78 / 123
第6章
5話 新緑月のコールドケース
しおりを挟むひとまず、話の続きを口に出す前に、アドラシオンにお茶のお代わりを勧めてみると、「頼む」と言われたので、そっと椅子から立ち上がり、保温カバーをかけてあるポットを手に取る。
ほぼ空になっている、アドラシオンのカップの中にポットの中身を注げば、湯気と共に紅茶の華やかな香気が立ち昇った。
ついでに自分のカップにも紅茶を注ぎ、椅子に座り直してからシュガーポットに手を伸ばす。
今度はミルクティーにして飲むのも悪くなさそうだ。
「――まあ、息子さん達の気持ちも分からなくはありませんよ。今旦那様も仰っていましたけど、捜査にはなんだかんだお金がかかるじゃありませんか。
しかも、世間様から鼻つまみ者扱いされている父親と弟の死の真相を探る為に、よその家や国庫にまで影響を及ぼしているとなれば、尚更でしょう」
シュガーポットに続き、ミルクが入っている小さなポットに手を伸ばしつつ、再び口を開くニアージュに、アドラシオンも神妙な顔でうなづいた。
「それに、ニーネが言ってましたけど、前レトリー侯爵は、下位貴族の人達にいつ後ろから刺されてもおかしくないくらい、それはもう恨まれてたって事らしいですし。今の侯爵様も、居た堪れない気分になっていらっしゃるのでは?」
「ああ。それに、前妻の子である上2人の息子に対しても、随分キツく当たっていたと聞く。そんな父親の為に、いつまでも領民達からもたらされた税金や、商売で得た身銭を切り続けるというのは、業腹に思える事かも知れない。
事情は違えど、父親の言動に悩まされ、煩わされてきた人間の気持ちは痛いほどよく分かる。捜査打ち切りの話を出された時にも、彼に対してかける言葉など、ろくに思い浮かばなかったよ」
「成程。そういった事情を理解しているからこそ、王家もその方向で納得されたのですね」
「……聞こえのいい話ではないがな。確かに、自国の臣下が謀殺されたとあっては王家も黙っていられないし、国家の威信にかけて、犯人を特定するべく動くのは当然と言える。しかしそれ以上に、謀殺された当事者の、常日頃の行いに問題や過失があり過ぎた」
ティーカップを傾け、その中身に口をつけるアドラシオンの表情が、目に見えて渋いものになる。
「今後捜査を進めていく過程で、前レトリー侯爵の問題行動があれもこれもと掘り起こされ、事件捜査の名目で白日の下に晒された挙句、それらの話が他国へ漏れ聞こえでもした日には、前侯爵の手綱をきちんと握って御せなかった王家にまで、他国から白い目や失笑が向けられる事は必至。
現クロワール王室は、犯人を挙げられなかった事よりも、前レトリー侯爵の行いの件で恥を掻く羽目になるだろう。それこそ、恥の上塗りと言ってもいい。だから……言い方は悪いが、そうなる前に――」
「国王陛下は、もういっその事、今回の件を未解決事件という形で処理して、臭い物に蓋をする方式で行った方が、後々傷が浅くて済みそうだ、と、そう判断された訳ですか。
一応、王家主導での捜査も何度か行われていて、最低限の義理は果たしていますし、対外的に見ても、捜査を打ち切った所で特に問題はないですよね。
一部の人間から、ちょっと失望の目は向けられるかも知れませんが、どうせそれも長くは続かないでしょうから」
内心で、無念を晴らしてもらえるどころか、捜査自体を嫌がられた挙句、国家主導で事件がお宮入り決定だなんて、被害者のレトリー侯爵とアルセン子息にとって、ある意味これ以上ないほどのざまぁ展開よね、とうそぶきつつ、ニアージュはため息交じりに言う。
もっとも、最後の最後までとばっちりを受ける格好になった、レトリー侯爵の護衛騎士2人にとっては、いい迷惑としか言いようがないだろうが。
「ああ。そういう事だ。もし前レトリー侯爵がバラト侯爵のような方であったなら、また幾らか話は変わっていたかも知れないが――いや、それはないな。そもそも謀殺される可能性自体、限りなく低いものになっていただろう」
「でしょうねえ。バラト侯爵は本当に良い方ですから。人の感情の中に『逆恨み』なんてモノがある以上、どんな聖人君子でも、全く誰の恨みも買わずに生きていくなんて無理だと思いますが、それでも、ああまで手の込んだ方法で謀殺されるなんて事は、まずなかったと私も思います」
「全く持ってその通りだ。――まあ、そういう訳だから、当然我が公爵領における捜査も全て終了となる。念の為、捜査資料は十数年単位で保管する事になるが、正式に資料の処分が決まる頃には死蔵が過ぎて、半分以上忘れられていそうだ」
「あー、それ分かります。使わないで奥の方にしまい込んだ物って、下手すると以前使ってた事まで忘れちゃったりしますからね。平民の間でもよくある話ですよ」
「そうなのか。やはり同じ人間だな。なんにしても記録をしっかり残して、しまった場所が分からなくなる事だけは、避けねばならないと思っているが……」
「ええ、それがいいでしょうね」
「ああ。アルマソンに頼んでおけば間違いないだろう。……あー、その、所で、話が変わるんだが……。俺も煩わしい仕事が片付いて、これ以降は通常業務にも余裕ができるだろうから、空いた時間を使って、一緒に街に出ないか?
君は、誕生日の件は自分も忘れていたから、今年は何もしなくていいと言っていたが、やはりそれでは俺の気が済まなくてだな。なにか、君に贈り物をしたいんだ」
「――え?」
なぜかひどく緊張した面持ちで、急にそんな事を言い出すアドラシオンに、ニアージュは思わず目を丸くした。
6
お気に入りに追加
77
あなたにおすすめの小説
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
婚約破棄された地味姫令嬢は獣人騎士団のブラッシング係に任命される
安眠にどね
恋愛
社交界で『地味姫』と嘲笑されている主人公、オルテシア・ケルンベルマは、ある日婚約破棄をされたことによって前世の記憶を取り戻す。
婚約破棄をされた直後、王城内で一匹の虎に出会う。婚約破棄と前世の記憶と取り戻すという二つのショックで呆然としていたオルテシアは、虎の求めるままブラッシングをしていた。その虎は、実は獣人が獣の姿になった状態だったのだ。虎の獣人であるアルディ・ザルミールに気に入られて、オルテシアは獣人が多く所属する第二騎士団のブラッシング係として働くことになり――!?
【第16回恋愛小説大賞 奨励賞受賞。ありがとうございました!】
最初から勘違いだった~愛人管理か離縁のはずが、なぜか公爵に溺愛されまして~
猪本夜
恋愛
前世で兄のストーカーに殺されてしまったアリス。
現世でも兄のいいように扱われ、兄の指示で愛人がいるという公爵に嫁ぐことに。
現世で死にかけたことで、前世の記憶を思い出したアリスは、
嫁ぎ先の公爵家で、美味しいものを食し、モフモフを愛で、
足技を磨きながら、意外と幸せな日々を楽しむ。
愛人のいる公爵とは、いずれは愛人管理、もしくは離縁が待っている。
できれば離縁は免れたいために、公爵とは友達夫婦を目指していたのだが、
ある日から愛人がいるはずの公爵がなぜか甘くなっていき――。
この公爵の溺愛は止まりません。
最初から勘違いばかりだった、こじれた夫婦が、本当の夫婦になるまで。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
愛しの婚約者は王女様に付きっきりですので、私は私で好きにさせてもらいます。
梅雨の人
恋愛
私にはイザックという愛しの婚約者様がいる。
ある日イザックは、隣国の王女が私たちの学園へ通う間のお世話係を任されることになった。
え?イザックの婚約者って私でした。よね…?
二人の仲睦まじい様子を見聞きするたびに、私の心は折れてしまいました。
ええ、バッキバキに。
もういいですよね。あとは好きにさせていただきます。
病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。
鍋
恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。
キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。
けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。
セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。
キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。
『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』
キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。
そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。
※ゆるふわ設定
※ご都合主義
※一話の長さがバラバラになりがち。
※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。
※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。
誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。
木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。
彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。
こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。
だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。
そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。
そんな私に、解放される日がやって来た。
それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。
全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。
私は、自由を得たのである。
その自由を謳歌しながら、私は思っていた。
悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。
完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ
音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。
だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。
相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。
どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる