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第8章

12話 領地の視察へ

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 アドラシオンが『戦闘中の負傷』という表向きの理由で、ピスティス辺境伯領の戦線から退き、自領の邸へ戻ってから10日ほどが経過した。

 やはり、呪いによって変質し、焼けただれたような有り様となった、左半分の顔と右手の皮膚は全く元に戻っていないが、懸念されていた麻痺や虚脱感はすっかり抜け、庭で剣の素振りができるまでに回復している。
 無論の事、書類を書く仕事にも支障はない。

 ゆえに数日前、アドラシオンは母である王妃と弟の王太子へ、手ずから手紙をしたためて送った。
 自身が意識のないまま邸へ戻ってすぐ、母や弟から己の安否を気遣う手紙が来ていた事を、アルマソンやニアージュに聞かされて知り、自ら無事を知らせようと思い立っての事だ。

 皮膚がただれている以外に、これといって身体に異常はない事や、幾日も寝込んでいたせいで落ちた体力も、徐々に戻りつつある事。それから、呪いを受ける前と何ら変わりなく、妻や邸の者達が自分を助け、支えてくれている事などを書いて両名へ送った所、なんと翌日の夕刻には、双方から手紙が届いた。実に素早い返信である。

 母の手紙も弟の手紙も、したためられた内容は似たり寄ったりだったが、どちらにも大切な家族の無事と、平穏な暮らしが戻っている事への安堵が飾る事なく綴られており、アドラシオンの心を温めてくれた。

 しかしながら、母からの手紙には『今後これ以降も、懐深い妻や忠義深き邸の者達に対し、よくよく感謝して過ごすように』という内容の文章が何行にも亘ってつらつらと書かれていて、知らず苦笑が零れる。

 困った事にどうやら母の頭の中では、どれだけ成長して歳を重ねても、アドラシオンは手のかかる子供のままであるらしい。

 これにはアドラシオンも思わず、面映ゆさ半分呆れ半分の感情のまま、「言われずとも分かっておりますよ」と、手紙に向かってうそぶいてしまったほどだ。

 また、弟からの手紙には、現在ピスティス辺境伯領へ国内の兵力を結集させるべく動いている事と、帝国から1万の兵が援軍としてピスティス辺境伯領へ送られて来る事、魔女の一件以降、パルミア王国からの派兵は現状ないが、国境付近の情勢が落ち着いたとはまだ言い難い為、一時避難をさせたエフォール公爵領の民も、当面の間は避難を継続させるように、などといった情報や指示も、併せて記されていた。

 ある意味どれも、アドラシオンにとって非常に重要な情報だと言える。
 アドラシオンは、手紙の返事の中に政治的視点を抜かりなく組み入れてくれた弟に、内心とても感謝したのだった。

 そして、母と弟からの手紙が届いた2日後。
 アドラシオンはついに腹を括り、自ら領地の視察へ赴く事を決めた。



 視察へ行く為に乗る馬車の準備や、馬の支度が着々と進む邸の庭の中。
 アルマソンから、大まかな領地の様子を聞きつつ準備の様子を見つめるアドラシオンの傍には、動きやすい淡いブルーのワンピースに着替えたニアージュの姿があった。
 アドラシオンが視察に行くと告げた所、なぜかニアージュも、一緒に視察に行くと言い出したのだ。

 無論、未だ自身の変わり果てた容貌について、完全に折り合いを付けられずにいるアドラシオンとしても、気心の知れた存在が傍らにあってくれる状況というのは、何より頼もしい事だったが、今度は別の心配事が湧いてくる。

 顔の左半分に包帯を厚く巻き付けるという、傍から見て明らかに異様ななりをした自分と共にいる事で、ニアージュまでもが奇異の目で見られてしまうのではないか、と。

 内心に不安を燻らせたまま隣を見れば、ニアージュもまた、アルマソンが話す領地の様子や避難民達の現状などに、しっかりと耳を傾けている。
 そんなニアージュの横顔を見つめつつ、アドラシオンはアルマソンの話の合間におずおずと口を開いた。

「その……なんだ。今更言う事ではないかも知れないが……君まで無理についてくる事はないんだぞ? ニア」

「あら、そんな事は全くありませんよ? 旦那様。領地の事や民の事を直に見て知るのも、公爵夫人の仕事ですし」

 アドラシオンの問いかけに、ニアージュはさも当然と言わんばかりの顔で答える。

「それに、旦那様に代わって避難民達の避難計画を立てて、それを指揮したのは私ですから。避難計画の責任者として、避難して来た民の様子を自分の目で見て確認するのは、当然の事じゃありませんか。……ええと、あと、それから、あれです」

「??? それから? あれ? ……とは?」

「……で、ですからっ、し、仕事でも何でもいいので……久し振りに旦那様と一緒に出かけたいっていうか、なんというか……。と、とにかくそういう事なんです! だから一緒に行くんです! なにか問題ありますかっ?」

「……っ、あ、いやっ、それは、ない! 問題なんてあるものか! ……。ニア、そ、そう思ってもらえて、とても有り難……い、いや、とても、嬉しい。ありがとう。お、俺も、できれば君と出かけられればと……」

「……! ほ、本当ですか? よかった、鬱陶しいと思われたらどうしようかと……」

「何を言うんだ、ニア! 俺が君を鬱陶しがるなど、天地が覆ってもあるものか!」

「そっ……そうですか。あの、ありがとうございます、旦那様……。そんな風に言ってもらえて嬉しいです……」

「あ、いや、俺の方こそ、気遣ってもらえて嬉しく思う……」

 2人揃って顔を赤らめ、しどろもどろになりながら、互いの顔をチラチラと見遣るアドラシオンとニアージュ。アドラシオンとニアージュの正面に立つアルマソンや、近くにいる使用人、侍女達の眼差しが大層生温いものになる。

 ――ここまで互いに想い合っておいでなのに、なぜ本当のご夫婦になられないのか。

 その場に居合わせた者達はみな、心底そう思っていた。


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