上 下
107 / 123
第8章

2話 すり合った袖が結んだ縁と心

しおりを挟む


 王城にて、隣国の皇太子アートレイとの極秘会談が行われてから6日後。
 エフォール公爵邸に、皇太子の命を受け、秘密裏に帝国から出立したとおぼしき者達が、レーヴェリアを迎えにやって来た。
 服装から察するに、商人を装っているようだ。

 恐らくアートレイが王城へ来た時には、既に帝国側でもレーヴェリアを迎えに行く為の一団が編成され、極秘会談の日とほぼ同時期に帝都を出ていたものと思われるが、それにしても随分と時間がかかっている。

 通常、馬車を使って移動するのにかかるのはおよそ3日。その点から考えると、今回レーヴェリアの迎えの者達は、2倍の移動時間をかけてここまで来た計算になる。

(通常、一緒に行動する人間が増えれば増えるほど、移動には時間がかかるようになるものだけど……この人達がウチの領に入ってここまで来るのに時間がかかったのは、商人を装ったからでしょうね。

 せめて道中、比較的大きな街では商談の真似事くらいしておかないと、周りの人達から変な目で見られて、商人を装ってる意味がなくなっちゃうもの。もしくは……本当に何かしらの物品を買い揃えていたか、ね)

 自分達が乗って来た、大きな幌馬車から木箱を含めた荷物を幾つか下ろし始めた、男性数人の作業を黙って見つめながら、ニアージュは内心で独り言ちた。

 彼らが幌馬車から下ろしているのは、今回レーヴェリアの世話をしたニアージュ達への返礼品と謝礼金、それから今回レーヴェリアが、領民達に世話になったり迷惑をかけたりした分を補填する為の、補償金である。

 この補償金はいずれ、レーヴェリアの証言を元に調査と精査が行われたのち、レーヴェリアを一時的に匿って食事や寝床などの世話を焼いた者達や、レーヴェリアから潰れかけた馬を託された牧場の主などに支給される事となるだろう。

 そういった作業に従事している者達の近く、正面玄関の前では、レーヴェリアの見送りに出て来たニアージュとアドラシオンが、レーヴェリアと向かい合って最後の会話を交わしていた。

 無論の事、アドラシオンとニアージュの後ろには、エフォール公爵家に仕える使用人や侍女達がズラリと並んでいる。それこそ、アドラシオンの許しを得て邸の中の仕事の手を休め、全員がこの場に顔を揃えていた。

 口にこそ出さないが、彼らや彼女らも、快活でありながらも優しく穏やかな、レーヴェリアとの別れを惜しむ心持ちが強い、という事もある。

 だが、何より――ニアージュを含めたこの場の全員が、正しく現状とこの先の未来を思い描いていた事が、このような盛大な見送りになった理由だと言っていい。

 みな、分かっているのだ。
 これがレーヴェリアとの、今生の別れとなる可能性が極めて高い事を。

 なにせ相手は大国の皇女。
 本来ならば接点など皆無に等しく、遠目に顔を見る事もなかったであろう相手なのだから。

「エフォール公爵、ニアージュ、それから、エフォール公爵家に仕えている使用人や侍女の皆さん。今日まで本当にお世話になりました。このご恩は、帝国に戻った後も決して忘れませんわ。

 ……この地で皆さんが与えてくれた暖かい思い出は、わたくしがいずれ臣籍降下して公爵となった後も、その後の生涯においても、終生わたくしを支えるよすがとなってくれるでしょう」

「そう仰って頂けて光栄です、レーヴェリア様……いえ、もう皇女殿下と、正式な呼称でお呼びすべきですね。
 もし今後、再びクロワール王国を公式訪問される際には、ぜひ我が領へ足をお運び下さい。領民達共々、あなた様を心から歓迎致します」

「ありがとう、エフォール公爵。その際にはぜひそうさせて頂きますわね。……ニアージュ。短い間だったけれど、わたくしと親しく接してくれて、とても嬉しかったですわ。

 ……。あのね、ニアージュ。恐らく本国に戻った後はわたくし、当分の間は自分の部屋で大人しく、なにもせず身を慎む事となるでしょうけれど……。その期間が明けたら、その、あなたにお手紙を書きたいの。お、お友達として。もしその手紙が届いたら、お返事を下さるかしら……?」

 ちょっと気恥ずかし気に、それでいて、どことなく不安の滲む表情でそう訊いてくるレーヴェリアに、ニアージュは目が潤みそうになるのを堪え、笑顔を浮かべる。

 少々作り笑いじみでしまったが、これは単なるよそ行きの作り笑いではない。
 遠く離れた場所へ行ってしまう友人を安心させる為の、万感の笑顔だ。

「……! ええ、ええ、勿論です。レーヴェリア様。必ず、絶対にお返事を書きます。だって、お友達ですから。

 私は生来、お喋りな性質なので……きっとその時は、お伝えしたい事やお話したい事が多過ぎて、とても分厚い封筒があなたの手元に届くんじゃないでしょうか。それこそ、お城の検閲係の人がギョッとするくらい、パンパンになった封筒が」

「まあ。ふふっ、それは楽しみですわ。……。もう、何度も伝えたけれど、もう一度言うわ。あの時わたくしを助けてくれて、本当にありがとう、ニアージュ。

 わたくしが今生きて、五体満足でこの場にいられるのはあなたのお陰。どんなに感謝しても、感謝し足りないくらいでしてよ。あの日あの時、あなたに出会えた事は、わたくしのこれまでの人生の中で、最も幸運な事でしたわ」

「レーヴェリア様……」

「殿下。そろそろ出立致します。移動のご準備を」

「……分かりましたわ。今行きます」

 背後から商人に扮した男性に声をかけられ、レーヴェリアが少しだけ苦く笑いながらそれに応える。

「――じゃあね、ニアージュ。またいつか」

「――はい。また、いつか……」

 レーヴェリアもニアージュも、何となく『さようなら』と言いたくなくて、当たり障りのない曖昧な一言だけを発した。

 どちらからともなく差し出した手をしっかり握って握手をした後、名残惜しそうにこちらに背を向けて、馬車の一台に乗り込んで行くレーヴェリアの姿を、ニアージュはしっかりと目に焼き付けるように見つめる。

 やがて馬車が走り出し、徐々に小さくなっていくのを見送っている最中、ニアージュは一度だけ右手の甲で両眼をこすった。
 何も言わず、何もせず、ただ傍らに寄り添ってくれているアドラシオンの存在が、とても有り難かった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!

ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。 退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた! 私を陥れようとする兄から逃れ、 不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。 逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋? 異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。 この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

転生したら避けてきた攻略対象にすでにロックオンされていました

みなみ抄花
恋愛
睦見 香桜(むつみ かお)は今年で19歳。 日本で普通に生まれ日本で育った少し田舎の町の娘であったが、都内の大学に無事合格し春からは学生寮で新生活がスタートするはず、だった。 引越しの前日、生まれ育った町を離れることに、少し名残惜しさを感じた香桜は、子どもの頃によく遊んだ川まで一人で歩いていた。 そこで子犬が溺れているのが目に入り、助けるためいきなり川に飛び込んでしまう。 香桜は必死の力で子犬を岸にあげるも、そこで力尽きてしまい……

ボッチになった僕がうっかり寄り道してダンジョンに入った結果

安佐ゆう
ファンタジー
第一の人生で心残りがあった者は、異世界に転生して未練を解消する。 そこは「第二の人生」と呼ばれる世界。 煩わしい人間関係から遠ざかり、のんびり過ごしたいと願う少年コイル。 学校を卒業したのち、とりあえず幼馴染たちとパーティーを組んで冒険者になる。だが、コイルのもつギフトが原因で、幼馴染たちのパーティーから追い出されてしまう。 ボッチになったコイルだったが、これ幸いと本来の目的「のんびり自給自足」を果たすため、町を出るのだった。 ロバのポックルとのんびり二人旅。ゴールと決めた森の傍まで来て、何気なくフラっとダンジョンに立ち寄った。そこでコイルを待つ運命は…… 基本的には、ほのぼのです。 設定を間違えなければ、毎日12時、18時、22時に更新の予定です。

前世では美人が原因で傾国の悪役令嬢と断罪された私、今世では喪女を目指します!

鳥柄ささみ
恋愛
美人になんて、生まれたくなかった……! 前世で絶世の美女として生まれ、その見た目で国王に好かれてしまったのが運の尽き。 正妃に嫌われ、私は国を傾けた悪女とレッテルを貼られて処刑されてしまった。 そして、気づけば違う世界に転生! けれど、なんとこの世界でも私は絶世の美女として生まれてしまったのだ! 私は前世の経験を生かし、今世こそは目立たず、人目にもつかない喪女になろうと引きこもり生活をして平穏な人生を手に入れようと試みていたのだが、なぜか世界有数の魔法学校で陽キャがいっぱいいるはずのNMA(ノーマ)から招待状が来て……? 前世の教訓から喪女生活を目指していたはずの主人公クラリスが、トラウマを抱えながらも奮闘し、四苦八苦しながら魔法学園で成長する異世界恋愛ファンタジー! ※第15回恋愛大賞にエントリーしてます! 開催中はポチッと投票してもらえると嬉しいです! よろしくお願いします!!

【完結】転生したら少女漫画の悪役令嬢でした〜アホ王子との婚約フラグを壊したら義理の兄に溺愛されました〜

まほりろ
恋愛
ムーンライトノベルズで日間総合1位、週間総合2位になった作品です。 【完結】「ディアーナ・フォークト! 貴様との婚約を破棄する!!」見目麗しい第二王子にそう言い渡されたとき、ディアーナは騎士団長の子息に取り押さえられ膝をついていた。王子の側近により読み上げられるディアーナの罪状。第二王子の腕の中で幸せそうに微笑むヒロインのユリア。悪役令嬢のディアーナはユリアに斬りかかり、義理の兄で第二王子の近衛隊のフリードに斬り殺される。 三日月杏奈は漫画好きの普通の女の子、バナナの皮で滑って転んで死んだ。享年二十歳。 目を覚ました杏奈は少女漫画「クリンゲル学園の天使」悪役令嬢ディアーナ・フォークト転生していた。破滅フラグを壊す為に義理の兄と仲良くしようとしたら溺愛されました。 私の事を大切にしてくれるお義兄様と仲良く暮らします。王子殿下私のことは放っておいてください。 ムーンライトノベルズにも投稿しています。 「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」 表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。

目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜

楠ノ木雫
恋愛
 病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。  病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。  元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!  でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?  ※他の投稿サイトにも掲載しています。

皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした

葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。 でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。 本編完結済みです。時々番外編を追加します。

処理中です...