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第8章
最終話 嘘が誠へ変わった日
しおりを挟むその変化はあまりに劇的で、あっという間の出来事だった。
呆気に取られるアルマソンとアナの目の前で、ケロイド状に引きつれたような、独特の傷痕を幾つも残していた皮膚が正常な形へ整えられ、きめの細かい白磁の色を取り戻していく。
時間にしてものの数秒。
アドラシオンの左半分の顔の皮膚は、呪いをかけられる前と何ら変わりない状態へ戻っていた。無論、右手の皮膚も同様に、元の色形をすっかり取り戻している。
それはまさに、魔法をかけたかのような事象だと言えた。
「あ、ああ……! こ……これは……っ! これまでどのような薬を用いても、どれほど腕のいい医者に診せても、呪いを含めた魔法に造詣が深い識者に相談しても……全く、全く元に戻る様子がなかったというのに……!」
「なんだっていいじゃありませんか! これで旦那様の憂いがなくなったんですから!」
アルマソンとアナは、興奮気味の様子で色めき立つ。
「アルマソン様、これはもうあれですよ! 愛の力です! 愛の! ねっ、奥様!」
「あ、あああ、あいっ!? ちょっ……! かっ、からかわないでよ、アナ! アルマソンも何とか言ってやって!」
「……ふふ。ああ、失礼致しました、奥様。しかしアナの言葉は、存外的を射ているものやも知れません。
物語の中などにもよく出て参ります。姫君の愛を込めた口づけが、王子にかけられた呪いを打ち破る、という描写が。此度の事は、まさしくそれを想起させるような出来事でございましたゆえ。
旦那様におかれましても、大変ようございました。これで心置きなく、思いの丈の全てを言葉にして示す事が可能になった訳でございますから。――さあ旦那様、そろそろ腹を括って下さいませ。奥様に仰らねばならない事がございますでしょう」
「あ、アルマソン。俺は……」
「よもやとは思いますが、ここに来てまだ、尻込みなどなさるのではございますまいな? 奥様が勇気を振り絞って下さったのです、今度は旦那様が勇気をお出しになられる番でございますよ?」
「う……。わ……分かっている。これ以上二の足を踏んでいるようでは、幾らなんでも惰弱が過ぎるという事くらい」
アドラシオンは、アルマソンにつつかれるような恰好で再び椅子から立ち上がり、微妙に固い動きでニアージュの前へと歩み出る。
「……ふぅ……。ん、ごほん。……その、ニア。さ、先程は、心強い申し出をしてくれて、本当にありがとう。とても、感謝している。なので……こちらからも頼みたい」
「……! だ、旦那様……!」
「正直……まだ直接的な言葉を口にできるほど、自分に自信を持ててはいないが……君を何より、大切に想っているのは本当だ。こんな情けない男でよければ、どうか、これからも傍にいて欲しい」
「は……はいっ! それはもうっ、喜んで! これから先、何年でも何十年でも、ずっと!」
ぎこちない動きながら、ニアージュの手を包むようにしっかりと握り、その目を真っ直ぐに見据えながら言葉を紡ぐアドラシオンに、ニアージュは満面の笑みを浮かべながらうなづいた。
――数か月後――
ニアージュはアドラシオンの執務室にて共に机を並べ、何枚もの書類に目を通して精査し、時にサインを入れる作業を延々と続けていた。
言わずと知れた、領地運営の為の仕事である。
「今回はまた……いつにも増して書類の数が多いですね、旦那様……」
「ああ。なにせ今年は、帝国領から入って来た新しい作物の件がある。その作物の作付などについて、諸々の審査や確認、申請などの書状が、山のように届いているからな……」
少し疲れ気味の口調で苦笑いを浮かべて言うニアージュに、アドラシオンも同じような苦笑いを浮かべながら答える。こちらも少々疲れ気味の様子だ。
「つまり、領地の人達の多くが、新しい作物に挑戦してみたがってるという事ですね。チャレンジ精神が旺盛なのは、とてもいい事だと思いますけど……全部は認めてあげられませんよねえ」
「その通りだ。やる気に満ち満ちている領民達には申し訳ないが、誰も彼もが新しい作物の栽培に着手してしまうと、麦や芋などの、主要な作物の収穫量が激減して、備蓄分の食料を確保できなくなりかねんし、去年から作付面積を増やした米の栽培も、中途半端になってしまう。あちこちからさぞ不満が出る事だろうが、ここは優先順位を決めて、しかと絞り込んでいかねば……」
「そうですね。でも、その件についてだって、ちゃんと説明すればみんな分かってくれます。旦那様には、長年積み重ねてきた実績や信頼がありますから」
「はは、ありがとう、ニア。そうなるよう努めるよ。……それと、この間の話を蒸し返して悪いんだが、本当に結婚式をやり直さなくてもいいのか? みなから聞いたが、結婚式というのは女性にとって、一生に一度の晴れの日なのだろう?
確かに俺達の始まりは、義務的な契約を下敷きにした形だけの結婚だった。他の諸侯にそれを知られる訳にいかない以上、多くの来賓を呼んで、大々的に式を挙げるには問題があるが、せめて内輪だけの小さな式でも……」
「気遣って下さってありがとうございます、旦那様。私は別に構いませんよ。
豪華で綺麗なウエディングドレスを着て、出席してくれた人達全員から祝福されて、大切な人と夫婦になった実感を得る事ができる、特別な1日だという点においては、確かに結婚式というのは特別で、格別なものなのでしょうけど、私は今でも十分幸せですし。
それに私、綺麗なドレスを着て、みんなからちやほやされたいが為に、旦那様と結婚した訳ではないですから」
「……っ、そ、そうか。そういう、ものか……。なんというか……嬉しいが、照れるな……」
「ふふっ。そういうものです。それに小規模でも改めて結婚式をするとなると、ラトレイア侯爵家の人達も呼ばなくちゃいけなくなります。
もし仮に、呼ばずに式を挙げ直したりした日には、絶対うるさくしつこく文句を言ってきますよ。でも正直私、もうあの人達の顔見るの嫌なんです」
ニアージュは少しだけ眉根を寄せて、「それでなくたって、昨今ラトレイア侯爵家は落ち目になってきてるでしょう? 縁起が悪いから門出の日になんて呼びたくないです」と口を尖らせる。
「あぁ……。そうか、うん、それもそうだな。俺も多方面からの情報で、ラトレイア侯爵家が昨今、社交界でとても肩身の狭い思いをしているというのは知っているよ。孤立の一歩寸前らしいとな。確かに縁起がよくない来賓だ。
だが、個人的には、式は挙げずとも君の花嫁姿だけは、是非とも見ておきたい。……俺の我が儘を叶えてくれないだろうか。ニア」
「旦那様……。それって普通、私の側が言い出す類の我が儘なんじゃないかと思うんですが……。
ま、まあいいです。分かりました。秋口になって、領内の諸々の仕事が落ち着いたら、ウエディングドレス姿であなたの隣に立たせて下さい。その、着たい願望がない訳ではないので」
「そうか。それはよかった。どんなデザインがいいだろう。想像するだけでも心が浮き立つな。どんなドレスを着ても、君はとても綺麗だろうが……」
「うーーん、そうですね……。強いて言うなら、あまりお腹周りを締め上げられないデザインのドレスがいいです。式に出てくる折角のご馳走が食べられないなんて、切ないにも程がありますから」
「ははははっ、結局そこに着地するのか。どこまで行ってもぶれないな。だが、君のそういう所もとても好ましく思っているよ」
「ふふっ、ありがとうございます。旦那様。私も旦那様の、そういう大らかで懐の深い所がとても大好きです」
アドラシオンとニアージュは、書類を捌く手を少しだけ緩めて笑い合う。
雪解けの時を過ぎ、新緑の息吹きを感じさせるほのかに温かい風が、開け放たれた窓から緩やかに流れ込んで来ていた。
今日まで色々とありましたが、無事物語を完結させる事ができました。お気に入りに登録して下さった方々や、コメントを下さった方々、いいねを押して下さった方々へ、心からお礼申し上げます。
最後まで拙作をご笑覧下さいまして、本当にありがとうございました!
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