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第5章

4話 農業視察団への参加 後編

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 左右を畑に囲まれた牧歌的な道を、軽やかな音を立てて複数頭立ての立派な馬車が、何台も列を成して進んで行く。
 バラト侯爵が用意した、ザルツ・ウィキヌス帝国へ向かう為の馬車だ。
 無論、乗っているのは農業視察団に参加した貴族達である。

 ニアージュとアドラシオン、そして世話役の侍女として選ばれたアナとニーネは、そのうちの一台に乗っていた。

「しかし、本当にこの馬車はいいな。座席のクッションに厚みがあって、ずっと座っていても尻が痛くならない」

「そうですね。でもこれは、なにかこう……柔らかさの中にも弾力がある気がします。上手く言えないのですけど、単純に、綿を多く詰めているだけではないような」

「言われてみれば確かに。バラト侯爵も、お抱えの馬車の製造業者が新素材の開発に成功した、と言っていたし、もしかしたらこの馬車にも、その新素材が使われているのかも知れないな」

「ええ、きっとそうですね」

 馬車の乗り心地に感心するアドラシオンに、ニアージュは座席に使われている素材について率直な感想を述べ、アドラシオンがその言葉にうなづき返す。

 本当の事を言うとニアージュは、その新素材とやらは前世で言う所のスプリングなのではないか、と当たりを付けていたのだが、口に出して言うのはやめておいた。

 以前の話でも述べたが、ニアージュが前世から引き継いだ知識はどれも、書籍やネット、テレビで拾っただけの浅いものでしかない。
 その浅い知識ではスプリングの作り方など分からないし、そもそもこの世界にも、王国が定めた商業法の中に特許法というものがある。

 この世界でも、特許の出願申請は早い者勝ちだ。
 もし仮に、試行錯誤の末スプリングの作成に成功したとしても、既にバラト侯爵のお抱え業者がスプリングの製造法を確立し、特許法に則って特許の出願請求を出していた場合、ニアージュのアイディアは申請直後に無効と判定されるだろう。

 そして、ニアージュ達が作った物はバラト侯爵家の特許物とみなされ、問答無用で使用料が発生する事になる。ついでに言うなら、この時下手な応対をすれば、特許権の侵害とみなされる危険性さえあると見て間違いない。

(どっちにしたってお金がかかるなら、きちんとしたノウハウがあるバラト侯爵家にお願いして、お金を払ってスプリングの使用許可をもらった方がずっといいわ。
 大体、私のフワッとした物言いと想像だけで製造を指示した物が、製品として使えるちゃんとした形になるまで、一体どれだけの月日とお金が必要になるか知れたもんじゃないし)

 ニアージュは、馬車の窓からちらりと外に視線を向けつつ、内心でうそぶく。

(それに、苦労して作り上げた物が、審査の結果バラト侯爵家の二番煎じでした、なんて事になったら、うちの領地の開発者が燃え尽きちゃうわ。ここは、余計な事なんて言わずに大人しく、『沈黙は金』って事にしとくべきよね)

「どうした、ニア」

「いえ、何でもありません。ただ単に、この技術を買わせて頂いたら、どのくらいかかるんだろうと想像していました。でも、エフォール公爵家では、即座に必要な技術という訳でもありませんよね」

「ああ。馬車を使って何日も移動するという事自体、我が家ではほとんどない事だからな。導入の検討はアリだと思うが、今すぐ検討すべき事ではないとも思う」

「ですよね。――所で話は変わりますが、帝国領へ入るまでに経由する街は、幾つくらいになるのでしょう?」

「そうだな……。出立前に地図で確認した限り、入国までに3つ、帝都へ辿り着くまでに2つといった所だったように思う。
 隣国とはいえ、王国の領土も帝国の領土も相応に広大だ。どうしても移動に時間を取られてしまうが……国境を跨いだ移動だと思えば、まだ短い方だよ」

 ニアージュの質問に、アドラシオンが穏やかな笑みを浮かべながら答える。

「そうなのですか」

「ああ。旅程としては、片道3日の往復6日、滞在期間は1週間を予定している。正直な所、かなり長く邸を空ける事になるのだし、邸の維持運営を鑑みれば、君には留守を守ってもらっていた方がよかったのかも知れない。
 だが、今回はアルマソンが、共に行くべきだと言ってくれてな。ありがたくその言葉に甘える事にしたんだ」

「そうだったんですか。きっとアルマソンは、私が帝国で見識を広める事を願ってくれているんだと思います。旦那様だってそうなんでしょう? こんな長い視察に同行させて下さっているんですから」

「え、あ、ああ。それは勿論。俺にとっても視察は勉学の場になるだろうが、その、君にとっても、今回の視察がよい学びの場になればと、そう思って……」

「? ええ、ありがとうございます、旦那様。折角連れて来てもらったんですから、張り切って色々学びますね!」

 急に視線をさまよわせ、微妙に歯切れの悪い物言いをするアドラシオンに、ニアージュは少々怪訝な目を向けつつも、胸を張って今後の決意を宣言した。


 だが、アナとニーネは知っている。
 アドラシオンがこの長期視察の場を利用して、どうにかニアージュと距離を縮めようと考えている事を。
 そして――心のどこかで、領主としての立場と務めを半ば利用する形で動いている事に、若干の後ろめたさを抱えている事も。

 ゆえに、アナとニーネが主に向ける眼差しも、幾分生温いものになりがちである。
 だがそれは、今回に限って言えば不可抗力であろう。
 主がヘタレだと、仕えている侍女もじれったい感情を抱えざるを得ないのだ。

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