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第6章

2話 若き公爵の失態

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 庭園のベンチで日向ぼっこしていたニアージュと別れ、仕事を再開するべく自室へ戻って来たアドラシオンだったが、つい先ほどのやらかしを思い起こして仕事が手に付かず、執務机に突っ伏して頭を抱えていた。
 傍らで書類の整理を手伝っているアルマソンは、主の情けない振る舞いに呆れ顔をするばかりだ。

「やってしまった……。なにが「しばらく膝を貸してくれ」だ。どうかしている。
 今の今まで、邸の中で夫婦然とした言動など求めていなかったのに、急にあんな事を言い出してあんな真似を……。本当にどうかしている……」

「旦那様。過ぎた事にいつまでも思い悩んでなどおらず、仕事をなさって下さい。今日中に処理せねばならない書類がおありなのではありませんか?」

 とうとう見かねたアルマソンに苦言を呈され、アドラシオンはか細い声で「分かっている」と返したが、突っ伏した顔を上げようとしない。

「……そんな事言われなくても分かっている……。だが……ああ……ニアに絶対変だと思われた……。もしかしたら……頭がおかしくなったのでは、とまで思われたかも知れない……」

「そのような事はございません。確かに、いつにない言動をお取りになられたのは事実ですので、随分とお疲れなのだな、とは思われたやも知れませんが」

「急に訳の分からない事を言い出して、気持ち悪い奴だと思われていたら」

「そのような事実もございません」

 なおもネガティブな発言を繰り返すアドラシオンの言葉を、アルマソンがピシャリと遮る。
 本来ならば、家令が主人の発言を遮るなどあってはならない事だが、長年に亘って仕え、支えてきた主に対する信頼と忠心が、アルマソンに敢えてそのような言を取らせた。

 敬愛する主の為ならば、不興を買おうとも忠言を行い、主にとって必要な事とあらば、不敬を犯す事も厭わない。
 それがアルマソンという家令の信条であり、信念だ。

 そして何より、相手がどのような立場でどのような身分であろうとも、アドラシオンはその人物の言動と、言動の根底にあるものに冷静に思いを巡らせる事ができる。
 そうして、よりよい状況を導く事を最優先と考えるのだ。

 その為ならば、些末な事には決してこだわらず、自身の思考を柔軟に変える事さえ可能な、まさしく王者の資質を持ち合わせた人物であるからこそ、時としてアルマソンは、自身の立場を顧みる事のない発言を迷わず行うのである。

(ただ、心身に疲れが溜まるほどに、思考が目に見えて後ろ向きになられてしまう所は、玉にきずであらせられるが……)

 こっそり小さくため息を吐き出しながら、アルマソンは再び口を開く。

「確かに奥様はお優しくも理知的で、常に他者を慮り、よく考えてからご自身の言動をお選びになる方ですが、ハッキリ意思表示をなさる方でもあります。

 もし、旦那様に膝枕をなさる事に忌避感をお感じになられていたなら、初めから旦那様に膝をお貸しになったりはなさいますまい。もっともらしい理由をつけてその場をお離れになるか、他の使用人を呼んで、旦那様をお部屋へ戻されたのではないかと。

 あの場には、庭の手入れや掃除をしている使用人が何人もおりましたし、所用で庭園を通りかかる侍女もおりました。少々言い方は悪うございますが、奥様はその気になれば、疲れて思考の鈍っておられる旦那様を体よく誰かに押し付けるなど、朝飯前であられた事でしょう」

「……はぁ……。そうだな。その通りだろうな……。というか……相変わらず、ズケズケとものを言ってくれる」

「はい、それはもう。我が主はどれほど耳に痛い話であろうとも、口から発すれば聞いて下さる方だと、よくよく分かっておりますので。お陰様で安心して、あれもこれもと言いたい放題申し上げる事ができております」

 ようやくのろのろと顔を上げ、恨みがましい視線を向けて口を尖らせる主に、アルマソンはにっこり笑いながら、「大変よき主を持つ事ができまして、私めは幸せでございます」などとのたまう。

「全くお前は……。まあいい、誉め言葉と受け取っておこう」

 アドラシオンはますます口を尖らせたが、すぐに気を取り直したように身体を起こした。ようやく真面に机に向かう気力が戻ったようで、軽く肩を回して身体を解しにかかっている。

「……。所であの後ニアは、お前になにか言っていたか?」

「いいえ。取り立てて重要なお話は何も。ただ、これからも旦那様がお身体を壊さぬよう、よく見ていて欲しいとだけ」

「そうか。ニアにはいつも、気遣ってもらってばかりいるな」

「さようでございますな。なにせ旦那様の誕生日に、手ずからお作りになられたハンカチを贈って下さるほど、お心を砕いて下さっているのです。旦那様も奥様の誕生日には、しかとお心が込められた品を――」

「!!」

 アルマソンがしみじみと言葉を重ねている最中、何を思ったのか、突然アドラシオンが勢いよく執務机から立ち上がった。
 その顔が見る間に青ざめていくのを見て、アルマソンも訳が分からぬまま浮足立ちそうになる。

「だ、旦那様? いかがされましたか?」

「――緊急事態だ! ニアの所に行ってくる! 俺は……俺は、とんでもない失態を犯してしまった!
 誕生日を祝ってもらっておきながら、俺はニアの誕生日を知らない! ニアが我が邸に来た日から、幾らでも期はあったというのに、誰にもニアの誕生日を訊いていないんだ!!」

「――はッ! そ、それは……っ!? 旦那様、私めも共に奥様の所へ参ります! それこそ、家令である私の失態でございますればッ!」

 アドラシオンとアルマソンは、執務机の書類を放り出し、大慌てで部屋を飛び出していく。
 血相を変えて廊下を走る2人の姿を見た侍女と使用人数名が、あの2人が廊下を走るなど、すわ何事かと驚いた顔をしていたが、アドラシオンにもアルマソンにも、それに構っている余裕はなかった。


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