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第8章

2話 すり合った袖が結んだ縁と心

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 王城にて、隣国の皇太子アートレイとの極秘会談が行われてから6日後。
 エフォール公爵邸に、皇太子の命を受け、秘密裏に帝国から出立したとおぼしき者達が、レーヴェリアを迎えにやって来た。
 服装から察するに、商人を装っているようだ。

 恐らくアートレイが王城へ来た時には、既に帝国側でもレーヴェリアを迎えに行く為の一団が編成され、極秘会談の日とほぼ同時期に帝都を出ていたものと思われるが、それにしても随分と時間がかかっている。

 通常、馬車を使って移動するのにかかるのはおよそ3日。その点から考えると、今回レーヴェリアの迎えの者達は、2倍の移動時間をかけてここまで来た計算になる。

(通常、一緒に行動する人間が増えれば増えるほど、移動には時間がかかるようになるものだけど……この人達がウチの領に入ってここまで来るのに時間がかかったのは、商人を装ったからでしょうね。

 せめて道中、比較的大きな街では商談の真似事くらいしておかないと、周りの人達から変な目で見られて、商人を装ってる意味がなくなっちゃうもの。もしくは……本当に何かしらの物品を買い揃えていたか、ね)

 自分達が乗って来た、大きな幌馬車から木箱を含めた荷物を幾つか下ろし始めた、男性数人の作業を黙って見つめながら、ニアージュは内心で独り言ちた。

 彼らが幌馬車から下ろしているのは、今回レーヴェリアの世話をしたニアージュ達への返礼品と謝礼金、それから今回レーヴェリアが、領民達に世話になったり迷惑をかけたりした分を補填する為の、補償金である。

 この補償金はいずれ、レーヴェリアの証言を元に調査と精査が行われたのち、レーヴェリアを一時的に匿って食事や寝床などの世話を焼いた者達や、レーヴェリアから潰れかけた馬を託された牧場の主などに支給される事となるだろう。

 そういった作業に従事している者達の近く、正面玄関の前では、レーヴェリアの見送りに出て来たニアージュとアドラシオンが、レーヴェリアと向かい合って最後の会話を交わしていた。

 無論の事、アドラシオンとニアージュの後ろには、エフォール公爵家に仕える使用人や侍女達がズラリと並んでいる。それこそ、アドラシオンの許しを得て邸の中の仕事の手を休め、全員がこの場に顔を揃えていた。

 口にこそ出さないが、彼らや彼女らも、快活でありながらも優しく穏やかな、レーヴェリアとの別れを惜しむ心持ちが強い、という事もある。

 だが、何より――ニアージュを含めたこの場の全員が、正しく現状とこの先の未来を思い描いていた事が、このような盛大な見送りになった理由だと言っていい。

 みな、分かっているのだ。
 これがレーヴェリアとの、今生の別れとなる可能性が極めて高い事を。

 なにせ相手は大国の皇女。
 本来ならば接点など皆無に等しく、遠目に顔を見る事もなかったであろう相手なのだから。

「エフォール公爵、ニアージュ、それから、エフォール公爵家に仕えている使用人や侍女の皆さん。今日まで本当にお世話になりました。このご恩は、帝国に戻った後も決して忘れませんわ。

 ……この地で皆さんが与えてくれた暖かい思い出は、わたくしがいずれ臣籍降下して公爵となった後も、その後の生涯においても、終生わたくしを支えるよすがとなってくれるでしょう」

「そう仰って頂けて光栄です、レーヴェリア様……いえ、もう皇女殿下と、正式な呼称でお呼びすべきですね。
 もし今後、再びクロワール王国を公式訪問される際には、ぜひ我が領へ足をお運び下さい。領民達共々、あなた様を心から歓迎致します」

「ありがとう、エフォール公爵。その際にはぜひそうさせて頂きますわね。……ニアージュ。短い間だったけれど、わたくしと親しく接してくれて、とても嬉しかったですわ。

 ……。あのね、ニアージュ。恐らく本国に戻った後はわたくし、当分の間は自分の部屋で大人しく、なにもせず身を慎む事となるでしょうけれど……。その期間が明けたら、その、あなたにお手紙を書きたいの。お、お友達として。もしその手紙が届いたら、お返事を下さるかしら……?」

 ちょっと気恥ずかし気に、それでいて、どことなく不安の滲む表情でそう訊いてくるレーヴェリアに、ニアージュは目が潤みそうになるのを堪え、笑顔を浮かべる。

 少々作り笑いじみでしまったが、これは単なるよそ行きの作り笑いではない。
 遠く離れた場所へ行ってしまう友人を安心させる為の、万感の笑顔だ。

「……! ええ、ええ、勿論です。レーヴェリア様。必ず、絶対にお返事を書きます。だって、お友達ですから。

 私は生来、お喋りな性質なので……きっとその時は、お伝えしたい事やお話したい事が多過ぎて、とても分厚い封筒があなたの手元に届くんじゃないでしょうか。それこそ、お城の検閲係の人がギョッとするくらい、パンパンになった封筒が」

「まあ。ふふっ、それは楽しみですわ。……。もう、何度も伝えたけれど、もう一度言うわ。あの時わたくしを助けてくれて、本当にありがとう、ニアージュ。

 わたくしが今生きて、五体満足でこの場にいられるのはあなたのお陰。どんなに感謝しても、感謝し足りないくらいでしてよ。あの日あの時、あなたに出会えた事は、わたくしのこれまでの人生の中で、最も幸運な事でしたわ」

「レーヴェリア様……」

「殿下。そろそろ出立致します。移動のご準備を」

「……分かりましたわ。今行きます」

 背後から商人に扮した男性に声をかけられ、レーヴェリアが少しだけ苦く笑いながらそれに応える。

「――じゃあね、ニアージュ。またいつか」

「――はい。また、いつか……」

 レーヴェリアもニアージュも、何となく『さようなら』と言いたくなくて、当たり障りのない曖昧な一言だけを発した。

 どちらからともなく差し出した手をしっかり握って握手をした後、名残惜しそうにこちらに背を向けて、馬車の一台に乗り込んで行くレーヴェリアの姿を、ニアージュはしっかりと目に焼き付けるように見つめる。

 やがて馬車が走り出し、徐々に小さくなっていくのを見送っている最中、ニアージュは一度だけ右手の甲で両眼をこすった。
 何も言わず、何もせず、ただ傍らに寄り添ってくれているアドラシオンの存在が、とても有り難かった。


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