日はパッカンパッカン薪を割りまくっていた。
今日からしばらくの間は、保存食作りよりも薪割り作業に時間を費やす事になる。
北国の気候を利用してこしらえた、共同利用の大きな氷室があるから、保存食はあまり大量に作らなくても大丈夫。氷室のお陰で、真冬でも加工していない肉や野菜が食べられるし、本当にありがたい。
しかし、火を熾すのに必要な薪は、それなりの量が必要だ。
ここいら辺は冬にドカ雪が降るし、気温も容赦なくガンガン下がるので、今のうちにしっかり燃料を確保しておかないと、冬になってからとんでもない目に遭う。
勿論、冬でも晴れ間は普通にあるので、薪を割ろうと思えばできなくもないが、とにかくなんでか冬だけは、えらく天気が不安定になるから、実際にやろうとする人は誰もいない。
ああ晴れたなー、と思って散歩しようと外に出たら、幾らも歩かないうちに天気が急変。いきなり怒涛の吹雪に見舞われ視界がホワイトアウト、なんて事も珍しくないのだ。
ぶっちゃけこの村、冬はとってもデンジャーゾーンなのです。
ちょっと晴れたからと言って、下手に外で長時間作業なんてしてると、あっさり凍死しかねないくらいには。
近所のバアちゃん曰く、自分が子供の頃は、冬場の天気もここまで不安定じゃなかった、って事らしいんだけど、原因は不明なんだとさ。そりゃそうだろうね。
時計がないので、どれだけ時間が経過したかは不明だが、作業開始から結構経った。
ひたすら割って割って割りまくり、山となった薪の高さが、私の背丈と変わらない程度になった頃合いで、薪割り作業を一時中断する。
今度はこれを縄で5、6本ずつの束になるよう括って、専用の倉庫にしまっていくんだけど、ここまでやってもまだ全然疲れていないのだから、自分でも驚きだ。
(本当、この作業も随分楽になったよね。あの野郎がいた頃はシアと2人で必死になって、ひいひい言いながらやってたのに、今や1人でやっても余裕しゃくしゃくなんだもの。
やっぱりこれって、魔法の力なのかも知れないな……)
薪を括る作業をしながら、ぼんやり思う。
すると、表の方からシアがひょっこり顔を出した。
「お姉ちゃん、お昼ご飯できたよー! 一旦お仕事休憩にしよう?」
「うん、ありがとうシア。手を洗ったらすぐ行くね」
私はシアに笑いかけ、手にしていた縄をその辺に置いて家の裏口へ向かう。
なぜって? それは裏口からの方が風呂場に近いから。
ふふふ。そうです。実はこの村、どこの家にも風呂があるのです!
異世界転生もののストーリーにおいて、多くの主人公が序盤で頭を抱えるのが『風呂がない』、もしくは『入浴の習慣がない』問題なので、この辺りの話が既にクリアされているのは、大変ラッキーだと思っている。
ここの土地は水源が多く湧き水も豊富で、1つの家に、炊事用、洗濯用、入浴用など、用途に合わせた井戸が複数あるのは当たり前。夏場は毎日水浴びできるし、洗濯だってこまめにできる。
気兼ねなく水を使える生活を代々続けてきた事で、村人達にはうがい手洗いの習慣がついており、食中毒も滅多に起こらない。
ついでに言うなら歯磨きの習慣だってある。
流石に蛇口や給湯器は存在しないので、風呂を沸かす労力を鑑みると毎日入ったりはできないけれど、それでも風呂のお陰で身綺麗にでき、伝染病や疫病なんかも遠ざけられている。
ありがとう風呂。ありがとう水。
改めて水のありがたみを実感しつつ、井戸から水を汲んで手を洗い、こぢんまりとしたダイニングへ行けば、テーブルの上には既に食事が用意されていた。
今日のお昼ご飯は、昨日パン屋さんで買った丸い形の田舎パン、野鳥のガラで出汁を取った人参と玉ねぎのスープに、猪肉のソテーか。
猪肉の方は、昨日の保存食作りの時に余ったやつかな? どれも美味しそうだ。
とても11歳の子が作ったとは思えないこの出来栄え。
流石はシア、可愛いだけじゃなくて料理も上手だなんて、将来有望過ぎる。
シアが調理に使った鍋を洗っているうちに、私は炊事用の井戸から水を汲み、ピッチャーに移してコップと一緒にダイニングへと持って行く。
それから2人揃ってテーブルに着き、頂きますの挨拶をして、ようやくフォークやスプーンに手を伸ばす。
ちなみにナイフはありません。
肉や魚は最初からある程度、口に運びやすい大きさにカットしてあるから、適当にフォークをぶっ刺して、齧って食べるのが当たり前。
子供は大人より口が小さいので、食べ方がちょっとワイルドな感じになるが、そこはまあご愛敬という事で。
柔らかくも噛み応えのある猪肉のソテーは、今は亡き母の得意料理のひとつだったもの。
家の近くに生えているセージによく似た香草と、ニンニクっぽい香りのする野草で風味付けされていて、とても美味しい。
パンは買ってから時間が経っているせいで、ちょっともさもさしてたけど、スープに浸しながら食べれば十分美味しく頂けた。
ご飯の後は後片付け。
シアがお皿を洗い、私は食事の後のテーブルを拭き、ダイニングの床を掃き掃除する。
腹ごなしにもなって一石二鳥だ。
体力的に余裕があるので、ついでに風呂場の方も軽く掃除しに行く。
柄の部分に木の棒を括りつけて改造した、ロングはたきを使って天井近くの埃を払い落とし、落とした埃を風呂場の外へ掃き出して、木製の風呂桶や浴槽に雑巾がけしつつ、痛んでいる箇所がないかつぶさにチェック。
……うんよし。大丈夫そうだ。
所でこの家――いや、村には鏡がない。
昔母から聞いた話によると鏡は高級品で、こんな田舎の村の稼ぎでは、到底買う事ができないのだそうだ。
村で一番裕福な、村長の家にも置いてないくらいなので、本当に値が張る物なのだろう。
どんだけ高いの鏡さん。
お陰で私は生まれてこの方、自分の顔をきちんと見た事がなかった。
髪が長いから黒髪ストレートなのは分かってたし、目が黒いのも指摘されて知っている。
それと手足が白いから、白色人種らしいという事も分かっているが、言うなればそれだけだ。
あんなに可愛い妹の、双子の姉妹として生まれたのだから、私の容姿だって結構見られるはずだし、シアも「お姉ちゃんはとっても可愛い」といつも言ってくれるけど、直接見た事がないから自分では判断のしようがないという、このもどかしさ。
私ってどんな顔してるんだろう。ちょっと気になる。
それを確かめる為にもいつか鏡が欲しいなぁ、と思いつつ、私は掃除を終えた風呂場を後にするのだった。
◆◆◆
「おぉーい、アルエット!」
再び家の裏手へ向かい、中断していた作業を再開しようと縄を手に取ると、知り合いのおじさんが慌てた様子で駆け込んで来る。
「? なに、おじさん。どうかしたの?」
「いや、大変なんだよ! せ、聖教会の、創世教の御使いが来たんだ! お前さんに用があるってよ!」
「はあ!?」
想定の斜め上を遥かにぶっちぎった訳の分からない話を聞かされて、私は思わず裏返った声を上げた。
創世教というのは、この世界を創造したとされる創世の女神と、その代弁者たる聖女を信仰する宗教の事で、聖教会とは、その創世教の祭事の一切を取り仕切っている、この世界で最大級の規模を誇る宗教団体の事。
正式名称を、創世聖教会という。
一般的に、宗教の事は創世教、宗教団体の事は聖教会という略称で呼ぶ事が多い。
そして御使いとは、聖教会にいる偉い人の命令で各地に派遣され、主にボランティア活動などをする人達の事、だったはず。
でも、その御使いが村に来ると言う事自体、ちょっとおかしい出来事だ。
御使いが訪れるのは、信徒が活動してる場所だけで、それ以外の土地に足を向ける事はない、と聞いている。
聖教会の信徒達が活動しているのは、南にある人口の多い街が中心。
こんな日々の生活に大して余裕がないド田舎に、聖教会に存在を把握されるような数の信徒なんていやしない。
神に祈る暇があるのなら、生きる為に少しでも多く働け、と言うのが、ここの基本的な考え方だからだ。
祈りじゃ腹は膨れないし、信仰心で寒さを凌ぐ事はできない。
つまりはそういう事である。
だが、何事にも例外はあるもので、何を隠そう私の両親は、この創世教の信徒だった。
両親は個人で、『創世聖典』というタイトルの、ぶ厚い聖書のような物を持っていたし、家の片隅に小さな祭壇を作って毎日祈りを捧げていたので、信徒としては結構熱心な方だったのではないだろうか。
しかしその一方、両親は普段の会話の中で、自発的に宗教関連の話題を口にする事は、ほとんどなかったように思う。
もしかしたら、聖教会の教えや理念を心から信じ、敬っていたけれど、それを子供に押し付けようとまでは、考えていなかったのかも知れない。
一応、幼い私達が興味本位で訊いた事には、分かる範囲で何でも答えてくれた(御使いの事もこの時知った)が、祭壇への祈りを強要された事もなければ、宗教勧誘じみた話をされた事も一切なかったから。
まあそういう環境で育ったので、私が創世聖教会関連の話で知っている事と言えば、創世聖教会が御使いと呼ばれる使者を、信徒のいる各地へ定期的に送り出している事と、寝物語代わりに聞かされた、創世の女神が出てくる神話やそれに付随するお伽噺の内容。
後は、創世聖教会がここからずっと南の方にある、ノイヤール王国という国の王都に総本山を構えている、という事くらいだ。
ハッキリ言って、いっそ清々しいほど何の関わりもない団体様です。
だと言うのに、その聖教会の御使いが、私に用事があって訪ねて来た?
何それ!? 訳が分からないんですけど!
「え、えーと、えーと、よく分からないけど、取り敢えず、顔出した方がいい、よね?」
「あ、ああ、そうだな。悪いがそうしてくれ。こっちに悪意や敵意があるような様子じゃなかったから、大丈夫だろ。多分」
「多分て。頼りない事言わないでよ、おじさん……」
「仕方ないだろ。わしには教会の都合や事情なんて分からんのだから」
「……ごもっともです。はぁ……」
前世の記憶があるせいか、正直宗教にはあんまり関わりたくない気持ちでいっぱいなのだが、聖教会の使徒様直々のご指名とあっては、無視する訳にもいかない。
下手な対応したら、後が怖いじゃないか。
やむなく、渋々、仕方なく裏手を離れ、家の前までやって来ると、家のドアの前にはシアが、その数メートル離れた先には、3人の女性が立っていた。
全員漏れなく、茶色の髪をシニヨンに纏めた美人さんだ。
雰囲気的に物凄く上品な感じがする。
もしかしたら、貴族のご令嬢というやつなのかも知れない。
女性達は背格好もほとんど同じで、違うのは瞳の色と、前髪のセットの仕方だけ。1人は鮮やかな青、残りの2人は深い緑色の目をしていた。
青い目の女性は、前髪を撫でつけてきっちりと纏めていて、ぱっと見、夜会巻きのようにも見える。
緑色の目をした女性のうちの1人は、緩やかでふわっとした前髪を真ん中分けにして、肩口近くまで伸ばしており、もう1人の前髪は、日本人形みたいなぱっつんストレートになっていた。
服装もちょっと変わっていて、濃紺のレースでできた、肩まである長さの布を頭から被り、同じく濃紺のアオザイに似た服を着ているが、その下はパンツではなく、くるぶし近くまである白いスカートだった。
履いてる靴はこれまた同じ濃紺の、飾り気が一切ない地味なフラットシューズ。
髪型はともかく、着ている物は多分、創世聖教会の制服なんだろうな。
「シア!」
「あっ、お姉ちゃん!」
取り敢えず、知らない人の前で委縮して、固まってしまっているシアに駆け寄り、安心させる。
それから改めて目の前の女性達に、一体何のご用ですか、と尋ねようとした私だったが、意志に反して、言葉は喉から出て来なかった。
女性達が一糸乱れぬ動きで膝を折り、何の躊躇いもなく地面に跪いたからだ。
そういうの、なんかビクッとする。心臓に悪いからやめて欲しい。
ってか、ちょ、何してんの!? 祈らないで!? なにこれ怖い!
あからさまにキョドってる私を正面から見据え、3人のうち真ん中にいる女性――緑色の目の、前髪がゆるふわウェーブな方の人だ――がおもむろに口を開く。
「お初にお目にかかります。創世の女神の代弁者、人と世界の在りようを見定め、裁定を下す資格を有する尊き御方。天より降誕せし今代の聖女よ」
女性らしい高めの声ながら、どこか特徴の薄い声。
けれど、はきはきとしていて聞き取りやすい、耳障りのいい声。
発声の仕方と、大勢の人間の前で話すコツやノウハウを心得ている人間の話し方だ。
「我らは創世聖教会より、栄えある御使いの称号を与えられし者にございます。此度はいささか唐突な話となってしまい、大変恐縮でございますが、教皇猊下のお言葉に従い御身を大聖堂へとお迎えすべく、御前へ参上致しました」
「――はい?」
やたら小難しい言い回しで訳の分からない事を言われ、私は思わずその場で棒立ちになった。
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