75 / 123
第6章
2話 若き公爵の失態
しおりを挟む庭園のベンチで日向ぼっこしていたニアージュと別れ、仕事を再開するべく自室へ戻って来たアドラシオンだったが、つい先ほどのやらかしを思い起こして仕事が手に付かず、執務机に突っ伏して頭を抱えていた。
傍らで書類の整理を手伝っているアルマソンは、主の情けない振る舞いに呆れ顔をするばかりだ。
「やってしまった……。なにが「しばらく膝を貸してくれ」だ。どうかしている。
今の今まで、邸の中で夫婦然とした言動など求めていなかったのに、急にあんな事を言い出してあんな真似を……。本当にどうかしている……」
「旦那様。過ぎた事にいつまでも思い悩んでなどおらず、仕事をなさって下さい。今日中に処理せねばならない書類がおありなのではありませんか?」
とうとう見かねたアルマソンに苦言を呈され、アドラシオンはか細い声で「分かっている」と返したが、突っ伏した顔を上げようとしない。
「……そんな事言われなくても分かっている……。だが……ああ……ニアに絶対変だと思われた……。もしかしたら……頭がおかしくなったのでは、とまで思われたかも知れない……」
「そのような事はございません。確かに、いつにない言動をお取りになられたのは事実ですので、随分とお疲れなのだな、とは思われたやも知れませんが」
「急に訳の分からない事を言い出して、気持ち悪い奴だと思われていたら」
「そのような事実もございません」
なおもネガティブな発言を繰り返すアドラシオンの言葉を、アルマソンがピシャリと遮る。
本来ならば、家令が主人の発言を遮るなどあってはならない事だが、長年に亘って仕え、支えてきた主に対する信頼と忠心が、アルマソンに敢えてそのような言を取らせた。
敬愛する主の為ならば、不興を買おうとも忠言を行い、主にとって必要な事とあらば、不敬を犯す事も厭わない。
それがアルマソンという家令の信条であり、信念だ。
そして何より、相手がどのような立場でどのような身分であろうとも、アドラシオンはその人物の言動と、言動の根底にあるものに冷静に思いを巡らせる事ができる。
そうして、よりよい状況を導く事を最優先と考えるのだ。
その為ならば、些末な事には決してこだわらず、自身の思考を柔軟に変える事さえ可能な、まさしく王者の資質を持ち合わせた人物であるからこそ、時としてアルマソンは、自身の立場を顧みる事のない発言を迷わず行うのである。
(ただ、心身に疲れが溜まるほどに、思考が目に見えて後ろ向きになられてしまう所は、玉に瑕であらせられるが……)
こっそり小さくため息を吐き出しながら、アルマソンは再び口を開く。
「確かに奥様はお優しくも理知的で、常に他者を慮り、よく考えてからご自身の言動をお選びになる方ですが、ハッキリ意思表示をなさる方でもあります。
もし、旦那様に膝枕をなさる事に忌避感をお感じになられていたなら、初めから旦那様に膝をお貸しになったりはなさいますまい。もっともらしい理由をつけてその場をお離れになるか、他の使用人を呼んで、旦那様をお部屋へ戻されたのではないかと。
あの場には、庭の手入れや掃除をしている使用人が何人もおりましたし、所用で庭園を通りかかる侍女もおりました。少々言い方は悪うございますが、奥様はその気になれば、疲れて思考の鈍っておられる旦那様を体よく誰かに押し付けるなど、朝飯前であられた事でしょう」
「……はぁ……。そうだな。その通りだろうな……。というか……相変わらず、ズケズケとものを言ってくれる」
「はい、それはもう。我が主はどれほど耳に痛い話であろうとも、口から発すれば聞いて下さる方だと、よくよく分かっておりますので。お陰様で安心して、あれもこれもと言いたい放題申し上げる事ができております」
ようやくのろのろと顔を上げ、恨みがましい視線を向けて口を尖らせる主に、アルマソンはにっこり笑いながら、「大変よき主を持つ事ができまして、私めは幸せでございます」などとのたまう。
「全くお前は……。まあいい、誉め言葉と受け取っておこう」
アドラシオンはますます口を尖らせたが、すぐに気を取り直したように身体を起こした。ようやく真面に机に向かう気力が戻ったようで、軽く肩を回して身体を解しにかかっている。
「……。所であの後ニアは、お前になにか言っていたか?」
「いいえ。取り立てて重要なお話は何も。ただ、これからも旦那様がお身体を壊さぬよう、よく見ていて欲しいとだけ」
「そうか。ニアにはいつも、気遣ってもらってばかりいるな」
「さようでございますな。なにせ旦那様の誕生日に、手ずからお作りになられたハンカチを贈って下さるほど、お心を砕いて下さっているのです。旦那様も奥様の誕生日には、しかとお心が込められた品を――」
「!!」
アルマソンがしみじみと言葉を重ねている最中、何を思ったのか、突然アドラシオンが勢いよく執務机から立ち上がった。
その顔が見る間に青ざめていくのを見て、アルマソンも訳が分からぬまま浮足立ちそうになる。
「だ、旦那様? いかがされましたか?」
「――緊急事態だ! ニアの所に行ってくる! 俺は……俺は、とんでもない失態を犯してしまった!
誕生日を祝ってもらっておきながら、俺はニアの誕生日を知らない! ニアが我が邸に来た日から、幾らでも期はあったというのに、誰にもニアの誕生日を訊いていないんだ!!」
「――はッ! そ、それは……っ!? 旦那様、私めも共に奥様の所へ参ります! それこそ、家令である私の失態でございますればッ!」
アドラシオンとアルマソンは、執務机の書類を放り出し、大慌てで部屋を飛び出していく。
血相を変えて廊下を走る2人の姿を見た侍女と使用人数名が、あの2人が廊下を走るなど、すわ何事かと驚いた顔をしていたが、アドラシオンにもアルマソンにも、それに構っている余裕はなかった。
6
お気に入りに追加
77
あなたにおすすめの小説
【完結】ヒロインはラスボスがお好き
As-me.com
恋愛
完結しました。
5歳の時、誘拐されて死にかけた。
でもその時前世を思いだし、ここが乙女ゲームの世界で自分がそのヒロインに生まれ変わっていたことに気づく。
攻略対象者は双子の王子(ドSとドM)に隣国の王子(脳筋)、さらには妖精王(脳内お花畑)!
王子たちを攻略して将来は王妃様?嫌です。
それとも妖精王と恋をして世界をおさめちゃう?とんでもない。恋愛イベント?回避します!好感度?絶対上げません!むしろマイナス希望!
ライバルの悪役令嬢?親友です!断罪なんかさせるもんかぁ!
私の推しはラスボスの吸血鬼様なんだからーーーーっ!!!
大好きな親友(ライバル)と愛する吸血鬼(ラスボス)を救うため、
あらゆるフラグをへし折ろうと奮闘する、はちゃめちゃヒロインの物語。
ちょっぴり笑えるラブコメ……になったらいいな。(笑)
※第1部完結。続編始めました。
※他サイトにも掲載しております。
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
転生したら避けてきた攻略対象にすでにロックオンされていました
みなみ抄花
恋愛
睦見 香桜(むつみ かお)は今年で19歳。
日本で普通に生まれ日本で育った少し田舎の町の娘であったが、都内の大学に無事合格し春からは学生寮で新生活がスタートするはず、だった。
引越しの前日、生まれ育った町を離れることに、少し名残惜しさを感じた香桜は、子どもの頃によく遊んだ川まで一人で歩いていた。
そこで子犬が溺れているのが目に入り、助けるためいきなり川に飛び込んでしまう。
香桜は必死の力で子犬を岸にあげるも、そこで力尽きてしまい……
【完結】転生したら少女漫画の悪役令嬢でした〜アホ王子との婚約フラグを壊したら義理の兄に溺愛されました〜
まほりろ
恋愛
ムーンライトノベルズで日間総合1位、週間総合2位になった作品です。
【完結】「ディアーナ・フォークト! 貴様との婚約を破棄する!!」見目麗しい第二王子にそう言い渡されたとき、ディアーナは騎士団長の子息に取り押さえられ膝をついていた。王子の側近により読み上げられるディアーナの罪状。第二王子の腕の中で幸せそうに微笑むヒロインのユリア。悪役令嬢のディアーナはユリアに斬りかかり、義理の兄で第二王子の近衛隊のフリードに斬り殺される。
三日月杏奈は漫画好きの普通の女の子、バナナの皮で滑って転んで死んだ。享年二十歳。
目を覚ました杏奈は少女漫画「クリンゲル学園の天使」悪役令嬢ディアーナ・フォークト転生していた。破滅フラグを壊す為に義理の兄と仲良くしようとしたら溺愛されました。
私の事を大切にしてくれるお義兄様と仲良く暮らします。王子殿下私のことは放っておいてください。
ムーンライトノベルズにも投稿しています。
「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」
表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜
楠ノ木雫
恋愛
病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。
病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。
元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!
でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?
※他の投稿サイトにも掲載しています。
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした
葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。
でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。
本編完結済みです。時々番外編を追加します。
【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~
降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。
転生ガチャで悪役令嬢になりました
みおな
恋愛
前世で死んだと思ったら、乙女ゲームの中に転生してました。
なんていうのが、一般的だと思うのだけど。
気がついたら、神様の前に立っていました。
神様が言うには、転生先はガチャで決めるらしいです。
初めて聞きました、そんなこと。
で、なんで何度回しても、悪役令嬢としかでないんですか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる