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第5章

12話 更なる事件の発生

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 レトリー侯爵家の葬儀が行われてから数日後。
 ニアージュは自室で、アドラシオンの誕生日プレゼントである、ハンカチの刺繍を続けていた。

 農業視察が半分潰れてしまったので、邸で予定通り、内輪だけでアドラシオンの誕生日パーティーを行う事にもなっていて、使用人や侍女達も、その日の為の準備に張り切って動いている。

 また、誕生日パーティー当日には、マルグリットが以前のようにお忍びでこちらへ来る予定にもなっているので、その事が一層彼らや彼女らを張り切らせているのかも知れない。

 マルグリットからの手紙によれば、当日は、上手く国王にでっち上げの予定を告げて信じ込ませるので、弟のアリオールとその妻のグレイシア……つまり、王太子夫妻もお忍びで顔を出すやも知れない、いや、必ず顔を出す、との事だった。

 やはり、件の平民の少女に引き起こされた事件があって以降、仲が良かった兄の誕生日を、7年にも亘って祝いたくとも祝えずにいた事は、現王太子にとって悲しい事だったのだろう。

 王太子の心情を思えば、ぜひとも当日には上手い事こちらへ来て、共にアドラシオンの誕生日を祝う事ができたらいい、とニアージュは心から思っている。

 そして今。
 ニアージュもまた、ここ数か月の間ずっと苦心して続けてきた刺繍を、ついに完成させる時を迎えようとしていた。

「……。…………よっし! で……できたぁっ! 刺繍、綺麗に完成したああぁっ!」

 最後の一刺しの後、玉結びを終えたニアージュは、思わず座っていた椅子から立ち上がり、木枠に嵌め込んだハンカチを持った左手と、針を持ったままの右手を真上に突き上げて、勝利の雄叫びにも似た声を上げる。
 無論、これは今日側にいる侍女がアナだからこそ出たアクションだ。

「やったわね、ニア! 私にも見せて!」

「勿論いいわよ! かなりの自信作だから、よーーく見て!」

「どれどれ……。……うん、いいんじゃない? ――あ、よく見たらこのハンカチ、チューリップだけじゃなくて、縁の方にも金糸で刺繍入れてるのね」

「ええ。なんかこう、チューリップだけだと、紳士用としてはなんか可愛らし過ぎる気がしたから、マイナに相談して頑張ってみたの。もう、ホンッットに頑張ったんだから……!」

「成程ねえ。これなら旦那様が外で使っても恥ずかしくない、上品な意匠だと思うわ。裏側も綺麗に整ってるし……頑張った甲斐があったじゃない!」

「ふふん、そうでしょう、そうでしょう! あ……でも……。旦那様は気に入ってくれるかしら……」

「はい? ちょっと、なに突然弱気になってるのよ、もう! 旦那様なら絶対気に入るし、絶対に喜ぶわ。だからもっと堂々と胸を張ってなさい! ホント、旦那様の事となると変な所で自信がなくなるわよね。ニアは」

「う。だ、だって、仕方ないじゃない。ほら、私は本妻じゃなくて、契約妻な訳だし……」

「あんたねえ……」

 自分の立場を思い出し、思わず身体を縮こまらせるニアージュに、アナは呆れ顔をした。
 どこからどう見ても、アドラシオンはニアージュに気がある。
 それこそ、傍から見ていて丸分かりなほどに。
 ついでに言うなら、ニアージュがアドラシオンを想っている事も丸分かりだった。

 アドラシオンとニアージュの、地味にもどかしい両片思いの状態と状況は、使用人も侍女達もアルマソンも、みんな気付いて理解している事だ。
 どちらかがあともう少し素直になるだけで、即座に契約婚の仮初め夫婦ではなく、本当の夫婦になれるだろうに、と全員が思っている。

 それでいて、何も言わずに状況を見守っているのは、自分達が下手に横からくちばしを突っ込んだせいで、2人の仲が拗れでもしたら困ると思っているからに過ぎない。
 2人の行く末を想って、やむなく黙っているだけなのである。

 しかし、こうまで進展がないとなると、やはりそろそろテコ入れが必要なのではないか、とアナは思い始めていた。
 なんだかもう、見ていてじれったくて仕方がない。

 そこに丁度、ドアをノックする音が聞こえてきた。
 2人は反射的に口を噤み、姿勢を正して、公爵夫人とその専属の侍女としての顔を作る。

「どうぞ」

「失礼致します」

 ニアージュが声をかけると、ドアを開けて入って来たのは家令のアルマソンだった。
 その表情は微妙に暗く、顔色もあまりよくないように見受けられる。

 今朝顔を合わせた時には血色もよく、近く開かれるアドラシオンの誕生日パーティーに向けて、全力で働こうという意識と意欲に満ち満ちていたのだが、どうしたのだろうか。

「あら、どうしたのアルマソン。なんだかあまり顔色がよくないわね?」

「そうでございますか? それは大変失礼致しました。栄えある公爵家の家令ともあろう者が、こうも容易く心情を顔に出してしまうとは……」

「いいのよアルマソン。気にしないで。日によってはそんな事もあるでしょう。あなたは十二分に優秀な家令だわ。顔色ひとつで、そこまで恥じる事なんてないのよ」

「奥様……。なんとお優しいお言葉を……。ありがとうございます。今後も一層励ませて頂きますので、よろしくお願い致します」

「ええ、これからもよろしくね。……それで、一体何があったの。あなたのその様子から見るに、よっぽど深刻な事があったんでしょう?」

「――……。では、ご報告申し上げます。どうぞ心を落ち着けてお聞き下さい。レトリー侯爵家の葬儀が執り行われた翌日、レトリー侯爵は、療養所におられた末子のアルセン様を伴って、一時帰宅されたそうなのですが……。

 なぜかご長男方と住まわれている仮の邸宅にはお戻りにならず、そのままアルセン様共々、行方不明になられたそうです。そして……かの方々が最後に目撃されたのが、我がエフォール公爵領の、入り口付近であったと……」

「――は?」

 神妙な面持ちのアルマソンから、新たな事件の発生を告げられたニアージュは、未だ木枠に嵌め込んだままでいたハンカチの布地を、足元の絨毯の上に取り落とした。


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