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第2章
閑話 首が絞まり始めるカウントダウン
しおりを挟むエスト出発初日の夕方。
見晴らしのいい、開けた草原に到着した時点で移動をやめ、宿営地を整えるべく準備を始たる騎士団の面々を尻目に見ながら、トリキアスは馬車の側でほくそ笑んでいた。
本来ならば、馬車での移動中に世間話の体を装い、ティグリスから聖女に関する情報を1つか2つ聞き出すつもりだったのだが、無礼にもそのティグリスは早々に眠ってしまった。
敬愛すべき兄が傍らにいるというのに、だ。
当初は不快に思っていたトリキアスだったが、すぐに気分を上向かせた。
その代わり、エドガーという聖女の使徒から、思った以上に色々な情報を聞き出す事ができたからだ。これはむしろ、この上ない僥倖だったと思うべきだろう。
「……あの愚弟め、久々に兄と再会したというのにあの態度。俺を軽んじているにも程がある。――まあいい。そのような舐めた態度を取れるのも今回限りだ。
ククッ……感謝するぞ、あの口の軽い使徒め。貴様のお陰で、愚弟を想定していたより簡単に追い詰められるのだからな……」
独り言ちながら、歪んだ笑みを深める。
あの使徒が言うには、聖女が連れているあの犬は女神から与えられた神獣で、聖女を心身共に支えるべく遣わされた存在であるらしい。
当然、聖女はその神獣を心から寵愛し、神獣も聖女にとても懐いているという。
ならば――まずはその支えとやらを奪い、その罪をティグリスに着せてやろうではないか。
そうすれば、ティグリスがここへ来るまでの道中で築き上げた、聖女や使徒、ノイヤールの王女との信頼関係は、瞬く間に瓦解するだろう。
更に言うなら、聖女はノイヤール王家の王子を使徒に据えている。となれば、創世聖教会のみならず、現ノイヤール王家との強い繋がりや、政治に対する強い権限を持っているであろう事は明白だ。
つまり、聖女の機嫌と信頼を損なうという事は、ノイヤール王家の機嫌と信頼を損なう事と同義と考えられる。
そうなったが最後、ノイヤール王国とエクシア王国の間には外交問題が発生し、その問題を作ったティグリスは、ノイヤール王国と新たな親交を結び、より大きな外交の窓口を作ろうと考えている父王から、それは厳しく叱責されるに違いない。
そして、そこで王太子である自分が、息子だからと甘やかさず毅然とした処断を、と横から口を挟めば、確実にティグリスへの罰は重くなる。
上手くすれば廃嫡、そうでなくとも、王位継承権の剥奪と離宮への幽閉という展開に持っていけるはずだ、とトリキアスは考えていた。
いや。更に上手く事が進むのならば、父王の処断を待つまでもなく、怒り狂った聖女がティグリスを始末してくれるかも知れない。
なにせあの聖女は、楚々とした見た目に反して強力な魔法の使い手だ。面と向かって敵に回せば恐ろしい事になるだろう。
自分が呼び寄せた魔物の群れを、あっさりと粉砕してしまうほどの力を持った相手に睨まれたティグリスは、果たしてどんな醜態を晒してくれるのか。
それを思うと、トリキアスは顔が勝手に緩むのを止められなくなる。
しかし、トリキアスは知らなかった。
エドガーは、口の軽さゆえにあれこれと情報を漏らした訳ではない、と。
むしろエドガーは、トリキアスが思い違いをして行動を早め、早い段階で馬脚を露すように漏らす情報を吟味し、取捨選択した上であれこれ話をしたのだ。
エドガーがトリキアスに話して聞かせた事は、聖女に侍る神獣の名がロゼである事、ロゼが人懐こい性格である事、ロゼは聖女によく懐き、聖女もロゼを可愛がっている事、それから、自分が聖女の使徒である事と、元はノイヤールの王子であった事。
以上の5点のみだ。
逆に、聖女は何があろうと政治には関わらない事や、ロゼは強力な力を秘めた頑強な生物で、毒など一切効かない事、そして、そもそもエストの近くに湧いて出た魔物の群れを片付けたのは、聖女ではなくロゼだった事など、そういう重要な話は一切していない。
エドガーは、長時間の移動中に話の種が尽きてしまわぬよう、わざと話題が長引くような言い回しを多用しつつ、それでいてトリキアスを飽きさせない為、時折話題をほどよく横道に逸らしたり、冗談を盛り込んだりしながら話をした。
その結果、非常に聞き応えはあるが、中身は薄っぺらく大して意味がないという、聞き手への悪意がガッツリこもった会話が出来上がった訳である。
これぞ、前世の職場において培った巧みな話術の成せる技にして、社内トップクラスの営業成績を誇っていた、元営業マンの真骨頂であった。
こうして、エドガーの思惑になど微塵も気付いていないトリキアスは、長ったらしい会話の中に、ほんの僅かだけ盛り込まれていた、あまり実のない情報だけを念頭に置き、自身の勝手な思い込みだけで行動を開始し――盛大にコケた。
適当なドッグフードに、闇市で購入した即効性があるという神経毒を混ぜ、宿営地を探し回る事しばし。
草原で蝶を追いかけて遊んでいる、件の犬を早々に見付けられたまではよかったが、人懐こいと言われていたはずのその犬は、なぜか全くトリキアスに寄り付こうとしなかった。
何度呼んでも無視され、ついに我慢できなくなって追いかけ回すも、指一本触れられない。
しかもその挙句、力尽きて動けなくなったみっともない姿を聖女に見られ、恥を掻く羽目になったトリキアスは、分かりやすく自身の行動を棚に上げ、ロゼを逆恨みする。
トリキアスの内心は、今や湧き上がるロゼへの怒りでいっぱいになっており、その辺に放置した毒を混ぜた餌の事は、完全に頭から抜け落ちていた。
こうしてトリキアスは、哀しくも迂闊で軽い頭の中に、身勝手な怒りと殺意だけを多分に詰め込み、再び昼間と同じ毒を混ぜた餌を用意し、聖女が宿泊している簡易コテージの傍に置いた。
無論、ティグリスへ罪を着せる為の細工も忘れない。
「クク、ざまを見るがいい、クソ犬めが……! 貴様は愛する飼い主に毒殺されるのだ……!」
歪んだ顔でほくそ笑み、嘆き悲しむ聖女と冷たくなった駄犬のさまを想像しながら、トリキアスは自分に宛がわれた専用のコテージへと戻って行く。
自身が企てた陰謀が既に看破されてしまっている事と、そのせいで翌日以降、自身の首がジワジワと締まり始める事を、トリキアスはまだ知らない。
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